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た 行
体系 Systematik> v. 1.0.

 フィヒテ・シェリング・ヘーゲルの3人にとっても、哲学は学問ですが、この学問は体系的に構成されます。ふつう体系といいますと、その分野の諸対象をもれなく関連づけて記述すること、といった意味合いになりますが、3人にとっては、根本(最上位)原理や、端緒のあり方、部分と全体の関係などが、問題意識の中心を占めます。
 フィヒテの『知識学の概念、すなわちいわゆる哲学の概念について』(1794年)では:

 「学問というものは、体系的な形式をもっている。[すなわち、] 学問におけるすべての命題は、ある唯一の原理のうちで、互いに関連して一つの全体へと統一される」。(注1)
 「個別的な諸命題は、全体のうちで、全体の中でのそれらの位置によって、そしてまた全体との関連によって、はじめて学問となるのである」。(注2)

 このような見解は、シェリング・ヘーゲルによって踏襲されます。なお、フィヒテによれば:
 「すくなくとも一つの命題は、確実なものでなければならないだろう。この命題が、残りの諸命題に確実性を分かち与える。そこで、最初の命題の確実性の度合いに応じて、第二の命題が確実となろうし、またこの第二の命題に応じて第3の命題が、等々。 
 「かくしていろいろな命題が、それら自体としてはおそらく非常に異なっている諸命題が、それらすべてが――確実性を、しかも同じ確実性を持つことによって、それらの命題はただ一つの確実性を共に持つであろう。そしてまたこのことによって、ただ一つの学問になるであろう。
 「[最初の] 確実な命題は・・・その確実性を [残りの命題との] 結合以前に持っていなければならない」。(注3)
 「[他の命題との] 結合以前に、また結合に依存することなく確実な命題は、原理と呼ばれる」。各々の学問は、一つの原理を持たねばならない」。(注4)

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注1)『知識学の概念、すなわちいわゆる哲学の概念について』、SW版全集、第1巻、38ページ。
注2)同書、SW版全集、第1巻、40ページ。
注3)同書、SW版全集、第1巻、40-41ページ。
注4)同書、SW版全集、第1巻、40-41ページ。
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知識学 Wissenschaftslehre> v. 1.1.

 フィヒテが自らの哲学を「知識学」と呼んだために、これが彼の哲学の代名詞となりました。「知識学(Wissenschaftslehre)」とは耳慣れない用語ですが、率直に訳せば「学問論」となり、フィヒテの意味するところは「哲学論」です(注1)
 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目電子辞書版』は、「知識学」をうまく説明して:
 「ドイツの哲学者フィヒテの主張した学問。知識を基礎づける知の形而上学であり、真の哲学とされた。一般には知識およびその体系としての個別的学問の前提、基礎、方法を対象とする学問であり、方法論と等しいものと考えられている」。

 当時の先進的哲学徒のあいだでは、哲学は学問でなければならぬという共通認識がありました。ここでの学問とは、典型的にはユークリッド幾何学に見られるように、自明な原理(公理)から各種の命題(定理)を厳密に導出して形成される、知識の体系のことです。哲学が学問であるということは、カントの『純粋理性批判』ですでに述べられていますが、彼の継承者ラインホルトが、「厳密な学問としての哲学」を提唱したことの影響が大きいようです。
 こうした時代背景のなかで、フィヒテが自らの哲学(=学問)(注2)観を世に問うたのが、1794 年の『知識学 [学問論] の概念について、すなわちいわゆる哲学の概念について』です。そしてこのいわば予告編の後を受けて同年に出版されたのが、彼の主著となった『全知識学の基礎』でした。

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注1) 「私 [フィヒテ] によれば知識学はすなわち哲学一般なのです・・・」(『フィヒテ-シェリング往復書簡』、座小田豊/後藤嘉也訳、法政大学出版局、134 ページ。フィヒテのシェリング宛 1800年12月27日付書簡草稿)

注2)フィヒテが自らの知識学を、学問だと考えていたことは、例えば:
 . . . in der Bearbeitung jener [5 行上の Wissenschaftslehre を指す] Wissenschaft . . .
 (あの学問の [すなわち知識学の] 改訂において)
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超越論的(先験的) transzendental> v. 1.3.

語義
 「先験的」(経験より先にの意味?)と訳されてきましたが、最近は「超越論的」とされているようです。ラテン語の trans(越えて)+scendere(登る)が、語源です。
 似た用語に、「超越的(transzendent)」がありますが、カント哲学においては、また一般的にも、「超越論的」とは区別されます。「超越的」の方は、「内在的(immanent)」と対立します。

意味
 カント『純粋理性批判』(1781年A版)によって哲学に導入された考えです。すなわち:
 「[認識の] 対象というよりも、対象一般についての私たちのアプリオリな概念にかかわるすべての認識を、超越論的と私は名づける」。(注1)
 つまり、私たちが具体的な認識内容(例えば、「リンゴが3個ある」「雪が降ったために、なだれが起きた」など)を得られるのは、これらの認識を成立させる条件が満たされているためです。例えば、リンゴの表象が時間・空間において現れる、3という量の概念や因果性の概念を私たちがもつ、等々です。これらの条件は、個々の具体的認識に先だって、いわばそれらを越えたところに存在しています。そこで、こうした諸条件やこれらが働くメカニズム、これらが存在する領域、そしてまたこれらを認識することに関して、「超越論的」という用語がカント以来用いられてきました。

影響
 それまで認識といえば、主に具体的対象そのものの認識か、あるいはイデア界ないし神的世界を知るための英知(知性)かでした。そこにカントが、具体的対象に即しつつも、それら経験的対象とはなりえない超越論的な領域を開いたのです。この影響がいかに大きく豊穣だったかは、マイモン『超越論的哲学についての試論』(1790年)、フィヒテ「超越論的観念論」(1794年)、シェリング『超越論的観念論の体系』(1800年)など、時代を先導した諸哲学が「超越論的」を冠していることからもうかがえます。
 それらの哲学が持ちだした原理は、超越論的なものでした。例えばフィヒテでは:
 「事行(Tathandlung)は、私たちの意識の経験的な規定のうちには・・・現れることができない。むしろ事行は、すべての意識の根底にあって、事行のみが意識を可能にする」。(注2)
 カント哲学最大の功績は、この新しい「超越論」という領域の開拓――経験的な現象や認識を成立させている、その背後のメカニズムの探求――だったのでしょう。

 シェリングは、独創的な発想として現れたものを、広く一般的な文脈の中に位置づけて評価する才能を持っていました。彼はカントのこの超越論に対しても、「人間精神の新しい領域を開く」「非常に興味深い」ものと、高く評価しました。つまり、それまでの哲学すべてが、物的ないしは心的なもの、あるいはそれらの折衷・混合物を扱ったのに対し、「物的なものと心的なものの中間に存在する」(注3)第3のものが、「超越論」だというわけです。
 ようやくこの領域に幕が降ろされることになるのは、シェリングの「自然哲学」によってであり(注4)、ヘーゲルにいたって過去の歴史となりました。
「超越論的観念論」の項も参照して下さい)。) 
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注1) 『純粋理性批判』A 版 11-12 ページ。なお B 版では、「「対象というよりも、対象一般についての私たちの認識の仕方に――この認識の仕方がア・プリオリに可能なかぎり――かかわるすべての認識を、超越論的と私は名づける」。(1787年、25ページ)
注2)フィヒテ『全知識学の基礎』、SW版全集、第1巻、91ページ。
注3)以上の引用は、シェリング『近世哲学史』(1833/1834?)。SW版ではI/10, 72. ズールカンプ版選集では、第4巻、488ページ。
 これらの引用語句が、カントの「超越論的観念論」を指していることは、これら引用した箇所の直後の新しい章が、「カント、フィヒテ、超越論的観念論の体系」となっていることからも分かります。
注4)シェリングの自然哲学が、カント以来の超越論哲学からの決別(少なくとも別領域)であった――シェリングの得意や思うべし――ことは、上記注3で言及した「カント、フィヒテ、超越論的観念論の体系」の次の章の表題が、「自然哲学」であることからも窺えます。
 なお、シェリングの超越論的観念論と彼の自然哲学の関係は、一種の「並行論」です。
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超越論的観念論(先験的観念論) der transzendentale Idealismus> v. 2.0.

カントの用法
 超越論的観念論は、もともとはカントが『純粋理性批判』(1781年初版すなわちA版)において、自らの哲学に与えた名称です。すなわち、「現象」というものに実在性(リアリティ)を与えはするが、しかしそれは認識主観が生み出した表象であって、人間の精神の外部においてそのように存在するものではない、という思想です。引用すると:

 「超越論的観念論とは、いっさいの現象をたんに表象と見なして、物自体とは見なさない学説である。したがって、時間と空間もたんに直観の感性的形式であって、物自体としての対象がもつような、それ自体として与えられている規定性ないしは条件などではない。」(注1)
 また、B版(第2版、1787年)では:
 「私たちが超越論的感性論において十分に証明したことであるが、空間と時間において直観されるすべてのものは、すなわち私たちが経験しえるすべての対象は、現象に他ならない。つまりたんなる表象である。これらの表象は、延長したものとして、あるいは変化の連なりとして表象されるが、思考の外部ではそのようなものとしての基礎づけられた存在を、もともと持ってはいない。こうした説を、私は超越論的観念論と名づける。」(注2)
 「私はこの超越論的観念論を、時には形式的観念論と呼んでいる。この観念論を、外部の事物そのものの存在を疑ったり否定したりする実質的観念論から、すなわちふつうの観念論から、区別するためである」。(注3)

 このようにして始まった超越論的観念論でしたが、カント以後の若い世代にとっては、目に見え、耳に聞こえる現象界とは別に、それを成立させているメカニズムの領域が開けたことになりました。見えもせず、聞こえもしない新しい分野が、創始されたことになります。しかもこの分野は、カントの「空間・時間」が物自体としての主観に淵源するように、精神的なものだと、了解されました。さらには、現象界での事象は他の事象によって、さまざまに条件付けられているのに対し、このメカニズムを外から条件付ける(制約する)ものは考えられないのですから、その意味では絶対的なものだとも言えます。

 こうしてカント以降の先進分子の間では、精神的にして絶対的なメカニズムを解明しようとする試みが流行し、超越論的観念論の名でもって呼ばれるようになったと思われます。

(なお、『広辞苑』(第五版)は、超越論的観念論を以下のように説明していますが、『純粋理性批判』中にはこれに該当する記述は見出せません(カント哲学についての説明としては、正しいのですが)。この説明は、どちらかと言えば「超越論的哲学」についてのものです:
 「人間の認識は経験と共にはじまるが、経験に由来せず、それが可能になるのは主観の先天的直観および思考形式により感覚的所与が構成されるからであるという認識論上の立場。カントが唱えたもので・・・」)

フィヒテの用法
 フィヒテが自らの知識学を、哲学的分類を意識しながら、呼ぶときの名称が「超越論的観念論」です。すこし引用が長くなりますが:

 「観念論は、意識のもつ諸規定を・・・知性(Intelligenz)の働きから説明する。・・・この知性の働きから、規定された諸表象が導出されねばならない。すなわちそこから、世界の表象が、私たちが関与しなくとも(ohne unser Zutun)存在し、物質的で、空間のうちにある等々の世界の表象が、また私たちの意識に現れるおなじみの世界の表象が、導出されねばならないのである。
 「しかし、無規定なものから規定されたものが、導出されることはありえない。・・・したがって、根拠として置かれている知性の働きが、規定された働きであるほかはないであろう。しかもこの働きは、知性自身が最高の説明根拠であってみれば、知性自身とその本質によって、知性外の何かによってではなく、規定された働きでなければならない。・・・
 「この [知性自身の本質にそった] 必然的な働き方を・・・働き方の諸法則と名づける。知性の必然的な諸法則についての、このような唯一理性的で・・・実際に説明能力のある前提 [=上記の説明] を、観念論が認めるとき、この観念論は批判的観念論である。ないしは超越論的観念論である」。(注4)

シェリングの用法
 シェリング哲学での位置づけとしては、まず彼の哲学そのものとしての絶対的観念論があります。それを構成するのは、自然哲学と超越論的観念論の 2 つの側面です。(シェリングがこの超越論的観念論を、超越論的哲学とも呼び、ときには観念論と簡略に記すことは、こちらを参照して下さい。)
 つまり、彼の哲学を観念論的(=精神的)側面から述べたものが、超越論的観念論であり、1800年の『超越論的観念論の体系』で詳述されました(注6)。ここでシェリングが明確にしたのは、超越論的観念論は、一つの歴史において展開するということです。もっとも、この「歴史(Geschichte)」は、原理的には現実の時間とは関係がありません。少し長いですが引用すると:

 「[超越論的] 観念論をその全広袤において叙述するという、著者 [シェリング] の意図を実現するための手段は、以下のとおりである:哲学のすべての部分を一つの連続性(Kontinuität)において、そしてまた全哲学をそれがあるとおりに、すなわち自己意識の継続的な歴史として、述べたことである。この歴史に対して、経験のうちに蓄えられたものは、いわばたんなる記念物(Denkmal)とか記録資料(Dokument)になっている。
 「この歴史を正確かつ完全に描くには、主に次のことが肝要である:この歴史の個々の時期(Epoche)を――また個々の時期内の個々の時機(Moment)を正確により分けるのみならず、
[1] ひとつの連鎖(Aufeinanderfolge)において示すことである。この連鎖については、方法自体によって――連鎖はこの方法によって見出されるのだが――、次のことを確信しえるのである:すなわち、いかなる不可欠な(notwendig)中間項も、省略されてはいないということである。
[2] そして、全体に一つの内的な連関(Zusammenhang)を与えることである。この連関には、時間が関与することはできないし、またこの連関がこれからのすべての研究にとって、いわば不変の骨格(Gerüst)となるのである。すべてのものが、この骨格に基づかねばならない」。(注7)

ヘーゲルの場合
 ヘーゲルにおいては、運動・変化の展開は、(絶対者の定在形態である)個別者自体が内包する矛盾によって、すなわち、個別的・具体的矛盾によって起きます。したがって、絶対的なものの超越論的メカニズムのようなものを、持ち出す必要はなくなりました。彼の哲学にいたって、カント以来の「超越論的」発想が、終止したといえます。
「超越論的」の項も参照して下さい)。) 

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注1) 『純粋理性批判』 A版 369 ページ。B版にはなし。
注2) 『純粋理性批判』 A版 490-491 ページ。B 版 518-519 ページ。
注3) 『純粋理性批判』 B版 519 ページの原注。A版にはなし。
注4) 『知識学への第一序論』、岩波文庫『全知識学の基礎 上巻』所収では、53-54 ページ。SW, Bd. I, S. 440f.
注6) フィヒテは、この『超越論的観念論の体系』を、以下のように批判しています。ちょうど 2 人のケンカ別れのときであり、辛らつです:
 「貴方の著書『超越論的観念論 [の体系]』において・・・貴方は超越論的観念論を、つまり唯一可能な観念論を――この観念論は、カントと私の著作によって世間周知のものでしたが――叙述しようとしたと、私は考えざるをえなかったのですが、貴方が超越論的観念論を把握しなかったこと、現在もなお把握していないこと、そして貴方が取っている道においては決して把握しないだろうことは、明らかでした」。(1801 年 10 月 15 日付のフィヒテからシェリング宛の手紙。『フィヒテとシェリングの往復書簡集(Fichtes und Schellings philosophischer Briefwechsel, 1856)』では、111 ページ)
注7) 『超越論的観念論の体系』(Originalausgabe von 1800, S.VIIIf. )
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超越論的哲学(先験的哲学) Transzendental-Philosophie> v. 1.2.

カントの用法
 純粋理性批判をより完全なものにした、まだ実現はしていないカント哲学の呼称です。すなわち:

 「対象というよりも、対象一般についての私たちの認識の仕方に――この認識の仕方がア・プリオリに可能なかぎり――かかわるすべての認識を、超越論的と私は名づける。このような超越論的な諸概念の体系は、超越論的哲学と呼べよう」(注1)

 「超越論的哲学とは、ある学問の理念であって、この学問の全設計図は純粋理性批判が・・・原理に基づいて引かねばならない。この建物を形成するすべての部分の完全性と信頼性という、保障とともにである。超越論的哲学は、純粋理性のすべての原理の体系である。純粋理性批判自身がまだ超越論的哲学と呼ばれないのは、ただ、純粋理性批判が完全な体系であるためには、人間のア・プリオリな認識すべての詳細な分析を、まだなお含まねばならないことによる」(注2)

 すなわち、「純粋理性批判は、超越論的哲学の完全なる企図(Idee)ではあるが、しかし、まだこの学問そのものではない。なぜなら、純粋理性批判の行う分析は、ア・プリオリな総合判断の完全な判定に必要なものに、止まるからである」(注3)

マイモンの場合
  上記のカントを受けて(注4)、これこそ本当の超越論的な認識体系である、という思いで出版されたのが、マイモン『超越論的哲学についての試論』(1790年)でした。
 この『試論』は、カント哲学を大幅に模様替えしたもので、「ここにおいて私たちは、(このように言うことが許されるならば)神、世界、人間の心の三位一体をもつ」と宣言されます。そして、「ここは、唯物論者、観念論者、ライプニッツ主義者、スピノザ主義者、また有神論者ならびに無神論者が、一致しえる地点なのである」。(注5)

シェリングの場合
 「超越論的観念論 シェリングの用法」を参照して下さい。
 また、シェリングが自らの超越論的哲学をたんに観念論と記すことがあることについては、こちらを参照して下さい。

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注1) 『純粋理性批判』 B 版 25 ページ。(すべての邦訳に、B 版のページ数は付記されています。なお A 版は 1781年、B 版は 1787 年の出版)。
注2) 『純粋理性批判』 B 版 27 ページ。
注3) 『純粋理性批判』 B 版 28 ページ。
注4) 「偉大なカントは、哲学がなにか意味をもつためには、哲学は超越論的でなければならない、ということを示した。すなわち哲学は、対象一般にアプリオリにかかわることができなければならないのである。そのような哲学が、超越論的哲学である」。(『超越論的哲学についての試論』、オリジナル版 3 ページ)
注5) 『超越論的哲学についての試論』、オリジナル版 206-208 ページ。
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通俗的 Popular-, populär (通俗哲学、通俗講演などと使われます)> v. 1.2.

 「通俗的」と訳されてきましたが、いわゆる俗衆・大衆向きという意味合い(vulgär)ではなく、いわゆるテクニカルタームを使わない、「(教養ある)一般の人向き」の意味です。したがって、「公衆的」という訳が、より適切かと思います。
 通俗哲学(Popularphilosophie)については、木村競氏によれば:
「エンゲル (Johann Jakob Engel, 1741-1802) が、1775-77 年に、『世間に向けての哲学者』(Philosoph für die Welt) で自分とメンデルスゾーン、ガルヴェ (Christian Garve, 1742-98)、エーベルハルト (Johann August Eberhard, 1739-1809) の文章をまとめて出版したあたりから始まるこの言い方は、いわゆる「学校哲学」との対比で社会に開かれたということで、悪い意味ではない」。(「メンデルスゾーン」、『講座ドイツ観念論 第1巻』所収、弘文堂、1990年)
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哲学批判雑誌」Kritisches Journal der Philosophie> v. 1.1.

 シェリングとヘーゲルが、1802 年に創刊した雑誌で、翌 1803 年まで続きました(オンライン上のテキスト)。雑誌の題名の和訳は、慣例にしたがい簡略に「哲学批判雑誌」としましたが、意味するところは「[現代の] 哲学を批判的に [論じる] 雑誌」というものです。

 掲載論文は、以下のとおりです:

第 1 巻Erster Band
  第 1 号Erstes Stück)・・・全 132 ページ。1802 年刊。
     序文 哲学的な批判一般の本質について。また、とくにこの批判の、現在の哲学的状況への関係について。(Einleitung. Über das Wesen der philosophischen Kritik überhaupt, und ihr Verhältnis zum gegenwertigen Zustand der Philosophie insbesondere.)・・・執筆:ヘーゲル。iii - xxiv ページ。

     絶対的同一性の体系について。またこの体系と、最近の(ラインホルトの)二元論との関係について。(Über das absolute Identitäts-System und sein Verhältnis zu dem neuesten (Reinholdischen) Dualismus.)・・・執筆:シェリング。1 - 90 ページ。

     常識は、哲学をどのように理解するのかということ――クルーク氏の著作に寄せて(Wie der gemeine Menschenverstand die Philosophie nehme, -- dargestellt an den Werken des Herrn Krugs.)・・・執筆:ヘーゲル。91 - 115 ページ。

  第 2 号Zweites Stück)・・・全 126 ページ。1802 年刊。
     懐疑論と哲学との関係、修正された種々の懐疑論の叙述、および新旧の懐疑論の比較。(Verhältnis des Skeptizismus zur Philosophie, Darstellung verschiedenen Modifikationen, und Vergleichung des neuesten mit dem alten.)・・・執筆ヘーゲル。1 - 74 ページ。

     リュッケルトとヴァイス、すなわち、思考も知も必要としない哲学。(Rückert und Weiß, oder die Philosophie zu der es keines Denkens und Wissens bedarf.)・・・執筆シェリング。75 - 126 ページ。

  第 3 号Erstes Stück)・・・全 98 ページ。1802 年刊。
     I. 自然哲学と哲学一般との関係(I. Über das Verhältnis der Naturphilosophie zur Philosophie überhaupt.)・・・執筆シェリング。1 - 25 ページ。

     II. 哲学における構成について(II. Über die Konstruktion in der Philosophie.)・・・執筆シェリング。26 - 61 ページ。

     III. 自然哲学関係のいくつかの著作の広告(Anzeige einiger die Naturphilosophie betreffenden Schriften.)・・・執筆シェリング。63 - 68 ページ。[第 2 巻、第 3 号、51 ページへ続く]

第 2 巻Zweiter Band):
  第 1 号Erstes Stück)・・・全 188 ページ。1802 年刊。
     信仰と知、すなわち、カント、ヤコービ、フィヒテの諸哲学がそうであるような、完全な形態における主観的な反省哲学。(Glauben und Wissen oder die Reflexionsphilosophie der Subjektivität, in der Vollständigkeit ihrer Formen, als Kantische, Jacobische, und Fichtesche Philosophie.)・・・執筆ヘーゲル。1 - 188 ページ。

  第 2 号Zweites Stück)・・・全 122 ページ。1802 年刊。
     自然法の学問的な扱い方、自然法の実践哲学における位置、そして自然法と実証的な法哲学との関係について、。(Über die wissenschaftlichen Behandlungsarten des Naturrechts, seine Stelle in der praktischen Philosophie, und sein Verhältnis zu den positiven Rechtswissenschaften.)・・・執筆ヘーゲル。1 - 122 ページ。

  第 3 号Erstes Stück)・・・全 62 ページ。1803 年刊。
     [第 2 巻、第 2 号、89 - 122 ページの再録、あるいは不手際によるダブり]・・・執筆ヘーゲル。1 - 34 ページ。
     II. 哲学的関係におけるダンテについて(II. Über Dante in philosophischer Beziehung)・・・執筆シェリング。35 - 50 ページ。
     III. [第 1 巻、第 3 号、III の 68 ページからの続き] 自然哲学関係のいくつかの著作の広告(Anzeige einiger die Naturphilosophie betreffenden Schriften.)・・・執筆シェリング。51 - 56 ページ。
     IV. II への補遺(Anhang zu No. II.)・・・57 - 62 ページ。
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独断論 Dogmatismus> v. 1.6.

語義
 Dogma[t] は、ギリシア語の dokein 「良いと思われる(seem good)」(Concice Oxford Dictionary, 第10版)を原語とするラテン語で、「教義、信条」などと訳されます。つまり、「権威あるものによって表明された、疑うことのできない原理・原則」のことです。そこから、dogma は「独断的な意見・主張」の意味にもなりました。(語尾の t は、名詞 dogma の活用語尾です)。
 -ismus は、英語のイズムで、「~主義、体系」という抽象名詞を作ります。そこで Dogmatismus は、「独断論」のほかに、「教条主義」とも訳されます。
 いずれにしろ、自らが信奉したり賛同するところの言説を、「不完全な点や誤りがあるかもしれないという検討を加えずに、真理として主張する態度」(『デジタル大辞泉』)やその言説を、意味します。

カントの用法
 独断論というものにスポットライトが当たるようになったのは、何といってもカントが自己の批判哲学によって否定されるべきものとして、『純粋理性批判』(1781年)に登場させてからです。そこでは次のように述べられています:

 「[カントが主張する純粋理性] 批判が反対するのは・・・独断論、すなわち不当行為である。この不当行為は、理性が以前から純粋認識を使用しているように、ただ諸原理に従った(哲学的)概念からの純粋認識だけでやっていこうとする。だがそのさい、理性が純粋認識を得たし方や、得ることの権利を問いはしないのである。したがって独断論とは、純粋理性が自らの能力をあらかじめ批判することなく行う、独断的なやり方のことである」(注1)。(B版、XXXVページ)    

 つまり、「『純粋理性批判』が独断論に反対したときには、認識能力についてのあらかじめの探求などもなく、やみくもに立てられた独断論の体系に反対したのです。『純粋理性批判』は、独断論がいかにして独断論というものに、すなわち強固な客観的実在論になることができるのかを、独断論に分からせたのです。」(シェリング『独断論と批判主義についての哲学的書簡集』(1795 年)、第 5 書簡、SW版全集第 1 巻、302 ページ。なお、訳にあたっては、現代では不適切となった表現には他の語をあてました。)

 ところで、カントが非難する独断論を、例えば次のように説明している場合があります:
 「経験の領域 [すなわち、時空間における現象] においてのみ妥当する概念 [例えば、因果関係] を、形而上学的対象にも適用する立場」(『デジタル大辞泉』)
 しかし正確には、こうした説明はカントから見ての旧来の形而上学に対するものです(注2)。もっとも、旧来の形而上学は独断的でしたので、結果的には独断論の説明として誤っているわけではありません。

フィヒテの用法
 上記のカントの主張を受けつつ、フィヒテはまず1794年の『全知識学の基礎』では、以下のように述べます:
 「体系には、批判的体系と独断論的体系しか存在しない」(注3)
 「批判哲学 [=批判的体系] の本質は、まったく無条件なものとして、より高次のものによっては規定されないものとして、絶対的な自我が立てられることにある。そしてこの哲学を、首尾一貫して [konsequent] 推及していけば、知識学となる。
 「これとは反対に、何かあるものを自我自体と同一視したり、自我自体に対置するような哲学は、独断論的である。このようなことは、物(Ens)という、[自我] より高次だとされる概念によって、行われるのである。・・・
 「批判的体系においては、物は自我のうちに措定される。独断論的体系においては、自我そのものが物のうちに措定される。・・・独断論が首尾一貫しているかぎり、独断論のもっとも首尾一貫した産物はスピノザ主義である」(注4)

 ここで注目すべきは、批判哲学・知識学陣営に対する一方の雄として、スピノザ哲学を認めたことです。カントの『純粋理性批判』(1781年A版)には、このようなスピノザ評価はありませんので、これはヤコービによって起こされた「汎神論論争(スピノザ論争)」1785年に影響されたものでしょう。

 この後フィヒテは、1797年の『知識学への第一序論(Erste Einleitung in die Wissenschaftslehre)』では、批判哲学と自己の知識学を合わせて観念論と呼び、同じ趣旨の議論をしています:
 「有限な理性的存在 [人間] は、経験以外のものは持っていない。この経験が、有限な理性的存在の思惟の素材すべてを、含むのである。哲学者も必然的に、これと同じ条件下にある。したがって、いかにして哲学者が経験を越え出るか、理解しがたいように思えよう。
 「しかし哲学者は、捨象することができるのである。すなわち、経験のうちで結合しているものを、思考の自由によって分離できるのである。経験のうちでは、
・物 [Das Ding] は――物は、私たちが有する自由からは独立に規定されており、この物に私たちの認識は一致(wonach sich richten)すべきだとされるのだが――、認識するものとされる知性と、分離することなく結合している。
 「哲学者は、この両者のうちの一方を捨象することができるが、すると経験を捨象したことになり、経験を越え出たのである。哲学者が、
・物を捨象すれば、知性そのものを――すなわち、知性の経験への関係を捨象したところの――、
・知性を捨象すれば、物そのもの [物自体] を――すなわち、事物が経験のうちに現れるということを捨象したところの――、
経験の説明根拠として、彼は残すのである。最初の物を捨象するやり方が、観念論であり、後の知性を捨象するのが独断論である。
 「ただこの 2 つの哲学体系のみが・・・可能である。最初の観念論の体系にしたがえば、必然性の感じ(Gefühl)をともなう諸表象は、[認識論的] 説明において諸表象に対しては前提とされるべき知性の産物である(注5)。後の独断論にしたがえば、これらの諸表象は、諸表象に対して前提とされるべき物自体の産物である」。」(注6)

 というわけで、独断論といいますと、あたかも経験を無視する原理主義的なイメージがありますが、フィヒテの用法では、経験から出発する一種の客観主義を指します。そして、経験から出発する一種の主観主義が(と言っただけでは、独我論と誤解されかねないのですが)、ここでの観念論です。

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注1) この拙訳は、よく利用される岩波文庫の訳とは異なる箇所があります:
・岩波文庫では、「原理に従う概念的(哲学的)な純粋認識」となっています。しかし、nach Prinzipiennach の前にはコンマがあるので、この nach Prinzipien は、そのコンマの前の語句 einer reinen Erkenntnis aus Begriffen (der philosophischen) を修飾するのではなく、後の fortzukommen を修飾すると思います。つまり、nach Prinzipien は挿入句でしょうそのように取る方が、内容的にもはっきりするのではないでしょうか。

・岩波文庫では、「理性が・・・この純粋認識に達したかは・・・」となっており、dazu を純粋認識だとしています。しかしそれでは、
 (1) dazu
einer reinen Erkenntnis の感覚が開きすぎます。
 (2) また、「理性がどんなし方で・・・この純粋認識に達したかは、措いて問わない」(岩波文庫訳)と言われたところで、純粋認識に達したのは、「原理にしたがい(nach Prinzipien)」「概念によって(aus Begriffen)」と分かっているのですから、内容的にもピンボケになってしまいます。
 そこで dazu は、「諸原理」を指すと思われます。

注2) 例えば:
 「形而上学、すなわちまったく孤立し思弁的な、理性による認識は、まったくもって経験の教えを無視する――しかも、単なる概念によって――・・・」(B版、XIVページ)

注3) 岩波文庫『全知識学の基礎 上巻』では、150 ページ。SW, Bd. I, S. 120.

注4) 岩波文庫『全知識学の基礎 上巻』では、148-149 ページ。SW, Bd. I, S. 119f.

注5) 「前提とされるべき知性」は、岩波文庫の訳(『全知識学の基礎』上巻、32ページ)では、「予想せられる知性」となっています。しかし、観念論は知性の体系ですので、知性は「前提」されているのです。「予想せられる」では、文意がぼやけてしまいます。なお原文は、vorauszusetzende Intelligenz.

注6) 『知識学への第一序論』、岩波文庫『全知識学の基礎 上巻』所収では、32ページ。SW, Bd. I, S. 425f.)
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