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   さ 行

参詣(さんけい) Station> v. 1.3.

● 意 味
● 使用例
● 語の由来


意味
 巡礼の旅人が立ち止まって、祈るべき場所のことです。一応、「参詣所」と訳しました。我が国でいえば、四国八十八ヶ所の「霊場」のようなものでしょうか。三修社『現代和独辞典』(2000 年)で Shikoku を引きますと、「四国八十八ヶ所」を 88 Heilige Stationen in Shikoku と訳してたりします。
 Station を、「駅」とか「宿駅」と訳出しますと、魂が、東海道五十三次のようなものを「遍歴」することになってしまったり、センチメンタルな心の旅路風で、ちょっと悲しいものがあります。(ちなみに、「次」は「宿(やど)り」を意味し、「旅次(りょじ)」という言葉もあります)。

使用例
 StationenStation の複数形)は、ヘーゲル『精神の現象学』(1807 年)の「緒論(Einleitung)」に登場する(*1)用語として、有名です。また注目すべきことに、フィヒテ『幸いなる生への導き』(1806 年)の「内容要約(Inhaltsanzeige)・第 3 講義」にも現れています。
 フィヒテもヘーゲルも神学部出身ですので、下記の「語の由来」は当然知っていたはずです。

 以下の説明は、グリム『ドイツ語辞典』からの抜粋です。(^^;
語の由来
 Station は、まず、そして通例、道程途上においての短期間の停止と、停止する場所を表す。このような意味は、最初は教会用語だったのであり、中世ラテン語の statio に基づいている。
 Stationen [Station の複数形] は、まず、 14 の特別にしるし付けられた場所をいう。聖書や伝説によれば、これらの場所でイエスはゴルゴダへの受難の道の途上、停止されたといわれる。そこで、聖地への巡礼者も、またこれらの場所で停止し、祈とうを行ったのである。
 その後、この 14 の場所を模したものが、教会の中や野外に作られた(*2)。こうしたことは、最初フランシスコ(フランチェスコ)修道会(教団)において、広まった。そこでは、14 の場所が、木の十字架(すなわち、Stationskreuz)とキリスト磔刑(たっけい)像(すなわち、Stationsbild)、そして礼拝堂によって示された。これらは、巡礼行列(Prozessionen)の停止場所となったのである。
 この後、Station という表現はさらに、この行列と、停止場所で行われる祈とうにも適用されることになった。このような意味は、中低ドイツ語(mnd.)にある。そして高地ドイツ語においても、この意味は 15 世紀にはすでに現れており、したがって近代においてもある。(以下省略)


(*1) 『アカデミー版ヘーゲル全集』、第 9 巻、 55, 57 ページ。なお、緒論以外でも Station(en) は、同書の 193, ページで使われています。ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』では、第 3 巻、72, 74, 263 ページ。
 また Stationen は、ヘーゲルの執筆による『精神の現象学』の広告(1807年10月28日付の Intelligenzblatt der Jenaer Allgemeinen Literatur-Zeitung)でも現われます。(ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』、第 3 巻 593 ページ)

(*2) こういった事情は、洋の東西・古今を問わないようで、四国 八十八ヶ所を模したものは、多くの施設や狭い場所に作られています。それ自体は、一概に否定できないのでしょう。しかし、特に体が悪いというわけでもないのに、遍路をどこかの模した一カ所ですませ、ご利益だけは同じものを得ようという不心得者が、やはりいるのですね。

(初出:2012-1-15)

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三項図式>(認識論においての) v. 1.3.

 ・三項図式とは?
 ・三項それぞれの特徴
 ・ヘーゲルからの批判


三項図式とは?
 三項図式というのは、近代認識論が、<対象自体-表象内容-認識する主観(意識作用)>という 3 つの項目から成立していることを、表す用語です。
 例えば、私たちが目の前の木を観察しているとします。するとそこには、<木そのもの(対象自体)-木の像(表象内容)-私(認識する主観)>の 3 項があります。

 この三項図式は、新カント学派で提起されましたが、私たちの間に広く知られるようになったのは、廣松渉(1933-1994)によります。彼は超克すべき近代認識論を、「主観-客観」図式(主-客図式)として捉えました。その一部を形成しているのが、この三項図式で(*1)

 近代の(現代も!)さまざまな認識論は、この三項図式を下敷きにして考えると、非常に分かりやすくなります。なかには、どれかの項を削除した認識論もありますが、その場合でも、廣松渉の指摘するように、この図式の構図そのものは、前提としている場合がほとんどです。
 
三項それぞれの特徴
 ・対象自体
 カントの物自体が典型であるように、対象自体を認識することはできません。けれども、対象自体が存在することは、カントも、実在論者も、そして世間の常識も、前提にしています。

 ・表象内容(意識の内容、現象):
 私たちが直接、与件として認識できるものは、対象の像であるところの表象内容のみです。これは、対象自体が認識主観に対し、何らかの仕方で影響を与えることによって、各個人の意識の内に生じます。したがって、人が他人のもつ表象内容を直接知ることは、原理的に不可能です。
 また、表象内容の「少なくとも一部に関しては、認識主観の能動的な作用が及び、加工・変容がおこなわれうるものと想定(*2)されています。

 ・認識する主観(意識作用):
 この主観そのものがどのようなものかは、客観の側の対象自体と同じく、認識することはできません。私たちは、この主観の現象を、例えば自意識として、知りえるだけです。
 またこの主観は、「究極的には意識作用として、つねに各個人の人称的な意識、各自的な私の意識だと了解される。(或る種の学派では超人称的・超個人的な認識「論」的主観が立てられるとはいえ、その場合でも、現実的諸個人の意識は人称的であるとされる)」のです(*3)
 そこで各個人の認識主観は、独自の存在となり、主観どうしは互いに相手が宇宙人であるかのように相対せざるをえなくなります。しかしながら、各「主観は本源的に『同型的』であると看做」されてい(*4)ことによって、私たち相互の間でのコミュニケーションが、可能となります。(けれども、目の前の「人」が、本当に人間なのか、あるいは精巧なロボットにすぎないのか、原理的には決定できません)。

 なお、私たちが注意すべきは、三項の存在性質はまったく異なるものですから、複数項にわたって存在する事物や規定性は、ありえないことです。

ヘーゲルからの批判
 廣松渉は、ヘーゲルの『精神の現象学』の「緒文(Einleitung)を引用して:

 「現実的に認識している学 [Wissenschaft, 学問, 哲学] に対する不信」があるが、こうした不信の方こそ「多くのことを、真理として前提」している。「つまり・・・われわれ自身そういう認識との区別を前提している。特に挙げておきたいのは、一方の側に絶対者が立っており、そして他方の側に認識がそれ自身で<独立に>絶対者から分離して立っていて、しかもこの認識はそういう在り方をしているにもかかわらず或る実在的なものであるということ・・・こういう前提が立てられている」。(*5)

 そして氏によれば:
 「<自体的存在>としての絶対者と<表象>としての認識、これらを分断し、更には・・・この<認識>と<われわれ自身>とを区別する・・・前提的発想というのは、当世風に言えば『対象自体-表象内容-意識作用』という三項図式に帰趨します。ヘーゲルは、この "三項図式" が不当前提であることをいちはやく洞見し、まさにこの "前提" こそが真っ先に問い返さる当のものだと言うのです」。(*6)

 確かに氏の指摘の通りですが、私見では、フィヒテ以来のドイツ観念論は世界の外化・帰一というメタ化の論理をとるので、三項図式の認識論は実質的に棄却されています。ただ、フィヒテはカント哲学を基礎づけるという姿勢でしたので、彼には棄却というまでの強い意識はなかったのかもしれません。


(*1) 例えば、廣松渉『世界の共同主観的存在構造』の「序章」を参照。(戻る)
(*2) 同書、7ページ(勁草書房、1972年)。(戻る)
(*3) 同書、同ページ。(戻る)
(*4) 同書、同ページ。(戻る)
(*5) 「 」内のヘーゲルからの引用は、廣松渉『弁証法の論理』青土社、1980年、42-43 ページ。<独立に> は氏の挿入です。また地の文は筆者のものです。
(*6) 同書、43 ページ。

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自我 Ich v. 1.7.

(1) フィヒテの場合
 フィヒテによれば、「自我には、実在性の絶対的な全体が、帰属」しています(*1)。そして、「絶対的に最初で、まったく無条件な、すべての知識の根本原理」は、「自我は自らを措定する」です(*2)
 しかし、どうしてそのような自我が存在するのか、また自我とはそもそも何なのか、といったことについては、勝義の哲学では(いわば真諦においては)、何も言えないのです。なぜなら、自我とその自己措定というのは最高の原理ですから、それが説明されたり、証明されるのであれば、それは「最高原理ではなくなってしまう」からです。つまり、説明したり証明するものの方が、自我とその自己措定より根源的になり、後者はかえって前者に「依存する」ことになってしまいます。一般的にいえば、「すべての証明は、まったく証明されえないものを前提にする」のですから、自我とその自己措定が証明されえないのも、当然です。
 そこで、自我とその自己措定については、「概念把握したり、概念で伝えることはできず、ただ直接的に直観されるだけである。この直観を持たない人にとっては、『知識学』は根拠のない、たんに形式的なものにとどまるであろう」。(*3)

 この点に類比的なものとしては、数学の無定義要素があります。例えば「2点を通る直線は、一本だけである」という公理を構成する「点」「直線」などは、数学的には定義のしようがありません。そこで、これらの用語は定義なくして使用されます。とはいえ、初学者に対してまったくの説明抜きでは困りますので、日常語を用いて、「点とは位置のみを有して、大きさのないもの」などと言われます。
 フィヒテも、「知識学への第1序論」(元々の表題は「知識学の新しい叙述の試み 第1章」、1797年)や「知識学の新しい叙述の試み」(1797年)などで、一般読者向けに前記の自我について、俗諦的説明を試みています。しかし、デカルトのコギト以来の近代的・個人的自我が通念としてありますので、そうしたものを引き合いに出さざるをえず、かえって、いわゆる「主観的」観念論であるとの誤解を招く結果となったようです。

 また後年の宗教論においては、自我が生じて自己措定が起きるのは、「愛」によるとされます:
 「愛は、それ自体としては死せる存在を、いわば2重の [zweimalig] 存在へと分かつ:この死せる存在を、自らの前に立てながら。そして愛はこのことによって、死せる存在を自我に、すなわち自己にするのである。この自我は自らを直観し、そして自らについて知る。この自我性のうちに、すべての生(Leben)の根源がある。愛は再び、分かたれた自我をもっとも緊密に統一し、結合する」。(*4)
 では「愛」とは何かといえば、それは「存在(Sein)の興起(Affekt, 情動――訳しづらいところです)」だとされます(*5)。また、「統一(Einheit、一元性)によっても、廃棄されずに永遠に存続する二元性(Zweiheit)のうちで、この統一はまさに生なのである」。(*6)

 こうして、デカルトからカントにいたる近代的自我が、統一的な一つのものであるのに対し、フィヒテの自我は、統一を保持しつつも二つのものに渡っています。つまり現代的に言えば、2項間の関係態として、自我が設定されたことになります。(そしてこのような発想は、シェリング、ヘーゲルもとっています)。

 ちなみにフィヒテの「自我」に、カントにおいて対応するのは、物自体としての主観ではありません。措定する自我は、現象としては現れない点、自我は「主観-客観」だと言われている点(*7)などからしいて言えば、「物自体としての主観+物自体としての客観」になります。(したがって、フィヒテの「非我」は、客観的物体、あるいはシェリングでいえば「自然」などではないことになります)。
 むしろフィヒテの「自我」は、スピノザの「実体」に近いと言えるでしょう。むろん、それはまさしく主体化されています。前記の引用文を使って表現すれば、「それ自体としては死せる存在」(実体)は、「興起」して「2重の存在」になるのです(主体化)。


(2) シェリングの場合

 シェリングの超越論的観念論は、フィヒテの自我(自己意識)をうけて、展開されます。その自我について、シェリングは以下のように述べていますが、フィヒテも同意するところだと思います:
 「自我の概念のうちには、個人Individualität)ということの表現より、或る高次のものがある。また、自己意識一般の活動(Akt)とともに、なるほど同時に個人の意識が登場せざるをえないが、しかし自己意識一般そのものは、個人的なものを含んではいないのである。
 「自己意識一般の活動としての自我のみを、これまで問題にしてきたが、この自我から初めて、すべての個人性が導出されねばならない。
 「原理としての自我においては、個人的な自我は考えられていないのと同様に、経験的な(つまり、経験的な意識において現れてくる)自我も考えられてはいない。
 「純粋な意識が、異なったしかたで規定され、限定されて、経験的な意識が生じるのであり、この 2 つの意識のちがいは、たんに限定されているかどうかである。経験的意識がもつ限定を取りさると、ここで問題にしている絶対的な自我が残るのである。
 「純粋な自己意識は、すべての時間の外にあって、すべての時間を初めて構成する活動である。他方、経験的意識は、ただ時間のうちで、また表象の継起のうちで生じる」。(*8)

 上記の引用にもありますように、ドイツ観念論で形容語なしに、たんに「自我」という言葉がでてきたときには、「絶対的(原理としての)自我・自己意識一般(純粋自己意識)・純粋意識」を意味します。
 また、純粋意識(絶対的自我)は、経験的意識からその限定を取りさったものであって、さまざまな経験的意識から抽象されたものではありません。(*9)

 しかし、「限定を取りさったもの」なるものを、私たちは果(は)たして想定できるのだろうか、空想にすぎないのではないかという、疑問が起きるのではないかと思います。それに対して、比ゆ的に、現代風に答えるとすれば――それは一種の関数態であり、その変数に特定の値(規定性)を代入したものが、個々の経験的意識だということになります。あるいは、個々の経験的意識を生みだすような、ある種の構造が、原理としての自我です。
 (「しかし、関数なるものはいかなるものであれ、すでに規定性を帯びているのだから、「絶対的(純粋な)自我」の比ゆにするのはマズイのではないか?」との反論に対しては――現代では、いかなる意識も歴史性を持っていると、考えるのがふつうです。そこで、この根本的な歴史的規定性が、関数がもつ規定性に対応するというしだいです。)

 さて、上記引用の後、シェリングの説明はさらに続くのですが、抄訳で紹介すれば――
 自我は、物自体でもなければ、現象のひとつでもない。というのは、物自体も現象も「物(Ding)」として存在するが、自我は物ではないからである。といっても、「想像上のもの」ではなく、「自我は、すべての実在の原理である」以上は、「実在するもの(etwas Reelles)」でなければならない。しかしまた、自我はまさしく「すべての実在の原理である」のだから、実在的(reell)――「導出された実在」すなわち個々の現実存在が、実在的であると言われる意味で――ではありえない。
 このような「ジレンマ(Dilemma)」に陥るのは、結局、物の実在性をもって唯一最高の実在性と考えるからである。そのような実在性は、じつはより高次な実在性からの反映にすぎないのである。
 すなわち、「物の概念より高次の概念が存在する」。それは、行為(Handeln)、働き(Tätigkeit)の概念である。「これらが物の概念より高次なのは、物というものは、[働きそのものが] さまざまなあり方で限定されて或る 1 つの働きになっているという、たんなる変容(Modifikationen)として、把握されねばならないからである。」
 「物の存在とは、たんに [或る場所で] 休止していることや、働きがないこと(Untätigkeit)なのではない。というのも、空間が満たされていることさえすべて、ただ働きの度合(Grad)[によって] なのであり、各々の物は、たんに働きの或る規定された度合だからである。そしてこの規定された度合によって、空間は満たされているのである。
 「物に帰属するような述語は、自我には帰属しないことから、自我については『自我は存在する(*10)とは言えないという、パラドックスの説明がつく。すなわち、自我は存在そのものであるという理由だけからでは、『自我は存在する』とは言えないのである。
 「自己意識の、時間のうちでは把握されない永遠の活動を、私たちは「自我」と呼ぶのだが、この活動がすべての物に現実の存在を与える。したがって、自我自体は、自分をになってくれる他の存在を必要とはぜず、自分自身をにない支えながら、客観的には永遠の生成として、主観的には無限の産出として現れる。」(*11)

 という次第で、物に対する関係の 1 次性ならぬ、活動(=自我=自己意識)の 1 次性が説かれます。カント以降の哲学は、彼の「物自体-現象」のシェーマをどう乗り越えていくのかが、課題だったといえます。やはり、不可知の物自体なるものを想定したのでは、いろいろ検討していくうちに不都合な点が出てこざるをえません。
 そこで、例えば物自体は現象の極限概念だとして、物自体を消去する説なども登場したのでした。しかし、「物自体-現象」のシェーマそのものを「自我」によって取り換える知識学(ドイツ観念論)が、哲学の主流となりました。この自我を、生産関係を主軸とする社会的諸関係と読み替えるとき、史的唯物論が表れると、一応言えるでしょう。


(*1) 『全知識学の基礎』(1794年)、岩波文庫(1995年)では、下巻168ページ。SW, Bd., I, S. 129.

(*2) 同書、上巻101ページ。SW, Bd., I, S. 91.

(*3) (*2)以降のここまでの引用は、『神の世界統治に対する、私たちの信仰の根拠について』(1798年)の原注から。SW, Bd., V, S. 181.

(*4) 『幸いなる生への導き』(1806年)、第1講。SW, Bd. V, S. 402.

(*5) 同書、「内容目次(Inhalts-Anzeige)」の第7講。SW, Bd. V, S. 578.

(*6) 同書、第1講。SW, Bd. V, S. 402.

(*7) 「これまでほとんど一般的に考えられてきたように、自我をたんに主観として考えてはならない。前述の意味において主観-客観として考えるべきである」。(『知識学の新しい叙述の試み』(1797年)、岩波文庫『全知識学の基礎』(1995年)所収では、上巻80ページ。SW, Bd., I, S. 529)
 「自我は必然的に、主観と客観の同一態『主観-客観』である。そしてこのことは、なんら媒介されることなくして端的にそうなのである」。(『全知識学の基礎』(C版の注、1802年)、岩波文庫(1995年)では、上巻114ページ。SW, Bd., I, S. 98)

(*8) シェリング『超越論的観念論の体系』、1800 年のオリジナル版、59-60 ページ。

(*9) ドイツ観念論では、抽象という方法がもつ欠陥が認識されており、この方法は使われません。これについては、『科学的帰納法へのドイツ観念論からの批判』で引用したシェリングの主張を参照してください。

(*10) 原文は: es ist. この ist は、es (自我)に帰属する述語ですが、自我には述語は帰属できないのですから、es ist という文は成立できず、「自我は存在する」とは言えない、というわけです。
 むろん、次の文で出てきますように、自我は存在そのものです。しかし、そうであっても「存在する」とは言えないので、「パラドックス」になっています。

(*11) シェリング『超越論的観念論の体系』、1800 年のオリジナル版、60-62 ページ。

(初出:2008-3-8)
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自己意識 Seblstbewusstsein v. 1.1.

 ふつう日常で「自己意識」が使われるときには、自意識――自分自身だという意識。「これは、私なんだ」といった意識――を意味しています。しかし、ドイツ観念論での「自己意識」は、それとは違って、直観している対象が(抽象的な知的直観の対象も含めて)、自分自身に(自らの精神の発現したものに)ほかならないとの意識(理解)です。
 そこで、自己意識においては、自らの主観が対象の客観として現れていますから、「主観イコール客観」という構造になっています。それを手短にいうと、自己意識とは、「主観=客観」です(「主観-客観」とも表記されます)。(※1)
 
 こうした考え方は、カントが「コペルニクス的転回」をなすことによって始まった超越論的観念論(超越論的哲学)によって準備され、フィヒテの「自我」で確立されたと思われます。フィヒテの自我は自らを措定しますから、措定する方(主観)も措定される方(客観)も、自我に変わりはありませんので、「主観=客観」となっています(※2)。 
 シェリングは、フィヒテの自我と自己意識との関係について、次のように述べます:
 「[直観する] 主観的活動は、自己意識における主観=客観を、自らと等しいものとして措定します。この等しくする措定によって、主観=客観は、まさに初めて自我に等しくなるのです」(1800 年 11 月 19 日付のフィヒテ宛手紙。1856 年版の『フィヒテとシェリングの、哲学的往復書簡集』』では、S. 59. 『アカデミー版フィヒテ全集 III, 4』では、S. 363)

 シェリングとしては、前記の引用文中の「主観的活動」を捨象してフィヒテ知識学とは離れても、「純粋で(もっぱら客観的な)主観=客観の概念」は残すことによって、彼の自然哲学を創設します。(前掲の手紙。1856 年版では、S. 60. 『アカデミー版フィヒテ全集 III, 4』では、S. 364)
 その後のヘーゲルにあっても、『精神の現象学』の「IV. 自己確信の真理」に端的に見られるように、「自然な [日常的] 意識」が理性や学問的意識に高まるには、自己意識の「主観=客観」の段階を経なければなりません。
 こうして、ドイツ観念論においては、「自己意識」が重要な不可欠の契機をなしています。

 なお注意しておくべきは、
(i) 自己意識はなるほど「意識」ではありますが、いわゆるデカルト的コギトではありません。私たち一般の意識とでも言うべきものです。
(ii) 自己意識は主観の側だけではなく、当然のことながら客観の側も含んでいます。
 つまり、シェリングの口を借りてより正確にいえば、「主観的なものでもなければ客観的なものでもなく、ある論者の思惟でもなければ、誰かの思惟でもない」ものとしての世界の在り方を指します(引用は、『自然哲学論考』序文への1803年付記。Manfred Schröter によるシェリング著作集、第1巻、711 ページから)。


(※1) 自己意識が主観=客観であり、それが自我だということは、フィヒテの『知識学の新しい叙述の試み』(1797 年)に見られます。例えば:
 「自己意識のうちでは、主観的なものと客観的なものとが分かちがたく統一されており、両者は絶対的に一つのものである」。
 「可能なすべての意識は・・・ある直接的な意識を――この意識のうちでは、主観的なものと客観的なものとは端的に一つのものである――前提とする」。「この直接的な意識が・・・自我の直観である」。
 (以上の引用は、岩波文庫『全知識学の基礎』では、上巻、79, 80 ページ。SW 版では、S. 528)

(※2) 「主観=客観」については、『全知識学の基礎』の C 版(1802 年)の注(岩波文庫『全知識学の基礎』では、上巻、114 ページ。SW 版では、S. 98)で次のように言われています:
 「自我は必然的に、主観と客観との同一である、主観-客観である。そして自我がこうであるのは、端的に、さらに媒介されることなくしてである。」
 
 なお、岩波文庫『全知識学の基礎』の木村素衛氏の訳注(上巻、115 ページ)によれば、「訳者の知る限りではこの言葉 [主観-客観] は 1797 年の『知識学の新叙述の試み』に於いて現れたのが初めである」。
 (ところで、この木村訳は戦前のものだとはいえ、名訳です。ドイツ観念論関係では、細谷貞雄氏の諸訳も定評があります。その他には・・・何か森の石松的状況になってきましたので、切り上げましょう)。

(初出:2013-2-5)
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自然 Natur(シェリング哲学での) v. 1.2.

定義としては:
 「私たちのもつ知において、もっぱら客観的なもの一切を、自然と名づけることができる」。(*1)

 したがって、シェリングの「自然」は、いわゆる人工物も含みます。
 なお、ドイツ観念論においての(したがって前記引用文中の)「知(Wissen)」は、たんに主観的なもの(=個人的な意識内のもの)ではなく、主観的なものと客観的なものとが統合されたもの、ないしは、両者が一致するする場のようなものです。(*2)

● シェリング哲学体系での位置づけとしては:
  一言でいえば、普遍的である絶対的なものが、個別的に実在するものへと変じたもの、またそのような世界が、シェリングの「自然」です。

 「絶対的なもの [絶対者] は永遠の認識活動であるが、この認識活動は自らにとって質料(Stoff)および形態(Form, 形式。形相)であって、産出(Produzieren)である。この産出において、絶対的なものは永遠にわたって、理念としての、純粋な同一性としての自からのすべてを、実在的なものに、形態にする。そしてまた、同じく永遠にわたって絶対的なものは、客観である限りでの形態としての自ら自身を、本質へと、すなわち主観(Subjekt, 主体)へと融解する。・・・
 「無限なもの [=絶対的なもの] の有限なもの[=形態] への成形である最初の統一は、絶対性のうちにあってはまた別の統一 [=有限なものの無限なものへの再摂取] へと――この別の統一も、最初の統一へと変化するように――直接変化する。[だが] 最初の統一は、このように区別されたものとしては、「自然」である。また別の統一とは、「観念的世界」である」。(*3)

● フィヒテの「非我」に相当するのか?
 シェリングの「自然」は、フィヒテ哲学でいえば「非我」に相当するとの誤解が、案外流布しています。なるほど、フィヒテの「措定する自我」は、超越論的な、普遍的なものであり、シェリングの「絶対的なもの」に相当するとはいえます。しかし、「措定された自我」に対立する「非我」は、「自然」ではありません。むしろ、「措定された自我」の方がより自然に近いと考えられます。

 「非我」とは何かということですが――
 措定された自我は、自己限定性をもっています。もたなければ、有限者として実在できないのですから、「措定された」ことにはなりません。しかし、この本質的な自己限定性は、結局自分に対立する何か他のもの(非我)が、自分に課しているという構図にもなります。
 この構図は、当時の人にとっては宗教的下地があるので、理解しやすかったと思われます。(そうでなければ、「自我は自己を措定する」以下のユニークにして難解なフィヒテ哲学が、あれほど多くの若人を引き付けられはしなかったでしょう)。つまり、神(措定する自我)が自ら自身でもある有限者・人間イエス(措定された自我)を、地上に現しますが、そのときには有限者である他の人間たち(非我)は当然そこにいるわけです。そして、イエスも他の人間たちも神のうちに存在するように、措定された自我も非我も、措定する自我のうちにあります。

 現代の私たちは構造主義言語論を下地にすれば、この構図を理解しやすいでしょう。例えば、私たちが「犬」(あるいは、「犬がいる」)と発話するとき、この言葉が意味をもつのは、「猫」などの他の語(あるいは、「犬が走る」などの他の文)との対照・対立においてです。つまり、普遍的なものである日本語(ラング=措定する自我)から発せられた、個別的・有限的な語「犬」(パロール=措定された自我)は、他の語(非我)によって限定を受けてはじめて存在します。むろん「犬」も「猫」も日本語であり、その内にあります。
 そして「犬」を発話するとき、ふつうは「猫」など他の語を意識することはありません。その限りでは、「犬」の語自体が意味をもっている、自己限定された有意味性があるともいえます。

フィヒテ哲学との関係
 簡単にいえばシェリングの「自然」は、フィヒテの「自我」の低レベルなものに相当します。彼のフィヒテ宛の手紙(1800 年 11 月 19 日付)では、それが端的に述べられています:

 「観念的=実在的なものとしてまったく客観的な、まさしくそれゆえ同時に産出的なあの自我が、この産出そのものにおいて、自然に他ならないということです。知的直観としての自我、すなわち自己意識としての自我は、ただ自然のより高次のポテンツなのです」。(*4)


(*1) 『超越論的観念論の体系』(1800 年)、§1 の 2.

(*2) 例えば、『超越論的観念論の体系』、§1 の 1, 2, 3.

(*3) 『自然哲学についての考察』の「緒論への付記」(1803 年)、SW 版シェリング全集、第 2 巻、62 および 66 ページ。

(*4) 『フィヒテとシェリングの往復書簡集』、1856年のオリジナル版、58 ページ。『アカデミー版フィヒテ全集 III, 4』では、363 ページ。

(初出:2012-6-29)
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体は主体である v. 1.6.

 はじめに
I. 出 典
II. 実体の意味
IiI. 主体の意味
IV. <実体=主体>の意味
V. このテーゼの評価
VI. さまざまな誤解


  はじめに

  <実体は主体である>という命題は、ヘーゲル哲学の特徴を端的に表したものとして有名です。しかし、よく誤解もされており、また詳しく検討すれば分かりにくい言葉だともいえます。なにはともあれ、順を追って見ていきましょう。

I. 出 典
 この命題は、ヘーゲルが最初の主著『精神の現象学(Phänomenologie des Geistes)』を書きおえた(1806 年 10 月)後、翌 1807 年 1 月にかけて執筆したその「序文(Vorrede, 序論)」において表れます。それに該当すると思われる 2 箇所を、正確に引用すれば:

 「私の見るところでは――もっともこの見解は、[哲学] 体系の叙述そのものによって、またそれのみによって、正当化されればならないのであるが――、すべては次のことにかかっている:真なるものをたんに実体としてではなく、主体としても把捉し、表現することである。」(強調は原文。以下も同様)(*1)

II. 実体の意味
(1) 語意
 「生滅・流転する世界において、変化することなく真実に存在するもの」、といったものです。ヘーゲルから引用すると:
 「実体とは、現存するもの(Dasein)のすべての規定や変化の内での、持続的な存在である。現存するものが持つ諸規定は、偶有的なもの(das Akzidentelle)を形成する。そして変化は、この偶有的なものに属する。」(*2)

(2) <実体は主体である>においての実体
 (i) ヘーゲルの念頭にある実体は、もともとと言いますか前提として、意識の「知」の契機と、知の対象である「存在」の両契機を含んでいます。実体に「知」しか認めないところの、いわゆる観念論者が想定する実体ではないし、また「存在」しか認めない、実在論者ないし唯物論者の実体でもありません。
 このことは、「I. 出典」で引用した個所のすぐ後で、次のように言われているとおりです:
 「同時に述べなければならないのは、実体性のうちには、普遍的なものすなわち自身の直接性が、存在すなわち知に対する直接性と同様に、含まれていることである」。(*14)

 (ii) このような実体として、ヘーゲルが考えていたのは有名なスピノザの実体です(*3)。そのため前記引用個所の直後に、話題はスピノザの実体へ唐突に移っています。なるほどスピノザの名前は出てきませんが、「神を実体として理解するということが、当時の人々を憤激させたとき」(*4)という文言で、スピノザのことだと分かります。

(3) 実体の語源(えてして哲学的説明に窮すると、語源的事実に逃げがちであるという通弊を、知らぬわけではないのですが、ついでということで)
 ラテン語の名詞 substantia (存立。本質。Bestand, Wesenheit, Inbegriff, being, essence)です。
 なお、substantia は、
  動詞 substare sub [下に] + stare [存する, stehen, stand])からの、
  派生語 substant- (しっかりと存続する。stanging firm(*13)から生じた、
  名詞です。
 (以上は、Duden Deutsches Universalwörterbuch, 6. Auflage および Oxford Dictionary of English, 2nd edition によりました。)

III. 主体の意味
(1) 語意
 「主体(Subjekt)」とは、一般的に近代哲学においては、「主体的」という表現に現れているように、能動的に認識し、実践(行為)する個人、つまり、自らの意志による自発性をもった個人のあり方意味します。認識する場面においては、ふつう「主観」と訳され、実践的場面や認識・実践双方の場面では、実体と訳されます。

(2) <実体は主体である>においての主体

  <工事中 キケン!

 したがってこの意味での「主体である」は、実体を個人的意識によって主観化することではありません。

 しかし、この<実体=主体>での「主体」は――この後の III で説明しますように――、より狭い意味で使われており、<自律的な運動をするもの>を表します。そこで、「実体は主体である」というテーゼは、<真に存在するもの(実体)は、自立的な運動主体()体である>ということを、まずは意味しています。

(3) 主体の語源(これも、ついでということで)
 ラテン語の名詞 subjectum (下に置かれたもの, Zugrundeliegende)です。
 なお、subjectum は、
  動詞 subicere sub [下に] + jacere [投げる])の過去分詞から、
  派生した形容詞 subjectus (下に置かれた)から生じた、
  名詞です。
 ただし、subjectum の哲学的意味(主体。主観)や、論理学・文法的意味(主語)は、アリストテレスの to hupokeimenon (ギリシア語をラテン表記しました。「事物を形成している材料」、および「形容されている主語。述語の主語」の意味)を、subjectum と訳したことに由来するようです。

 (以上は、Duden Deutsches Universalwörterbuch, 6. Auflage および Oxford Dictionary of English, 2nd edition によりました。)


IV. <実体=主体>の意味


 そしてスピノザ哲学に対する当時の人々の直感的反発を、紹介するという形をとって、ヘーゲル自身の不満(すなわち、実体が主体として考えられていないことへの)が述べられます:
 「3番目に、思惟 [=知] が実体の存在と合一し、直接性すなわち直観を思惟として把握したとしても、なお次のことが問題である:この知的直観が、再び惰性的な単純性に陥らないか、そして現実性を非現実的な仕方で表現しないかということである」。([ ]内は筆者の挿入。以下も同様)。

(3) そして、この引用に続く次の段落からは、主体的・活動的実体が、主張されます:
 「活動的な(lebendig)実体とは、[思惟と存在が合一しているだけではなく] さらに、真実には主体であるような存在である。あるいは同じことであるが、実体が自己措定をする運動であるかぎりで、すなわち、実体が自らの他者になるという、自己媒介をするかぎりで、真に現実的であるような存在である。」
 したがって、「実体は主体である」の主体は、「自立的な運動(活動)」を意味しています。ヘーゲルの考えでは、先の引用文中にあったように、実体というだけでは知と存在をもつにせよ、この両者はまだ「直接性」にとどまっています。そこで、実体の自己措定 [=自己媒介=自己生成] の運動をまってはじめて、実体は「真なるもの」になるというわけです。主体がこうした意味であることは、この後の、「現実的なものであり、主体であるという、すなわち自己生成 [の運動] であるという絶対者の本性は・・・(*5)などの表現も、示しています。
 そしてこの自己生成の運動は、フィヒテやシェリングの場合と同じく、やがて一つの体系を形成します。「真なるものは体系としてのみ現実的であるということ、すなわち、実体は本質的に主体であるということ・・・(*6)と、記されるとおりです。

(4) しかし、あまり注目されないものの、前記 (*6) での引用文は、さらに以下のように続きます。引用が長くなりますが、大切な部分ですので注目したいと思います:
 「真なるものは体系としてのみ現実的であるということ、すなわち、実体は本質的に主体であるということ、このことは、絶対的なものを精神として述べている考えのうちで表明されている。・・・精神的なものは、本質であり、即自的に存在するものであり・・・他のものであること、対自的であることである。・・・
 「しかし、精神的なものが、即自かつ対自的な存在であるのは、最初は私たちにとってであり、すなわち即自的にである。[この場合] この精神的なものは、精神的実体である。即自かつ対自的であるということは、精神的なもの自身にとっても [つまり、対自的に]、そうあらねばならない。精神的なものは・・・精神的なものとしての自己についての知でなければならない。
 「すなわち、自らに対して対象でなければならず、しかもそれがそのまま――止揚された対象として――自らの内へと反射した対象でもなければならない。この対象 [=精神的なもの] は、その精神的な内容が対象自身によって産出される限りは、たんに私たちにとってのみ対自的である。
 「しかしこの対象が、自ら自身に対して対自的であれば、前述の自己の産出、 [すなわち] 純粋な概念は、同時にこの対象にとっては対象的エレメントである。そしてこのエレメントにおいて、対象は定在(Dasein, 現実存在)をもつ。」。


V. このテーゼの評価
 ここまでですと、「実体は主体である」というテーゼそのものは、フィヒテの「自我の自己措定」やシェリングの「絶対者とは、自己の外へ出て行くという、永遠の行為」である(*7)という観点を、すなわちドイツ観念論の中心テーマを、ヘーゲルも継承するということを述べただけになります。(*8)
 たとえば、フィヒテの自己措定する自我の継承であることについては(*9)、上記引用文中の「同じことであるが、実体が自己措定をする運動であるかぎりで・・・」という一文からも窺えます。
 また、シェリングからの引用はないものの(この後、ヘーゲルとシェリングは絶交状態になります(*10)、シェリングも同様な観点だったことは、後年からの引用ですが、次の発言が示すとおりです:
 「スピノザの神は、まだまったくの実体性のうちにあり、そのことによって不動性のうちに沈んでいる。というのは、可動性(Beweglichkeit)はただ主体(Subjekt)のうちにあるからである。スピノザの実体はたんなる客体(Objekt)である。[彼の哲学においては、] 諸物は運動によって、神自身のうちなる意志によって、神から出来するのではない」。 (*11)


VI. さまざまな誤解
1) これまで伝統的(?)に、「実体は主体である」の主体(Subjekt)には、近代的な個人の意識のありようを意味する「主観(Subjekt)」の意味が、読み込まれてきました。(どうしてそのように読み込めるのかという説明は、ほとんどされてこなかったようですが)。
 しかし、実体を近代的主観として、すなわち「主観-客観」の2項対置図式での主観として、理解するというのであれば:
 a) それは、フィヒテやシェリング以前への逆行を意味します。というのは、フィヒテの自我やシェリングの絶対者は、彼らの用語を使えば「主観(主体)=客観(客体)」だからです。近代的あるいはカント的観点からすれば、存在論的に対立(対向)せざるをえない「主-客」の両者ですが、それらを合一した「自我」を発想しえたところに、フィヒテ不朽の功績があります。そしてそれをいち早く、一般的な哲学的観点から明快にパラフレーズしたのは、シェリングの才能です。「ヘーゲルはこの2人の『主観=客観』を解消して、主観に一元化する観念論哲学を構想した」と解釈するのは、やはり無理だというほかはありません。
 b) 実体そのものに、知(思惟、意識)がすでに含まれているのに、どうしてまたそれを主観化しなければならないのか、理解に苦しむところです。

2) 「実体は主体である」の主体 Subjekt は、同序文の後のほう(*12)で出てくる「主語(Subjekt)」の意味を込めて、解釈されることもあります。「実体を主語として把握する」というわけです。
 しかし、絶対者(実体)である例えば神を、主語として立てる必要はないと、ヘーゲルは逆のことを同個所で言っているのですから、これもおかしい解釈と言えます。
 
3) 実体(Substanz)と主体(Subjekt)が同じ事態であることの説明として、語源的に似ていることから、説かれることがあります。どちらも語源は、「下(Sub)」をもっていることから分かるように、それぞれ「下にある」、「下に置く」から来ています。
 けれども、この「序文」でヘーゲルは語源的なことには言及していませんし、彼が実体は主体であるという個所を書いていたときに、語源のことが念頭に浮かんでいたかどうかもハッキリしない以上、危い説明だという気がします。また、下にあったり置いたりすることが、ヘーゲル哲学の意想とどう関係するのか、これ説明できます?


  実体は主体であるの注

(*1) ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』、第 3 巻、22-23 ページ。『アカデミー版ヘーゲル全集』、第 9 巻、18 ページ。
 『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」においてこの箇所以外で、実体は主体であるとの表現が見られる箇所は:

 「真なるものは体系としてのみ現実的であるということ、すなわち、実体は本質的に主体であるということは、以下のような考えにおいて表明されている・・・」(ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』、第 3 巻、28 ページ。『アカデミー版ヘーゲル全集』、第 9 巻、22 ページ)

 「実体は、本質的に主体であることが示されている」。(ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』、第 3 巻、39 ページ。『アカデミー版ヘーゲル全集』、第 9 巻、29 ページ)

(*2) ヘーゲル「1808/1809 年の講義草稿」(G. W. F. Hegel Werke、Suhrkamp 社、第 4 巻、、100 ページ)

(*3) ちなみにシェリングも、ヘーゲルと同じようにスピノザの実体をとらえています:
 「彼 [スピノザ] の哲学はたんなる客観主義(Objektivitätslehre)だと理解されたために、その哲学のうちにある真に絶対的なものの認識が、妨げられたのである。スピノザは「主観性=客観性」を、絶対性(Absolutheit)の必然的で永遠な特性として、明確に認識していた。」。『自然哲学についての考察』(1797 年)の「緒論への付記」(1803年) (SchröterSchellings Werke、第 I 巻、721 ページ)

(*4) ちなみに、当時の人々を憤激させた理由は、シェリングによれば:
 「人々がスピノザ哲学を嫌悪したのは、神がその属性の一つ [延長] において、延長せる実体 [つまり物体] として、考えられているためである。」(『近世哲学史』、SW 版、第 I 部、第 10 巻、48 ページ) (戻る)

(*5) 同 24 ページ。 (戻る)

(*6) 同 28 ページ。 (戻る)

(*7) 「『自然哲学についての考察』の序文への付記」(1803 年。Manfred Schröter 版シェリング著作集、第 1 巻、713 ページ →(付記)すみません。引用個所を誤ったみたいで、前記 713 ページにはこの語句は見当たりません。この語句の出典個所をご存知の方がいましたら、takin#be.to(# を @ に替えて下さい)までお知らせいただければ、感謝に耐えません)。
 なおこのような、絶対者(精神)が行為・運動であるという主張は、初期シェリから一貫して見られ、彼の思想の中心をなしています。例えば:
 「精神の本源的な活動が、無限へと向かう傾向(Tendenz)であり、自分自身を無限に産出することではもしないとしたら・・・」(1796/97 年。Manfred Schröter 版シェリング著作集、第 1 巻、306 ページ)。 (戻る)

(*8) そこで問題になるのは、上記引用文においてヘーゲルがことさら「私の見るところでは・・・」と書いているのを、どう理解し、また評価するかということです。一応次の3つが考えられます。
 1) ヘーゲルの支持者からすれば:
 フィヒテやシェリングの威光にたよらず、ヘーゲル自身の責任での思想選択だということを、明らかにするために、「私の認識」と書いたのである。また、先人2人と同じ自己運動でも、その原理を個別者の内在的な矛盾に見るのは、ヘーゲル独自のものである。その独自の原理によって、自ら集めた素材をもって『精神の現象学』という体系を築いており、またそれでもって自己運動を「証明」している。そこで、「私の認識」と言うのは、当然許される。

 2) フィヒテ・シェリングの側からすれば:
 当時のヘーゲルはシェリングの「付属物」という、自己のイメージを払拭するために、あるいは悪く言えば、無名の苦学者の功名心から、遺憾ながら先人2人への仁義を欠いてしまった。というのも、哲学においては根本的な発想(この場合、実体の自己運動)を、納得できるような形で提出することがもっとも肝腎なことであって、それをどう肉付けするかは二次的であり、まして具体的な素材で具体化するのは、枝葉末節にすぎない。
 したがって、「私の認識」と書くのはひどい。

 3) 最後に、あまり深い意味はないとする見方:
 ヘーゲルが『精神の現象学』を書いた当時は、フランス軍が攻め込んでくるなど世情は騒然としており、また彼自身経済的に問題があった。そこで焦燥のうちに書き進められており、「私も以下のように考える」とすべきところを、勢いあまって筆が走りすぎ、「私の認識」としてしまった。
 あるいは、たんに文章を簡略化してしまった。
――例えば私などでも、廣松渉氏の共同主観性を知らない、ないしは認めていない人と議論して激しているときなど、「私の考えでは、共同主観性が現存しているのですから、・・・」などと言いそうです。いちいち廣松氏の名前を挙げるのは、面倒といいますか、話の腰を折ってしまいます。
 このとき横で聞いていた人がいたとしても、私が廣松氏の思想を盗作しているとは、考えないと思います。廣松氏の共同主観性は、哲学界ではよく知られているからです。その人は、私が廣松氏の観点を取っていると、考えるだけでしょう。――
 ヘーゲルについても、上記と同様のことが言える。「私の認識では」と書いても、フィヒテ、シェリングの思想は当時の哲学界では有名だったのだから、誤解されるとはヘーゲルは思わなかった。

 私見では、無論断言はできませんが、上記の2) が実情に近いのではないかと思います。3) で記したような理由から、盗作ということはありえませんが、功名心といいますか、ヘーゲルとしては、先人2人(とくにシェリング)に多くを負っているというより、先人たちは乗り越えられるべき前段階にすぎないと、思っていたのでしょう。  (戻る)

(*9) ヘーゲルの「活動的な(lebendig)」という表現も、フィヒテに由来しています。フィヒテによれば:
 「知識学がその思考の対象とするところのものは、死せる概念ではない。すなわち、知識学の探求に対してただ受動的であるような・・・死せる概念ではない。それは、活き活きとした活動的な もの(ein Lebendiges und Thätiges)であって、自らのうちから、また自ら自身によって、認識を生み出す。そのような対象に対して、哲学者はただ見守る(zusehen)だけなのである。」(『知識学への第2序論』1797年、I. H. フィヒテ版全集第 1 巻、454ページ) (戻る)

(
*10) 2 人の絶交を引き起こした直接の原因は、シェリングの皮肉ですが、その背景の彼の胸中を忖度してみれば――
 かりに「すべての牛が黒い夜」などの当てつけが、自分(シェリング)の亜流に向けられたものと受け取るにしても、フィヒテの名を肯定的に挙げながら、彼とは対立するにいたった自分の業績に対して、言及が何もないというのは――ということでしょう。
 彼にしてみれば、これはもうヘーゲルの裏切り・忘恩としか、受けとめようがなかったと思います。しかしヘーゲルにしても、決意があってのことでしょう。積もり積もった結果だったのかもしれません。(例えば、2人が協同して刊行した『哲学の批判雑誌』の第1巻第1分冊(1802年)の表紙を見てみますと、刊行者としてシェリングの名前が上に、ヘーゲルの名前は下に印刷されています。それはいいとしても、前者は横幅いっぱいに大きく、後者は狭い範囲に書かれているのは、5才年長のヘーゲルとしては、あまり面白いものではなかったはずです。しかるべき事情はあるにしても、やはり配慮がほしかった、と思われます)。(戻る)

(*11) 『近世哲学史』(1833/34年)(SW 版、第 I 部、第10 巻、40 ページ) (戻る)

(*12) G. W. F. Hegel Werke、Suhrkamp 社、第 3 巻、、26-27 ページ。 (戻る)

(*13) substant- は、動詞 substrare (不定法現在。なお、直説法・現在・一人称・単数形は substo)からどのように派生したのか、また品詞は何かということについては、浅学のため、不明です。(泣)

(*14) ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』、第 3 巻、23 ページ。『アカデミー版ヘーゲル全集』、第 9 巻、18 ページ。


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実定的(既成的、措定された) positiv, 名詞:実定性(既成性) Positivität> v. 1.0.

 ドイツ観念論においては、positiv 関連の用語が、「積極的、実証的」以外の意味でも、様々に使われています。もとはラテン系の言葉ですので(positivus)、学術語として様になるといいますか、好まれたようです。

● 語義
 後期ラテン語 positivus は、もともと「gesetzt(置かれた、措定された)」を意味します(小学館『独和大辞典』第2版、positiv の項)。

● 使用例:
前記の意味では、フィヒテが以下のように使っています:
 「・・・思考あるいは存在における、すべての措定されたもの(措定物)」
原文: . . . alles im Denken oder Sein Gesetzte (Positive;) (注1)

 若きヘーゲルは、いわゆる「初期神学論集」(というより、素朴な宗教社会学といった趣の草稿群)において、既成化・体制化したキリスト教を Positivität と特徴付けました。「措定されて、そのまま既成化したもの」、「もとのイエスの意図は忘れられて、体制化してしまったもの」との意味でしょう。


注1) 『シェリングの同一哲学の体系の著述に対して』, SW, Bd. XI, S. 374.

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思弁的物理学のための雑誌」Zeitschrift für spekulative Physik> v. 1.2.

 シェリングが新しい自然哲学を世に問うために、1800 年に創刊した雑誌で、翌 1801 年まで続きました。オンライン上のテキストによって、1800 年ならびに 1801 年の掲載論文を、すべて見ることができます。

 なお、「思弁的物理学(spekulative Physik)」とは、シェリングの「自然哲学」のことです(*1)。この雑誌には、他の人たちからも寄稿してもらうので、雑誌名としてはシェリング色の強い「自然哲学」ではなく、より一般的な「思弁的物理学」を選んだのでしょう。

 この後シェリングは、1802 年に下記の「思弁的物理学のための新雑誌」を、創刊します。なお、どうして「新雑誌」に変更したのかは、筆者は浅学のため不明です。
 (1800、1801、1802 年と、シェリング以外の執筆者(各 2 名ずつ)は年ごとに変わっています。どうもシェリングには、『百科全書』のディドロ、NRF のジードのような社交的、あるいは編集者の才覚がなかったようです。ここはあまりつつかない方が、いいのかも知れません)。


(*1) 「自然哲学すなわち思弁的物理学」とあります。(『自然哲学体系最初構想』の「序文」(1799年)。Schellings Werke, Bd. 2, S. 3

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思弁的物理学のための新雑誌」Neue Zeitschrift für spekulative Physik> v. 1.0.

 上記の「思弁的物理学のための雑誌」の続きとして、シェリングが、1802 年に創刊し、同年に終わった雑誌です。オンライン上のテキストによって、掲載論文を、すべて見ることができます。

 この後のシェリングの雑誌としては、1802 - 1803 年の「哲学批判雑誌」(ヘーゲルと共同編集)があります。

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主観=客観(主観-客観) Subjekt=Objekt (Subjekt-Objekt)> v. 1.1.

 主観と客観が一体化したもの、ないしは未分化の状態を意味します。「主観性=客観性の合一(Zusammenfallen der Subjket=Objektivität)」という表現もされています(*1)ので、両者が「合一」したものと考えてよいでしょう。
 ただし、この「=」記号、つまり小イコールは(また、「-」や右肩上がりの小イコールのときもあります)、その左辺と右辺を結合することに主要な働きがあるようです。そこで、「等しい。同じ」を意味する大イコールの「=」とは、明確に区別されます。大イコールは、3 格支配の gleich と同じ意味・用法で、やはり 3 格支配です。

 カントにおいては、客観の側の物自体と主観の側はまったく異なり、両者自体が合一することはありえません。むろん、物自体が主観を触発し現象を生じさせますが、この現象は物自体や主観とは異なる第 3 項です。
 それに対し、フィヒテの「自我」は両者の結合した「主観=客観」であり(*2)、シェリングの「自然」もすでにして「主観=客観」です(*3)


(*1) フィヒテのシェリング宛手紙(1801-5-31 付)。『シェリングとフィヒテの、哲学的往復書簡集』1856年版では、S. 85. 『アカデミー版フィヒテ全集 III,5』では、S. 46.

(*2) 「自我は必然的に、主観と客観との同一である、主観-客観である。そして自我がこうであるのは、端的に、さらに媒介されることなくしてである。」(『全知識学の基礎』の C 版(1802 年)の注。岩波文庫『全知識学の基礎』では、上巻、114 ページ。SW 版全集では、I, S. 98)
 なお、岩波文庫『全知識学の基礎』の木村素衛氏の訳注(上巻、115 ページ)によれば、「訳者の知る限りではこの言葉 [主観-客観] は 1797 年の『知識学の新叙述の試み』に於いて現れたのが初めである」。

(*3) 「この純粋な理論的な哲学は、自然哲学をその所産としてもたらす。というのも、前述の捨象によって私は、純粋な主観=客観の概念(=自然)に到達するからである。この概念から初めて私は、意識の主観=客観(=自我)へと高まるのである。」(オリジナル版全集(SW 版)、第IV巻、86 ページ)

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序文 Vorrede と、緒論(ちょろん)Einleitung> v. 1.0.

 ヘーゲルの『精神の現象学』をはじめて読む人は、まず長大な「序文」に驚き、ようやくそれを読み終えたときには、次いで「緒論」に対面するというぐあいで、いったいこの本はどのような構成になっているものかと、いぶかしく思われるかもしれません。しかし、序文、緒論そして本文という構成自体はふつうであり、例えばシェリングの『超越論的観念論の体系』(1800 年)などもとっています。
 緒論は本文への導入の役目をはたし、本文の内容にそったものになります。そして本文を書き上げた後で、哲学界全体を視野に入れながら、自著の意義や自らの立場を概観するのが序文で、著書の最初に置かれます。序文の最後には、著作した場所と日付が記されます。
 なお、本が古典の場合には、著者の序文の前に、さらに編集者の序文(またはそれに類するもの)が付くのがふつうです。

 とはいえ、著者が若かったり、とくに処女作の場合には、序文はだいたいは著者が大段平(だいだんびら)を振りまわし、悲憤慷慨する場となっています。致し方のないところではありましょう。
 私たち読者としては、序文によって例えばヘーゲル家の門に入り、庭と家屋を見て家風を感じることができます。その後、戸をあけて玄関に入るのが、緒論になります。
(初出:2013-2-8)
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人格神(神の人格性 die Personalität Gottes v. 1.1.

 シェリングやヘーゲルの哲学が汎神論だとして非難される場合、彼らの哲学では人格神が否定されている、という含意があります。言うまでもなくユダヤ・キリスト教の神は人格神であり、シェリングやヘーゲルがそれを否定したというのは、彼らにしてみれば無理解による言い掛かり以上の何ものでもなかったはずです。
 ともあれ、当時は宗教がなお精神生活の中心あるいは最高位を占めており、ドイツ観念論関係の登場人物たちもそれぞれの流儀において、ユダヤ教ないしキリスト教信仰のうちに生きていました。人格神の否定ならびに無神論という非難が、大問題ないしは火種であったゆえんです。

 そもそもの発端は、ヤコービが『スピノザ書簡』(初版 1785 年)においてスピノザの汎神論を、人格神否定の廉で批判したことです。ヤコービによれば、世界の原因、最高存在(つまり神)を人格神だと考えれば、それは「知性」「理性」「自由」「(自己)意識」「自己同一性」「生きた(lebendig)存在」「自己規定」などの特性をもつことになります。(注1)
 (こうした特性は、その後のフィヒテ・シェリング・ヘーゲルも彼らの自我・絶対者の特性として継承し、彼らの観点から――私見ではメタ化運動として――把握することになります)。(注5)
 そして、人格神の世界は、目的因の(der Endursachen)体系です。(注2)

 他方、最高存在を人格神だと考えないときには、それはこれらの特性を欠いており、たんにメカニカル(力学的・機械的)な世界における「最初のバネ」[つまり、最初の力動的発端] です。(注3)
 そのような世界は、たんに動力因の(der bloß wirkenden Ursachen, 作用因とも)体系であり、悟性や意志もそこでは歯車装置にしか過ぎないことになります。(注4)


注1) 『スピノザ書簡』、1785 年初版、76-77ページ
注2) 同書、、92 ページ
注3) 同書、、77 ページ。
注4) 同書、、92 ページ。
注5) ヘーゲルは、スピノザの実体には人格性(Persönlichkeit)が欠けていることを批判して、次のように述べています:
 「[スピノザの] 実体は、思考そのものを含んではいるが、延長との統一性においてであって、延長から分離するものとしてではない。したがって・・・帰還する運動としてでも、自己自身から始まる運動としてでもないのである。このことによって、実体には人格性の原理が欠けており・・・」(『(大)』論理学、アカデミー版、第11巻、376ページ。ズーアカンプ版では、第6巻、195ページ)

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心理学的 physiologisch> v. 1.2.

語義
 physio は「自然」を意味し、logisch は「学の、知識の」を意味します。

意味
 physiologisch という用語は、今日では「生理学的」という意味ですが、カントの時代には「心理学的」を意味したといわれます(篠田英雄訳『純粋理性批判』上、165 ページの注(一)、岩波文庫、1961年)。
 例えば、『純粋理性批判』B版の 119 ページで、ロックの認識論を、カントは physiologisch(心理学的) と評しています。

 ちなみに同個所は:
・講談社学術文庫版(1979年)では「心理学的」です。
・しかし、岩波書店『カント全集 4』(2001年)と、平凡社ライブラリー版(2005年)では「生理学的」となっており、語訳だと思われます。

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精神と理性の関係 Geist und Vernunft> v. 1.0.

 両者の関係を一般的に、また簡単に言えば:
 「理性は、精神の実質的な性質(die substantielle Natur, 実体的な本性)を形づくる。理性は、真理や理念という精神の本質を形成するものの、たんなる別名である」。
 (『エンチクロペディー』、第 387 節の補遺*。ズーアカンプ版ヘーゲル著作集、第 10 巻、42 ページ)
 * 補遺(Zusatz)は、ヘーゲルの講義を学生がノートに記録したものを採録したものですので、引用には注意が必要です。

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精神の現象学』の書名問題> ( v. 1.1.)
 (なお、<『精神の現象学』の中間タイトル>は、また別です。)

 ヘーゲルの最初の著書『精神の現象学』(1807 年)は、彼の哲学体系においてどのような位置を占めるのか、という問題との関連で、この書物の題名が問題にされてきました。
 そこで、1807 年初版の表紙のコピー図を見ますと――ズーアカンプの『ヘーゲル著作集』第 3 巻(1989 年)でも、『アカデミー版ヘーゲル全集』第 9 巻に依拠するマイナー社の哲学文庫版(2006 年)でも(*1) ――、以下のようになっています:

     System                  学問体系
       der
   Wissenschaft
       ・・・              (中間部は、著者ヘーゲルの名前と、
                           肩書きなので省略)
     ―――――                ―――――
    Erater Theil,                 第 1 部
        die
Phänomenologie des Geistes.        精神の現象学

 ――――――――――――――    ―――――――――――――
 Bamberg und Würzburg,      バンベルクとヴュルツブルク [で営業]
Bey Joseph Anton Goebhardt,   ヨーゼフ・アントン・ゲープハルトにより
       1807.                  1807 [年出版]

 つまり、この本そのものの題名は、『精神の現象学』あるいは『第 1 部 精神の現象学』、ないしは『学問体系の第 1 部である精神の現象学』であり、いずれにしても『精神の現象学』だといえます。(*2)

 ところが、『ヘーゲル事典』(弘文堂、平成 4 年)の「精神(の)現象学」の項目などでは、以下のように言われます:
 「生前に『精神の現象学』という題名の著作をヘーゲルは一冊も書いていない。(1) 1807 年に出版された『学の体系』をヘーゲルの改訂 2 版(結局生前には未刊)出版への意志を継承した編集者 J. シュルツが最初の全集で『精神現象学』と題名を付け今日に至っている。従来の翻訳等はこの版を踏襲してきた・・・」
 このような説明が不正確なことは、上述のとおりです。

 1807 年の時点で、ヘーゲルの学問(=哲学)体系の第 1 部が「精神の現象学」だとすれば、第 2 部は、「論理学」あるいは「論理学・自然哲学・精神哲学」ということになるはずです。ところが、次の著書『論理学』の第 1 巻、第 1 冊(1812 年初版)の書名は以下のようでした:

 Wissenschaft der Logik              論理学
     Erster Band                  第 1 巻
  Die objektive Logik              客観的論理学  
        ・・・                       ・・・(以下省略)

 つまり、「学問体系 第 2 部」という表記はどこにもなかったのです。どうも 1807 年の第 1 部・第 2 部という構想は、破棄されたようです。やがて 1817 年にはヘーゲルの哲学体系をまとめた『エンチクロペディー(Enzyklopädie, 現代表記)』(初版)が出版され、彼の体系の全貌が現れます。
 その目次を見ますと、「A. 論理学。B. 自然哲学。C. 精神哲学」に大きく分かれており、1807 年には第 1 部であったはずの「精神の現象学」に相当するものは、「C. 精神哲学」のうちの「第 1 部」の B と C に縮小されています。このような体系構想はそのまま継続し、ヘーゲルの死の前年 1830 年に出版された『エンチクロペディー』第 2 版でも、「第 3 部(Teil)」の「第 1 部門(Abteil)」の B が「精神の現象学」と名づけられています。もっとも内容的には、その次の C も、昔日の「精神の現象学」だといえます。

 このようにヘーゲル自身によって「精神の現象学」の位置づけが変化させられているために、彼の体系において、1806 - 1807 年に書かれた『精神の現象学』のもつ意味が――この書が彼のもっとも有名な代表作であるだけに――、これまでいろいろと議論されてきたのでした。(*3)


(*1) しかし、両社の表紙コピー図には、活字の種類やレイアウトにすこし違いがあります。出版業者ゲープハルトは、バンベルクにある印刷業者ラインドル社(Reindl)で『精神の現象学』を印刷させたので、この違いの理由は、ラインドル社の事情を調べてみないと分かりません。(つまり、残念ながら筆者の手にはあまります)。

(*2) ではどうして、分かりやすく、例えば以下のようにしなかったのでしょうか。

  Die Phänomenologie des Geistes      精神の現象学 
           ・・・                     ・・・
        ―――――                ―――――
       Erater Theil              学問体系の 
          des
                   
第 1 部
    System der Wissenschaft

 これはやはり、販売戦略(と言うほどのものでもないでしょうが)だと思います。ほとんど無名の新人の本の表紙に、『精神の現象学』などと言う見慣れない、難しそうな題名が付いていて、それがまだ「第 1 部」にすぎないというのであれば、購買意欲はおきないでしょう。とにかく一番上に、受けねらいで「学問体系」と大きく出しておき、下側に小さく「第 1 部…」とより詳しい説明を加えたのも、納得できます。

(*3) 諸説については、簡便には『ヘーゲル事典』(弘文堂、平成 4 年)の「精神(の)現象学」の項目を参照下さい。また、拙稿も参看していただければと思います。

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『精神の現象学』の中間タイトル(中間表題) Zwischentitel (なお、Schmutztitel の呼称も一部では使われました)> (v. 2.3.)
 (なお、<『精神の現象学』の書名問題>は、また別です。)

中間タイトルとは
 序文(Vorrede)と緒論(Einleitung)との間にある、タイトル(表題)のことです。
 1807 年版の『精神の現象学』の場合、次のような順番になっています:
・「ハードカバーの表紙」(なにも印刷されていない。上記オンライ画像では「Bild: 0001」)
・「前とびら」(書名「I. Wissenschaft der Phänomenologie des Geistes」のみの印刷。本来の Schmutztitel。「Bild: 0006」)
・「タイトル(表題)」(「Bild: 0008」)
・「目次Inhalt)」(「Bild: 0010 - 0015」)
・「序文Vorrede)」(「Bild: 0016 - 0106」)
・「誤字の訂正一覧表」(「Bild: 0107 - 0109」)
・「中間タイトル(中間表題)」(「Bild: 0110」)
・「緒論Einleitung)」(「Bild: 0112 - 0130」)
・「本論の『感覚的確信』」(「Bild: 0131 - )

 本のタイトル(表題)には、正式な書名、著者名とその肩書き、出版社名とその所在地、出版年などが記載され、本の内容以外にも本の素性・由来といったものが示されることになります。いわば、本が世間に出ていくにあたっての自己紹介でしょう。
 それに対し、中間タイトルは簡略化されており、本の内容そのものを読者に告げることになります。いわば、タイトルは表札のかかった門で、中間タイトルは玄関のドアということになります。

『精神の現象学』初版の問題
 ヘーゲルは『精神の現象学』(1807 年)の出版にあたって、もともとの(旧)中間タイトルである、

 「第 1 部. 意識の経験の学問.(Erster Theil. Wissenschaft der Erfahrung des Bewusstseyns.)」

を、新(現行)中間タイトル

 「I. 精神の現象学(I. Wissenschaft der Phänomenologie des Geistes.)」

に変更しよました。
 しかし、製本者のミスによってこの切り替え作業は、完全にはできませんでした。その結果、
・どちらか片方の中間タイトルをもったものや、
・両方の中間タイトルを持ったものが(*1)
出版されたのでした。(*2)

中間タイトル変更の意味
 そこで、初期ヘーゲルの思想形成ないしは『精神の現象学』成立過程を研究するときには、このタイトル変更が問題となってきます。つまり――
 1806 年 2 月には、結局は翌年に『精神の現象学』として出版される原稿の印刷が、始まっています。この印刷物の中間タイトル(すなわち、もともとの中間タイトル)が、「第 1 部. 意識の経験の学問.」であるということは(*3)、少なくとも 1806 年 2 月までは、ヘーゲルは「精神の現象学」というより、むしろ「第 1 部. 意識の経験の学問.」を執筆していたことになります。
 そこで、中間タイトルの変更に表されているような、ヘーゲルの執筆意図・内容の変更の可能性が、考えられるのです。むろん、「意識の経験の学問」と「精神の現象学」とはまったく同じものであり、ただ見栄えを良くするために(?)名称変更しただけとも考えられます。しかし、多かれ少なかれ何らかの変更を想定するのが、大勢のようです。(*4)

● なお、「翻訳:ボンジーペン氏の『精神の現象学』中間タイトル問題の説明」も、参照していただければと思います。


  <『精神の現象学』中間タイトル>の注

(*1) 新・旧の両中間タイトルをもつ初版『精神の現象学』は、オンライン上で見られます。URL では表示されないので、"Es ist eine natürliche Vorstellung"(つまり、緒論(Einleitung)の冒頭)で検索してください。最初から 2 番目くらいに出てきます。

(*2)・マイナー社の哲学文庫版では、55 ページに「I. WISSENSCHAFT DER PHÄNOMENOLOGIE DES GEISTES.(I. 精神の現象の学問.)」の新・中間タイトルがあります。
・ズーアカンプ版著作集版(第 3 巻)では、中間タイトルは省略されて、記載されていません。
・金子武蔵訳『精神の現象学』(岩波書店)には、73 ページに旧・中間タイトル「第一部 意識経験の学」があります。
・長谷川宏訳『精神現象学』(作品社)では、49 ページに中間タイトルが「精神現象学」として、記載されています。また、Vorrede は「まえがき」、Einleitung は「はじめに」と訳されています。

(*3) これまで、「第 1 部. 意識の経験の学問」の方が、もともとの(旧)中間タイトルであることを前提に述べてきました。しかしこれは、確度が高いとはいえ推定です。この推定は、現在残されている以下の 2 つの物からなされています:
 (i) 新・旧 2 つの中間タイトルを共にもっている初版の『精神の現象学』。
 (ii) 「製本者へ」という指示が印刷されたボーゲン(全紙)

 そこで、マイナー社の哲学文庫版『精神の現象学』の編集者である W. ボンジーペン氏(Wolfgang Bonsiepen)の説明(同書の付録 II)をもとにして、私の方で前記の 3 点を用い、分かりやすく推定を構成すると:

(1) 初版の『精神の現象学』の本には、2 つも中間タイトルを持つものがある(すなわち、「第 1 部. 意識の経験の学問」と、「I. 精神の現象学」)。しかし、中間タイトルが 2 つもあるのは不自然であるから、正しい方(つまり、新・中間タイトル)によって誤ったもの(旧)は訂正され、破棄されねばならなかったはずである。

(2) どちらが新・中間タイトルであるかは、ヘーゲルの意図をもとにした指示「製本者へ」が印刷されている、残されたボーゲン紙から判断できる。というのは、
 ・この指示は、すでに印刷された『精神の現象学』の不備なページを、このボーゲン紙に印刷されている諸ページによって取り換えることを命じている。
 ・このボーゲン紙上のこれら諸ページのなかに、中間タイトル「I. 精神の現象学」を印刷したページもある。
 ・したがって、この「I. 精神の現象学」が新しい中間タイトルである。そこで、他方の「第 1 部. 意識の経験の学問」は、破棄さるべき旧・中間タイトルだったことになる。

(*4) 私見については、「精神の現象学』の成立過程と、論理学」を参看いただければと思います。

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絶対者(絶対的なもの)das Absolute> v. 2.4.

 ・語義
 ・通常の説明
 ・哲学史的に見れば
 ・ドイツ観念論での「絶対的なもの」
 ・「絶対的なもの」についての、3 人の説明


語義
 「絶対者(das Absolute)」は、形容詞 absolut (絶対的な)を名詞化して作成された言葉で、意味は「絶対的なもの」です。この「もの」は、抽象的な意味しかもたず、「(人の)者」や「(事物の)物」ではありません。しかし、邦訳のおり、「絶対的なもの」と訳したのでは冗長になるのをおそらくきらって、漢文脈の「(~の)者」を用いて「絶対者」にしたと思われます。

 ちなみに、形容詞 absolut の語源は、ラテン語の形容詞 absolutus (完全な、絶対的な、無条件の)で、この語は動詞 absolvere (解放する、完成する)から派生しています。ab は「から」を、solvere は「ゆるめる、自由にする」を意味します。(以上は、『改訂版 羅和辞典』研究社と、Concise Oxford Dictionary――裏技ですね――によります)
 しかしここまでたどると、etymology (語源学)は philosophy (哲学)ならずの感を深くしますが、哲学的説明に窮したときには、語源学が体裁を繕ってくれることになります。

通常の説明
 
平凡社の『哲学辞典(初版)』では「絶対者」の項目で、語源的に「独立性と完全性という2つの意味」があることを指摘し、「絶対者」の特徴として次のことを挙げています:
・他者から独立に、それ自身において存立する。
・他者からの制約 [制限] を受けない。
・それ自身において充足した完全なものである。
・神学的・宗教的には、神とよばれる。

 また、これら以外に、ふつう言われる特長としては:
・真に存在する唯一のものであって、他のものはそれによって存在を与えられる。
・論理的に、また実質的にも、最初のものであり、かつ最上位のものである。
・自己同一性を保つ。
・主観でもあれば客観でもある(主観と客観の同一態)。

 こうして絶対者は、絶対的・無制約的・無条件的な唯一真実の存在であり、哲学の最重要課題だとされます。

哲学史的に見れば
 上記の絶対者の諸特徴は、近代哲学においてはまずはスピノザの「実体」の特徴でした。1785年におきた汎神論論争(スピノザ論争)によって、スピノザはもはや「死んだ犬」ではなく、彼の哲学はドイツの先進的インテリ層で流行になっていました。それを受けて、「スピノザ主義者になった」(1795-2-4 付のヘーゲル宛手紙)シェリングが、
(1) スピノザの「実体」の発想を継承しつつ、
(2) それを、フィヒテの「自我の自己措定のダイナミックス(私たちのいうメタ化運動)で活性化して、
(3) フィヒテ以来の超越論的観念論に、自らの自然哲学をも加えた広大な哲学空間を臨んで打ち出したのが、
ドイツ観念論における「 絶対的なもの(絶対者)」だと思います。

 つまり私見では、シェリングが「絶対的なもの」の提唱者で、フィヒテが同調します(*1)。シェリングの「自然哲学」は拒否したフィヒテが、なぜ「絶対者」を承認したかといえば、彼の初期知識学(1798-1799 年の無神論論争まで)には、自ら認めるように、英知的な領域は対象外でした。そこでこの領域を知識学に加えたときに、従来の自我が「絶対的なもの」へと昇格し、「自己措定」は「外化」へと改名したのでしょう(なにか出世魚のようですが)。
 また、ヘーゲルもシェリングの「絶対的なもの」を取り入れて(*2)彼流に発展させます。

ドイツ観念論での「絶対的なもの」
 ドイツ観念論に特有な意味での「絶対的なもの」は、「まだ定在(現存)はしていないが、しかし自らに定在を与える(自己措定する)働きをもつところの主体」を、表しています。
 定在していないというのは、現実態としては存在していない、私たちの経験においては直接現れていない、ということです。そして、定在を与えられたもの(措定されたもの)は、もとの定在していない絶対者の一部でしかありません。このように書くと、理解しがたく思われる人もいるかもしれませんが、同じような存在性質をもつものとしては、例えば言語におけるパロールとラングの関係があります。(「8つの疑問・1. ドイツ観念論とは?」の「(1) 基本的な発想」を参照ください)。
 ただ、「定在をえたものは、絶対者の一部である」と述べましたが、この一部もやはり絶対者自体が措定されたものですから、その措定された次元での無限者・全体でもあります(*3)
 
「絶対的なもの」についての、3 人の説明
 ・シェリングによれば:
 「・・・私たちが或る絶対的なもの(ein Absolutes)を――これは、それ自身の原因であり結果であって、また主観と客観である――措定し・・・」(*4)

 「絶対的なものは・・・必然的に、純粋な同一性である。絶対的なものは絶対性そのものであり、それ以外のものではありえないのであって、絶対性とは自らによってただ自ら自身に等しいことである。そして次のこともまた、絶対性の理念に属する:「この純粋な、主観性にも客観性にも依存していないところの、同一性としての同一性は、それ自体が質料と形相、主観と客観である。そしてこの同一性は、主観性あるいは客観性のうちでも、そうであることを止めないのである
 「こうしたことは、ただ絶対的なものだけが、絶対的にして観念的なものであり、またその逆でもあることから、帰結するのである」(*5)
 (なお、少し前の箇所では、「絶対的にして観念的なもの(das absolut-Ideale)は、絶対的にして実在的なものと同じである」と、言われています)。

 ・フィヒテによれば:
 「絶対的なものは、ただ 1 つの絶対的な――すなわち、多様性に関してはまったくもってただ 1 つの、単純な、永遠に自らと等しい――外化 [Äußerung] を、持ちえるだけなのです。そしてこれが、まさに絶対的な知です。
 「そして、絶対的なものそれ自体は、存在ではなく、知でもなく、[存在と知] 両者の同一性ないしは無差別でもありません。そうではなく、絶対的なものはまさしく――絶対的なものであり、それ以上のすべての言葉は悪から来るのです」。(*6)



  <絶対者>の注

(*1) フィヒテが「絶対者」を使用しだしたのは何時からなのか、浅学のため不明ですが、
 (i) 1800年の草稿『シェリングの超越論的観念論を読みながらの感想』(SW, Bd. XI, S. 368)には、次の一節があります:
 「これ [シェリングの「自然」] に対して、知性(Intelligenz)は自ら自身を、自ら自身によって把握し、止める力である・・・自らのうちへと絶対的に帰還するものであり、自己であって・・・最初のもの、絶対的なものである」。
 (ii) 1801 年 10 月付のシェリング宛の手紙には:
 「絶対的なものは」(これについて、またこれの規定性については、私は貴方に完全に同意しますし、またこれの直観も久しく持っています(『アカデミー版フィヒテ全集 III, 5』、91 ページ。1856 年版の 『フィヒテとシェリングの、哲学的往復書簡集』では、108 -109 ページ。)

(*2) ヘーゲルが「絶対的なもの」という用語を使いだすのは、『フィヒテとシェリングの哲学体系の相違』(1801年)からのようです(ズーアカンプ版ヘーゲル著作集、第2巻、10 ページ等)。
 (なお、この著作集の別巻 Register Absolutes の項目では、第 2 巻 11 ページから採録されていますが、前記のように 10 ページの 5 行目にすでに登場しています)。

(*3) この論理は、もともとスピノザが唱えたもので、ヤコービ『スピノザ書簡』(初版1785年)中のスピノザの思想をまとめた箇所の XLIV に、出てきます。
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(*4) 『超越論的観念論の体系』(1800 年)、1800 年のオリジナル版、29 ページ。

(*5) 『自然哲学論考』の「序文」への「追記」(1803年), Schellings Werke, Münchner Jubiläumsdruck, Erster Hauptband, S. 712.

(*6) フィヒテのシェリング宛の手紙(1802-1-15 付)。(『アカデミー版フィヒテ全集 III, 5』、112 - 113 ページ。1856 年版の Fichtes und Schellings philosophischer Briefwechsel では、124 ページ。)

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an sich; 対自(向自)für sich; かつ対自(向自)an und für sich> (v. 1.8.)

通常の意味
(1) これら3つの用語はいずれも、「それ自体として」「本来的には」「もともと」という意味を持ちます。つまり或るものを、周囲のものや関連から切り離して、それだけを対象としていることを、表すようです(*1)
 訳するときには、それぞれの文脈にそって適語を選ぶ必要があり、悩ましいところです。
 また、anfür が、もとの意味で使われることもありますので、注意が必要です(*9)

(2) für sich は、
 (i) 前記の「それだけを対象とする」という意味が強まった場合には、「隔離・個立を表」し(*2)、「それだけで」という意味になります。
 (ii) また文字どおりに、「自分(sich)のために(für)」(*8)や、「自分にとって」の意味もあります。

語義
 sich は、「自分」「自身」を意味する3人称の代名詞(単数・複数とも)です。そこで、熟語の中では「自」の文字が当てられることが多いです。

 an sichan は、「事物の内容・関係」を表す前置詞で、in bezug auf(~について)の意味です(*3)。つまり、an sich は「自らについて(自らの内容では、自らへの関係では)」という意味です。

 für sich für は、「関係する範囲」を表す前置詞で、前記 an 同様、in bezug auf(~について)の意味です(*4)

 an und für sich は、anfür も「~について(in bezug auf ~)」の意味なので、その意味を強めるために、あるいは語調をよくするために使用されていると思われます(いわゆる二語一想)。

ヘーゲルの用法
(1) ヘーゲルも、前記「通常の意味 (1), (2)」において an sich および für sich を用いています。(*5)

(2) しかし、ヘーゲル哲学固有の用法のときには、an sich を「即自(的)」、für sich を「対自(向自)(的)」、an und für sich を「即かつ対自(向自)(的)」と、伝統的に訳されています。
 ヘーゲル哲学においては、客観的事物であれ、主観的思想であれ、主観・客観一体のものであれ、そうした考察の対象を発展段階ごとに区切って扱います。そこで、なにか或るものが最初に登場したときを考えますと、それは(あるいは、それが持つ規定性は)まだ他のものとは関係をむすんではいません。またそれ自身が内包する矛盾も、展開してはいません。この或るものは、それ自体として、それそのものとして、つまり自らに即して存在しているといえます。そこでこの an sich な段階は、「即自的」と訳されます。
 なお最近の訳では、文脈にそって「そのもの」「それ自体」「本来は」など、より口語的な訳が好まれるようです。

 次の段階では、他のものとの関係(=内在する矛盾の展開)によって、結局前記の或るものは、自らにとって他のものになります。つまり、鏡に映った自らの姿をながめるようなもので、最初にイメージしていた自分とは異なってしまうことになるのです。この他のものが(そしてこれの持つ規定性が)、この第二段階での新たな対象となるのですが、この段階を「対自的(für sich)」といいます。
 これは通常の für sich の用法とは異なりますが、für という前置詞は「~に対して」(*6)、「~にとって」(*7)という意味も持ちます。ヘーゲルがこの意味において für sich(自らに対して/とって)を使っているので、訳語は「対自(向自)」となります。
 が、これも最近は、「自らにとって」とか、或るものが意識である場合には「自覚的に」とか、文脈を勘案しながら訳される場合が多くなっています。

 第3段階では、最初の an sich な段階と次の für sich な段階との総合がなされます。そこでこの段階を an und für sich「即かつ対自(向自)」といいます。
 そして、これが新しい考察対象となります。この新しい対象も、まず「即自」という形式で登場し、やがてまた「対自」、「即かつ対自」の進行過程をたどることになります。


(*1) 例えば『相良守峯『大独和辞典』では:
  an sich, それ自体(身)他物と関係なく, . . . das ist an sich wahr, それは本来真実だ; . . . an sich des Geldes, 貨幣自体(an の項目の⑨)
 an sich, für sich, an und für sich, それ自体, 元来(sich の項目の⑤の(a))
  an und für sich, それ自体として, 本来(an の項目の⑨)
 die Sache ist an und für sich gut, その事はそれ自体としてはよい;(für の項目の⑤の(b))

 また、小学館『独和大辞典』では:
 an und für sich (他との関連を除外して)それ自体<自身>[としては] (für の項目 I の 11)

(*2)小学館『独和大辞典』の für の項目の I の 11。例文として、以下のものが記載されています:
 für sich 一人で、他から離れて、独自に
 für sich sprechen i) ひとりごとを言う

 また、相良守峯『大独和辞典』では用例として:
 für sich sein, 一人でいる;・・・das ist eine Sache für sich, それは全く別個の事だ;(für の項目の⑤の(b))

(*3)相良守峯『大独和辞典』の an の項目の⑨。
 また同辞典には、an の「付随・携帯」という他の意味での an sich の用法として、以下の文例が記載されています:
 er hat die Gewohnheit an sich . . . , 彼には・・・という習慣がある(an の項目の②)

(*4)相良守峯『大独和辞典』の für の項目の⑤。
 同辞典には、für の「目的・用途・適合」という他の意味での für sich の用法としては、以下の文例が記載されています:
 etwas für sich behalten, a) 或るものを自分の用に取っておく, b) 或る事を秘しておく:(für の項目の③)
 また、「利益・賛成」の意味では:
 das Argument hat viel für sich, その論証は大いに説得力がある;(für の項目の⑦)

(*5) 例えば:
 Dies [= Das Wort: Gott] für sich ist ein sinnloser Laut, ein bloßer Name;
 「この神という言葉は、それだけでは意味のない音声であり、たんなる名前である」。(『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 20. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集 』, Bd. 3, S.26)

(*6) 小学館『独和大辞典』の für の項目の I の 2。

(*7) 相良守峯『大独和辞典』の für の項目の⑤の(a)。

(*8) 例えば:
 . . . wie es [= das Individuum] selbst weniger von sich erwarten und für sich fordern darf.
 「個人自身も、自分に多くの期待をかけられず、また自分のためには多くを要求できないように・・・」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 49. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 67)

(*9) 例えば an が、「付随・携帯」の意味で:
 Er hat die Gewohnheit an sich . . . .
 「彼には・・・という習慣がある」。(相良守峯『大独和辞典』の an の項目、I, 2)

(初出:2011.10.26) 
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措定(そてい。=定立)する setzen> v. 1.3.

語義
 「措定」(定立とも訳されます)の辞書的な意味は、「ある事物を、存在する対象とし立てること」です。そしてフィヒテからヘーゲルまでのドイツ観念論者が、「措定」という言葉を使用する際にも、こうした意味が元になっています。
 この語は、マイモンの『超越論的哲学についての試論』(1790年)で多用せられており、フィヒテはそこから影響を受けたのではないかと、思われます。

ドイツ観念論での使われ方
(1) しかし、フィヒテが『全知識学の基礎』(1794年)で「措定」を使いだしたときには、この言葉に独自の哲学的意味を持たせています。そしてこの哲学的意味が、その後のドイツ観念論において継承されていきました。

(2) とはいえ、ドイツ観念論の著作中での「措定」を、軽い意味で受けとっていい場合も多いようです。
 i) 例えば、「措定された A は・・・」という文であれば、たんに「登場してきた A は・・・」とか、「私たちが対象としている A は・・・」などと理解した方が、文章が読みやすくなる場合です。
 ii) たんに、「定める、規定する」という意味の場合もあります。
  例: スピノザは思考と延長を、実体の 2 つの属性として措定(規定)しました。(シェリングの 1801 年 10 月 3 日付のフィヒテ宛手紙。『フィヒテとシェリングの、哲学的往復書簡集』 1856 年版では 99 ページ)

ドイツ観念論での本義
 そこで問題となるのは、上記の (1) の場合です。つまり、「措定」のドイツ観念論の本義における意味です。
a) ドイツ観念論では「措定」とは、精確にいえば「自己措定(sich setzen, 自ら自身の措定)」に他なりません。つまり精神的なものであれ物質的なものであれ、ある何かが、それ自身を現存する対象とすることです。結局、ある何かは現存するようになります。
 このことを伝統的な用語を使って表現すれば、「ある対象が、自ら可能態(可能的な存在者)から現実態(現実に存在するもの・現存・実存)に転化すること」です。
 そのような例として、日本語を取りあげてみましょう。日本語は英語や中国語などと共に、確かに存在しています。しかしその存在は、例えば掲示板に書き込みがないときには、掲示板においては可能態に止まっています。誰かが書き込むことによって、日本語は自己措定して、現実態へともたらされるわけです。
(なるほどこの場合、書き込んで現実態にもたらすのは、日本語とは別の「誰か」ですから、常識的には(つまり言語そのものを、実体=主体化しなければ)、この例は自己措定の例として、不都合な面がありますが)。

b) ドイツ観念論においては、自己措定する本体は自我や絶対者です。そして、「自我が自己自身を措定することと、自我が存在することはまったく同じ」だとされます(『全知識学の基礎』, SW, Bd. I, S. 98)。
 自我や絶対者は簡単にいえば、可能態としての世界全体です。したがって「自己措定」は、いわば「世界が不断に自己実現する」ような事態を指すものです。

c) ではなぜ、世界(自我や絶対者)は「自己措定」などというものをするのか、ということについては、「自我(フィヒテ的意味での)」の項目を、ご覧いただければと思います。

(初出:2008.4.2) 
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