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 ドイツ難語句/ギリシア・ラテン語句の意味(ドイツ観念論関係) v. 3.4.1.
(今後の充実に期待して

全般的注意点
 (v. 1.3.)

  見出し語
A, B, C, D, E, F, G, H, I, J, K, L, M,

N, O, P, Q, R, S, T, U, V, W, X, Y, Z


  記号
=, 


(I) はじめに (v. 1.3.)
(II) 凡例
(III) オンラインでの、グリム『ドイツ語辞典』の利用の仕方
(IV) ヘーゲルのイェナ大学での講義告示て、使われているラテン語は、こちらです。
(V) ギリシア文字とラテン文字の簡易対応表 (v. 1.1.)
(VI) 裏技?


      (I) はじめに

(1) ドイツ語辞典の効率的な使用法としては、次のような例をあげることができます。分からない語は、まず、
 (i) 電子辞書(カシオ)で、
   独和辞典の小学館『独和大辞典』(第2版)
を引きます。あるいは、
   独独辞典の Duden Deutsches Universalwörterbuch
を引きます。
 しかし、前者は現代語に比重を置いていますし、後者は現代語辞典ですので、18・19世紀の文献用としては不十分です。そこで、語の意味に納得がいかないときや、不安が残るときは――

 (ii) アマゾンなどから購入して、
   相良守峯『大独和辞典』(博友社)
を見ます。
 以上の (i), (ii) で、分からない語句の 90% くらいは解決するようですが、なおダメなときはオンラインの独独辞典(どれも無料)になります。

 (iii) まずは
   Goethe-Wörterbuch (ゲーテ辞典)
です。この辞典を知る人はすくないと思いますし、また、見出し語が網羅(もうら)的に整っているわけではありません。しかし、語の意味・用法が詳細かつ明快に整理されており、じつに助かります。
 また、この『ゲーテ辞典』(および、次のグリム兄弟『ドイツ語辞典』)で語を引いたときには、右の方に Gliederung のタブがあるので、そこをクリックすると語の意味の概要が表示されて、便利です。
 この辞典に掲載されていない語は――

 (iv) 誰もが聞いたことのある、スタンダードな
   グリム兄弟のDeutsches Wörterbuch (ドイツ語辞典)
になります(利用の仕方の説明は、こちらです)。しかし、この辞典では語の意味の説明を、相応するラテン語を記載することで済ませることがたびたびです。したがってラテン語の辞書が、必携(ひっけい)です(下記の (2) を見て下さい)。
 ここまで手を尽くしても、分からなかったのであれば、おそらく非難されることもなく、またメンツを失わないでもすむのではないかと思います。しかし、グリムの『ドイツ語辞典』には、案外掲載されていない語も多く、意味をすべて尽くしているというのでもないようです。

 (v) そこで、最後のツメを行いましょう:
   Adelung
というものがあります。これは編集者の名前 Johann Christoph Adelung による通称で、辞典そのものの名称は、
 Grammatisch-Kritisches Wörterbuch der Hochdeutschen Mundart mit beständiger Vergleichung der übrigen Mundarten, besonders aber der oberdeutschen
 (高地ドイツ語方言の文法的・批判的な辞典。その他の方言、とりわけ南部ドイツ語方言との照合を、常に伴わせている。)
とかなり長くなります(増補第 2 版は 1793-1801)。
 こういった辞典まで読んでいますと、ドイツ語の鬼としての存在感、不気味なオーラが出るんじゃないでしょうか(例えば、ドイツに移り住んで方言を採録すること苦節 30 年、とある谷間の半径数百メートルほどの地域で、なお話されている古形の発見は 5 度におよび、6 度目は同じ路上生活者仲間の古老からであった・・・のような)。

 なお、オンライン上ではさまざまな辞書が無料で利用できますし、ドイツ語辞書のリンク集としては例えば Wörterbuchnetz があります。
 わが国でのドイツ語辞典の紹介としては、『世界のことば・辞書の辞典 ヨーロッパ編』(石井米雄編、三省堂、2008年、税抜:3200円)中の「ドイツ語」くらいしか、思い当たりません。

(2) ラテン語の辞書としては、たとえば、
   研究社『羅和辞典<改訂版>』(2009 年)
が入手しやすく、便利です。

(3) 古典ギリシア語辞典ですが、
 (i) 日本のものとしては、
   古川晴風ギリシャ語辞典(1989 年)
が有名です。(なお、『世界のことば・辞書の辞典 ヨーロッパ編』(三省堂)、449 ページでは、上記の辞典の「ギリシャ」が「ギリシア」となっています。こういった誤りは、検索をするときに障害ともなりえますので、注意が必要です。)
 しかし、お値段の 48,600 円を、どう考えるかです。古典ギリシア語は、ドイツ観念論関係の文献では、まれにしか出てきません。そこで、オンラインの辞典ということになります。

 (ii) 英語になりますが、もっともポピュラーなものが、LSJ と称される
   Greek-English Lexicon
です。オンライン版には 3 種くらいあるようですが、上記のリンクをはったものは、誰もが簡単に無料で利用可能です。
 利用法は、左・上方にある検索用の枠の中に調べたいギリシア語を打ちこみ、その上の LSJ の文字枠をクリック(必ずクリックしてくださいね)するだけです。打ちこみ用のギリシア文字は、Windows の日本語キーボードですと、「IME パッド」「文字一覧」から選択してください。それが面倒な場合には、上記の検索用の枠の下には見出し語が並んでいますから、それを下にたどっていくこともできます。
 この辞典は、 Henry George Liddell と Robert Scott が編集し、Henry Stuart Jones が改訂したので、3 人の姓の頭文字をとった LSJ の呼称で知られるようになりました。(『世界のことば・辞書の辞典 ヨーロッパ編』(三省堂)の 445 ページでは、Riddell となって紹介されていますが、Liddell の誤りです。)
 なお、「タ メタ タ ポーネーティカ」さんのサイトでは、この辞典の電子版などについて述べられています。

(4) 言うまでもない事ですが、拙サイトの内容には誤りがあるかもしれず、その場合には takin#be.to#@ に変えてください)に御一報いただけれと思います。なお、筆者はゲルマニストではないし、語学が得意でもありません。


    (II)  例

(1) 拙ページでの語の説明は、ドイツ観念論関係文献での意味に限っています。

(2) 相良守峯『大独和辞典』は、入手しがたいという事情があります。そこで、この辞典に記載はあっても、小学館『独和大辞典』(第2版)にはないドイツ語の意味も、採録した場合があります。(なお、vorschwärmen など後者の辞典に記載はあって、前者にないものもありますが、採録するようにしています)。

(3) ギリシア語は、対応するラテン文字のアルファベットの位置に記載しました。

(4) 用例などは、現代のドイツ語表記に直しています。


      (III) オンラインでの、グリム『ドイツ語辞典』の利用の仕方(2012年1月時点)

 ときどき利用の仕方に、細部での変更があるようですが――
1) Deutsches Wörterbuch von Jacob Grimm und Wilhelm Grimm のサイトに行きます。

 (なお上記のサイトには、Wörterbuchnetz のサイトからも行けます。20 種あまりの辞典が表示されますが、上の方にある(位置は一定していないようです) Deutsches Wörterbuch von Jacob Grimm und Wilhelm Grimm の文字上をクリックして下さい。この Wörterbuchnetz のサイトでは、20 種余の辞典を一度に引くこともできます)。

2) すると、グリム兄弟の『ドイツ語辞典』のページになります。画面左上の検索欄に、調べたい語(例えば Strauchel)を入力します。

3) 検索するために、虫眼鏡のマークをクリック。

4) 検索欄の直下に、"STRAUCHEL, subst." "STRAUCHEL, m." "STRAUCH(E)LICHT, adj."・・・と単語の一覧が表示されます。私の場合は、名詞の Strauchel を探しているので、m (つまり、男性名詞の m)の付いた2番目の "STRAUCHEL, m." をクリックします。

5) 右の欄の一番上に、語の意味などが表示されます(19世紀当時の正書法で書かれています)。
  ・最初に、'hindernis' と語の意味が示されます。
  ・次に、postverbale zu straucheln とあるのは、語の成立の仕方です。
  ・その後の offendiculum は、 Strauchel のラテン語訳です。
  ・最後に、1598年と1605年の用例が出ています。

※1. 検索した見出し語(今の例では STRAUCHEL)の左側には、アドビの PDF マークがあります。このマークをクリックして PDF 文書として閲覧すると、書式が整理されており、大変読みやすくなります。


    (V) ギリシア文字とラテン文字の簡易対応表

・ギリシア語の大文字
Α Β Γ Δ Ε Ζ Η Θ Ι Κ Λ Μ
Th
Ν Ξ Ο Π Ρ Σ Τ Υ Φ Χ Ψ Ω
Ph Ch Ps
`E `H `Ο ευ αυ ου
Ha He He Hi Ho hy Ho eu au u

・ギリシア語の小文字
α β γ δ ε ζ η θ ι κ λ μ
s th
ν ξ ο π ρ σ τ υ φ χ ψ ω
ph ch ps
 
* ドイツ哲学関係の本を読む者にとっては、相良守峯『大独和辞典』は必携ですが、その1801ページにギリシア語アルファベットとラテン文字の正確な対応表があります。

* ギリシア語のアルファベットの読み方や、ギリシア文字一般について知ろうとするときには、ウィキペディアの「ギリシア文字」の項目が役だちます。


    (VI) 技?

 よく使われるラテン語や、ギリシア語/ラテン語系の学術用語は、研究社の英和辞典『リーダーズ英和辞典』ないし『リーダーズ・プラス』に記載されていることがよくあります。これら2つの辞典が収録されているセイコー電子辞書を、型落ちの時期(1~3月)に入手しておくと便利です。


      全般的注意点

 現代の表記とは、異なる綴りになっていることがあります。以下にその例を示すことにし、個別的な見出し語としては取り上げません。
 なお、最近採用された新正書法への変更については、省略します。

     a
ä は、現代の表記では e のことがあります。
  例 läugnen (→ leugnen); ächt (→ echt
ä は、現代の表記では eh のことがあります。
  例 vornämlich (→ vornehmlich
aa は、現代の表記では a のことがあります。
  例 Maaßgabe (→ Maßgabe
ai は、現代の表記では ä のことがあります。
  例 Raisonnement (→ Räsonnement
     c
c は、現代の表記では k のことがあります。
c は、現代の表記では z のことがあります。
  例 Recensent (→ Rezensent
cc は、現代の表記では k のことがあります。
  例 accelerirt (→ akzeleliert
     d
dt は、現代の表記では t のことがあります。
  例 todt (→ tot
     e
e は、現代の表記では ä のことがあります。
  例 nehmlich (→ nähmlich
・ 普通は含まれる e が、省略されることがあります。
  例 grade (→ gerade
・ 3 挌の名詞の語尾に、複数形ではないのに余分な e が付くことがあります。
  例 mit jedem Grade (→ Grad
     f
f は、現代の表記では ff のことがあります。
  例 treflich (→ trefflich
f は、現代の表記では v のことがあります。
  例 zuförderst (→ zuvörderst
     h
h (延音化の h)は、現代の表記では省略されることがあります。
  例 thun (→ tun); Nahme (→ Name)
     i
i は、現代の表記では ie のことがあります。
  例 reflektiren (→ reflektieren
ie は、現代の表記では i のことがあります。
  例 erwiedern (→ erwidern); giebt (→ gibt); unwiederruflich (→ unwiderruflich), gieng (→ ging)
     k
k は、現代の表記では ck のことがあります。
  例 aufrüken (→ aufrücken); Blike (→ Blicke Blick); Rüksicht (→ Rücksicht)
     m
m は、現代の表記では mm のことがあります。
  例 Akkomodation (→ Akkommodation
mm は、現代の表記では m のことがあります。
  例 sammt (→ samt
     n
nn は、現代の表記では n のことがあります。
  例 räsonnieren (→ räsonieren
     o
oo は、現代の表記では o のことがあります。
  例 Loos (→ Los
ö は、現代の表記では o のことがあります。
  例 kömmt (→ kommt
     ß
ß は、現代の表記では s のことがあります。
  例 kreißt (→ kreist
     t
th は、現代の表記では t のことがあります。
  例 Theil (→ Teil); Noth (→ Not
tt は、現代の表記では t のことがあります。
  例 Litteratur (→ Literatur
     ü
ü は、現代の表記では i のことがあります。
  例 Hülfe (→ Hilfe); Würklichkeit (→ Wirklichkeit); bezüchtigen (→ bezichtigen
ü は、現代の表記では ie のことがあります。
  例 schwürig (→ schwierig
     y
y は、現代の表記では i のことがあります。18 世紀には動詞 sein を、代名詞 sein と区別するために、seyn と書いたそうです。(相良守峯『大独和辞典』の sein の項)
  例 Seyn (→ Sein)。なお、→ seye
     z
z は、現代の表記では tz のことがあります。
  例 lezt (→ letzt
     その他
2 ~ 3 語に分かれていても、現代では 1 つの単語になっているものがあります。
  例 eben so (→ ebenso); in dem (→ indem); in so fern (→ insofern); so wenig (→ sowenig); Statt finden (→ stattfinden); vor der Hand (→ vorderhand),


  A

aber (V. 1.1.) → aber auch
 意味:論文で使用される意味は、ほぼ 3 つです:
(1) 「しかし、けれども」。前文やそれまでの状況を否定する。
(2) 「すると。そして。それから。ところで」。単に話の接続・継続を表す(相良守峯『大独和辞典』の aber の項目、II, 3。小学館『独和大辞典 第 2 版』の aber の項目、I, 3)
(3) 強調の働きをする。

 解説: (2) の「そして」の意味は、『ゲーテ辞典』では aber の項目の 4 に次のように解説されています:「おもに [話を] 継続する [ために使われる]。und, und nun, nun [などの意味]」。
 そしてこの用法の 1 つとして、「指示する語と結びついて、[指示されているところの] 説明の導入」があり、例文として以下の 3 つが挙げられています:

 Die Sache verhielt sich aber also 「事態は次のようだった」(指示語は、also
 Meine Meinung ist aber diese 「私の意見はこうです」(指示語は、diese
 Es bestehen aber solche [Okulare] . . . in folgenden: 「そのような [接眼レンズの特質?] は以下のことにある」(指示語は、folgenden

 aber が指示語と結びついたこのような場合、aber はとくに訳出する必要もないようです。以下の用例での aber の使用は、指示語(dessen)と結びついた例でしょう。

 (3) の強調の働きについては、小学館『独和大辞典 第 2 版』の I, 2, b や、相良守峯『大独和辞典』の II, 2, b にも、記載があります。しかし、それらに出てくる例文は、
 aber ja! (もちろんですとも); aber schnell! (はやくしろってば); aber fein (これはまあ見事だ)
などのような、短い応答文に限られています。しかし、『ゲーテ辞典』aber の項目の 2, b には通常の主語・述語をともなっている文例がでています。引用しますと:
 「2. [「しかし」という] 逆接の意味が薄れるとともに、
    ・・・
    b. 断言(konstatierend, 確認)したり、一般化したりする文において、たんに強調(の働き)に移行して、「実際(wirklich)」、「事実(in der Tat)」 [などの意味で使われる]。
 Ihr müßt aber hier jämmerliche Langeweile haben 「実際君たちは、ここではひどく退屈せねばならないということだ。」

 (2) の用例: In Ansehung dessen aber, dass solches Denken einen Inhalt hat . . .
     「そのような思考が、ある内容を・・・有するということに関しては・・・」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 42. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 57)

 (3) の用例: denn was in dieser [= seiner Erfahrung] ist, ist nur die geistige Substanz, und zwar als Gegenstand ihres Selbsts. Der Geist wird aber Gegenstand, denn er ist . . .
     「というのは、その経験のうちにあるものは、ただ精神的な実体だけであり、しかもそれは、この実体の自己の対象としての、精神的実体だからである。精神は対象となるのだが、それは精神が・・・」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 29. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 38)

 (3) の用例での aber は、上記「意味」 (3) の「強調の働き」を、していると思います。といいますのは、aber の直前の文で、「対象としての精神的実体」(強調はヘーゲル)ということが、言われています。読者としては、「精神(的実体)」は能動的主体なのであって、客観的対象ではないのではないか」、という一抹の疑念がわきます。それを見越すかのように、著者ヘーゲルは、「実際のところ、精神は対象となるのだ」と、「konstatierend, 断言・確認」しているのです。


aber auch (V. 1.0.)
 意味:「非難・不満」(小学館『独和大辞典』)や、「非難・嫌悪」(相良守峯『大独和辞典』)を表します。「しかし・・・もまた」の意味ではありません。


abgängig (V. 1.0.)
 意味:役にたたず、不要な。

 解説:DudenDeutsches Universalwörterbuch (6. Auflage) で abgängig を引きますと、(現代では)方言としての意味があります:
 Überzählig, überflüssig, weil unbrauchbar (役にたたないので、余ったリ余計な)

 用例: . . . unter den Beschäftigungen für abhängige Philosophen . . .
 「・・・役にも立たない哲学者たちのための仕事・・・」(1801年10月3日付の、シェリングのフィヒテ宛手紙。『アカデミー版フィヒテ全集 III, 5』, S. 89)


abgeschnitten (V. 1.1.)
 意味:(道のりで)縮められた。短縮された。

 解説: abschneiden の意味の 1 つに、「(道のりを)縮める」(クラウン独和辞典、第 3 版)、「近道を通る」(小学館『独和大辞典、第 2 版』)、「(直線で)切り詰める」(相良守峯『大独和辞典』)といった意味があります。そこで過去分詞 abgeschnitten はこの場合、「縮められた。短縮された」のような意味になると考えられます。
 以下の「用例」の場合も、abgeschnittene は「媒介をへない(unvermittelte)」と対応して、「道のりが縮まっている、手短になっている」という意味だと思います。

 用例: In der neueren Zeit hingegen findet das Individuum die abstrakte Form vorbereitet; die Anstrengung, sie zu ergreifen und sich zu eigen zu machen, ist mehr das unvermittelte Hervortreiben des Innern und abgeschnittene Erzeugen des Allgemeinen, als . . .
 
「これに対して、近代においては抽象的な形式は、個人に対し用意されている。抽象的形式を把握し、自分のものにしようとする [個人の] 努力は・・・ことであるよりも、むしろ内的なものを媒介をへないで出現させ、普遍的なものを手短に生み出すことである。」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 28. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 37)


absondern (V. 1.0.)
 意味:「言う」という意味も、持ちます。

 解説:DudenDeutsches Universalwörterbuch (6. Auflage) で absondern を引きますと、3 に転義として er hat wiedr lauter Unsinn abgesondert (geredet) の用例が見えます。つまり、「言う、吐く」という意味です。


abstrahieren (V. 1.7.) 
 意味:
「抽象する」と「捨象する」の相反する 2 つの意味を持っています:
(1) いくつかの個別的事物から、それらに共通な普遍的なもの、ないしはエッセンスを、抽象する(取り出す)。
(2) ある事物を、不用だとして、捨象する。

 解説:どちらの意味になるかということですが:
(1) 「aus etwas(3 格)+etwas(4 格)+abstrahieren」のように、aus と共に他動詞として使われていれば、主語が etwas(3 格)から etwas(4 格)を「抽象する」と、一応は言えそうです。
 小学館『独和大辞典 第 2 版』の abstrahieren の項目には、例文として:
 aus et. allgemeine Prinzipien abstrahieren 「・・・から一般原則を抽象する」

(2) 「von etwas(3 格) abstrahieren」 のように、von と共に自動詞として使われていれば、主語が etwas(3 格)を「捨象する」となります。「etwas(3 格)から抽象する」という意味にはなりません。
 また、「Es wird von etwas(3 格) abstrahiert」 のように、自動詞 abstrahieren が受動形になっているときにも、やはり etwas(3 格)が「捨象される」となります。

 なお、自動詞の受動態には、主語がないとされます。しかし、上記例文では、意味のない非人称主語 Es が置かれていますが、これは動詞 wird が定形正置のためです。定形正置の文では、やはり主語がないと納まりがつかないのでしょう。
 定形倒置や定形後置では、主語はありません。すなわち、
・定形倒置であれば、
  Wird von etwas(3 格) abstrahiert. ないし、
  Von etwas(3 格) wird abstrahiert. となります。
・また、副文中での定形後置であれば、
  von etwas(3 格) abstrahiert wird.
 (橋本文夫著『詳解ドイツ大文法』、287-288 ページを参照)

 ちなみに、von A abstrahieren は一般的な意味では、「A を度外視する。無視する。断念する」です。(相良守峯『大独和辞典』、および小学館『独和大辞典 第 2 版』)

 用例: . . . was es an sich, abstrahiert von allem besondern "Ansehen" sei, . . .
     「・・・すべての個別的な「外見」を捨象して、それが本来何であるかは・・・」(『私の哲学体系の叙述』の「序文(Vorerinnerung)」(『オリジナル版全集』第 I 部、第 4 巻、108 ページ)。)
     
. . . dass eins der Entgegengesetzten geleugnet, von ihm absolut abstrahiert wird, . . .
     「・・・対立するもののうちの一方が否定され、またそれが絶対的に捨象されるということ・・・」(『フィヒテとシェリングの哲学体系の相違』。ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』、第 2 巻、61 ページ


Aktus (Actus) (V. 1.0.)
 意味:活動。行動。

 解説: Aktus には、「行事。儀式」などの意味しか記載されていない辞典が、多いと思います。しかし元のラテン語(actus)には、「活動。行動」という意味もあります(『改訂版 羅和辞典』研究社)。

 用例:Gehen wir also . . . von einem lediglich theoretischen Actus aus . . .
     「したがって、たんに理論的な活動から出発するならば・・・」(『知識学の観念論を解説するための論文集』(『オリジナル版全集』第 I 部、第 1 巻、419 ページ)。)

allerdings (V. 1.0.)
 意味:もっとも。ただし。

 解説: allerdings は、「確かに。むろん」の意味でもよく使われますが、「(先行する発言を限定して)もっとも。ただし。」の意味もあります(小学館『独和大辞典』第 2 版)。
 後者の用法は、『クラウン独和辞典』等にも記載されていますが、なぜか相良守峯『大独和辞典』には載っていません。

 用例: Woher nun aber doch die Form -- allerdings der Quantität . . . komme . . .
      「では、どこから形式が――しかも量という形式ですが・・・来るのかということ・・・」(1801年10月15日付の、フィヒテのシェリング宛手紙。『アカデミー版フィヒテ全集 III, 5』, S. 91)


Allgemeinheit (V. 1.0.)
 意味:(1) (哲学プロパーには)普遍性。(2) (主に日常的・一般的には)一般性。

 解説: 哲学用語としての「普遍性」と、おもに日常的に使われる「一般性」とは、意味が明確に異なります。「一般性」は、個別的なものでも広く流通すれば得られますが、「普遍性」は現実的な流通範囲とは関係ありません。
 例えば、東京方言は標準語とされて、今では日本全国ほぼどこでも理解されており、日本語としての一般性をもっています。それに対し、方言は一般的ではありません(京都弁や大阪弁はそうとも言えないでしょうが)。しかし、方言も標準語と同じく、言語としての普遍性はもっているはずです。

 (1) の用例: . . . das heißt, bestimmte Allgemeinheit, Art.
      「・・・すなわち、規定された普遍性であり、である。」(『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 40. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 54.)


aneinander kommen (V. 1.0.)
 意味:格闘する。

 解説:相良守峯『大独和辞典』の kommen の項目、I, 8 に記載されています。なかなか気づきにくい熟語です。

 用例: . . . dass die zwei Rechten aneinander gekommen . . . (イタリックは原文)
     「2 人は腕相撲で争ったが・・・」
 おそらく、このような意味だと思います。RechtenRechte (右手)の複数形なので、「2 つの右手が格闘する」というのは、腕相撲のことでしょう。


a nihilo nihil fit (V. 1.0.)
  意味:無からは何も生ぜず(ヤコービが、スピノザ哲学の根本だと見なした考え)。


ankommen (V. 1.0.)
 意味:(感情・気分・病気などが)生じる。襲う。

 解説:相良守峯『大独和辞典』の ankommen の項目、II, 2 に、自動詞として記載されています。例文には:
 Es kommt mir (od. mich) schwer an. 「私にはそれがつらい/むずかしい。」
 なお、上記 mich のように人を表す目的語が、4 格をとることがあるのは、ankommenan に支配されたからだとあります。

 用例: . . . welchem [= dem zufälligen Bewusstsein] es daher sauer ankommt, aus der Materie zugleich sein Selbst rein herauszuheben und bei sich zu sein.
     「したがって、この意識にとっては、さらにまた自己を質料から引き上げて、自分のもとにいるということは、困難に感じられる。」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 41. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 56.)
 なお、上記の用例中の rein は、 herein の意味であろうということについては、こちらをご覧ください。


ansehen A auf B (V. 1.0.)
 意味:AがBに適格かどうか、考量(吟味)する。

 解説:相良守峯『大独和辞典』に、記載されています。小学館『独和大辞典』(第2版)では、記載されていません。


Anzeige (V. 1.0.)
 意味:(犯罪などの)形跡。

 解説:相良守峯『大独和辞典』に、記載されています。小学館『独和大辞典』(第2版)では、記載されていません。

 用例:. . ., wo die Anzeigen nicht ganz offen da liegen. (フィヒテ『知識学の概念について』, Fichtes Werke herausgegeben von Immanuel Hermann Fichte, Bd. I, S. 76.)


Äquivalent (V. 1.0.)
 意味:相当物(相応物)。

 解説:Äquivalent は「等価物(価値が等しいもの)」という意味もありますが、一律にそう訳すのは乱暴で、「相当物。相応物(程度や地位などにおいて、つりあうもの、ほぼ等しいもの)」がふさわしい場合もあります。

(1) 語源
 ラテン語の動詞 aequivalere が語源で、「aequi 等しい」と「valere (不定法現在形。辞書の見出し語となる、直説法・現在・1 人称・単数形は valeo)」から成ります。valere の意味は「力がある。能力がある。強い。勢力がある」ですが、そうあるのはどの領域かによって、具体的な意味が違ってきます。その中には「(金銭)価値がある」とか [以上は、研究社『羅和辞典』 1980年より]、「通用する。役立つ」(研究社『羅和辞典 改訂版』 2009年)などがあります。
 そこで aequivalere の意味も、「同じ力である。同価である」(研究社『羅和辞典』 1980年)、「対等(等価)である」(研究社『羅和辞典 改訂版』 2009年)となり、狭義の「価値」以外の相等性も表すことになるようです。
 そして aequivalere は、古フランス語を経た中世後期英語では、「力や地位の等しい人たちを表現する」語となりました(Oxford Dictionary of English, 2005)。

(2) ドイツ観念論時代の意味
 ドイツにはこの語が、いつどのようなルートをたどって流入したかは浅学の身には不明ですが、『ゲーテ辞典』には、やはり狭義の「等価物」以外の意味も記されています:
 「価値の等しい代用品(Ersatz)。弁償(Vergütung)。適切な補償(Entschädigung)」。
 「完全な対応(völlige Entsprechung)」
(なお、この語が外来語だからでしょうか、グリム『ドイツ語辞典』Adelung には記載されていません。)

 用例:. . . sehen wir für den langen Weg der Bildung . . . die unmittelbare Offenbarung des Göttlichen . . . sich unmittelbar als ein vollkommenes Äquivalent und so gutes Surrogat ansehen . . .
 「神的なものの直接の啓示・・・が、[哲学] 形成の長い道のり・・・のそのまま完全な相当物であるとか、良き代用品であるとかのような観を呈しており、それを私たちは目(ま)のあたりにしている。」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 46f. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 63.)


Arbeit (in Arbeit sein) (V. 1.0.)  → in der Arbeit begriffen sein
 意味:働いている。

 解説:この熟語は、相良守峯『大独和辞典』 Arbeit の項目、1 に記載されています。

 用例: Der Geist . . . steht im Begriffe, es in die Vergangenheit hinab zu versenken, und in der Arbeit seiner Umgestaltung.
     「精神は・・・それを過去のものにしようとしており、自己変革を行っているところである。」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 14. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 18.)

 上記「用例」中の in der Arbeit は、この項目の in Arbeit と同じだと解して、訳出しました。上記「意味」での「働いている」は、この訳では「行っているところである」になっていtます。(なお、「用例」中の steht (stehen) も、sein と同じにとっています)。
 しかし、用例 steht . . . in der Arbeit は、steht 直後の im Begriffe と共に理解すべきであるとの、意見もあるかと思います。つまり、
 steht im Begriffe . . .in der Arbeit
となっているのであり、それは下記の
 in der Arbeit begriffen sein
に準ずるというわけです(im Begriffe begriffen を等置しています。)
 けれども、この意見に従っても、in der Arbeit begriffen sein は「仕事中である」ですので、結局文意と訳は変わらないことになります。


Arbeit (in der Arbeit begriffen sein) (V. 1.0.)  → in Arbeit sein
 意味:仕事中である。

 解説:この熟語は、小学館『独和大辞典 第 2 版』の begriffen の項目、II, 1 に記載されています。この熟語での begriffen の意味は、「従事している」です。


auch (V. 1.1.)
 意味: allerdings) <事実また> ・・・ではあるが(相良守峯『大独和辞典』の auch の項目の 5)

 解説: auch には、
・よく使われる「~もまた」という同等・同様の意味、
・「たとえ~としても」という認容の意味のほかにも、
・上記の「・・・ではあるが」の意味があります。

 相良守峯『大独和辞典』には、上記の意味での例文として、以下の 2 つが出ています:
 Er ist gelehrt, daran hat auch niemand gezweifelt, nur an seiner Klugheit.
 
「彼は学問がある――それは実際誰も疑わぬところだが、賢明とはいえるかどうか」

 Ich bin gestern nicht gekommen, aber ihr habt mich bei dem Regen auch wohl nicht erwartet.
 「ぼくは昨日来なかった、もっとも雨で君らも待ちはしなかったろうが。」

 つまり、あることを認めつつも、それに重要なことを付帯する場合に、上記の「意味」での auch が用いられるようです。
 以下の「用例」でのヘーゲルの文章は、この auch だと思います。(その理由は、こちらを参照下さい)

 用例: Hier sehen wir also auch die Negativität des Inhalts eintreten, welche eine Falschheit desselben ebensogut genannt werden müsste, als in der Bewegung des Begriffs das Verschwinden der festgemeinten Gedanken.
     「したがってここでは、なるほど内容の否定性が生じることが、見られる。そしてこの否定性は、概念の運動において、固定的に考えらている思考の産物が消失することと同様に、内容の誤謬(ごびゅう)と呼ばれるべきかもしれない。」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 32. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 43.)


auffallen (V. 1.0.)
 意味:奇異な感じを与える。

 解説: auffallen には、「目立つ。注意を引く」以外に、「奇異な感じを与える」という意味があります(相良守峯『大独和辞典』 、小学館『独和大辞典 第 2 版』)。

 用例: So wenig . . . dies Wort [= alle Tiere] für eine Zoologie gelten kann, ebenso fällt es auf, dass die Worte des Göttlichen, Absoluten, Ewigen usw. das nicht aussprechen, was darin enthalten ist;
     「『動物すべて』と私が言っても、この言葉は動物学としては何ら通用しないのであるが、これとまったく同様に、「神的なもの、絶対的なもの、永遠なもの等々」の言葉が、これらに含まれているものを言い表さないのは、何ら奇異なことではない。」。(ヘーゲル『精神の現象学』, GW, Bd. IX, S. 19./Suhrkamp Verlag, Werke in zwanzig Bänden, Bd. III, S. 24f.)


 上記引用文中の fällt . . . auf が、「目立つ」ではなく「奇異な感じを与える」の意味であることは――
(i) dass die Worte . . . 以下の副文は、ヘーゲル自身の考えなので、ebenso fällt es auf の主文は、その考えを肯定するような内容になるはずです。

(ii) 主文先頭の ebenso は、副文の wenig (少ない)を受けているので、否定的意味をもっています。

(iii) そこで、主文の fällt es auf の部分が否定的意味をもたないことには、主文全体(ebenso fällt es auf )は肯定的な内容になれません。

(iv) したがって、fällt . . . auf は否定的な意味の「奇異な感じを与える」です。

 なお、引用文中の So wenig . . . ebenso . . . の構文については、こちらの「(III)用例 (2)」の意味について」を参照ください。


Auktorität (Auctorität) (V. 1.0.)
 意味:Autorität と同一の語です。

 解説: Autorität Auktorität とも表記することは、『ゲーテ辞典』の Autorität の項目に出ています。語源はラテン語の Auctoritas です(Meyers Großes Konversationslexikon の Autorität の項目)。


αυχμοζ (V. 1.0.)
 意味:日照り。旱魃(干ばつ)。

 解説:この古代ギリシア語の表記は、時代・地域によって異なるようで、
αύχμός(正確には ύ ではなく、「マイクロソフトの IMEパッド、文字一覧 Unicode, ギリシア拡張の U+IF50-0」の文字です)、
・ αυχμός

などの表記があります。なお、大文字での表記は、ΑΥΧΜΟΣです。
 また、ラテン文字への変換も、auchmós, auchmos, afchmos などがあります。
 (以上は、Googleafchmos を検索し、最初に表示された Ancient Greek - English Dictionary (LSJ) によります。)

 用例: Lieber Gott, es ist ein αυχμοζ eingefallen, der dem alten Unkraut bald wieder aufhelfen wird.
 「神様、日照り(αυχμοζ)がやって来ました、日照りはすぐにまた、いつもの雑草をはびこらせるでしょう。」(シェリングの 1795-1-6 (Dreikönigsabend) 付、ヘーゲル宛手紙。Briefe von und an Hegel, Felix Meiner, 1969, Bd. I, S. 13)


außerdem (V. 1.0.)
 意味:それ以外では

 解説:副詞の außerdem は、「それに加えて」という意味で使われますが、それ以外に außer dem としての意味(つまり「それ以外では」)も、もつようです。Goethe-Wörterbuch außerdem を引きますと、3 番目に、andernfalls (他の場合には)と記されています。

 用例:. . . er [= Hegel] . . . tadelte den Mangel an Dialektik, welche bei Platon, mit dem Schelling außerdem manches Ähnliche habe, überall dem Inhalt vergesellschaftet sei . . .
     「ヘーゲルは・・・ [シェリングにおける] 弁証法の欠如をとがめたのである。弁証法は、プラトンにあっては――このこと以外では(außerdem)、シェリングはプラトンと多くの類似点をもつにせよ――どこにおいても [その教説] 内容に伴っていたのだが・・・」
 (ローゼンクランツ『ヘーゲル伝』。Karl Rosenkranz: Georg Wilhelm Friedrich Hegel's Leben, Originalausgabe, 1844. S. 201


Äußerung あるいは Entäußerung (V. 1.0.)
 意味:(1) 外化。(2) 表現。発言。意見。

 解説:疎外(Entfremdung)とほぼ同意味の哲学用語です。絶対者のメタ化の運動を指します。相良守峯『大独和辞典』と小学館『独和大辞典』(第2版)には、この意味では記載されていません。
 なお、Äußerung の意味には、「表現。発言。意見」などの意味もあり、シェリングなども使っていました。

 (1) の用例: . . . dass das Absolute nur eine absolute . . . Äußerung haben kann;
    
Fichtes und Schellings philosophischer Briefwechsel, 1856, S. 124. フィヒテの文例です。)

 (2) の用例: . . . wobei es mich [= Schelling] doch gefreut hat, . . . Spuren einer indirekten Bestätigung Ihrer direkten Äußerung zu finden:
    (Fichtes und Schellings philosophischer Briefwechsel, 1856, S. 128.)



  B

Bedingung (V. 1.1.)
 意味:(1) 条件。 (2) 制約。

 解説:もともとの意味は「条件」です。そして、条件は付いているものの、その条件の具体的な規定性が問題にならないときには、たんに条件付であるという意味で、「制約」をともなっているということになります。
 したがって、Bedingung をまずは「条件」と訳していいのですが、時によっては「制約」の方が意味が通じやすいと言えます。
 ところが、なんでもかんでも「制約」と訳して、訳文の意味が分かりにくくなっている場合が多いようです。といいますか、「制約」がジャーゴンのようになっていて、ギョウカイ内部の人間であれば「制約」と訳すのが当然、といった風情です。


befassen (V. 1.0.)
 意味:包括(含)する。

 解説:相良守峯『大独和辞典』には、古義として記載されています。小学館『独和大辞典』(第2版)では、記載されていません。

 用例:. . . die eine absolute Synthesis, in der sie [die Akte] alle befasst sind, . . . (シェリング『超越論的観念論の体系』, オリジナル版では81ページ.)


begeisten (V. 1.0.)
 意味:精気を与える。

 解説:この語は、『ゲーテ辞典』ではその b に、上記の意味の説明があります。引用しますと:
 「b 精神的に刺激し、それによって生気(Leben)で満たすこと。

 用例: Jetzt besteht darum die Arbeit . . . darin, . . . durch das Aufheben der festen, bestimmten Gedanken das Allgemeine zu verwirklichen und zu begeisten.
   「したがってなすべき仕事は・・・対立するもののうちにおいて、固定され・確定された思想を解消することによって、普遍的なものを現実化し、精気を与えることである。」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」, GW, Bd. IX, S. 28./Suhrkamp Verlag, Werke in zwanzig Bänden, Bd. III, S. 37


Begriff (V. 1.0.)
 意味:(1) 事物の本質をとらえる思考の形式(『広辞苑 第6版』)。(2) 見解。考え(方)。意見。(3) 概要。あらまし。

 解説: Begriff は多義的で、一律に「概念」と訳すのは不可です。「概念」という訳語は、哲学の著作の翻訳中では上記 (1) の論理学・哲学的概念の意味に、ヘーゲルの著作中ではヘーゲル的概念の意味に、解釈されてしまいがちです。
 Begriff の意味の説明としては、『ゲーテ辞典』が詳しく、分かりやすいといえます。それを見ますと、私たちに関係のある上記 (1) ~ (3) のうち、
(1) の意味は、"2" に記載されています。

(2) の意味は、"4" に Meinung, Ansicht, Auffassung として記載され、用例には、
 nach meinem Begriff, nach meinen Begriffen 「私の考えでは」
が出ています。(Begriff の単・複の両形が使われるようです。)

(3) の意味は、"6" に (elementare) Kenntnis, Grundbegriff として記載され、用例に:
 Jemandem die ersten Begriffe von etwas geben 「ある人にある事の最初の [段階の] 概要を伝える」
が出ています。

(なお、「im Begriff sein (stehen), zu 不定詞」は、「ちょうど、~するところである」という熟語です。)

 (3) の用例: Das hier Gesagte drückt zwar den Begriff aus, kann aber für nicht mehr als für eine antizipierte Versicherung gelten.
 「ここで述べられたことは、なるほど [学問的方法についての私の] 見解を表してはいるが、先取りされた確言ということ以上のものとして、妥当するわけではない。」
(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」, GW, Bd. IX, S. 41./Suhrkamp Verlag, Werke in zwanzig Bänden, Bd. III, S. 55
 なお、この用例での Begriff を、上記 (2) の「見解」として訳出しましたが、その理由はこちらを参照ください。 


behauptend (V. 1.0.)
 意味:断定的な。反論を許さない。有無を言わさない。

 解説:『ゲーテ辞典』には、behauptend が見出し語として記載されており、意味は apodiktisch となっています。
(1) apodiktisch を同辞典で引きますと、
 unbedingt, kategorisch, keinen Widerspruch duldend
 (逐語訳では)「無条件で、断定的で、反論を許さない」
とあります。

(2) また、小学館『独和大辞典 第 2 版』では、apodiktisch の意味は、「断定的な。反論を許さない。有無を言わさない」です。

(3) そこで、behauptend のこなれた訳語としては、前記の「断定的な。反論を許さない。有無を言わさない」のなかから、場合に応じて選べばよいのではないかと思います。

 用例:. . . der [= jener Idealismus] an die Stelle des behauptenden Dogmatismus als ein versichernder Dogmatismus . . . trat;
     「有無をいわさぬ独断論の後釜に、確言するだけの独断論として・・・居すわったあの観念論・・・」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」, GW, Bd. IX, S. 39./Suhrkamp Verlag, Werke in zwanzig Bänden, Bd. III, S. 53)


bei (V. 2.1.) → bei sich
 意味:「程度」を示す。

 解説:前置詞 bei の意味は多義的ですが、
 (i) 継続的時間(例:
beim Essen, 食事中に)ないしは、
 (ii) 同時的な随伴現象(例:
bei Regen fahren, 雨の中を車で行く)(小学館『独和大辞典 第 2 版』)
を示すときによく使われます。しかし、
 (iii) 「程度」を示す場合があります(相良守峯『大独和辞典』の
bei の項目, I, 11)。
  例文:
bei weitem (遥かに。大いに)

 用例: . . . bei dem gerechten Maß der eignen Meinung von mir selbst, . . .
       「自己評価の正当な範囲内において」(シェリングの、1807年11月2日付のヘーゲル宛手紙


bei sich (V. 1.0.)
 意味:
正気で(相良守峯『大独和辞典』の sich の項目、5, a)。正常で。

 解説:
問題になるのは、下記の「用例」です。ヘーゲル『精神の現象学』の「序文」の 1 文ですが、この bei sich は、「自分自身(己れ自身)のもとにある」とふつう訳されてきました。しかし、『精神の現象学』はヘーゲルの処女著作であり、ましてその「序文」ですから、ヘーゲル哲学的な解釈をしてもしようがありません。そこで、bei sich の通常の意味の「正気で」が、妥当すると思います。(拙訳では、こなれた訳語として「正常で」を当てています。)
 なお、用例」中の動詞は
weiß (wissen) となっていますが、1807 年のオリジナル版では ist (sein) でした。bei sich sein の意味は「正気である」です(小学館『独和大辞典 第 2 版』の sich の項目、1, b, 5)
 また、bei sich が「正気で」だとしますと、その後の語句「むしろ精神の喪失」と、対応していることにもなります。


 用例:
. . . worin es bei sich selbst weiß, vielmehr als der Verlust des Geistes, . . .
       「・・・意識が自分は正常であると考えていても、それはむしろ精神の喪失だと・・・」『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」, 『アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 23. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3. S. 30.)


besitzen sich (V. 1.0.)
 意味:
自分を意のままにする。(否定形では、「自分が意のままにならない」。)

 解説:
下記の「用例」の sich besitzen は、これまで文字どおりに「自分自身を持たない」などと、訳されてきました。しかしこれでは、まさか消えてしまうわけでもないでしょうし、意味が分かりづらくなります。
 sich besitzen は、
グリム『ドイツ語辞典』では、besitzen の項目の 6 に、
『ゲーテ辞典』では、besitzen の項目の 7 に、
出ています(独和辞典)。
 この 2 つの辞典での用例では、sich besitzen は「自制(自己抑制)する」といった意味で使われています。しかし、その意味自体の説明のなかに、以下のものがあります:

 Herr üb[er] seine körperl[ichen] und geistigen Kräfte sein (ゲーテ辞典)
 「自分のもつ、肉体的・精神的力の主人(支配者)である」

 sich besitzen は、もともとはこういう意味だったと思われます。そこから、「自制する」という意味になったのでしょう。また、「自分を意のままにする」という意味にも、解せると思います。

 用例:
. . . so ist ihm dagegen das Element der Wissenschaft eine jenseitige Ferne, worin es nicht mehr sich selbst besitzt.
     「・・・これに対し、学問の領域は、意識にとっては彼岸の遠くにあり、そこでは意識は、もはや自分自身が意のままにならない。」『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」, 『アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 23. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3. S. 30.)


besonder (V. 1.0.)
 意味:
(1) 個別的な。個々の。特有の。(2) 特殊の(普遍的に対する哲学用語として)。(3) 特殊な(日常用語として、「変わった・特別な・異常な」などと同義)

 解説:
besonder は、論理・哲学用語としては allgemein (普遍的)に対する語で、(2) の「特殊」の意味をもちます。しかし、日常語としては(というより、ふつうは) (1) の「個別的な」という意味です。
 そして、哲学文献でも「個別的な」の意味で使われることがよくあります。そのような besonder までも一律に「特殊的」と訳しますと、読者は (3) の特殊、つまり「異常な」と同義に受けとり、ギョッとすることになります。

 (1) の用例 :
. . . , dass es seine Selbsterhaltung und besonderes Interesse zu treiben vermeint . . .
 「・・・それが、自己維持と自分の利益をはかっていると思いこんでいる・・・」(個別的なという意味での besonder を、「自分の」と訳しています。ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」, 『アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 40. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3. S. 53f.)


besonders (V. 1.0.)
 意味:
(1) 特に。なかんずく。(2) 個々に。別々に。単独に。

 解説:
besonders は、上記の (1) の意味においてよく使われますが、(2) の意味(相良守峯『大独和辞典』や小学館『独和大辞典 第 2 版』に記載)においてもときどき登場します。

 (2) の用例:
An jedem Teile seines [= des natürlichen Bewusstseins] Daseins sich besonders versuchend . . .
 「自然的意識はその存在のすべての部分を、個々に手がけながら・・・」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」, 『アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 28. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3. S. 37)


best (et. zum besten geben) (v. 1.0)
 意味:聞かせる。開陳する。

 解説:下記の「用例」にありますように、熟語 et. zum besten gebenは『精神の現象学』の序文(Vorrede)に出てきます。諸大家の訳では、「もてなしてくれる」、「饗応する」などと、ご馳走を提供するイメージが下敷きになっていることがあります。
 なるほど、この熟語には、「et. をごちそうする<振舞う>」という意味があります(小学館『独和大辞典 第 2 版』の best の項目)。しかしまた、「et. を(座興に)披露<開陳>する」の訳も、同箇所には出ています。
 そして、
 eine Flasche zum besten geben の訳は、「酒を一瓶振舞う」ですが、
 die neuesten Witze zum besten geben は、「最新のジョークを話して聞かせる」ですし、
 ein paar Schnurren zum besten geben は、「笑い話をいくつか話して聞かせる」です。
 したがって、下記の「用例」の主語は料理とは関係のない「ありきたりの哲学の仕方」ですから、この熟語の訳も「開陳する」が妥当でしょう。

 なお、 zum bestenは相良守峯『大独和辞典』(best の項目。また zu の項目 I, 12)によれば、aufs beste と同意味で、これは絶対的最上級ですから「非常に(すこぶる)良く」という意味です。

 用例: . . . gibt das natürliche Philosophieren eine Rhetorik trivialer Wahrheiten zum Besten.
 「・・・ありきたりな哲学の仕方は、平凡な諸真理を雄弁に開陳する。」(『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 47. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 64)


betätigen (V. 1.0.)
 意味:
実証する。

 解説:
「実証する」という意味は、相良守峯『大独和辞典』の betätigen の項目、I, 2 に出ています。

 用例:
. . . erzeugte es [= das natürliche Bewusstsein] sich zu einer durch und durch betätigten Allgemeinheit.
    「自然な意識は・・・まったくもって実証された普遍性へと成長したのである。」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 28. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 37.)


Blatt (V. 1.0.) (他の印刷関係の用語: Druck (印刷)。Bogen (ボーゲン))
 意味:
丁(ちょう。本の 2 ページ。全紙の 1/8)

 解説:
ドイツ観念論の時代の本は、片面印刷でした(世界初の両面印刷機の制作は、1814 年だそうです)。したがって、ボーゲンに印刷された 16 ページを、1 ページずつ裁断して綴(と)じて本にしたのでは、空白ページ(つまり、印刷されたページの裏側のページ)が 1 ページごとにあることになってしまいます。そこで、2 ページずつ(つまり丁ごとに)裁断して、ページの境を山折りし(谷折りしてどうするの?)、いわゆる袋綴じにして本にします。
 印刷されたボーゲンを下に図示しますと(なお、(1), (2), . . . は、ページ数を表しています)、(1) と (2)、(3) と (4)、(5) と (6) ・・・が、1 つの丁を成します。

(1) (2) (3) (4)
(5) (6) (7) (8)
(9) (10) (11) (12)
(13) (14) (15) (16)

 また、あるページを差し替えるときには、そのページと対になっているページも印刷して、丁ごと(2 ページまとめて)差し替えなければなりません。なお、この実例については、「翻訳: ボンジーペン氏の『精神の現象学』中間タイトル問題の説明」を参照ください。


bloß (V. 1.1.)
 意味:もっぱら。 そのもの。純然たる。

 解説: bloß は、すこし軽んずるニュアンスがある「たんに~だけ」と、一律に訳されがちです。しかし、Duden Deutsches Universalwörterbuch(第6版)によれば、bloß は”nichts anderes als” のことですから、「もっぱら」「まったくの」「そのもの」「純然たる」といった語が、適訳となることも多いです。

 用例: Mir ist das höchste Prinzip aller Philosophie das reine, absolute Ich, d. h. das Ich, inwiefern es bloßes Ich, noch gar nicht durch Objekte bedingt, sondern durch Freiheit gesetzt ist.
     「ぼくにとっては、すべての哲学の最高原理は、純粋な絶対的自我になる。つまり、自我そのものであるかぎりでの自我であり、まだ客観によっては条件付けられていず、自由によって措定されているかぎりでの自我なのだ。」(シェリングの、1795 年 2 月 4 日付のヘーゲル宛手紙。Briefe von und an Hegel, hg. von J. Hoffmeister, Felix Meiner, Band 1, S. 22


Bogen (V. 1.2.) (他の印刷関係の用語: Druck (印刷)。Blatt (丁))
 意味:全紙。ボーゲン(紙)。

 解説: ペンで原稿を書くためのものも、印刷用のものも、ボーゲンと呼ばれます(両者の大きさが同じかどうかは、浅学のため不明です)。
 印刷用のものは裁断すると、本の 16 ページ分ができます。つまり、本を効率よく作るために、1 ページごとに印刷するのではなく、大きな紙(全紙)に 16 ページ分をまとめて印刷し、その後 2 ページ()ごとに裁断して、製本しました。


  C  

concreto (V. 1.0.) → in concreto
 意味:ラテン語で、in concreto として使われ、「具体的に、実際に、個々に」の意味。

 解説: (大)独和辞典では、in concreto の見出しで出てきます。


in concreto (V. 1.0.)
 意味:
ラテン語で、in concreto として使われ、「具体的に、実際に、個々に」の意味。


 解説:
(大)独和辞典では、in concreto の見出しで出てきます。


contentis (V. 1.0.)
 意味: 下記の「用例」での mit den contentis の意味は、「同封物 [複数] とともに」です。

 解説:ラテン語の動詞に、「いっしょにしておく。含む」という意味をもつ contineo があります。(『改訂版 羅和辞典』研究社、2009 年。なおこの contineo は、不定法・現在形である continere の直説法・現在・一人称・単数形で、辞書の見出しになる形です。)
 その基本形の 1 つである目的分詞(スピーヌム, supinum. なお、英語表記で supine とも)を辞典で見ますと、contentum です。すると、完了分詞の中性・単数・主格も、目的分詞と同形なので、contentum です。
 完了分詞は受動の意味になり、形容詞化しますので、その場合 contentum は「いっしょにしておかれた。含まれた」という意味です。
 さらに、形容詞は名詞化もしますが、活用は第 1 類形容詞 bonus と同じです。
 そこで、下記の「用例」では、 mit den の後に来るべき語は、mit から与格、den から複数形になるので、contentum は、contentis になったのでした。(性は、「同封されたもの」という物を表していますから、中性です。)

 用例: . . . und dass ich heute erst Ihren Brief mit den contentis erhalten;
    
「また、貴方からのお手紙を、同封物ともどもようやく今日私は受けとりましたことを・・・」。(ヘーゲルのニートハンマー宛手紙(1806 年 10 月 6 日付)。Briefe von und an Hegel, hg. von J. Hoffmeister, Felix Meiner, 1969. Bd. 1, S. 118


  D

da (V. 1.1.)
 
意味: (1) (時の副文を導く)・・・したとき。(2) ~でありながら

 解説: (1) 原因・理由を表す接続詞
da とは一応別語に、現在では使われなくなりましたが、時の副文を導く da があります。この後者の da は、ドイツ観念論の時代にはよく出てきます。
 相良守峯『大独和辞典』には、別語として記載されていますが、小学館『独和大辞典』(第2版)では、 da の同一見出し語のもと、別意味として載っています。
        (2) 従属の接続詞 da には、主文とは意味の相反する意味の副文を、導く用法もあります。「副文ででありながら、主文である」という意味になります。

 用例: (1) Eben so Raffael, da er die Schule von Athen entwarf; (ヤコービ『スピノザ書簡』(1785年)、F. H. Jacobi, Werke, Bd. IV-1, 2, F. Roth und F. Köppen (Hgg.), 1968 年版では、60ページ)。
        (2)  Nicht undeutlich sind Sie der Meinung, durch Ihr System die Natur annihiliert zu haben, da Sie vielmehr mit dem größten Teil desselben nie aus der Natur herauskommen.
        訳:明らかに貴方のご意見としては、ご自身の体系によって自然を絶滅させてしまった、ということのようですが、むしろ貴方はご自身の体系の大部分で、自然から一歩も外に出てはいないのです。(シェリングの 1801 年 10 月 3 日付、フィヒテ宛手紙。1856年版『フィヒテとシェリングの、哲学的往復書簡集』では 104 ページ)


darauf (V. 1.1.)
 意味: その後。それに続いて。

 解説:
darauf が、時間的に「その後」を意味するときには、ふつうその前に名詞・副詞などを伴います(das Jahr darauf: その翌年。gleich darauf: その直後に)。しかし、darauf 単独で、「その後」を意味することもあるのではないかと思われます。
 なお、
darauffolgend は「その次の。それに続く」です。(相良守峯『大独和辞典』)

 用例:
Aber sehen Sie vor der Hand z. B. das absoluteste Sein, das Sie aufstellen mögen, nur darauf an, so finden Sie in ihm das deutliche Merkmal einer Zusammensetzung . . .
     
「しかしさし当り、例えば貴方が立てようとしている最も絶対的な存在 [D] を、つづいて考察してみて下さい。すると、この最も絶対的存在のうちに、合成の明らかな徴(しるし)を、貴方は見出します」。(フィヒテの 1802年 1 月 15 日付シェリング宛手紙。『フィヒテとシェリングの、哲学的往復書簡集』、1856 年版では、123 ページ。『アカデミー版フィヒテ全集 III, 5』では、112 ページ。)


Dasein (V. 1.1.)
 意味: (1) (観念的な、あるいは想像上のものではなく、現実の物的)存在。現存。(2) (ヘーゲルの論理学では)定在。定有(すなわち、「有(Sein)」、「無(Nichts)」、「生成(Werden)」と展開してきた次の段階)。

 解説:このページは語句の意味を調べるためのもので、「哲学用語の解説」ではありませんので、「(2) 定在」の説明については、割愛します。
 上記「意味: (1)」の「存在。現存」という意味での
Dasein を、より正確に知るために、『ゲーテ辞典』Dasein を引きますと(*1)
「A 生(
Leben, 生命)
  1. 人間の(
des Menschen
  2. 自然における(
in der Natur)」と、
「B 現実(
Wirklichkeit) 
  1. 個々の物や現象についての(
von einzelnen Dingen, Phänomenen)。 
  2. 全体としての、物や現象の世界。[つまり] 自然のことであり、また神による被造物とか宇宙という意味において。(
die Ding-, Erscheinungswelt in ihrer Gesamtheit, die Natur, auch iSv Schöpfung, Universum) [なお、iSv im Sinne von略です。]
  3. 最高の実在(
Wesen)である神の存在(Dasein)等」 とに、
大別されています。

 私たちが知りたい
Dasein は「B 1.」なので、「B 1. a」を見ますと、以下のように説明されています(*2)
a 存在(Vorhandensein)。現存(Existieren)。あるものの――制限をうけながら存続するところの、そしてまた、認識論的・自然哲学的なカテゴリーとしての――(物的・質料的)実在。(das Vorhandensein, Existieren, die (phys, materielle) Realität von etw, hinsichtl ihrer Bedingtheit, Beständigkeit, auch als erkenntnistheoret u naturphilos Kategorie)」

 そこで、この「B 1.
a」での Dasein とは、<観念的な何かとか、想像上のものなどではなく、現実の物的な存在、現存>のことになります。

 なお、一般的な「現存在」という
Dasein の訳語は――つまり、ハイデッガーの実存哲学の用語としてではなく、「一般には、ものが現実に存在することをいう」(広辞苑 第6版)という意味での「現存在」は――、日常的には用いられることのない哲学用語です。したがって、上記『ゲーテ辞典』の説明での、
「あるものの・・・認識論的・自然哲学的なカテゴリーとしての(物的・質料的)実在」
に相当するように思われます。そこで下記の「用例」ような
Dasein では、「現存在」の訳語は使用せず、たんに「存在」で十分だと思います。

 用例:
. . . was z. B. Anatomie sei, etwa die Kenntnis der Teile des Körpers nach ihrem unlebendigen Dasein betrachtet, . . .
    
「・・・たとえば、『解剖学とは、生命のない存在としてみられた体の各部についての、知識といったものである』という・・・」。(『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 9. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 11)

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  「
Dasein」の注

(*1)
Dasein の語は、グリム『ドイツ語辞典』では簡単な説明で終っていますが(Adelung にはありません)、フィヒテの有名な一節が用例として出ていますので、以下に引用します:

 「この
Dasein という名詞は、18 世紀になってはじめて登場した。・・・この語は最初は「居合わせること(Gegenwart)」を意味したが、この用法はなくなった。[すなわち、] 「彼はそれを in meinem dasein (私のいる場で)行った」とはもう言わなくなり、in meiner Gegenwart とか in meinem besisein と言うようになった。
 おそらく 19 世紀中葉以降、しばしばこの語は、しかも荘重な文体において、生(
leben)をその全範囲において表すのに、また本質(das wesen)を、現実の存在(die existenz)を、物事のようす(den zustand der dinge)を表すのに使われた。たとえば「神は彼に das dasein を与えた」 [の dasein は] 生命(leben) [を意味する]。・・・
 フィヒテは、彼独特の区別を――言葉そのものにはそれはないのだが――設けている:「神的な存在(
dasein)が、そのままそれの生ける力強い daseien [あえて訳せば、「存在すること」] であるかぎりは―― daseien と私が言うのは、いわば dasein の行為を表すためであって」(『幸いなる生への導き』)
 ゲーテは
Dasein の語を好んだ。[以下は用例が続くため、省略]
 シラーは、それほどでもない。[以下は用例が続くため、省略]
 そして、抽象的な観念と共にも [この語が用いられる。たとえば、] 「すべて完全なものは、完成された世界において存在(
dasein)を獲得せねばならなかった」(シラー)。「人間の頭の中においては、存在を授からない(nicht dasein empfangen)ものなどがあろうか?」(シラー)。」

(*2) ちなみに、
b 以下は:
b 相在。本質。性状。特質。」
 (
das Sosein, Wesen, die Beschaffenheit, Eigentümlichkeit
 [なお、
Sosein (相在)とは、「質の面からみた存在に対する、哲学的表現」(グリム『ドイツ語辞典』)です。]

c 存在ないしは現象の形態、実在の内容、現実性の度合い: [そして、用法には以下のようなものがある:] 出現しつつある-、論理上の-、生ある-、確固とした-、限定付の-、仮の- Dasein。また美学的な領域では、可能性、迫真性、表現力の意味においても [使われる]。」
 (
Die Existenz- Erscheinungsform, der Realitätsgehalt, Wirklichkeitsgrad: ‘erscheinendes, logisches, lebendiges, solides, beschränktes, erborgtes D.'; im ästhet Bereich auch iSv Wahrscheinlichkeit, Lebensechtheit, Ausdruckskraft

d (自立しているところの、直観的な)具体性、感覚的な現前、形象: [そして、用法には以下のようなものがある:] 瞬間的な-、堅固な-、単純な-、感覚的- Dasein。」
 (
die (autonome, anschauliche) Gegenständlichkeit, sinnl Gegenwart, Gestalt: ‘augenblickliches, festes, simples, sinnliches D.', . . .


deus ex machina (v. 1.2.)
 意味: 「機械仕掛けの神」と、ふつう訳されます。ときには、そのまま「デウス・エクス・マキーナ」とも表記されています。

 解説:古代ギリシア劇で「突然舞台に現れて急場をすくう神」(小学館『独和大辞典』 第 2 版)、「戯曲などの困難な場面で、突然表れて不自然で強引な解決をもたらす人物・事件」(研究社『リーダーズ英和辞典』 第 2 版)のことです。
 「機械仕掛け」というのは、ロボットのような作りの神ということではなく、劇場の「機械からの神」――独語では
der Gott aus der (Theater)maschine [Duden Deutsches Universalwörterbuch, 6. Auflage], 英語では god from the machinery [Oxford Dictionary of English] ――、つまり神の登場のさせ方が「機械から」ということです。
 上記の
DudenODE によれば、神々に扮する俳優たちをクレーンのような装置(機械)で、舞台上に宙づりにしたようです。したがって、神々は地上には降り立たず、天上にいるままです。そこで、下記「用例」での「天上にまします」という表現になるわけです。
 なお、歌舞伎と違い、古代ギリシアの劇場には屋根がないので、天井の梁からたらしたロープで俳優を持ちあげることはできません。「機械から」にならざるをえないわけです――あっ、ちょっと完璧主義が災いして、くどくなったかな?

 用例:
Eh’ man sich’s versieht, springt der deus ex machina hervor, -- das persönliche, individuelle Wesen, das oben im Himmel sitzt!
 「あっという間に、『機械仕掛けの神』が飛び出す [にちがいない]、天上にまします人格的・個人的存在が。」(シェリングの 1 月 Dreikönigsabend (6 日)付のヘーゲル宛手紙。Briefe von und an Hegel,
Felix Meiner, 1969, Bd. 1, S. 14)


doch wohl (V. 1.0.)
 
意味: きっと~であろう。

 解説:
doch wohl の 2 語で、確度の高い推量を表すようです。小学館『独和大辞典』第2版では、次のような用例が出ています(電子辞書の「例文検索」に doch wohl を入力しました):
    
Das ist doch wohl eine Sage. 「それはきっと作り話だろう。
    Sie wissen doch wohl, dass . . . 「~のことは、あなたは恐らくご存じでしょう。」
    Man wird doch wohl noch fragen dürfen. 「おそらくまだ質問をしてもよいだろう。」

 用例: Denn propädeutisch ist doch wohl eine Untersuchung, in der das höchste Prinzip Resultat, letzte Synthesis, ist.
     「
といいますのは、最高の原理が結果として、最終的な総合として出てくるような研究は、やはり入門的なものでしょうから。」
      (シェリングの 1801 年 10 月 3 日付のフィヒテ宛手紙。『フィヒテとシェリングの、哲学的往復書簡集』、1856 年版では、96 ページ)。


Druck (V. 1.5.) (他の印刷関係の用語: Bogen (ボーゲン)。Blatt (丁)
 
意味: 印刷(広義と狭義とでは、内容が違ってくることに、注意が必要です。)

 解説:「印刷」といいますと、現代の私たちは回転している巨大な輪転機を想像しますが、ドイツ観念論の時代はまだ産業革命すら起きていないのですから、インクを付けた活版の上に、職人さんが全紙Bogen, ボーゲン(紙)。本の16 ページ分)を1枚ずつパッタン、パッタンとかぶせて印刷していたのでしょう。これは、狭義の「印刷」で、下記の工程表では E のことです。
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 ● 本の執筆から出版までの工程表

(A) 清書された手書きの原稿を用意(タイプライターの普及は、19 世紀末からです)。
(B) それを見ながら植字工が活字を拾い、ページごとの木枠の中に入れ、16 個の木枠を組んで、全紙 1 枚に相当する 1 つの活版を制作。(活字をページ全体で移動させるのは、活字を入れている木枠を動かすだけなので、簡単だったと思われます。)
(C) 印刷工が活版にインクを付け、全紙に印刷(校正のために使用する校正刷り。ゲラ刷り)。
(D) 著者によって校正されたものを見ながら、植字工が活版を修正。
(E) 多くの部数を印刷工が、全紙に印刷(製本用)。
(F) 印刷された全紙を、製本工が 2 ページ()ごとに裁断して、製本。

 * 講義している生徒に印刷物の一部を渡すときには、E の製本用に印刷されたボーゲン紙でなくとも、C の段階の校正刷りを生徒数だけ刷って渡すことも可能です。まだ誤植になっている箇所は、講義中に口頭で訂正できます。

 ** 言うまでもなく、小さな印刷所では、植字工、印刷工、製本工を 1 人が兼ねることもありえます。

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 より一般的に使われる広義の「印刷」は、工程表の B ~ E/F を意味します。例えば、小学館『独和大辞典 第 2 版』の Druck の項目, II, 1 の例文には:
 
Das Manuskript geht morgen in Druck. 「原稿はあした印刷に回る」
とあります。原稿の次の段階は植字ですから、この「印刷」というのは植字も含む広義の印刷過程(B ~ E/F)を指しています。あるいは、話者が直近の段階だけを念頭に置いていたのであれば、B だけを指すことになります。
 B の段階の活版の制作も、植字工が 1 文字ずつ活字を拾っていくのですから――よく使われる単語は、セットになっていたかもしれませんが――、膨大な仕事量になります。

 用例:
Der Druck ist im Februar angefangen worden; 「印刷は、2 月に始まりました。」 この始まった印刷とは、B の植字による活版制作のことでしょう。
     (ヘーゲルの 1806 年 8 月 6 日付のニートハンマー宛手紙。Briefe von und an Hegel, hg. von J. Hoffmeister, Felix Meiner, 1969. Bd. 1, S. 113)

     Wenn nun die Absendung von Mittwochs und Freitags vor 8 Tagen an Ort und Stelle richtig angekommen, so ist weder der Druck aufgehalten worden, . . .
    「ところで水曜日と 8 日前の金曜日に発送したものが、まちがいなく到着したとすれば、印刷が止まっていることはないし・・・」 この「印刷」は、B あるいは B +C です。
     (ヘーゲルの 1806 年 10 月 18 日付のニートハンマー宛手紙。Briefe von und an Hegel, hg. von J. Hoffmeister, Felix Meiner, 1969. Bd. 1, S. 123


dubio (in dubio) (V. 1.0.) 
 
意味:in dubio で)疑わしい。

 解説:
dubioは、dubium (疑い)の奪格(ablative)です。in は前置詞で、英語の in に相当します。


  E

einmal (V. 1.0.)
 意味:とにかく。確かに。実に。

 解説: einmal といえば、回数の「1 度」か、過去・未来を表す「かつて」・「いつかそのうち」が念頭に浮かびます。しかし、「話し手の主観的心情を反映し・・・動かしがたい現実について」(小学館『独和大辞典』第2版)、あるいは「否定できない不変の事実を示」して(相良守峯『大独和辞典』)、「とにかく、確かに」という意味でも、案外よく使われます。

 用例:こことここをご覧あれ。(←思わず手抜きに走っています)


eintreten (an js. Stelle eintreten) (V. 1.0.)
 意味: 或人の代理を勤める。

 解説: an js. Stelle eintreten は熟語で、相良守峯『大独和辞典』の eintreten の項目、I, 1 に記載されています。

 用例: . . . hier tritt an die Stelle jenes Subjekts das wissende Ich selbst ein, . . .
    「ここで、この主語の代わりを、知る [という活動をする] 自我自身がつとめることになる。」(『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 43. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 58.)


Element (V. 1.0.)
 意味:ある物にとって、本来いるべき領域、似つかわしい場。

 解説:この Element には多くの意味がありますが、上記の意味でも時々出てきます。相良守峯『大独和辞典』では、「本来の活動領域、本領」と訳されています。

 用例: . . . dass sein [= des Menschen] Geist, dessen Element Freiheit ist, . . .  
      「人間精神の本来の領域は、自由であるが・・・」
       (シェリング『自然哲学についての考察』, S. W., Bd. II, S. 12

 用例: . . . eine wirkliche Welt -- das Element unseres Lebens und unseres Handelns . . .  
      「・・・現実世界、すなわち私たちの生活や行動の領域・・・」
       (シェリング『知識額の観念論についての解説のための諸論文(Abhandlungen zur Erläuterung des Idealismus der Wissenschaftslehre)』, S. W., Bd. I, S. 358


Ende  熟語:et. am richtigen Ende anfassen (V. 1.0.)
 意味:ある物を正しく(適当に)取り扱う。

 解説:相良守峯『大独和辞典』には、見出し語 Ende の熟語 am Ende で記載されています。小学館『独和大辞典』(第2版)には載っていません。

 用例: an irgend einem hervorstehenden Ende zu fassen suchen (ヤコービ『スピノザ書簡』第3版、183ページ)
       この文の意味は、「しかるべく理解するように努める」ということでしょう。


εν και παν (hen kai pan) (V. 1.0.)
 意味:一(いつ)にして全。一即全。ヘン・カイ・パン。

 解説:
古代ギリシアの哲学者クセノファネスが、最初に用いたといわれます。すなわち、「神は、万有を自己のうちに含むから一にして全であるという汎神論の考え」です(『広辞苑』第5版)。ドイツ観念論への影響は、レッシングがこの語句を自己の信条として語ったのを、ヤコービが公にしたことによるようです。(ヤコービ『スピノザ書簡』(1785年)、F. H. Jacobi, Werke, Bd. IV-1, 2, F. Roth und F. Köppen (Hgg.), 1968 版では、55ページ。


Ensoph (V. 1.0.)
 意味:エンソーフ(カバラ主義における無窮の神)。

 解説:英和辞典『リーダーズプラス』に記載されています。


Entäußerung → Äußerug


entgegensetzen (V. 1.1.)
 意味:対置する。

 解説:この語は、いわば機械的に「対立する」と訳されていますが、多くの場合それでは意味が強すぎ、むしろ「対置する」が適しています。

 用例: . . . die entgegensetzende Verdopplung, welche wieder die Negation dieser gleichgültigen Verschiedenheit und ihres Gegensatzes ist;
 「・・・対置する二重化であるが、この二重化はふたたびその [二重化した両者の] 関わりあわぬ相違や、[相違する両者の] 対立の否定である。」。(『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 18. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 23)
 この用例では、「二重化」によって起きる「相違」は、「たがいに関わらぬ」面と「対立」という 2 面をもっています。したがって、「対立するものへの(entgegensetzende)二重化)」と訳してしまうと、1 面のみを取り上げたことになり、不適切なものになります。

 なお、フィヒテやシェリングの用例についての拙コメントは、こちらのページで、entgegen で検索して下さい。


entnehmen jn. et.3 (V. 1.0.)
 意味:jn.et.3 を免(まぬかれ)れさす。

 解説:相良守峯『大独和辞典』に、記載されています。小学館『独和大辞典』(第2版)には載っていません。

 用例: Dieser Satz der Gleichheit . . . ist hiedurch der Dialektik entnommen . . .
       ・・・弁証法を免れている・・・

      (Hegel: Jenaer Systementwürfe II. GW 7, S. 131.)


entstalten (V. 1.0.)
 意味:ゆがめる。変形させる。

 解説:グリム『ドイツ語辞典』を引くと、verunstalten, entstellen だと説明されています。


entwickeln (V. 1.1.)
 意味:説明する。

 解説:相良守峯『大独和辞典』には、比喩的用法として jemandem etwas entwickeln が記載されており、「或人に或事(理由・見解など)を説明する」と訳出されています。また、似た用例として、einen Plan (Gedanken) entwickeln が挙げられていて、「ある計画(考え)を開陳する」と訳されています。

 用例: . . . sehen wir . . . oder vielmehr das weiter nicht entwickelte noch an ihm selbst sich rechtfertigende Hinunterwerfen desselben in den Abgrund des Leeren für spekulative Betrachtungsart gelten.
     「あるいはむしろそれらの空虚な深淵への投げすてが――別に説明もなければ、それ自身正当化されてもいない投げすてが――、思弁的な考察法として通用しているのを、私たちは目にするのである。」(『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』、第 3 巻、22 ページ。『アカデミー版ヘーゲル全集』では、第 9 巻、17 ページ)


Erbauung (V. 1.7.)
 意味:楽しみ。喜び。(文脈から)感激。

 解説: Erbauung の心理的な意味としては、宗教関係の「信心」などのほかに、一般的な「楽しみ」や「喜び」があります。(Goethe-WörterbuchErbauung の項目 2 a)
 そして、Erbauungは、ヘーゲル『精神の現象学』の「序文( Vorrede)」に出てきますが、これらの意味は「信仰」や「信心深い」ではなく、「喜び」であり、あるいはより強く「感激」が適切だと思います(下記の「用例」を参照)。といいますのは、
(1) 『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」では、キリスト教の信仰がもたらす知的退廃を取り上げた箇所はありません。それにもかかわらず、急に「信仰」を批判するというのは、おかしいと思います。

(2) Erbauung が登場するのは、下記の「用例」で紹介していますように、概念(概念の必然的進行による理解)との対比においてです。そして対比されているのは、「感情」「恍惚(こうこつ。Ekstase)」「沸きたつ熱狂(die gärende Begeisterung)」などです(『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 13. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 16.)。これらにふさわしい語は、「感激」です。

(3) 動詞 erbauen には、「感動させる」の意味があります(相良守峯『大独和辞典』の erbauen の項目、I, 3; 小学館『独和大辞典 第 2 版』の erbauen の項目、2)。
 ちなみに、動詞 erbauen は、『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」では、「建設する」の意味で使われています:
 Sie [= die Wissenschaft] ist seine [= Geistes] Wirklichkeit und das Reich, das er sich in seinem eigenen Elemente erbaut.
 「学問とは、精神の現実態であり、また、精神が自分固有の領域において、自分に対して建てる王国である。」(『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 22. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 29.

 用例: 前記「序文」で Erbauung が、最初に登場する箇所を見てみます:
 「哲学は、実体を開示して自己意識にまで高めるのではなく、また、混沌とした意識を思考の秩序に、概念の単純性につれ戻すのではなく、むしろ思考がより分けたものをごった混ぜにし、概念による区別を抑止して、本質に対する感情を作りだし、洞察ではなく Erbauung を与えるというのである」。(『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 12f. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 16.)
 この用例で、「
Erbauung を与える」のは、哲学――すなわち、シェリングなどが鼓吹(こすい)するところの哲学――ですから、宗教的保守派を連想する「信心」という訳語は、当てはまりません。

 そして、前記引用文の後には次の文が続きます:
 「美的なもの、神聖なもの、永遠なもの、宗教、愛が、食いつきをよくするために必要な餌(えさ)である。概念ではなく恍惚(
Ekstase)が、冷徹に進行する事物の必然性ではなく、沸きたつ熱狂が、実体の豊かさに対するあり方であって、またこうして実体の豊かさは広がり伝わるというのである」。
 この文からは、そうとう興奮するものが要求されているようなので、さきほどの「
Erbauung を与える」というのも、たんなる「喜び」ではなく、「感激」を与えるということなのでしょう。


erinnert (V. 1.0.)
 意味: 記憶されている。

 解説:ヘーゲルの著作に erinnert の語句が出てきますと、訳者の多くは、ヘーゲル哲学は熟知しているという風情でもって、「内面化された」という訳にしています。しかし、翻訳と解釈(解説)は、別にしなければなりません。率直に「記憶されている」と訳して、それで文意が十分に取れるのであれば、「内面化された」という付加語は不要です。
 (リストがショパンの曲に装飾音をつけて演奏しているのを知ったショパンが、「楽譜通りに弾けないのなら、弾くな」と言った逸話を思いだします。)

 ちなみに、erinnern の項目に「内面化する」という意味は、手元の辞典には記載されていません。
・小学館『独和大辞典 第 2 版』では:
 「1. (jn. an et.4) (・・・に・・・を)思い起こさせる, 想起させる
  2. <北部> (et.4) (・・・を)思い出す, 覚えている
  3. (jn. an et.4) (・・・に・・・を)督促(催促)する, 注意を喚起する
  4. (et.4) (異議・文句などを)言う, 述べる」

・相良守峯『大独和辞典』では:
 上記の 4 の代わりに、I, 2, b) で、「或事(欠点など)を指摘する, あら捜しをする, こきおろす」と説明されています。
 また、II で 再帰動詞 sich eines Dinges (od. an et.4 od. auf et.4) erinnern および sich3(4) et. erinnern が記載されており、「或事を思い出す, 想起(回想)する」となっています。

 グリム『ドイツ語辞典』Adelung も、上記 2 辞典と同様の意味説明になっています。(『ゲーテ辞典』には、erinnern の項目はありません。)

 用例:. . . es ist . . . nur das . . . vielmehr bereits erinnerte Ansich in die Form des Fürsichseins umzukehren.
    「むしろすでに記憶されている即自を、ただ対自存在の形式へと変えればいいだけなのである。」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 26. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S.34)


Erinnerung (V. 1.0.)
 意味: 抗弁。意義。

 解説:相良守峯『大独和辞典』には記載されていませんが、小学館『独和大辞典』(第2版)では3番目の意味として載っています。

 用例:ヤコービ『スピノザ書簡』第2版に付録(Beilage)として添えられた、メンデルスゾーン著「ヤコービ氏への抗弁」(Erinnerungen an Herrn Jacobi)。この表題は、内容からして、「ヤコービ氏の思い出」ではないと思われます。(F. H. Jacobi, Werke, Bd. IV-1, 2, F. Roth und F. Köppen (Hgg.), 1968 版では、182ページ。)


Erklärung (V. 1.0.)
 意味: 定義。

 解説:この語は「説明」と単純に訳されがちですが、数学関係では「定義」の意味もあります。グリム『ドイツ語辞典』
Erklärung の項目を見ますと、 「4) definitio」(定義。規定。この辞典では、語の意味がときとしてラテン語で表記されます)となっています。その解説が面白いので、引用しますと:
 「カントによれば、ドイツ語は、
Exposition, Explikation, DeklarationDefinition(定義)といった表現を、ただ Erklarung の一語でもって行うとのことである。しかし彼は、 Erklärung が、Darlegung, Auslegung, Deutung, Erörtung, Entfaltung, Entwicklung, Bestimmung, Auseinandersetzung その他の語も表現することを、忘れている。」

 用例:
. . . so ist zu bedenken, dass der Wissenschaftliche Staat, den die Mathematik herlieh, -- von Erklärungen, Einteilungen, Axiomen, Reihen von Theoremen, ihren Beweisen, Grundsätzen und dem Folgern und Schließen aus ihnen, -- . . .
    「定義・分類・公理・一連の定理とその証明・原理とそれからの演繹や推論など、数学が貸しだした豪華な学問的装い(
Staat)は・・・ことに注意すべきである。」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 26. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 34.)



erst (V. 1.0.) → nur erst
 意味: (1) まっ先に。(2) はじめは。(3) それ以前に。(4) 今より早くはなく。~より多くは(遠くは)なく。(5) これらの意味以外の、さまざまな強調・ニュアンスを加える働き。

 解説:この語には様々な意味がありますが、
Adelung では 3 つに分けて以下のように説明しています:
 「1. . . . erst がアクセントをもつときには、他より先行する時(とき)ないし出来事について、用いられる。
   1) 「まっ先に(
zu erst)、最初に(am ersten)」という意味である。時間的に最初の事態を指示するために [用いられる]。
   2) たんに日常生活においての「初めには(
anfänglich)、はじめは(zuerst)」という意味である。
   3) 「それ以前に(
vorher)」という意味である。

 「2. ときには
erst は比喩的に、時間的・数的・空間的な限定も意味する。この意味の場合には erst は、文末にくるとき以外は
、アクセントを決してもたない。
   1) 時間的に「今より早くはない」という意味である。
Er hat erst angefangen zu schreiben . . . (彼はいま書き始めたところで・・・)
   2) 数的に「~より多くはない」という意味である。
Sie ist erst sechzehen Jahr alt. (彼女はまだ 16 才であった。)
   3) 「~より遠くはない(nicht weiter als)」という意味である。・・・
Er ist erst in Leipzig. (彼はまだ、ライプチヒより遠くには行っていない。)

 「3. いま [上記 1 と 2 で] 考えられたような意味は、しばしば無くなり、この不変化詞 [
erst] はさまざまな強調や、より細かな規定を発言に加える。こうした強調・規定は、書かれて説明されるものというより、感じ取られるものである。」

 上記 3 の用例はいろいろ挙げられているのですが、必要があったときに訳出したいと思います。


erzeugen sich (V. 1.0.)
 意味: 成長する。

 解説:
sich erzeugen は、ゲーテ辞典』の erzeugen の項目、2 に出ています。引用しますと:
 「2 或る物や或る人を形成・育成する((
aus) bilden)、生じさせる。再帰動詞 [としては] :成長する(wachsen)、生じる(entstehen)。」

 用例:
. . . erzeugte es [= das natürliche Bewusstsein] sich zu einer durch und durch betätigten Allgemeinheit.
    「自然な意識は・・・まったくもって実証された普遍性へと成長したのである。」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(
Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 28. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 37.)



es (V. 1.1.)
 意味:(1) (述語に代わる 1 格の es で)それ。(2) (関係代名詞の先行詞となる紹介のes)~するものは。

 解説:(1) について:人称代名詞の es は、中性・単数以外の語を受けることもできますが、その一つに、既述の述語に代わって 1 格で用いられる場合があります(小学館『独和大辞典 第 2 版』 es 1 の項目、I, 1, b, 2。橋本文夫著『詳解ドイツ大文法』、1975年、92-93 ページ)。
 小学館『独和大辞典 第 2 版』には、次の用例が出ています:
 Mein Vater war Arzt. Ich bin es auch. 「父は医者だったが、私もそうだ。」

 (2) について:橋本文夫『詳解ドイツ大文法』の143 ページには、次の例文で説明されています:
 Es ist ein Weiser, der (または welcherschweigt. 「沈黙するのは賢者である」。
 「この es は『それは何々である。』といって事物を紹介する働きをもち・・・関係代名詞 der の先行詞になっている。これを ein Weiser が先行詞だと考えて「それは沈黙するところの賢者である。」などと訳してはならない。先行詞が es であるのに、なぜに関係代名詞が男性(der または welcher)であり得るかというに、紹介の es は・・・性・数・人称を超越しているからである。このような場合、関係代名詞の性・数は es ならぬ述語(ここでは ein Weiser, m.)に従うのである」。

 (1) の用例: Aber diese Sichselbstgleichheit ist ebenso Negativität; . . . Die Bestimmtheit scheint zuerst es nur dadurch zu sein, . . .
 「しかし、この自己相等性は、また否定性でもある。・・・規定性が否定性であるのは・・・ことによっておきることのように、まずは思われる」。(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 40. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 54
 なお、この用例での
es の解釈に疑問がある場合は、こちらの「◇ 訳出の理由」も参照ください。

 (2) の用例: Außer dem sinnlich angeschauten oder vorgestellten Selbst ist es vornehmlich der Name als Name, der das reine Subjekt, das leere begrifflose Eins bezeichnet.
 「純粋な主語を、[すなわち] 空虚で無概念な何かある 1 つのものを示すものは、感覚的に直観された、あるいは表象された<自己>以外には、おもに名前としての名前である」。(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 45f. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 62)


  F

fertig (gegen jemanden fertig sein)
 (V. 1.1.) → mit et. fertig werden
 意味:
gegen jemanden fertig sein は、おそらく「(人の)~に対して関係を持とうとしない」とか「~とはもう何の関係もない」、「~と手を切った」などの意味だろうと思います。

 解説:
この gegen jn. fertig sein は、 手持の独和辞典(相良守峯『大独和辞典』、小学館『独和大辞典 第 2 版』、『マイスター独和辞典』など)には記載がありません。
 また、
Wöreterbuchnetz で紹介されている辞典中にも、載っていません。これらの辞典には、方言・日常語を対象としたものもありますが、これで見つからないというのでは、筆者などはお手上げです。(えっ、各辞典の fertig の説明を全部見ていったのかって? いえ、そこまでは・・説明をコピーして、ワープロソフトのワードに貼り付けた後、gegen で検索して出てこなかったという事なんです・・・)

 しかし、
mit jemandem fertig sein は、どの辞典にもありまして、
・「~と手(縁)を切っている。~を相手にしない」(小学館『独和大辞典 第 2 版』、
fertig の項目、1, b「終わった。やりとげられた」)、
・「<話> ~との関係は終わっている。~ともう関係を持ちたくないと思っている」(『クラウン独和辞典 第 3 版』、
fertig の項目、1「できあがった。完成した」)、
・「~と手を切った。~ともうなんの関係もない」(相良守峯『大独和辞典 第 14 版』、
fertig の項目、3「できあがった。終った」)、
・「<口語> ~とのことは終わった」(『マイスター独和辞典 第 7 版』、
fertig の項目、2「終えた。済ませた」)、
などです。
 この
mit jm. fertig sein は、辞典によっては<話>とか<口語>と表記されているように、おもに口語として現在(でも)使われているようです。

 そこで推測しますと、いま問題の
gegen jn. fertig sein mit jm. fertig sein と同じ意味の口語として、ヘーゲルの時代には使われていたのではないでしょうか。ただ、使われていた地域が限定されていたとか、その後すたれてしまったとかしたために、上記 Wöreterbuchnetz の辞典類には記載されなかったと思われます。
 もし意味が同じだとすれば、
gegen は「(関係・態度)対して」(相良守峯『大独和辞典』の gegen の項目、3)の意味になります。
 下記の「用例」によって、
gegen jn. fertig sein が「~に対して関係を持とうとはしない」の意味でいいかどうかを、検討したいと思います。

 用例:
Indem jener [= der gemeine Menschenverstand] sich auf das Gefühl, sein inwendiges Orakel beruft, ist er gegen den, der nicht übereinstimmt, fertig;
 「常識 [にとらわれた人] は、感情という心のうちの神託をたてに取ることで、自分と一致しない人に対しては関係を持とうとはしない。」
(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 47. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 64)

 上記引用文はセミコロンで終っていますが、セミコロンの用法の 1 つに、
 「並列の複合文を構成する単一文にそれぞれ [意味上の] 重みがある場合・・・コンマの代わりにこれ [=セミコロン] をそ [れら単一文] の中間に置く。ことに・・・因果的の並列複合文に用いられる」(桜井和市『改定 ドイツ広文典』、475-476 ページ)
というのがあります。例えば、

 
Er hat mir lange nicht geschrieben; ich weiß daher nicht, wie es ihm jetzt geht.
 「かれは長いこと手紙をくれない。だから私はかれがいまどんなにしているか知らない」。(同書、476 ページ)
 そして、問題となっている gegen jn. fertig sein の意味が「~に対して関係を持とうとはしない」だとしますと、この箇所は上記のセミコロンの用法にかなっていることになり、また文意も納得のいくものになります。といいますのは、上記引用文には、
 「この常識 [にとらわれた人] は、宣言するにちがいない、同じものを自らのうちに見いだして感じない人には、もう言うべきことをもたないと」
という文が続くのですが、「関係を持とうとはしない」から(原因)、「もう言うべきことをもたない」とつれなく宣言する(結果)わけです。
 したがって、「~に対して関係を持とうとしない」の意味に解してよさそうです。


fertig (mit et. fertig werden) (V. 1.0.) → gegen jemanden fertig sein
 意味:
(困難な課題など)を成しとげる。

 解説:
mit et. fertig werden には、 たんに「・・・を終える」のほかに、「(困難な課題など)を成しとげる」という、力の入った意味もあります(小学館『独和大辞典 第 2 版』の fertig の項目、1, b)。

 用例:
Wenn die Tätigkeit, die mit dem Dasein fertig wird, . . .
    「現存するものを成しとげる活動が・・・」
(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 26. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 35)


fodern, Foderung (V. 1.1.)
 意味:
fordern(要求する)と同じです。したがって、 FoderungForderung のことです。

 解説:
相良守峯『大独和辞典』によれば、現代では「方言・詩語」の扱いです。小学館『独和大辞典』には、記載がありません。

 用例: . . . bei meiner Foderung, hier zu drucken . . . 「・・・当地で印刷するようにという私の要求・・・」
 (ヘーゲルの 1806 年 8 月 6 日付のニートハンマー宛手紙。
Briefe von und an Hegel, hg. von J. Hoffmeister, Felix Meiner, 1969. Bd. 1,
S. 113


fordern (V. 1.1.)
 意味:
(1) (誰かに)要求する。(2) 欲する。求める。望む。

 解説:
「要求する」と「欲する」は、異なります。A が欲しい(A をしたい)という欲求があって、それを実現するために A (ないしそれに関連した B)をある人/組織に要求することになります。ところで手元の独和辞典(相良守峯『大独和辞典』、小学館『独和大辞典 第 2 版』など)には、fordern の項目に、「欲する。願望する」の意味は記載されていません。

 そこで『ゲーテ辞典』
fordern を引きますと、よく使われる「(1) 要求する」という意味は、3 に記載されています:
3
an jdn (selten: eine Sache) eine Aufforderung richten . . . (ある人に(事物に対しては、まれ)要求をする。)

 「(2) 欲する。願望する」の意味が記載されているのは、「2, a, α」のようです:
2 et (Bestimmtes) verlangen . . . (あるものを(特定のものを)求める)
  
a als subjektive Willensaüßerung . . .(個人的な意志/意向の表明として)
    
α et nachdrückl wünschen, begehren, auch: nach jdm verlangen (あるものをつよく願う、欲する。また、ある人に会いたがる/ある人を恋しがる)

 この「2, a, α」の用例の 1 つですが、
 
(Therese) Sein (Wilhelms) Verstand hat mich gewählt . . sein Herz fordert Natalien
 [訳しづらいものがありますが(笑)、こういうところじゃないかという事で] 「(テレーゼ曰く)彼(ウィルヘルム)の分別は、私を選びました・・・彼の心はナターリエに向かっているのです」。 [この後を知りたい人は、『ウィルヘルム・マイスターの修業時代』を読んでください。]
 いずれにしましても、この用例の fordert は「(1) (誰かに)要求する」を意味するのではなく、「(2) 欲する」です。

 (2) の用例: . . . so wird von da aus zugleich für die Darstellung der Philosophie vielmehr das Gegenteil der Form des Begriffs gefordert.
    
「・・・このことからは同時に、概念的形式とはむしろ反対のものが、哲学の叙述のために求められることになる。」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 10. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 12f
  なお、この用例中の gefordert を「要求される」ではなく、欲するの受動形の意味での「求められる」と訳したことについては、こちらを参照して下さい。


Forderung (V. 1.1.)
 意味:
(1) (誰かへの)要求。(2) 欲求。願望。

 解説:
「要求」と「欲求」は、異なります。
A が欲しい(A をしたい)という欲求があって、それを実現するために A (ないしそれに関連した B)をある人/組織に要求することになります。ところで手元の独和辞典(相良守峯『大独和辞典』、小学館『独和大辞典 第 2 版』など)には、Forderung の項目に、「欲求」の意味は記載されていません。

 そこで『ゲーテ辞典』
Forderung を引きますと、以下のように分類されています:
1
nachdrückliches Verlangen . . . (強く求めること。強い欲求/欲望/願望/要求/要望)
  
a als subjektive Willensaüßerung . . .(個人的な意志/意向の表明として)
    
α als Ausdruck persönl Wünsche (個人的願望の表現として)
    β 省略
    γ 省略
    δ 
als an jdn, etw gerichtete Anforderun . . . (人や物に向けられた要求/請求として。)

(1)
Forderung をふつう「要求」と訳すときの意味は、上記の「1 a δ」に相当するようです。

(2) 「1
a α」としての意味は、「欲求/願望」だと思います。用例の 1 つに、
 
Ferdinand wuchs mit der unangenehmen Empfindung heran, daß ihm oft dasjenige fehle, was er an seinen Gespielen sah . . So wuchs er heran und sein F-en [Forderungen] wuchsen immer vor ihm her
 「フェルディナント [男名] は、彼の遊び友達は持っていても、彼にはないものがしばしばあるという、不愉快な感情をだいて成長した・・・だから、彼は成長したのではあるが、彼の欲求がいつも彼より前に生長したのである」。
 この用例での
Forderungen は、フェルディナンドが彼の親にした「要求」ではなく、彼の心の「欲求」と解釈するのが自然でしょう。

(2) の用例: . . . so wird von da aus zugleich für die Darstellung der Philosophie vielmehr das Gegenteil der Form des Begriffs gefordert.
    
「・・・このことからは同時に、概念的形式とはむしろ反対のものが、哲学の叙述について求められることになる。」((ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 10. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 12f


     Die Forderung von dergleichen Erklärungen sowie die Befriedigungen derselben gelten leicht dafür, das Wesentliche zu betreiben.
    「既存の哲学体系についての説明を欲することや、この説明で満足することが、ともすればなにか本質的なことを行っているように見なされる」。(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 10. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 12f
 なお、この用例中の Forderung を「要求(する)」ではなく、「欲する(欲求)」と訳したことについては、こちらを参照して下さい。


formaliter (V. 1.0.)
 意味:
形式的に。(materialiter と対比をなします)

 解説:
ラテン語の副詞 formāliter (形式上。形相のもとに)からの借用語です。


 用例:
Sie [= Schelling] . . . vereinigen nun die Nebenglieder nicht materialiter durch Einsicht, sondern formaliter . . . (1802 年 1 月 15 日付のフィヒテのシェリング宛手紙。1856 版『フィヒテとシェリングの、哲学的往復書簡集』では、S. 122f. 『『アカデミー版フィヒテ全集』では、III, 5, S. 111f.


fortleitend (V. 1.0.)
 意味:継続的。絶えざる。


 解説:
『ゲーテ辞典』fortleiten を引きますと、a
の項目の最後の方に、
 
im PartPräs: weiterführend, . . .(現在分詞では、weiterführend・・・[の意味])
とあります。

 weiterführend
は、「さらに先へ導く、さらに前進させる、継続的」という意味です(小学館『独和大辞典 第 2 版』の weiterführen の III weiterführend の項目と例文)。

 用例:
[die] fortleitende Ausbreitung des Reichtums der Substan . . .
     「豊かな実質の継続的進展」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 13. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 16)



Freund (V. 1.0.)
 意味:
Geschäftsfreund)取引先

 解説:
相良守峯『大独和辞典』の Freund の項目、1, b に、この意味が出ています。。


 用例:
. . . das [= Niethammers Heroisches Mittel] aber dem Freunde umso weniger weitere Ausreden übrig ließ, . . .
     「このこと [=ニートハンマーの英雄的な仲介] によって相手 [ゲープハルト] は、さらに言いのがれをする余地がいよいよなくなり・・・」(1806 年 10 月 8 日付のヘーゲルのニートハンマー宛手紙。Briefe von und an Hegel, Bd. 1, 1969, S. 119)



  G

Ganze (am Ganzen)
 (V. 1.1.)
 
意味:
おそらく im Ganzen と同じで、
・「全体として見れば, 全般的に言って」(小学館『独和大辞典 第 2 版』の
ganz の項目、III, 1, b)、
・「大体, 一般に, 全体で」(相良守峯『大独和辞典』ganz の項目、III, 1
という意味だと思います。

 解説: am Ganzen という熟語は、
・上記 2 つの辞典には記載がなく、また例文中にも登場していません。
・グリム『ドイツ語辞典』の GANZ の項目では、C. 3) の例文中に
am ganzen が登場しますが、ここでの das ganzedie jungferschaft [= jungfernschaft, 純潔、処女性] の意味なので、不適です。
『ゲーテ辞典』
Adelung にも、登場していません。

 用例: Was . . . am Ganzen erspart ist, ist das Aufheben des Daseins; 
    「・・・全般的にしなくてすむのは、現存するものを止揚することである。」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(
Vorrede)」。ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 34。807 年の初版に基づいた『アカデミー版全集』( Bd. 9, S. 26 に相当)では、別の表現になっています。)



Gegensatz (im Gegensatz gegen ) (V. 1.2.)
 
意味:~に対(対置)している。(だと思います)

 解説
Gegensatz とあれば、つねに「対立」と強く訳してしまいがちです。「対立」というのは、一方が勝てば他方は負けるという、状態のことです。(えっ、「対立」は「対置」も含む? それは、ジャーゴンでの用法でしょう)。
 しかし、
Gegensatz の意味としては、「対照。対比。対置」も念頭に置いておくべきでしょう。例えば、小学館『独和大辞典 第 2 版』には、im Gegensatz zu et. の訳として、「~とは対照的に。~とは異なり」が挙げられています(なお、im Gegensatz gegen et. の記載はありませんでした)。

 用例: . . . das Fixe des reinen Konkreten, welches Ich selbst im Gegensatze gegen unterschiedenen Inhalt ist . . .  
 「純粋に具体的なもの――これは、いろいろと区別ある内容に対しているところの自我そのものであるが――、これのもつ固定性を・・・」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(
Vorrede)」。『アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 28. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 37)


gehen (in sich(4格) gehen) (V. 1.0.)
 
意味:考えこむ。反省する。

 解説
in sich gehen は熟語で、上記の意味が、
・相良守峯『大独和辞典』の
gehen の項目、I, 17 に、
・小学館『独和大辞典 第 2 版』の sich の項目、1, a), 6 に
記載されています。

 ヘーゲルの著作でこの熟語が出てきますと、「自己のうちへと戻る(帰る)」と訳しがちです。しかし、「(自己のうちへ)戻る」の意味で、動詞
gehen が(zurückgehen ではなく)使われたことは、なかったように思います。

 用例: . . . und nun, statt dass es [= das Denken] im Prädikate in sich gegangen die freie Stellung des Räsonierens enthielte . . .
   「そして、今や思考は述語において、考えて理屈ばかりを言うような自由な立場をとるのではなく・・・」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(
Vorrede)」。『アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 44. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 59)


gehen (verloren gehen) (V. 1.0.)
 
意味:なくなる。

 解説:相良守峯『大独和辞典』の
gehen の項目、I, 16 に出ています。

 用例: Das Denken . . . fühlte sich, da das Subjekt verloren geht, vielmehr gehemmt . . .  
 「思考は・・・主語がなくなるものだからむしろ自分が阻止されて・・・いるように感じたのである。」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(
Vorrede)」。『アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 28. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 37)


Genügsamkeit (V. 1.0.)
 
意味:(1) 寡欲(かよく。欲が少ないこと)。知足(ちそく)。(2) 自己満足。独善。

 解説
Genügsamkeit には、「寡欲」といういい意味のほかに、否定的な「自己満足。独善」があります。ゲーテ辞典』の Genügsamkeit の項目 4 を見ますと:
 4 iSv Selbstgefühl, Selbstgerechtigkeit

 「自信(自負)、独善(ひとりよがり)の意味で [使われる]」


 用例: Noch weniger muss diese Genügsamkeit . . . darauf Anspruch machen, . . .
    「ましてや学問を捨てさるこうした自己満足から・・・などと、言いはってはいけないのである。」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」、GW版、第9巻、14 ページ。ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』では、第3巻、17 ページ)

 上記の用例の前の段落では、Genügsamkeit は (1) の寡欲の意味で使われています。したがってこの用例でも、皮肉のこもった「寡欲」かと、はじめは思ったのでした。しかし、「自己満足。独善」の意味が一般的に成立しているのであれば、ヘーゲルの意識のなかで「寡欲」から「自己満足」へのずれ(移行)が起きたと見るのが、自然ではないでしょうか。そこで、拙訳では「自己満足」にしています。
 なお、
noch weniger については、その項目をご覧ください。


gewiss (V. 1.0.)
 意味:副詞としては、「おそらく、多分」の意味が、「確かに」のほかにあります。


 解説:
小学館『独和大辞典』には記載されていませんが、相良守峯『大独和辞典』には、以下の例文とともに載っています:
   
das haben Sie gewiss auch schon gejört, 多分あなたはもうお聞きのことかと思いますが。


greiflich (V. 1.0.)
 
意味: greifbar と同じ意味で、「つかみ得る、具体的な、明瞭な」です。

 解説:
小学館『独和大辞典』には記載されていませんが、
相良守峯『大独和辞典』には記載されています。


Grund 4格+3格+zum Grunde legen) (V. 1.0.)
 
意味: 4 格を 3 格の基礎におく(の意味だと思います)。

 解説:相良守峯『大独和辞典』には、
zugrunde の項に、「zugrunde legen, (の)基礎にする; er legte seiner Predigt den Text zugrunde, 彼は聖書の章句をもとにして説教をした」が載っています。
  zum Grunde legen の形では、前記辞典や小学館『独和大辞典』(第2版)には記載されていませんが、ドイツ観念論関係の文献では、よく使われます。反対に、zugrunde legen は見かけない?



  H

haben aus (V. 1.0.)
 意味:
~から引用する

 解説:
ちょっと特殊な意味で、気付きにくいのですが、相良守峯『大独和辞典』で haben を引くと、「I, 4. 得ている」の例文として:
 「Das hat er aus dem Cicero, 彼はそれをキケロから引用した」とあります。

 用例: was er [Bardili] aus Ihnen [Fichte] und von Ihnen hat. 彼は貴方から何を引用し、継承したか(1801 年 5 月 24 日付のシェリングからフィヒテ宛の手紙。1856 年版では、78 ページ。『アカデミー版フィヒテ全集 III, 5』では、41 ページ。なお、下記の
haben von ~ も参照して下さい。)


haben von  (V. 1.0.)
 意味:
~から継承する。

 解説:
これも、相良守峯『大独和辞典』の haben I, 4. の例文に:
 「Ich habe es von ihm, b) 私はそれを彼から受け継いだ」があります。

 用例:
was er [Bardili] aus Ihnen [Fichte] und von Ihnen hat. 彼は貴方から何を引用し、継承したか(1801 年 5 月 24 日付のシェリングからフィヒテ宛の手紙。1856 年版では、78 ページ。『アカデミー版フィヒテ全集 III, 5』では、41 ページ。なお、上記の haben aus ~ も参照して下さい)


Haltung (V. 1.2.)
 意味:
(内面やあり方が表れた)態度や振舞(ふるまい)方。

 解説:
Haltung の意味の 1 つに、「態度。振舞」があります。詳しい説明を求めて、グリム『ドイツ語辞典』を引きますと、3), a) に、
 
bei personen bezeichnet es die art und weise des sich verhaltens, das gebahren [= gebaren] jemandes
 「人の場合にはこの語は、振る舞い方、態度を意味する」。

 また、『ゲーテ辞典』では Haltung 2 番目の意味として、以下のように記載されています:
 
Auftreten, Betragen, Verhalten, bes insofern es eine bestimmte Grundeinstellung, Wesensart ausdrückt, ihr entspricht;
 「とくに、ある特定の基本的態度や存在の仕方を表現したり、それらに対応しているような行動や振舞、態度。」
 つまり、たんに外部からの刺激によって引き起こされる行動ではなく、内面やあり方が表れた振舞のようです。

 用例:
. . . nicht der Begriff, sondern die Ekstase . . . soll die Haltung . . . des Reichtums der Substanz sein.  
    「概念ではなくて恍惚(こうこつ)が・・・豊かな実質の振る舞い方であ(る)・・・というのである。」(『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」, アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 13. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 16)


Hand (vor der Hand) (V. 1.0.)
 意味:
さしあたり。当分。

 解説:
相良守峯『大独和辞典』の Hand の項目の 7 に、vor der Hand として記載されています。


heben (V. 1.0.)
 意味:
除く、(誤り、困難などを)排除する。解決する。

 解説:
相良守峯『大独和辞典』および小学館『独和大辞典』(第2版)に記載されていますが、初心者には気づきにくい意味です。


herabtreiben (V. 1.0.)
 意味:
(こちらの)下側へ追い立てる、追いやる、追放する(ゲーテ辞典では:
nach hier unten (ver)treiben

 解説: この平凡にみえる単語、管見の範囲では、『ゲーテ辞典(
Goethe-Wörterbuch)』に記載されているだけです。意味は、外見からの予想通りだったのでした。
 しかし、よほど数奇な星の下で生まれたとみえ、ヘーゲルがシェリング哲学を本人に向かって批判した――恐らく唯一の箇所でしょう――手紙の一節で、使われたのでした。したがって、この語に派生した意味でもあって、それを知らなかったばかりに誤読してしまった、というのでは目もあてられません。(そういう場合、「ぁあっ、ソウだったんですかー」と絶叫して、迫力でその場をのり切るというのが、よく取られている方法です――ご参考になればと思います)
 そこで、いささかリキを入れて、この語の意味を調べたのでした。なお、前記の一節を下記の「用例」で示します。

 用例
. . . der Plattheit, die besonders mit deinen Formen soviel Unfug und Deine Wissenschaft zu einem kahlen Formalismus herabtreibt, . . .
    「とりわけ君の [提示した] 諸形式をひじょうに損ない、君の学問を不毛な形式主義へと追いやった平板さ・・・」(Briefe von und an Hegel, Bd. I, hg. von J. Hoffmeister, 3. Auflage,1969, S. 162.)
 なお、この用例中の 4 格目的語 Unfug の動詞は、後置されている herabtreibt だと思います(小学館『独和大辞典 第 2 版』や相良守峯『大独和辞典』の
Unfug の項目には、Unfug treiben 「乱暴(悪さ)をはたらく」という表現が記載されています)。
 mit deinen Formen mit は厄介ですが、
mit を伴う名詞・代名詞を目的語のように訳す場合」(相良守峯『大独和辞典』の mit の項目, I, 1, b)だと判断しました。
 したがって、mit deinen Formen . . . Unfug . . .herabtreibt で、「君の諸形式に、悪さをする(損なう)」になります。


herauswerfen sich (V. 1.0.)
 意味:
発出する。発動する。(このような意味だと思われます)

 解説:
herauswerfen Goethe-Wörterbuch で引きますと、
 
von (hier) drinnen nach draußen werfen 「(こちらの)内から外へと投げる」
という意味が、文字どおりにも、また比ゆ的にも出ています。
 そこで、
herauswerfen が再帰代名詞 sich を伴うときには、「発出する。発動する」といった意味になるのではないかとおもいます。

 用例: . . . wo das Allgemeine oder Wesen als Licht, das Besondre sich als Körper, nach allen dynamischen Bestimmungen, herauswirft.
 「そこでは、普遍的なもの、すなわち本質はとして発出し、特殊的なものは物体として、すべての力学的諸規定に従いつつ発動するのである。」(『自然哲学についての考察』の「序文への付記」, S. W., II, S. 68)


hervornehmen (V. 1.0.)
 意味:
(改めて)~に取り組む(従事する)。~に力(時間)をさく。

 解説: 手持の辞書には記載されていないので、オンラインの Wörterbuchnetz で検索すると、Goethe-Wörterbuch の辞書でヒットしました。いろいろな意味があるのですが、下記の「用例」での用法に適した意味としては、
 
sich (erneut) mit etwas beschäftigen(改めて)~に取り組む」
が適当です。

 他の意味には、「(戸棚や容器などから)取り出す」があります。グーグルの「翻訳」を用いると、この「取り出す」で訳出されます。


 用例: Seit einiger Zeit habe ich das Studium der Kantischen Philosophie wieder hervorgenommen, . . . 「しばらく前から、ぼくはカント哲学の研究に、また取り組みだした。・・・」(ヘーゲルのシェリング宛手紙(1795 年 1 月末。Briefe von und an Hegel, Felix Meiner, Bd. 1, S. 16. / F. W. J. Schelling. Historisch-Kritische Ausgabe, Bd. III, 1. S. 18)


hervortreiben (V. 1.0.)
 意味:
現す。出現させる。

 解説: この語は『ゲーテ辞典記載されており、その 2 で以下のように説明されています:
 「2 他動詞:(自分のうちから)生み出す、あるいは、出現させる(
zum Vorschein bringen)。

 用例: die Anstrengung . . . ist mehr das unvermittelte Hervortreiben des Innern . . .
   
「・・・しようとする [個人の] 努力は・・・むしろ内的なものを媒介をへないで出現させ・・・ることである。」(『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」, アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 28. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 37)


hin und wieder (V. 1.0.)
 意味:
あちらこちらに。

 解説:
この熟語の意味は、相良守峯『大独和辞典』の hin 7 に記載されています。

 用例:
. . . und auf der die Bewegung hin und wieder läuft.
     「またその上であちらこちらへの運動がなされる。」(『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」, アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 42. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 57)


hinwegnehmen (V. 1.0.)
 意味:
解放する。自由にする。

 解説:
hinwegnehmen の語は、『ゲーテ辞典(Goethe-Wörterbuch)』に記載されており、その 2 b において、
 「また、あるものから解放する
befreien)という積極的なニュアンスも持つ
と、述べられています。

 用例:
Daher ist alles Organische aus der Reihe von Ursachen und Wirkungen gleichsam hinweggenommen.
     「したがって、有機的なものすべては、原因と結果の連鎖からはいわば解放されている。」(シェリング『知識学の観念論を解説するための論文集』(1796/97), SW, Bd. I, S. 387)


historisch (V. 1.0.) → historische Notiz
 意味:
(1) 歴史的な。歴史上の。(2) これまでの経緯(について)の(記述)。

 解説: (1) グリム『ドイツ語辞典』ではhistorisch は、geschichtlich とだけ説明されています。geschichtlich とは「歴史上の。歴史的の。史実の」という意味です(相良守峯『大独和辞典』)。また、小学館『独和大辞典 第 2 版』にはこれらの訳語に加えて、「歴史に関する。歴史的意味<価値>のある」とあります。さまざまなニュアンスを伴いながらも、いずれも歴史(広くとれば、過去の出来事)に関することを表しているようです。

(2) 名詞の
Historie には、世界史や日本史などのいわゆる「歴史」の意味のほかにも、「(Begebenheit)出来事(実際の);・・・(Bericht)報知」などの意味もあります(相良守峯『大独和辞典』)。つまり、歴史的大事件だけではなく、過去に起きた出来事といったもの(またその記述)も、Historie表します。
 そこでその形容詞
historisch も、「過去の出来事の(またその記述の)」という意味をもち、なじみのいい訳にすれば「これまでの経緯(について)の(記述)」となるでしょう。
 グリム『ドイツ語辞典』historisch の次の用例は、この意味で使われているようです:
 
. . . er [= der Brief] ist ganz historisch (enthält nur bericht, keine reflexion). Göthe
 「その手紙は、すべて過去の出来事についてである。([つまり、その手紙は] たんに [過去の事実の] 報告を含むだけで、それへの反省は書かれていない)。ゲーテ」 [なお、( )の部分は、辞典の編集者の注記でしょう――筆者]
 そこで、
historisch に記すときには、過去の事実だけが書かれ、感想や評価は含まれません。



Horos (V. 1.0.)
 意味:
定義。

 解説:
この語は、下記の「用例」のように、『精神の現象学』で登場します。そこでの意味が、上記の「定義」ということです。
 もとのギリシア語は、ὅρος です。ὄρος ないし ὀρός ではありません(o の上のコンマの向きや、数に注意。拡大表示してみて下さい)。ヘーゲルは、元のギリシア語をラテン文字に変換して、ドイツ語の名詞扱いしているので、頭文字は H の大文字になっています。しかし、この語は古典ギリシア語辞典の LSJ では、ὅ の小文字で出ています。
 同辞典で ὅρος を引きますと、4 番目の項目に、次のようにあります:
 
IV. in Logic IV. 論理学で)
   
b. definitionb. 定義)

 用例:
Dieses prophetische Reden . . . blickt verächtlich auf die Bestimmtheit (den Horos) . . .
     「そのように預言者的に話す人は・・・規定性(ホロス [=定義])をさげすむような目で見て・・・」(『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」, アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 14. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 17.)
 この引用文での Horos を、「定義」の意味に取る理由は――
 ヘーゲルが die Bestimmtheit と書いたとき、この語には「確実性。明確さ。断固としていること」などの意味もありますので、読者に「概念的な規定性」の意味だということが伝わらない恐れがある、と思ったのでしょう。なるほど、私たちは彼の著作で Bestimmtheit とあれば、まず「規定性」だと考えます。しかし、『精神の現象学』は、まだほとんど無名だった彼の最初の著作でした。
 そこで、ドイツ語で解説を加えるよりも、当時の知識層であればほとんどの人が知っていたと思われる、古典ギリシア語の論理学用語
Horos (定義)で、簡潔かつアカデミックに意味を補ったのでしょう。類語の Bestimmung を用いていれば、より「規定。定義」の意味が伝えられやすかったのでしょうが、個々の「規定」ではなく、一般的なものが念頭にあったので、Bestimmtheit にしたのだと思います。
 ちなみに、ギムナジウムではギリシア・ラテン語が教えられていますし、当時の大学の共通教育である自由 7 科には、論理学(弁証術)も含まれています。そして、古典論理学が完成するのは古代ギリシアですから、大学教育を受けた人であれば、論理学の主要用語はギリシア語で知っていたと思われます。
(1) では、どうしてギリシア語で ὅρος としなかったのかですが、
・そこまでアカデミックにすると、かえって読者の一部に負担を与えると思われた、
・新興の小版元ゲープハルト書店(の植字工)では、ギリシア語は無理だと懸念した、
などの理由が考えられます。

(2) この
Horos を「限定。限り」の意味に取っている訳書がありますが、
 (i) 一般読者がHoros で、まずその意味を思いつく(とヘーゲルが考える)ものかどうか、
 (ii) たとえ思いついたにしても、「何の限定?」とかえって疑問に思わぬものかどうか、
定かではありません。そこで、一般的意味としては「限定」で間違ってはいず、またヘーゲル哲学をいささか知っている私たちには通りがよくとも、この場合には不適だと思います。


  I

in (in Zeit(en))


indem (V. 1.0.)
 意味:なぜならば(理由を表す従属の接続詞)。

 
解説:相良守峯『大独和辞典』では、4番目に「(weil)・・・の故に」と、あります。小学館『独和大辞典』(第2版)には、この意味での記載はありません。この理由を表す indem は、ドイツ観念論関係の文献には、よく出てきます。


indessen (indes) (V. 1.2.)
 
意味:
(1) (副詞として)しかしながら。(2) (接続詞として)~であるのにひきかえ。~である一方では。

 解説:
(1) 副詞としての意味について:
 小学館『独和大辞典 第 2 版』には、副詞として上記の「しかしながら」という意味が、記載されています。しかし、相良守峯『大独和辞典』には、接続詞では「しかしながら」の意味が記載されていても、副詞としてはありません。そこで不安になり、グリム『ドイツ語辞典』を引きますと、
 
2) auch verblaszt, nur einen bestehenden leisen gegensatz bezeichnend:
   「また、弱く、たんにぼんやりと存する対立を示す」
とあり、その後には副詞の用例が出ています。そこで、
indessen (indes) は副詞としても、「しかしながら」の意味を持つこと分かります。


(2) 接続詞としての意味について:
 接続詞として
、「~であるのにひきかえ」という意味以外に、「~しているうちに」があります。文脈によっては、どちらの意味なのか迷うところです。しかし、シェリングは「~であるのにひきかえ」という意味で、使用しているようです。

 
用例:
. . . dass es doch der Mathematiker . . . nur mit dem Konstruierten zu tun hat, was sich allerdings äußerlich darstellen lässt, indes der Philosoph lediglich auf den Akt der Konstruktion selbst sieht, der ein absolut innerer ist.
   
「・・・数学者は、構成されたものにのみかかわる。この構成されたものは、むろん外的に表される。それに対し哲学者は、ただ構成する行為そのものに注意を向けるのであるが、この構成行為は絶対的に内的なものである。」(シェリング『超越論的観念論の体系』、1800年のオリジナル版、 S. 19.)


Ineinsbildung (V. 1.0.)
 意味:一体化(のような意味だと思います)。

 解説:グリム『ドイツ語辞典』には、
Ineinsbildung の項目はあるのですが(ineinsbilden は無し)、意味は記述されておらず、ただ以下の用例が載っています:
 
die ineinsbildung der Fichte-Schellingschen principien. Hall. jahrb. 1840 s. 498.
 これは、「フィヒテとシェリングの原理の一体化」と訳して、大過ないと思われます。文字どおりにとると、「一つのもの(
Eins)への(in)形成(bildung)」ですから、「一体化」というわけです。

 
用例:
. . . Endlich absolute Ineinsbildung oder Indifferenzierung der beiden Einheiten . . .
 
「最後に、上記 2 つの統一の絶対的な一体化、すなわち無差別化を・・・」(『自然哲学についての考察』の「序文への付記」, S. W., II, S. 68)


Inkommensurabilität (V. 1.3.)
 意味:(1) 同じ基準で、共に 2 つのものを測定できないこと。(2) (この(1)の語源的な意味から、)同じ概念で、共に 2 つのものを説明できないこと。(3) (より簡単には、)比較が不可能であること。
(小学館『独和大辞典 第 2 版』では、inkommensurabel は、「同一尺度では測れない; 比較が不可能な」と訳されています。
Inkommensurabilität では、出ていません。)

 
解説:この語はふつう「通約不可能性(通約できないこと)」
などと、訳されます。しかし、「通約」とか「約分」は、数学の分数について言われることなので、分数以外のものに関して使われますと、しっくりきません。かんたんに、「比較不可能(性)」と訳した方がいい場合もあります。
 なお、ラテン語の語源は、incommensurabilisです。in + com + mensurabilis という構成になっていますが、ODE によれば、
in は、「~でない」、
com は、「共に」、
mensurabilis は、mensurare 「測定する」から派生したものです。

 用例: . . . und wo sie [die Mathematik] den Durchmesser des Kreises mit der Peripherie vergleicht, stößt sie auf die Inkommensurabilität derselben, d. h. das Verhältnis des Begriffs, ein Unendliches . . .
 
    「また、数学において円の直径と円周とが比べられるとき、比較不可能性におちいってしまう。つまりこれは概念的関係であり、無限なもの [3.1415 . . .] であって・・・」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 34. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 45)


insbesond(e)re (V. 1.0.)
 意味: 個々に。別々に。

 解説:
insbesondere は、ふつうは「特に。とりわけ」の意味に使われます。しかし、相良守峯『大独和辞典』にはそれ以外に、「個々(別々)に」の意味も出ています。

 用例 Wo . . . der eine Moment . . . objektiv wird, da muss auch der andere Moment . . . , sowie der . . . zugleich objektiv und jeder insbesondre unterscheidbar werden.
     「 1 つの契機が・・・客観化するところでは、別の契機も・・・、また同じく、・・・ [の] 契機も、同時に客観化しなければならない。」(シェリング「[『自然哲学についての考察』の] 緒論への付記」, S. W., II, S. 65)



Inwendig weiß er, aber auswendig nicht. (V. 1.1.)
 意味:
彼は、それを本当には知らない。(小学館『独和大辞典 第 2 版』inwendig の項目の II

 解説:
inwendigauswendigを対照させた慣用表現です。これを意識しながら、それとは逆の表現をしているのが、以下のヘーゲルの用例です。

 用例:
. . . der die Theoreme Euklids auswendig wüsste, ohne ihre Beweise, ohne sie, wie man im Gegensatze sich ausdrücken könnte, inwendig zu wissen.
     
ユークリッド幾何学の諸定理を暗記auswendig)してはいても、それらの証明を知らない人は、つまり―― [慣用表現とは] 逆に言ってよければ――諸定理を内的には(inwendig)知っていない人は・・・」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 31f. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 42)


inzwischen (副詞) (v. 1.1.)
 
意味:
とはいえ。しかし。

 解説:副詞の inzwischen には、逆接の意味もあります。
 『ゲーテ辞典』を引きますと、「(多かれ少なかれ明瞭に)逆接のはたらき、あるいは
[前に述べたことを] 相対化する働き [をする]」とあります(A, 2)。そして同意語として、
indessen(しかしながら), hingegen (それに反して), jedoch (しかし)が挙げられています。
 グリム『ドイツ語辞典』では、「
indessen (しかしながら)や unterdessen (~ではあるが)のように、弱めの対立を導入する」とあります。
 また、
Adelung には、inzwischen は「副詞であり、接続詞である。一般生活では(im gemeinen Leben)あらゆる場合に indessen の代わりに用いられるが、しかるべき文章では(in der anständigen Schreibart)よく避けられる」とあります。したがって、俗語のような感じだったのでしょう。

 用例: Inzwischen kann ich bedenken, dass . . .
     「けれども、こうも考えられるのである・・・」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9 , S. 48. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集, Bd. 3, S. 66.)


irrefragabl (V. 1.0.)
 
意味:反論できない。争う余地のない。

 解説:
irrefragable で、英語の辞書に出ています。

 用例:シェリング『近世哲学史』、オリジナル版(SW版)全集では、I/1.0, 165.


  J

jetzt (vor jetzt)


  K

κατέξοχήν (V. 1.0.)
 意味:
至高の。卓越した。

 解説: ギリシア語は不案内ですので、オンライン上の Wiktionary によりますと、Ancient Greek, "par excellence", from κατά (kata, “toward”) + ξοχήν (exochēn,prominence”)とのことです。
 ちなみに、
par excellence はもともとフランス語で、「この上なく、すぐれて、何にもまして」(『新スタンダード仏和辞典』)であり、better or more than all others of the same kind (Concise Oxford Dictionary) です。
 したがって、κατέξοχήν
とは、たんに優れているのみならず、他のものよりも上である、という意味のようです。


klar (sich über etwas klar werden = sich über etwas klarwerden) (V. 1.0.)
 
意味: ある事がはっきり分かる。ある事について合点が行く。

 解説: この熟語については、相良守峯『大独和辞典』の klar の項目 および klarwerden の項目に、記載されています。

 用例:
. . . bis das Erkennen der absoluten Wirklichkeit sich über seine Natur vollkommen klar geworden ist.
     「・・・絶対的な現実についての認識が、自らの性質を完全に理解するまでは・・・」。(アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9 , S. 17。 ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集, Bd. 3, S. 22.)


Konversation (V. 1.6.)
 
意味:(1) 会話。おしゃべり。(『DUDEN 独独辞典 第6版』によれば教養語(教養階層が好んで用いる言葉)とのことです。)
(2) (著者と読者の)誌上での対談(討論やコミュニケーション)。
(3) 『精神の現象学』の「序文(
Vorrede)」における意味は、上記 (2) おける<誌上での、著者による(読者への)説明>である可能性が大きいといえます。

 解説:(1) 語源と経緯
 語源は、ラテン語の動詞
conversari (keep company (with) ~と付きあう) から派生した名詞 conversatio (交際。社交)です。
・そこから、古フランス語動詞
converser (交わる。付きあう)や名詞 conversation (交わり。交際)となり、
・中期英語の動詞
converse (親しむ。付きあう)や名詞 conversation (意味は、'living among, familiarity, intimacy' [一緒の生活。親交。親しいこと])へと、
・またドイツ語動詞
konversieren や名詞 Konversation へと流入したようです。
・英語動詞
converse の場合は、17 世紀に現在のような「会話する」の意味になりました。(*1)

(2) 意味について
Goethe-Wörterbuch
では(*2)Konversation の意味が a から d の 4 つに渡って記載されています。
 
a はふつうの意味での「会話」で、「教養ある自由な話し合い。洗練されたおしゃべり」です。
 b には、「誌上での対談」が記されています。引用しますと:

 
b pointiert für die Begegnung von Autor u (befreundetem) Leser im Medium des Textes, als besonders intensive Form der gedanklichen Auseinandersetzung, der geistigen Kommunikation
 「b 特化された意味においては、著者と(親しい)読者との誌上での(*3)対談(*4)とりわけ、思想的な討論や知的コミュニケーションが、熱心に行われる形態としての」

 そして、用例が 2 つ出ています:
 
Dieses ist denn doch das höchst Reizende eines sonst bedenklichen Autor-Lebens, daß man seinen Freunden schweigt und indessen eine große C. mit ihnen nach allen Weltgegenden hin bereitet B34, . . .
 「これは、ふつう慎重な作家の人生においてもやはり大変みごとなことであるが、友人たちには黙っていても、彼らとのあらゆる世間のことについてのすばらしい誌上対談を、作家は準備しているのである。(ゲーテの 1821 年の手紙。ワイマール版、第 34 巻)」

 
Da ich das Ganze [BGNiebuhrs ‘Römische Geschichte‘] als C. mit dem Verfasser gelesen und mir ihn möglichst zu vergegenwärtigen gesucht hatte, so wären meine ersten Äußerungen gegen ihn lebhaft und einem Dialog ähnlich geworden B49 . . .
 「私は誌上対談用としての<
B. G. Niebuhr の『ローマの歴史』>すべてを、著者といっしょに読んでいたし、著者をできるだけありありと思い浮かべようとしたので、私の最初の著者に向けての発言は、元気ある対話のようなものになったかもしれない。(ゲーテの 1831 年の手紙。ワイマール版、第 49 巻)」(なお、引用原文中に挿入された [ ] の部分は、辞典のものです。)

 上記の 2 用例からみても、この
b の意味での Konversation は、なんらかの雑誌に著者と読者が、相互に投稿するようなものを指したのだと思います。
 (なお、
c の意味はエッカーマンの『ゲーテとの対話』であり、dinnere Konversation という特殊な用法なので、省略します。)

(3) 『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」においての意味
 Konversation は『精神の現象学』の「序文」において、計 4 回使われています。これらの用例を検討しますと、決定的なことは言えないのですが、ヘーゲルのまず念頭にあったのは、ふつうの意味での「(教養人士の行う)会話」というより、そこから特化した上記 b の「著者と読者の誌上での対談」だったのではないかと思います。
 といいますのは、
Konversation は、ヘーゲル的な哲学の叙述法と対比され、批判されています。「会話」の意味での Konversation は、いかに教養人士の行うものとはいえ、もともと語源からしてもくつろいだ社交の一種です。ふつうに考えると、そのようなものを相手に目くじらを立てて(4 回も登場させているのですから)、ヘーゲルが自説を述べるでしょうか?
 そして、
Konversation と並んで批判されているのは、通常の著作の序文で、著者が読者に対して行うあれこれの説明です。それからすれば、Konversation の場合も誌上での著者と読者の討論・コミュニケーション一般ではなく、著者から読者への著書に関する説明である可能性が大きいと思います。
 つまり、「序文」での
Konversation は、「著者による誌上での説明」といった意味ではないでしょうか。

-------------------------------------------
  
Konversation」の注

(*1) この「語源と経緯」は、手元の辞典(『DUDEN 独独辞典 第6版』、『ゲーテ辞典』、ODE (オックスフォード英語辞典)、小学館『独和大辞典 第 2 版』、相良守峯『大独和辞典』、研究社『羅和辞典』 1980年、『新スタンダード仏和辞典』 2005年)からの寄せ集めです。

(*2) なお、グリム『ドイツ語辞典』
Adelung は、Konversation を記載していません。

(*3)
im Medium des Textes は、文字どおりには「文字を媒介しての」ですが、私的な往復書簡のようなものとしては表現が仰々しすぎますので、おそらく雑誌などにおいて公開されているのではないかと思います。そこで、「誌上での」と訳出しました。

(*4)
Begegnung の意味として、相良守峯『大独和辞典』には「会見(談)」が記載されています(Begegnung の項目、1)。そして、引用文中の Leser が単数形なので、Begegnung を「対談」と訳しています。



  L

lächeln über et.
 (V. 1.0.)
 意味: ~をまじめに取り合わない。

 解説:
小学館『独和大辞典 第 2 版』の lächeln の項目に記載されています。

 用例:
Sie werden frielich über die in demselben angestrichene Stelle . . . lächeln.
     「貴方は、前の手紙で私が線を引いた箇所を・・・むろんまじめに取り合わないかもしれません。」(1802 年 1 月 15 日付のフィヒテのシェリング宛手紙。『アカデミー版全集 III, 5』, S. 111)


leidend (V. 1.0.)
 
意味:受動的。

 解説:
ドイツ観念論関係の文献では、「苦しんでいる、受苦的」の意味ではなく、「(能動的に対する)受動的」の意味で使われます。

 用例:
1) . . . durch die ersten Anwendungen seiner tätigen und leidenden Kräfte . . . (自分の能動的あるいは受動的な能力をはじめて用いることによって)(G. E. シュルツェ『アイネシデモス』、1792 年初版、231ページ).
      
2) フィヒテ『全知識学の基礎』(1794-1795年)の各所。


Lichtfaden (V. 1.0.)
 
意味: 光の糸。

 解説:
『ゲーテ辞典』で Lichtfaden を引きますと、以下のように出ています:
 
iron-distanzierend: für einen körperlich vorgestellten Lichtstrahl
 「[話し手・書き手は] 皮肉っぽく距離を置きながら、[この
Lichtfaden の語を] 有形的に表象された光線として [用いる]。

 用例:
Von allem, was ist, lag die Bedeutung in dem Lichtfaden, durch den es an den Himmel geknüpft war.
    「存在するものすべてが、光の糸によって天空と結びつけられていたのであり、存在するものの意味は、この光の糸にあったのである。」
(『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 13. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』では、III, 3, S. 16.)


lociren (V. 1.0.)
 
意味位置させる。

 解説:
手元の辞書には記載されてないので、Google で検索すると:
Lociren heißt einen Ort geben, anweisen.ここです
 「位置を与える、位置を指定する。」
Lociren, lat.-deutsch, an seinen Platz stellen, setzen; vermiethen.ここです
 
「ラテン語に起源をもつドイツ語:その位置へ置く、そこへ措定する。」

 用例:
. . . keines da tief unten, wo Sie ihn [den Idealismun dr Wissenschaftslehre und der Kantische] lociren.
     「貴方がこれらの観念論を位置させている、下方深くでは決してないのです。」(1801 年 10 月 15 日付のフィヒテのシェリング宛手紙。『アカデミー版全集 III, 5』, S. 91)



  M

machen sich(3 格) (V. 1.1.) machen sich mit etwas zu tun; machen sich zu etwas
 意味:
(ある物を)得る

 解説:sich (3 格) + etwas (4 格) machen の意味は、「或物を得る」です(相良守峯『大独和辞典』の machen の項目 II, 2)。

 用例: In Ansehung des Inhalts machen die Andern sich es wohl zuweilen leicht genug, eine große Ausdehnung zu haben.
     「また別の人たちは、たしかに内容に関してはときおり、容易に広大なものを得ることがある」。(『精神の現象学』の「序文(
Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 16. ズーアカンプ社ヘーゲル著作集』では、III, 3, S. 21.)



machen sich mit etwas zu tun (V. 1.0.) → machen sich; machen sich zu etwas
 意味:
ある物を扱う [だろうと思います]

 解説:相良守峯『大独和辞典』 によれば、sich
mit jemandem zu tun machen の意味は、「或人を相手にする」です(tun の項目 I, 2 での用例)。したがって、人の mit jemandem ではなく、物の mit etwas の場合は、「ある物を扱う」の意味になると思われます。

 用例: . . . indem sie sich vornehmlich mit den Sonderbarkeiten und Kuriositäten zu tun machen . . .
     「彼らは、とりわけ奇妙なものや珍しいものを扱うことによって・・・
 (『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 16. ズーアカンプ社ヘーゲル著作集』では、III, 3, S. 21.)



machen sich (4 格) zu etwas (V. 1.0.) → machen sich; machen sich mit etwas zu tun 
 意味:
(あるもの)になる

 解説:相良守峯『大独和辞典』、machen の再帰動詞の項目、II, 1, c に、
 sich zum Herrn eines Landes machen (ある国の王となる)
という例文がでています。(なお、ここでの sich は 4 格です。)


 用例: . . . Vernunft, die sich zu dem gemacht hat, was sie an sich ist.
     「・・・即自的にそうであるところのものになった理性・・・
 (『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 20. ズーアカンプ社ヘーゲル著作集』では、III, 3, S. 25.)



marklos (V. 1.0.)
 意味:
実質のない。

 解説: marklos は、「髄(ずい)。骨髄。木髄(mark)」の「無い(los)」というのがもとの意味です。しかし、そこから派生した比喩的意味として、「力のない。気力のない。精力のない。弱々しい」があります(小学館『独和大辞典 第 2 版』、および相良守峯『大独和辞典』)。
 この語は、ヘーゲル『精神の現象学』の本文では、2 回使われていますが、「弱々しい」と訳されがちです。しかし、どちらも「髄の無い」という意味でしょう。なめらかに訳すとすれば、「
実質のない」だと思います。この語自体は重要ではありませんが、『精神の現象学』では substantiell の解釈ともかかわってきますので、以下の用例で検討します。

 用例(1):
Weil er nur als Bürger wirklich und substantiell ist, so ist der Einzelne, wie er nicht Bürger ist und der Familie angehört, nur der unwirkliche marklose Schatten.
 「個人はただ市民としてのみ、現実的実質的なのだから、市民なのではなくて家族に帰属するような個人は、非現実的で実質のない(marklose)影にすぎない。」(『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 244. ズーアカンプ版『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 332)


 「用例(1)」の文で、wirklich unwirkliche が対応し、substantiell marklose が対応しているのは見やすいところです。もし unsubstantiell という語がドイツ語にあったとしたら、ヘーゲルは marklos ではなく、その語を使ったことでしょう。
 そこで marklos の意味は、substantiell (実質的)の反対ですから、「実質のない」となります。そして、「影(Schatten)」の形容としても、「実質のない」は適切です。

 用例(2): Dies stille Zusammenfließen der marklosen Wesenheiten des verflüchtigten Lebens . . .
 「揮発した(*1)生がもつ実質のない(marklosen)本質態の静かな合流は・・・」
(『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 355. ズーアカンプ版『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 484)

 この箇所の marklos を「弱々しい」と訳しがちな理由としては、直前の段落で「力にかけた(
fehlt . . . Kraft)」とか「無力(Kraftlosigkeit)」という語が出てきているからでしょう(*2)。しかし、「無力」だと書かれているのは、この段階での「意識」(単数)です。一方、「合流(合流)」する marklosen な「本質態(Wesenheiten.
本質的な諸規定の集まり)」は複数形です。したがって、「無力な意識= marklosen な本質態」とはなりえないのです。
 ではこの個所で、何が複数形で表されているかといえば、「この段階の意識がもつ諸契機(
seiner Momente)」(*3)です。つまり、この段階の意識がおこなう運動において、登場するもの(意識の行為や対象)です。そして、これら諸契機については、前の段落で、「この意識の諸契機は、極度の抽象性である」と言われており、それらは「透明な純粋性」などと形容されています。また、意識が作り出すのは、「うつろな(hohl)対象」です(*4)
 したがって、これらの諸契機は、「実質のない(marklosen)本質態」ということになります。

--------------------------------------------
  
marklos」の注

(*1) 「揮発した(verflüchtigt)」というのは、「拠り所や実質をもたない抽象物」になってしまうことです。(『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 354. ズーアカンプ版『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 482)

(*2) 『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 354. ズーアカンプ版『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 483.

(*3) 『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 355. ズーアカンプ版『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 484, Z. 7.

(*4) 以上の引用は、『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 354f. ズーアカンプ版『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 483f.


materialiter (V. 1.0.)
 意味:
実質的に。(formaliter と対比をなします)

 解説:ラテン語の副詞 māteriāliter (物質的に。本質的に、等など)からの借用語です。


 用例:
Sie [= Schelling] . . . vereinigen nun die Nebenglieder nicht materialiter durch Einsicht, sondern formaliter . . . (1802 年 1 月 15 日付のフィヒテのシェリング宛手紙。1856 版『フィヒテとシェリングの、哲学的往復書簡集』では、S. 122f. 『『アカデミー版フィヒテ全集』では、III, 5, S. 111f.)


mehr aus A machen (V. 1.0.)
 意味:
A をより以上のことだと思う(の意味だと思います)

 解説:etwas (viel) aus et. machen は、「或事 [et.] をかなりの事と思う(重視する)」という熟語です。(相良守峯『大独和辞典』の machen の項目 I, 11。なお、et.etwas の省略形です。)
 したがって、mehr aus A machen は「A をより以上の事だと思う」の意味でしょう。さらに、mehr aus A denn/als B machen は、「AB より以上の事だと思う」ではないでしょうか。


 用例:
. . . dadurch, dass mehr aus ihr [= eine Vermittlung] gemacht wird denn [= als] nur dies, dass sie [= eine Vermittlung] nichts Absolutes und im Absoluten sei, . . .
 「媒介は絶対的なものではないし、絶対的なものの内にも存在しないという、たんにこうした事以上のものとして、媒介が考えられることによって・・・」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 19. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』,Bd. 3, S.25.)



Meinung, die (V. 1.1.)
 意味:
世論。世評。

 解説: die öffentliche Meinung dieMeinung der Leute の意味は、「世論。世評」ですが、die Meinung だけでもそのような意味をもつことは、グリム『ドイツ語辞典』の 10) に記載されています。
 それによりますと、「フランス語の
opinion publique (世論)にならって、前世紀 [18 世紀?] に die öffentliche Meinung
が作られた」。「たんに die Meinung だけでも、フランス語の l'opinion と同様、世論の意味を表す」。その用例には、次のゲーテの文が挙げられています:
 
Antonio. und unsern Zwist entscheide dann das Schwert.
 
Alphons. wenn es die Meinung fordert, mag es sein.
 「アントニオ:そこで、我らの不和は、剣が決するのであろう。
 アルフォンス:そのように世論が求めるのならは、そうかもしれぬ。」
 (草深いいなかに住む身で、ゲーテを訳すようになろうとは・・感慨深いものがあるのでした・・・)

 用例: . . . so ist zu bemerken, dass der Wissenschaftliche Staat . . . schon in der Meinung selbst wenigstens veraltet ist.
 「・・・豪華な学問的装い(Staat)は、すでに世評そのもの(*1)において、すくなくとも時代遅れになっていることに注意すべきである。」(『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 35. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』,Bd. 3, S.47.)


--------------------------------------------
  
Meinung, die
の注

(*1)
金子武蔵訳においては、schon in der Meinung selbst は「すでに世人の見解においてさえ」となっています(『精神の現象学 上巻』、岩波書店、昭和 46 年、45 ページ)。つまり、
selbst を「~でさえ」の意味にとっています。
 (i) しかしこの意味での selbst は、ふつうは強調する語の直前に置かれますし(「時に直後に置かれ」ます。相良守峯『大独和辞典』の selbst の項目 I, 2)、
 (ii) この箇所の近辺では、「世評」を批判する言辞――例えば、概念把握がなされていないなど――は見られません。

 そこで拙訳では、selbst が「語の直後において」使われる場合の(小学館『独和大辞典 第 2 版』の selbst の項目 I, 1, a)、「~自体。そのもの」の意味にとっています。ではなぜヘーゲルは、「世評そのものにおいて」と、「世評」を強調するような表現にしたのかということですが――
 このすこし前の箇所で、ヘーゲルはこれまで通用してきたものに対し、それらは「過去の教養に属する」などと、否定的見解を述べています。そして、「このような [私の] 言い方が、たとえば大言壮語に、あるいは革命的に響くというのであれば――私はそうは思わないが――・・・」と、続けました。この「私はそうは思わない」という論拠を提出したのが、「世評そのものにおいて」だったのです。
 つまり、「豪華な学問的装い [=これまで通用してきたもの] は、すでに世評そのものにおいて、すくなくとも時代遅れになっている
」のであるから、私ヘーゲルのこれまで通用してきたものに対する否定的見解(「過去の教養に属する」)は、大言壮語や革命的なものとはいえない、なぜなら世間一般も私と同じように考えているのだから――というわけです。


Menschenverstand (der gesunde/gemeine Menschenverstand) (V. 1.0.)
 
意味: 人間のもつ理解力。悟性。常識。良識。

 解説: ヘーゲルの『精神の現象学』の「序文(
vorrede)」には、der gesunde Menschenverstand der gemeine Menschenverstand が出てきますが、これらの意味の異同および Menschenverstand との関係はどうなっているのかということですが――
(1)
Menschenverstand とは文字どおりに、人間(Menschenのもつ理解力(Verstand, 哲学用語としては「悟性」)のことです。グリム『ドイツ語辞典』では、「精神的能力としての、人間固有の verstand」と説明されています。Adelung では、「人間がふつうもっているような Verstand」とあります。
 Menschenverstand の訳語としては、
「人知」(小学館『独和大辞典 第 2 版』)、
「悟性」(相良守峯『大独和辞典』 14版)、
「(普通の)人間の理解力。知性」(『マイスター独和辞典』 7版)、
「冷静な思考力」(クラウン独和辞典』第3版)、
などがあります。

(2) そして、グリム『ドイツ語辞典』には、
menschenverstand は、der gesunde, gemeine, tüchtige menschenverstand などと呼ばれる」とあります。つまり、これら 3 つの語句の意味は同じだということです。おそらく、もともと Menschenverstand普通の人間の理解力)の語が有する gesunde (健全な)、gemein (普通の/共通の)、tüchtig (りっぱな)などの性質が取りだされ、形容詞として明示されて Menschenverstand の前に付けられたのでしょう。
 そして、
Duden 『独独辞典 第6版』によれば、Menschenverstand の語が単独で使われることはあまりなく、「たいていは der gesunde M. (正常で明せきな、人間の理解力)という句 [になっている]」ようです。他の 2 つの der gemeine M. der tüchtige M. に言及がないということは、現代では使われていないのでしょう。
 手元の独和辞典では、
der gesunde Menschenverstand Menschenverstand の項目に記載されており、以下の訳語が当てられています:
良識。常識。」(小学館『独和大辞典 第 2 版』)
「常識」(相良守峯『大独和辞典』 14版)、
「良識」(『マイスター独和辞典』 7版)、
「良識」(クラウン独和辞典』第3版)。
 このように書かれていますと、der gesunde Menschenverstand Menschenverstand とは意味が違うような印象を持ちますが、前記のグリム『ドイツ語辞典』にありますように、じつは同じです。私たちとしては、「ふつうの人間の理解力(Menschenverstand)」ということの含意する内容が、「常識」と「良識」という語にあらわれたと理解するのが、便利かと思います。
(なお
der gemeine M. der tüchtige M. は上記いずれの独和辞典にも記載されていません。

(3) 『精神の現象学』の「序文」では、der gesunde M. der gemeine M. が、どちらも一般人のもつ非哲学的な考えの意味で、使われています。両方に同じ訳語を当ててもいいのですが、前者を「良識」、後者を「常識」と訳すことも、可能でしょう。 
 では、ヘーゲルはそれまで 2 箇所で der gesunde M. を使いながら(マイナー社「哲学文庫」2006年, S. 50, Z. 14f.; S. 51, Z. 32. ズーアカンプ版『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 63, Z. 24f.; S. 65, Z. 10)、なぜ 3 箇所目には der gemeine M. を使った(前記「哲学文庫」版, S. 52, Z. 10. 前記ズーアカンプ版, S. 65, Z. 28)のかということですが、おそらくそれは、3 番目の箇所の前後では
gemein および ungemein の語が使われていますが、それらとごろ合わせをするためだと思います。ヘーゲルにはこうしたごろ合わせ――つまりダジャレの類――が多いのでして、それが後年シェリングから、「機知のある人」などと皮肉を言われる原因となったのでした。


Meridian (V. 1.0.)
 
意味: 絶頂期。頂点。[おそらくですが]

 解説: 手元の独和・独独の辞書では、いずれも「子午線。経線」としか記載がありません。これにはビックリしました。英語で
meridian といえば、むしろ「絶頂。頂点」の意味が先にきます。(といっても、私が英語に堪能だということではなく、かつてメリディアン社の CD プレーヤーを愛用していたからなんです。人生で必要なことはすべて、オーディオで学んだような気がするなぁ・・あっ、今はデジカメから再学習しています)
 そこで、
Oxford Dictionary of English を引きますと、語源はラテン語の meridianum で「正午」の意味です。medius (middle) + dies (day) から成立ししています。そこでおそらくは、もともとは南中点(正午に太陽がもっとも高くのぼる点)が、意識されたのではないかと思います。

 用例: Der Philosophische Geist hat hier bereits seinen Meridian erreicht.
     「哲学的精神は、当地ではすでに頂点に達してしまった。」(シェリングの 1795-1-6 (Dreikönigsabend) 付、ヘーゲル宛手紙。Briefe von und an Hegel, Felix Meiner, 1969, Bd. I, S. 13)


merkwürdig (V. 1.1.)
 意味:
(1) 変わった。奇妙な。(2) 注目すべき。(3) 重要な。
 解説:
この語は古典哲学の文献においてはふつう、「注目(注意)すべき」と訳されますが、それでいいようです。また、この意味には「重要な」という含意があります。
 なお、「興味深い(興味ある)」、つまり「知的関心をひくような」という意味はありません。

 (i) 小学館『独和大辞典 第 2 版』では、次のように記載されています:
 「1 (
seltsam) 珍しい, 一風変わった, 変な, (奇)妙な, おかしな, ふしぎな, あやしげな, うさんくさい
  (今日まれになった意味) 2 注目すべき;重要な.」

 (ii) 相良守峯『大独和辞典』では以下のとおりです:
 「記憶すべき; 注意すべき; (
seltsam) 珍しい, 珍奇な, 変な, 奇妙な; (eigenartig) 特色のある, 独特の; (auffällig) 目立つ; (verwunderlich) 驚くべき, 不思議な;」

 (iii) また、
Duden Deutsches Universalwörterbuch, 6. Auflage では(
Duden も、無料のオンラインで引ける時代となったのでした)、
 
Staunen, Verwunderung, manchmal auch leises Misstrauen hervorrufend; eigenartig, seltsam
 「驚きやいぶかしさ、ときにはいささかの不信をよび起こすような。独特な。珍しい。」
 (以上の i, ii, iii の引用文中、「,」などの句読点は、原文のママ)

 (iv) グリム『ドイツ語辞典』によれば、
merkwürdig の元の意味は「記憶すべき。注目すべき」ですが、
・「今日では [19 世紀?] この語に、『人目を引く(
auffallend)』や『奇異な(verwunderlich)』の意味がいささか加えられて(den abgeschwächteren sinn)、よく使われる」
・「しばしば、たんに『尋常ならざるもの』の意味den des auszergewöhnlich starken)でも使われる」
・「また、すこしばかりユーモアさえ伴って使われる」
・「行為や態度によって目立ってしまう人に関して、使われる」

 用例:
Eine Kritik jener Beweise würde eben so merkwürdig als . . . sein, . . .
     「あれらの証明を批判することが、重要でもあり、また・・・でもあろう。」。(ヘーゲル『精神の現象学の「序文(
Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 34. ズーアカンプ版『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 45


mit (V. 1.0.)
 意味:
~に。~を。(間接目的語に相当するものをともなう?)

 解説: mit は多くの意味をもちますが、「mit を伴う名詞・代名詞を目的語のように訳す場合」があります(相良守峯『大独和辞典』の mit の項目, I, 1, b)

 その例文として同辞典に記載されているもののうちに、以下のものがあります:
 ・
Was soll man mit ihm machen? 「彼をどうしたらよかろうか」
 ・
Was hat sie mit ihm vor? 「彼女は彼をどうしようというのか」
 これらの mit にともなわれる ihm は、3 格の間接目的語に相当するようです。

 用例: herabtreiben の項目の用例において、mit deinen Formen で始まる段落を参照して下さい。



Moment, der (V. 1.0.)
 意味:
契機。

 解説:辞書には Moment は、それが男性名詞のときには、「瞬間。時点」という時間を表す意味で、中性名詞のときには、「契機。要因」という思想的な意味で、記載されています。しかし、男性名詞のときでも「契機」の意味で解さねばならない場合が、多いようです。


 用例:
Wo . . . der eine Moment . . . objektiv wird, da muss auch der andere Moment . . . zugleich objektiv . . . werden.
     「1 つの契機・・・が、客観化するところでは・・・別の契機も・・・また同時に客観化しなければならない」。(「[『自然哲学論考』の] 序文への付記」(1803 年)。「『シュレーター版シェリング全集』、第 1 巻、715 ページ



  N

natura (奪格) 
(V. 1.0.) → natura naturans  → natura naturata
 
意味:
性質上。本性から

 解説:
natura は、英語では nature (性質、本性)に相当します。挿入後としてよく使われますが、その場合、主格ではなく、奪格(~から、~によって)です。


natura naturans (V. 1.0.) natura  → natura naturata
 
意味:能産的自然

 解説:
よく使われるラテン語で、小学館『独和大辞典』(第2版)や、英和辞典『プラス』に出ています。


natura naturata (V. 1.0.) → natura  → natura naturans
 
意味:所産的自然

 解説:
よく使われるラテン語で、小学館『独和大辞典』(第2版)や、英和辞典『プラス』に出ています。


nehmen aus ~ (V. 1.0.)
 
意味:
~から取って(持って)くる。

 解説
A aus B nehmen は、文字どおりには「A を B から取り出す」ですが、
その意味するところは、
(1) B から A を持ってくる(そして利用する)――という意味です。
(2) 取り出した結果、B から A を奪う(その結果、B から A が削除されてしまう――という意味ではありません。
 例えば:
eine Stelle aus dem Buch nehmen 本のある箇所を引用する。(小学館『独和大辞典 第 2 版』の nehmen の項)
 
 前記 (2) の意味で
nehmen を使用するときには、aus B ではなく、
B の3 格が使われます。つまり、「jm. et. nehmen 或る人から或る物を奪う、取る」となるわけです(相良守峯『大独和辞典』の nehmen の項、I, 1, g.)。
 そして、
aus B を使っても、(2) の意味のときには、やはり取られる 3 格 の人が必要になります。「jm. das Wort aus dem Munde nehmen 或る人の言いかけたことを横取りする」(相良守峯『大独和辞典』の nehmen の項、I, 4.)。


→ neu (neuere Zeit, die)


nicht einmal (V. 1.0.)
 意味:
決してない。~ですらない。

 解説:
よく使われる熟語で、強い否定を表します。文字通りの「一度も~でない」という意味ではありません。


noch (V. 1.0.)
 意味:
しかるに(なお)。それにもかかわらず。

 解説:
noch には、今では古義となりましたが、前文との対立を表す dennoch の意味がありました。相良守峯『大独和辞典』によれば、「古義((対立))(dennoch)しかるに(なお)、それにもかかわらず」という意味です(noch の項目、I, 5)。

 用例:
Noch gibt es ein Falsches . . .
    「だがやはり、或る何かの誤りはある・・・」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」、GW版、第9巻、30 ページ。ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』では、第3巻、40 ページ)
 なお、この用例中の
Noch については、こちらの項目の「◇ 拙訳の理由」 (2) をご覧ください。


noch weniger (V. 1.1.)
 意味:
いわんや~ではない。まして~ではない。

 解説:
この熟語は、相良守峯『大独和辞典』の weniger の項目 1 に、記載されています。例文としては:
 I
ch habe ihn gar nicht gesehen, noch weniger gesprochen. 「私は彼に会ったことがない、まして話したことなんかない。」

 用例:
Noch weniger muss diese Genügsamkeit . . . darauf Anspruch machen, . . .
    「ましてや学問を捨てさるこうした自己満足から・・・などと、言いはってはいけないのである。」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」、GW版、第9巻、14 ページ。ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』では、第3巻、17 ページ)
 なお、
Genügsamkeit については、その項目をご覧ください。


Notiz (historische Notiz) (V. 1.2.)
 意味:
historische Notiz は、「(問題の)これまでの経緯のかんたんな記述」の意味だと思います。

 解説:
この語句は意味が取りにくいので、1 語ずつ見ていきましょう。
(1) まず、historisch
のここでの意味は、「これまでの経緯(について)の(記述)」でしょう(
historisch の項目の「解説 (2)」を参照)。

(2)
Notiz は、ラテン語の notitia (複数の意味をもっていますが、ODE の notice の項目では、notitia'being known' [知られていること] と訳されています)を語源とし、フランス語(前記 ODE では、Old French)notice をへての外来語です(グリム『ドイツ語辞典』によります)。
 その意味は、グリム『ドイツ語辞典』によれば
kenntnis (知ること), nachricht (通知), bemerkung (注釈。コメント)です。(むろん他の辞典を見れば、historischNotiz には別のいくつかの意味も記載されていますが、一応上記の中心的意味で検討することにします)。

(3) また、
Notiz がフランス語経由であるので、参考として『新スタンダード仏和辞典』で notice を引きますと(えっとですね、ここで時代がかった仏仏辞典が取りだされなければならないことは承知しているのですが・・苦衷をお察しくださいませ・・・)、意味の 1 つに「略述。notice biographique 略伝、小伝」があります。

 それでは
historische Notiz はいかなる意味かということですが、(1) ~ (3) からすると「歴史的な経緯の概略の記述」、つまり「(問題の)これまでの経緯のかんたんな記述」といったところでしょうか。
 下記の「用例」でこの意味でいいかどうかを、検討します。

 用例: . . . jene [= Rezensionen] neben der historischen Notiz noch die Beurteilung . . . [geben.]
     「書評の方は、問題のこれまでの経緯のかんたんな記述のほかに、評価も与えてくれる」。(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」、GW版、第9巻、48 ページ。ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』では、第3巻、65 ページ)

 書評ですから、その評している本のテーマがこれまでどのように扱われてきたかに触れるわけですが、詳細な説明・記述は無理です。そして、上記 (3) には「略述」とあります。すると拙訳の「かんたん」の語は、適当だといえます。
 また引用原文中の
historisch には、書評者の感想や評価は含まれません(historisch の項目の「解説 (2)」を参照)。引用原文でも Beurteilung ([書評者の] 評価)は、historische Notiz とは別のものとして記されています。そこで、historische Notiz は「これまでの経緯のかんたんな記述」と訳して、大過ないでしょう。

 なお、同じく『精神の現象学』の「序文」において、「これまでの経緯の記述」の意味で、historische Angabe も使われています:
 
. . . etwa eine historische Angabe der Tendenz und des Standpunkts, des allgemeinen Inhalts und der Resultate . . .
 「例えば、傾向や観点、内容の大体のところや諸成果、こうしたもののこれまでの経緯を述べることや・・・」(『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 9. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 11)


nun einmal (V. 1.0.)
 
意味:
ともかく。とにかく~だから(仕方がない)

 解説:
動かしがたい現実についての、話し手のあきらめの気持ちを表すと、小学館『独和大辞典』(第2版)では einmal の項目で解説されています。



nur (V. 1.2.) → nur erst, → nur immer
 
意味:
(1) ~にすぎない。(2) ただ~だけ(ばかり)。(3) (先行する発言の内容に制限を加えて)ただ。ただし。もっとも。(4) およそ~するかぎりの。(小学館『独和大辞典 第 2 版』)

 解説: 副詞
nur はドイツ観念論関係の文献においても、さまざまな意味において使われています。
 まず、対象とするものをそれだけに限る働きがありますが、 (1) のように「~にすぎない」と訳しますと、対象の低評価を伴うことになります。

 そこで、(2) のように「ただ~だけである」といった訳出が必要な場合も、かなりあります

  Ich konnte nur staunen
, 「私はただただ驚くばかりだった。」(相良守峯『大独和辞典』

 また、案外よく使われるのが (3) の「ただし」の意味においての
nur です
  Der Roman ist gut, nur müsste er (er müsste nur) etwas kürzer sein. 「この長編小説はいい作品だが、ただしもう少し短くないとね」。(小学館『独和大辞典 第 2 版』

 案外気が付きにくいのが、(4) の「およそ~するかぎりの」という用法です:
  
Sie bekam, soviel sie nur wollte. 「彼女は欲しいだけのものは、なんでも手に入れることができた。」
  
Seine Begabung umfasste alle nur denkbaren Gebiete. 「彼の才能は、およそ考えうるかぎりのあらゆる領域にわたっていた。」 (小学館『独和大辞典 第 2 版』、nur の項目 II, 2)

 (3) の用例:
. . . wir bestimmen es als absolutes Wissen . . . Ein absolutes wissen ist nur ein solches, worin das Subjektive und das Objektive nicht als entgegengesetzte vereinigt, sondern worin das ganze Subjektive das ganze Objektive und umgekehrt ist.
         「私たちはこれ [=絶対的にして観念的なもの] を、絶対的知として、絶対的な認識行為として規定する。ただし絶対的知においては、対置しあうものとしての主体的なものと客体的なものが統一されているのではなく、そこにおいては、主体的なもの全体が客体的なもの全体なのであり、またその逆でもある」。(シェリング『自然哲学についての考察』の「緒論への付記」. S. W., II. S. 61)

 (4) の用例: . . . der Revers . . . entspricht allem, was ich nur wünschen konnte.
         「債務証書は・・・私の望みえることすべてに合致しています。」(1806-10-8 付のヘーゲルのニートハンマー宛手紙。Briefe von und an Hegel, Felix Meiner, 1969. Bd. 1, S. 119)


nur erst (v. 1.2.) → nur → nur immer
 意味:
今ようやく。(文脈によっては、こなれた訳として)まだようやく。ようやくのこと、等々。

 解説:
この nur erst は、『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」でよく使われています。これまでは、「たんにようやく・・・(しただけ)」と訳されてきたようです。しかし、以下のように 5 つの辞典で、nur および erst の項目(見出し語)を調べてみると、そのような意味での用例(文例)は、記載されていませんでした。

(1) 相良守峯『大独和辞典』には、いずれの項目においても、
nur erst の用例自体が記載されていません。

(2) 小学館『独和大辞典 第 2 版』でも、いずれの項目ににおいても、
nur erst の用例は記載されていません。

(3_a) グリム『ドイツ語辞典』で、
ERST, adv. を引きますと、nur erst の用例は 9) a) でのみ出てきます(ここからは、活字体とイタリック体の役割の違いに注意してください。両者は、同辞典での表記を踏襲しています):
  9)
erst, nur erst,
  
a) was das vorhergehende eben, nuper demum: [この後、nur erst の用例が 3 つ続く]
  「9)
erst および [それと同じ意味での] nur erst [の意味は、]
   
a) 前述の eben [と同じである、あるいは] 最近(nuper, すこし前に)ようやく(demum, ついに)」。

 この
a) の部分の説明は、分かりづらいのですが、
 (i) 冒頭の was は関係代名詞で、直前の erst, nur erst を受けています。
 (ii)
was は主語ですが、動詞が――おそらく、ist, bedeutet などの連辞――省略されているようです。
 (iii) 「前述の
eben」とは、ひとつ前の 8) で、erst, eben erst の意味の説明として登場した eben, modo eben を指すのでしょう(*2)
   (ア) この
eben の意味は、直後に同格として置かれている modo (たった今)と同じと考えられます(*3)
   (イ) すると、<「前述の
eben」 = 「8) の eben」 = 「8) の modo (たった今)」>ですから、「前述の eben」の意味は「たった今」になります。
 (iv) したがって、9)
a) の文意は、<erst および nur erst の意味は、「たった今」とか「最近ようやく」である>となります。
 ただし、
erstnur erst のそれぞれに、「前述の eben」と nuper demum がそれぞれ対応していると、見なせるかもしれません(ちょっと、無理だとは思いますが)。その場合には、nur erst の意味は、「最近ようやく」だけになります。

 参考として、9) a) に記載されている
nur erst の用例 3 つを見ておけば:
  ich habe es nur erst gesagt;
 「私はそれを、今ようやく告げたのだった」。
  
ich sah ihn nur erst; 「彼には今さっき会ったところだ」。
  
nur erst vorigen sonnabend bekomme ich einen brief von ihn; 「この前の土曜日にようやく、彼からの手紙を受けとった」。[この文はレッシング(Lessing)からの用例ということですが、現在形の bekomme、4 格の ihn は、浅学の筆者にはキビシイものがあります。]

 
なお、上記の説明では、nur に「今」という時間的な意味があることになりますが、その意味については、
・相良守峯『大独和辞典』では、
nur の項目、I, 9)に、「たった今, ほんの今しがた」と記されています。例文としては:
  
nur vor zwei Tagen nochついまだ 2 日前に」 [これは名訳!]
・小学館『独和大辞典 第 2 版』では、
nur の項目、III, 2)に、「ついさっき, たった今」と記されています。しかし、例文はありません。

(3_b) グリム『ドイツ語辞典』でも、「今」としての
nur は記載されており、そこでも nur erst の用例が出ています。結論から言えば、そこでの nur erst の意味と、前述の 9) a) での意味は同じですが、確認しておきましょう。
 
nur の見出し語は 2 つありますが、そのうちの後の方が、「時に関する意味をもつ副詞」です(*1)。この語の最初の説明である、
 (i) 1) は、「時間に関する
nun (今)の意味」となっています。

 (ii) 2) は、「時間に関する他の副詞 [私たちが問題にしている
erst もそうです] の前後で [nur は用いられる]」となっています。
 しかし、どのような意味で用いられるのかは、記載されていません。このように説明を省略することは、グリム『ドイツ語辞典』ではよくあります。概念で固めていくというより、いわば自然体で説明がなされているわけです。こういう場合は、前の項目から自然と説明が続いていると、みてよいでしょう。したがって、前記 1) の「nun (今)の意味」で、用いられていることになります。
 そしてこの 2) の用例に、
nur erst が出てきます:
 
die alte narbe,
 
die nur erst vor einem jahr
 
euch . . geöffnet war.
 「つい一年前に、はじめて開いた [あるいは「切開しました」] 貴方の古傷」。[この「つい」の訳語については、相良守峯『大独和辞典』の例文の訳を参照しました。]

 
nur erst zu ende des vorigen jhahres hat man eine getreue ausgabe erhalten.
 「つい最近の昨年の末にようやく、規定どおりの支給がなされた」。

(4_a) 『ゲーテ辞典』では、
erst の項目(見出し語)の B, 1, a, δ に、nur erst の用例がいくつか出ています。しかし、

 「B 不変化詞 [として用いられる]
   1 明確にしたり、限定したりする働きで [用いられる]
    
a 時に関して、あるいは時を表す [文の] 構成要素とともに [用いられる]
     δ 強調的に未来を指示する:生じつつある未来の事態において [用いられる]」

とありますように、未来に関する叙述においてです。したがって、問題となっている『精神の現象学』の「序文」での用法とは、明らかに異なります。

(4_b) 『ゲーテ辞典』には、
nur の見出し語はありません。

(5_a) Adelung で副詞の
erst を引きますと、意味の説明が 1 から 3 まであり、3 に nur erst の文例が出てきます。では、3 における erst の意味は何かということですが、これがはなはだ要領をえないのです:
 「3. いま [上記 1 と 2 で] 考えられたような意味は、しばしば無くなって、この不変化詞 [
erst] はさまざまな強調や、より細かな規定を発言に加える。こうした強調・規定は、書かれて説明されるものというより、感じ取られるものである。」

 そこで、
erst の 1 と 2 の意味は erst の「解説」で見ていただくことにして、3 での nur erst の用例を引用すれば:
 
Nimmt dich die Zärtlichkeit nur erst vollkommen ein,
 So sey so stolz du willst, du hörst es auf zu seyn.


 この用例から nur erst を除けて直訳すれば、
  「お前の心が、まったく優しさによって占められるならば、
  いくらお前が威ばりたくとも、そうはしない」。
 そうしますと、
nur erst の意味するところはおそらく、「(占められ)さえした(ならば)」という、感情(遺憾の意)のこもった仮定の強調でしょう。

(5_b)
Adelung には、nur の見出し語はありません。

 こうして各辞典での
nur erst を見てきますと、『精神の現象学』の「序文」での用法と関係があるのは、(3_a) の (iv) と (3_b) の (ii) です。そして、この 2 箇所での意味は、「今ようやく」でした。つまり、ここでの nur は、
・「たんに・・・だけ」という「他のすべてのものを排除して、ある規定されたものへと制限する」(グリム『ドイツ語辞典』、2 つある nur の見出し語のうち最初の
nur、II, 2))副詞ではなく、
・「時に関する意味をもつ副詞」(同辞典、後の方の
nur)であり、意味は「今」です。

 むろん、上記の 5 つの辞典に、「たんにようやく・・・(しただけ)」の意味をもつ
ner erst が記載されていないからといって、「序文」でもそのような意味はもたないと、断言はできません。しかし、ヘーゲルがその意味をもたせて nur erst を書いたとすれば、その時には別の意味である「今ようやく」も思い浮かんだはずです。そして、混同を避けるため、nur erst を離すとか、他の語に代えるとか、したのではないかと思います。
 (えっ、「どちらの意味に取られても、かまわないや」とばかりに、彼のペンは走っていったというのですか? なるほど、ヘーゲルの悪文は有名です。しかし、そうした確信的な悪行は、管見の範囲では見た覚えがないのですが・・・)

 なお、「たんにようやく」でも「今ようやく」でも大差はなく、それほど気にするにはあたらない、とのご意見もあるかとおもわれます。しかし、グリム『ドイツ語辞典』で
nur には 2 つの見出し語が与えられ、一方は制限する働きの副詞を説明し、他方は時に関する副詞であると区別されているように、これら 2 つの nur は大きく異なります。そこで、訳出するときにもその点に留意する必要があるといえます。

 用例:
. . . denn sie [= die Wissenschaft] ist nur erst in ihrem Begriffe . . .
    「・・・学問は今ようやく概念の状態だからであり・・・」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」、GW版、第9巻、15 ページ。ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』では、第3巻、20 ページ)

--------------------------------------------
(1*)
nur の 2 つの見出し語のうち、前の nur にも II, 5) b) α) で、nur erst の用例が記載されています。しかし、
 「II, 意味と用法。
   「5) 別の多くの場合、制限する意味 [つまり、「たんに。だだ・・・だけ」という意味] は多かれ少なかれ後退し、たんに強調するためか、観念(
Begriff)の一般化ないし制限なしの拡大化のために([つまり] doch, immer, immerhin, irgend などと同義語 [として])、使われる。
     「b) とくに、命令文において。
       「α) 肯定的:
. . . höre nur erst zu ende! 「まずは最後まで聞け!」
とあるように、命令文での用法ですから、私たちの問題からははずれます。

(2*) 参考のために 8) の冒頭を、以下に転記します:
 8)
erst, eben erst, eben, modo: ich habe es erst (ganz neulich) gesagt; die blume ist erst aufgegangen; . . .
 「8) erst および [それと同じ意味での]
eben erst [の意味]は、eben (今しがた。ちょうど)、modo (たった今) [である]: [用例としては] 『私は最近、そのことを告げたのだ』。『その花は、今しがた開花した』。・・・」

(3*) なお、8) の
eben の意味が(その結果として、「前述の eben」の意味が)「たった今」であることは、modo を参照せずとも、次のことから分かります:8) の用例中に、. . . erst (ganz neulich) . . . とあります。erst の意味は ganz neulich (最近。たった今)だと、同辞典の編集者が注記しているのです。すると、説明されるべき erst の意味が「最近」だということは、erst を説明した eben, modoeben の意味も「最近(たった今)」だといえます。


nur immer (V. 1.1.) → nur nur erst
 
意味:(1)とにかく。ともかく。(2)最大限。~するかぎりの。

 解説:
nur immer には(1)と(2)の 2 つの意味があり、悩ましいところです。管見では、ドイツ観念論関係においては、(1)の意味で使われていることが多いようです。
 (1)
immer は、譲歩・許容・無関心を表す場合があり、nur immer で慣用句のようになっています。相良守峯『大独和辞典』には、以下の例文が載っています(immer の項目 5, c.):
 ・
laß ihn nur immer kommen! とにかく彼をよこしてくれ(来たいなら来させろ)
 ・
laß es nur immer gut sein! まあこれで上々さ(いいとしておこう)
 (2) nur には、「ある条件内での可能の限界を示す」意味があり(小学館『独和大辞典第 2 版、nur の項目)また immer も「可能の限度いっぱいであることを示」します(同上、immmer の項目)。以下の例文が、同辞典には記載されています:
 ・
ein Vorteil, den man nur immer daraus ziehen kann その件から引き出しえる最大限の利益

 (1)の用例:
 i)
. . . der [= der Skeptizismus] in dem Resultate nur immer das reine Nichts sieht . . .
(結果において、とにかく純粋な無しか見ない懐疑主義)(ヘーゲル『精神の現象学』の「緒論(Einleitung)」、GW版、第9巻、62ページ。ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』では、第3巻、74ページ)
 ii)
. . . Sie [= die Polemik] mag . . . nur immer auf den Mißbrauch und die Nachschwätzer fallen . . .  (この論争は・・・ともあれ乱用や模倣者に対して向けられたものなのだろう。)(シェリングの1807年11月2日付、ヘーゲル宛の手紙)


   o

objektiv, 
(名詞) Objekt (V. 1.1.)
 
意味:「客観的」と「対象的」の 2 つの意味があり、さらに両者の合わさった「客体的(名詞の場合は、客体)」の場合もあります。

 解説: ドイツ語で読んでいるときは、これら 3 つの意味の区別を特に意識することもなく、いわば渾然一体といった感じで受け取ることも可能です。しかし、訳出するときには、どの意味がその文脈において表面に出ているのかを判断し、訳語を選ばないと、文意が取れないことになります。


öffentlich (V. 1.1.)
 
意味:率直に。腹蔵なく。(?)

 解説:
öffentlich は、形容詞として「公の。公然の」などの意味をもっています。そしてグリム『ドイツ語辞典』によれば、副詞としての öffentlich もあります。それの 2) を見ますと、意味の説明はなくていくつかの用例のみが記載されているのですが、それらから推測しますと、「率直に。腹蔵なく」という意味で
öffentlich が使われているようです。例えば:
 
am morgen fraget sie Theagenem, wessen er sich bedacht hatte? Theagenes sprach öffentlich: er wolte mit ir nichts zu schaffen haben . . .

 「その朝、彼女はテーアゲネスに、誰のことを考えていたのかと聞いた。テーアゲネスは率直に(öffentlich)答えて、彼女を関わらせたくはないと言った・・・
 
ein ding offenlich und unverborgenlich sagen (例文はいずれも原文のママ)
 「ある事を率直に(offenlich)、隠すことなく言う」

 用例: Öffentlich sprach er sich über Schelling aus . . .
     「率直に彼 [ヘーゲル] は、シェリングについて意見を述べた」。
Karl Rosenkranz: Georg Wilhelm Friedrich Hegel's Leben, Originalausgabe, 1844. S. 201.
 なお、
offen にも「率直に。隠し立てなく」という意味があります。例文としては:
   
offen gesagt 正直に言うと(相良守峯『大独和辞典』の offen 9)
   erfrischend offen sprechen 気持ちよく率直に話す(小学館『独和大辞典 第 2 版』の
erfrischend の項目)
 そこで、「用例」であげた文と同じ段落のすこし後に、次の文が出てきますが、
   
offen und öffentlich herausgesagt zu haben (ebd. S. 202)
この offen und öffentlich はいわゆる二語一想で、どちらも「率直な」という意味で使われているのだと思います。


   P

Pistole (wie aus der Pistole)
 (V. 1.1.)
 意味:
突然。不意に。

 解説: wie aus der Pistole は、ヘーゲルが『精神の現象学』の「序文(vorrede)」において、シェリングを批判するのに用いた有名な語句で、「ピストルから発射されでもした(飛びだす)かのように」というのが、定訳となっています。
 (i) しかし、辞典をみますと、
wie aus der Pistole geschossen は熟語で、
・「即座に。たちどころに」(小学館『独和大辞典 第 2 版』の
Pistole の項目、1)、
・「突然。不意に。急に。たちまちのうちに(
= plötzlich und schnell)」(相良守峯『大独和辞典』の Pistole の項目)とあります。
 つまり、こなれた表現になっていて、「ピストル」のイメージはとくに出てこないようです。このことは、たとえば、「その新人投手は、初試合でホームラン 3 本を浴びて、プロの洗礼を受けた」という表現が使われるとき、私たちがキリスト教の洗礼のイメージを思い浮かべないのと、同じだと思います。(そして、この表現を例えば英訳するときに、
baptize の語を使ったとすれば、おかしなことになってしまいます。)

 (ii) また、この「ピストルから・・・」という語句で、ヘーゲルがシェリング哲学を批判するとき、ヘーゲルが生々しくピストルを思い浮かべて、そこまで強い感情をこめたとは、考えにくいものがあります。ヘーゲルは、1807 年 5 月 1 日付シェリング宛ての手紙では、
 「ところで、君 [シェリング] には言う必要もないことだが、[『精神の現象学』の] 全体の数ページでも君が賛同してくれるなら、これはぼくにとっては、他の人たちが全体に満足する・しないということより、重要なのだ」(Briefe von und an Hegel, Bd. I, hg. von J. Hoffmeister, 3. Auflage,1969, S. 162.)などと書いているのです。(2 人の絶交については、こちらを参照ください。)

 用例: . . . die Begeisterung, die wie aus der Pistolrn mit dem absoluten Wissen unmittelbar anfängt . . .
     「・・・突然絶対的な知から始めるような熱狂・・・」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(
Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 24. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 31.)



plastisch (V. 1.0.)
 意味:
「充実した存在感のある」とか「完成した」のような語感だと思います。

 解説:この語の字義通りの意味は、「造形的な」とか「可塑(そ)的」です。グリム『ドイツ語辞典』にも、そのような意味がまず掲載されています。
 しかし、下記のヘーゲルの「用例」では、その意味では文意が通じません。そこで、
plastisch の派生的な意味を、同辞典で調べますと次のように説明されています:
 「plastisch な芸術家や plastisch な詩人というのは、彼らのつくりだす形象がいわば具象化されて(körperlich, 物体化されて)現われる [芸術家・詩人である]。ここから、plastisch な詩 [という表現も生じる]。plastisch に表現する、描く([つまり、] 高度に完成された形式と共に(
mit stark abgerundeten formen))、描写する、等々[の表現もある]」。
 そこで、plastisch という語は、「充実した存在感をもった」とか「完成度の高い」という派生的な意味をもつといえそうです。

 用例: . . . erst diejenige philosophische Exposition würde es erreichen, plastisch zu sein, welche streng die Art des gewöhnlichen Verhältnisses der Teile eines Satzes ausschlösse.
 
「命題の各部分の通常の関係しかたを、きびしく排除するような哲学にしてはじめて、その説明が完成されたものだといえよう」。(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 45. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 60)


positiv (V. 1.0.)
 意味:
(1) 明確な。(2) 既成の。

 解説: positiv では、まず「明確な(に)」という意味を考える必要があります。(ただし、初期ヘーゲルの宗教論文では、「既成の」が重要です。例えば、positive Religion は「既成宗教」(相良守峯『大独和辞典』の positiv の項目、1)です。)
 
positiv語義ですが、グリム『ドイツ語辞典』を引くと:
 「形容詞および副詞 [として使われる]。フランス語の
positive から [の外来語]。[意味は] festgesetzt [決められた。制定された。], bestimmt [特定の。確固とした。明確な。], sicher [確かな], gewiss [確実な。確定した。], bejahend [肯定的な] (反対の語は negativ [否定的な])[などである]」。

 そして、フランス語の positif(ve)
の由来はラテン語です。Oxford Dictionary of English positive を引けば:
 「[ラテン語の] 動詞
ponere [置く、据(す)える(研究社『羅和辞典』 1980年)。辞書の見出し語としては、直・原・一・単の pono]から、placed [置かれた] の意味の posit- [が生じ]、positivus [慣習的な、肯定的な(同『羅和辞典』)] 」となり、古フランス語の positif, -ve が成立したようです。

 そこで、フランス語の
positif の意味ですが、18 世紀頃の仏仏辞典にアクセスできてませんので(痛恨の極み!)、『新スタンダード仏和辞典』(2005年)で間にあわせますと:
 「A<人為的・実証的な>1. (人為的に)制度化された。2. 実験的な、実証的な。3. 確実な;明確な;実体のある。4. (人・政策などが)現実的な;実利的な。
 「B<肯定的な、
négatif の対>1. 肯定的な;(批評などが)好意的な;(態度などが)積極的な、建設的な。[2 以下の医学、数学など専門分野の意味は省略]」。

 以上のことから判断するかぎり、現代でこそ
positif, -v(e) は多くの国で「積極的。実証的」の意味で使われていますが、少なくともグリム『ドイツ語辞典』の頃までは中心的な意味ではなかったようです。

 用例: . . . der Parmenides des Platon . . . für die wahre Enthüllung und den positiven Ausdruck des göttlichen Lebens gehalten wurde . . .
 
・・・プラトンの『パルメニデス』が、神的な生の開示であり明確な表現であると考えられていた」。(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 48. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 66)
 この「用例」中の den positiven Ausdruckを「積極的な表現」と訳しますと、
(1) プラトンが、なにかあおり立てるような文章を書いたという、意味になってしまいます。
(2) また上述しましたように、グリム『ドイツ語辞典』には positiv の項目に「積極的」の意味は記載されていませんので、不安が残ります。
 ところでグリム『ドイツ語辞典』には、以下の文が
positiv の用例として出ています:
 
wenn ich die meinung eines andern anhören soll, so musz sie positiv ausgesprochen werden. GÖTHE
 
「私が、他の人の考えをよく聞かねばならないというのであれば、その考えは明確に述べられたものでなければならない。」(ゲーテ)
 この用例中の
positiv の意味は、「明確に」以外には考えにくいですが、そうしますと「明確に(positiv)述べる」という語法があったことになります。そこで上記「用例」での den positiven Ausdruck を、「明確な表現」の意味にとっても、大過はないように思います。


pro statu rerum (V. 1.0.)
 
意味:
諸般の事情からして。


Punkt (auf dem Punkt stehen, et. zu tun) (V. 1.0.)
 意味:
まさに或事(あること)を、しようとしている。

 解説:相良守峯『大独和辞典』の Punkt の項目(3)に、上記の意味が記載されています。ちなみに、この熟語の Punkt の意味は、「時の 1 点、時点、瞬間」です。

 用例: . . . als ob sie [= die Menschen], des Göttlichen ganz vergessend, mit Staub und Wasser, wie der Wurm, auf dem Punkte sich zu befriedigen stünden.
     
「人々は神々しいものをすっかり忘れ去り、虫のように土と水で満足しようとしているのだとばかりに。」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 13. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 16.)



  Q

quemcunque locum theologicum 
(V. 1.0.)
 意味:
神学的な(
theologicum)どのような(quemcunque)場所(locum)でも。

 解説:このフレーズは下記の用例が示すとおり、über quemcunque locum theologicum (神学上のどんなテーマについても)で使われています。
(i) ドイツ語
über (~について)は、対 (4) 格支配の前置詞ですので、quemcunque locum theologicum のラテン語もすべて対 (4) 格になっています。
(ii) 関係詞
quem の単数・主格は quis (~は何でも)です。なお、cunque (= cumque) は副詞で、関係詞に添えて「~であろうと」という不定の意味を与えます。
(iii) 単数の男性名詞
locum単数・主 (1) 格はlocus (場所。箇所。位置)です。
形容詞
theologicum の単数・主 (1) 格は
theologicus (神学の)です。

 用例: . . . woraus nun tamquam ex machina so kräftige philosophische Brühen über quemcunque locum theologicum verfertigt werden, . . .
 
「それらから、「あたかも機械仕掛けでのように」、神学上のどんなテーマについてもこってりとしたスープを作り上げるのだ。」(シェリングの 1 月 Dreikönigsabend (6 日)付のヘーゲル宛手紙。Briefe von und an Hegel, Felix Meiner, 1969, Bd. 1, S. 14)


quid facti (V. 1.0.) → quid juris
  
意味:事実問題(カントが法学から援用した用語)。なお、次の quid juris も参照して下さい。


quid juris (V. 1.1.) → quid facti
 
意味:権利問題(カントが法学から援用した用語)
。しかし、ラテン語 juris を従来のように「権利」と訳するのは勇み足で、quid juris は「法律問題」が適訳だと思われます。この用語が現われる『純粋理性批判』(B版116ページ。岩波文庫では、上巻、162ページ))を見てみますと:

 「法学者が権限と越権について論じるときには、訴訟においての合法的なことRechtensに関する論点(法律問題 (quid juris))を、事実にかかわる論点(事実問題)から区別する。そして、法学者はこれら2つの論点について証明を要求するのであるが、最初の論点 [法律問題] ついての証明は――この証明では、権限があることを、あるいは権利主張ができることをも、明らかにせねばならない――、演繹と呼ばれている」。

 上記の拙訳においての「合法的なこと(
Rechtens)」「法律問題(quid juris)」は、従来は多くの場合、「権利である(権利があること)」「権利問題」と、訳されてきました。しかし、前記カントからの引用を具体例で説明すれば、拙訳にするわけを納得していただけるかもしれません:
 道の右側を歩いていて交通事故にあった A が、加害者に訴訟をおこしたとします(むろん現在の具体的な事故処理は、以下とは異なるかもしれませんがが、それは目をつむっていただくとして)。すると、
(1) 右側歩行が合法的であるかどうかという論点(法律問題)と、 A が事故当時道の右側を歩行をしていたのかどうかという論点(事実問題)とが、まず「区別」されます。
(2) 右側歩行の合法性の論点も、 A が右側歩行をしていたという論点も、それぞれ「証明」される必要があります。
(3) 最初の証明(「演繹」)は、「道交法の第何条によれば、歩行者は道の右側を歩くことと定められている。したがって、歩行者 A は右側を通行する権利を有していた」、ということでなされます。後の証明は、事故現場の状況や、目撃者の証言などによります。


  R

räsonieren (räsonnieren), 名詞は Räsonnement (V. 1.1.)
 意味:理屈をこねる。理屈ばかりをいう。(名詞:へ理屈

 解説 I: 語義
 räsonieren (Räsonnement) の語は、フランス語の raisonner (raisonnement) からの外来語で、グリム『ドイツ語辞典』Adelungゲーテ辞典Goethe-Wörterbuch)などには記載がありません。
 そこで、相良守峯『大独和辞典』を引きますと、
räsonieren は:
(1) 声高でそうぞうしく話すののしる。
(2) 利口ぶってはなす、
小理屈をこねる屁理屈を言って反論(争論)する。
(3) 不平(文句)を言うあら捜しをするけちをつける悪意をもって非難する。
(4) 理性(知)的に話す推論する。
 Räsonnement は:
(1) 熟考(思慮);吟味、検査理性的判断。
(2) 推理(論)連結推理論述、論法。
(3) 屁理屈、異議、口返答;饒舌(じょうぜつ)

 小学館『独和大辞典 第 2 版』の
räsonieren の記載もほぼ同様です:
(1) a) (ふつう皮肉)・・・について多弁を弄(ろう)する、くだくだしく説明する、
へ理屈を並べる。
  b) ・・・について理路整然と論じる(考える)。
(2) くどくどと不平不満を並べる;がみがみ言う、大声でののしる。
 Räsonnement は:
(1) 理性的判断;推理;熟慮。
(2) へ理屈

 現代的意味をおもに説明している
Duden Deutsches Universalwörterbuch, 6. Auflage では、räsonieren は:
a) 詳しく(
wortreich)意見を述べる。意見を(不必要なまでに)述べたてる。
b) 不平や不満を(絶えず)ののしることで吐きだす。
c) 理性的に話す。推論する。
 Räsonnement は:
 理性的な検討、考慮。

 なお、『新スタンダード仏和辞典(初版)』で(えっ、19 世紀初頭のフランスの辞典を参照しないのか、ということですか? そ、それは・・・)、フランス語の
raisonner を引きますと:
(1) 推理する、推論する;(理性を働かせて)考える。
(2) 論じる。
(3)
理屈をならべる、口答えをする。
 raisonnement は:
(1) 理性の働き。
(2) 推理(力)、推論。
(3) (複数形で)理屈をならべること、口答え。

 解説 II: ヘーゲルでの用法
 この
rösonieren ないし Räsonnement の語は、ヘーゲルの『精神の現象学』序文(Vorrede)でしばしば登場します。そこでは、上記の「語義」の茶色・太字の意味で使われており、ヘーゲルの唱導する「思弁的」考察あるいは概念による把握によって、退けられています。

 用例: . . . dem formalen Denken, das in unwirklichen Gedanken hin
und her räsoniert.

     「・・・非現実的な考えのうちで、あれこれと理屈ばかり言っているような形式的思考・・・」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 41. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 56)


    
. . . , das [= ein zufälliges Philosophieren] . . . durch ein hin und her gehendes Räsonnement, Schließen und Folgern aus bestimmten Gedanken das Wahre zu begründen sucht;
     「・・・あれこれと理屈をこねたり、推論したり、そしてまたなにか特定の考えから演繹したりすることによって、真なるものを基礎づけようとするような、偶然的な哲学のしかた・・・」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 29. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 38)


Redaktion (V. 1.0.)
 意味:(論文などの)執筆

 解説:
Redaktion は、ふつうは「編集」という意味です。しかし、下記のヘーゲルの用例では自分の書いている原稿に関して言われていますので、「編集」ではおかしいことになります。
 この語はグリム『ドイツ語辞典』
Adelung には記載がないので、Oxford Dictionary of English redaction を引きますと、18世紀後半にフランス語の rédaction から来た語だとあります。おそらく当時のドイツでも、フランスからの外来語であったのでしょう。そこでこの語を――ちょっと「違和感」があろうかとは思いますが・・・このあたりが筆者の限界なんですw――『新スタンダード仏和辞典』(大修館書店、2005 年)で見ますと、「1. ・・・(論文・記事などの)執筆」とあるのでした。

 用例: . . . dass ich die Redaktion überhaupt in der Mitternacht vor der Schlacht bei Jena geendigt habe.
     「とにかくイェナ会戦前日の夜中に書き終えたということで・・・」(1807-5-1 付のヘーゲルのシェリング宛手紙。Briefe von und an Hegel, Felix Meiner, 1969. Bd. 1, S. 161f



Reihe (V. 1.0.)
 
意味:ふつうは「列、つながり、系列」の意味ですが、文脈によっては「~の進行の範囲」とでも訳出しないと、ピントが合わない場合があるようです。また、Reihe にそれほどの意味が付与されていない場合は、訳出しない方がすっきりとして、文意を理解するうえからもいいようです。

 解説: eine Reihe von Gedanken ですと、「思想のつながり」と訳せば(相良守峯『大独和辞典』)、Reihe のもともとの意味が活きてきますが、die ganze Reihe der Spekulationen では、「思弁のすべてのつながり(全系列)」と訳すると、「思弁のつながり(系列)」という言い方が日本語ではこなれていないために、「つながり(系列)」が強く響きすぎます。読者は、「どんなつながり(系列)なのか?」と、あらぬことに疑問をもってしまいます。そこで、「思弁の進行の全範囲」とおだやかに訳出するのはどうでしょうか。
 筆者が
Reihe を訳出しなかった例としては:
 
die ganze Reihe unserer Gedanken und Vorstellungen im gegenwärtigen Leben  「目下の生活における思考や表象すべて」(G. E. Schulze: Aenesidemus, 1792, S. 199)


Revers(男性名詞。des Reverses, plur. die Reverse)  (V. 1.1.)
 
意味:Verpflichtungsschein)債務証書。(相良守峯『大独和辞典』)

 解説: ReversAdelung で引きますと、
 「2) 語源はラテン語の
Reversales で、ある人が自分の義務を、明確に表明している文書や記録」
となっています。したがって「債務」には、金銭を支払う義務だけでなく、特定の行為をする義務も含まれます。

 用例: Herr G. [=Göbhardt] . . . brachte die geforderten 144 fl. und erklärte, dass es ein bloßes Missverständnis mit dem Revers gewesen . . .
     「ゲープハルト氏は・・・要求されていた 144 フロリーンを持ってきて、あれは債務証書についてのたんなる誤解だったと、言ったのです。」(1806-10-3 付のニートハンマーのヘーゲル宛手紙。Briefe von und an Hegel, Felix Meiner, 1969. Bd. 1, S. 117


  S

Satz (V. 1.0.)
 
意味:
(Behauptung) 主張(相良守峯『大独和辞典』)、信条、主義(小学館『独和大辞典』第2版)

 解説:
Satz はふつう、主語と動詞の備わった1つの「文」ないしは「命題」の意味で用いられます。しかし、より一般的に「主張。信条。主義」、さらに「考え」の意味でも多用されます。

 用例:こちらを参照して下さい。


Schatz (V. 1.0.)
 意味:
(Reicher Vorrat) 豊かな蓄え。豊富。(相良守峯『大独和辞典』の Schatz の項目 2)

 解説:
Schatz の意味として、「宝。恋人」といった意味しか記載のない辞典も多いと思いますが、量の多さを表す用法が、確立しています(相良守峯『大独和辞典』)。
 同辞典の例文には:
 
ein Schatz von Erfahrungen (Kenntnissen) 「豊富な経験(知識)」


 用例:
Der Stoff, über den die Mathematik den erfreulichen Schatz von Wahrheiten gewährt, ist der Raum und das Eins. 
     「 [数学の] 素材は――この素材についての面白いさまざまな真理を、数学は与えるというわけだが――空間と「」である」。(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(
Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 33. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 44


schon wieder wieder


Schul- (V. 1.0.)
 意味:アカデミックな。

 解説:この語は、ふつう「学校(の)」と訳されてきましたが、「アカデミズムの」、「アカデミックな」、あるいは「高等教育機関で行われている」という意味もあるようです。「通俗的」と対比されます。

 用例 (1):
. . . kann das Denken nicht frei herumirren, sondern ist durch diese [= der Masse] Schwere aufgehalten.
     「この [表象する] 思考は自由にさまよい歩くことはできず、この [質量がもつ] 重力のために引き止められている」。(ただし、ここでの「質量」や「重力」は、比喩的に使われています。
ヘーゲル『精神の現象学』, GW, Bd. IX, S. 43./Suhrkamp Verlag, Werke in zwanzig Bänden, Bd. III, S. 58)

 用例 (2):
Auf solchen Täuschungen beruhte der ganze Schulstreit über den Unterschied analytischer und synthetischer Urteile.
     「分析的判断と総合的判断の違いについてのアカデミズムの争いは、すべてこのような欺瞞にもとづいていたのだった」。(シェリング『知識学の観念論を説明するための諸論文』、オリジナル版(SW版)全集、I/1, S. 278.



Schwere (V. 1.0.)
 意味: 重力。

 解説:この語には、「重さ」以外に、「重力」の意味があります(小学館『独和大辞典 第 2 版』。相良守峯『大独和辞典』)。
 グリム『ドイツ語辞典』にも、「力としての、物体的なものの統一的性質」とあります(2, a.)。

 用例:
. . . kann das Denken nicht frei herumirren, sondern ist durch diese [= der Masse] Schwere aufgehalten.
     「この [表象する] 思考は自由にさまよい歩くことはできず、この [質量がもつ] 重力のために引き止められている」。(ただし、ここでの「質量」や「重力」は、比喩的に使われています。
ヘーゲル『精神の現象学』, GW, Bd. IX, S. 43./Suhrkamp Verlag, Werke in zwanzig Bänden, Bd. III, S. 58)


Semester (V. 1.4.)
意味: 学期。

解説: 1 年は、夏学期(Sommer-Semester)と冬学期(Winter-Semester)の 2 学期制です。(1) イェナ大学の学期の開始日(『ヘーゲルのイェナ時代・年表』の各年を参照)/終了日と、(2) ヘーゲルの講義の開始日/終了日とは、多くの場合異なります。

(1) イェナ大学の夏学期の始まりは 4 月下旬~ 5 月上旬/中旬で、終わりは 9 月です。
 冬学期の始まりは 10 月中旬/下旬で、終わりは 3 月です。

 なお、夏学期の講義の告示(教師・内容・時限)は 3 ~ 4 月で、冬学期の講義の告示は 9 ~ 10 月です。大学によるラテン語の講義の告示以外に、『イェナ文芸新聞』がそれを基にして編集したと思われるドイツ語での公告があります。これの発行日付が、多くの場合分かっています(『ヘーゲルのイェナ時代・年表』の「略記号」(BH-JL)の項目を参照ください)。

(2) ヘーゲルの講義の開始日については、例えば――
 ・ヘーゲルのニートハマー(Friedlich Immanuel Niethammer, ニートハンマーとも表記される)宛手紙(1806 年 5 月 17 日付)には、「次の月曜日に、私の講義が始まります」と書かれています。(Briefe von und an Hegel. Bd. 1, S. 108.Felix Meiner Verlag, Philosophische Bibliothek 235

 ・K. ローゼンクランツ『ヘーゲル伝(中埜肇訳、1983年、みすず書房)の 192-193 ページに、「[ヘーゲルは] 9 月 18 日に思弁哲学に関する講義を次のような言葉をもって閉じたのである。『・・・ことを願いながら、楽しい休暇を祈るものであります。』」とあります。

 ・ヘーゲルのニートハマー宛手紙(1806 年 10 月 6 日付)に、「10 月の 13 日か、おそらくは 20 日には、講義が始まることになっています」とあります。(Briefe von und an Hegel. Bd. 1, 1969, S. 118.Felix Meiner Verlag, Philosophische Bibliothek 235


seye (V. 1.0.)
 意味: 動詞
sein の接続法一式 sei と同じです。

 解説:18 世紀には動詞
sein を、代名詞 sein と区別するために、seyn と書いたそうです(相良守峯『大独和辞典』の sein の項)。seisey と書かれ、その語尾に意味のない e が付いたものです。

 用例:
Dem seye [= sei] wie ihm wolle それがどうであれ。それはそれとして。(『フィヒテとシェリングの哲学的往復書簡集』1856年のオリジナル版、63 ページ)



Sinn (V. 1.2.)
 
意味:
(1) 感覚。(2) 感覚器官。(短縮して)感官。(3) (特定の事物を理解する)感覚。センス。感受性。(4) 意味。意義。

 解説: (1)
Sinn が、「感覚」の意味で使われるとき、
   (i) 個別的な感覚は、単数形で表されます(小学館『独和大辞典 第 2 版』(Sinn の項目 1 a):
     
Gesichtssinn (視覚)
     der sechste Sinn (第 6 感)
   (ii) 一般的な意味(そこから「正常な意識」の意味)では、ふつう複数形の
Sinne となります:
     jm. die Sinne umnebeln 「(酒・疲労などが)・・・の頭をもうろうとさせる」
     
Tiere haben oft schärfere Sinne als der Mensch. 「動物はしばしば人間よりも、鋭敏な感覚をもっている」
     von Sinnen sein 「分別を失っている」
      jm. verschwinden die Sinne 「・・・が意識を失う」
      Seine Sinne verwirrten sich. 「彼は頭のなかが混乱した」

(2)
Sinn の「感覚器官」の意味については、グリム『ドイツ語辞典』Sinn の項目に:
  18) weiterhin wird sinn auf die körperlichen organe der wahrnehmung, wie das gesicht, gehör u. s. w. angewendet. diese gebrauchsweise ist namentlich im nhd. sehr gewöhnlich (bei dem plur. heute die vorherrschende).
  「18) さらに Sinn は、視覚・聴覚などといった知覚の肉体器官に適用される。この使用法は、とくに新高ドイツ語においてはなはだ一般化している。(今日では複数形で、よく使われる)

 用例:
. . . nicht durch die Gegenstände, die unsere Sinne rühren . . .
     「私たちの感覚器官にふれる・・・対象にはよらないで」(はい、哲学史上もっとも有名な一節のひとつですね。カント『純粋な理性への批判』、1787年の B 版、1 ページ)

(3) 「(特定の事物を理解する)感覚。センス。感受性」の意味でのSinn は、
   (i) 単数形(
Sinn)で使われます(小学館『独和大辞典 第 2 版』の Sinn の項目 2)。

   (ii)
A への感覚(感受性)は、
     ・
ふつう「der Sinn für A」ですが、
     ・
der Sinn + Aの2格」もあります:
         
Sinn der Farbe
色彩感」(相良守峯『大独和辞典』の Sinn の項目 3)
         この場合の用例 . . . in die Dumpfheit und Verworrenheit, worin der Sinn des Diesseitigen lag . . .
                     「・・・もうろうとして混乱している、此岸への感覚の中に・・・」(『精神の現象学』の「序文」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 13. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 16)


(4)
Sinn が「意味。意義」のときには、「単数で [すなわち、Sinn]」使われると、小学館『独和大辞典 第 2 版』(Sinn の項目 4)に記載されています。


so (V. 1.0.) → So + 副詞 + 副文 + ・・・ (V. 1.1.)  so wie
 
意味:
どんなに~でも。

 解説:
so
+ 形容詞/副詞 + 主語 + 定動詞の後置(正置の場合もある)」のとき、「どんなに~でも」という認容文になることがあります。相良守峯『大独和辞典』の so の項、II 4 c には例文として:
 
so sehr er sich [auch] bemüht (彼はどんなに骨折っても)


 用例:
. . . , so gewiss er -- denkt.
     「・・・彼が確かに考えていてもです。」(『フィヒテとシェリングの、哲学的往復書簡集1856年のオリジナル版、87 ページ



So + 副詞(形容詞)A + 副文, so (ebenso) + 主文 (V. 2.1.) → so → so wie
 意味:
副文の内容が A であるのに応じて(あるいは、A であるのと同様に)、主文の内容も(ますます) A である。(ただし、副文の内容と主文の内容に、因果関係はなくてもよい。)

 解説:『精神の現象学』の「序文(
Vorrede)」では、下記の「用例 (1), (2)」が登場しますが、これらの正確な意味が問題です。もっとも、文のおおまかな意味自体は、前後の文脈からおおよそ推測はできます。すなわち、<副文の内容が A である程度に応じて(あるいは、A であるのと同様に)、主文のの内容も A である>、というものです。
 しかし、これらの用例にはSo + 副詞(形容詞)A + 副文, so (ebenso) + 主文」の構文が使われていますが、この構文を 2 つの so の働きという点から、文法的に正確に把握しようとするとやっかいです。手元の代表的な辞典(相良守峯『大独和辞典』、小学館『独和大辞典 第 2 版』、グリム『ドイツ語辞典』『ゲーテ辞典』
Adelung)の so の項目には、この構文の説明がないのです(『ゲーテ辞典』には so の項目自体が欠如)。とはいえ、
  <ア>
So + 副詞(形容詞)A + 副文 + so + 副詞(形容詞)B (あるいは、同じ A)+ 主文」、および、
  <イ>So + 副詞(形容詞)A + 副文 + 主文
の構文は、いくつかの辞典に出ています。したがって、問題の構文は、
・ <ア>の構文の後半の B が省略されたものであるか、
<イ>の構文の直後の、主文の先頭に、so (ebenso) が加わったと、
考えるのが自然でしょう。

 結論から言えば、<ア>の構文の後半の B が省略されたものだと思われます。そこでまず、<ア>の構文について、各辞典で確認しておきます。(なお、以下のドイツ語例文の訳については、( )内にあるものは辞典編集者によるものであり、「 」および『 』内は拙訳です。また、[ ] 内は筆者の挿入です。)

(I) <ア> の、副文と主文双方の先頭に 「so + 副詞(形容詞)」がくる構文について

 (1) この構文は、相良守峯『大独和辞典』では、
so の項目, II 4 b に記載されています。引用しますと、
  「II.
adv. (接続詞的)
     (副詞・形容詞の規定詞として;しばしばこれらと複合語を形成し、アクセントを有しない;接続詞としては複合形が正しい)
      (b) (相関的増大を示す」) [その例文としては:]
 So schnell die Städte wachsen, so schnell entwickeln sich die Verkehrsmittel. (都市が急速に膨張するにつれて、交通機関も急速に発達する。)
 S
o fleißig der Fater ist, so faul ist der Sohn. (父親が勤勉であればあるほど、息子は怠惰である。)」

 つまり、相良守峯『大独和辞典』によれば、<ア> の構文の意味は、<副文が A であるのに応じて、それだけますます主文が B であるという、相関的増大>です。おそらく、<ア> の構文のもともとの、あるいは基本的な意味は、この「相関的増大」でしょう。
 そして副文の
so の直後に来る A と、主文の so の直後に来る B 形容詞(副詞)は、同じ語の場合もあるし、違う場合もあります。

 (2) 小学館『独和大辞典 第 2 版』では同様の説明が、so の項目, III 3 b に記載されています。引用しますと、
  「III. 接続詞
    3 (形容詞・副詞を修飾して)

      (b) (呼応的に副文と主文それぞれの先頭に置かれて)・・・に応じてそれだけ・・・ [その例文としては:]
 So sehr er Konzerte liebt, so sehr lehnt er Opern ab. (彼は音楽界があんなに好きなのにオペラはあんなに嫌っている)
 So fleißig Hans ist, so faul ist sein Bruder. (ハンスはあれほど勤勉なのに兄の方はその分だけ怠け者だ)」
 [なお、相良守峯『大独和辞典』の最初に挙げた例文(So schnell die Städte . . .
が、後発の小学館『独和大辞典 第 2 版』にそのまま採用されて、訳文もほとんど同じというのは、よくあることとはいえ、いただけません。えっ、そんなことに目くじらを立てていたのでは、日本で辞書はできない?]

 最初の例文(So sehr er . . . )とその訳(あんなに好きなのに・・・あんなに嫌っている)を見ますと、、常に厳密に「・・・に応じてそれだけ・・・」という量的な相関性をもつ必要はなさそうです。したがって訳文も、「あんなに・・・あんなに・・・」と、たんに<同じような分量>を表すものになっています。
 また、後の例文(So fleißig)の場合には、副文の内容と主文の内容に、因果関係はありません

 (3) グリム『ドイツ語辞典では、2 番目の so の項目, II. C. 1) b) δ) ηη) に記載されています。引用しますと、
  「II. 意味と用法。
    C. 接続詞として。
      1) 性質(
Beschaffenheit)、性状(Art)、程度、分量などにかんして [用いられる]。近代においては、いろいろな場面でwie の語に取って代わられている。・・・
        
b) 程度、分量などにかんして [用いられる]。
          δ) [前項のγに] ひき続いてだが、副文の先頭に位置して、副詞あるいは形容詞をともなう so の用法がある。[しかしこれら副詞・形容詞のすぐ] あとには [γの場合とは異なり] 2 番目の
so、ないしは als, wie は来ない・・・。このような副文は、今日まで使われている。
             ηη) 実際に [物事を] 比較 [する文脈] において、主文と副文のうちで副詞形容詞 so をともなって置かれえる。
so をともなっている語は、 [主文と副文で] 同じこともある。[その例文としては:]
 so lange du bleibst, so lange bleib ich auch. 『君が長くとどまれば、ぼくもそれだけ長くとどまる。

 [上記 ηη の説明の続き] 不可能であるこを示すために [も、使われる。その例文としては:]
 so wenig ein esel fliegen kan, so wenig kan er latein reden. ロバは空を飛べないように、またラテン語も話せない。

 [さらに ηη の説明が続く] 主文においては
so にともなわれる語は、副文で so にともなわれている語とは別の語であることもある。[その例文としては:]
 so tugendreich er ist, so glückselig ist er auch. 彼は徳の高い人であるが、またそれだけ幸せな人でもある。

 上記 so wenig ein esel の例文(空を飛べない・・・ラテン語も話せない)などは―― (2) の小学館『独和大辞典 第 2 版』のところでも述べましたが――「・・・に応じてそれだけ・・・」という厳密な量的相関性ではなく、たんに「同じような分量」を表しています。また、因果関係もありません

(II) 用例 (1)」の意味について
 So fest der Meinung der Gegensatz des Wahren und des Falschen wird, so pflegt sie auch entweder Beistimmung oder Widerspruch gegen ein vorhandenes philosophisches System zu erwarten
 この「用例 (1)」の文のおおよその意味は、前後の文脈から、
 <真理と誤りは対立するという考えが固定化すると、こうした考え方は [哲学的営為に対して]、既存の哲学体系への同意かあるいは否認を、より期待するようになる と、
推測できます。(なお、der Meinung は所有の 3 格ではないかと思います。Meinung は生物ではありませんが、人が有しているものということで、擬人化されているのではないでしょうか。
 (i) すると、最初の副文の内容が
fest(固定的)であるのに応じて、いよいよ主文の内容が成立してくるということですから、上記 <ア>So + 副詞(形容詞)A + 副文 + so + 副詞(形容詞)B + 主文がもつ相関的増大の意味が、使われていると思われます。後半の主文の先頭に立つ副詞が欠けているのは、その副詞は前の fest と同じであるがために、ヘーゲルによって省略されたと考えられます。たとえば、nicht nur . . . sondern auch . . . でも、sondern あるいは auch はよく省略されます。定型的表現では、後半部の省略ないし変形はよくなされます。

 (ii) しかし、B に相当する副詞が無いことから、<ア> の構文ではなく <イ>So + 副詞(形容詞)A + 副文 + 主文が使われている可能性もあります。この場合には、後半の
so は「副文の後に来る主文を導」く(相良守峯『大独和辞典』の so の項目、II 3 a)だけで、それ自体は意味を持たないと解せるでしょう。
 そしてこの場合には、ヘーゲルの文意に該当するようなSo + 副詞(形容詞)A + 副文 + 主文の意味が、辞典に記載されているかどうかを確認する必要があります。そこで、記述がもっとも詳細なグリム『ドイツ語辞典』で、
so の項目を引きますと、このSo + 副詞(形容詞)A + 副文 + 主文」の構文は、2 番目の so の項目、II. C. 1) b) δ) の、αα) θθ) で説明されています(ηηは上記 <ア> の構文の説明で、上記 (I), (3)てすでに引用したので、以下では省略します)。
 順を追って見ていきますと
[ただし、II. C. 1) b) δ) の箇所の辞典の説明文は、上記 (I) (3) ですでに引用したので、省略します] ――
            「αα) 程度や分量を示す副詞 [をともなう場合] において。[その例文としては:]
 so oft sein name genannt werde, erröte sie ein wenig. 『彼の名前が挙げられるたびに、彼女はすこし顔を赤くした(と言うことである)。 [接続法になっていますが、引用文だけではその意味するとことが、判然としません。一応、(と言うことである)を付けておきました。]
 「
so lange der narr schweigt, hält man ihn für klug. バカも黙っているかぎりは、利口と思われる。

 これら so oft, so lange 以外の例文としては、
so bald, so fern, so lang, so viel, so weit が、各々その複合形(例えば sobald)とともに記載されています。また、これらの語(例えば so bald)の意味は、その複合形sobaldと同じです。つまり、このααが扱っている文では、副文の先頭の so が直後の A と結合して接続詞として機能しているようです。
 しかし、問題の「用例 (1)」の
so fest が結合した sofest は上記 5 つの辞典には記載がなく、どのような意味になるのかも判然としません(おそらく、1 語の接続詞としては成立していないのでしょう)。そこで、ααは「用例 (1)」には該当しません

            「ββ) 上記αα以外の副詞 [をともなう場合] において。この場合には、たいてい副文はなんらかの意図(
absicht)や能力(vermögen)と、たんに程度に応じた(graduelle)合致を示している。[その例文としては:]
 so gut jener das konnte, konntest du das auch, 『あの人がそれをたやすくできたように、君もまたできたのだった』
 「[上記の例文には、辞典編集者の説明が以下のように付いています]
es war für dich so leicht wie für ihn das zu thun. それをすることは、彼にとってと同様、君にとってもたやすかった。

 このββでの副文は、引用しましたたように「意図や能力」を示すもので、副文の主語はすべて人になっています。ところが、 「用例 (1)」の副文の主語は Gegensatz (対立)という抽象的観念です。また文意も真理と誤りは対立するという考えが固定化する」と、「意図」というよりも客観的状況(条件)を述べているように思われます。したがって、ββも「用例 (1)」に該当しないようです。

            「γγ) このような副文においては、主文においてと同様、助動詞はおそらく省かれる [直前のββの例文では、助動詞の können, wollen などが例文中で使われていました]。」

 γγは上記ββの助動詞が省かれた形であり、また副文に so viel (einem [= einer Person]) möglich が使われる場合ですので、これも該当しません

            「δδ) [誓(ちか)いの文句(
betheuerungsformel)の so wahr に関するの記述であり、明らかに該当しないので、省略します。]

            「εε) so が形容詞をともなって、これまで述べてきた [副文と主文の] 結びつきに適合しながら、副文の導入部として用いられることは、あまりないことである: er wird zur selbigen Zeit herrlich werden, so weit die Welt ist.
この例文でも so weit は、主文より見ればたんに副詞的な規定として存在していよう [so weit wäre im hauptsatze auch hier nur als adverbiale bestimmung möglich.]。」

 ということで、このεεで「 So + 形容詞> + 副文」の新しい意味を説明するのではなく、「これまで述べてきた」意味の用法・頻度を説明しています。そして後半では、
es sei so grosz . . . とか sei so kühn . . . などの文型を説明しています。したがって、「用例 (1)」には該当しません

            「ζζ) [
so lieb関するの記述なので、省略。]」

            「θθ) [ここでの「so + 形容詞(副詞) + 副文」は、認容文ですので(相良守峯『大独和辞典』では、so の項目、II, 4, c)、省略。]

 こうして、<イ>「So + 副詞(形容詞)A + 副文 + 主文」は、「用例(1)」には該当しないといえそうです。

(III)用例 (2)」の意味について
 So wenig . . . dies Wort [= alle Tiere] für eine Zoologie gelten kann, ebenso fällt es auf, dass die Worte des Göttlichen, Absoluten, Ewigen usw. das nicht aussprechen, was darin enthalten ist;
(1) この「用例 (2)」の主文中の
auffallen の意味は、「目立つ。注意を引く」ではなく、「奇異な感じを与える」です。

(2) 文中の主文の ebenso ですが、
 (i) so
を強調したものだと思います。したがってこの文も、「用例 (1)」と同じように<ア>so + 副詞 + 副文 + so + 副詞 + 主文の構文でありebenso の直後には副文中で使われている助動詞 wenig が、省略されていると考えられます。
 この<ア>の構文においては、副文と主文のあいだに因果関係がない場合や、厳密に量的な相関性がない場合もあることは、上記 (I) (2) の最後に記しました。この「用例 (2)」は、それに当てはまります

 (ii) <ア>の構文の一部ではなく、<イ>so + 副詞 + 副文」のあとで、独立して主文を構成する語だとすれば、「ちょうど同じように」という自立した意味をもつことになります。しかし、そのような意味をもつ ebenso が受ける副文は、ふつう
wie で始まります。しかし、「用例 (2)」は「so + 副詞で始まっており、so + 副詞構文の意味がこの場合には不明です。上記 (II) (ii) でグリム『ドイツ語辞典』でのso + 副詞 + 副文」の説明を紹介しましたが、「用例 (2)」はαα~θθの説明のいずれにも該当しません。

 (ii) ではなぜヘーゲルは、
so ではなく ebenso を使って強調した表現にしたかということですが、副文の dass die Worte . . . 以下では、シェリングなどとは対立する彼独自の哲学を展開するための前提となる考えが、述べられています。そこで、この考えを登場させるための主文が、強調される形となったのでしょう。

 用例 (1) So fest der Meinung der Gegensatz des Wahren und des Falschen wird, so pflegt sie auch entweder Beistimmung oder Widerspruch gegen ein vorhandenes philosophisches System zu erwarten . . . .
     「真理と誤りは対立するという考えが固定化すればするほど、こうした考え方は [哲学的営為に対して]、既存の哲学体系への同意かあるいは否認を、より期待するようになる」。(ヘーゲル『精神の現象学』, GW, Bd. IX, S. 10./Suhrkamp Verlag, Werke in zwanzig Bänden, Bd. III, S. 12.


 用例 (2) So wenig . . . dies Wort [= alle Tiere] für eine Zoologie gelten kann, ebenso fällt es auf, dass die Worte des Göttlichen, Absoluten, Ewigen usw. das nicht aussprechen, was darin enthalten ist;
     「[『動物すべてという] この言葉は動物学としては何ら通用しないのであるが、これとまったく同様に、「神的なもの、絶対的なもの、永遠なもの等々」の言葉が、これらに含まれているものを言い表さないのは、何ら奇異なことではない。(ヘーゲル『精神の現象学』, GW, Bd. IX, S. 19./Suhrkamp Verlag, Werke in zwanzig Bänden, Bd. III, S. 24f.)


so (so wie) (V. 2.0.) → so → So + 副詞 + 副文 + ・・・
 
意味:so wie + A副文)で、A)のように。

 解説:この so wie においては、副詞の so が 従属の接続詞 wie を強調しており、実質的な意味はたんなる we と変わりません。したがって、「so wie + A, B」およびB, so wie + Aは、「A のような(に) B」という意味になります。
 
グリム『ドイツ語辞典』 so の項目に、so wiesowie の間にコンマは入りません。また、1 語の sowie でもありません)の説明が出ています。その説明の分類場所は、「A, 1), l) (エル), γ), αα)」です。(*1)

 これらの分類場所での so の説明は、以下のとおりです:
・ A: 「純粋に副詞的 [な用法である]」。

・ 1): 「そのような/このような種類においてとか、そのような/このような程度や量において [という意味である]」。

l): 「so [の意味] は、述べられている他のもの [=前記の B] への対比的関係によっても、より詳しく規定されえる。・・・ so [の語] が、対比的関係を作っている」。

・γ): 「wie と共に [使われる]。wieso の前・後いずれにも位置しえる」。

・αα): 前記γ) のいくつかの用例が記載されています。例えば:
 wie mich mein vater geleret hat, so rede ich.
 
「私の父が私に教えたように、私は語るのです。」
 これらの用例の後で、「[sowie との間が] 詰められて so wie [となって]、強調された wie [も使われる]」と述べられています。その比較的分かりやすい例としては:
 dagegen ein schulgerechter zögling der sittenregel, so wie das wort des meisters ihn fodert, jeden augenblick bereit seyn wird, vom verhältnisz seiner
handlungen zum gesetz die strengste rechnung abzulegen.

 「それに対して、道徳規範に則った生徒は、先生の語ることが彼に要求するように、きまりと彼の行為との関係について、いかなる時にも厳格な考慮をすすんでなすであろう。」


 用例:
Durch alle andren Gesetze . . . wird daher nichts bestimmt, so wie es . . . an sich ist, sondern nur so, wie es . . . in der Erscheinung ist.
   「他のいかなる諸法則によっても、あるがままには何ものも規定されず、ただ現象において規定されるだけである」。(シェリング『私の哲学体系の叙述』、第 4 節、付記 1)

--------------------------------------------
  
so wie」の注

(*1) この "so wie" が記載されている場所を、簡単に見つける方法は――
(1) グリム『ドイツ語辞典』のホームページで、上部・左側にある検索欄に
so を入力して、クリック。
(2) 左側の欄の上部に、SO が 2 つ縦に並んでいるので、2 番目の SO をクリックして、 SOのページへ行きます 。
(3) 中ほどにある SO を説明した行は見づらいので、この説明行において最初に出てきている
Adobe の赤い PDF マークをクリックして、PDF の表示に切り替えます。
(4) キーボードで、「
Control」キーを押し下げたまま、「f」キーを押すと検索の欄が現われますので、so wie と入力して検索。
(5) so wie 以外のものも(例えば、
so, wie および so wie sosowie のどちらかがイタリック体のもの。)検索されるので、その場合は検索欄下の「次へ」(日本語で表示)をクリックして、so wie にたどり着きます。

 なお、SO の説明は膨大で、自分がいまどこを読んでいるのか分からなくなりがちです。そこで、ブラウザで SO のページをもう一つ開けておきます。つまり、上記 (2) の状態にしておきます。
(3') 上部の緑色の行の右側に、Gliederung のタブがありますのでクリック。
(4') すると、SO の説明のアウトラインが示されます。説明の分類の冒頭の文が記載されていますので、上記 (3) の PDF 文書と見比べることができます。



sollen (V. 1.5.) → sollten
 
意味:
(1) ~しなければならない(sollen を含む文の主語以外の人の要求・命令や、道徳的に、あるいは義務として、当然なすべきことを表す)。
(2) ~する定めになっている。~するに決まっている。~のはずである。~せずにはおかない。(運命や成り行きを表す。)
(3) ~と言うことだ。~という噂(うわさ)である。
(4) (当事者の意図を示して)~というつもりのものである。(漠然たる他人の意図を示す)~だというのである。

 解説:
sollen は多くの意味をもちますが、上記の 4 つは押さえておきたいところです。
上記 (2) の意味について
 (2) の「運命や成り行きを表す」用法は、訳しづらく、文意に応じてさまざまな訳となり一定しません。まず、訳についてですが、
  (i) 相良守峯『大独和辞典』の例文(
sollen の項目の 7)を見ますと(なお、[a] [i] の記号付けは筆者)、
   [a]
wenn es sein soll, 「やむを得なければ」
   [b]
sie sollten noch schwerer geprüft werden, 「彼らはもっと試練されねばならなかった」
   [c]
es hat nicht sein soll, 「そうはならないのだった」
   [d]
3 Jahre sollten vergehen, ehe . . . , 「云々となるまでには、3 ヶ年が経過するのであった」

  (ii) 小学館『独和大辞典 第 2 版』には(
sollen の項目の I, 1, d)、
   [e]
Ich bin auf alles aufgefasst, was kommen soll. 「いやおうなくやって来るどんな事態でも、迎える覚悟ができています」
   [f]
Wenn ich sterben soll 「私の死が避けられぬものならば」
   [g]
wenn es sein soll 「どうしてもというのなら」
   [h]
Dem Unternehmen sollte kein Erfolg beschieden sein. 「この企ては、失敗に終わる運命にあった」
   [i]
Es hat nicht sollen sein. 「(しかし)そういうことには、ならなかった」

  (iii) この (2) の「運命や成り行きを表す」用法においても、訳としては (1) の 「~しなければならない」にしたほうが(あるいは、しても)、しっくりくる場合もあります:
  ・[b] は、そのようにしています。
  ・[d] は、「・・・3 ヶ年が経過しなければならなかった」の訳でもよさそうですし、
  ・[b] を、「私は死ななければならないのであれば」と訳しても、意味はまぎらわしいですが、間違ってはいません。

  (iv) もう少し詳しく (2) の用法を知るために、グリム『ドイツ語辞典』sollen を見ますと、II で 12) と 13) の 2 つに分けて取り上げられています。(なお、[ ] 内は筆者の挿入です)
 12) では、「
sollen が、義務や [主語以外の] 他の人の意志によって引きおこされた必然性(
Notwendigkeit, 必要性)ではなく、物事の性質や事態などから生じた必然性を示す」場合だと、説明されています。
 そして、a) から
k) に渡って、次のように述べられています(なお、j) の項を記していないのは、筆者が訳出できなかったのではなくてですね、昔のドイツ語には j のアルファベットがなかった影響からか、原文そのものに欠けているためなのです。ここのところ、取りまちがえないで下さいね):
  
a) まったく 5) の d (*1)の続きとなるような sollen の語法として、sollen は「それは適当である(angemessen)、正当である(billig)」の意味で使われる。
  b) 「それは必要である、あるいは、実際上の理由から望ましい(
empfiehlt sich aus sachlichen gründen)」。
  c) 自然的な必然性について [使われる]。(現在 [19 世紀?] ではこの意味での
sollen には、müssen [が使われる]。)
 自然の命令(
Gebot)と解された本能について [使われる]。
 物事の性質がもっているような [ことを表す]。
  d) 時(とき)が要求すること、もたらすこと [を表す]。
  
e) 上記の d) から、「しようとしている(
im Begriffe sein)」の意味が生じる。
 この意味においては、今日では
wollen の方がより一般的に使われている。
  f) 「~であろうと予期されえる」。
  g) なんらかの論理的必然性について [使われる]。
 現在では、この意味においては
müssen が必須(notwendig)なのかもしれない。しかし、[müssen と] 同様になお [sollen も使われている]。
  h) こうした場合たいていは(特には c) と d) を見よ)、
sollenmüssen と重なるところがある。両者は、しばしばまったく同じだとされる。
 そこで、
sollen が通例の müssen に代わって登場することにもなる。
 
sollenmüssen と入れ替わる。
  i)
ときには
sollen は、können の意味にも近づく。
  
k) [この k) は、中高ドイツ語における連語の場合ですので、省略します。]

 13) では、「12) に関連して、運命という規定の
sollen がある。すなわち、「[神・自然などによって] それは決められている(bestimmt)、定められている(verhängt)、宿命である(beschieden)」 [などの意味をもつ] と言われています。
 そして、
a) から e) に渡って次のように説明されます:
  
a) もともとは、神・神的摂理・擬人化された運命などの意志 [を表すもの] として。
  b) [この
b) は、上記 a) で行われた説明の典拠となる用例を引用した箇所なので、省略します。]
  c) ときには、「しようとしている(im Begriffe sein)」(上記 12) の e)の意味に近い。
  d)
しばしば sollen は、都合よく幸運な運命(eine gute, glückliche Bestimmung)を表す(Ich soll は、「私には許されている、与えられている(mir ist vergönnt, verliehen)[の意味である]」)。
  
e) しばしば、仮定的な前提において [使われる。つまり、「もし~ならば」]。
 そこで、ことわざのような言い方において [使われる]。
 認容文における
sollen については、16) の g) (*2)を見よ。

上記 (3) の意味について
 この「と言うことだ。~という噂(うわさ)である」の用法は、
  (i) 相良守峯『大独和辞典』では、
sollen の項目 9) に記載されており、次の (4) の「漠然たる他人の意図を示す」用法とは、異なります。
  (ii) 小学館『独和大辞典 第 2 版』では、sollen の項目、I, 2, a) に記載されており、やはり次の (4) の「当事者の意図を示す」用法とは、異なります。

上記 (4) の意味について
 (4) の「当事者の意図を示す」、あるいは「漠然たる他人の意図を示す」用法は、
  (i) 小学館『独和大辞典 第 2 版』では、sollen の項目、I, 1, c) に記載されています。
  (ii) 相良守峯『大独和辞典』では、sollen の項目、8) に記載されています。

 この用法での訳として、上記の「意味」の (4) では「~というつもりのものである」と「~だということである」とを一応記しましたが、訳語は文脈におうじて変える必要があり、一定しません。

 相良守峯『大独和辞典』の例文を見ますと(なお、[a] [d] の記号付けは筆者)、
   [a]
das soll auf mich gehen, 「それは私をさして(ねらって)いるのだ」
   [b]
das soll Karl sein? 「あれがカールを描いたのかい」
   [c]
das soll ein Witz sein, 「それでも洒落(しゃれ)のつもりなんだ」
   [d]
er machte eine höflich sein sollende Bewegung, 「彼は自分では優雅なつもりの身ぶりをした」

 (2) の用例: Auf solche Fragen: wann Cäser geboren worden, wie viele Toisen ein Stadium betrug usf., soll eine nette Antwort gegeben werden . . .
 「いつシーザーは生まれたのかとか、また、1 スタディオンは何トアズになるのかなどといった問題に対しては、はっきりとした答えがあるはずである」。(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 31. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 41)
 なお、この「用例」中の
soll が、「~しなければならない」ではなく、「~のはずである」の意味であることについては、こちらを参照ください。)


 (4) の用例:
--
ein Vorwurf, der etwas Ungebührliches und Letztes enthalten soll, . . .
 
「なにか不穏当で最終的なものを含ませているような批難・・・」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 44. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 60.

--------------------------------------------
(1*) 5) の
d) での sollen の説明は:
 「
sollen が表すところの義務が、一般的に承認されている道徳・慣習や法、大勢をしめる礼儀などから生じている。・・・しばしば sollen は、本来の義務を表すというのではなく、たんに適当であるようなことを、生活上のきまりを、つまり上手くいくような決まりごとを表す」。

(2*) 16) の g) では、「認容文(
concessivsätzen)において」ということで、以下のような用例が出ています:
 
solte ich auch meinen besten freund drüber verlieren. (原文のまま) 「私の最良の友を、そのことでかりに失おうとも」


sollten (V. 1.1.)sollen
 意味:
もし~ならば

 解説:
sollen の接続法・第 II 式(過去)の sollten には、würde, könnte の意味に用いられ、仮定を表す」(相良守峯『大独和辞典』)場合がよくあります。

 用例:
. . . sollte vorteilhafte Meinung von mir . . . einiges Gewicht für Sie haben, . . .
 「・・・私に関する好意的なご意見を・・・いささかなりとも心に留めておられるのでしたら・・・」(『フィヒテとシェリングの哲学的往復書簡集』、1856年 のオリジナル版では、S. 63. 『アカデミー版フィヒテ全集 III, 5』では、S. 113)


 なお、接続法・第 II 式としての sollten にはこのほかに、次の意味があります(相良守峯『大独和辞典』によります):
・命令、義務などが行われないことを表す。
  
Sie sollten ihm doch lieber schreiben. あの人に手紙をお出しになればよいのに。
・謙遜な要求を表す。
  
Das sollte er doch wissen. 彼はそのくらいのことは知っているべきだ。
・蓋然・推量、とくに疑惑を表す。
  
Man sollte glauben, dass . . .  人々は・・・と信ずるかもしれない。


sonst (V. 1.0.)
 意味:
つまり。(意味を明確にするために、観点を変えて説明するときに、用いられるようです。たとえば仕事をしていて、「そろそろお茶にしよう。つまり、休憩だ」といったような。)

 解説: sonst意味としては、「それ以外に」、「(それを除外して)ふつうは」などがあげられます。しかし、このような通りいっぺんの理解では、下記のヘーゲルの「用例」の意味はとれません。そこで、グリム『ドイツ語辞典』sonst の II, 2),
c で説明されている意味が、注目されます。
 この
c の意味を明確にするために、2) のはじめから見ていきますと:
  II. 意味と用法。
   2) [昔の
so の意味ではなく、] 新しく、多様化した特有な使用法において。これらの意味は、「別個に言及せられたものを除いて」とまとめられる。
     
a) 別の場合において。(im andern falle.) [つまり、「それ以外に」の意味です。]

     b) 別の新たな種別において。ある別個の事態に、[sonst 以下で] 目下提示されている一般的な種別が、対置されるような場合に関してである。(
in andrer, weiterer art, im anschluss an die fälle, in denen ein besonderer umstand der gegenwärtigen, gegebenen, allgemeinen art gegenüber gestellt wird.

 [すなわち、a) では
sonnst 以下に具体的なものが登場したのですが、この b) では一般的なものが扱われています。例文としては:]
 
sie (eine stadt) geht über, durch sturm oder sonst. Göthe
 「町は、あらしや他のもので変わっていく」(ゲーテ)

     c) 別個に主張されている状況に対置して、別の状況を――すなわち、[前者の状況を主張するときに使われた] 動詞ないし名詞が有しているところの観念が、及んでいる状況を、またこの観念が表出されえるような状況を――、[それまでとは] 別の関係において、その他の点において・・・指示する。(gegenüber einem besonders hervorgehobenen moment auf anderes hinweisend, worauf sich ein verbaler oder nominaler begriff erstrecken, worin er sich äuszern kann, wie in andrer beziehung, im übrigen . . .

 [この
c で説明されている意味には、「つまり」といった訳語が当てはまると思われます。例文としては:]
 
da setzet jn der könig neben sich, und befalh seinen fürsten, das sie mit jm in der stad umbher ziehen sollten und ausruffen lassen, das jn niemand verklagen solt, oder sonst beleidigen . . . (das verklagen ist doch wol als erscheinungsform des beleidigens gedacht)
 
「そこで国王は、かの者を自らの横におき、諸侯に命じた。「汝らかの者とともに、町をねり歩き、誰もかの者を告発すべからず、すなわち侮蔑すべからずと、ふれさせよ」([辞典の編集者の注] 「告発する」ということは、「侮蔑する」ことの現われだと、考えられている。)

 用例: Sonst ist zuerst das Subjekt als das gegenständliche fixe Selbst zugrunde gelegt;

    「つまり、まず主語が固定された対象的な自己として、基礎に置かれている。(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 43. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 58.)
 なお、この引用文での sonst が「つまり」の意味になる理由は、こちらの◇ 拙訳の理由 (1)」を、ご覧ください。


Stadium (V. 1.0.)
 意味:
スタディオン(古代ギリシアの距離の単位で、約 200m)。

 解説: 下記のヘーゲルの「用例」では、「シーザー」が例として出ているように、古典時代(ギリシア、ローマ)が考えられているようです。そこで、
Stadium の語源は、ラテン語を経(へ)ての古代ギリシア語 Stadion ですので(Duden: Deutsches UniversalwörterbuchStadium の項目)、Stadion を前記 Duden で引きました。すると、ギリシア語の原意として、「尺度(179m から 213m の間)」とあります。
 このようにスタディオンの長さが一定でないのは、
Meyers Großes KonversationslexikonStadium の項目によれば、 1 Stadium = 600 Fuß (フィート)なのですが、Fuß の長さが各地で違ったためらしいです。(なお、同事典では、最大の 1 Stadium を192.27mだとしています。また、アッティカでは 185mになっており、相良守峯『大独和辞典』の Stadionの項目に記載されている 1 Stadion184m は、アッティカのもののようです)
 用例中のトワーズ(
Toise)は、昔のフランスの長さの単位で 1.949m。(小学館『独和大辞典 第 2 版』。なお、相良守峯『大独和辞典』では「1949」となっており、小数点がなく、誤植です。)

 用例: Auf solche Fragen: wann Cäsar geboren worden, und wie viele Toisen ein Stadium betrug usf., . . .

    「シーザーはいつ生まれたのかとか、1 スタディオンは何トワーズなのか、などといった問いに対しては・・・」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 31. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 41.)


Station → こちらを見てね


Staub (V. 1.0.)
 意味:
土(つち)。

 解説:
Staub には「ちり。ほこり」のほかに、「土」の意味もあります。小学館『独和大辞典 第 2 版』の Staub の項目には、
 
(wieder) zu Staub werden 「つちにかえる、死ぬ」
という例文がでています。
 この「土(
Erde)」の意味での Staub は、グリム『ドイツ語辞典』では II, 4) b) および II. 5) a), d), f) などで説明されています。やはりもともとは、旧約聖書においてアダムが、土(Staub)から作られたことに由来するようです。

 用例: . . . als ob sie [= die Menschen], des Göttlichen ganz vergessend, mit Staub und Wasser, wie der Wurm, auf dem Punkte sich zu befriedigen stünden.
     
「人々は神々しいものをすっかり忘れ去り、虫のように土と水で満足しようとしているのだとばかりに。」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 13. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 16.)


Stück (aus einem Stücke) (V. 1.0.)
 意味:一体となった。

 解説:この熟語は、「一塊(ひとかたまり)の」とか「一つの部分から」ではなく、「つぎはぎ細工でない, 渾成の」という意味です(相良守峯『大独和辞典』, Stück 1.0.)。小学館『独和大辞典』(第2版)では、Stück の 1b) (元来は全体の一部であっても、比較的まとまりのある一個の全体として意識されるもの)が相当するようで、以下の例文が載っています:
 Das Kleid ist aus einem Stück gearbeitet.
 「このドレスは一枚の布地で作られている」

 用例:Philosophie aus einem Stücke (フィヒテ『1804年の知識学』, Fichtes Werke herausgegeben von Immanuel Hermann Fichte, Bd. X, S. 237. ただしこの用例は、ヤコービからフィヒテが引用したものです。)


Substanz (V. 1.0.)
 意味:(1) (スピノザ的)実体。(2) 実質。中身。本質。

 解説:ここでは、「実体(
Substanz)」の語を、哲学用語として解説しようというのではありません。Substanz には、上記 (1) と (2) の異なる意味がありますが、それを確認しておこうというものです。
 筆者の利用できる辞典で、もっとも詳細な説明が書かれているグリム『ドイツ語辞典』を見ますと――
(1) スピノザの実体については、SUBSTANZ の 1) の
b) で説明されています:
 「1) substanz の哲学的な意味は、こ
の語とその観念(begriff)の由来にしたがって、ドイツ語においてもたいへん古くから、広範囲にわたって発展してきた。この哲学的意味においてはsubstanz は、変化する諸現象の「基礎になっているもの(unterliegende)」を意味する。
 この「基礎になっているもの」は、持続するもの、またたいていの場合、諸属性を担うもの(
träger)、自立してそれだけで存在するものなどと、考えられている。
     [a) は省略]
    b) スピノザ哲学が広まってからは、substanz ということで、人はまず「存在するものすべての普遍的な基体(substrat)」を理解した [その例文として、スピノザ哲学を広めることになったヤコービの『スピノザ書簡』(1785 年)の一節が、次に引用されます。] :
 『原存在(
das urseyn)、[つまり] それ自体は [他のものの] 属性(eigenschaft)とはなりえなないが、かえって他のすべてのものが、たんにそれのもつ属性であるようなもの、遍在し、不変であって、現実的なもの――この唯一にして無限な、すべての存在(wesen)の存在(wesen)を、スピノザは神あるいは実体と呼んだ。』」

(2) Substanz の「実質」という意味は、3) の
b) で説明されます:
 「3) 或るものの本質、核、中身(
gehalt)。
     [a) は省略]
    b) 具体的な要素とともに(
mit dem element des faszbaren) [使われる]。まずは、精神的なものにおいて:[その例文として]
 
(Schleiermachers gedanken sind) meist nur modifizirungen, . . . zurechtstellungen, wobei die substanz entweder fehlt oder anderweitig entlehnt werden muss (Varnhagen van Ense) . . .
 『(シュライエルマッハの思想は、)たいていはたんに [他人の思想の] 修飾や・・・訂正であって、それらにおいては実質的な内容は欠けているか、あるいは別に借りてこなければならない』。・・・
 近代においては、[
substanz は] またより具象的(gegenständlicher)になって、見解・人間・社会の重要な基盤について(von der vitale grundlage)について [使われる]:[その例文として]
 
(die höfische welt) wünscht auch keine ausdrucksdichtung, erlaubt nur weinig von der menschlichen substanz des dichters (H. Naumann)
 『宮廷社会は、また創作された表現も望まないし、ある作家の人間の中身といったものを、許容することもあまりないのである』。」

 直前の引用文中の menschlichen substanz des dichters のように、substanz の意味が「本質、核、中身」の場合には、直後に付加語の 2 格(des dichters)をよくとります。この3) の b) での他の例として:
 
blutmäszige substanz unserer nation 「我らの国がもつ血統的本質」

 用例:Diese Vergangenheit durchläuft das Individuum, dessen Substanz der höherstehende Geist ist . . .
    「このような過去を、より高次の精神を実質にもつ個人は通っていく。」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 24. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 32.)
 『精神の現象学』の「序文」では、スピノザの実体が登場し、じつはその実体は主体であると立論されます。そこで、上記「用例」の Substanz を「実体」」の意味にとりますと、「スピノザ的実体=神」となって、「個人(Individuum)」がもつものとしては、あまりにも大げさになります。
 むろん、この文までに、<実体は主体的な運動をするのであって、その定在形態は各時代の世界全体である。したがって、世界の内の個人の本質は、実体の変容(様態)にほかならない>といった説明があれば、「実体」という訳語でいいとは思いますが。


  T

tamquam ex machina  
(V. 1.0.)
 意味:
機械仕掛けのように。直訳すれば、「機械(machina)から(ex)のように(tamquam)」。

 解説: ex machina については、deus ex machina の項目を参照して下さい。



Taumel  (V. 1.2.)
 意味:精神の興奮。恍惚状態

 解説:この
Taumel という語は、下記の「用例」で引用されているように、ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」の有名な一節で使われているために、その意味が問題となります。
 
グリム『ドイツ語辞典』Taumel を引きますと:
 「1) もともとは、旋回するような、あちこちへとよろめきながらの運動、ふらつき、めまい」。(相良守峯『大独和辞典』では、「よろめき。ふらふら歩き。ちどり足。めまい」)
 「2) 転義としては、酔ったようになって、正常な意識をすでに持っていない人における、感覚や精神の興奮や恍惚(こうこつ)状態」。(相良守峯『大独和辞典』では、「恍惚。有頂天。」)
 また、Adelung も同じように述べています:
 「よろめく(
taumeln)状態。もともとは目まいや酩酊(めいてい)による。比喩的には、明瞭な思考ができないような極度の興奮によるものもいう。」
 したがって、
Taumel は、酔っぱらってちどり足になっている状態、またはそのときの興奮状態を意味します。「踊る」ことまでは、語義には含意されていないようです。ヘーゲルも Taumel の情景説明で、「酔わぬものとてない」とは書いてますが、「踊らぬものとてない」とまでは言っていません。
 下記用例」中の bacchantisch は、ギリシア神話の酒神バッカスの狂信者のように「酔っぱらった。騒ぎ狂う。どんちゃん騒ぎの」(相良守峯『大独和辞典』。小学館『独和大辞典 第 2 版』)という意味です。

 
 用例:
Das Wahre ist so der bacchantische Taumel, an dem kein Glied nicht trunken ist, . . .
     「そこで真理とは、参加者のすべてが酔っているバッカス祭りの狂騒である。」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 35. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 46.)


tun als ~  (V. 1.0.)
 意味:~として振るまう

 解説:
tun als は、グリム『ドイツ語辞典』THUN の項目、B, IV, 1), c) に出ています。引用すれば:
 B. 意味と用法。
   IV. 目的語を省いて [使われる。つまり、自動詞。] ・・・
     1) ある事柄において、活動的である、あるいは作用する、行動する(
handeln)、振るまう(verfahren)、態度をとる(sich verhalten)。(thun は、自分の信念にしたがって行動するという意味である・・・)
       c) thun als [で使われる]。

 その用例としては:
  
er hat als ein bub gethan. 「彼は少年として振るまった。」
  
der herr wolle thun als ein ehrlicher . . . mann. 「その紳士が、誠実でありたいと望んでくれたら」。)

 用例: . . . das Tuende – als Räsonieren, ob jenem [ersten Subjekt] dies oder jenes Prädikat beizulegen wäre – sein zu können . . .
     「・・・あれこれの述語を最初の主語に添えるべきかどうかを論じる理屈屋として、振るまえる・・・」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 43. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 58.)


  U

übersehen 
(V. 1.0.)
 意味:
検分(吟味)する(相良守峯『大独和辞典』)。
 解説:この
übersehen は、非分離動詞として使われています。他動詞に、「検分する」の意味が出ています。小学館『独和大辞典』(第2版)には、記載されていません。
 用例:シェリング『哲学と宗教』、オリジナル版(SW版)全集では、I/6, 14.



um . . . zu 不定詞 (V. 1.1.)
 意味:
und, aber , dann で始まる主文の代理としての用法)そして(それから)~である。

 解説:
um . . . zu . . . には、よく知られた「~するために」の意味以外に、上記のような意味があります(相良守峯『大独和辞典』の um の項目, II, 2, f)。この用法の例文として、次の文が出ています:
 
Sie schieden, um sich nie wiederzusehen. 「彼らは分かれて、それから 2 度と会わなかった。」
 つまり、この例文は相良守峯『大独和辞典』によれば、以下のように書き換えられるというわけです:
 Sie schieden und [sie] sahen sich nie wieder. 

 用例: . . . das [= dieses Erkennen] . . . das sich selbst Bewegende zum Stoffe herabsetzt, um nun an ihm [= Stoff] einen gleichgültigen, äußerlichen, unlebendigen Inhalt zu haben.
     
「この [純粋数学の] 認識は・・・自ら運動するものを素材へと引き下げる。そしてこの素材において、他のものとは関わらない、外的で生命のない内容を、この認識はもつのである。」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 34. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 46.)
 そこで、上記「用例」の um 以降を書きなおしますと、次のようになります:
 und [das Erkennen] hat nun an ihm einen gleichgültigen, äußerlichen, unlebendigen Inhalt.

 
なお、この「um . . . zu 不定詞」が、「~するために」の意味をもたず、直前の文とは und/dannそして。それから)で接続されえることは、nun (そこで)の語があることからも分かります。


und  (V. 1.1.)
 意味:
(対比・対照・対立を表す)それなのに。一方。

 解説:
und には、「~と~。および」の意味以外に、「文と文を結合」するとき「(対比・対照を示して)一方。それなのに」の意味もあります(小学館『独和大辞典 第 2 版』)。
 相良守峯『大独和辞典』には、この「対立」の用法の例文として、次の文が出ています:
 
alles reist, und ich sollte allein zu Hause bleiben? 「皆が旅に出ているのに、私だけが家に残っていなくてはならないというのか?」

 用例 (1) :
Und auch diese notwendige Folge seiner Zweifel sollte Hume nicht eingesehen . . . haben . . . ?
        「それなのに、ヒュームの疑いから必然的に生じるこの結果を、彼は実のところ理解できなかった・・・とでもいうのだろうか?」(
auch は「実のところ」と訳出。シュルツェ『アイネシデモス』、1792年初版、原注12、118ページ)


 用例 (2) : . . . das ist die Frage, welche die bis zu Ende gekommene Spekulation zu lösen hat, und welche Sie . . . notwendig ignorieren müssen.
        「これらの問いを、完成した思弁は解かねばならないのですが、貴方はこれらの問いを、必然的に無視せざるをえないのです・・・」(1801年10月15日付のフィヒテのシェリング宛手紙。『アカデミー版フィヒテ全集』, III, 5. S. 91) 



Ungleichheit  (V. 1.0.)
 意味:
不適切。

 解説:
Ungleichheit には、文字どおりの「不等。不同」という意味以外に、「不適当なこと」、「矛盾していること」などもあります。
 グリム『ドイツ語辞典』
Ungleichheit を引きますと、「10) ungleich の A III 3 d ・・・ [の意味に] 相応している」とあります。そこで、UNGLEICH, adj. adv. の(UNGLEICH, adj. ではなく) A III 3 d の箇所を見ますと:
 「A. 形容詞」「III. 感覚的な意味ではなく(
unsinnlich, 具象的な意味ではなく)、とくに精神的・道徳的なものに転用されて」「3) とりわけ」
 「d) 適合しない(
nicht zusammenpassend)、
    適切でない(
unpassend)、
    矛盾する(
widersprechend)、
    矛盾に満ちた(
widerspruchsvoll)、
    根拠のない(
unbegründet)、
    ありそうにない(
unwahrscheinlich)、
    ばかげた(
absurdus)」
などの意味が、記されています。

 用例:
Bei der Philosophie hingegen würde die Ungleichheit entstehen, dass . . .
     「それに対して哲学においては・・・という、不都合な結果となろう:・・・」
(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版全集』では、第 9 巻、9-10 ページ。ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』では、第 3 巻、12 ページ)


unum & idem (V. 1.0.)
 意味:
一にして同じ。


  V

verhalten sich zu ~ (V. 1.0.)
 意味:
~に関係する [だろうと思います]

 解説: verhalten sich zu
~ という熟語は、ドイツ観念論関係の文献にはよく出てくるのですが、大辞書をいろいろ調べても、「比例する」といった意味しか記載がありません。そこで、グリムの『ドイツ語辞典』verhalten を引いてみましたところ――

 verhalten
にはいろいろな意味がありますが、
sich verhalten が登場するのは、10 番目の項目「10)」です。その冒頭では、次のように説明されています:
 「『滞在する』・・・という感覚的な意味から、
verhalten の抽象的な意味――すなわち、『ある状態にもたらすという意味や(この意味での verhalten は他動詞で、再帰代名詞をのみ目的語とする)、ある状態にある』『ふるまうという意味での sich verhalten ――が発展した。」

 この説明が、おそらく 10 番目の項目全体を概説するのでしょう。そしてこの項目の後半部では、 sich verhalten の特殊な形がイタリック体で紹介されています。その 2 番目には、
etwas verhält sich zu einer sache とありますので、これが私たちの調べている「verhalten sich zu ~」だということになります。ところが、この熟語の意味の説明はなく、いきなり以下の文例が挙げられています(原文のまま):
 
wie pantomime zur erhabensten poesie sich verhalten würde. Lessing 8, 13;
 
die künste sind das salz der erde; wie dieses zu den speisen, so verhalten sich jene zu der technik. Göthe 22, 149;
          
die schöne Gulpenheh bedarf nur eines blickes,
          
den umfang und gehalt des angebotnen glückes
          
und wie es sich zur schneiderei
          
des armen Hann verhält, zu sehen und zu messen.
                                        
Wieland 18, 290;

 そこで、『グリムドイツ語辞典』の編者の意図を忖度(そんたく)すると―― etwas verhält sich zu einer sache は直接には、「ある物が(etwas)、ある事態(sache)に対して(zu, 関して)、状態である」ということだから、「ある物が、ある事態に関係する(している)」という意味に、文例を参考にしながらとってほしい――ということでしょうか・・・

 なお、上記の 3 文例を「関係する」の意味で訳出すれば、以下のとおりです(畏れ多くもレッシングやゲーテを、翻訳するようになろうとは・・人生何が起きるか分からないものです):
・あたかもパントマイムの、至高の詩に対する関係のように
・芸術は、地の塩である。芸術の工芸への関係は、塩の食物への関係に同じい。
・麗しきグルペンヘー(オランダ語の人名?)に必要なのは、ただ、一瞥(いちべつ)である。
 さし出された幸運の範囲と量を、そしてまた、この幸運が可哀そうなハンの裁縫の仕事にどう関わるのかを、見て測るために。



Verhältnis (V. 1.2.)
 意味:(単数 Verhältniss でも)事態。(複数
Verhältnisse でも)関係

 解説:辞書ではふつう、単数
Verhältnis の意味は「関係」、複数 Verhältnisse は「状態。状況。境遇」と書かれており、文例もそのようになっています。しかし、
(1) 単数が、「事態」を表すこともあるようです。
(2) また複数が、「(A と B の)関係」を意味することも、しばしばあります。

 (1) の用例:
Der Kreis, der in sich geschlossen ruht, und als Substanz seine Momente hält, ist das unmittelbare und darum nicht verwundersame Verhältnis.
 
「自らのうちに閉じこもって静止し、自身のもつ諸契機を、実体として保持しているような円環は、直接的でそれゆえ驚くべき事態などではない」。(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版全集』では、第 9 巻、27 ページ。ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』では、第 3 巻、36 ページ)

 (2) の用例: . . . dass ich mich . . . unsern ehemaligen freundschaftlichen Verhältnissen gemäß benehmen würde.
 「私たちのかつての友人関係にふさわしいように、私は振るまうでしょう。」(フィヒテの 1801 年 10 月付のシェリング宛手紙。『アカデミー版フィヒテ全集 III, 5』では、S. 93. Fichtes und Schellings Philosophischer Briefwechsel, 1856, S. 112.)



verlogen (V. 1.0.) 
 意味:古びてだめになった

 解説:
verlogen は、verliegen の過去分詞のようです。グリム『ドイツ語辞典』を見ますと、liegen lügen は語として通じ合うようで、logen lügen の過去分詞ですので、liegen の過去分詞としても使われたようです。
 
verliegen は、sein 支配の自動詞としては、「長く置かれて質を損じる」という意味です(相良守峯『大独和辞典』。小学館『独和大辞典 第 2 版』には記載なし)。そこで過去分詞 verlogen は、「長く置かれて質を損じた」という意味になります。

 用例: . . . daß nicht das Gröste . . . sich wieder mit dem verlognen Sauertieg vergangener Zeiten zusammenfinde . . .
 「・・・偉大なものが、過ぎ去った時代の古びてだめになったものと、またもや一緒にされることを・・・」(シェリングのヘーゲル宛手紙(1795-2-4 付)。『アカデミー版シェリング全集 書簡集 1』 20ページ。なお、
Briefe von und an Hegel, Felix Meiner, 1969. Bd. 1, S. 20 では、前記「用例」中の verlognenverlegnen と現代表記に直されています。)



versenken (V. 1.1.) 
 意味: (1) 滅(ほろ)ぼす。(2) 沈める。

 解説:
ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(
Vorrede)」では、versenken は、まず上記 (1) の「滅ぼす」の意味で登場します(下記の「(1) の用例」を参照)。この意味は、グリム『ドイツ語辞典』では verlsenken 2) の「比喩的な、また転用された用法」の g) に記載されています:
 「
versenken古い言葉づかいでは、多くの場合宗教的意味において、zu falle bringen(ある人を没落させる。ある事を挫折させる)、verderben(滅ぼす。堕落させる」、verführen(誤った方向に導く。誘惑する)などの意味をもつ言葉になっている」
 そして例文には、
 
gott sey mir gnedig, denn menschen wöllen mich versencken. 「神よ、私に慈悲をたれたまえ。人々は私を滅ぼそうとするのです。」
 
also sol Babel versenckt werden, und nicht wider auffkomen von dem unglück. 「したがって、バビロンは毀(こぼ)たれねばならない。そして、不幸にして再興されるようなことがあってはならない。」

 前記「序文(Vorrede)」でversenken は「滅ぼす」の意味で登場した後、半ページたらずで今度は「沈める」の意味をもって再登場します。この「本来の意味」は、グリム『ドイツ語辞典』では 1) の箇所に記載されています。そして他の辞典を見ても、「~の内に(沈める)」は 「
in + 4 格」になります。

 (1) の用例: Zugleich wenn dies begrifflose substantielle Wissen die Eigenheit des Selbsts in dem Wesen versenkt zu haben . . . . vorgibt, . . .
 「そしてまた、この概念の欠けた実質についての知が、「我意(がい)は [実質の] 本質のうちで滅(めっ)した・・・」などと称したとしても・・・」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版全集』では、第 9 巻、14 ページ。ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』では、第 3 巻、18 ページ)
 なお、
versenken が「~の内に中へ)沈める」という意味のときは、前置詞 in は 4 格支配になりますので、上記の用例でいえば、in dem Wesen ではなく、in das Wesen である必要があります。

 (2) の用例: Der Geist . . . steht im Begriffe, es in die Vergangenheit hinab zu versenken . . .
     「精神は・・・それを過去のものにしようとしており・・・」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 14. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 18.)


 (近接している同じ語が、別々の意味をとっているため混乱してくる、とおっしゃるのですか? 何度も繰りかえすようですが、ヘーゲルの言葉の用い方は、その場その場で意味が分かればそれでよいというものです。これは、漱石が「馬尻」(バケツ)と書いたようなポリシーがあったためではなく、たんにヘーゲルの言語空間が狭く、見通しもきかないせいなんですね。
 しかし逆にいえば、彼はその場その場で分かるようには書いているのです。たとえば、(2) の用例の場合には、「ここの
versenken は、先ほどの in + 3 格とは違い、 4 格ですよ。意味も異なっていますよ」ということを知らせるためでしょうか、hinab が添えられています。
 このような細かな心づかいに胸を熱くしてこそ、私たちはヘーゲルを読んだ、また入室したことになるのでしょう(笑)。


verstehen (über et. sich verstehen) (V. 1.0.) 
 意味:ある事について、合意に達する。

 解説:
sich verstehen にはいろいろな意味がありますが、前置詞 über を伴うと意味は限られてくるようです。グリム『ドイツ語辞典』の verstehen の項目、I. C. 1) b) を見ますと――
 「I. 精神的理解という事がらを、意味する言葉としての
verstehen。(verstehen als ausdruck für den vorgang des geistigen erfassens.
   C. [上記 A, B とは] 別の意味において。
     1)
verstehen の相互・再帰動詞としての用法・・・(ein reciproker und reflexiver gebrauch von verstehen . . .
       
b) sich verstehen は多くの場合、sich verständigen (合意に達する。了解しあう)と同じように、「話、考え、行為において、互いに了解を示しあう」とか「ある事について、了解しあえる」を意味する。(sich verstehen bedeutet meist wie sich verständigen 'im reden, denken, handeln einander verständnis entgegenbringen; sich über etwas verständigen können')」

 この
b) の用例としては:
 
wo aber zweie sich in keinem punkt verstehen,
 
wird die verständigung in leeren streit ausgehen
 「しかしもしも 2 人が、いかなる点においても合意しなければ、
  [2 人の] 協調は無意味な争いに終わろう。

 また、über を伴った用例としては:
 wir verstehen uns über diesen punkt so wenig, wie über viele andre
 我々はこの点については、他の多くの点とどうよう、合意しない。

 用例: Dieser Gegensatz scheint der hauptsächlichste Knoten zu sein, an dem die wissenschaftliche Bildung sich gegenwärtig zerarbeitet und worüber sie sich noch nicht gehörig versteht..
     「この対立は、もっとも重大な難問となっているようだが、学問的教養 [社会] は、この難問に現在労を尽くしながらも、まだなおしかるべき合意に達してはいない。」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版全集』では、第 9 巻、16 ページ。ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』では、第 3 巻、20 ページ)



vertieft in et.(4格) sein (V. 1.1.) 
 意味:ある事に没頭している。ふけっている。

 解説:
相良守峯『大独和辞典』では、vertiefen の項目 (III) vertieft に、小学館『独和大辞典 第 2 版』では、vertiefen の項目の 3 に出ています。

 用例: . . . ist es [= das Denken] in den Inhalt noch vertieft . . .
     「・・・思考は・・・内容に没頭している」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版全集』では、第 9 巻、44 ページ。ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』では、第 3 巻、59 ページ)



verwundersam (V. 1.0.) 
 意味:(1)
erstaunlich (驚くべき), seltsam (奇妙な), merkwürdig (珍しい) (2) mehr im sinne von 'bewunderungswürdig' (より強く、「感嘆に値する(すばらしい)」という意味で)

 解説:
verwundersam は、グリム『ドイツ語辞典』によれば、大きく分けて上記の 2 つの意味をもつようです。

 用例: Der Kreis, der in sich geschlossen ruht, und als Substanz seine Momente hält, ist das unmittelbare und darum nicht verwundersame Verhältnis.
 
「自らのうちに閉じこもって静止し、自身のもつ諸契機を、実体として保持しているような円環は、直接的でそれゆえ驚くべき事態などではない」。(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版全集』では、第 9 巻、27 ページ。ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』では、第 3 巻、36 ページ)


voraussetzen (V. 1.0.)
 
意味:推測(量)する(相良守峯『大独和辞典』)。

 解説:普通に使われるのは、「前提にする」の意味においてですが、そのほかに、「推測(量)する」という意味があります。(後者の意味は、小学館『独和大辞典』(第2版)には、出ていません)。


Vorbericht (V. 1.0.)
 
意味:序(緒)言(相良守峯『大独和辞典』)。序文。

 解説:小学館『独和大辞典』(第2版)には、現代の語意「仮(予備、中間)報告」しか出ていません。そのように訳した誤訳がかなりあるようです。

 用例: シェリング『哲学と宗教』、オリジナル版(SW版)全集では、I/6, S. 13.
       
ヘーゲル『(大)論理学』、表題 Zweiter Band, Die subjektive Logik oder die Lehre vom Begriff の最初の見出し。Meiner 社の哲学文庫版では、Wissenschaft der Logik, Die Lehre vom Begriff (1816), S. 3. (なお、Suhrkamp 版では、前記表題 Zweiter Band が、Zweiter Teil になっています)。


vor der Hand


Vorerinnerung (V. 1.0.)
 意味:
)言(相良守峯『大独和辞典』)。序文。

 解説:
Einleitung (序文)と同義です。

 用例:例えば、フィヒテののシェリング宛手紙(1801-5-31 付)に、次の一文があります:
 
Sie sagen in der Einleitung [ihres Systems der Philosophie] . . . 貴方 [シェリング]
は哲学の体系の序文において・・・と述べています。(1856 年のオリジナル版では、82 ページ。『アカデミー版フィヒテ全集 III,5』では、45 ページ)

 しかし、シェリングの『[私の] 哲学体系 [の叙述]』(1801年)の「序文」は、
Vorerinnerung です。それをフィヒテは、記憶に頼ったために同義の Einleitung書いたわけです。


vor jetzt (V. 1.0.)
 意味:
今のところ。さしあたって。(こうした意味だろうと、思います。)

 
解説:
vor jetzt という熟語およびこれを含む例文は、相良守峯『大独和辞典』や小学館『独和大辞典 第 2 版』には、記載されていません。しかし、相良守峯『大独和辞典』で für の項目を見ますと、「元来 vor と同語であっ」たと、あります。そこで、für jetzt の意味は「今のところは」ですので、vor jetzt も同じ意味ではないでしょうか。

 用例:
An Renz verzweifle ich vor jetzt gnz. (イタリックは原文)
      「レンツには、今のところまったく絶望している。」(シェリングの 1795-2-4 付のヘーゲル宛手紙。
Briefe von und an Hegel, Felix Meiner, Band I, S. 23)


vorschwärmen (sich vorschwärmen) (V. 1.4.)
 意味:
sich vorschwärmen は、「自分に向かって、熱狂してしゃべる」の意味です。
 (これは「夢中になって独り言を言う」という事態ですが、下記の用例では、文字どおりの訳である「自分に向かって、熱狂してしゃべる」が適していると思います。)

 
解説:
sich vorschwärmen の語が問題となるのは、下記の「用例」での、『精神の現象学』の 1 文です。これまでの諸大家の訳には、不十分な点があるようです。
 まず、小学館『独和大辞典 第 2 版』で vorschwärmen を引くと、以下のように記されています:
 「II. <jm. et.4> <[jm. 3 格] に [
et. 4 格] を熱狂して(夢中になって)話す」。


 また、グリム『ドイツ語辞典』vorschwärmen の項目でも、 3) に以下のように記載されています:
 3)
. . . jemandem etwas . . . vorschwärmen, begeisterung, entzücken, zärtlichkeit u. ä. zum ausdruck bringen:
 「3) ・・・『誰かにある事を・・・ vorschwärmen するということの意味は、『感激や大きな喜び、愛情などを、言葉に表現する』ことである」。

 jemandem vorschwärmen
jemandem scih (3格) に替わると、意味は当然「自分に(向かって)、熱狂してしゃべる」になります。
 そして、
sich の前に selbst が付きますと、selbst
には「(強調する語句の直前に置かれると)・・・さえも」という意味がありますので、
selbst sich vorschwärmen は、「自分に向かってさえも、熱狂してしゃべる」です。

 用例: er wird leicht selbst sich etwas vorzuschwärmen . . . die mittel finden.
     「そうした人は、自分に向かってさえも何かを熱狂してしゃべり・・・するための手段を、たやすく見つけるであろう」。(『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 13f. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 17.



vorstellen動詞) (V. 1.4.)
    → vorstellen (再帰動詞・名詞化不定詞・現在分詞・受動形)

    → vorstellen (自動詞?)
 意味
表す。表現する。(ただし、例外として「表象する」(*1)

 解説:
他動詞(再帰動詞は含めず)としての
vorstellen は、いろいろな意味を持ちますが、その 1 つに、
・「示す。表す」(相良守峯『大独和辞典』の vorstellen の項目、6)、
・「表す。表現する」(小学館『独和大辞典 第 2 版』vorstellen の項目、4)、
darstellenグリム『ドイツ語辞典』12), 13) に相当)
があります。
 しかし、「表象する」という意味は、上記の辞典や
Adelung には記載されていません。

 なお、グリム『ドイツ語辞典』では、vorstellen の意味が 1) ~ 18) にわたって詳細に述べられていますが、再帰動詞を除いた狭義の他動詞としての意味は 1) ~ 16)
a) までです。意味内容を確認するために、以下に引用します(16 b ~ 18 については、こちらを参照下さい。また、参考までに Adelungvorstellen の項目(*4)訳出しておきます。):
 1)
stellen の本来の空間的な意味に対応して、<或るものを前方に、さらに前へ、前の方へ、或るものの前に置くなど>[の意味である]。・・・

 2) 古い語法では [上記 1) の意味が] 転用されて、<昇級する。昇進する
>。・・・

 3) 文書や本においては、<前置きする>。[上記 2) と] 同様に、古くなった [語法である]。・・・

 4) 古い語法では [上記 1) の意味が] 転用され、3 格とともに用いられて、[この 3 格の] 管理・統治・世話などのために、<[3 格の] 長とする>。・・・

 5) ときには、<より高く評価する。いっそう好む>の意味でも [用いられる]が、古い語法である。・・・

 6) 具象的に(
sinnlich)、<或るものの前に、閉じつつ、[あるいは] 遮断しつつ、妨げつつ、阻止しつつ、置く>。・・・

 7) 見るために、楽しむために、何らかの使用のために、<或るものを(そこへ)置く>。この用法もまた――、[(そこへ)置く] という本来の意味においても、転用された意味においても――、おおむね古い語法に属する。・・・

 8) 上記の 7) で述べた用法が一般化されて、[<提示する。提供する>という意味での用法が] しばしば古い語法において [生じたが]、後には [このような
vorstellen の用法より] vorlegen (提示する)、darbieten (提供する)などの動詞のほうが、好まれた。

 9) ある人を<紹介する>、つまり名前を言って別の人に知らせる [という用法] は、近代の語法においては非常に頻繁(ひんぱん)である。・・・

 10) [上記 9) の<紹介する>という用法は] 転用されたり、より自由に [使われる。例えば]、初めは社会的な慣習に由来して、
ein berg wird vorgestellt [といわれる。] [この文の意味は、浅学の筆者には不明です。識者のご教示をお願いする次第です→ takin#be.to (# を @ に替えて下さい)] ・・・

 11)
なおいくつかの特殊な使用法を、述べなければならない。[例えば、] 或る人を、就任させるために<お披露目(広く紹介)する>。・・・

 12) 既述したように
(*2)、[<表す、表現する>という意味での] vorstellen は、近代の用法ではしばしば darstellen に取って代わられた。・・・

 13) [vorstellen のもつ]<表す>という意味――現われへともたらすこと――は、表すための手段表す人自身であったり、幾人かの人であるときには、さまざまに多様化する[たとえば、<演技する>]。[ vorstellen が] より自由に使われて、[人とは] 別の主語が vorstellen に付くこともある。・・・

 14) 上記 13) で扱った用法 [たとえば、<演技する>] とは対照的だが、 「表す――すなわち、外に向かって――ことは現実である」ということを知らせる意味あいを、vorstellen が伴(ともな)うこともある。・・・

 15) 意味するものが定かではない目的語 [
etwas, nichts などが後述されています] とともに、しばしば使われる表現においては、外部への印象にまた重きがおかれる。この印象は、外観(Schein)に基づいていることもあるが、そうばかりとは限らない。・・・

 16) 発達した新高ドイツ語(*3)では、vorstellen がもっともよく使われるのは、次のような意味においてである:或るものが、精神的な(innere, 内的な)直観や考察、思考活動の前へと(vor, ~に対して)――あるいは外部から他人が話すことや書くことによって、あるいは主語そのもの [が表しているところのもの] によって――もたらされる(gebracht wird)。
    a)
jemandem etwas vorstellen [について]。この文で注意すべきは、近代においては [vorstellen の] 意味を限定する傾向が、現れることである。もちろん、古い語法における一般的で客観的な(
neutral)意味での使用法も、依然として残っている・・・しかし非常にしばしば、心のうちで考察したことを他人に理解させるだけではなく、それによって他人の意志、決心、考え方や意見にも影響を与えることが、重視される。あるいは甚(はなは)だしくは、それによって他人に自らの過ちを、認めさせようとする。・・・

 [16)
a) の下位項目である、最初のα) から最後のε) までの説明は、省略します。要するにこの 16) a) での意味は、「或る人に或事をまざまざと話して聞かせる。言い聞かせる。示威的に提示する」(相良守峯『大独和辞典』では vorstellen の項目、2 に相当)、「(・・・に・・・を)思い描かせる。(まざまざと)想像させる」(小学館『独和大辞典 第 2 版』では、5 a に相当)などです。]

 用例:
Das Bedürfnis, das Absolute als Subjekt vorzustellen . . .
     「絶対的なものを主語にして表す必要・・・」(『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」, アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 20. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 26.

 ここでの
vorstellen は、上記引用での 12), 13) に登場する darstellen の意味だと思います。

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  「vorstellen (他動詞)」の注

(*1) 再帰動詞としてではなく、他動詞としての
vorstellen が、「表象する」の意味を例外的にとっているケースとしては、たとえば以下のものがあります:
 Im begriff der Natur liegt es nicht, dass auch ein Intelligentes sei, was sie vorstellt.
 「自然の概念の内には、自然を表象する知性も存在するということは、含まれていない。」(シェリング『超越論的観念論の体系』1800 年のオリジナル版、3 ページ)

 このような例外が存在する理由としては、以下のものが考えられます:
 (i) シェリングがこれを書いた時期・地域には、「表象する」という意味の他動詞の用法も一部にはあったが、あまり広まらなかったために、諸辞典に記載されるまでには至らなかった。
 (ii)
他動詞
vorstellensich(3格) vorstellen の区別は、当時さほど厳格なものではなかった(たとえば、「手をこまねく」と「手をこまぬく」のように)。
 浅学の筆者にはこれ以上のことは分かりませんが、いずれにしろ、この個所では「主観-客観」関係の哲学的議論が行われており、読者には
vorstellen が「表象する」の意味だということは、すぐに理解できるようになっています。

(*2) vorstellen の項目の前書きに当たる部分、すなわち、意味の説明の 1) に入る前の箇所で、以下のように言われています:
 「vorstellen が使用できる場面は、以前に比べて現在の語法では、いちじるしく制限されている・・・特に注意すべきは、以前には [<表す、表現する>という意味での] vorstellen がしばしば使われていた [場面でも] (例えば、ゲーテにおいてもたびたび)、現在では darstellen の語のほうが好まれることである。また、vorlegen の語が、[<前に置く、提示する>という意味での] vorstellen に、部分的には取って代わった」。

(*3) 近代の標準ドイツ語で、ドイツ観念論の諸著作も、このドイツ語によって書かれています。

(*4) Adelung では vorstellen は以下のように説明されています。筆者のほうで適当に段落分けして引用すれば(なお、『ゲーテ辞典』に vorstellen の項目はありません):
 「規則動詞、他動詞(verb. reg. act.)。或るものの前に、あるいは、他の物の前に置く [が本来の意味である]。
1. まだ時おりは使われている本来の意味において。[その例文としては:]
 Einen Stuhl vorstellen, vor das Bett.
 「椅子を一脚、そのベッドの前に置く」 [など。]

2. 比ゆ的 [な意味において]。
 (1) 別の物の前に(vor, 優先させて)置く、つまり、その別の物ががあるところへ、或るものを判断のために、考察、選択のために、提示する(vorlegen)ように置く。[例文は省略]

 (2) 或る物の姿を、明白にさせる(kenntlich machen)。本来的には、他人に或る物の姿を、明白にさせる。この場合には、またいろいろな場面で使われる。
   a. どちらかといえば本来的な意味においては、或る人に或るものを vorstellen するというのは、その人に或る物の姿を、たとえば、模写(Abzeichnung)、略図(Abreißung)などによって、直観的に理解させるときである。この意味においての vorstellen は、まれになったとはいえなお用いられている。

   b. 制限された別の意味においては、或るものを vorstellen するというのは、それとは別の他の物の性状を理解するのに十分な認識根拠や動機を――まず最初には、やはり外的な姿から、しかし、しばしば拡大された意味において――、持っているときである。この意味での vorstellen は、現実に存在しているものに対置している。[その例文としては:]
 Der Schauspieller stellet auf der Bühne den König vor.
 「その役者が、、舞台で王を演じる」 [など。]

   c. Einem etwas vorstellen (或る人に或るものを分からせる)というのは、その人に或ものの直観的な認識を教えようとすることである。[その例文としては:]
 Die Furcht stellt Wölfe größ, als Stiere, Geschwader groß, wie Heere vor
 「恐怖によって、オオカミたちが牡牛たちのように大きく見え、鳥の群れが大群のように大きく見えた」

 或る人に或るものを分からせるということは、拡大された意味においては、言葉によってその人にある事がらの実際の認識を(tätige Erkenntnis)、その事がらのあらゆる部分やその帰結の面から教えようとすることである。[例文は省略]

   d. sich etwas vorstellen というのは、本来は、或るもの(etwas)についての直観的な認識をもつことである。[その例文としては:]
 Stellen sie sich mein Entsetzen vor.
 「どんなに私が驚いたか、想像してみてください。」

 しかし、また一般的に、或る事がらを理解する、という意味でもある。[その例文としては:]
 Das kann ich mir leicht vorstellen, . . .
 「私はそれをかんたんに理解できる」 [など。]」


vorstellen動詞?) (V. 1.2.)
    → vorstellen (他動詞)
    → vorstellen (再帰動詞・名詞化不定詞・現在分詞・受動形)

 意味
表象する。

 解説:
下記のフィヒテの「用例」では、vorstellen は明らかに「表象する」という意味ですが、自動詞のように使われています。
(1) しかし、このような用法は例外だといえます。といいますのは、
 (i) 一般的に動詞 vorstellen は、他動詞です(*1)
 (ii) 「表象する」という意味での vorstellen は、再帰動詞・名詞化不定詞・現在分詞・受動形に限られるからです(例外的に、他動詞としては、こちらを参照)。

(2) ではなぜフィヒテは、vorstellen を自動詞のように使ったかということですが、考えられる理由は 2 つあります。
 (i) 彼の生きた時代・地域には、自動詞の用法も一部にはあったが、あまり広まらなかったために、諸辞典に記載されるまでには至らなかった。
 (ii)
物自体の触発によって、現象(=表象)が生じるというのは、彼の想定する読者には周知の事なので、Warum müssen wir uns unter der Bedingung einer vorhandenen Affektion das Objekt vorstellen と正しく書くのは、かえって冗長だと思われた。
 筆者にはどちらとも言えないのですが、
グリム『ドイツ語辞典』でも、自動詞の「表象する」は記載されていないこと、
Adelung では、他動詞であると記されていること、
・フィヒテの文章はとにかく冗長を嫌うこと
などを考慮するとき、(ii) ではなかったかという気がします。
 そして注意すべきは、下記「用例」で
vorstellen
が登場する段落の、前段落では「表象」の意味の現在分詞
vorstellend、名詞 Vorstellung受動形 vorgestellt werden が、すでに使われて準備がされていることです。したがって、「用例」で vorstellen が出てきたときには、読者は「表象」だとすぐに理解することができます。

 用例:
Warum müssen wir unter der Bedingung einer vorhandenen Affektion vorstellen;
     「なぜ私たちは、存在するところの触発という条件のもとで、表象せざるをえないのか・・・」(フィヒテ『知識学の、すなわちいわゆる哲学の概念について(
Über den Begriff der Wissenschaft oder sogennanten Philosophie) 』、レクラム文庫版では74ページ。1794 年のオリジナル版では、S. 65.


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  「vorstellen (自動詞?)」の注

(*1)
vorstellen は、
 (i) 相良守峯『大独和辞典』と小学館『独和大辞典 第 2 版』には、他動詞(再帰動詞を含む)としてしか記載されていません。

 (ii)
Adelung では、「他動詞(verb. . . . act.)」となっています(研究社『羅和辞典<改訂版>』の activus の項目には、「verbum activum 他動詞」とあります)。

 (iii) グリム『ドイツ語辞典』では、他動詞とも自動詞とも記されていませんが、
1) から 16) a) までの用例は、目的語をとるか、あるいは他動詞の受動形になっています(ただし、13)
a) では「稀(まれ)ではあるが」と注記されて、目的語のない用例が出ています。これを自動詞とすべきなのか、他動詞の目的語を欠いた例外として扱うべきなのかは、筆者には不明です)。
16) b) から 16) d) は、再帰動詞です。
17)目的語ないしそれに相当する副文をとっています
18) は、16) b) の再帰代名詞 sich(3 格)が欠落した場合、および受動形です。

 こうしてみると、vorstellen には自動詞としての用法はないと、一応言えそうです。


vorstellen (再帰動詞・名詞化不定詞・現在分詞・受動形) (V. 1.3.)
    →
vorstellen (他動詞)
    vorstellen (自動詞?)
 意味
(1) 表象する。(2) 理解する。

 解説:
vorstellen が、
・哲学的には「表象する」という意味を、
より一般的には「~を心に思い描く。思い浮かべる。想像する」といった意味を、
とることが辞典に記載されているのは、
(1)
sich3挌) etwas(4挌) vorstellen の再帰動詞の場合(小学館『独和大辞典 第 2 版』では vorstellen の項目、5 b。相良守峯『大独和辞典』では 3。グリム『ドイツ語辞典』では 16) b)
(2) sich4挌) jemandem(3格) vorstellen再帰動詞の場合(グリム『ドイツ語辞典』では 16) d)
(3) 上記 (1) の
sich3挌) が欠落した、名詞化不定詞と現在分詞の場合(グリム『ドイツ語辞典』では 18)
(4) そして、vorstellen の受動形の場合(グリム『ドイツ語辞典』では 18)
であり、またこの 4 つの場合だけです。

 なお、
sich3挌) etwas(4挌) vorstellen とあれば、すべて「~を表象する。思い浮かべる」という意味かといえばそうではなく、「内的な直観 [的イメージ] がないことも」あり、その場合には或る事を理解するといった意味になります(グリム『ドイツ語辞典』の 16) b))。

 また、sich4挌) (jemandem) vorstellen は、上記 (2) でのグリム『ドイツ語辞典』 16) d) の意味のほかにも、「(~に)自己紹介する。名のる」という意味があります。この意味が現代では一般的なのでしょう。(相良守峯『大独和辞典』では vorstellen の項目、4。小学館『独和大辞典 第 2 版』では 3
b)。グリム『ドイツ語辞典』では 9) に記載されています。)

 例外的に、「表象する」という意味での vorstellen が、
・自動詞のように使われることがあります。それについては、こちらを参照ください。
・他動詞として使われていることがあります。こちらを参照ください。

 意味内容を確認するために、vorstellen を詳述しているグリム『ドイツ語辞典』の 16)
b) から最後の 18) までを、以下に引用します(1 ~ 16 a については、こちらを参照ください):
 16) [この 16 全体についての説明は、こちらです。]

    b) 3 格の再帰代名詞
sich をともなう、sich etwas vorstellen [について]。ここでは概して、自分の意志や決断へ特別な影響を与えようとの意図はあまりない(*1)
 広い意味で使われがちであり、内的な直観 [的イメージ] がないこともある。[例えば]
ich kann mir das nicht denken [という表現] のように、ich kann mir das nicht vorstellen が使われる。[前者の文での、論理的思考を意味する denken (考える)にはイメージは伴わないが、それと同意味とみなせる vorstellen にも伴っていない。これらの文は、] 「私はそれが可能だとは思わない(ich halte es nicht für möglich)」[という意味である]。Adelung には、「sich etwas vorstellen
とは、或ることを理解する(*4)」[の意味であると、記されている]。・・・
 16) の
a) で述べたのと同じような構文(*2)が、ここでも見られる。・・・

    c) 古い言葉での語法においては、
sich(3格) vorstellen は、まったく違った意味である。つまり、vorstellen は、動詞 vorsetzen (上位に置く)の意味に近づく。・・・ sich vornehmen (もくろむ。決心する)のように [使われる場合もある]。・・・

    
d) sich(4格) vorstellen [について。しかし、これについての意味の説明はなく(!)、ただ次の例文 2 つが採録されているのでした。そしてこれらの文例では、想像されるもの・心に浮かぶものが、主語となっていることが、重要だと思われます]:
  
alles, was sich unserer einbildung vorstellt
  「私たちが想像するすべて」[と、一応訳しましたが、ここでの vorstellen は、引用した 16) の冒頭の説明にあったように、「精神的な(innere, 内的な)直観や考察、思考活動に対して・・・もたら」すという意味だと思います。そして、sich(4格) . . .einbildung(3格) vorstellen で「想像の前にもたらされる」、すなわち、「想像される」という意味になっているのでしょう。

  
alle möglichkeiten, die gefahren von allen seiten stellten sich ihm vor und verwirrten ihn
  「すべての可能性が、あらゆる面からの危険性が、彼の心に思い浮かんで、彼を混乱させた。」[
sich (4 格) jemandem (3 格) vorstellen で、「誰々にもたらされる」すなわち「誰々の心に浮かぶ」という用法でしょう。]

 17)
16 a の [jemandem etwas vorstellen における jemandem は、] 或るもの(etwas)が、考察・検討・決断されるためにゆだねられるところの人を示す 3 格 [であるが、このような 3 格] のない、vorstellen [の用法]。

 [記載されている文例としては、たとえば:]
  
die sache ist an den capellmeister gelangt, welcher das unthuliche vorgestellt hat Göthe
  「その問題は、楽長にまで伝わった。そこで彼は、為しがたいことを話してきかせた [あるいは、想像させた] のであった。(ゲーテ)」 [この文例では、誰にという「人を示す 3 格」がないということです。なくても、読者には分かったのでしょう。重要なのは、楽長である主語が「想像した」のではないことです。]

 18) 再帰代名詞の 3 格は、
・ [
vorstellen が] 能動形であっても、名詞化不定詞や現在分詞で使われるときには、
・また、当然ながら受動形の表現においては、
欠落する。哲学文献では、この点に注意が必要である。[ここでの例文すべてを、引用しますと:]

  
die handlung des vorstellens selbst Fichte
  「表象の行為自体(フィヒテ)」

  
die kraft des vorstellens G. Keller
  「表象のもつ力(G. ケラー)」

  
vorstellende, erkennende Kräfte Herder
  「表象し、認識する力(ヘルダー)」

  
das vorstellende bewusztsein Hegel
  「表象する意識(ヘーゲル)」

  
das ich an sich kann gegenständlich vorgestellt werden Schleiermacher
  「自我自体を、対象物として表象することができる(シュライエルマッハ)」

  
da wir im daseyn der materie stets nur ihr vorgestellt werden denken (*3) Schopenhauer
  「私たちは現存する物質のうちにあって、物質がたんに表象されることを、たえず考えているのだから(ショーペンハウアー)」

  
eine dunkel vorgestellte mathematik
  「陰鬱(いんうつ)に表象された数学 [シュレーゲル兄弟]」

  
und von dem (im traume) vorgestellten schatz bleibt nur das zeichen in dem bette
  「そして、夢の中で想像された宝物 [と一応訳しておきます] によって [あるいは、「については」]、たんにそのしるし [と一応訳しておきます] が、ベッドのうちに残ったのであった(ハーゲドルン)」

  
vorstellung wenigstens ist; ein vorgestelltes ist also, ein vorstellendes auch; macht, mit der vorstellung, drei
  「すくなくとも、表象が存在する。したがって、表象されたものが存在し、また表象するものも [存在するが、これら 2 つと] 表象で、3 をなす(ゲーテ)」。

--------------------------------------------
  「vorstellen
(再帰動詞・名詞化不定詞・現在分詞・受動形)」の注

(*1)
この 1 文の文意は、
 <16)
a) では、jemandem etwas vorstellen を解説し、
 「この [jemandem etwas vorstellen を含む] 文で注意すべきは・・・非常にしばしば、心のうちで考察したことを他人に理解させるだけではなく、それによって他人の意志、決心、考え方や意見にも影響を与えることが、重視される [ことである]。あるいは甚(はなは)だしくは、この影響によって他人に自らの過ちを、認めさせようとする
[ことである]
」、
と述べた。しかし、sich etwas vorstellen にあっては、jemandem (他人に)から
sich (自分に)へと代わっただけではあるが、「(自分の)意志、決心、考え方や意見にも影響を与えること」は、意味していない>、
というものでしょう。


(*2) 構文」の原語は Verbindungen。この語は、Wortverbindungen のことだと思いますが、「Wortverbindung = Wortfügung = 構文」です(相良守峯『大独和辞典』の Wortverbindung の項目)。
 「同じような構文」というのは、16) の
a) の
γ) では、「目的語に・・・付加され」た語句によって、意味が「拡大される」文のことが、
δ) では、「[副] 文が目的語として」 [使われることが]、「非常に多い」ことが、
ε) では、「従属不定形(
abhängiger Infinitiv, つまり、zu + 動詞の不定詞)」の使用が、
述べられていますが、こうした文の構成を指すのでしょう。

(*3) ihr vorgestellt werden は、オンライン上のテキストでは(たとえば、こちらとかこちら
ihr Vorgestelltwerden になっています。後者の方が現代的な表記なのでしょう。

(*4) 原文は、sich einen Begriff von einer sache machen です。
 (i) 相良守峯『大独和辞典』の
Begriff の項目、1 には、この文とほぼ同じ sich einen Begriff von etwas machen が例文として出ており、訳は「或る事を理解する」です。
 (ii) しかし、小学館『独和大辞典 第 2 版』Begriff の項目、2 a では、sich einen Begriff von etwas machen が「・・・を想像する」となっています。
 (iii) ここでの文脈から見れば、(i) の「或る事を理解する」が妥当のようですし、
 (iv) また、「想像する」という意味での sich einen Begriff von etwas machen
は、相良守峯『大独和辞典』の Begriff の項目では、3 に出ていますが、「俗語」となっています。グリム『ドイツ語辞典』の解説で、俗語が使われるというのも、ちょっと変です(むろん、当時も俗語であったかどうかという疑問は残りますので、確定的なことは言えませんが)。


Vortrag (V. 1.0.)
 
意味:(大学の)講義(相良守峯『大独和辞典』の Vortrag の項目 2)。

 解説:小学館『独和大辞典』(第2版)には、「講演」の意味は記載されていますが、「
講義」がないのは物足りません。


  W

Wahrheit, in (V. 1.0.) → in der Wahrheit
 意味:
実は。実際にin Wirklichkeit

 解説: in Wahrheit はそのまま、「真実においては」と訳してしまいがちです。しかし、
・小学館『独和大辞典 第 2 版』では「事実は、実際には(in Wirklichkeit)」(Wahrheit の項目の「用例」)、
・相良守峯『大独和辞典』では「実は、実際」(Wahrheit の項目)となっています。

 用例:
. . . die reinen Gedanken . . . sind erst, was sie in Wahrheit sind, Selbstbewegungenn . . .
    「・・・純粋な思考されたものは・・・はじめて実際にあるところのものである、すなわち自己運動・・・」(『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」, アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 29. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 38.)



Wahrheit, in der (V. 1.0.) → in Wahrheit
 意味:
真実において。真理のうちで。

 解説: 上記の in Wahrheit は、「実際に(
in Wirklichkeit)」の意味ですが、この冠詞 der を伴っている in der Wahrheitは、文字どおり「真実(真理)において」です。

 用例:
Dieser Verlauf . . . macht . . . das tägliche . . . Leben und Treiben des . . . in der Wahrheit sich zu bewegen meinenden Bewusstseins aus.
 
   「こうした成り行きが・・・真理のうちで行動していると思っている意識のふだんの・・・生活と営みを、形成する」(『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」, アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 80. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 106.)


warum (worum); woraus etc. (V. 1.0.)
 意味:
このために。ここから。

 解説: warumworaus など、前綴(つづ)り wo が付くと、疑問副詞(どこから、何のために)も作りますが、関係副詞にもなります。

 用例: . . . woraus Sie . . . sich erklären können, warum . . . ich . . . habe den Idealismus als Organ brauchen . . . können.
       ここから、・・・貴方 [の哲学] も説明されえるのですし、またこういうわけで、・・・私は観念論を道具(オルガノン)として用いることができた・・・のです。(1801 年 10 月 3 日付のシェリングからフィヒテ宛の手紙。『フィヒテとシェリングの、哲学的往復書簡集』、1856 年版では 99 ペ ージ)



Weise (V. 1.3.)
 意味:
語り(語られ)方。語る(語られる)ことの内容と形式。

 解説:
Weise はふつう「やり方。仕方」の意味ですが、「メロディー(旋律)」の意味でもよく使われます。グリム『ドイツ語辞典』によれば、「メロディーとしての Weise は、Weise の一般的な用法が、[つまり] 行いや行動における用法が、特定の領域に限定されて使用されたものである」とあります(Weise の項目、E)。ちなみに、Zigeunerweisen (チゴイネルワイゼン。ジプシー旋律)は、この例です。
 そしてグリム『ドイツ語辞典』では、E の「メロディー」の意味も下位区分されています。その 2) では、「
'歌(Lied)、歌唱(Gesang)'、[すなわち] ことばとメロディーとが一体として感じられたもの」とあります。
 その後の 3) では、「2) が転用された意味においては、「語られたり、伝えられたりすることの内容と形式」と記されています。すなわち
Weise は、一般的な「やり方。仕方」のほかに、より限定された「語り方(語られることの内容・形式)」という意味も持つようです。この意味で記載されている用例としては:

 
während ihnen Gregor erzählte, der ebenfalls von der feierlichen stillen pracht, mit der wie gewöhnlich der nachsommer über die wälder gekommen war, befangen, in immer romantischere und schwermütigere weisen versank A. Stifter studien 1, 290 Inselausg.
 「秋にまた訪れた暖かい日ざしが、いつものように厳(おごそ)かで静ひつな美しさを、森にもたらしていた。グレーゴル [男の名] は、みんなと同じようにその華麗さに感銘を受けながら、彼らに語ったのである。現実からはますます遠ざかり、憂愁を深めいくような話しぶりであった。そのとき・・・」(アーダルベルト・シュティフター [オーストリアの作家。1805-1868] 『習作集』、第1巻、290ページ、インゼル版)

 用例: . . . Ferner pflegt bei einem solchen Aggregate von Kenntnissen . . . eine Konversation über Zweck und dergleichen Allgemeinheiten nicht von der historischen und begrifflosen Weise verschieden zu sein, . . .
     「さらに、上記のような [個別的な] 知識の集積はあるにしても・・・著者による、目的やこれに類する一般的なことがらに関する誌上での説明Konversationなどは、これまでの経緯に関する、概念に欠けた述べられ方・・・と違わないことが多いのである。
(『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」, アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 9. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 11. この引用原文は、ヘーゲルの改訂原稿によるズーアカンプ社版に従っています。)


werden (助動詞)(V. 1.3.)
 意味:
(1) (推量を表す)~だろう。(2) (命令の代用)~するがよい。してほしい。

 解説:
助動詞の werden は、「受動」や「未来」を表しますが、案外忘れがちなものに「推量」と「命令」があります。
(1) 哲学文献においては、「未来」よりはむしろ「推量」の方をまず念頭に置くべきです。
 (i) 未来の意味で使われるときには、ふつう文脈や使用されている語から、「未来」の意味だということが明確に分かります。

 例:
Ich bin ehrlich und werde es noch sein. (橋本文夫『詳解ドイツ大文法』 p. 184.)
   
Was wird daraus werden? (桜井和市『改訂 ドイツ広文典』 p. 264.)

 (ii) 文法的には、桜井和市『改訂 ドイツ広文典』によれば:
 
「未来は
ドイツ語では・・・もっとも新しい時称であって、特に話し言葉では未来の時称として十分に発達し得なかった。未来のできごとはだいたい現在もしくは話法の助動詞などで表現される。また文章に見つけられる [
werden の] 文例も要求、想像などの話法的意味を含んでいるものが多い。」(p. 264.)
 その例文には、
    Einmal wirst du es nicht aushalten. (p. 265.)
などが記載されていますが、「どの例文にも推量の意味が含まれていると解釈することもできるであろう」と注記されています。


 (iii) 特に紛らわしいのは、「werden + 現在完了」の場合です。呼称は未来完了ですが、「その werden が実は『推量の助動詞』であり、従って文意が現在完了である場合がある。」(『詳解ドイツ大文法』 p. 196)。同ページに文例として:
    
Der Reisende ist noch nicht zurückgekommen. Er wird wohl verunglückt sein.
     旅行者はまだ帰って来ていない。多分遭難したのだろう。


(2) 「命令の代用」としては、相良守峯『大独和辞典』(werden の項目、II, 1. )に次の例文があります:
 du wirst (= sollst) dich hüten. 「用心するがよい」)。

 (1) の用例:
. . . und Sie werden aus der indes erhaltenen Darstellung meines Systems ersehen haben . . .
       「貴方はこの間に受けとられた「私の [哲学] 体系の叙述」から、読み取られたことでしょうが・・・」(
Fichtes und Schellings Philospphischer Briefwechsel, 1856, S. 75)

 (2) の用例: Du wirst sie beurteilen, wie . . .
       
「・・・は、君が判断してほしい」(シェリングの 1807 年 11 月 2 日付ヘーゲル宛の手紙。Meiner 社の哲学文庫版 BRIEFE VON UND AN HEGEL, J. Hoffmeister 編, 194 ページ)


Wesenheiten (複数形です。また、ヘーゲルの場合です。) (V. 1.0.)
 意味:
(いくつかの/諸)本質態 [つまり、いくつかの本質的な規定性が、集まったもの]。 

 解説:
この
Wesenheiten は、Wesenheit の付いた派生語ですが、heit は複数形の heiten になっています。したがって、この heit は、
・「Wesenなこと。Wesen性」といった抽象名詞をつくっているのではなく(抽象名詞に複数形はありません)、
・「Wesen な行為・人・物・状態」などを意味します(小学館『独和大辞典 第 2 版』の「
. . heit」の項目、2)。
 そこで、
Wesenheiten が使われている場合、その文脈での Wesen は何を表しているかが問題となります。

 ヘーゲルではおもに、『精神の現象学』と『(大)論理学』で使われている Wesenheiten が注目されます。そこで、この 2 著作での用例を、検討しますと――
(1) 『精神の現象学』では、まず「序文(
Vorrede)」で、以下のように登場します:
 Durch diese Bewegung werden die reinen Gedanken Begriffe und sind erst, was sie in Wahrheit sind, Selbstbewegungen, Kreise, das, was ihre Substanz ist, geistige Wesenheiten.
 「この運動によって、純粋に思考されたものは概念となり、そしてはじめて実際にあるところのものである、すなわち自己運動、円環である。また、この純粋に思考されたものの実質であるところの、精神的な本質態(Wesenheiten)である。」(アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 29. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 38)

 Wesen には、なるほど「存在。実在」という意味がありますので、この Wesenheiten は「(諸)実在物」の可能性があります。(なお、「存在。実在」は抽象名詞なので複数形
-heiten にはなりえないため、たんに「存在。実在」の意味にとることはできません。)
 しかしながら、この
Wesenheiten は、純粋に思考されたものの「実質(Substanz)」であり、いわば内的なものです。したがって、思考されたもののたんなる現象とか現実性ではないのですから、「実在物」(つまり Dasein のような、個別的・具体的もの)ではありえません。そこで、この Wesenheiten には「本質態」といった訳が、適当だろうと思われます。(たとえば、金子武蔵訳(岩波書店)はそうなっています。)

(2) 『精神の現象学』で Wesenheiten が使用された箇所は、上記 (1) も含めて以下のとおりです(ページ数は、ズーアカンプ版『ヘーゲル著作集』、第 3 巻のものです。行数は、つねに上から数えています。なお、1 ページは、全部で 36 行です)。そして、伴っている形容語とともに記しますと――

  ・ 37 ページ、34 行目: geistige Wesenheiten (精神的な~)
  ・ 37 ページ、35 行目:
der reinen Wesenheiten (純粋な~)
  ・ 106 ページ、10 行目: einfache Wesenheiten (単純な~)
  ・ 106 ページ、26 行目: wesentlichen Wesenheiten
oder Bestimmungen (本質的な~、すなわち諸規定)
  ・ 122 ページ、21 行目: als gleichgültiger und ansichseiender Wesenheiten. . . . zugleich selbst bestimmte Seiten;(相互に没交渉で自分だけである~。・・・同時にそれ自体、規定された側面)
  ・ 203 ページ、30 行目:
allgemeiner Momente oder einfacher Wesenheiten (普遍的な諸契機、すなわち単純な~
  ・ 227 ページ、27 行目:
die Wesenheiten der Form wie der Dinge (形式および事物の~)
  ・ 272 ページ、33 行目:
der einfachen Wesenheiten (単純な~)
  ・ 273 ページ、4 行目:
jener leeren Wesenheiten, der reinen Einheit, des reinen Unterschiedes und ihrer Beziehung (前記の空虚な~、[すなわち] 純粋な統一と純粋な区別、およびこの両者の関係 )
  ・ 273 ページ、15 行目:
die reinen Wesenheiten oder die leeren Abstraktionen (純粋な~、すなわち空虚な抽象物)
  ・ 371 ページ、23 行目:
die beiden realen Wesenheiten (2 つの現実的な~ [=国家権力と富])
  ・ 393 ページ、10 行目:
als geistige Wesenheiten, als absolut unruhige Bewegungen oder Bestimmungen精神的な~として、[つまり] 絶対に休まぬ運動・規定として)
  ・ 442 ページ、5 行目:
der sittlichen Wesenheiten (倫理的~)
  ・ 449 ページ、8 - 9 行目:
einfache Wesenheiten, Wesenheiten des Denkens 単純な~、[すなわち] 思考された~)
  ・ 484 ページ、10 行目:
der marklosen Wesenheiten (実(じつ)のない~)
  ・ 584 ページ、20 行目:
den ganzen Bau ihrer [= der Substanz] Wesenheiten (その実質が有する~の全組織を)

 これらの
Wesenheiten の意味を、一義的に決定することは困難ですが、大体のところとしては「単純で本質的な諸規定が集まったもの」と言えそうで、したがって、「(いくつかの/諸)本質態」の訳でいいと思われます。

(3) 『精神の現象学』の出版(1807年)の 5 年後からは、『(大)論理学』(初版)が表れます。そこでの
Wesenheiten の使用を、上記 (2) にならって記しますと――

  ・第 5 巻 17 ページ、28 行目(
Meiner 社の哲学文庫版(*1)では、7 ページ、6-7 行目): der reinen Wesenheiten純粋な~
  ・第 5 巻 17 ページ、32 行目(Meiner 社(*1)、7 ページ、10 行目):
jene reinen Wesenheiten (上記の純粋な~)
  ・第 5 巻 17 ページ、33 行目(Meiner 社(*1)、7 ページ、11 行目):
Sie [= Wesenheiten] sind die reinen Gedanken, der sein Wesen denkende Geist (~は、純粋に思考されたものであり、自分の本質を考える精神である)
  *第 5 巻 179 ページ、18 行目(この個所は 1812 年の初版にはなく、ヘーゲル死後の 1832 年に出版された改訂版によります。):
die ewigen Wahrheiten und Ideen (Wesenheiten) der Dinge (事物の永遠の真理や理念([すなわち] ~))
  ・第 6 巻 34 ページ、9 行目(Meiner 社(*2)、22 ページ、36 行目):
. . . erscheinen die Reflexionsbestimmungen als freie, im Lehre . . . schwebende Wesenheiten.(反照規定は、自由に空虚のうちをただようとして、現れる。)
  ・第 6 巻 35 ページ、28 行目(Meiner 社(*2)、24 ページ、10-12 行目):
Die Wesenheiten oder die Reflexionsbestimmungen(反照規定すなわち~)
  ・第 6 巻 286 ページ、1 行目(Meiner 社(*3)、43 ページ、37-38 行目):
. . . so wären seine [= des reinen Begriffs] abstrakten Bestimmungen . . . ewige Wesenheiten;(純粋な概念の抽象的諸規定は、永遠の~であろう。)
  ・第 6 巻 470 ページ、10 行目(Meiner 社(*3)、212 ページ、17-18 行目):
Die Form von reinen Gedanken, von abstrakten Wesenheiten . . . die Bestimmungen des Seins und Wesens.(純粋に思考されたものの形式、また抽象的な~の形式、[すなわち] 存在本質の諸規定)

 『(大)論理学』でのこれら
Wesenhaiten の意味も、「いくつかの本質的な規定性が、集まったもの」と考えられるようです。したがって訳はやはり、「(諸)本質態」になろうかと思います。

--------------------------------------------
  「Wesenheiten」の注

(*1) アカデミー版にもとづいて、1812 年の初版によった哲学文庫版 Wissenschaft der Logik. Das Sein (1812).

(*2) 同前、
Wissenschaft der Logik. Die Lehre vom Wesen (1813).

(*3) 同前、Wissenschaft der Logik. Die Lehre vom Begriff (1816).


wie (V. 1.1.) → wie denn (überhaupt)
 意味:
~とは違って。(小学館『独和大辞典 第 2 版』、wie の項目 II, 7

 解説:
(1) 接続詞としての wie のふつうの意味は、「~のように。~と同じくらいに」です。

(2) またよく知られた用法として、比較級の後で
als (~よりも)と同じ意味で使われることがあります。例としては:
 Er ist größer wie mein Bruder. (彼は私の兄/弟より大きい)

(3) しかし、同じく「不等の比較」を表すのですが、比較級を前にともなわず、たんに違いを示す場合もあります。上記小学館の辞典の例文では:
 
Die Sache verhält sich gerade umgekehrt, wie Sie denken. 「事態はあなたがお考えになっているのと、まったく逆なのです」。(すなわち、「あなたがお考えになっているように・・・」ではないのです。)

 用例: Wie nämlich in seinem negativen Verhalten . . . das räsonierende Denken selber das Selbst ist, . . . so ist dagegen in seinem positiven Erkennen das Selbst ein vorgestelltes Subjekt . . .
      「つまり・・・理屈ばかりをいう思考は、自分の否定的なやり方においては自分自身が自己で・・・あったが、それに対して肯定的な認識においては、自己は提示されている主語であって・・・」(『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」, アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 42. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 57)

 . . . indem vielleicht diesmal ein Zufall günstiger ist, wie der in Ansehung des Ihrigen [Briefs] ungünstiger war.
 「といいますのも、今回は [早く到着するように] 偶然がすこし味方するかもしれないですから。貴方のお手紙には、味方しませんでしたが。」(1806-10-6 付のヘーゲルニートハンマー宛手紙。Briefe von und an Hegel, Felix Meiner, 1969. Bd. 1, S. 118)
 なお、この「用例」での günstiger ungünstiger は、比較相手のない絶対的比較級でしょう。


wie denn (überhaupt) (V. 1.0.)
 意味:
一般に・・・であるが。なにしろ・・・であるからご多聞にもれず。(小学館『独和大辞典 第 2 版』の副詞 denn の項目の 1. c)。相良守峯『大独和辞典』には記載がありません。)

 解説:
上記小学館の辞典には、以下の例文があります:
      
Das war schon am nächsten Tag in der ganzen Stadt bekannt, wie denn (überhaupt) das Gerücht Beine hat.
      「うわさは脚が速いものであるが、ご多分にもれずこのことは翌日にはもう町じゅうに知れ渡っていた。

 用例: Wollte hingegen jemand dem Philosophen in Erinnerung bringen, dass . . . , wie denn der empirische Idealismus vornehmlich gegen Spinoza in der Regel nichts vorbringen kann, als einzig, dass . . .
      「およそ経験論的観念論は、とりわけスピノザに対しては、ふつう次のようにしか主張できない:・・・。そこでこうした範に漏れず、ある人が哲学者に次のような注意をするとしよう:・・・」(シェリング『自然哲学についての考察』の「緒論への付記」, S. W., II, S. 60f.


wieder (V. 1.0.)
 意味:
「再び」の意味は、薄れているか(小学館『独和大辞典 第 2 版』の
wieder の項目 1)、あるいはありません。

 解説:
この用法での
wieder は、「ある物事が実際に『再び~である』、『繰り返して~である』」という意味をもたず、おそらく、強調や感情を表出するために使われているのでしょう。日本語でも、「またひどい失敗をしたものだ」などと言う場合の「また」に、繰返しの意味がないことと同様です。このような wieder は、私見では案外よくあるようです。
 文例としては:
(emotional:) wie du wieder aussiehst! 「(感情的に)君の様子ったら!」(Duden Deutsches Universalwörterbuch, 6. Auflage, 訳は筆者)
Wie heißt er wieder? 「彼の名前はなんといったっけ」(小学館『独和大辞典 第 2 版』)

 なお、この用法での
wieder は、schon とともに、schon wieder としても使われるようです:
Die Sache wird sich schon wieder einrenken. この件はいずれきっとうまく落着するだろう」(小学館『独和大辞典 2 版』の einrenken の項目
willst du schon wieder gehen? (are you going already?) 「もう君はいくのか?」(Oxford German Dictionary, 3rd ed., 和訳は筆者)

 用例:
. . . dass der alte Aberglaube nicht nur der positiven, sondern auch der sogenannten natürlichen Religion in den Köpfen der meisten schon wieder mit dem Kantischen Buchstaben kombiniert ist.
      「古き迷妄は――既成宗教のだけでなく、いわゆる自然宗教のものも――大多数の人の頭の中では、すでにカント哲学の字句と結びついてしまっている。」(Briefe von und an Hegel,
Felix Meiner, 1969, Bd. 1, S. 14)



wissen wer/Gott/ich/man + wissen (V. 1.0.)
    → wissen (sich viel mit et. wissen)
    
wissen (wissen wollen)
 意味:
(挿入句としての用法)

 解説:
主語の
wer (Gott, ich, etc.) + 動詞 wissen が、副文を形成するというより、「挿入句として」「固定化して一つの概念のように感ぜられる場合」(相良守峯『大独和辞典』の wissen の項目、I, 7, b)があります。
 このような wissen の使い方の例として、同辞典には以下のようなものが掲載されています:

 
Er ist wer weiß wie (= sehr) ängstlich. 彼はとてもびくびくしている。
 
Er schrie, als ob ihm wer weiß was geschehen wäre. 彼はさも大事件が起こったように叫んだ。
 
Er geht Gott weiß wohin. 彼はどこかへ行く。
 
Er hat noch weiß Gott was erzählt. 彼はまだなにやかや物語った。
 
Es lockte mich ein Ich-weiß-nicht-was. 私はある漠然とした気持ちに引きずられた。

 上記の諸例文では、
wer weißGott weiß (weiß Gott)Ich-weiß-nicht は、副文を形成しているのではなく、挿入語句のような役割になっています。したがって、それらの語句を取っても、文法的には正しい文です。
 そこで、
以下の「用例」での man weiß noch nicht も、そのような挿入語句として扱っていいのではないかと思います。つまり、
in welcher Beziehung auf . . . は、irgendwo を修飾しているのです(拙訳では、こなれた訳にするために、「始まり」を修飾させています)。
 ただ「用例」の場合は、irgendwo man weiß noch nicht のあいだに、副文中の後置された定動詞 anfängt が来ざるをえなかったために、文章が複雑になっています。(本来であれば、anfängt das Resultat の後に置かれるのですが、das Resultat の直後に関係代名詞
das ではじまる関係文章が続いたので、置けなかったのでしょう。)

 用例:
Ebenso geht dieser [= der Beweis] einen Weg, der irgendwo anfängt, man weiß noch nicht in welcher Beziehung auf das Resultat, das herauskommen soll.
     「同様に、証明がたどる道程はどこかで始まるが、この始まりと、やがて現れる証明結果とがどのような関係にあるのかは、まだ分からないのである。」(『精神の現象学』の「序文(
Vorrede)」, アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 33. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 44)



wissen sich viel mit et. wissen (V. 1.0.)
    → wissen (wer/Gott/ich/man + wissen
    
wissen (wissen wollen)
 意味:
stolz sein (誇らしく思っている。自慢している)

 解説:
グリム『ドイツ語辞典』
wissen を引きますと、8 番目の意味として「8) 再帰の wissen」があります。
(1) まず、
sich wissen は「自(己)意識を持つ(das Bewusstsein seiner selbst haben)」という意味です。

(2) この「8) 再帰の
wissen」用法の 1 つに、sich viel wissen があり、上記のように「誇らしく思っている。自慢している」という意味になります。
 (i) ただしこの用法は、「18世紀には非常によく使われたが、その後はいちじるしく稀(まれ)となった」とあります。


 (ii)
sich viel wissensich は、3 格のようです。以下の例文では、sich mir が使われています。
 
ich weisz mir nicht wenig, einen so würdigen berühmten mann zum freunde zu haben
 「あのように威厳のある知名人を友人にもって、私は誇りに思った」

(3)
sich viel mit et. wissen の説明は、同辞典にはありません。しかし、以下の例文から、「et. を誇らしく思っている」という意味だと思います。
 die Franzosen wissen sich ein vieles damit
 「フランス人たちは、その事を誇りにしている」

 
Ruprecht, der sich nicht wenig damit wuszte, dasz er in seiner jugend die kantische philosophie gehört hatte
 「ループレヒト(人名)は、若いころにカント哲学を聞き知ったことを、誇りに思っていた」

 用例:
. . . sonst würde er [= der tabellarische Verstand] wenigstens sich nicht mehr damit [= mit seinem Schematisieren] wissen, als mit einer Inhaltsanzeige;
     「さもなくば、一覧表にたずさわっている悟性は、少なくとも図式化を内容目次以上に誇りに思いはしないだろう」
 (ここは、
nicht mehr (もはや~でない)ではなく、mehr . . . alsnicht で否定されています。『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」, アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 38. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 52)



wissen (wissen wollen) (V. 1.0.)
    → wissen (wer/Gott/ich/man + wissen
    
wissen (sich viel mit et. wissen)

 
意味: et. getan wissen wollen で、「或事がなされることを望む, をやってもらいたがる」の意味です(相良守峯『大独和辞典』、wissen の見出しの 6)

 解説:小学館『独和大辞典』(第2版)には、記載がありません。

 用例: . . . in das [= ein wirkliches, substantielles Ich] er [= Jacobi] die Absolutheit nicht gelegt wissen will, . . .
      彼は現実的・実質的な自我のうちに、絶対性が置かれることを望んではいないのだが・・・
      (フィヒテの草稿『ヤコービのフィヒテ宛書簡について』,
Fichtes Werke herausgegeben von Immanuel Hermann Fichte, Bd. XI, S. 390.)


wo (従属の接続詞として)(V. 1.0.)
 意味:
(条件を表して)もし~ならば。~のときには。

 解説:
副詞としての
wo は、場所・ところを表し、「~のところの」や「どこで」という意味です。そこで、英語の where との連想でしょうか、従属の接続詞としての wo も、「~のところでは」と場所的に理解しがちです。しかし、この場合の wo には場所の意味はなく、条件(= wenn)の「もし~ならば」という意味です。

 用例: Wo . . . der eine Moment . . . objektiv wird, da muss auch der andere Moment . . . zugleich objektiv werden.
      「1 つの契機が・・・客観化するときには、別の契機も・・・同時に客観化しなければならない。」(シェリング『自然哲学についての考察』の「緒論への付記」, S. W., II, S. 65.)


wollen (助動詞)(V. 1.2.) → 他動詞の過去分詞sein wollen
 意味:
要する。必要である。

 解説:
物を主語とする場合に、
wollen fordern (要する)の意味になるときがあります。相良守峯『大独和辞典』(wollen の項目、II, 7.)での文例には:
 
Diese Pflanze will viel Wasser. 「この植物にはたくさんの水が必要だ」

 用例: . . . wie solche Gelegenheitsreden . . . beurteilt sein wollen.
     「このような折にふれての・・・講演が、どう評価されるべきか・・・」(シェリングの 1807 年 11 月 2 日付ヘーゲル宛の手紙。Meiner 社の哲学文庫版 BRIEFE VON UND AN HEGEL, J. Hoffmeister 編, 194 ページ)



wollen (他動詞の過去分詞sein wollen
 意味: ~される必要がある。~されねばならない。

 解説: 「他動詞の過去分詞+
sein wollen」で、「~される本質的な必要」をあらわします(橋本文夫『詳解ドイツ大文法』、265 ページ)。「但し状態受動態(過去分詞+ sein)を用いて、動作受動態(過去分詞+ werden)を用いない点に注意せよ」とあります。すなわち、
   
状態受動態+ wollen動作受動態
müssenn」です。
 なお、ここでの
wollen「必要である」の wollenです。
 文例としては:
 
Die Sache will genau überlegt sein. 「本件はその本質上、精密に考察されなければならない」。(同書、265 ページ

 用例: . . . wie solche Gelegenheitsreden . . . beurteilt sein wollen.
     「このような折にふれての・・・講演が、どう評価されるべきか・・・」(シェリングの 1807 年 11 月 2 日付ヘーゲル宛の手紙。Meiner 社の哲学文庫版 BRIEFE VON UND AN HEGEL, J. Hoffmeister 編, 194 ページ)



Wort das Wort führen (V. 1.0.)
 意味: 代表して話す。

 解説:
das Wort führen という熟語は、Adelung によれば den Vortrag im Nahmen mehrerer thun (多数の人を代表して上申する)です。そこから、「代表として話す」(相良守峯『大独和辞典』の Wort の項目、8)や、「発言の主導権をにぎる;代表発言を行う」(小学館『独和大辞典 第 2 版』の Wort の項目、2, a)といった意味が派生したようです。

 用例: . . . sein Gefühl und Anschauung sollen das Wort führen und ausgesprochen werden..
     「・・・絶対的なものへの感情と直観が代表して [絶対的なものについて] 話すのであり、[したがって] 感情と直観が語られるというのである。」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 12. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S.15)



  X


  Y


  Z

Zeit (in Zeit(en)) (V. 1.2.) → Zeit genug Zeit (neuere Zeit, die)
 
意味:
時機をはずさずに。ちょうど良い時に。早く。

 解説:相良守峯『大独和辞典』の Zeit の項目の 2 で、in Zeit[en] は beizeiten を見よとなっており、beizeiten を引くと、上記の意味が記載されています。

 用例: Solchen Verwirrungen . . . dabei konsequente, philosophische System, in Zeiten vorzubeugen . . .
     「こうした混乱から・・・首尾一貫した哲学体系を早めに予防することは・・・」(シェリング『独断論と批判主義についての哲学的書簡集』序文。SW版では、第 1 巻、283-284 ページ)


Zeit genug (V. 1.0.) → Zeit (in Zeit(en)) Zeit (neuere Zeit, die)
 意味: 十分な時間がたつと。

 解説: Zeit は 2 格で、分割の部分の) 2 格 と呼ばれ、「数量規定の内容 [genug] を二格で表し」ます。(橋本文夫『詳解ドイツ大文法、611ページ
      例:
Der Worte sind genug gewechselt. 
         
Hast du der Kinder mehr?

 用例: Sie würden Zeit genug das Fehlende ersetzen.
      (1801 年 5 月 31 日付のフィヒテのシェリングへの手紙。アカデミー版『フィヒテ全集』、III, 5. S. 44.
 なお、1856 年版の『フィヒテとシェリングの、哲学的往復書簡集』では、なぜかこの部分が
zeitig genug となっています。



Zeit (neuere Zeit, die) (V. 1.1.) → Zeit (in Zeit(en)) Zeit genug
 意味:
近世(近代)

 解説: (1) ふつう、近世を意味しますが、「近代」ともよく訳されます(*1)。「近世」と「近代」の違いですが、広辞苑(第 6 版)で「近世」を引きますと:
 「古代・中世のあとに続く時期。広義には近代と同義で、狭義には近代と区別して、それ以前の一時期を指すことが多い。一般にヨーロッパ史では、ルネサンスから絶対王政期・・・を指す [狭義の場合]」。
 そこで私たちとしては、
die neuere Zeit はまず「近世」の意味にとっておき、その場の文脈によって必要であれば「近代」なり、その他の訳語を当てればいいのではないかと思います。
 なお、シェリングの『近世哲学史(
Zur Geschichte der neueren Philosophie)』(1833/34 年の講義草稿)では、デカルトからヘーゲルそしてヤコービまでが、取り扱われています。

(2) die neuere Zeit では、比較級
neuer が使われていますが、これと原級 neu との違いは、一般的には気にしなくてもよいと思われます。といいますのは、
 (i) 注の(*1)で挙げました辞書での用例にありますように、同じ意味を表すのに、
neuneuer は混用されています。
 (ii) グリム『ドイツ語辞典』
neu の項目、II, 2) に以下のようにあります:
 2) der neue, die neuen; der neuere, die neueren: je nach dem zu ergänzenden substantiv.
 
これは derdie が付いていますように人の例ですが、原級 neu と比較級 neuer が同じ扱いになっており、例文を見ても両者が対比されてはいません。
 そしてこの 2) の c) のレッシングからの用例を見ますと:
 
den meisten von uns neueren (gegenwärtig lebenden).
 この用例では、比較級 neueren
で「現在生きている人々」までもが、意味されています。

(3) ただし、文法的には
neuer は絶対的比較級ですので、neu と比べれば、neu の方がより新しいということになり、そうした用例もあるようです(*2)

(4) 似たような語句に
in neuer Zeit がありますが、これは「近世に」あるいは「最近に」という意味です。(小学館『独和大辞典 第 2 版』。neu の項目)
 なお、in neuerer Zeit も同意味で、「近代(近時)において」です。(相良守峯『大独和辞典』。
neu の項目)

 用例: . . . welche [= die Vorstellung] das Absolute als Geist ausspricht, -- der erhabenste Begriff und der der neueren Zeit und ihrer Religion angehört.
     「この考えは、絶対的なものを精神として表明している――これはたいへん崇高な概念であり、近世とその宗教に属している」。(『精神の現象学』の「序文」。『アカデミー版ヘーゲル全集』, Bd. 9, S. 22. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 28)


--------------------------------------------
  
neuere Zeit, die」の注

(*1) 手元にある辞書での用例を挙げておきますと:
・近世 →
die neuere Zeit (『現代和独辞典』、三修社、2000 年)
・近代 →
die Neuzeit (『現代和独辞典』、三修社、2000 年)
・近代 →
Neuzeit; die neuere (moderne) Zeit (『新コンサイス和独辞典』、三省堂、2003 年)
die Geschichte der neueren Zeit/Neuere Geschichte → 近世(近代)史(小学館『独和大辞典 第 2 版』)
die neueste Geschichte → 現代史(小学館『独和大辞典 第 2 版』)
die neueren → 近(現)代人(相良守峯『大独和辞典』)

(*2) ご存知とは思いますが、絶対的比較級というのは、橋本文夫著『詳解ドイツ大文法』(1975 年版、73 ページ)によれば:
 「
Der Kapitalismus ist das Produkt der neueren Zeit. 『資本主義は近代の産物である』
 この
die neuere Zeit neuer は、何かと比較して何々よりも「もっと新しい」の意でなく、何ものとも比較せずに、「かなり新しい」「相等新しい」「比較的新しい」「割に新しい」の意である。つまり比較の相手のない(対者を絶した)比較級だから「絶対的比較級」 absoluter Komparativ という・・・
 「ところで die neuere Zeit は『かなり新しい時代』すなわち『近代』であって、
die neue Zeit 新時代ではない。むしろ die neuere Zeit よりも die neue Zeit の方がもっと新しいという逆の関係が生ずる」。


zusehen (V. 1.0.)
 意味
注意する。用心する。(相良守峯『大独和辞典』、zusehen の項目の 3)

 解説
zusehen は、たとえば『精神の現象学』の「緒論(Einleitung)」では、「眺(なが)める。傍観する」の意味で使われていますが、同書の「序文(Vorrede)」では「用心する」の意味です。
 この意味の記載は、
Adelung では zusehen の項目の 2 にあります:
 2.
Figürlich. (比喩的 [な意味で])
   (3)
Sich hüthen. (用心する)
      
Siehe zu, daß du nicht fallest. ([用例] ころばないように、注意しなさい。)

 (i) ところで、この Adelung の「用心する」という意味の説明では、<
zusehen = sich hüten>となっています。

 (ii) そして、相良守峯『大独和辞典』で mögen を引きますと、5 「催促(さいそく)」に以下の例文が出ています:
 
sie mögen sich (davor) hüten, noch einmal so zu handeln.
 「彼らは 2 度とそんなことをしないよう、用心するがいい」。
 mögen sich hüten で、「用心するがいい」という意味になっているのです。

 (iii) そこで (i), (ii) より、下記の「用例」での mag zusehen も、用心するがいい」の意味だと思われます。おそらく、用心するがいい」という慣用的な表現があり、それに mögen sich hüten mögen zusehen などが使われていたのではないでしょうか。

 (iv) なお、用例」での mag zusehen が、文脈からみても「用心するがいい」の意味だということは、こちらの「◇ 拙訳の理由」の (2) を参照して下さい。

 用例
Wer nur Erbauung sucht . . .mag zusehen, wo er dies findet;
     「たんに感動を求める人・・・は、そうした [感動といった] ものを見いだすところでは、用心するがよい。」(ヘーゲル『精神の現象学』の「序文(Vorrede)」。『アカデミー版全集』, Bd. 9, S. 13. ズーアカンプ社『ヘーゲル著作集』, Bd. 3, S. 17)



zuwege bringen (V. 1.0.)
 意味
生ぜしめる(相良守峯『大独和辞典』、zuwege の見出しで)

 解説:小学館『独和大辞典』(第2版)には、この訳語は記載されていません。

 用例
. . . daß ein Gegenstand . . . das Denken im nicht Denkenden zuwegebringe.
     ある対象が、考えることなどしないものうちに思考を生ぜしめること
      (F. H. ヤコービ『スピノザ書簡』(Über die Lehre des Spinoza)、Meiner 社、哲学文庫版、66ページ)



  記 号
 (V. 1.1.)
 意味: 等しい(イコール)という意味ですが、さまざまな用法があります。

 解説:数式のような文章の中で=が使われていると、私たちは数学で「=を中心として、左辺全体と右辺全体は等値である」と習っていますので、そのように文章を解釈してしまいがちです。しかし、当時のイコールの用法は多様です:
(1) 形式的には等値でなくとも、著者の考えにおいて等しい場合。
(2) =の直前の語句と等しい意味の語句を、すぐさま=の後に付ける場合。結局、3 格支配の形容詞 gleich (等しい)と同じ意味・用法になります。
(3) 端的に、
gleich と同じ意味・用法の場合。

 (1) と (2) の用例: A + C = A + C in x =
dem absoluten Begreifen . . . (『フィヒテとシェリングの、哲学的書簡集』、1856 年版、88 ページ)

 (3) の用例:
Die identität des Ideal- und Realgrundes ist = der Identität des Denkens und Anschauens.
      観念的根拠と実在的根拠の同一性は、思考と直観の同一性に等しいのです。(『フィヒテとシェリングの、哲学的書簡集』、1856 年版、93 ページ)

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