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『自然哲学についての考察』の「緒論への付記」(1803 年)(v. 7.2.) 副題は 「哲学一般についての、および 哲学の必然的な構成部分としての特殊自然哲学についての、 普遍的理念の叙述」 Zusatz zur Einleitung. Darstellung der allgemeinen Idee der Philosophie überhaupt und der Naturphilosophie insbesondere als nothwendigen und integranten Theils der ersteren. |
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拙稿の目次 はじめに 凡 例 『緒論への付記』の訳 訳 注 「緒論への付記」の訳 カント以前には、経験論的な実在論が一般的な思考体系となっており、哲学においてさえも支配的であった。しかしながら、すべて一面的なものは、それと対立する別の一面的なものを、すぐに呼び起こさずにはいない。この必然性によって、経験論的実在論に対してまず、たんに同様に経験論的な観念論が生まれ、通用するようになったのである。 この経験論的観念論は、なるほどカントの継承者たちにおいて見られるような、まったく経験論的な性質において仕上げられた形では、カント自身のうちにはない(*1)。だが、この経験論的観念論はカントの著作に、萌芽のように含まれていたのである(*2)。 カントのもとに来る前に経験論を捨てはしなかった人たちから、彼らのもつ経験論がカントによって取りさられることはなかった。経験論は、観念論的に響く別の言葉へと翻訳されただけで、まったく同じままで残ったのであり、変化した形態においてたち戻ってきたのである。つまり、この変化した形式での経験論をカントから摂取した人たちが、「いかなる点においても経験論からは解放されており、またそれを超えた」と確信すればするほど、ますます経験論は執ようにたち戻ってきたのである。 こうした人たちは、「悟性による、また悟性にとっての物の諸規定は、まったく物自体にはかかわらない」ということを受け入れはした。しかしながら物自体が、表象するもの [=主観] に対してもっている関係は、人が以前に経験的な物に付与していた関係と同じなのである。すなわち、触発の関係、原因や作用の関係である(*3)。 この「付記」の前に置かれている [『自然哲学についての考察』] の「緒論」は、一つには経験論的な実在論そのものに対して、また一つには粗雑な経験論と、カント学派から発展したある種の観念論との前述の不合理な結合に対して、書かれたのであった。 [緒論においては] これら両者は、いわば自身の持つ武器によって論破されている。経験論的な実在論に対しては、「この実在論が、経験から得られたものとして使用する諸概念や種々の表象は、変質し乱用された観念である」ことを示しておいた。これらの諸概念や諸表象は、そうしたものとしてしか通用しないのである。 不合理な結合に対しては、最初の矛盾を明示するだけでよかった。この矛盾は、この結合の根底にあるのであって、ただ個々の場合にはより目だってくり返し表れるのである。 この「付記」が課題とするのは、[他説を否定することよりも] むしろ積極的な仕方で、哲学そのものの理念や、とくに哲学全体の必然的な一側面としての自然哲学の理念を、説明することである。 * * * 哲学への第一歩とは、またこれなくしては哲学に参入することさえかなわない条件とは、次のことを洞察することである:「絶対的にして観念的なもの(das absolut-Ideale)は、また絶対的にして実在的なものでもある。この絶対的にして観念的なもの以外には、ただ感覚的で条件づきの、しかし絶対的・無条件的ではない実在性しか、およそ存在しない」。 絶対的にして観念的なものを、絶対的にして実在的なものとしてはまだ理解していない人を、このことを洞察できる地点にまでいろいろな仕方でつれて行くことはできる。しかし、この洞察自体はただ間接的に証明することはできても、直接にはできない。というのもこの洞察は、すべての立証(Demonstration)の根拠であり、原理だからである。 この洞察にまで人を高める仕方のうちの一つを、示してみよう。哲学は絶対的な学問である。というのも、対立しあっているさまざまな考え方からも、次のことは共通に一致することとして取りだせるからである:「哲学が自身のもつ知の諸原理を、他の学問から借りてくるというようなことは決してない。むしろ哲学は少なくとも他の諸対象とともに、知をも対象としてもっている。したがって、哲学自体は下位の知ではありえない」。 存在するとすれば条件づけられた学問ではありえないという、学問としての哲学のこうした形式的規定から、次のことが直接帰結する:「哲学はその対象とするものについて(この対象が哲学のときもあるが)、条件づけられた仕方では知ることはできず、ただ無条件に絶対的な仕方でしか知りえない。したがってまた、これらの対象における絶対的なものそのものしか知りえない」。 これに反する哲学のすべての規定――それらによれば、哲学はなにかある偶然的なもの、特殊的なもの、あるいは条件づけられたものを、対象としてもっていることになるのだが――に対しては、次のことが明らかとなろう:これらの偶然的なものや特殊的なものは、哲学以外の現にある、あるいはあると称している学問に、すでに属しているのである。 そこで哲学が、 ・絶対的な仕方で知るために、ただ絶対的なものについてのみ知りえるのであれば、 ・また、この絶対的なものは哲学に対して、知そのものによってしか開示されないのであれば、 次のことは明らかである: ・哲学の最初の理念 [=哲学は絶対的な学問である] からして、「絶対的な知と絶対的なものそのものとの、ありうべき無差別(Indifferenz)」という暗黙裡の前提に基づくのであり、 ・したがって、「絶対的にして観念的なものは、絶対的にして実在的なものである」ということに、基づいているのである。 [だが] この推論によっては、[絶対的にして観念的なものは、絶対的にして実在的なものであるという] 理念の実在性について、まだ何かが証明されたというのではない。前述したように(*4)この理念は、すべての明証性(Evidenz)の根拠として、自らによってしか証明されえない。前述の私たちの推論は、仮言的(*5)なものにすぎないのである。つまり、「哲学が存在するとすれば、この理念は哲学の必然的な前提である」、ということなのである。 そこで私たちの反対者は、 [1] [哲学が存在するとすればという] 仮定か、 [2] あるいは、[「絶対的にして観念的なものは、絶対的にして実在的なものである」という理念は、哲学の必然的な前提であるという] 結論の正しさを、 否定することができよう。 [1-a] 反対者はあるいは学問的な仕方で、仮定の否定をするかもしれない。その場合には、反対者自身が知についての学問に、すなわち哲学にかかわることなしには、それを行うのはむずかしいであろう。 このような [彼の] 試みにさいしては、私たちは彼に出会うために、彼を待たなくてはならない(*6)。だが次のことは、あらかじめ [出会う前から] 確信できる:「彼が前記の [「哲学が存在する」という仮定を否定する] 意図のために、何を主張するにしても、それ自体はなんらかの原理であるに違いない。私たちはその原理を、十分な根拠でもって反論することができる。その結果、なるほど彼を説得することはできないにしても(というのは、最初の洞察 [つまり、絶対的にして観念的なもの=絶対的にして実在的なもの] は、彼自らが獲得するほかはないのだから)、彼は自らの論拠の明らかな弱点を、私たちに示さずにはいないであろう」。 [1-b] あるいは反対者は、まったく学問的な根拠をもたずに、「哲学を学問とは認めない、また認めようとも思わない」などと、とにかく断言するかもしれない。このような断言にはかかわるべきではない。というのも、哲学無くしては彼は、哲学が存在しないということも、まったく知ることができないからである。そして私たちの関心を引くのは、ただ彼のもつ知だけだからである(*7)。 したがって、彼はこの問題については、他の人たちが彼らの間で決定するのにまかさなくてはならない。そして彼自身は、こうした問題に関する意見を控えるのである。 [2] これまでとは違い、反対者が結論を否定する場合である。前述の証明(*8)の後では、こうした場合が生じるのはただ、反対者が哲学について [私たちとは] 別の考えを提示することによってである。この考えによれば、条件づきの知が哲学のうちで可能だということなのである。 私たちは彼がそのような代物を――それが経験的な心理学であっても――、哲学と呼ぶことを妨げることなどはできないのだろう。しかし、絶対的な学問 [=真の哲学] の地位やこの学問への要求は、[この場合] かえってますます確かなものになろう。なぜなら、ある事柄 [=真の哲学] を指す言葉に、その言葉にはふさわしからぬ意味が与えられて、その言葉が誤用されたからといって、この事柄そのものが破棄されるわけではないからである。 [真の] 哲学をもつ人は、あらかじめまた次のことも確信できる――絶対的学問という以外の、哲学についてのいかなる考えがもち出されようとも、哲学をもつ人は、「そのような考えは哲学についての考えであるどころか、そもそも何らかの学問についての考えですらない」ことを、常に誤ることなく証明できるであろうことを。 一言で言えば、「絶対的にして観念的なものは、絶対的にして実在的なものである」という前述の洞察は、高等な学問すべての条件である。哲学においてのみならず、幾何学や全数学においてもそうである。実在的なものと観念的なものとの無差別を、数学は副次的な意味においては受け入れているが(*9)、哲学はこの無差別からからすべての感覚的な連関を取り除くことによって、この同じ無差別を――ただし、もっとも普遍的な最高の意味において――、それ自体として妥当させる。 高等な学問に固有な前述の明証性は、この無差別に基づく。絶対的な実在性のためには、絶対的な観念性しか必要とはしないこの地盤の上で、幾何学者はおそらくは観念的なものであろう作図(Konstruktion)に、絶対的実在性を付与することができる。そしてまた彼は、次のように主張もできるのである:「[観念的なものである] 作図について形式として妥当するものは、[現実の実在的] 対象についても永遠にまた必然的に妥当する」と。 およそ経験論的な観念論は、とりわけスピノザ [1632 - 1677] に対しては、ふつう次のようにしか主張できない:「スピノザは、彼自身の考えを反省(*10)しなかったことで、誤ってしまった。反省すれば、彼の体系は彼の思考の産物に過ぎないことに、疑いもなく気づいたであろうに」。そこでこうした範にもれず、某氏が哲学者に次のような注意をするとしよう:「前述の絶対的にして観念的なものというのは、たんにあなたに対して存在するのであり、あなたの思考にすぎないのです」(*11)。 すると私たちとしては、この某氏に彼の側でも次のようなまったく簡単な考察をしてくれるよう、お願いすることになる:「[スピノザの場合のように反省をせまられた] この哲学者が、『絶対的にして観念的なもの』という考えをを彼の思考に、したがって主観的なものにするところの反省は、またもやたんなる彼がした反省であり、したがってただ主観的なものです。だからこうしたことによっては、一つの主観性が [同じ] 別の主観性によって、改善されて取りかわられるだけなのです」。 このことを、某氏は否定できないだろうから、彼としても次のことを認めるであろう:「絶対的にして観念的なもの自体は、したがって主観的なものでもなければ客観的なものでもなく、そしてまたあの哲学者の思考でもなければ誰かの思考でもなく、まさに絶対的思考なのである」。 私たちは以下のすべての叙述において、「絶対的にして観念的なものは、絶対的にして実在的なものと無差別である」という認識を、すなわちそれ自体絶対的である認識を前提にする。そしてすべての人に、次のように確言せざるをえない: ・この絶対的認識以外に、なお別の絶対的なものを考えたり要求したりする人に対しては、その別なものを認識するための手助けをすることは、私たちにはできないのみならず、 ・またそのような人は、私たちが主張する絶対的なものについての認識も、理解できなくなるであろう。 私たちは、この「絶対的にして観念的なもの」という理念に、基づかなければならない。私たちはこの絶対的にして観念的なものを、絶対的な知として、絶対的な認識活動として規定する。 ただし絶対的知においては、対置しあうものとしての主観的なものと客観的なものが統一されているのではなく、そこにおいては、主観的なものすべてが客観的なものすべてであり、またその逆でもある。 哲学的原理としての、主観的なものと客観的なものとの絶対的同一性は、 ・たんに否定的に(つまり、たんに差異がないこととして)、 ・あるいは、もともと対置しあっている 2 つのものの、それらとは別のもの(それは、絶対的なものと言われている)におけるたんなる結合として、 理解されたし、また今も一部ではそのように理解されている。 [しかし、私の] 考えはむしろ次のようなものであった:「主観的なものと客観的なものは――それぞれ単独で(für sich)考察されるにしても――、たんに両者にとっては偶然的な、あるいは少なくとも両者とは異質な統一のうちにあるのではなく、両者は一つのものなのである」。そもそもこのように最高の理念の特徴を示すときには、主観的なものと客観的なものを前提にすべきではなかろう。むしろ、対置しあうものとしての、ないしは結合されたものとしての両者は、まさしく前述の [両者は一つのものであるという] 同一性だけから理解されるべきことが、示されるべきだろう。 絶対的なものとは、いささか思慮がある人ならおそらくおのずと認めるように、必然的に、純粋な同一性である。絶対的なものは絶対性そのものであり、それ以外のものではありえないのであって、絶対性とは自らによってただ自ら自身に等しいことである。そして次のこともまた、絶対性の理念に属する:「この純粋な、主観性にも客観性にも依存していないところの、同一性としての同一性は、それ自体が質料と形相、主観と客観である。そしてこの同一性は、主観性あるいは客観性のうちでも、そうであることを止めないのである」。こうしたことは、ただ絶対的なものだけが、絶対的にして観念的なものであり、またその逆でもあることから、帰結するのである。 主観的なものと客観的なものにおける、前述の同じく純粋な絶対性、同じ同一性は、私たちがその特徴を示したとき、同一性として、主観的なものと客観的なもの両者の同じ本質として、規定されたのであった。この私たちの説明においては、主観的なものと客観的なものは対置されて存在しており、一つのものではない。というのも、このとき私たちは両者それぞれを、そうした [主観的なもの、客観的な] ものとして認めているともいえるからである。 だがむしろ、前述の純粋な絶対性が――この絶対性は自ら自身において(in sich selbst)、主観性や客観性から独立していなければならず、またこれら両者のうちの一方であることもできない――、それ自体としてして(für sich selbst)、また自ら自身によって(durch sich selbst, 自ら自身を通して)、両者のうちへ同じ絶対性として入りこむ限りにおいては、1つの「主観性と客観性」が存在するのである。 私たちは未分化の絶対性が、前述のように「主観化-客観化」することの必然性を、より詳しく明らかにしなければならない。 絶対的なものは永遠の認識活動であるが、この認識活動は自らにとって質料(Stoff)および形態(Form, 形式。形相)であって、産出(Produzieren)である。この産出において、絶対的なものは永遠にわたって、理念としての、純粋な同一性としての自からのすべてを、実在的なものに、形態にする。そしてまた、同じく永遠にわたって絶対的なものは、客観である限りでの形態としての自ら自身を、本質へと、すなわち主観へと融解する。 この [質料と形態との] 関係を明らかにするために、絶対的なものをまずは純粋に質料として、純粋な同一性として、まったくの絶対性として考えてみよう(というのも、ここではまだ [形態への] 移行がないからである)。 そこで、 ・絶対的なものの本質は産出であり、 ・絶対的なものは、形態をただ自身からしか得られれないのであって、 ・絶対的なもの自体は、純粋な同一性であるのだから、 形態もまたこの同一性でなければならない。したがって本質と形態は、絶対的なもののうちで一つのもの、同じものでなければならない。すなわち両者は、同じ純粋な絶対性でなければならないのである。 絶対的なものは、こう言ってよければ、たんに質料や本質であるという契機においては、純粋な主観性であろう。そのとき絶対的なものは、自らのうちに閉じこもり、隠されている。だが、絶対的なものが自らの本質を形態とすることによって、全主観性はその絶対性において客観性となる。そしてまた、形態が本質へと変化し復帰することによって、客観性すべてはその絶対性において主観性となるのである。 ここには、前・後というものはない。絶対的なものが自己自身から発出(Herausgehn)するとか、行為(Handeln)へと移行するのではない。絶対的なもの自体がこの永遠の行為なのである。というのも、絶対的なものの理念には、次のことが属すからである:絶対的なものは、じかにその概念によって存在し、また絶対的なものの本質は、絶対的なものにとって形態でもあり、形態は本質でもある。 私たちはさしあたり 、絶対的な認識活動における 2 つの行為を区別した: ・一方の行為においては、絶対的なものはその主観性と無限性をすべて、客観性と有限性のうちへと、後者が前者と本質的に統一されるまで生みだす。 ・他方の行為においては、絶対的なものは客観性すなわち形態のうちにある自己を、再び本質へと融解する。 絶対的なものは主観でもなければ客観でもなく、ただこれら両者の同一な本質なのであるから、それは絶対的認識活動として、こちらでは純粋に主観であったり、あちらでは純粋に客観であったり、というようなことはできない。絶対的なものはつねに――また、絶対的なものは主観として(形態を本質のうちへ融解した場合)、そして客観として(本質を形態へと形成した場合)――、ただ純粋な絶対性であり、まったき同一性である。 ここで起こりえるすべての差異は、絶対性自体のうちにはない。絶対性は同じままである。したがって差異は、ただ次の点においてある:「絶対性は一方の活動においては本質として、全面的に(ungeteilt)形態へと変化し、他方の活動においては形態として、全面的に本質へと変化する。そして、永遠にわたって自らを自ら自身と一つのものに形成するのである」。 絶対的なもの自体のうちでは、これら 2 つの統一 [=前述の 2 つの行為(活動)] は区別されない。ところで人は、絶対的なもの自体をこの 2 つの統一の [さらなる] 統一として、規定しようと思うかもしれない。けれども厳密に言えば、絶対的なものはそのようなものではない。というのも、絶対的なものが 2 つの統一の統一として認識されることができ、また規定されることができるのは、2 つの統一が区別される限りにおいてであるが、絶対的なものにおいてはそうではないからである。 したがって絶対的なものは、絶対的なものであるということ以上の規定はもたない。絶対的なものは、この絶対性と永遠の行為のうちで端的に一つのものであるが、しかしこの一つであることにおいて、そのまままた総体(Allheit)でもある。すなわち、以下の [3 つの] 統一の総体である: [1] 本質が、絶対的に形態へと形作られるところの統一。 [2] 形態が、絶対的に本質へと形作られるところの統一。 [3] 前記 2 つの絶対性が、再び一つの絶対性であるところの統一。 絶対的なものは、自己以外のものを自己から産出することはないのであり、それゆえまた絶対的なものなのである。[そこで] 3 つの統一の各々も、[元の絶対的なものと同じく] 全的で絶対的な認識活動である。そして、本質すなわち同一性としての各々の統一はそれ自体が、絶対的なもの自体と同様に、形式(Form, 形態)となる。 3 つの統一各々には、形式的な側面から見れば、特殊性がある。例えばある特殊性においては、無限なものが有限なものへと形成されたり、あるいはその逆であったりする。しかし、こうした特殊性は絶対性を破棄しないし、また絶対性自体によって破棄もされない。もっとも、特殊性は絶対性のうちでは――このうちでは、形式は本質とまったく等しいように形成されており、形式自体が本質である――それとして区別はされないのだが。 私たちがここで統一と言っているものは、他の人たちが理念やモナドということで理解したものと同じである。とはいえ、これらの概念そのものの真の意味は、とっくに失われてしまったのであるが。 各々の理念は特殊的であるが、この特殊的なものはそうでありつつ [も、なお] 絶対的である。絶対性は、つねに一つである。同様に、同一性自体においての絶対性のもつ「主観性=客観性」も、つねに一つである。ただ、[特殊的な] 理念のうちでの絶対性が、どのように「主観=客観」であるのかということが、区別をもたらすのである。 諸理念は、普遍的なものと特殊的なものとの(本質と形態との)絶対的な同一性が――この同一性自体が普遍的なものであるかぎりで――、特殊的な形式と総合したものに他ならない。これらの理念においては、個別的な事物は存在しえない。というのも、これらの特殊的形式は、絶対的同一性に、すなわち本質にまた等しく措定されているためである。 3 つの統一は、絶対的なもの自体のうちでは一つのものである。だが 3 つのうちの 1 つの統一自体が、その本質が、その同一性が、もっぱら形式として、したがって相対的な差異として把握される限りにおいては、この統一は個々の現実の諸事物によって表徴化される(sich symbolisieren)。個々の事物は前述した――本質が形態に変化するという――永遠の活動の、たんに 1 つの契機なのである。そういうわけで、形式は特殊的なものとして、例えば無限なものの有限なものへの成形(Einbildung)(*12)として、区別はされるにしても、この形式によって客観化するものは、やはり絶対的統一自体なのである。 絶対的な成形(例えば、本質の形態への成形)のもつすべての契機や度合い(Grade)(*13)は、絶対的な成形のうちに同時に(zumal)存在しているし、また、私たちに特殊的なものとして現象するすべてのもののうちには、理念のうちの普遍的なものすなわち本質が、絶対的に入っている。したがって本来的には、なにかあるものが有限に、あるいは真に生じているということはない。そうしたものは、それが包含されている統一のうちで、絶対的にして永遠な仕方で表現されているのである。 そこで 物自体 [Die Dinge an sich, 自体的な諸事物] とは、永遠の認識活動をしている諸理念である。そして絶対的なもの自体のうちの諸理念は、また 1 つの理念なのだから、すべての事物もまた、真実には、そして内的には 1 つの本質である。すなわち、「主観化=客観化」の形式においてある純粋な絶対性の本質である。そして、現象のうちにおいても――現象においては、絶対的統一は特殊的形態によって、例えば個々の現実の事物によって、客観的となっている――、現実の事物間のすべての相違は本質的なものでなはく、また質的なものでもなく、たんに非本質的で量的なものである。このような相違は、無限なものの有限なものへの成形がもつ度合いに、基づいている。 有限なものに関しては、次の法則を述べなければならない: [1] [前述のように] 有限なものに対し無限なものが成形されている場合の [有限なものと無限なものの] 関係においては、 [2] この有限なもの自体も有限なものとして、また無限なもののうちに存在する。 そして、[有限なものと無限なもの] それぞれの本質に関する [前記 1 と 2 の] 2 つの統一は、また 1 つの統一でもある」。 絶対的なものがその永遠の認識活動において、自らを特殊的なもののうちへと拡大する(expandiert)のは、自らの無限性を有限なものそのものへと絶対的に成形することで、この有限なものを自らのうちへと取り戻すためにほかならない。そしてこの [拡大と取り戻す] ことは、絶対的なものにおいては、1 つの活動である。 したがって、この活動の 1 つの契機が――例えば、統一性の多数性への拡大の契機が――、契機として客観化するときには、 ・有限なものの無限なものへの再摂取(Wiederaufnahme)という、別の契機も、 ・また同じく、元々の(an sich)在り方での活動に対応している契機も――すなわちこの契機においては、一方のもの(無限なものの有限なものへの拡大)は、直接に他方のもの(有限なものの無限なものへの再成形)でもある――、 同時に客観化しなければならない。そしてこれらの各契機は、別々に区別されえるようにならねばならない。 こうしてあの永遠の認識が、区別されえる状態のうちに現われ、その本質の夜から白中へと歩みでるや、すぐに3つの統一が特殊的なものとして、その本質から登場する――このことを私たちは知るのである。 無限なものの有限なものへの成形である最初の統一は、絶対性のうちにあってはまた別の統一 [=有限なものの無限なものへの再摂取] へと――この別の統一も、最初の統一へと変化するように――直接変化する。[だが] 最初の統一は、このように区別されたものとしては、「自然」である。また別の統一とは、「観念的世界」である。そしてこれら双方のうちで、それぞれの特殊的統一がそのものとして(für sich)絶対的になりながらも、同時に他の統一のうちへと融解し変化するときには、第 3 の統一が第 3 のものとして [他の 2 つからは] 区別されるのである。 そして、自然と観念的世界は、それぞれ自らのうちに絶対性の一点をもっており、ここでは対置されている 2 つのもの [=自然と観念的世界] が融合している。まさしくそのために自然と観念的世界は、それぞれが特殊的統一として区別されねばならないとき、それぞれ自らのうちに 3 つの統一を、区別できるように含んでいるはずである(このように区別でき、また 1 つの統一の下にある 3 つの統一を、私たちは展相(Potenzen)と呼ぶ)。その結果、この普遍的な現象類型(Typus der Erscheinung) [=展相] は、特殊的なものにおいても、また同じ現象類型として実在的世界 [=自然] と観念的世界においても、必然的にくり返されるのである。 これまで述べてきたことによって私たちは、読者が、 ・まずは、絶対的世界――この世界においてのみ、哲学は存在する――の直観を、 ・次いで、学問的形式――この形式において、哲学は必然的に現われる――の直観をも、 求めることが可能となったところまで、彼を案内してきた。 私たちは、哲学自体の一般的な理念を必要としたので [案内してきたので] あるが、それは、この学問 [=哲学] 全体の必然的にして不可欠な一側面である自然哲学を、叙述するためである。 哲学は、絶対的なものについての学問である。そして、絶対的なものがその永遠の行為において、必然的に 2 つの側面を、すなわち実在的な側面と観念的な側面を 1 つのものとして包含するように、哲学も形式面から、必然的に 2 つの側面に分けられねばならない。たとえ哲学の本質が、この 2 つの側面を 1 つのものとして、絶対的な認識活動のうちに見ることだとしてもである。 前述した [絶対的なものの] 永遠の行為の実在的な側面は、自然において明らかとなる。自然そのもの(an sich)すなわち永遠の自然は、まさに客観的なもののうちへと生まれた精神であり、形態のうちへと進入した神の本質である。ただし、進入したこの本質の中には、直接他の統一が含まれている。 自然自体とは違って、現象している自然は、 ・自然としての自然である。 ・すなわち、特殊的なもののうちで現象する成形――本質の形態への成形――である。 ・したがって、自ら自身を体(Leib)とする限りでの、よって、自ら自身によって自ら自身を特殊的形態として現す限りでの、永遠の自然である。 自然が「自然」として、すなわちこの [自然という] 特殊的統一として現象しているかぎり、そのような自然はたしかに、絶対的なものの外に(außer)ある。そのような自然は、絶対的な認識活動そのものとしての自然(能産的自然)ではなく、たんに体としての自然、あるいは体の表徴(Symbol)としての自然(所産的自然)である(*14)。 絶対的なもののうちにおいては自然は、自然に対置される統一――これは観念的世界の統一である――と 1 つに統一されたものとして存在する。まさしくそのため、絶対的なもののうちでは自然が自然として、また観念的世界が観念的世界として、存在するということはない。両者は 1 つの世界として、存在するのである。 そこで私たちが哲学全体を、次の事がらによって――すなわち哲学は、 ・すべてのものを直観し、叙述するということ、 ・自然もまたたんにその一側面であるところの、絶対的な認識活動であること、 ・すべての理念の理念であること によって――規定するならば、哲学とは観念論である。したがって、すべての哲学は観念論であって、観念論にとどまる。もっともこの観念論は、自らのうちにまた実在論と観念論とを含んでいる。ただし、前者の絶対的観念論を、後者のたんに相対的な観念論と、とり違えてはならない。 永遠の自然のうちでは、絶対的なものはその絶対性(純粋な同一性)において、それ自体として特殊的なものに、一存在になる。そしてここにあっても、絶対的なものは絶対的にして観念的なものであり、絶対的な認識活動である。 現象している自然においては、特殊的な形態はただ特殊的なものとして認識される。ここでは絶対的なものは、別のもののうちで自らをおおい隠している。つまり、絶対性のうちにあるときとは別のもの、有限なもののうちで、自らの表徴である一存在のうちで、おおい隠れている。この有限な存在は表徴として、すべての表徴と同様に、それが意味しているもの [=絶対的なもの] からは独立した生(Leben)を受けとる。 観念的な世界のうちでは、絶対的なものはいわば覆(おお)いをとり、それが存在するところのものとして、[すなわち] 観念的なものとして、認識活動として現象している。その代り絶対的なものは、別な側面からは離れさって、ただ 1 つの側面だけを――すなわち、有限なものの無限なものへの、つまり特殊的なものの本質への、再-融解の側面だけを――保持しているのである。 観念的なものの現象においては、絶対的なものは変化はせずに別のもののうちで現象しているが、このことが、 ・この相対的にして観念的なものに、実在的なものに対する優位(Priorität)を与えたり、 ・たんに相対的な観念論を―― [フィヒテの] 知識学の体系は、まぎれもなくこうしたものである――、絶対的な哲学そのものとして立てたりする、 きっかけを与えたのである。 自然哲学が由来するところの全体は、絶対的観念論である。自然哲学は観念論が絶対的観念論であるかぎり、それに対しては先行していないし、何らかの仕方でそれに対置されてもいない。しかしながら、その観念論が相対的観念論ということであれば、したがって絶対的な認識活動の一側面しか、つまり他の側面なしでは考えられないような一側面しか含まないのであれば、たしかにそうであるが。 私たちの目的を十分に達成するためには、とりわけ自然哲学全般の内部の状態や構成について、なおすこし言及しなければならない。 すでに述べたことだが、特殊的統一は、まさにそのようなものであるために、それ自体が自らのうちに [3 つの] 統一すべてを含んでいる。[この点は、特殊的統一である] 自然も同様である。これら [3 つ] の統一は――その各々は、無限なものの有限なものへの成形の、特定の度合いを示しているのだが――、自然哲学の 3 つの展相において表される。 最初の統一は――これは、無限なものの有限なものへの成形そのものにおいての、この成形である――、全体的には普遍的な世界構築(den allgemeinen Weltbau)によって、個別的には物体の連なり(Körperreihe)によって具現される。 別の統一は、特殊的なものの普遍的なものへの、すなわち本質への再興(Zurückbildung)であるが、この統一は、自然を支配している実在的な統一のつねに下(もと)で、普遍的なメカニズム(Mechanismus, 機械的な仕組み)のうちにおいて現れる。このメカニズムにおいては、普遍的なもの、すなわち本質は光として発出し、特殊的なものは物体として、すべての力学的諸規定に従いつつ発動するのである(sich herauswirft)。 最後に、前記 2 つの統一の絶対的な一体化(Ineinsbildung)、すなわち無差別化を、実在的なもののうちにおいてではあっても、有機体が表している。したがって、有機体はそれ自体が――[前記 2 つの統一の] 総合でこそなけれ、最初のもの [=最初の統一] と考えれば――、 ・前記2つの統一の元のもの(das An sich)であって、 ・自然のうちでの、また自然に対する、絶対的なものの完全な写し(Gegenbild)である。 そして、無限なものの有限なものへの成形が、絶対的な無差別化の地点へといたるまさにここにおいては、成形は直接また逆の無差別化へと融解し、よって絶対的観念性のエーテル(Aether, 大気)のうちへと融解するのである。かくして実在的世界における、絶対的なものの完全な実在的像 [=写し] とともに、[すなわち] もっとも完全な有機体とともに、完全な観念的像(*15)もまた、直接に絶対的観念性へと変容する(*16)。ただし、 ・この完全な観念的像も、理性において、また実在的世界に対して生じるのだし、 ・ここ実在的世界においては、絶対的な認識活動の2つの側面は、絶対的なものの内でと同様、互いの前立-像(Vorbild)や対-像(Gegenbild)として現われる――[つまり、] [i] 理性は、永遠の自然においての絶対的な認識活動と同様、有機体の内で表徴化されて、 [ii] 有機体は、有限なものの無限なものの内への永遠の取り戻し(Zurücknahme)においての自然と同様、理性の内で表徴化されて、 ――のだが。 前述の諸展相や事態は、本質から言えば同じものとして、形式から言えば変化して観念的な側面へと戻っていくのであるが、この観念的な側面についてはここでは述べない。 この著作 [『自然哲学についての考察』、1797 年初版] は、最初の姿 [初版] ではまだ自然哲学についてのたんなるおぼろげな予感を、含んでいたにすぎなかった。しかもその予感は、たんに相対的な観念論のもつ従属的諸概念によって、混乱させられてもいた(*17)。だが、この自然哲学をその哲学的側面から見るならば、これは今日にいたるまで、自然についての諸理念に関する、また自然と観念的世界との同一性に関する、学説を論述しようとする試みのうち、もっとも遂行されたものなのである。 この高度な観点 [=前記の学説] が、最後に再興されたのはライプニッツ [1646-1716] によってだが、しかしながらこうした学説は、多くの場合彼のもとでさえも、よりはなはだしくは彼の継承者たちのもとで、はなはだしく漠然としたままであった。その上、後継者たちによってはまったく理解されず、ライプニッツ自身によっても学問的に発展させられることもなかった。また、こうした学説によって宇宙を真に理解しようとしたり、こうした学説を普遍的かつ客観的に妥当させようとする試みも、なされなかったのである。 おそらく少し前までは、ほとんど予想もされなかっただろうし、あるいは少なくとも不可能だと思われたことだろうが、 ・知的世界を、現象している世界の諸法則と諸形態において、完全に叙述することや、 ・したがって他方では、これらの法則と形態を、知的世界の方から完全に理解することは、 自然哲学によってすでに現実になされているか、あるいはなされる途上である。 その非常に顕著な例としては、自然哲学が天体運動(der Bewegungen der Weltkörper)の一般法則に関して行う構成があるだろう(*18)。この構成の萌芽は――おそらく誰も気づかなかったかもしれないが――すでにプラトンのイデア論やライプニッツのモナドロギーにおいて見られる。 [自然哲学を、] 自然そのものを思弁的に認識するという側面からみれば、すなわち思弁的な自然学 [Physik] としてみるならば、自然哲学以前にこれに似たようなものはない。人は「賢者の」機械論的自然学を(*19)、自然哲学のようにみなそうとするかもしれない。[しかし] この自然学は、すべての原子論的な理論と同様、経験的な仮構と恣意的な仮定を、まったく哲学なしに混ぜ合わせたものにすぎない。 古代のいわば近親の人々が伝えていたものは、多くが失われてしまった。F. ベーコン [1561-1626] による哲学の堕落や、ボイル [1627-1691] とニュートン [1642-1727] による物理学以来、見識や理念を欠いた自然研究が、一般的に牢乎(ろうこ)なものとなった。だがその後、自然哲学とともに、自然についての高度な認識が開始されることになる。自然を直観し理解するための新しい機関(*20)が、形成されるのである。 自然哲学の観点にまで高まり、この哲学が要求する直感や、この哲学の方法をもっている人ならば、次のように認めないわけにはいかないだろう:自然哲学は、まさにこれまでの自然探求にとっては見通しがたく思われていた諸問題を、確実にまた必然的に、解決できるようにしたのだと――むろん、これまで解決がはかられてきたのとは、まったく違った領域においてではあるが。 自然哲学が、「自然現象の理論」とこれまで呼ばれてきたものすべてと異なる点は、「自然現象の理論」は、 ・現象から根拠へと推論し、 ・結果 [=現象] を原因 [=根拠] からあとで導出するために、原因を結果に適合させていた点である。 そのような不毛な尽力が永遠に循環をなしていることは別にしても、この種の理論は精々のところ、[自然が] どのようにあるのかということのたんなる可能性を――必然性ではなくして――、説明できただけである。経験論者は、この種の理論への愛好を決して抑えることはできないにせよ、こうした理論にはたえず反対しているものだが、その月並みな文句による非難が、今なお自然哲学に対してもなされている。 自然哲学では数学においてと同様、説明なるものはほとんどされない。自然哲学は、それ自体として確実な諸原理から出発するが、例えば現象からの規定などといった方向づけは(Richtung)、一切されないのである。自然哲学を方向づけるものは、この哲学自体のうちにある。そしてこの哲学がその方向づけに忠実であればあるほど、諸現象はより確実に、必然的なものとして理解されえるような位置においてのみ、おのずから現れる。体系の中での諸現象のこの位置こそが、体系が諸現象に対して与える唯一の説明である。 この [諸現象の位置の] 必然性とともに、また、体系の一般的な連関において、そして類型(Typus)のうちに――類型は、自然全体に対しても、また個々の自然物に対しても、絶対的なものや諸理念の本質そのものから生じる――、 ・自然一般の諸現象のみならず(自然一般については、以前にはたんにさまざまな仮説があっただけである)、 ・有機的世界の諸現象も(有機的世界の状態については、深く隠されていて永久に認識不可能なものの一つだと、昔から見なされていた)、 同じく明白・確実に理解されるのである。 [以前の] 大変すぐれた仮説においても、なお残されていた可能性が――すなわち、その仮説を受け入れるべきか、斥けるべきかという――、今やまったく消え去った。前述の [体系の一般的な] 連関を把握し、全体的観点に自ら到達した人であれば、すべての疑念もまた無くなっている。こうした人は次のことを認識している:「諸現象は、あの連関において叙述されるようなし方でのみ存在できるし、また存在するはずである」。一言で言えば、彼は対象を、その形態をとおして所有しているのである。 自然哲学が、近代と現代世界一般に対してもつより高度な関係について、いくつか考察することでもって、この「緒論への付記」を終えよう。 スピノザは、百年以上も認識されないままであった(*21)。彼の哲学はたんなる客観主義(Objektivitätslehre)だと理解されたために、その哲学のうちにある真に絶対的なものの認識が、妨げられたのである。スピノザは「主観性=客観性」を、絶対性(Absolutheit)の必然的で永遠な特性として、明確に認識していた。そしてこの明確さ(Bestimmtheit)が、高次の規定性を――すなわち彼の哲学のうちにあって、その完全な発展は後世に託された規定性を――、示しているのである。 スピノザ自身においては、 実体についての最初の定義から、彼の哲学における大命題への学問的に認識可能な移行が、なおまったく欠けている。この大命題とは以下のとおり: 「実体の本質を構成していると無限知性が知覚するすべてのものは、たんに唯一の実体に属していること、したがって思惟する実体と延長する実体とは同じ実体であること、そしてこれがあるときにはこの属性 [例えば思惟]、また他のときにはあの属性 [例えば延長] のもとで理解されると言うことである」。[『エチカ』第2部、定理7の注解。中央公論社「世界の名著 25」、工藤喜作・斉藤博訳。なお、[ ]内は筆者の挿入]。 この同一性 [思惟=延長、すなわち、主観性=客観性] の学問的な認識が、スピノザにおいては欠如しており、そのことが彼の哲学をこれまで誤解させていたのである。この同一性の学問的認識が、哲学自体の再生の始まりでもなければならなかったのだが。 フィヒテ哲学は最初は、「主観性=客観性」の一般的形式が、哲学における唯一のものであるとの主張を再びした。しかしこの哲学は、発展すればするほどますます、 ・前記の同一性自体を特殊性として、主観的な意識へと制限するように、 ・またこの同一性を絶対的かつ自体的なもの(an sich)として、無限な課題や絶対的要請の対象とするように、 ・こうして思弁からすべての実質(Substanz)を引きさった後で、思弁そのものを抜け殻のごとく置き去りにし、 ・そのかわりカント哲学のように、行為と信仰をつうじて絶対性を、新たに主観性の最深奥と結びつけるように、 思われたのである。(原注)。 哲学は、より高次の諸要求を、満たさねばならないし(*22)、また信仰においてであれ無信仰においてであれ、あまりの長きにわたって尊厳を欠き満足させられずに生きてきた人類を、やがては明察(Schauen)へと導かねばならない。 現代の全般的特徴は、観念的(idealistisch)ということであり、[現代の] 支配的な精神は、内面への帰還である。観念的世界は、力強く光に向かって進んでいくのだが、自然が神秘として引きさがることによって、観念的世界はなお抑止されている。観念的世界のうちに存する秘密自体は、自然の神秘が明白なものになることによってしか、真に客観的とはなりえない。観念的世界をもたらしたところのまだ知られていない神性は、自然を得ることができるまでは、神性として現われることができないのである。 ・すべての有限な形態がこぼたれた後で、 ・また、共通の直観として人々を一体化していたものが、この広大な世界のうちに無くなってしまった後で、 人々を新たに、また宗教の最終的な形成のうちに、永遠に一体化しえるのは、もっとも完全な客観的全体性のうちの絶対的同一性を、直観することによってのみである。 TOP シェリングの原注 このように純粋知からすべての思弁を完全に排除することや、空虚な純粋知を信仰によって統合することに関してであれば、なにも『人間の使命』 [フィヒテの 1800年 の著作] や、『[最新の哲学の真の本質についての、公衆への] 明快な報告』 [1801年] などを、引きあいに出す必要はない。知識学 [1794 年の『全知識学の基礎』] 自体に、そうした個所があるのである。例えば: 「この必然性(絶対的な実体の、著者 [フィヒテ] の言うところでは、最高の統一の必然性)(#1)に対して、スピノザはそれ以上の根拠は述べず、まったくそうであると言うだけである。彼がそう言うのは、絶対的に最初のものを、すなわち最高の統一を想定するよう余儀なくされているからである。しかし彼がそうしたものを望むのであれば、まさに意識のうちで与えられている統一のもとに、彼は留まるべきであったろう。なにも追い立てられてもいないのに、より高次の統一を案出する必要はなかったであろう」。(46 ページ)(#2) この後、彼 [=スピノザ] を止まらせたものは、実践的な与件(Datum, 所与)だったことが示される(#3)。すなわち、「自我の実践的諸法則のもとに、すべての非我が必然的に従属し統一されているという、感情である。しかし、このような従属や統一は、概念の対象として存在しているような何ものかでは決してなく、理念の対象として存在すべき(soll)ものなのであり、また私たちによって生みだされるべきものなのである」。(#4) 訳 注 (*1) カント本来の哲学は、超越論的(先験的)観念論です。経験論的観念論ではありません。 (*2) 「経験論的観念論はカントの著作に、萌芽のように含まれていた」というのは、すこし後で述べられている「物自体が、表象するもの [=主観] に対してもっている関係は、人が以前に経験的な物に付与していた関係と同じなのである。すなわち、触発の関係、原因や作用の関係である」ということを、意味すると思われます。 (*3) シェリングは、これ以上のことを述べていませんが―― カント的物自体が「原因」となって、私たちの感覚器官を触発し、現象が生じるという構図、このような構図を取ることはできないということは、シュルツェ(Gottlob Ernst Schulze)の評判となった『アイネシデモス(Aenesidemus, エーネジデムスとも表記)』(1792 年)が、すでに明らかにしていました。 (つまり、「原因」という悟性概念は、『純粋理性批判』によれば現象にのみ適用できるのであって、物自体には適用できないのです。)(G. E. Schulze: Aenesidemus, Originalausgabe, 1792. S. 155.) (*4) 「前述したように」というのは、「この洞察自体はただ間接的に証明することはできても、直接にはできない。というのもこの洞察は、すべての立証(Demonstration)の根拠であり、原理だからである」の箇所を指すものと思われます。 (*5) 「仮言的(hypothetisch, 仮定的)」というのは、「ある仮定・条件のもとで立言するさま」です(小学館『デジタル大辞泉』)。 (*6) つまり、反対者の彼が哲学を学び、彼なりの原理を獲得するまで、待つ必要があるということです。その後で、彼が依拠する原理を否認すべきだと、シェリングは説いています。 ちなみに、反対者に先制攻撃をかけるのではなく、相手をいわば泳がせておいて、相手の論理を見切った後でズバリ反論するというのが、シェリングの基本的やり方です。頭脳明晰なんですね。 (*7) この箇所の文意は、以下のようだと思われます: 私たちにとって重要なのは(私たちの関心を引くのは)、反対者が何を知ったうえで、自説を主張しているからである。ところが今の場合、彼には哲学がないのだから、彼は知をもっていない。そこで、そのような彼が何を主張したところで、相手にすべきではない。ましてや哲学をもたないもの(=反対者)に、哲学が存在するかどうかなど分かるわけがない、云々。 (*8) 「前述の証明(Beweise)」というのは、「哲学は絶対的な学問である。というのも・・・ということに、基づいているのである」の部分を指すと思われます。しかしこれは、シェリング自身が述べているように、証明ではなく「仮言的」な「推論」です。あるいはせいぜい、「間接的」な「証明」にすぎません。 (*9) その例が、後述の「幾何学者はおそらくは・・・必然的に妥当する」でしょう。 (*10) ここでの「反省(Reflexion)」は、哲学的な意味で使われています。つまり、「自分の思想を知的に省みること、再点検すること」です。日常的な用法でのように、「道徳的な反省」という意味ではありません。 (*11) つまり某氏は、哲学者の言う「絶対的にして観念的なもの」には、経験論的な実在性が伴っていないと、批判しています。 (*12) Einbildung は「成形」、einbilden は「成形する」と訳出しています。手元の独和辞典を引きますと、Einbildung は「想像。空想。うぬぼれ」といった意味しか記載されていません。また、グリム『ドイツ語辞典』にはそれらの意味に加えて、Darstellung (描写。表現)が記載されているだけです。 しかし、ここでは「本質の形態への Einbildung」というように使われていますので、Ein-bildung だと解して、「成形」の語をあてました。 なお、bilden には「形成する」の訳語を当てています。 (*13) 「度合い(Grade)」というのは、たんに量的な差異を表す用語だと思われます。 (*14) 「能産的自然(Natura naturans)」および「所産的自然(Natura naturata)」は、スピノザを踏襲しています。つまり、岩波『哲学・思想事典』(2012 年)によれば: 「スピノザは・・・神と自然とを同一視した。しかしこの場合の自然とは・・・まず唯一、永遠・無限の実体としての<能産的自然>である。それはそれ自体の本性によってあらゆるものを実体の様態あるいは変容として自己のうちに産出する内在因である。 「産出されたあらゆる様態、つまり<所産的自然>は実体の内にあると考えられるため、因果的には能産的自然から区別されても、実在的には区別されない。」(「神即自然」の項目より) (*15) 「もっとも完全な有機体」というのは、おそらく「人間」のことで、「完全な観念的像(das vollkommene ideale Bild)」というのは、「神の像(表象ないしは概念)」を意味すると思われます。 (*16) 「変容する(verklären)」というのは、もともとキリスト教用語で、簡単に言えば「神々しい神的なものへと変化すること」です。 (*17) この箇所の文意は、「1797 年の『自然哲学についての考察』で展開されたシェリングの考えは、まだフィヒテの知識学(=相対的観念論)のもつ従属的諸概念(すなわち、絶対的観念論での絶対的な諸概念ではなく、より下位的な諸概念)の悪しき影響を受けていた」ということでしょう。 (*18) シェリングの念頭にあったのyは、ヘーゲルの論文「惑星の軌道についての哲学的論述(Dissertatio Philosophica de Orbitis Planetarum)」(1801 年)ではないでしょうか。 なお、このヘーゲルの論文は、シェリングの影響下に書かれたものと思われます。といいますのは、この論文はヘーゲルがイェナ大学で教授する資格を得るために、1801 年に提出したものですが、 (1) これ以前に、ヘーゲルにはこのような自然哲学の論文はありません。 (2) ヘーゲルがイェナ大学に来たのは、同大学の助教授だったシェリングの引きによります。 (3) 1801 年 7 月に、ヘーゲルは論文「フィヒテとシェリングの哲学体系の相違」を著していますように、すでにシェリング哲学には精通していました。 (*19) 原文は: die mechanische Physik le Sage’s この「賢者(le Sage)」はフランス語であることから、18 世紀フランス唯物論関係の哲学者だと思いますが、誰を指すかは訳者には不明です。いずれにしろ、1803 年にフランス唯物論に対しこのような批判がなされているのは、興味深いものがあります。 (*20) 原文は neues Organ で、F. ベーコンの「新機関(Novum Organum)」を意識した表現です。なお、Novum は「新しい」という意味。Organum は、「(学問のための)道具」という意味で、ギリシア語のオルガノンのラテン語表記です。 ちなみにオルガノンとは: 「『アリストテレス全集』(ベッカー版)の冒頭に位置する 6 篇の「論理学的著作」の総称。「道具」を意味し、論理学が学問一般に対して予備的教養としての「道具」であるとの考えにもとづき、ペリパトス学派のアレクサンドロス(200 年頃)を経て、6 世紀にこの名で総称されるようになった」。(『岩波 哲学・思想事典』、岩波書店、1998 年) ところがベーコンの Organum は、伝統的に「道具」ではなく「機関」と訳されてきました。その理由は、推測にすぎませんが――たんに「道具」としたのでは、重みといいますか、アカデミズムのそこはそれ・・・でしょう。 また、Organum には「(動物の)器官」という意味もあり、「機関」と発音が同じためでしょうか、Novum Organum を「新器官」などと表記する人もいます。しかし、これはご愛嬌というものでしょう。 (*21) 「百年以上」というのは、スピノザ [1632 - 1677] が亡くなった時から、1785 年のヤコービ『スピノザ書簡』の初版出版あたりまでを、念頭に置いての発言だと思います。 (*22) シェリングの原注で引用されたフィヒテの主張「より高次の統一を案出する必要はなかった」に対する、シェリングの反論だと思われます。 「シェリングの原注」への訳注 (#1) この( )内の文言は、シェリングのものです。 (#2) このページ数は、1794 年版の『全知識学の基礎』でのものです。なお、太字による強調は、シェリングによります。またこの引用には、少し原文の語句の省略がありますが、内容に影響はありません]。 (#3) この部分は『全知識学の基礎』の該当部分を読まないと、理解しにくいので、以下に訳出します: 「どのようにして、かつてある思想家が自我を越え出ることができたのか、あるいはどのようにして、彼は越え出たあとどこかに止まることができたのかということは、このような現象の完全な説明根拠として実践的な与件(Datum, 所与)を考えるのでなければ、まったく説明がつかないことであろう。実践的与件が――ふつう考えられているように、理論的与件ではない――、独断論者 [=スピノザ] を自我から駆り出したのである。すなわち、私たちの自我は実践的であるかぎりにおいては、まったくもって私たちの立法下にはないところの、そのかぎりにおいて自由な非我に、依存しているという感情である。 「実践的与件は、他方では独断論者に何らかの所で止まるよう強いもした。すなわち、すべての非我は自我の実践的諸法則のもとに、必然的に従属し統一されているという感情である。しかし、このような従属と統一は、いわば概念の対象として存在しているような何ものかでは決してなく、理念の対象として存在すべきものなのであり、また私たちによって生みだされるべきものなのである・・・」 (Grundlage der gesamten Wissenschaftslehre, Originalausgabe, 1794, S. 46f. 岩波文庫『全知識学の基礎』では、上巻の151ページ 4 行から 13 行) (#4) Ebd., S. 47. 太字の強調は、「すべき(soll)」を除いて、シェリングによります。 TOP はじめに この小論「緒論への付記」(1803 年)は、 ・絶対的観念論を炸裂させた頃のシェリングを、 ・また、『精神の現象学』を書いたころのヘーゲルに目に映っていたシェリングを、 知るのに格好の文章だと思います。とくに、彼の哲学になじみのない方には、一読をつよくお勧めします。(お急ぎの方は、最初の部分を飛ばして「哲学への第一歩とは、…」から読まれるのがいいと思います。) なおこの「付記」は、1797 年に発表された『自然哲学についての考察(Ideen zu einer Philosophie der Natur)』が、1803 年に第 2 版(*1)となったとき、その「緒論(Einleitung)」(*2)に、付加されたものです。 つまり、同一哲学期のシェリングが『 ・テキストとしては、C. H. Beck'sche Verlagsbuchhandlung 社の Schellings Werke (M. Schröter 版) 第1巻が、入手しやすいようです。 なお、この版をそっくり複写したと思われるものが、オンライン上にあります。これはドイツ文字での画像ですが、ラテン文字(ふつうのアルファベット)による文字テキストとしては(どの版に基づくのかは不明ですが)ここにあります。 また、「緒論への付記」冒頭の語句 "Gegen den empirischen Realismus, welcher vor Kant" で検索してみると、他にもあるかもしれません)。 ・前記 M. Schröter 版 のテキストは、ドイツ文字で印刷されています。ドイツ文字に不慣れな場合は、最初の 1 ~ 2 週間、ラテン文字との照合が必要となります。 ・照合表としては、『詳解ドイツ大文法』(橋本文夫著、三修社)の 660ページ、あるいは『改定 ドイツ広文典』(桜井和市著、第三書房)の 1, 2 ページに掲載されているのが便利です。 (この 2 冊の文法書は、文系のドイツ語文献を読もうとするときには必携となりますので、買っておいて損はありません。とりあえず 1 冊だけというのであれば、古本でしかも高価になりますが、前者をお勧めします)。 「はじめに」への注 (*1) なお、シェリングが「第 2 版への序文(Vorrede)」の最後にした署名は、「1802 年 12 月 31 日」です。 (*2) この『自然哲学についての考察』には、序文(Vorrede)を別にすれば、緒論(Einleitung)しかありません。そこで、1803 年の第 2 版のときには、書名には『自然哲学についての考察』に続けて、「この学問研究への緒論 [=導入] として(als Einleitung in das Studium dieser Wissenschaft)」という説明が加えられています。 凡 例 ・この「緒論への付記」においては、Objekt は「客観」と訳しています。この「客観」の意味は、「主観の認識および行動の対象となるもの」であり、「主観の作用とは独立に存在すると考えられたもの。客体」です(『広辞苑』第 6 版)。 文脈からは、「客体」と訳出した方がより意味がはっきりするとも思われましたが、Subjekt (主観)と対になって登場するので、「客観」にしています。 したがって、objekitv は「客観的」と訳すことになりましたが、これも「客体的」という意味です。つまり、日常的な用法での「客観的」――すなわち、「特定の個人的主観の考えや評価から独立して、普遍性をもっていること」(同『広辞苑』)という意味での――ではありません。 ・[ ] 内の挿入は、訳者によるものです。 ・引用したドイツ語は、現在の正書法に直しています。 ・原文では段落分けをしていない箇所でも、訳文は読みやすさを考えて、新段落にしました。したがって、文章をどこで切って新段落にするかという判断には、訳者の解釈が入っています。 なお、原文で段落分けをしている箇所は、訳文では1行空けて新段落としています。 ・原文では同格の文言が続き、そのまま訳出すると文意が分かりにくくなる場合があります。そのような場合は、同格の文言の最初に「・」を打ち、箇条書きにしました。したがって、 ・ . . . ・ . . . のような箇条書きは、訳者によります。 TOP |
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