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2人の往復書簡(1800 年-1802 年)での、哲学的議論の部分の翻訳です。

フィヒテとシェリングの、哲学的往復書簡集』
                                               (v. 3.3.)
               Fichtes und Schellings
            Philosophischer Briefwechsel


目 次       
 
   この『往復書簡集』について  (v. 2.0.)
   この『往復書簡集』のテキストについて  (v. 1.2.)
   凡 例  (v. 1.1.)

 (なお、以下の書簡でリンクをはっていないものは、哲学的議論を含んでいないので、訳出していません。)
 ・1794-9-26 シェリング→フィヒテ
 ・1799-7-20 フィヒテ→シェリング
 ・1799-7-29 シェリング→フィヒテ
 ・1799-8-9 シェリング→フィヒテ
 ・1799-9-12 シェリング→フィヒテ
 ・1799-9-16 シェリング→フィヒテ
 ・1799-9-20 フィヒテ→シェリング
 ・1799-10-22 フィヒテ→シェリング
 ・1799-11-1 シェリング→フィヒテ
 ・1799-11-19 フィヒテ→シェリング
 ・1800-5-14 シェリング→フィヒテ
 ・1800-6-9 フィヒテ→シェリング
 ・1800-8-2 フィヒテ→シェリング
 ・1800-8-18 シェリング→フィヒテ
 ・1800-9-5 シェリング→フィヒテ
 ・1800-9-6 フィヒテ→シェリング
 ・1800-9-13 フィヒテ→シェリング
 ・1800-9 末 シェリング→フィヒテ (この手紙は紛失)
 ・フィヒテの手紙(1800-10-3)の草稿
 ・1800-10-3 フィヒテ→シェリング
 ・1800-10-13 頃 シェリング→フィヒテ (この手紙は紛失。内容の一部は、フィヒテの 1800-10 末、L. Tieck への手紙に引用されています)。
 ・1800-10-22 頃 フィヒテ→シェリング
 ・1800-10-31 シェリング→フィヒテ
 ・1800-11-15 フィヒテ→シェリング (v. 2.2.)
 ・1800-11-19 シェリング→フィヒテ (v. 2.0.)
 ・フィヒテの手紙(1800-12-27)の草稿 (v. 2.0.)
 ・1800-12-27 フィヒテ→シェリング (v. 2.4.)
 ・1801-4-29 フィヒテ→シェリング
 ・1801-5-15 シェリング→フィヒテ (訳注a) (v. 2.1.)
 ・1801-5-24 シェリング→フィヒテ (v. 2.0.)
 ・1801-5-31 フィヒテ→シェリング (訳注b)(v. 3.0.)
 ・1801-8-7 フィヒテ→シェリング
 ・1801-10-3 シェリング→フィヒテ (v. 2.2.)
 ・1801-10  フィヒテ→シェリング (訳注c)(v. 2.0.)
 ・1802-1-4 シェリング→フィヒテ (この手紙は紛失)
 ・1802-1-15 フィヒテ→シェリング (v. 2.1.)
 ・1802-1-25 シェリング→フィヒテ (v. 2.1.)(この手紙をもって、書簡の交換は終結)

  エピローグ (v. 2.0.)


1800-11-15 フィヒテからシェリングへ (54 - 56 / III,4, 360 - 361 ページ)

 ・・・
 貴方の「[思弁的物理学のための] 雑誌」は、受けとっていません。しかし、貴方の『超越論的哲学の体系』(訳注1)の方は、確かに [落掌しました]。そして、熟読しました。大げさな賛辞は、私たちの間ではふさわしくないでしょう。すべてが、貴方の天才的叙述から期待されえたとおりであると、言えば十分です。

 貴方が超越論的哲学と自然哲学を対置Gegensatz(訳注2)させていることについては、私はいまだに同意できません。すべては、観念的活動と実在的活動との間の混同に、基づくように思われます。この混同を私たちは 2 人は、あちこちでやらかしました。私は新しい叙述(訳注3)では、この混同を完全に除去したいと思っています。
 私の考えでは、事物Sacheが意識につけ加わるのではなく、また意識が事物に、というのでもありません。両者は自我のうちで、[すなわち] 観念的=実在的なもの(dem ideal=realen)にして、実在的かつ観念的なもの(realidealen)のうちで、じかに統一されているのです。
 [しかし、貴方の言う] 自然は実のところこのようにはなっていません。自然というものは [私の考えている] 超越論的哲学においては、まったくもって見出されるものとして現れるのですし、しかも、出来上がり完成したものとしてです(訳注4)。しかもこのことは(つまり、見出されるのは)、自然固有の法則にしたがってではなく、(観念的=実在的なものとしての)知性Intelligenz)の内在的法則にしたがってなのです。
 手の込んだ捨象によって自然だけを自分の対象とするような学問は、(まさしく、この学問が知性を捨象するゆえに)むろん自然を絶対的なものとして措定し、そして虚構にもとづいて、この自然に自然自らを構成させざるをえないのです。それはまさに、超越論的哲学が同じ虚構にもとづいて、意識に意識自らを構成させるようなものです。

 貴方が行った空間の 3 つの次元の導出については、この手紙を書いている今となっては覚えていませんし、それを調べる時間もありません。[が、] それについて私としては、以下のように考えます。
1.) 根源的な空間、すなわち直観 [されるもの] としての空間は、まったく次元をもちません。この空間はどこでも、大きいにせよ小さいにせよ、[全き] なのです。そして、想像力(Einbildungskraft, 構想力)がこの空間についてなすことといえば、この球を拡大させるか収縮させるかでしかありません。
 したがって、3 つの次元の導出は、純粋な知識学がせねばならぬことではなく、おそらくはまず数学の哲学がせねばならないのです。自然哲学は、数学の哲学による 3 次元の導出を、前提とするのです。
2.) 3 つの次元は、抽出するabstrahierendes, 抽象する)思考によって空間のなかに生じるのであり、思考自身の普遍的な諸形式にほかなりません。
 最初はです。球の中でその点をとり巻いている無数に多くの点は、捨象され、その点が抽出されます(後で、空間からが抽出されます。というのは、直観のうちではすべては丸いのですから)。これは 措定一般の形式です(訳注5)
 次にです。点においてなされた抽出が、持続します。この抽出が持続しなければ、[直線の周辺の] 無数の点が、直線を形成する各点と一緒に凝結してしまうでしょう(訳注6)。形式は、カントの包摂的subsumierende判断力です。
 。(抽出については、もう述べません。)これの形式は、カントの反省的reflektierende)判断力です。
 立体は、カントの理性です。理性は、空間において全体(Totalität)を措定し、直観にもっとも近づきます。つまり立体は実際のところ、直観が望むような空間なのです。ただ角 [が存在すること] によって、立体は思考と捨象の産物であるということが、分かってしまうのです。

 お元気で。
                                        貴方のフィヒテ


(訳注1)シェリングの著作『超越論的観念論の体系』のことです。シェリングは 1800 年 10 月 31 日付の前便で、この著作を「超越論的哲学」と呼び、フィヒテに「受けとりましたか」と尋ねています。(1856 年版では 51 ページ。『アカデミー版フィヒテ全集 III, 4』では 346 ページ)
 彼らにおいては、超越論的観念論と超越論的哲学は、しばしば同義でした。

(訳注2) Gegensatz のもつ意味のスペクトルは、「対置、対照、逆、反対、対立、敵対」と幅広いのですが、まだここでは「対立」の意味でではなく、「対置、対照」として、しばらく 2 人の対話が続きます。 むろんフィヒテの真意は、「対立(Gegensatz)」ですが、それはフィヒテの意を汲んだシェリングによって、「矛盾(in Widerspruch)」とやがて形容されます。

(訳注3) 1802 年に書かれた『知識学の叙述(Darstellung der Wissenschaftslehre)』を指します。出版は死後の1845(6?)年。

(訳注ff4) フィヒテはここで、自然は段階的に発展すると考えるシェリングに、反対しています。

(訳注5) つまり、点の抽象は、無数の可能性から一事を抽出・現実化するということにおいて、措定という事態と通じるということでしょう。

(訳注6) 原文は:
 . . . sonst würden mit jedem Punkt der Linie unendliche Punkte concresciren.
 concresciren は、ラテン語の concrescere(凝結する)のドイツ語転用だと思います。文意は、直線を形成する点と周囲の無数の点が結びついてしまうので、幅のない直線は形成されないということです。
(初出 2012.6.29)
(目次)

1800-11-19 シェリングからフィヒテへ (57 - 66 / III,4, 362 - 368 ページ)

 ・・・超越論的哲学と自然哲学との対置(Gegensatz)は、重要な点です。そして次のことまでは、確言できます:私がこのように両者を対置させる理由は、観念的活動と実在的活動の区別にあるのではなく、もう少し高度のものだということです。
 意識につけ加わってくる事物について、また事物につけ加わってくる意識については、私は「緒論(Einleitung)」(訳注1)において述べています。この「緒論」で私はまさしくはじめて、通俗的観点から哲学的観点へと高まろうと努めています。むろん通俗的観点では、意識と事物の統一は、[一方の他方への] つけ加わりとして現れます。
 おそらく貴方は、私が [超越論的観念論の] 体系そのものにおいても、事物を [緒論と] 同様に考えることができていることを、信じてはおられないでしょう。そこで体系との関連では、私が観念的な活動と実在的な活動をともに客観的なもの(objektiv)、すなわち産出的なものたらしめている箇所(産出的直観の理論において)(訳注2)を、お手数ですが当たってくだされば、これら 2 つの活動を私もちょうど貴方同様、1 つの同じ自我のうちに措定していることが、お分かりいただけるでしょう。――したがって、[私が超越論的哲学と自然哲学を、対置させる] 理由は、ここにはありません。
 その理由は、以下のことにあります:観念的=実在的なものとしてまったく客観的な、まさしくそれゆえ同時に産出的なあの自我が、この産出そのものにおいて、自然に他ならないということです。知的直観としての自我、すなわち自己意識としての自我は、ただ自然のより高次のポテンツなのです。
 超越論的哲学にあっては、実在(die Realität, 実在するもの)はたんに見出されるものであるなどということは、私にはとうてい考えられません。また、この実在は知性の内在的法則にしたがって見出されるものである、ということも考えられません。といいますのは、なるほどこの実在は、哲学者によってだけは知性の内在的法則にしたがって見出されもしましょうが、しかし哲学の対象によって [=自我によって] ではありません。この対象は見出すものではなく、まさに生みだすものそのものなのです。結局哲学者にとってさえも、実在はたんに見出されるものではないのでして、ただ世間通常の意識にとってそうなのです。

 現在私が立脚しています観点にいたるまでのこの数年来、考えてきましたことを、手短にお話しします。まず知識学に関してですが、ただちに次のように言えます:知識学は完全に自立しており、知識学については何も変えられず、手の加えようはありません。知識学は完成しており、その独自性において存在せざるをえません。
 しかし、知識学は(純粋な、つまり貴方によって立てられたような知識学は)、まだ哲学そのものではありません。このような知識学には、貴方の言われたことが――私が正しく理解しているとすれば――あてはまります。すなわち、知識学はまったくただ論理学的なものであり、実在(Realität)には、すこしも関与しないということです。
 知識学は、私の見るところ、[超越論的] 観念論の形式的な証明であり、したがって「至高の(κατ’ έξοχήν)」(訳注3)学問です。しかしながら私が哲学と呼びたいのは、観念論の実質的なmaterielle)証明なのです。むろんこの証明において、自然はそのすべての規定とともに、導出されねばなりません。しかも、自然はその客観性において、自立性において――といっても自我から自立しているということではなく(自我そのものは客観的です)、主観的な、哲学する自我からです――導出されねばなりません。
 こうしたことは、哲学の理論的部門で行われます。この部門は、一般的な知識学を捨象することによって生じます。つまり、主観的な(直観する)活動が捨象されるのです。この主観的活動は、自己意識における主観=客観を、自らと等しいものとして措定します。この等しくする措定によって、主観=客観は、まさに初めて自我に等しくなるのです(訳注4)。(知識学は、あの同一性(訳注5)を決して廃棄しませんので、知識学は観念的=実在的です)。
 [さて、] 前述の捨象のあとには、純粋(もっぱら客観的な)主観=客観の概念が残ることになります。これが、哲学の理論的な――そして次のようにも呼ぶことが、当然できると思うのですが――哲学の実在論的な部門の原理です。
 自我は、意識の主観=客観ですが(訳注6)、あるいはまた私が呼ぶように、ポテンツ化した(potenziert, 力能化した)主観=客観ですが、このような自我は、前述の純粋で客観的な主観=客観よりたんに高次のポテンツなのです。自我は、哲学の観念論的な(これまで実践的と呼ばれてきた)部門の原理です。したがってこの観念論的部門は、まさしく前述の理論的部門によってはじめてその基礎をえるのです。
 前述の最初の捨象によって措定された反定立(Antithesis)を廃棄することで、哲学的であるばかりでなく、本当に客観的な観念論=実在論(芸術)が得られます。この反定立の廃棄は、芸術の哲学において、すなわち哲学体系の第 3 部門においてなされます。

  ところで、私には分からないのですが、
1) もし貴方が、「知識学=哲学、哲学=知識学であって、知識学と哲学の 2 つの概念は合致する」と、私に主張されるのであれば、私たちの争いは [たんに] 言葉をめぐってだということになりましょう。[この場合、] 貴方の方では、知識学を哲学だと呼んで下さい。そして私には、私がこれまで理論哲学と呼んでいたものを自然学(古代ギリシア人が使っていた意味で)と呼び(訳注7)、実践哲学と呼んでいたものを倫理学(同様に古代ギリシア人の意味で)と呼ぶことを、許してください。私はそれで満足です。
 そこで私が自然哲学と呼ぶものは、私が主張していますように、知識学とはまったく違う学問です。自然哲学を、知識学と対置させることは決してできません。確かに観念論とならできますし、観念論を叙述したものが超越論的哲学を称するときには、超越論的哲学と対置できます(私が前述した [『超越論的観念論の体系』の] 緒論で、行っていますように)。
 しかし今では私は、貴方もよくご存知のように、自然哲学と超越論的哲学は対置される学問だとは、もはや考えていません。一つの同じ全体の、すなわち哲学体系の、対置されるたんなる部門だと考えています。この 2 つの部門は、これまで理論哲学と実践哲学がそうであったように、対置しているのです。

 しかし、もし貴方が、
2) <それでは、私 [シェリング] が言うところの純粋な理論哲学 [=自然哲学] は、貴方 [フィヒテ] が貴方のお手紙で語っている学問である。すなわち、自由な捨象によって自然だけを己(おの)が対象とし、それゆえ(たわいもない)虚構によって、自然に自らを構成させるような学問である>とおっしゃるのであれば、これはまったく私の考えと同じなのです――貴方が捨象ということで、たんに実在的なものしか残しはしないような捨象などを、考えてはいないとすればですが。といいますのも、そのようなたんなる実在からは、何もはじまりはしないのですから。
 前述の捨象によってその後に残るのは、観念的-実在的なものです。ただ、もっぱら客観的なものとして、その固有の直観のうちでは把握されていないものとして残ります。一言でいえば、後に残るものは、より高次のポテンツにおいては自我として現象するものなのです。
 ただ貴方もよくご存知のように、哲学者が自分の対象をただちに最高のポテンツにおいて(自我として)取りあげるのか、それとも単純なポテンツにおいてなのかによって、結果は異なります。
 知識学においては、まさにそれはの学説であるがゆえに(というのも知は、それ自体がすでに前述の最高のポテンツであることを、示しているためですが)、むろん哲学者は対象をすでに自我として(すなわち、もともとすでに知るものとして、したがって、たんに客観的ではないものとして)取りあげねばなりません。
 理論的-実践的な知識学を捨象して生じる自然哲学([哲学] 体系の理論的部門としての)においては、事情は知識学の場合とは異なります。したがって超越論的観念論が妥当するのは、最高のポテンツにおける知から――この知が、同時に理論的にして実践的である限り――出発しようと、もともと目論んでいた人に対してだけなのです。
 超越論的観念論は、実践的観点だけから出発する人に対しても、妥当します。しかし、純粋に理論的な観点から出発する人には、妥当しないのです。したがって、超越論的観念論は理論哲学から成り立つということもありえません(訳注8)。理論哲学からは、むしろいくつかのdie)結果が生じてくるのですが、これらの結果につきましては、ここでは簡単にすますために、同封しました私の「[思弁的物理学のための] 雑誌」の 2 号に載せました、動力学的過程に関する拙稿(訳注9)最後の数パラグラフを、ご覧ください。

  さて、ここで私には分からないのですが、私たちは一致できるのでしょうか? つまり、貴方には [私の言っている] すべてのことが、[知識学の] 無益な拡張に見えてはいないでしょうか? といいますのも、私は私の対象とともに最高のポテンツにまで――すなわち私と対象が完全に合致し、一つになるところにまで――高まるということによって、結局はまた超越論的観念論へと帰らざるをえないのですから。おそらく、そう見えているのでしょう。
 しかし私は信じていましたし、なお今も信じているのですが、まさしくこの [私の] 道においてこそ、観念論についてのすべての誤解は確実に、永久に取り除かれえるのです。それとはともかくも、私が貴方から遠ざかるようにみえても、それはただ貴方に完全に近づくためだということを信じてください。そして、貴方が知識学とともに、その内に留まらざるをえないところの円周から、私をその接線の方角に向けて進み行くままに、とにかくさせて下さい。
 私は遅かれ早かれ、また私の強く望むところですが豊富な知識に満たされて、中心点の貴方へと戻ってくるでしょう。そしてこれによって、貴方の体系をも拡張するでしょう。だがこれなくしては、私は確信するのですが、貴方の体系の拡張はありえません。

 このような [私と貴方の] 相違については、私はあらかじめ承知していますし、また完全な一致へと解消するものと考えます。したがってこの相違は、[私と貴方が] 共同の仕事を世に問うことを、妨げることはありえません。私たちそれぞれが、おそらくは相互に違っていると思われるような方向において、なお一つの目標に向かって進んで行くのを、世間の人たちが見るとすきには、そしてどうしてそのようなことが可能なのか、彼ら自身には理解できないときには、それだけ一層 [私たちの] 活動は、活気づけられましょう。
 [・] 私がとろうとしている独自の道を、喜んで眺めているということをしないがために、誰かがその人のたんなる信奉者を欲することによって、
[・] また、私の道が目標に通じていると貴方が納得されるとき、私を目標に向けて支援するということによって、
あらゆる種類の [私が書こうとする] 文章が、強く抑制されることになりますが、しかし貴方はこうしたことを、はるかに超越されています
 申しあげるまでもないことですが、貴方の体系の本質的な点すべてにおいて、私はこれまで貴方と一致しています。したがいまして、貴方を完全に理解しているとも思っているのです。本質的な点でありながら、私が [貴方と] 一致していない所では(例えば、宗教論において)、私はまだ貴方を理解していないものと思っています。しかしこの一致していない所は、今まで私たちを、少なくとも第一義の諸原理(die ersten Grundsätze)に関して、完全に一致させてきた点に他ならないのであり(訳注10)、その限りでは、すなわち第一義の諸原則に関しては、この不一致は本質的ではありません

  貴方が 3 つの次元の導出について書かれたことに、私は少なくとも部分的には同意します。純粋な空間は次元を持ちませんが、まさしくそれゆえ球でもありません。というのは、球はなるほど長さや幅は持ちませんが、しかし奥行きは持っているのですから。したがって球としての空間は、すでに反省において無限空間へと限定されたところの直観なのです。
 私の考えでは数学哲学は、もっぱら形式的な思考の哲学である論理学が知識学からの抽象であるのと同様、自然哲学からの抽象なのです。一次元的に [傾斜して] 上昇・下降する量としての線は、算数の形式(das Schema der Arithmetik)です。算数での [数の] 並び方も、たんにこの一次元なのです。平面は、幾何学の形式です、等々。
 ところで線、平面、立体は、根源的には、まずもって自然哲学のうちでのみ生じます。そして、抽象されることによって、はじめて数学哲学へともたらされるのです。したがって、自然哲学はこれらの線・平面・立体を、数学哲学にもとづいて前提とすることはできません。

 3 つの次元の導出について、貴方が私に述べようとなさったことで、前記以外のことに関しては、それの持つの深い意味に感嘆しています。私がこの導出について、貴方と一致できる点が確かにもう一つあるようです。
 まずもって私には大変確実なことであり、また貴方にも確実に証明されていると思うのですが――同封しました雑誌(原注1)に書きました「動力学的過程について」の論文を、ご多忙ではありましょうがお読みいただけますならば――、3 つの次元には、自然における 3 つの作用が対応しています(磁気、電気、化学的過程の 3 作用)。そしてこれら 3 つの作用もまた、自我における自己意識、感覚、産出的(der produktiven)直観の 3 作用に対応しているのです。
 そして反省という観点からは、3 つの次元が――前述の最初の [磁気・電気・化学的過程の] 諸作用によって、無意識なものとして措定された後で――、包摂的判断力、反省的判断力ならびに理性によって、再び私たちに生じてくるということも、また確かに真実でありましょう。
 ・・・


(原注1)「思弁的物理学のための雑誌」第 1 巻の 1号と 2 号。


(訳注1) 『超越論的観念論の体系』(1800 年)の緒論を指します。「付け加わってくる」という論題については、「緒論、§1.「超越論的哲学の概念」の 4 」を参照して下さい。

(訳注2) 『超越論的観念論の体系』、第 3 章(Hauptabschnitt)、第 2 節(Abschnitt)、第 1 区分(Epoche)、「C, 産出的直観の理論」を指すようです。

(訳注3)κατ’ έξοχήν は、オンライン上の Wiktionary によれば、Ancient Greek, "par excellence", from κατά (kata, “toward”) + έξοχήν (exochēn, “prominence”)とのことです。
 ちなみに、par excellence はもともとフランス語で、「この上なく、すぐれて、何にもまして」(『新スタンダード仏和辞典』)であり、better or more than all others of the same kind (Concise Oxford Dictionary) です。

(訳注4) この 1 文は直訳にしていますが、文意をくだいていえば:
 (i) 「まず私たちは、事物を直観する活動を、自己意識だと認識する。」
 この自己意識というのは、直観している対象が、自分自身に(自らの精神の発現したものに)ほかならないとの意識(理解)です。
 (ii) 「自己意識とは、『主観=客観』である。」
 というのは、自己意識においては、自らの主観が対象の客観として現れていますから、「主観イコール客観」という構造になっています。それを手短にいうと、「主観=客観」です。
 (iii) 「(自己)意識における『主観=客観』は、フィヒテの『自我』である。」
 フィヒテの自我は自らを措定しますから、措定する方(主観)も措定される方(客観)も、自我に変わりはありませんので、「主観=客観」となります。そしてそれを叙述したのが、彼の知識学というわけです。

 なお、 シェリングがここで、超越論的観念論(知識学)と自然哲学に通底するものとして、「主観=客観」を置いているのは興味深いものがあります。。

(訳注5) 「あの同一性」とは、「主観=客観」における主観と客観の同一性を指すものと思われます。

(訳注6) 原文は、das Subjekt=Objekt des Bewusstseins です。 つまり、同じ意識が主観であると同時に客観(客体)でもあるということ、すなわち自己意識ということです。

(訳注7) この「自然学」は、シェリング哲学の「自然哲学」に相当します。次の「倫理学」は、「超越論的哲学(超越論的観念論)」に相当します。

(訳注8) 原文は:
 Von der theoretischen Philosophie aus kann also auch der transzendentale Idealismus nicht bestehen, . . .
 訳出したような「~から成り立つ、~から構成する」という表現は、bestehen を用いる場合、bestehen aus . . . となります。しかし、ここでの原文は bestehen von . . . aus となっています。このような用法の記載は、手元の辞書にはないのですが、やはり文脈から見てそう訳す以外にないのではないかと思います。

(訳注9) 『動力学的過程の一般的導出(Allgemeine Deduktion des dynamischen Prozesses)』(1800 年)を、指しています。

(訳注10) この箇所は、持ってまわったような表現になっていますが、具体的にどのようなことを意味するのか、訳者には不明です。
(目次)

フィヒテの手紙(1800-12-27)の草稿(1800-10-8 (訳注1) III,4, 404 - 405 ページ)

 愛する友人である貴方に、私たちの見解のいくつかの相違について書きましたのは、何もこれらの相違を私たちの共同の企画の妨げだと、見なしたためではありません。貴方もきっと、そのようには考えていないでしょう。そう書きましたのは、貴方の著作を私が注意深く読んでいることを、貴方に示すためでした。あなた以外の人にでしたら誰であれ――貴方のまことにすばらしい天賦の才(Divinationsgabe)を、私はよく知っています――、私はたんに「君は明らかに間違っている」と言ってすませたでしょう。

 つまり、こういう事です。これまでに明らかに叙述されたところのものすべてによれば、貴方のいう主観=客観的な自然、それにおける主観的なものは、次のもの以外ではありえないでしょう:すなわち、私たちが思考を介して、(異論の余地なく、私たちの)想像の産物のうちへ持ち込んだところの、私たちの自己規定の類似物Analogon)なのです(本体Noumen)としての自然)。そこで、逆に自我の方を、[自然哲学とは] 別のところでまったくもって自我から説明されるもの [=シェリングの自然における主観的なもの] から、なおまた説明することはできないのです。

 とはいえ、貴方がこのような誤りを犯すなどとは、私には考えることができません。また、こうした事や他の事で私たちの相違する理由が、いったいどこにあるのかということも、以前から私自身よく知っています。まさしく、他の人たちが超越論的観念論に対して不満をもつ理由のあるところにおいてなのです。それはシュレーゲルやシュライエルマッハが、彼らの混乱したスピノザ主義についておしゃべりし、それに輪をかけて混乱しているラインホルトが、彼のバルディリ主義(訳注2)についておしゃべりするゆえんでもあるのです。こうしたことの理由は、私がまだ英知界についての哲学体系を、立てることができていないことにあります。

 つまり、知識学には(貴方もご存知のように、私にとっては知識学=哲学一般です)、すなわち体系として考えられた超越論的観念論には――この体系は、有限な知性としての自我の<主観性=客観性>の圏内やそうした自我の根源的な限界内を、実質的な(materielles, 質料的な)感情や知(Gewissen)によって運動しますし、またこのような圏内において感覚的世界を導出することもよくできるのですが、しかし前記の根源的な制限自体の説明には、まったく関与しないのです――、つねに次のような疑問が、残されています:もし、自我を越え出る権利が示されさえすれば、前述の根源的な制限もまた、説明されえるのではないか? 
 知(Gewissen)は本体(Noumen)(すなわち神)としての英知的なものから [説明されえますし]、たんに知の低次な極(Pol(訳注3)である感情は、感覚的なもののうちでの英知的なものの現れから [説明されえます]。このことによって、まったく対置される 2 つの新しい哲学部門が与えられますが、この両部門は、両者の中間点としての超越論的観念論において、統一されているのです。
 精神としての有限な知性は、本体としての英知的なものの低次なポテンツです。この有限な知性は、自然存在Naturwesen)としては、自然としての英知的なものの最高のポテンツです。そこで貴方が、自然における主観的なものを英知的なものだと、したがって有限な知性からはまったくもって導出されえないものだと考えたのであれば、貴方はまったく正しいのです。

 来たるべき夏に、私はこうした考えの叙に取りかかるでしょう。これらの考えについての明瞭な示唆は――あくまで示唆にすぎないでしょうが――、『人間の使命』[フィヒテ著、1800 年]の第 3 巻にあります。

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(訳注1) この手紙草稿は、「1800年10月8日」の日付が付いていますが、『アカデミー版フィヒテ全集 III, 4』の編集者によれば、「むしろ 12 月 27 日頃」だそうです(S. 404)。

(訳注2) バルディリ(Bardili, Christoph Gottfried, 1761 - 1808)はドイツの哲学者で、チュービンゲンのギムナジウム(Tübinger Gymnasium)の教授を務めた。『最初の論理学綱要』(1799 年)を著した。

(訳注3) この Pol は、文脈から判断して、フィヒテが Potenz(ポテンツ)を書き誤ったものだと思われます。


1800-12-27 フィヒテからシェリングへ (68 - 69 / III,4, 406 - 407 ページ)

 親愛なる貴方から、自然哲学の雑誌 2 冊を送っていただき(訳注1)、ありがとうございました。これらを、よく研究しようと思っています。

 貴方に、私たちの見解のいくつかの相違について書きましたのは、何もこれらの相違を、私たちが共同の仕事をするために提携するうえでの妨げだと、見なしただめではありません。そう書きましたのは、貴方の著作を私が注意深く読んでいることを、貴方に示すためでした。

 私は貴方を十分よく理解していると思っていますし、以前からもそうでした。ただ私が思いますのに、[貴方の自然哲学における] これらの考えは、これまでの超越論主義 [=超越論的哲学] の諸原理から帰結するものではなく、むしろこれら諸原理に対する(entgegen)ものです(訳注2)。またこれらの考えは、超越論的哲学のさらに拡張――この哲学の諸原理においてさえもの(訳注3)――することによってのみ、基礎づけられえるのです。いずれにせよ、時代の要請は、この拡張を私たちに強く求めています。
 この拡大された諸原理については、私はまだ学問的に論じることができてはいません。[しかし、] こうした諸原理について明瞭に示唆したものは、拙著『人間の使命』の第 3 巻にあります。これら諸原理について詳説することが、私が知識学の新しい叙述を仕上げたすぐ後での、最初の仕事になるでしょう。一言でいえば、英知界の超越論的体系(訳注4)がまだ欠けているのです。
 「個人は(das Individuum(原注1)ただ自然のより高いポテンツである」という貴方のお考えは、ただ一定の条件のもとでのみ正しいと私には思えます。すなわち私が、自然を現象(Phänomen)として(そして、明らかに有限な知性によって生みだされ、したがってこの知性を生みださないかぎりでの自然を)措定する(訳注5)だけでなく、自然の中に英知的なもの(ein Intelligibles)を認める――という条件です。一般的には個人は、この英知的なものの低いポテンツですが、個人内部のある部分ただ規定されえるもの)に関しては、個人は高いポテンツ(規定されているもの)なのです(訳注6)
 英知的なもののこうした体系においてのみ、このことや他の [貴方と私の] 相違について、私たちは完全に理解しあい、一致することができるでしょう。

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(原注1) シェリングの手による、[この手紙の] 欄外への書き込み:「私は『自我』と言ったのであって、この自我は [フィヒテの書いている『個人』とは] 違う」。

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(訳注1) シェリングの前回の手紙(1800 年 11 月 19 日付)に同封されていた、「思弁的物理学のための雑誌」第1巻の 1 号と 2 号を指します。

(訳注2) フィヒテは前回のシェリングへの手紙で、「貴方が超越論的哲学と自然哲学を対置させていることについては、私はいまだに同意できません」と書きました。ところが、それへの返信でシェリングは、「超越論的哲学と自然哲学との対置は、重要な点です」と、強く反論してきました。フィヒテはそれに納得せず、ここで再反論しています。

(訳注3) この「原理においてさえもの拡張」というのは、あくまでフィヒテの考えているもので、少し後に書かれている「英知界」との統合を指します。それがなされた折には、その観点からシェリングの自然哲学も基礎づけらえるはずだと、フィヒテはここで主張しています。

(訳注4) 英知界(die intelligible Welt)は、伝統的に「叡智界」と表記されてきました。叡智界とは、平凡社『哲学辞典(初版)』によれば:
「思惟、理性、精神的直観によってのみ把握されうると考えられる超感覚界、理念界をいい、感覚界と対立する。この思惟の対象となる世界と、感覚の対象となる世界との対立はプラトンにはじまる。カントの「悟性界」はこれと同義で、道徳律によってのみ支配される「目的の王国」道徳的世界をさし、物自体本体としての人間はこれに帰属すべきものと考えられる。
 また、広辞苑(第版)によれば、可想界(mundus intelligibilis ラテン)のことで、すなわち「最高の認識能力である叡智によってだけとらえられる超感覚的な世界。」

(訳注5) 欄外へのシェリングの書き込み:「まさしくこのことを私はしているのだし、このことに私の体系は基づいている」。(『アカデミー版フィヒテ全集 III, 4』の 406 ページ、編集者注6 による。)
 なお、1856 年版の 69 ページの原注1 によれば、このシェリングの書き込みは、次の訳注5 の箇所にあったとされますが、内容から考えて、アカデミー版に従っておきます。

(訳注6) (1) 『アカデミー版フィヒテ全集 III, 4』では、この箇所に編集者注7 が付けられ、「欄外へのシェリングの書き込み:『このことは、ほどなく明らかとなろう!』があるとなっています(S. 406)。
 このシェリングの書き込みの意味するところですが、やはりシェリングも訳者同様、この箇所のフィヒテの文意が分からなかったのではないでしょうか。しかし、フィヒテと文通を続けることなどによって、「ほどなく明らかとなろう」から、今は気にしないでおこうと、シェリングは考えたのだと思います。
 ちなみに、この箇所:
 「一般的には個人は、この英知的なものの低いポテンツですが、個人内部のある部分ただ規定されえるもの)に関しては、個人は高いポテンツ(規定されているもの)なのです」
に相当するのは、この手紙の草稿では以下の箇所です:
 「精神としての有限な知性は、本体としての英知的なものの低次なポテンツです。この有限な知性は、自然存在(Naturwesen)としては、自然としての英知的なものの最高のポテンツです」。
 草稿の方は、文意が理解できるものとなっています。

(2) 「規定されえるもの(das Bestimmbar)」と「規定されているもの(das Bestimmte)」という概念は、フィヒテの 1801 年 5 月 24 日以降の手紙によく出てきます。
(初出 2012.7.14)
(目次)

1801-5-15(訳注1) シェリングからフィヒテへ (70 - 72 / III,5, 35 - 37 ページ)

  尊敬する友人である貴方のこの前のお手紙 [1800-12-27 付] は、とてもうれしいものでした。[しかし、私の抱えていた] 多くの仕事や、必要なことをする時間さえもほとんど残しはしなかった病気が、お手紙への返信を遅らせてしまいました。今では手紙でお答えするよりも、同封しました私の著作(訳注2)による方がよさそうです。これらの著作を、どうか好意的に受けとってください。またこれらが、貴方のお考えに一致していると、認められることを願っています。
 むろん『[私の哲学体系の] 叙述』は、これまで観念論ということで人が考えてきたものと、この [私の哲学の] 体系との関係を明らかにしなければならない点にまでは、達することができませんでした。[しかし、] 貴方にはこうしたものは(訳注3)必要でありません。
 貴方はこの前の手紙で書かれました:<貴方 [フィヒテ] は、私をよく理解しており、また常にそうでした。ただ私 [シェリング] の望むものは――それを把握し、導出するためには――、超越論 [的観念論] のこれまでの諸原則から生じるのではなく、それらの原則にはむしろ対する(entgegen)ようだとしても、[超越論的] 観念論を原理そのものにおいて拡張することからのみ、生じるのです>、と。(訳注4)
 この文面によって、私は貴方が少なくとも一般的には(拡張に関して)私の企てに同意するだろう、という希望をもちました。むろん私には拡張の仕方までもが、貴方が観念論にしようと思っているものと同じなのか、あるいはそれと調和するのかということは、分からないのですが。
 知識学の新しい叙述についての、貴方の予告広告(訳注5)は、私の関心をかき立てずにはいませんでした。そして私がいかにこの本や、『[最新の哲学の真の本質について、公衆への] 明快な報告』を切望しているか、貴方は容易におわかりでしょう。予告広告で貴方が私の著作に言及して下さったことには、いずれにしろ大変感謝しております(訳注6)
 そして私はいずれにしろ、またこれ以上調べることなどもせずに、[あの広告における] 言及された箇所が正しいことを、認めずにはおれません。というのも、貴方ご自身ご存知のように、ふつう貴方に帰されるような超越論的見解や、上記の引用によれば(訳注7)、私が望んでいるものとは確かに矛盾する見解を、世間に広めるというのは――とりわけ私の自然哲学の著作でもって――、私の意図ではまったくなかったのですから。[ここでのシェリングの文意は、<したがって、貴方 [フィヒテ] があの広告で暗示されたように、「[私シェリングは] 超越論的な見解を普及させることに・・・成功して」はいません>。]
 私が切に願いますのは、貴方に「英知的なものの体系」(das System des Intelligibeln, 英知界の体系)をうち立てる時間が、すぐにもできることです。といいますのも、
・この体系は現にあるすべての [私たちの間の] 相違を、永久にすべて無くすのに最適だろうと、予想するからです。
・また、これまでの範囲内での [貴方の] 叙述はすべて、貴方元来のお考えやご意見を越えたところでは、私には得るところがないからです。このことは、貴方もよくご存知のように、私が立脚している地点についてこれを論議することが、これまでの範囲外になる――なぜならまさしく、この地点に貴方の体系のすべての意味が懸っているがゆえにです――ためです。
 ・・・

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(訳注a)/(訳注1) この手紙の日付は、1856 年版では 3 月 15 日となっていますが、『アカデミー版フィヒテ全集 III,5』では 5 月 15 日に訂正されていますので、後者に従います。

(訳注2) 『アカデミー版フィヒテ全集 III,5』、35 ページの編集者注 2 によると、これらの著作は、「自然哲学の真の概念およびその諸問題の正しい解決法に関する、エッシェンマイアー氏の論文への付録」(「思弁的物理学のための雑誌」、第 2 巻の 1 号所収)と、『私の哲学体系の叙述』(同第 2 巻の 2 号所収)です。

(訳注3) 「こうしたもの(dessen)」が何を指すかですが、「関係が明らかになる点」だと思われます。

(訳注4)フィヒテの手紙(1800-12-27 付)へのこれらの言及は、この部分です。

(訳注5) このフィヒテの予告広告が、シェリングを憤慨させたことは、1801 年 10 月 3 日付のフィヒテ宛手紙に書かれています(1856年版の 106 ページ。『アカデミー版フィヒテ全集 III,5』では、88 - 89 ページ。『フィヒテ-シェリング往復書簡』(法政大学出版局)では、167 - 168 ページ)。
 つまり、フィヒテがシェリングを自分の「協力者」だと――すなわち、フィヒテの哲学に同調して、(助手のように)フィヒテを助ける、という意味でしょう――書いているのは、フィヒテに都合のいい、事実の歪曲だとシェリングは思ったのです。
 なお、『アカデミー版フィヒテ全集 III,5』の編集者注 7 (36 ページ)によれば、前記の予告広告でフィヒテはシェリングについて、以下のように述べています:

 「私の才気あふれる協力者であるシェリング教授が、彼の自然科学の著作や、新しく出版した超越論的観念論の体系において、超越論的な見解を普及させることに、どれほど成功しているか、それをここで調べようとは思っていない 」。(これの原文は――そして予告広告の全文も――、ここで読めますInwiefern es meinem . . . で始まる段落です。)

 むろんこの箇所の含意は、「成功はあまりしていない」ということです。

(訳注6) この一文でのシェリングの真意は、「いずれにしろ」という小骨の刺さったような言い方にあり、「大変感謝しております」という語句にはありません。
 また、フィヒテが予告広告でシェリングの著作に言及した箇所で、「nicht untersuchen (調べない)」という語句を使ったのに対し、シェリングが「ohne alle weitere Untersuchung (これ以上調べることなどもせずに)」と返しているのも、皮肉の表れです。

(訳注7) <貴方 [フィヒテ] は、私を・・・生じるのである、と>の部分。
(初出 2012.7.24)
(目次)

1801-5-24 シェリングからフィヒテへ(訳注1)(74 -79 / III,5, 39 - 42 ページ)

 尊敬する友人である貴方の『ラインホルトへの返書』(訳注2)を、数時間前に受け取りました(訳注3)。そして繰り返し読んだのでした。私は感動し、そこかしこで衝撃を受けました。それは、私が長らく待ち望んでいた貴方の徴(しるし das Zeichen)でしたし、また貴方からのもっとも重要な贈りものでした。
 今や私はすべての疑念から解放され、新たに私が「より重要なもの」と一致することが分かります。自余の世界すべての賛同をえることが、私にとって重要である、あるいはありえるよりも、これと調和して考えることが、私にはより重要なのです。これからは、「私の求めるものは、まさしくフィヒテの考えるものであり、あなた方は私の著作を、ただ彼の主題の変奏と考えていいのです」と言うことに、戸惑(とまど)うことはないでしょう。
 私はもう遠慮によって――つまり、もしかするとたんに私の主張かもしれないものを、またさらには、貴方のお考えが読者に受け入れられるのを妨げるかもしれないようなものを、私たち共有の主張として提示するという遠慮によって――押し止められることはないでしょう。
 といいますのも、私には貴方のこの著作から分かりますし、貴方はこの間(かん)に受けとられた『私の [哲学] 体系の叙述(原注1)(訳注4)から読み取られたことでしょうが、私たち 2 人はただ一つの同じ絶対的認識だけを、承認しているのですから。この認識は、すべての認識行為においてつねに反復される同じ認識であり、この認識をあらゆる知のうちで叙述し、明らかにすることが、私たち 2 人の仕事です。
 この認識が [どの知においても] 同じ確実性を持つということは、この認識が種類の面からは [どの知においても] 同じであること抜きには、ありえません。といいますのも、この認識の種類が唯一のものであるということにこそ、この認識がもっている比類なき確実性の根拠があるのですから。この認識は、ひとたび認められるや、もはや誤認されることはありません。
 私たちはこの認識を、違ったふうに表現したり、まったく違った仕方で叙述しようと努めたりするかもしれませんが、この認識そのものについては、私たちはもう一致しないということはありえません。もし私たちがかつて一致しなかったとしたら、その責めは喜んで私が負いましょう。
 この一つの認識が哲学の唯一の主題および原理として、きちんと設定され確立されたときにはじめて、神的な哲学はふたたびその完全な自由のもとへとゆだねられることでしょう。そしてこの哲学はつねにただ一つの絶対的なものを、この哲学が叙述する対象と同じように、無限の形式や形態において反復するのであり、そして明るみへともたらすでしょう。この哲学が触れるものは何であれ、この接触によってたちまち神聖なものとなり、前述の絶対的認識がすべてのものを、神的なものそのものへと変えることでしょう。
 したがって、今後は一つの対象だけがあり、そしてただ一つの精神、一つの認識、前記対象についての一つの知があるのです。そして、この対象の開示である最初の世界の上に、哲学と芸術によって第 2 の世界が立ち上がるのです――最初の世界と同様に豊かで多様でありながら、あの一つの対象の、思考と作品における叙述にほかならない世界が。

 かけがえのない友人である貴方にお願いしたいのですが、私の叙述の仕方や形式について、ヒントを少しいただければと思います。といいますのも、絶対的なものが叙述されるべき根源的な形式については、できるだけ多くのことを考慮するように努めなければならないからです。むろん、絶対的なものは現実的であるかぎり、いかなる形式にあっても見間違われることはないのですが。
 この叙述から、意識すなわち自我が、現存する絶対的同一性のいわば南点(Mittagspunkt)として、どのように展開するのかということについては、続刊の号でまったく明らかに説明できると思っています。そして自我のみが現実に現存する同一性であり、全自然は――それが自らの現存の根拠を含むかぎり――たんに [自我と] 同じ絶対的同一性なのですから、この南点において観念論もまた、すべてを包括・包含し、貫く真の太陽として立ち昇るのです。すべてのものはただ同じものの内で、現実に活動していることが、明らかとなるでしょう。そしてまた、このような高い意味において、すべてのものは自我と等しいことが、ただ自我とのみ等しい(訳注5)ことが明らかとなるのです。
 
  貴方もお気づきでしょうが、私はラインホルトをいささかぞんざいに論じました。貴方が彼に払っている敬意を、たしかに私は払いませんでしたし、少なくとも今では敬意を承認することもできません。彼がもはやバルディリ [Christoph Gottfried Bardili, 1761-1807] のたんなる生徒ではなく、狂信者として、そして本当の迫害者として振る舞っているのですから。できましたら、[『私の哲学体系の叙述』の序文で私が] 引用しました、「ドイツ・メルクール」誌掲載の [ラインホルトの] 論文をお読みください。題名は『哲学の精神、時代の精神』です(訳注6)
 ところで、貴方がラインホルトを論じた仕方や技法について感嘆いたしましたが、それを貴方にお伝えしようにも、言葉になりません。後世の人は、この論文を、「無効宣言文書」(訳注7)とともに、すべての時代をつうじての最高の論争術と見なすでしょう。私は個人的な、そしてこうも言えましょうが、生理的な嫌悪感によって、こうした事について何かもっともなことをしようという気には、まったくなれません。
 バルディリのことは、分かっています。彼のもつ知識がすべて寄せ集めだということは、とっくに承知しています。読んだ振りをしているプラトン、ライプニッツの考えの若干、テュービンゲンのプルーケ(訳注8)の哲学(これが彼の大方のネタ元です)、そして最後に、むろんたんに偶然に知った貴方の体系からの考え――これらの寄せ集めなのです。もっとも、彼が貴方や私の書いたものを確かに読んだということは、そして繰返し読んだということ は、後になって聞きました。また、私は承知していますが、この御仁にとっては長らく押さえていた憤まんを(どうしても [世間の] 注意を引くことができないという)、ぶつけることだけが問題だったのです。
 バルディリないしはラインホルト――といいますのも、私は前者についてはまったく、後者についてはざっとしか読んでいないので、どの主張が両者のうちのどちらに帰すのか、正確には区別できないからなのですが――の恥知らずな振る舞い、これは貴方がおそらく想像しておられるような、無意識的なものではないのでしょう。観念論そのものから考えをもってきて、歪められ誤解された観念論に対して反駁するとか、同様に観念論に可能なものすべてを押し込むとか、そしてまた人々がかんたんに観念論を片付けてしまえるように、見かけ上は一生懸命に観念論を説明するとか――こうした恥知らずな振る舞いは、ほんとうに比類がありません。
 このことについて、ラインホルトには罪がないと言いえるのどうかを、私は問おうとするのではありません。バルディリについては、私の確信するところでは、彼に罪がないわけはありませんし、また、彼は貴方から何を引用し、継承したか、自分でもよく承知しているのです。客観的活動としての思考についての [彼の] 馬鹿げたおしゃべりは、その際真実なものとともに、まさに [貴方の] 観念論の原理――つまり、唯一現存するのは自我であり、すべての現存するものは、主観(ラインホルトの思考)であり、また客観であるという――そのものです。

 私がラインホルトをあまりにぞんざいに論じたのでれば、貴方はたんに彼を理解するためにも、ご自分でもほのめかされたように、あまりに彼を重んじたのでした(訳注9)。こうした事には詳しいある友人が、私にじっさいに確言したところによれば、
 [・] バルディリとラインホルトの主要対象は、またこの対象の無限な反復可能性は、論理学的に普遍的な概念に他ならないのであり、
 [・] したがって、この論理学的な普遍性・反復可能性は、絶対的な認識からはむろん非常に隔たったものだということです。
 私たちの考えるところでは、この絶対的認識がすべてのうちで反復するのであり、この認識について私たちは語っているのです。この認識が、私たちの考えでは、実際に唯一の認識です。それに引きかえ、あの論理的普遍性・反復可能性は、たんに集合的な認識を、したがってまた、私たちのまったく知らないところの多数の認識を持つだけなのです。
 ・・・

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(原注1) 「思弁的物理学のための雑誌」、第 2 巻、第 2号 [に掲載された]。

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(訳注1)『アカデミー版フィヒテ全集 III,5』の編集者注 1 (39 ページ)に、興味深い(というより、抱腹絶倒の)エピソードが紹介されています:

 「シェリングはこの間(かん)、つまり 5 月 15 日(⋆1)以降に、[フィヒテの] 『明快な報告(Sonnenklarer Bericht)』を受けとり、読んだ。カロリーネ・シュレーゲル(Karoline Schlegel)はこのことについて、5 月 18 日、ベルリンにいる彼女の夫に手紙を書いた(⋆2)
 『私たち(⋆3)は、『明快な報告』を入手したのです――まあ、何てことかしら! フィヒテは、自説を人に押しつけるのです。ちょうど、クッションを足もとの床に投げつけるように。そして、[跳ね返ってくる] クッションをまたつかまえて、もう一度投げるのです。これに [耐えるに] は、名状しがたい忍耐がいります。そして最後には――コンチクショウ(⋆4)――人々が彼の考えを理解しないとしても、それがなんだというのでしょう。誰が本気で、[理解するように] 強制しようと思うでしょうか。このことは、私にはほんとうに、笑いの種となりました(⋆5)。シェリングは、『明快な報告』にただ熱心に見入っていましたが、でも私はそれを読んだのです(⋆6)。・・・
 『シェリングからあなたへのお願いですが、彼(⋆7)の雑誌の新しい号(⋆8)を、フィヒテ(⋆9)からあなたにもらってほしいそうです(⋆10)。もしそうした少しばかりの時間が、あなたにあればですが。フィヒテはおそらくその雑誌を、まったく読んでいないでしょうが、彼がその雑誌についてどう思っているか、あなたにこの次にちょっと話してもらえると、面白いことでしょう。』(⋆11)

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   訳注 1 内の注
 (™⋆1) この日に、シェリングはフィヒテに前便を書きました。
 (™⋆2) 2 人が正式に離婚するのは 1803 年。
 (™⋆3) シェリングとカロリーネ。
 (™⋆4) 原文は zum Guckguck。この訳は不適切ですね。才媛にふさわしい訳に直してください。
 (™⋆5) ここの箇所は、
 「礼儀知らずで、はた迷惑な人が登場 → その人の行状などを、仲間内で痛烈に非難する → 最後に、『笑いの種としました』と宣言することにより、その人へのうっぷん晴らし・復讐がなって、一件落着」、という定型をふんでいます。
 (™⋆6) つまり、彼に影響力を行使して、取りあげたということなのでしょうか?
 (™⋆7) シェリングを指します。
 (™⋆8) アカデミー版の編集者注によれば、『私の哲学体系の叙述』が掲載された「思弁的物理学のための雑誌」、第 2 巻の 2 号を指します。
 (™⋆9) 当時、ベルリンに居住していました。
 (™⋆10) 原文は Schelling bittet Dich, Dir von Fichte das neue Heft seines Journals geben zu lassen . . .
 geben zu lassen を「もらって」と訳出しましたが、「借りてもらって」ということでしょうか。いずれにしろ、本当にシェリングが希望した事なのかどうか、疑わしいものがあります。
 (™⋆11) 訳者によるまったくの蛇足ですが――
・彼女にとって「面白い」のは、むろん、フィヒテが雑誌をどう思っているかではなく、彼女の影響下にある男たちを(しかも、ちょっとおつな関係の)、あたふたと動かすことでしょう(女性特有の喜びですね)。
・カロリーネはこういう依頼をしえる人だった、ということもですが、ヴィルヘルム・シュレーゲル(兄)がされえる人だったことも、興味をひきます。
・フィヒテがおそらく雑誌を読んでいないことなど、彼女は哲学者たち(哲学ではなく)の関係の機微を、心得ていたのでしょう。(これが、社交、サロンとか、マダムとかいうことなんでしょうね)

(訳注2) 1801 年に出版された『ラインホルト教授への返書(Antwortsschreiben an Herrn Professor Reinhold)』を指します。
 なお、現代ではふつう Antwortschreiben と書きますし、シェリングもこの手紙ではそう書いています。しかし、フィヒテの SW 版全集などでは s を間に入れて Antwortsschreiben になっています。インターネットなどで検索するときは、両方のつづりでする必要があります。ちなみに、2012年8月現在では、前者の ”Antwortschreiben an Herrn Professor Reinhold” のヒット数は 70 件、後者 ”Antwortsschreiben an Herrn Professor Reinhold” は 273 件となっています。

(訳注3) 『ラインホルト教授への返書』は、フィヒテの 4 月 29 日付の手紙に同封されていました。そしてこの手紙を、シェリングはようやく 5 月 24 日に落掌したというわけです。(『アカデミー版フィヒテ全集 III,5』、39 ページ、編集者注 2)

(訳注4) 1801 年 5 月 15 日付のシェリングからフィヒテへの手紙には、「思弁的物理学のための雑誌」、第 2 巻、第 2号が同封されていました。それに掲載されていた『私の哲学体系の叙述』を指します。

(訳注5) 「すべてのものは自我と等しいことが、ただ自我とのみ等しい」の動詞は、接続法一式の sei です。したがってこの部分は、フィヒテの思想をシェリングが引用した形になっています。

(訳注6) Der Neue Teutsche Merkur 誌の1801年 1 号、167-193 ページに掲載された、ラインホルトの Der Geist des Zeitalters als Geist der Filosofie (原文のまま。正確に訳せば『哲学精神としての時代精神』)を指します。
http://www.ub.uni-bielefeld.de/diglib/aufkl/neuteutmerk/neuteutmerk.htm
 TeutscheDeutsche (ドイツの)古形です。Merkur はメルクリウス(マーキュリー。ギリシア神話ではヘルメス)です。ヘルメスは多面性をもっていますが、ここでは神々の使者、多くの英雄の助け人といった意味でしょう。

 なお、『アカデミー版フィヒテ全集 III, 5』、41ページの編集者注 6 には、前記ラインホルト論文の掲載号を Drittes Stück, Weimar 1801 と記しています。しかし、前記オンライン Der neue Teutsche Merkur 誌の 3.Bd., 1801 上には見当たらず、3.Bd., 1801 上にあります。そこで、アカデミー版の Drittes Stück は、Erstes Stück の誤記だろうと思います(ページ数は、アカデミー版も 167-193 となっており、正確です)。
 また、『フィヒテ-シェリング往復書簡』(座小田豊/後藤嘉也訳、法政大学出版局)の 201 ページの方の原注 (38) に表記されている、
Der Neue Teuschen Merkur TeuschenTeutsche の誤記です。
・ 3. は、1. の誤記です。

(訳注7) 「無効宣言文書(Annihilationsakte)」とは、1856年版の原注によれば、フィヒテの論文「シュミット教授によって提示された体系と、知識学との比較(Vergleichung des vom Herrn Prof. Schmid aufgestellten Systems mit der Wissenschaftslehre, 1795. )」を指すとのことです。
 なお、Annihilation を「無効宣言」と訳出しましたが、上記のフィヒテの論文は未読ですので、今後訂正するかもしれません。
 Akte は「行為、作用」ではなく、「記録、文書」であることについては、こちらを参照して下さい。

(訳注8) Gottfried Ploucquet. 平凡社『哲学事典』(1979 年)によれば:
 「ドイツ啓蒙期の哲学者。チュービンゲン大学教授。ライプニッツの単子論を排して、デカルトの二元論に傾き、さらに後者の弱点を機械原因論によって克服しようとした。その後、精神と物質を神の表象にもとづく実在性によって結びつけ、ライプニッツ哲学を新しい基盤の上に再建しようとした。・・・」

(訳注9) この訳は不確かです。原文は:
 . . . so haben Sie ihm [Reinhold] . . . zu viel gegeben.
(初出 2012.8.16)
(目次)

1801-5-31 (訳注1) フィヒテからシェリングへ (81 - 91 / III,5, 43 - 52 ページ)

 ・・・
 貴方はかつて『哲学雑誌』で、観念論哲学と実在論哲学の 2 つの哲学について、これらは本当に併存することができると発言されました(訳注2)。それが正しくないと分かったので、私もすぐ穏やかに異議をとなえたのでした(訳注3)。この貴方の発言によって、私は当然のことながら、貴方は知識学に精通していないのではないかと推測しました。しかしその後貴方は、限りなく多くの明晰で、意味深く正しいことを述べられたので、十分な時間がたてば貴方も欠けているものを補うだろうと、私は期待したのです。

 やがて貴方からは、自然哲学の考えが伝えられました。私はこの考えのうちに再び以前の誤りを見いだしましたが、[私が] あの学問 [知識学] そのものを改定することによって、貴方もそこに正しい道を見つけるだろうと期待したのでした。しかし結局、知性を自然から導出することの可能性についての、貴方の発言に出あったのです(訳注4)
 [・] 貴方に対して、他のすべての人には疑いもなく言ったであろうような事を言うようになろうとは、
 [・] また、自然を知性から、そしてまた知性を自然から導出するという明らかな循環を、貴方に指摘するようになろうとは、
 [・] そして、貴方のような人でさえこうした事を見落とすのかと、思うようになろうとは、
私には思いもよりませんでした。
 そこで、私は貴方のあのお考えについては、貴方もご存知のように解釈して(訳注5)、知性的なものを自然哲学の内部へ導入する権利を表明するようなことはしませんでした。この件についても、貴方には暗示だけで十分だろうと思ったのです。(訳注6)

 ようやく貴方の『哲学の体系』(原注1)と、添えられていたお手紙(訳注7)を受けとりました。貴方は [この『哲学の体系』の] 序文(訳注8)で、私の観念論についていくつか、不確かな調子で(problematisch)述べられています(訳注9)。添えられていた手紙では、観念論の通常の見解について語られています(訳注10)。このことは――たとえばもし貴方が、前者 [のフィヒテの観念論について述べたいくつか] を確定的に(kategorisch)考え、後者 [の観念論の通常の見解] に関しては、観念論のこうした見解を(なるほどこれは、通常の見解というものなのでしょうが)(訳注11)私も持っていると考えたのでしたら――私の体系への貴方の誤解が、なお続いていることを示しています。
 貴方の前記のお手紙は、今手元にありません。しかし私の記憶が正しければ、貴方はこの手紙で、或る種の問題がこれまでの [観念論の] 原理によってはまだ解決されていないようだと、私が認めていると書いていました。が、私はこのことを、とにかく全然認めていません。知識学は、原理において欠けるところはまったくないのです。たしかに知識学は、完成してはいません。つまり、最高の総合(訳注12)がまだなされていないのです、精神世界の総合がです。この総合をなそうとしたとき、人々は [私に向かって] 「無神論」などと叫んだのです。

 私が貴方の『[私の哲学] 体系 [の叙述]』を読んだ限りでは、私たちは事柄に関しては帰するところが同じなのでしょうが、その叙述に関しては決してそうではありません。そしてここでは、叙述が本質的にまさしく事柄に属しているのです。
 私の思うところでは、また証明もできると思っているのですが、貴方の体系はそれ自体としては(知識学による暗黙の説明無しでは)明証性をもちませんし、得ることもまったくできないのです。まさに貴方の最初の命題が、この事を示しています(訳注13)

 貴方にまったく明瞭に説明するために、私はただ [知識学の] 新しい叙述に期しています。

 とりあえずは、以下のことだけを [述べましょう]:いったい知識学は、知を主観的なものとみるのか、あるいは客観的なものとみるのかという問や、知識学は観念論なのか実在論なのかという問は、意味をなしません。
 というのも、こうした区別は、知識学の内部ではじめてされるのであって、その外部やそれ以前にではないからです。またこうした区別は、知識学なしには理解できないのです。個別的な観念論や実在論、また自然哲学が、真実なものとして存在するといったことはないのです。どこにおいてもただ一つの学問が存在するのであり、それが知識学です。それ以外の学問すべては、ただ知識学の諸部分であって、それらは知識学に基づくかぎりで、真実であり、明証的なのです。

 存在から(存在とは、たんなる思考が関係づけられるところのものすべてであり、またこのことから、実在的根拠RealGrund)が適用されるところのものすべてです(訳注14)。たとえ理性と呼ばれるものであっても(訳注15))出発することはできず、見ることSehen)から出発すべきです。そして、観念的根拠(訳注16)と実在的根拠の同一性も、直観と思考の同一性と同様、提示されるべきです。

 例えば、2 点間を通る直線はただ1本であるという、貴方(訳注17)の意識を考えてみて下さい。ここにおいては、最初に貴方は、まさに自己把握sich Erfassen自己透過性Durchdringen)を、明証的な [心の] 働きを(den Akt der Evidenz)持っています。そしてこれが、私の依拠する点Grundpunkt)なのです。
 貴方は次のように推測して、それを端的に述べます:「この『2 点間を通る直線はただ1本である』という公理は、存在しえるすべての直線について、同様にまた存在しえるすべての知性に対して妥当する」と。そしてこうした事態は、貴方に対して以下のように起きるのです:貴方が自己を――すなわち、まさに自己把握の形式を――、「について」 に関しては規定されているもの(質料的なもの)として措定し、「に対して」に関しては規定されえるものとして措定するというように(訳注18)
 「規定されている自己」は、時間が加わって(mit der Zeit)、個人としての自己を貴方に与えます。「規定されえる自己」は――ここで貴方は、自己をまさしくたんに規定されえるものとして措定するために、自我性(Ichheit)という空虚な形式を措定するのですが――、のちに貴方に精神的世界を与えます。
 したがって、普遍的(有限的)意識は、精神的世界の意識と個的意識の絶対的統一なのです。個人は、精神的世界の観念的根拠です。精神的世界は、個人の([個人には] 決して認識できない、明証的に透過されえない実在的根拠です。

 貴方は自己を、すなわち貴方がなす把握を、「主観性=客観性」という両者の合一を、規定されているものとして措定する――そう私は言いました。こうした事は、[当事] 意識によっては、見通されえないし改めて反省されえないところの、絶対的な意識において起きるのです。
 したがって前述の<規定されていること>も、[当事] 意識によっては反省されえず、透過されえないところの、絶対的な規定性なのであり、ともかく与えられた現実、すなわち実在、存在と同じなのです。存在というのは、自己を透過できない視Sehen, 見ること)です。
 それにもかかわらず、貴方がこの規定性というものを(下記においては、この規定性について、別の見方を提示しますが)、これと相対する規定されえるものの量として措定するならば、より多くでもなければ少なくでもない、まさにこの量が [規定されえるものから] 分離されたことの実在的根拠は、すべての意識の外にあることになります。その実在的根拠は、X [エックス、不可解なもの] と同じであり、明証的には永遠に透過できないのです。

 貴方が絶対的意識を A として措定するならば、A のうちには、規定されえるものとしての意識の形式 B と、意識の規定性 C とが(訳注19)、相対します(訳注20)。この A のうちで、C から B への観念的な移行と、B から C への実在的な、しかしたんに形式の上で(der Form nach)記述可能な移行が、表されます。 a [(訳注20)を参照] においては、[C から B と、B から C の 2 つの] 互いに逆向きの進行の、通過点と [一方の進行から他方の進行への] 転換点(WendePunkt) [が表されています] 。(この地点に、総合の根拠があります。)

   ―――――――――――― 
 (訳注21)

 明証的であるということは、すべてのもの [前記の例では、すべての直線] について当てはまりますし(意識 C において)、またすべての知性に対しても当てはまります(意識 B において)。これは、どこに由来するのでしょうか? これら 2 重の妥当性 [=当てはまること] の統一点や [一方の妥当性から他方の妥当性への] 転換点は、どこにあるのでしょうか? 答え: C そのものが、B との関係では「の内でIn)」であり、自ら自身との関係では「に対してFür)」だからです。(訳注22)

 すべてのものについては妥当しないようなものは、それゆえ、すべての知性に対して妥当するということもないでしょう。逆もまたしかりです。というのは、「について」自体は――規定されているものとして受けとられた「に対して」に他ならないからです。そして、「に対して」自体は、規定されえるものとして受けとられた「について」に他ならないからです(訳注23)(原注2)
 さて、「について」は、「に対して」に実在的に基づいている(訳注24)のですが(まさしくそのために、「について」の世界すなわち感覚的世界も、「に対して」の世界すなわち精神的世界に、実在的に基づいています)、その理由は、絶対的意識のうちでは、「について」は、規定されえるものとしての「に対して」が、規定されたものだからです。

 たしかに観念的には、「に対して」は「について」に基づいています。普遍的なものは個別的なものを知ることによって、精神的世界は感覚的世界によって、認識されます。

 規定されえる(有限な理性の普遍的な)意識なくしては、規定されている(個人的な)意識を持つことはまったくできませんし、逆もまたそうです。この法則は、有限性にとってはまさに原理なのであり、この [規定されえる意識と規定されている意識の相互への] 変換点(WechselPunkt)が有限性の立脚点なのです。

 私たちの誰も自分で、この変換点のことなど考えませんし、自分が考えているとも思いません。確かに――考えていてもです。

 意識 A は今は置いておき、C を取り上げてみましょう(訳注25)。さて、この C も意識です。C が意識されるのは、明証性の形式を経てですが、そのため [C のもつ] 規定性が存続するということなのです(訳注26)。そして、この種の直接的な意識は(私はここでは手短に、結論だけを述べます)、行為することの意識です。この行為の意識はそこでは、行為の意識を規定するものとしての目的概念 [の存在] を前提とします。そしてこの目的概念は、目的概念が規定できるものとしての概念 [の存在] を前提とします。――そしてここに初めて、意識のこの狭い領域に、感覚的世界が、つまり自然があるのです。

  したがって、意識 C すべてはそれ自体が、意識 A のたんに客観です。しかし意識 C は、意識 A の根源的な形式のうちにあるかぎり、すべての知性に対して絶対的な妥当性をもちます。この閉ざされた意識 C すべては(原注3)、再び A のうちへ取り込まれて、精神的世界の体系(前述の B)や、個々の知性相互が分離することの、把握しえない実在的根拠を、またすべての知性の観念的(ideales, 理念的)紐帯=神をもたらします。これが、私が英知的世界と呼ぶものです。この最後の総合が、最高の総合です。
 このような視線(Blick, 洞察)にもなお透過できないものを、人がもし存在と、しかも絶対的存在と呼びたいのであれば、神は純粋な存在です。しかしこの純粋な存在それ自体は、例えば凝縮したもの(Kompression)ではなく、まったくの動性(Agilität)であり、純粋な透明性、光なのです。物体から反射する光ではありません。物体から反射する光が存在であるのは、ただ有限な理性に対してだけです。したがって物体から反射する光は、たんに有限な理性に対して存在するのであり、それ自体としては存在ではないのです。

   ―――――――――――― 
 意識 A と意識 C の総合が、すなわち A + C が、つまり X のうちでの――絶対的な把握のうちでの、したがって各々の個別的な把握においては把握不可能なもののうちでの―― A + Cが、有限な理性の原理です。知識学は [哲学の] 体系を、この原理から叙述します。知識学はそれゆえ、精神的世界全体の、まったくもって普遍的な意識そのものを、叙述するのであり、知識学自体がこの意識なのです。
 各々の個人は、それぞれ自分の依拠する点から、前述の体系について特有な見方をもちます。しかしこの個人の依拠点は、知識学にとっては――知識学それ自身も学問であり、普遍的意識による透過です――透過できないX です。したがって、知識学は個人としての個人に基づくどころではなく、個人に関わる(bis zu . . . hinkommen)ことすらできないのです。しかしLeben)にとっては、前記の X は事実上(成り立ちの面からではなく(nicht genetisch))透過できるのです。

 各々の個人は、精神的世界全体のなかに存するところの、無理数である平方根を、平方した有理数です。そして、精神的世界全体もまた、精神的世界やその普遍的意識(この普遍的意識は誰もが持っていますし、また持てます)に対しては、無理数である平方根を――この平方根は、内在的な光すなわち神に等しいのですが――、平方した有理数なのです。

 (訳注27) そして感覚的な世界すなわち自然は、まさしく内在的な光の現象以外のものではありません。
 (自然哲学は、すでに出来あがり定まった自然概念に基づくのかもしれません。しかし、この概念そのものや、それから形成される哲学は、まず知全体の体系において絶対的 X から、有限的理性の諸法則にしたがって、必ずや導出されねばなりません。自らの傍らになお実在論があることを許容するような観念論は、何ものでもないでしょう。あるいは何ものかであろうとしても、一般的な形式的論理学たらざるをえないでしょう。)

   ―――――――――――― 
   (訳注29) 私は今、『エアランゲン文芸新聞』の 67 号を読んでいます(訳注28)。531 ページ [の所論] は、完全に私の考えを含んでいます。ただし私なら、こうしたことについては不確かな調子でではなく、断定的に述べるでしょう。533 および次ページでの論理展開も、すぐれています。

 とくに後者 [の 533 - 534 ページでの論理展開]から、私の哲学が貴方の哲学と、また私たちの同時代人たちの予感・願望・誤解と、どう関わっているのかということが明らかとなるはずです。人が、私の「自我」はなにか個人性(Individualität)の跡をもっていると、どの程度非難するにしろ、むろん [非難するときには] この個人的なものの導出ということが、念頭に置かれているのでしょう。(訳注30)
 上述のことから貴方もお分かりのように、私も同じく導出しているのです――したがってこの点では、私たちは一致しています。ただしかしながら、自然から、つまり把握しえる宇宙から導出したのでは決してありません。あるいは、実在的根拠が適用できるような何かからではないのです。

   ―――――――――――― 
 貴方がご自身の体系をさらに検討しつつ、私の新しい [知識学の] 叙述の出版を待とうとされるかどうかは、今や貴方におまかせするほかありません。が自分の仕事(Sache)について確信していることは、率直に申しあげられます。[このように確信するのは、] 一つには、明証性という内的な性質そのものによってであり、また一つには外的な理由によってですが――私はほとんどこの丸 1年 というもの、この探究をいろいろな側面や経路から再び始めることだけに、たずさわっていました。そして知らず知らずのうちに、すでにすっかり忘れていた私の 8 年前の [知識学の] 叙述のうちに見出されるものに、何度も思いいたったのでした――、さらには、[知識学] 全体の独特の組織によってです。
 が、むろんこう申したからといって、貴方が [私の哲学を] 吟味することに対し、先手を打とうとしているのでないことは、、明らかでしょう。・・・

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(原注1) [1856年版『フィヒテとシェリングの、哲学的往復書簡集』の] 75ページで言及されている『私の哲学体系の叙述』のこと。
(原注2)余白へのシェリングの書き込み:「すばらしい」
(原注3)余白へのシェリングの書き込み:「これのみに、フィヒテはこれまで関わってきたのである」

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(訳注b)/(訳注1) この手紙については、『アカデミー版フィヒテ全集 III,5』の 43 ページ、編集者注 a に、「シェリングによって、『ようやく 8 月に [この手紙を] 落手した。』と書かれている」とあります。
 なお、この 5 月 31 日付の手紙には、8 月 7 日付の短い手紙が付加されています。しかし 8 月 7 日付の手紙は、シェリングへの連絡のようなものですので、訳出していません。

(訳注2) 『アカデミー版フィヒテ全集 III,5』の編集者注2 (S. 43)によれば、『独断論と批判主義哲学についての哲学的書簡集』(1795 年)を指すとのことです。
 そしてフィヒテが念頭に置いていたと思われる 2 箇所が、編集者注3 によって引用されていますが(S. 43f.)、その内容は大変ユニークなシェリングの『純粋理性批判』解釈であり、また彼の思想的発展を知る上で重要なものです。以下に訳出する次第です:

 「私自身の確信を貴方に申しあげても、僭越ということではないのでしたら言いますが、純粋理性批判は、何かある体系を――といっても、独断論と批判主義哲学の折衷物などでは毛頭ありませんが・・・――排他的に基礎づけるというふうにはできていないのです。むしろ純粋理性批判は、私の理解するところでは、2つのまさに対立しあう体系の [成立の] 可能性を、理性の本質から導出するのです。そして批判主義哲学の体系(その完成態における)も、<あるいはより正確に言えば観念論の体系も、>これにまったく対立する独断論の<、あるいは実在論の>体系も、同様に基礎づけるのです。」(第 5 書簡。1795年度刊「哲学雑誌」、第7冊、178ページ)
 [オリジナル版では、第 1 巻、301-302 ページ。なお、編集者によるこの引用には、引用文中の< >の部分はありません。これらの部分は、1809 年の第 2 版において追加されたもので、1801 年のこの書簡を書いているフィヒテは、当然読んでいません。]
 
 「独断論と批判主義哲学という 2 つのまったくもって対立しあう体系が、同じく可能であるということ、そして、自由の同じ段階にあらゆる有限な存在が存しているのではないかぎり、両体系はいっしょに存立するだろうということ、こうした私の主張の根拠は、簡単に言えば次のとおりです: 2 つの体系は同じ問題を持っており(haben)、この問題は理論的なものでは断じてなく、まったく実践的なものだということ、つまり、自由によって解くことができるということです。そしてこの問題の解決法としては、ただ 2 つが可能なのです。1 つは批判主義哲学へと、他の 1 つは独断論へと通じます。
 「2 つの体系のうちどちらを選択するかは、私たち自身が獲得した、精神の自由にかかっているのです。」(第 6 書簡。1795 年度刊「哲学雑誌」、第 11 冊、187 ページ) 
 [オリジナル版では、第 1 巻、307-308 ページ。なお、引用文中の「そしてこの問題の解決法としては、ただ 2 つが可能なのです。1 つは批判主義哲学へと、他の 1 つは独断論へと通じます」の部分は、編集者による引用では、省略記号によって省略されています。]

(訳注3) そのような箇所の 1 つとして、『アカデミー版フィヒテ全集 III,5』の編集者注4 (S. 44)には、「知識学への第 2 序文(Zweite Einleitung in die Wissenschaftslehre)」から引用したものがあります。そこではフィヒテは、シェリングの観念論と実在論並立の発想を、通りいっぺんの超越論的観念論への無理解と、受けとっているようです。
 興味深くもありますので、その箇所(「哲学雑誌」、第 V 巻、第4冊、322ページの注)を後の部分も含めて訳出します:

 「誰かが [シェリングを暗示] 超越論的観念論の体系の傍(かたわ)らに、また外部に、でこの体系同様に根本的にして首尾一貫した実在論の体系がなお可能だと思うとすれば、それは超越論的観念論の内の思考の 2 つの系列についての前述の混同に(訳注3の注)原因があるのである。
 「行為ということが問題になるときには、私たちすべての心に、断固とした観念論者の心にさえ浮かんでくるのは、対象というものは私たちには依存せずに、私たちの外部に存在するという推定であるが、このような実在論は観念論自体の内に存するのであって、観念論の内で説明され、また導出されるのである。客観的真理を、現象界において、また同様に英知界においても導出することは、すべての哲学者の唯一の目的である。
 「哲学者は自らの名誉にかけて(nur in seinem Namen)、次のように言う:自我に対して存在するものはすべて、自我によって存在する。しかし、自我自身はその哲学において、次のように言う:たしかに私は存在し、生きているとはいえ、私によって存在するのではないものが、私の外部にある。
 「哲学者は、どうしてこうした主張が生じるのかを、彼の哲学の原理から説明する。初めのものは、純粋に思弁的な見地であり、後のものは、生活や学問(知識学とは異なるものとしての)の見地である。後の見地は、初めの見地からによってのみ理解できる。そして、実在論は私たちの自然な性質(Natur)をとおして迫ってくるので、なるほど実在論が成立する根拠はあるが、しかし実在論は、納得のゆく明らかな根拠を持ってはいないのである。初めの見地が存在しているのは、やはりただ、後の見地を理解可能なものにするためである。観念論は、けっして [単なる] 考え方ではありえない。それはまさしく思弁なのである。
」(SW版全集では、第 1 巻、455ページの注)
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(訳注3の注) 「思考の 2 つの系列」とは、「知識学(=超越論的観念論)の内にあるまったく異なる思考活動の 2 つの系列」で、1 つは「哲学者が観察する自我の系列」、他の 1 つは「哲学者の観察 [物] の系列」です。(オリジナル版 320 ページ。SW版全集では第 1 巻、454 ページ)
 「前述の混同」とは、「一方の系列に属するものを、他方の系列に属するものと混同する」ことです。(オリジナル版 322 ページ。SW版全集では第 1 巻、455 ページ)

(訳注4) 『アカデミー版フィヒテ全集 III,5』の編集者注6(S. 44)では、このようなシェリングの発言の例として、『エッシェンマイアー氏の論文への補遺:自然哲学の真の概念、およびこの哲学がもつ諸問題の正しい解決法に関して(Anhang zu dem Aufsatz des Herrn Eschenmayer betreffend den wahren Begriff der Naturphilosophie, und die richtige Art ihre Probleme aufzulösen.)』(1801 年)から数か所を引用しています。興味深い箇所ですので、以下に訳出しました。
 (なお、このシェリングの『補遺』が、最初に「思弁的物理学のための雑誌
」第 2 巻
、第 1 冊に掲載された時は、上記の題名でしたが、ふつうはたんに後半の名称『自然哲学の真の概念、およびこの哲学がもつ諸問題の正しい解決法について(Über den wahren Begriff der Naturphilosophie und die richtige Art, ihre Probleme aufzulösen.』によって知られています。なお、Art 直後のコンマおよび最後のピリオドは無いこともあります。)

 「自然の観念論が存在し、また、自我の観念論が存在する。私にとっては、前者は根源的なものであり、後者は導出されたものなのである。」(前記のオリジナルの雑誌では、116 ページ。オリジナル版全集では、第IV巻、84 ページ)

 「この純粋な理論的な哲学は、自然哲学をその所産としてもたらす。というのも、前述の捨象によって私は、純粋な主観=客観の概念(=自然)に到達するからである。この概念から初めて私は、意識の主観=客観(=自我)へと高まるのである。」(前記のオリジナルの雑誌では、119 ページ。オリジナル版全集では、第IV巻、86 ページ)
 [訳者注:「主観=客観」の「=」、つまり小イコールと、「=自然」の「=」、つまり大イコールについては、ここを参照して下さい。]

 「課題は次のようになる:主観=客観というものを客観的なものにし、この主観=客観を自ら自身 [の内] から、自然(所産としての)と一つになる地点にまでもたらすことである。主観=客観が自然となる地点はまた、主観=客観の内の限定されえないものが自我へと高まる地点であり、ふつうの意識においては起きる自然と自我の間の対立が、完全に消えて、自然=自我、自我=自然であるような地点である。」(前記のオリジナルの雑誌では、127-128 ページ。オリジナル版全集では、第IV巻、91 ページ)

(訳注5) この「貴方のあのお考え」とは、すこし前の「知性を自然から導出すること」を指すと思われます。
 そして、「貴方もご存知のように解釈して」とは、フィヒテからの前回の手紙(1800-12-27 付)中に書かれているところの、「『個人 [=知性] はただ自然のより高いポテンツである』という貴方のお考えは、ただ一定の条件のもとでのみ正しいと私には思えます。すなわち私が、自然を現象として(そして、明らかに有限な知性によって生みだされ、したがってこの知性を生みださないかぎりでの自然を)措定するだけでなく、自然の中に英知的なものを認める――という条件です」を指すのではないかと思います。

(訳注6) こうした所でのフィヒテの表現は、慎重・ていねいなものになっています。「貴方のあのお考え」の原文は、jenen Satz bei Ihnen で、Ihren Satz とは直接言わずに bei Ihnen としています。また、「自然哲学の内部へ導入する」も die/Ihre Naturphilosophie ではなく、 eine Naturphilosophie と不定冠詞を用いて一般化した表現となっています。

(訳注7) 1801 年 5 月 15 日付の、シェリングからフィヒテへの手紙を指します。

(訳注8)原文は Einleitung ですが、正確には Vorerinnerung です。

(訳注9)この「いくつか、不確かな調子で述べられています」に相当するのは、『私の哲学体系の叙述』序文(Vorerinnerung)において、以下の箇所だと思われます:
 「大いにありえることだが、例えばフィヒテが初めて提示し、今も主張している観念論は、前述の私の観念論とはまったく違う意味を持っているのかもしれない。例えばフィヒテは、観念論を完全に主観的な意味において考えたのかもしれず、それに対して私は、観念論を客観的な意味において考えたのかもしれないのである。フィヒテは観念論によって、反省の観点を固守したのかもしれず、それに対して私は観念論の原理によって、産出の観点をとったのかもしれない。
 「こうした 2 つの観念論の対照を分かりやすく表現すれば、主観的な意味での観念論は、自我はすべてのものであると主張することになろう。逆に、客観的な意味での観念論は、すべてのものは自我に等しい、そして自我に等しいもの以外は存在しないとなろう。この つの主張は、疑いもなく見解を異にしている。とはいえ、両者とも観念論的であることは、否定されないであろう。
 「私は、事情は実際にこのようだと言っているのではない。ただ、こうもありえるということである。」(上記のリンクサイトの Nun könnte . . . als möglich;の箇所。SW 版全集では、第 1 部、第 4 巻、109 ページ)

(訳注10)これは、「これまで観念論ということで人が考えてきたもの」の部分を指すようです。

(訳注11) この 1 文は、シェリングへの嫌みでしょう。つまり、「私(フィヒテ)の哲学を、通常の(gewöhnlich, ありきたりの)観念論の見解とよくぞ言ってくれたものよ」との含みだと思います。

(訳注12)「最高の総合(die höchste Synthesis)」については、後で説明されています。

(訳注13)シェリング著『私の哲学体系の叙述』の最初の命題は、以下のようになっています:
 「§. 1. 定義Erklärung):私は絶対的理性を――すなわち、主観的なものと客観的なものとの全くの無差別として考えられた理性を――、理性と呼ぶ」。

(訳注14)「実在的根拠(Realgrund)」とは、「或るものを存在(成立)させることのできる、実在的な根拠(理由)」、つまり言いかえれば、「実在的な或るものを、存在させる根拠」のことだと思われます。
 しかし、次に理性の例が出てきています。理性はこの後に登場する「精神世界」に関係するものでしょうから、実在根拠ではなく観念根拠が適用されるべきで、ここに出てくるのは場違いといえます。
(i) とはいえ、シェリングの「理性」もここで一括して非難するために、フィヒテは理性に言及したのでしょう。
(ii) また、そのような場違いを弁解するためか、少し後で「観念的根拠と実在的根拠の同一性も・・・提示されるべきです」と、書かれています。

(訳注15)ここでの、「たとえ理性と呼ばれるものであっても」存在であり、それから出発してはいけない、という文言は、シェリングの『私の哲学体系の叙述』が、(訳注13)で紹介しているように、「理性」から始まっていることを念頭に置いています。

(訳注16)「観念的根拠(IdealGrund)」とは、或るものを存在(成立)させることのできる、観念的な根拠(理由)」、つまり、「観念的な或るものを、存在させる根拠」のことでしょう。

(訳
注17) 以下の文では、「貴方」すなわちシェリングを例に出して、フィヒテは議論しています。しかし、特にシェリングだということに意味は無く、誰であってもよく、また一般的な「人」でもいいわけです。ただ、フィヒテはシェリングに対して書いているので、レトリック的に「貴方」を用いたと思われます。

(訳注18)「自己を・・・規定されているもの・・・として措定」するという文意は、以下のように推測できます:
 「2点間を通る・・・」という公理が、すべての直線について妥当すると考えるとき(フィヒテ流にいえば「見る」とき)、これは普遍的真理ですが、そのように考えている私(自己)は、特定の知性であり、知性一般ではありません。その意味で「規定されている」特定の自己だというわけです。

 その後の、「(自己を)規定されえるものとして措定する」の文意は:
 「2点間を通る・・・」という公理が、すべての知性に対して妥当すると考えるときには、その公理が真理として現われるのは、すべての知性に対してです。すなわちそのように考える自己は、普遍的・一般的知性であり、これから特定の知性へと「規定されえる」ものだというわけです。

 なおフィヒテは、「自己」というものを実体的なものとして扱ってはおらず、「自己把握の形式」と言い換えていますように、作用(すこし前に出てきた用語では「働き(Akt)」)として捉えていることが、注目されます。

(訳注19) ここからの議論は、前に例示された 2 点間を通る直線を離れて、より一般的なものになります。A は絶対的意識を、B は普遍的な、後述される「精神世界」を、C は個別的な規定された意識を意味します。

(訳注20)この箇所の原文は、以下のとおりです(ブラウザーがマイクロソフトIE9、表示拡大率 100% 以外では、正しく表示されない可能性があります):

. . . so ist in ihm [= A] Form des Bewusstseins als bestimmbares
     a
= B ―|― C = Bestimmtheit des Bewusstseins , . .

・B と C 間の水平の記号「――」を、前に登場した gegenüberliegend と同じ意味だと解釈して、「相対します」と訳出しました。
a については、この後本文で説明されています。この a は、垂直の記号「|」 の真上直近に、位置しています。

(訳注21) 1856 年版ではこの場所に、「意識 A は今は置いておき、C を取り上げてみましょう」の 1 文が、1 つの段落として位置しています。しかし、座小田豊/後藤嘉也訳の訳注(二八)にあるように、「文脈から判断し、全集版にならって」後方(1856 年版では 87 ページの 10 行目)へと移動させました。

(訳注22) この段落の文意は、以下のようだと思われます:
 個別と普遍の統一や相互転換を説明することは、哲学の重要な課題の一つですが、フィヒテもここでそれを行おうとします。彼に特徴的なことは、個別(C)と普遍(B)をともに含む第 3 項の絶対的意識(A)を、設定することです。
 むしろ存在論的には、A が第 1 に来ます。そして B や C に存在根拠を与えます。そしてこのことは、シェリングも承知している共通の了解事項です。(このことは、前の段落で何の説明もなく「貴方が絶対的意識を A として措定するならば・・・」と書きだしていることからも窺えます。)

 具体的に、この段落の文章を追っていきますと――
(1) まず、先の 2 点間を通る直線の例で述べられたように、個別(「について」)も普遍(「に対して」)も、私たちに明証的に存在する。

(2) では、個別(C と一般的に表記)と普遍(B と一般的に表記)の両者の統一や、相互転換はいかにして可能なのか?

(3) それは、個別 C は B に対置されていても、B 同様、A のうちにIn)あるからである。

(4) また、個別 C は、A のうちにあって A から派生したものであるから、そのものとしては普遍的(=「Für(に対して)」)であるからである。

 なお、「C そのものが・・・自ら自身との関係では『に対してFür)』だからです」という文章を、前記 (4) のように解釈せず、「C そのものが・・・自ら自身との関係では『自らに対して』だからです」と解釈することも、考えられます。
 しかし、それではなぜ、個別的意識が「自らに対する」ことによって、普遍的精神世界へと転換できるのか、内容的に分からなくなります。

(訳注23) ここでの「について」と「に対して」を、前記の 2 点間の直線の例で考えようとすると、混乱すると思います。「について」は個別を譬えた表現、「に対して」は普遍を譬えた表現と、軽く受けとっていいと思います。

(訳注24) 原文は:
 Das Von aber geht von dem Für realiter aus . . .
 直訳すれば:
 「『について』は、『に対して』から実在的に発します」。
 直訳の方が、より文意を伝えているかもしれません。
 また、次の段落冒頭の「たしかに観念的には、『に対して』は『について』に基づいています」についても、同じです。

(訳注25) この 1 文は、本文の(訳注21)の箇所に書かれていたのですが、(訳注21) で説明したように、こちらに移しました。

(訳注26) 原文は:
 . . . doch so dass die Bestimmtheit bleibe.
 so dass 以下は、結果を表す従属節としか考えようがありませんが、直説法ではなくて接続法 I 式の bleibe が使われているのが、解せないところです。
 訳は、「存続するということなのです」と、一応客観的な感じにしておきました。

(訳注27) この★印と、次の段落冒頭の★印は、『アカデミー版フィヒテ全集 III,5』で付けられているものです(1856 年版には、両★印はありません)。その意味は、この★印の箇所に、次の★印の付いている段落(すなわち、「私は今・・・すぐれています。」の部分)が、余談として挿入されているということでしょう。

(訳注28) 『アカデミー版フィヒテ全集 III,5』 49 ページの編集者注14 によれば、この『エアランゲン文芸新聞(Litteratur-Zeitung Erlangen)』 67 号(1801 年 4 月 7 日付)には、エッシェンマイアー(Eschenmayer)の執筆によるシェリングの著作への書評が、掲載されていました。
 (1856 年版の 89 ページでは、執筆者はシャート(J. B. Schad)になっていますが、『アカデミー版』の編集者によれば、シャートは「不可能」なようです)。
 書評の対象となったシェリングの著作は、『 自然哲学の体系の最初の構想 (Erste Entwurf eines Systems der Naturphilosopie)』(1799 年)と、 『自然哲学の体系構想への序論(Einleitung zu dem Entwurf eines Systems der Naturphilosopie)』です。
 この書評は、前記文芸新聞 67 号の 529 - 536 ページに掲載されました。(なお、ページ数が大きいのは、年の初めからの通し番号になっているせいだと思われます。)

(訳注29) 拙訳では『アカデミー版フィヒテ全集 III,5』に従って、この「私は今・・・」で始まる余談的段落を、「・・・形式的論理学たらざるをえないでしょう。)」で終わる段落の後に挿入しました。
 挿入位置が問題となるのは、この余談的段落直後の段落の冒頭が、「とくに後者から」という文言で始まっており、この「後者」が何を指すのかに関わるためです。内容面からみると、この「後者」は余談的段落に記された「533 と次ページでの論理展開」のことだとしか考えられません。したがって、余談的段落が「後者」を含む文の直前にないと、まずいことになります。

 なお、1856 年版では余談的段落は、「そして感覚的な世界すなわち・・・」で始まる段落の直前に挿入されています。しかしそれでは、前述の「後者」が指す語句が、「後者」の直前には見当たらないことになってしまいます。

(訳注30)この文の原文は、『アカデミー版フィヒテ全集 III,5』では:
 Inwiefern man meinem Ich irgend eine Spur von Individualität aufrückte, müsste man freilich auf ein Ableiten dieses Individuellen bedacht sein.
 しかし 1856 年版では、文中の müsstemusste となっています。この場合には、aufrückte は接続法 II 式ではなく、直説法の過去形になります。そして、文章の意味も少し変わり、以下のようになります:
 「人が、私の「自我」はなにか個人性(Individualität)の跡をもっていると、どの程度非難したにしろ、むろん [非難したときには] この個人的なものの導出ということが、念頭に置かれていたのでしょう」。
(初出 2012.9.21)
(目次)

1801-10-3 シェリングからフィヒテへ (93 - 108 / III,5, 80 - 90 ページ)

  ・・・私たちの相違点を、私の手紙によって残らず解明したり、それらの相違が生じてきた最初の違いにまで、事細かくたどっていくことは、ほとんど不可能でしょう。そこでおもに、貴方の [1801-5-31 日付] 前便から判断して、貴方が誤解や先入観にまちがいなく捉われていると思われるただ若干のことを、解決することで私には十分です。また私の考えを、少数の論題にまとめます。これまで詳細にお答えしようと思いつつも、先延ばしにせざるをえないという仕儀に、いつもなってしまったものですから。 
   -----------------------------------------------------------
 観念的根拠と実在的根拠の同一性は、思考と直観の同一性に等しいのです(訳注1)。この [観念的根拠と実在的根拠の] 同一性ということでもって、貴方は最高の思弁的理念を、絶対的なものの理念を、言い表しています。この絶対的なもの [について] の直観は思考のうちにあり、絶対的なもの [について] の思考は直観のうちにあります。(このことの簡単な説明のために、カントの『判断力批判』§76 の注(訳注2)を挙げておきます)。
 思考と直観のこの絶対的な同一性は、最高の原理ですから、この同一性は、現実に絶対的な無差別として考えられる場合には必然的に、同時にまた最高の存在なのです。それに対し、有限で条件付けられた存在は(例えば、個々の物体)、つねに思考と直観の特定の差異を表します(訳注3)。ここでは、観念的なものと実在的なものは、互いに濁らせあいます。両者の濁りのない無差別は、絶対的なものの内にのみ存在します。
 最短の道をとって、この絶対的な無差別の直観や、この無差別と必然的かつ直接的に結合している最高の存在の直観に到るために、絶対的な空間を考えてみて下さい。この空間は、観念性と実在性のまさしく(改めて直観された)最高の無差別です。最高の透明性、明瞭性であり、私たちが直観するもっとも純粋な存在なのです。
 貴方にとっては存在は、実在性と、その上おそらく現実性とも、まったく同義です。しかし至高の(κατ’ έξοχήν)存在は、対立をもはや持たないのです。というのも、至高の存在は、観念的なものと実在的なものとの絶対的な統一そのものだからです。

 さて、貴方が端的に望まれていることは、この最高の存在を――この存在は、もはや観念性と対立する実在性ではありません――、純粋な動性(Agilität)として、絶対的な活動として考えることです。しかしながら、<絶対的な活動=絶対的な静止(=存在)>であるということ、したがって、真に絶対的なものについては、絶対的な空間――この空間は、絶対的なものの普遍的形象(上述しましたように)です。絶対的空間については、ただ<在る>としか言えず、もはや、<活動的>などとは言えません――についてと同様に、<行為する>という属性は与えられないということを、貴方が無視することはできないのです。
 (このことに加えて、逆の推論を――つまり、<行為する>という属性が本当に与えられるようなものは、まさしくそれゆえに真に絶対的なものではありえない、という推論を――していただけると、大変ありがたいです)。

 私の『[私の哲学体系の] 叙述』で主張していますが、この絶対的なものは、個別的なものにおいては、量的な差異という形式のもとで(これは直観 [によって与えられるもの]で、つねに特定の直観によってです)存在します。そして全体においては、量的な無差別という形式のもとで(これは思考 [によって得られるもの] です)存在するのです。(したがって絶対的なものを、統一態として考えると、それは思考と直観の絶対的な相等です。思考のうちには、直観のうちにあるのと同じだけのものがあるのです。逆もまた同様です。一方のものは、他方のものに相応します)。
 [これと] 似たようなことを、貴方は最終的な総合ということでおっしゃっています。この総合は同時に、個々の知性が相互に分離していることの把握不可能な実在的根拠でもあれば、すべて [の知性] が統一していることの観念的根拠でもあるというものです。したがって、貴方はなるほどこうした存在へと――実在でもなければ現実でもなく、観念的なものと実在的なものの対立すべてを超脱して、この両者の絶対的な同一性である存在へと――高まっています。しかしながらこの存在は、貴方にとっては最終的な総合なのです。
 私見では、この最終的な総合がじっさい同時に最高のものでもあるのならば、この総合はまさしくそれゆえに絶対的なもの、無条件なもの(das Unbedingte, 条件や制約なしに存在するもの)そのものです。したがって、まちがいなく同時に最初のものでもあって、ここから出発しなければならないのです。

 [・] 或いは、貴方のおっしゃるように、貴方は見ることから、つまりまさしく主観性から外に決して出てはならず、そして貴方が知識学においてたしかに言われているように(訳注4)各自の自我が絶対的な実体でなければならず、またあり続けなければならないのか、
[・] 或いは、貴方は把握不可能な 1 つの実在的根拠に向けて、[自我の] 外へともかく出るというのであれば、前記の主観性に留まるようにということすべては、真の原理が見出されるまでの暫定的なものであるのか、
[このどちらか] なのです。
 そして、貴方が前記の総合に到達された後で、他の人たちが――つまり、この総合をともかく最初のものだと見なして道を逆方向に進み、貴方の原理はたんに暫定的であり、貴方の哲学はまさにカント哲学同様、たんに入門的なものであると言明する人たちが――やって来たときに、、貴方が自説をどう擁護なさろうとするのか、私には分かりません。といいますのも、最高の原理が結果として、最終的な総合として表れるような研究は、やはり入門的なものでしょうから。
 もし私がこの道行きを先行し、最終的総合の地点で貴方が到着するのを待たずに、そこへの貴方の到着とともに必ずや生じてくるであろうことを、あえて決定しようとしたのでしたら、どうかお許し下さい。

 貴方が、「事柄に関しては私たちはかなり一致しているようですが、しかしその叙述ではまったく異なります――が、この叙述が重要なのです」(訳注5)と言われたことによって、私が言いえるよりも貴方ご自身が明瞭にされているのですが、人が貴方の体系を持つためには、見ることから出発して絶対的なもの(本当に思弁的なもの)で終わることを、まず決心せねばならないのです。これはカント哲学において、その体系が存続するには、道徳法則がまず最初に、そして神が最後に登場せざるをえないようなものです。見ることから出発しなければならないという必要性が、貴方とその哲学を、絶対的なものについてはもはや何も見出されないような、まったくもって条件づけられた一連の事がらへと追いやるのです。
 [けれども、] 貴方ご自身が持たずにはいられなかったところの絶対的なものについての意識すなわち感情が、[貴方の著書]『人間の使命』においては、まことに貴方をして思弁的なものを信仰の領域へと――なぜなら、貴方は思弁的なものを、のうちにはじっさい見いだせなかったものですから――持ちこませたのです。私見では、信仰が哲学において問題になるようなことは、幾何学においてと同様、ないのですが。
 貴方は前述の書物で、およそ次のように表明されました:「本当に根源的な実在は――つまり、真に思弁的なものでしょう――、知のうちではどこにも示すことができない」。このことは、貴方の知が絶対的なものではなく、まだどこか限定された知であることの、十分な証左ではないでしょうか。そして限定された知が、哲学のうちで優勢たらざるをえないとすれば、それは哲学を他の学問なみの 1つの学問へと貶めるものでしょう。

 現在の貴方の最高の総合なるものは、少なくとも以前に貴方が叙述されたものとはそぐいません(fremd)。というのも以前に叙述されたものによれば、道徳的な世界秩序そのものが(疑いもなく、これは貴方が今、個々の知性相互の実在的な分離、および全知性の観念的な統一と、呼んでいるものですが)、神だったからです。私の見るところが正しければ、現在はそうではなくなっており、このことが貴方の全哲学を大きく変化させるのです。

 こうした事のすべては――これを私は、貴方がたんに哲学することから、真の思弁へと近づいたしるしと見ています――、私たちがついにはある地点で出会えるのではないかという希望や喜びを、私に与えてくれます。この地点は、貴方のこれまでの方法では、大かれ少なかれ必然的に見えていなかったものですし、また、下方から段階的に登って行けるものでもなく、ただ一挙に絶対的な仕方でのみ、把握することができるのです。

 貴方は以前のお手紙では認められたことを、[1801-5-31 付の] 前便では引っこめられたかのようです。あるいは、それを本当に書いたのかとさえ、疑っておられるのでしょうか。そこで、そこの箇所を貴方に字句通りにお伝えしても、おそらく適切さを欠きはしないでしょう:

 「私 [フィヒテ] は貴方を十分よく理解していると思っていますし」と、貴方 [フィヒテ] は書かれています。「以前からも理解していたのですが、ただ [貴方の自然哲学における] これらの考えが、超越論主義 [=超越論的哲学] のこれまでの諸原理から帰結するものだとは、私は思っておらず、むしろこれら諸原理に対するものです。またこれらの考えは、超越論的哲学をその諸原理においてさえもさらに拡張することによってのみ、基礎づけられえるのです。いずれにせよ、時代の要請は、この拡張を切に求めているのです」(訳注6)

 これに続けて貴方は、知識学の新しい叙述を完成させた後には、この拡大が貴方の最初の仕事になるであろうと、述べています。

 そこで貴方の視点からは、貴方 [フィヒテ] の哲学はたんに誤ってはいないがゆえに、絶対的で真実なものだと思わざるをえない、ということになります。スピノザは思考と延長を、実体の 2 つの属性として措定します。彼は存在するものすべてがたんに、属性である思考から、また無限な思考の様態によって説明されることも否定はしません。このような説明し方を、彼は間違いだとは決してみないでしょう。ただ、絶対的で真実なものともみず、絶対的な説明そのもののうちに含まれているとみることでしょう。
 これと似たようなことが、私たちの間にもあるわけです。とりわけこうした点から、貴方はご自分に説明することができるのです――なぜ、私たちの相違が根本的で最初からあるにもかかわらず、私が観念論を道具(オルガノン)として用いることができたのかということをです。さらになぜ、貴方の言われるように(訳注7)、私がとても多くの明晰で意味深いことを、観念論について言いえたのかということをです。

 貴方は、個人が [相互に] 分離していることの実在的根拠に、把握不可能という形用語を与えています。むろんこの実在的根拠は、下方より登っていく悟性的反省にとっては、把握不可能です。悟性的反省は、有限なもの(貴方が言うところの分離)と無限なもの(貴方の言う、すべての知性の統一)の対立によって、解決不可能な矛盾へと巻きこまれます(カントのアンチノミー)。
 しかし、理性にとってはそうではありません。理性は絶対的な同一性を、有限なものの無限なものとの不可分な同居(Beisammensein)を、最初のものとして措定し、永遠なものから出発します。この永遠なものは、有限でもなく無限でもないのですが、永遠に、等しく両者なのです。
 この理性の永遠性Vernunftewigkeit)は、すべての思弁ならびに真の観念論の本来の原理ですし、有限なもののなす因果系列を否定するものです。理性の永遠性が、最初から(ursprünglich)因果系列より先行したように、理性の永遠性はその本質からいって(すなわち、性質から (natura))、時間の各瞬間ごとに因果系列よりも先行します。そして逆に、理性の永遠性は、今なお、また常に存在するあり方――つまり性質によって存在するあり方――以外のあり方で、因果系列より以前に存在したことは、決してなかったのです。

 このように言うことをお許し願いたいのですが、貴方のお手紙すべてにわたって、私の考えに対するまったくの誤解があります。が、これはもっともなことです。私の考えを本当に知ろうとする労を、貴方は取られなかったのですから。
 これに対し、貴方がお手紙で私に知らせて下さったお考えすべてのうちに、私の知らないものはないようです。貴方もおそらくお認めになるでしょうが、私はまた、観念論が唯一の必然的な体系であることを証するためのすべての説明法も――一部は私自身が使ったこともあって――、知っています。
 これらの説明法は、貴方のこれまでの反対者すべてに対して適切だったわけですが、私には効果がありません。というのも、私は貴方の反対者ではないのですから。貴方が、私の恐らくは反対者であるにしても。上述しましたように、私は貴方の体系が誤っているとは思いません。なぜなら貴方の体系は、私の体系の不可欠で必然的な一部なのですから。

 貴方が前便 [1801-5-31 付] で述べられている、「観念論や実在論が何であるかは、ただ知識学の内部においてのみ、探究することができる」(訳注8)ということに、貴方が常に従われたのでしたら、どんなにかよかったことでしょう。(このお考えからは、<真の知識学、すなわち真正の思弁的哲学は、実在論でありえないのと同様、観念論でもありえない>、ということが直接に帰結します。ところが、貴方はご自分の哲学をきっぱりと観念論だと、特徴づけはしなかったでしょうか?)
 そのように従われていたとしたら、貴方は私の「哲学の真正な体系は、内的には区別があるにせよ、外的にはまったく無差別でありえる」という考えに、いくらかは容易に一致されることでしょう。真の体系は外的には絶対的な無差別であるという、この概念だけでも、私の体系が 2 つの併存する哲学を立てているという考えを、貴方が持たずに済むには十分だったのです。

 たしか「独断論と批判主義哲学についての書簡集」(訳注9)においてであったと思いますが、私は<真理は、観念論が及ぶところよりも高きにある>という気持を、まだ粗削りで展開しないままに、初めて拙いながらも表明しました。が、ともかく私はあの「書簡集」を、そうした気持の初期の記録として、引証できます。そのような気持は、貴方にあっては無神論論争(訳注10)をきっかけとして、少なからず現われてきたのでした。そして、貴方をして知のうちに(つまり、まさに観念論のうちに)欠けている根源的実在(das Urreale)(思弁的なもの)を、信仰から持ってこさしめたのです。
 したがって、私においての観念論哲学と実在論哲学との関係は、まさに貴方においての知と信仰の関係なのです。その上、貴方は知と信向の対置をまったく解消せず、残したままでした。そして貴方が、<観念論哲学-実在論哲学>において私を信じられなくなったとすれば、私の方は、<知-信仰>において貴方について行けなくなったのです。

 むろん貴方はすぐに、「私が知識学に精通していない」(訳注11)ことを、この「書簡集」において見てとられました。私が「書簡集」を著したときには、知識学についてはじっさいただ初めの部分しか知らなかっただけに、より一層そうだったでしょう。むろん私は今でも、以下の意味では知識学に精通していませんし、また以下の意味では、いつの日か精通しようという気もないのです――つまり、これに精通する(Durchdringung)ことによって、これに染まってしまう(der Durchdrungene)という意味においてです。
 私は知識学を、今後とも哲学をする誰もが頼りとする書物であると、またすべき書物であると、見なすような評価をしたことはかつてありませんし、また今ではなおさらしていません。もっとも、哲学的な事を判断をするためには、その事を理解しているか否かについての、貴方によって発行された証明書さえあればよいというのであれば、むろんこうした判断はよほど容易なのでしょうが。

 もし私が誰かに向かって、「旧約聖書には、いくつかの神話(Mythen)がある」と主張し、彼が「そんなはずはない。旧約聖書は、神が唯一であることを教えているのだから」と、答えたとします。では、彼が「神話(Mythologie)」 という言葉に(訳注12)、ありきたりの多神論(Götterlehre)という概念を結びつけてしまうのは、私の責任なのでしょうか。「自然哲学」という概念についても、多くの人の場合、事情はほとんど同じなのです。どんな化学者や薬剤師でも知っているような自然概念でしか、人が私を理解しないとしたら、それは私の責任でしょうか? 
 それにしても、私に対しこれとはまったく別の論拠をお持ちのフィヒテともあろう人が、このような [自然] 概念で [私に] 論ばくすることが、私に対してはふさわしいなどと考えるなら、それはあまりにも軽薄です。貴方ご自身が、<私 [シェリング] の体系のこの [自然哲学の] 側面は、まだまったく知らない領域である>と認めておられるだけに、貴方が自然哲学をとても恣意的に理解されることには、なおさら驚きます。
 貴方は、「感性界、すなわち(??)自然は、まったくもって内在的な光の現象に他ならない」と述べています(訳注13)。私はこれを読んだとき、<まさにこのことを証明することこそ、自然哲学の目的ではなかろうか>ということが、フィヒテの念頭には浮かばなかったのかと、いぶかしく思ったものです。貴方が私の最近の『[私の哲学体系の] 叙述』を読んで、それについて確認しようとなさらなかったのは、何とも残念です。

  まぎれもなく貴方のお考えとしては、ご自身の体系によって自然を絶滅させてしまったということのようですが、むしろ貴方はご自身の体系の大部分で、自然から決して外に出てはいないのです。私(訳注14)が一連の条件づけられたものを、実在的なものにするのか、あるいは観念的なものにするのかは、思弁的観点からはまったく取るに足らないことです。といいますのも、一方の場合でも他方の場合でも、私は有限なものから外には出ていないからです。貴方は後者のように観念的と見なすことによって、思弁が要求することすべてを満たしたと思われました。そしてここに、私たちの相違の核心があるのです

 [知識学の] 第 3 原理(訳注15)によって、貴方は分割可能性の領域へと――相互的限定(der wechselseitigen Limitation)の領域、すなわち、有限なものの領域へと――到達するのですが、この原理以降の貴方の哲学は、有限なものの途切れることのない系列――高度な因果系列なのです。
 自然の真の絶滅(貴方の意味で)は、たんに観念的な意味における自然を、それにもかかわらず実在的なもにすることに(訳注16)、存するのではありません。そうではなく、有限なものを無限なものとの絶対的な同一性へと、もたらすことにのみ存するのです。つまり、永遠なもの以外には何ものをも認めず、そして、有限なものを実在的な(世間普通の)意味においても、観念的な(貴方の)意味においても、認めないことにのみ存するのです。

 貴方にとっての自然が、貴方の自然概念にしたがって意識のどのように小さな領域に、属さなければならないのかということ、これはよく承知しています。貴方にとって自然は、思弁的な意味はまったく持たず、たんに目的論的な意味を持つにすぎません(訳注17)。けれども、実際に貴方は例えば次のようにお考えなのでしょうか:「光が存在するのは、ただ、理性的動物が話しあいながら、お互いに見ることもできるためであり、空気が存在するのは、彼らがお互いに聞きながら、話しあうことができるためである」と。(訳注18)

 貴方がさらに、実在論をその傍らに許容する観念論に関して述べられたこと(訳注19)についてですが、貴方は私への重大な誤解に捕われているとしか、言いようがありません。この誤解を一通の手紙で解くことは、あまりに面倒です。このことに関しては、たんに最近の私の [著作] 『叙述』(訳注20)の参照をお願いできるだけに、なおさらそうです。もしこの『叙述』が十分ではないのでしたら、私としては貴方と私の間のこの重大な論点に関して、将来の解明に期するしかありません。

 まもなく、私の「哲学的会話」(訳注21)をお送りします。貴方がそれを読まれることを、願う次第です。私の『叙述』の続きも、今月か来月には出版されます。

 私の方は、[貴方の知識学の] 『新しい叙述』が出版されるまでは、貴方の体系全体についての決定的な判断を、差し控えましょう。これは当然のことです。同様に私が貴方に期待するのは、私の『叙述』の完成を待っていただき、この『叙述』について判断し述べる前に、実際に読んでいただくことです。読者を前に、例えば「私が貴方 [シェリング] の『叙述』を読んだ限りでは」(訳注22)といった表現をすることは、あまりいい結果を生みはしないでしょう。

 しかし、私たちの間の相違をこれ以上表立てないようにという貴方の希望が、もし、
[・] 貴方にとって相違の表立つのが都合のいい時まで、私はたんに待っているいうことでしたら、
[・] あるいは待っている間に、貴方の「新しい知識学」かなにかの予告広告において、[貴方が] 私を才気ある協力者として誉めることを――しかもその際、ニコライのような輩や「一般ドイツ叢書」の批評家達が気付くような密かな巧みな仕方で、読者に私が貴方を理解していないことをこっそりと知らせることも――、私が許すということでしたら、
この [前段落での私の] 提案はいささか不適切であると、貴方の目にはたしかに映ることでしょう。 

 私の哲学が貴方のものとは別であるということは、私はごくささいな不幸だと思っていますし、やむをえなければ耐えることもできます。しかし、私は貴方の哲学を叙述しようと望んだ、しかもそれも上手くいきはしなかった [などと貴方から言われたこと] ――親愛なるフィヒテ、これは本当にいささかつらすぎます。とりわけ、私は叙述しようと望んだことがないのがはっきりしているときに、上手くいかなかったことについての貴方の発言が、まったく何の根拠もないままに及んで行くのですから。(訳注23)
 そこでもし貴方が、私たちの相違を公式に表明したくないのであれば、貴方は私にはまったくもって過分なご親切を――貴方の最近の予告広告で、私を貴方の協力者と見なすような――、少なくとも示さないで下さい。貴方読者の前でそのように私を見なしたときには、私が貴方と同一の目標を持っていないことは、貴方ご自身もすでに十分知ることができたのですから。

 結果については冷静に、私のことに関しては自信を持って、とりあえず私としては誰にでも喜んで、私たちの [哲学上の] 関係を理解するがままにさせましょう。私は誰に対しても、その人の健全な目を曇らせたり、この関係を隠そうとすることはできません。最近はじめて、大変すぐれた頭の持ち主(訳注24)による本が出版されましたが、表題は『フィヒテとシェリングの哲学体系の相違』です。この本に私は関与していませんが、また、この本 [の出現] を妨げるようなことも何もできなかったのです。

 『明快な証明』を同封して下さることを、お忘れです(訳注25)。しかし、私はこの本を入手しました。この本での観念論は、私にはかなり心理学的なものに――ほとんどリヒテンベルク(訳注26)の遺稿での観念論のように――見えました。
 また、残念に思えたのは、貴方が役にも立たない哲学者たちのための仕事に関し、メガネの玉磨きを持ちだしていたことです。周知のようにスピノザは、この仕事に熱心に取り組んでいました。彼は哲学以外にも、なおいくつかの事に携わっていましたが、それでも大変偉大な哲学者でした。
 ・・・

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(訳注1) この文は、フィヒテの前便の「観念的根拠・・・」を受けています。

(訳注2) 1856 年版では「§74」となっていますが、誤記ないし誤植だと思われます。§74 の前後で「注(Anmerkung)」があるのは、§76 だけです。そこで、『アカデミー版フィヒテ全集 III, 5』に従って、「§76」と訳出しました。
 なお、シェリングが言及している箇所は、「人間の悟性は、事物の可能性と現実性をどうしても区別してしまうのである。・・・」で始まる段落以降(1793 年の第 2 版、および 1799 年の第 3 版では、340 ページ。岩波文庫の『判断力批判』(1964年)では、下巻 84 ページ 10 行目)だと思います。

(訳注3) この「差異(Differenz)」は、「無差別(Indifferenz)」の反対です。訳語では「異」と「別」のように、それぞれ違う文字が使われて反対概念だということがハッキリしませんが、ドイツ語では Differenz に否定の接頭語 In が付いたものが、Indifferenz です。

(訳注4) 『アカデミー版フィヒテ全集 III, 5』の編集者注5 (S. 82)によれば、『全知識学の基礎』の「第 1 部、第3 章、D, 8」の最後の部分を指します (1794年版では S. 47. 岩波文庫版では上巻の 152 ページ)。そこでは、以下のようにあります:
 . . . nur dass eines jeden Ich selbst die einzige höchste Substanz ist:
 「ただし、各自の自我そのものが、唯一最高の実体なのである」。

(訳注5) このシェリングによるフィヒテの手紙の引用は、少し元の文と言辞がことなりますが、ここからです(1856 年版では、83 ページ 10 行目から)。

(訳注6)シェリングによるこのフィヒテの文面の引用は、1800年12月27日付の手紙のここからです(1856年版では、68ページ)。フィヒテの原文とは、字句や句読点がほんの少し異なります。

(訳注7)これは、1801-5-31 日付フィヒテからの手紙のはじめの部分を指します(1856 年版では、81 ページ)。なお、フィヒテの原文では「限りなく多くの明晰で・・・(so unendlich viel Klares . . . )」となっていますが、ここでのシェリングの引用では、さすがに「限りなく(unendlich)」を省いています。

(訳注8)これは字句通りの引用ではありませんが、シェリングが念頭においているのは、この部分です。

(訳注9)シェリング著『独断論と批判主義哲学についての哲学的書簡集』(1795 年)を指します。

(訳10) ここで注意したいのは、シェリングによれば、「観念論(従来の知識学)」に対する不備が表明されたのは、シェリングの場合が 1795 年の『独断論と批判主義哲学についての哲学的書簡集』、フィヒテの場合は 1798 年の無神論論争以後ということです。つまり、シェリングの方が、少なくとも 3 年は早かったのです。
 おそらくシェリングは、1795 年には哲学の最前線に達したとの思いを抱いたことでしょう。このとき彼はまだ 20 才、神童の常とはいえ、哲学の分野では異常な若さです(だいたいが、30 にして立つですから)。そして将棋・囲碁で言う「早見え、棋理に明るい」とは、この人のためにあるような言葉です。

(訳注11)これは、フィヒテの前便(1801-5-31 付)からの引用です。

(訳注12) ここは、Mythologie の代わりに、前述の Mythen を使った方が、文意が分かりやすかったかもしれません。しかし、シェリングは Mythen を繰り返すのは野暮ったいと思ったのか、より抽象的な Mythologie Mythen を代表させたのでしょう(こういった箇所でも頭が働くのが、シェリングです)。

(訳注13)これも、フィヒテの前便(1801-5-31 付)からの引用です。
 なお、(??)はシェリングの挿入です。つまり、フィヒテが「感性界、すなわち自然」と述べたのに対し、シェリングは<それはどうでしょうか>と、抗弁しています。

(訳注14) ここでシェリングは婉曲に「私」と書き、自分の場合のように表現していますが、真意は「貴方(フィヒテ)」を意味します。

(訳注15)この箇所の原文 dem dritten Grundsatz は、フィヒテ『全知識学の基礎』の dritter, seiner Form nach bedingter Grundsatz (第 3 の、形式面で条件づけられている原理)のことです。(SW 版では、第 1 巻、105ページ。岩波文庫版では、上巻、127ページ、「第三章 形式の側からは制約されている第三根本命題」) 
 この第 3 原理においては、A と 非A について、「6. . . . sie werden sich gegenseitig einschränken. (それらは互いに制限しあうだろう)」と、述べられています。(SW 版では、第 1 巻、108 ページ。岩波文庫版では、上巻、131 ページ)
そして、分割可能性の概念も登場します:
 「制限(Schranken)の概念のうちには・・・分割可能性の概念がある。(SW 版では、第 1 巻、108 ページ。岩波文庫版では、上巻、132 ページ)

(訳注16)これは、シェリングから見た、フィヒテが自然を扱う仕方です。

(訳注17)フィヒテの前便(1801年5月31日付)に、以下のようにあります:
 「この種の直接的な意識は・・・行為(Handeln)の意識です。この行為の意識は自らを規定するものとして、ここでは目的概念を前提にしています。そして、この目的概念は自らが規定できるものとして、概念を前提にします。――そしてここに初めて、意識のこの狭い領域に、感覚的世界が、つまり自然があるのです」。

(訳注18)『アカデミー版フィヒテ全集 III,5』での注記 15 (87 ページ)によれば、ここでシェリングの念頭にあったのは、フィヒテの『自然法の基礎』(1796 年)での論述だったようです。
 なお、注記 15 では、その論述を 1796 年初版『自然法の基礎』では 82 ページとしていますが、81 ページの誤記だろうと思われます。といいますのは、初版でのページ数も欄外に記載されている SW 版で(正確には、SW 版を写真復刻した Fichtes Werke です。なお、著作集・全集については、こちらをご覧ください――えっ、ややこしいですか? 今しばらくのご辛抱をお願いします。やはりこういうことは正確に記さないと・・・と言いますか、書く方としてはこういう箇所って、案外ドーパミンが大量分泌されるんです)、初版の 8183 ページ に該当する 76 と 77 ページを見ますと、「空気(Luft)」「光(Licht)」「理性的な動物(. . . vernünftigen Wesens)」に関する論述がなされていますが、初版の 82 ページなるものはないのです。SW 版での掲載が欠落している初版ページは、この 82 ページ以外にも相当あることから、初版の編集・製本時において何らかの理由(例えば、お知らせ広告の挿入)があったものと思われます。

(訳注19) フィヒテの前便(1801-5-31 付)のこの部分を指します。

(訳注20) 1801 年に出版されたシェリングの『私の哲学体系の叙述』を指します。

(訳注21) 1856年版の注には、以下のようにあります:
 「シェリングの念頭に置かれている著作は、おそらく 1802年の『哲学批評誌』第1分冊に掲載された対話『絶対的同一哲学の体系と、この体系の最近の(ラインホルトの)二元論への関係について』であろう。この著作(12ページ以下)でシェリングは、彼の体系の由来をも重点に置きつつ、体系の根本概念について見解を述べている」。

 また、『アカデミー版フィヒテ全集 III, 5』の編集者注 15 (S. 87) では、上記の著作である可能性が高いことを認めつつも、やがて発表される『ブルーノ』の可能性にも言及しています。

(訳注22)シェリングはこの箇所で、フィヒテの前便(1801-5-31 付)の一節「私が貴方の『[私の哲学] 体系 [の叙述]』を読んだ限りでは」を、念頭に置いています。ただ、細かく言えば、
・「限りでは」は、フィヒテの手紙では So viel ですが、シェリングは So weit と書いており、
・フィヒテでの「体系(System)」は、シェリングでは「叙述(Darstellung)」になっています。

(訳注23)「貴方の発言」とは、少し前に出てきた『新しい知識学』の予告広告での、フィヒテのシェリング評を指します。

(訳注24) これは、ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770-1831)のことです。

(訳注25) フィヒテは前便(1801-5-31 付)で、「私が [この手紙に] 同封した『明快な報告』で・・・」と書いており、1801年出版の『最新の哲学の真の本質についての、公衆への明快な報告(Sonnenklarer Bericht an das größere Publikum, über das eigentliche Wesen der neuesten Philosophie)』を同封する予定だったようです。
 したがって、シェリングがここで『明快な証明(den “sonnenklaren Beweis“)』と書いているのは誤記で、正しくは『明快な報告(den “sonnenklaren Bericht”)』です。

(訳注26) 『アカデミー版フィヒテ全集 III,5』によれば、リヒテンベルク(Lichtenberg, Georg Christoph, 1742 – 1799)は物理学者で、ゲッティンゲン(Göttingen)大学教授だったようです。このような人と比べられたフィヒテとしては、さすがに面白くなかったでしょう。あるいは、怒髪天を衝いたかもしれません。
(初出 2012.11.15)
(目次)

1801-10 (訳注1) フィヒテからシェリングへ (108 - 113 / III,5, 90 - 93 ページ)

 一通の手紙によっては、私たち 2 人のうちのどちらが重大な誤りや先入観にとらわれているのかということを、そして――このような事態だということなのでしょうが(訳注2)――皮相に哲学をしているのかということを、確信させるにはいたりそうもないというのは、まさにそのとおりです(訳注3)。貴方が前便 [1801-10-3 付] で述べられた諸真理は、私もまた十二分に知っています。そして、私や私の意見について貴方が言われることは、すべて私の観点への誤認や過小評価に基づいているのです。
 
 私たちの相違点は、かいつまんで次のように言えます:
 「絶対的なものは」(これについては、またこれの規定性については、私 [フィヒテ] は貴方に完全に同意しますし、またこれの直観も久しく持っています)、「量的な差異のもとに存在すると、私 [シェリング] は『[私の哲学体系の] 叙述』で主張している」と、貴方 [シェリング] は言われます。むろん貴方は、このことを主張しています。そしてまさにその故に、私は貴方の体系は誤りだと思ったのです。そして、この体系の叙述を傍らへと押しやったのです――というのも、原理において適切でないものは、それからの演繹や論究によっても正しくなりえないからです。ちょうど同じように、スピノザや一般にすべての独断論は行っています。これは「第一の虚偽(πρωτον ψευδος)」(訳注4)です。
 絶対的なものが、何かある形式のもとに存在するとすれば、それは絶対的なものではないでしょう。
[・] では、どこから形式が――むろんという形式です。この量だということについても、私は貴方に同意します(訳注5)――、つまり絶対的なものが現象するところの形式が、来るのかということ、
[・] いったいこの形式は、もともとどこに存在するのかということ、
[・] あるいはまた、どのようにして 1 つのものがまず無限なものに、次に多様なものの全体性になるのかということ、
これらの問いを、完成しようとしている思弁は解かねばならないのですが、貴方はこれらの問いを、必然的に無視せざるをえないのです。というのも、貴方はこれらの [量、1、無限、総体といった] 形式を、すでに絶対的なものにおいて、また絶対的なものと同時に見いだすためです。
 さてここに、したがって貴方が貴方の新しい体系によって自分に対して閉ざしてしまった領域に、そして今や確かにこうも言えましょうが、貴方が決して知ることのなかった領域に、知識学の観念論およびカントの観念論が存するのです。しかしそこは、貴方がこれらの観念論を位置させている下方深くでは、決してないのです。

 貴方が看過するわけにはいかないこうした点を、よく考えていただければ、そして同時に、どうしてこうした点を見落としてしまったのかということも、よく考えていただければ(つまりそれは貴方が、絶対的なものにご自分の考えるがまま直接に――自分の考えに注意を払わずに、またご自分の考えがその内在的な法則にしたがい貴方には自覚させることなく、絶対的なものを形成したのかもしれないということに注意を払うこともなく――到達したからなのですが)、そうすれば、貴方は真の観念論をすぐにも知ることになるでしょうし、どうして私をずっと誤解しているのかも分かることでしょう。
   -----------------------------------------------------------
 これに触れることは私にはつらいことですが、貴方のお手紙にはさらに第 2 部があります。どうして貴方は、人の感情を害することなく、自分の考えを伝えられないのでしょうか。また、貴方に対している人を卑劣feige)だとか陰険falsch)だとか、思いたがるのでしょう。
 一度私の立場になって、考えてみてもください。私が「誰も、まったく誰も私を理解しなかったようである」と、[知識学の新しい叙述の予告広告で] 表明せざるをえなかったとき(原注1)、貴方に関して私はどう振るまうべきだったというのですか。貴方がまるで存在していないかのような、何も著述していないかのようなふりを、私はすべきだったのでしょうか。むろん後になっては、そうすれば一番よかったのだろうと、分かりましたが(訳注6)
 けれども、親愛なるシェリング、私は当時は貴方の敏感な感受性や、本当の気持ちを――これは私のためにならないように、誰かが貴方に吹き込んだものでしょうが、ぬぐいがたいようです――、まだ知らなかったのです。後になって、貴方がそれを分からせてくれたわけです。実際私は、この件ではあのように対処するのがもっとも友情のこもった仕方だと、考えたのでした。――
 私はむろん、貴方が『超越論的観念論 [の体系]』において(私が入手していた貴方の著作のうちでは、これが当時の貴方の最新のものでした)、超越論的観念論を――つまり、カントと私の著作で世間に公表された、唯一可能な観念論を(訳注7)――叙述しようとしていると、思わざるをえませんでした。そしてまた、貴方がこの超越的観念論を把握していなかったことは――また今なお把握してはいず、貴方が取る道においては将来も決して把握しないであろうことは――、明白でした。
 「私 [フィヒテ] があのことを(訳注8)読者に対し言ったときには、貴方 [シェリング] が私とはまったく違う目標を持っていたことを、私は自分で知っていた」(訳注9)ですって。そんなばかな。いったいいつから、私はこのことを知っていたというのですか。その上、貴方は新著『[私の哲学体系の] 叙述』の序文で、「私たちは、ある地点で出会うかもしれない」と、断言しているではありませんか(訳注10)、また、前記の [貴方が引用した] 文の書かれている貴方の手紙においてすら(訳注11)、そのように断言しているのです。

 その上貴方は今や、ニコライ的な解釈の責任まで、私に負わそうとしているのです!(訳注12) ニコライの輩は、彼らのもくろみが成功しているのを見たら、大喜びすることでしょう。

 私たちの相違を公に言葉にすることを、なぜ私が望まなかったのかということについては、貴方が私に当てつけた理由(訳注13)――相違を言葉にすることが私にとって都合のいい時まで、私が待ちたかったという(訳注13)――以外にも、なお別の理由がいくつか考えられるのかもしれません。私は貴方がよく考えられることを願ったのでしたが――実のところ、今もなおそのように願っているのです――、そのようになれば、私たちの間での公然の論争から疑いもなく生じるであろう立腹や紛糾が、避けられるでしょう。また貴方のような傑出した頭の持ち主が、私が正しいと思うことのために [やがて活動するべく] 守られていることができるでしょう。
 ところで、貴方がしたいことを、たとえば私への友情あるいはいたわりから、貴方はしないでおくべきだと、私が考えたことは決してありません。が、私自身としては、私たちの相違が除かれえるときにはそれが除かれるまでは、あるいは、貴方が [私への] 攻撃によって私に強いるまでは、貴方に公の場ではまったく触れないことを、固く決心しました。そして、後者の場合には、むろんのこと、貴方の才能への敬意や私たちのかつての友人関係にふさわしいように、私は振るまうでしょう。

 貴方と文通を続けることは、私にはたいへん望ましいことではあるのですが、それは貴方が個人的な侮辱を控える用意があるという、条件下においてのみです。私が貴方の [手紙に書かれた宛名の] 筆跡と [封緘(ふうかん)の] 印章を見るとき――これらは、かつて私に喜びをもたらしたのですが――、[貴方の] 辛辣な言葉に備えて自分を武装せねばならないといったことを、貴方も望んではおられないと思います。

                                            フィヒテ

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(原注1)この箇所は疑いもなく、フィヒテが行った「知識学の新しい叙述の予告広告」での、シェリングへの言及に関係している。この予告広告が、以前の手紙では問題となっていた。

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(訳注c)/(訳注1) 1856 年版では、日付は「15日」となっていますが、『アカデミー版フィヒテ全集 III,5』では、日付は記載されておらず、編集者注として、「日付は欠落している。この手紙はようやくのこと・・・[1802 年 1 月 15 日付の] 手紙と共に発送された」とあります。拙訳では、『アカデミー版』に従っておきます。

(訳注2) この原文は 1856 年版では、
 . . . und -- denn diess würde dann der Fall sein -- . . .
 「・・・また――その場合には、このような事態となるのでしょうが――・・・」
となっています。
 しかし、『アカデミー版フィヒテ全集 III,5』では引用文中の dann (その場合には)がない文章になっています(訳は、「そして――このような事態だということなのでしょうが――・・・」)。
 訳者は、やはり最新のアカデミー版に準拠して、dann がない文章として訳出しました。が、冒頭の und (そして)によって、たとえ dann がなくても前文の内容をふまえていると考えるべきでしょう。
 なお、アカデミー版の方の誤植という可能性もあることはあります。この巻(III,5)の誤植一覧表は、次巻(III, 6)の巻末に記載されていることは知っているのですが・・・年末の急な出費(300 €)は・・・えっ、馬や田畑を売り払い、「妻臥病牀兒泣飢」の世界にワープしろと?

(訳注3) この文は、シェリングの前便(1801-10-3 付)の冒頭部分への応答です。

(訳注4) ラテン語表記では:proton pseudos (プロトン・プセウドス)。すなわち、正しくない一連の推論で、最初に起きた誤り。
 なお、1856年版ではこの πρωτον ψευδος の後に、desselben の語がありますが、『アカデミー版フィヒテ全集 III,5』ではありません。拙訳では、後者に従っています。
 
(訳注5) 量という概念は、フィヒテの『全知識学の基礎』(1794 年)においては、早々と登場します(第 3 章, B, 8. SW 版では、第 I 巻, 108 ページ)。したがって、絶対的なものを量の面から規定していくことについては、フィヒテに異存はないはずです。

(訳注6) 「後になって」とは、シェリングの前便(1801-10-3 付)で抗議を受けた後ではという意味です。
 蛇足ながら、『アカデミー版フィヒテ全集 III, 5』のこのフィヒテの手紙の箇所には、当時のシェリングの肖像スケッチが掲載されています。童顔のワルガキ風で、外見で人を判断してはいけないというか、誤解されそうなタイプというか、おかしくもあり、ちょっと形容に困りながらも注視してしまいます・・・(危険をおかして再録! 哲学万歳!)。

(訳注7) 原文は:
 . . . transzendentalen Idealismus –- den einzig möglichen nämlich, der in Kants, und in meinen Schriften vor den Augen der Welt lag –- . . .

 率直に訳すと、本文での拙訳になると思います。しかし、フィヒテの文意は:
  . . . transzendentalen Idealismus –- der in der Weise einzig möglich ist, dass der in Kants, und in meinen Schriften vor den Augen der Welt lag –- . . .
 「・・・超越論的観念論を――カントと私の著作において世間に公表された在り方でのみ、唯一可能な超越論的観念論を――・・・」だと、見るべきでしょう。

(訳注8) 前述の予告広告で、フィヒテが「才気溢れる私の協力者、シェリング教授が・・・」と書いたことを指します。

(訳注9) これは、シェリングの前便(1801-10- 3 付)のこの部分を、引用しています。

(訳注10) シェリング著『私の哲学体系の叙述』(1801 年)の序文の以下の箇所を、フィヒテは念頭に置いたと思われますが、その内容はフィヒテが述べているものとは少し異なります:
 「私の確信するところでは、私たち [シェリングとフィヒテ] が今後一致することは不可能である。けれども今はまだ、同様に私の確信によれば、そのような地点にたち至ってはいない」。(『オリジナル版全集』第 I 部、第 4 巻、110 ページ)

(訳注11) これは、シェリングの前便(1801 年 10 月 3 日付)のこの部分を指します。

(訳注12) ニコライ(Christoph Friedrich Nicolai, 1733 - 1811)は、ベルリン在住の著述家・本屋・出版業者のようです(『アカデミー版フィヒテ全集 III,5』の人名索引)。フィヒテは、『フリードリヒ・ニコライの生活と奇妙な見解(Fr. Nicolai's Leben und sonderbare Meinungen)』(1801 年)を、著しています。
 なお、「ニコライ的な(Nicolaitische)解釈」というのは、正確には「ニコライに類する人がしている解釈」です。つまり、固有名詞 Nicolai に、「人」を意味する男性名詞をつくる (i)t が付き、さらに形容詞化する isch が付加しています。(同様な例としては、Kosmopolitisch

(訳注13) この箇所は、1856 年版では以下のようになっています:
 . . . außer dem Grunde, den Sie mir unterliegen, dass . . .
 しかし、『アカデミー版フィヒテ全集 III, 5』では、上記の den Sie mir unterliegen 「貴方が私に当てつけた」がありません。

(訳注14) これは、シェリングの前便のこの部分を引用しています。

(初出 2012.11.29)
(目次)

1802-1-15 フィヒテからシェリングへ (121 - 125 / III,5, 111 - 113 ページ)

  ・・・
 私たちの間の学問上の相違をこの手紙で触れることには、ほかに仕方がないとはいえ――ここに同封した私の前の手紙(訳注1)では [触れていますが]――、心を騒がせるものがあります。貴方は、前の手紙で私が線を引いた箇所を――そうならないためにこそ、線を引いたのですが(訳注2)――むろんまじめに取り合わないかもしれません。
 貴方の雑誌の第 1 号(Heft)の多くの箇所で(訳注3)、貴方は、「すべての量や関係は、絶対的なものにはまったく属さない」と表明しています。ところが実際に貴方は、私の手紙で引きあいにだした箇所を書き記しているのですし(訳注4)、また貴方の最新著『[私の哲学体系の] 叙述』でも、たしかに同様なことをかなりはっきりと述べています。――そして、付け加えて言いますと、そうであらざるをえないのです―― [。] 貴方が [主張する] 存在と知そのものも、また関係のうちにあります。そして貴方がこの両者について知り、語るからには、貴方は両者をより高いものによって説明しなければなりません。このより高いものについても、貴方はまさしく知らなねならないのです。
 そして貴方の体系もまた、絶対的なものとの関係においてはたんに消極的negativ)なのです。ちょうど貴方が私の体系を、貴方の理解にしたがって、消極的だと咎めているように。それに貴方の体系は、まさに根本的反省GrundReflex)にまでは高まっていません。それだから貴方は思っているのです、私の体系が――まさに私がカントの体系について言ったように――、反省の立場に留まったままであると。

 相関的なrelatives [A] (訳注5)、 [つまり、相対されている] 存在 [B] の対-項Nebenglied)があります。――この相関的な知の下(もと)には、むろんまた別の存在 [C] があります。さて、貴方は私の知識学をつねにこの [相関的な] の観点において見ていたのです。この知の対-項は、最高の、まさにそれゆえに絶対的な存在 [B] です――存在だと、私は言います。
 いまや知識学を越えて、この存在 [B] を把握するにいたったと、貴方は考えています。そして、貴方は対-項どうし [A と B] を統一するのですが、洞察によって実質的にmaterialiter)ではなく、形式的にformaliter)統一 [D] するのです。なぜなら、体系が統一を必要とするからです。[すなわちこれは、] 直観によるのではなく(直観なら、なにか積極的なものを与えてくれるのでしょうが)、思考による(思考が要請するのは、たんに関係です)、知と存在の消極的な同一性すなわち不相違への統一であり、無差別点への統一、等々なのです。
 しかしさし当り、例えば貴方が立てようとしている最も絶対的な存在 [D] を、つづいて考察してみて下さい。すると、この最も絶対的存在のうちに、合成の明らかな徴(しるし)を、貴方は見出します。この合成は当然のことながら、分離無くしては生じえなかったものです。そこで貴方はまったく正しくも、この [最も絶対的] 存在から(相関的な)知 [A] を、そしてまたこの知から、存在 [C] を導出します。相関的な知のうちにも、同じもの [=合成の徴?] を貴方は見出すのです。
 したがって貴方の立脚点(Punkt)は、相関的な知における立脚点――貴方が知識学に帰しているところの立脚点です――より、なるほど高いところにあります。相関的な知の立脚点が 3 番目だとすれば、貴方の立脚点は 2 番目です。しかし、これよりなお高い地点 [E] があるのです(訳注6)。この立脚点において初めて、まさしく存在 [F] とその対-項である知 [G] が分離されもすれば、また合成されもするのです。この地点も、まさしく知です(ただ、何かについての知ではなく絶対的な知です)。そして、知識学はつねにこの地点に立ってきたのであり、それゆえに知識学はまさしく超越論的観念論なのです。この地点を、知識学はとくに自我という表現でもって(この自我のうちで、初めて自我――むろん相対的自我です――と非我が分離されます)、示しました。
 このことを、私は以前の手紙(訳注7)でも気付いてもらおうとしたのです。その手紙で私は、<絶対的なものは(むろん哲学においての)、見ることSehen)であることにつねに変わりはない>、と言いました(訳注8)。貴方は、<絶対的なものは、何ものかについて見ることではありえない>、と答えたのでした。これはまさしくその通りなのであり、私も錯覚していたのではありません(訳注9)。こうしてこの問題は、そのままにならざるをえませんでした――
 スピノザについては、事態はこうです:「はすなわち一切(より正確に言えば、無限です。ここには、全体はないのですから)であり、また逆でもある [一切即一] 」。これはまったくその通りです。しかし、いかにして一が一切に、また一切が一になるのかということを――一と一切の移行点・転換点・実在的な同一点を――、彼は語ることができないのです。だから彼は、一切によって把握するときには一を失い、一を捉えようとするときには一切を失ったのです。
 それだから彼は、絶対的なものの 2 つの根本形態である存在と思考をも、証明することもなく設定するのです。ちょうど貴方も――知識学によって根拠づけられることなく――していますように。しかし、私にはもともと明らかだと思われるのですが、絶対的なものは、ただ 1 つの絶対的な――すなわち多様性ということについては、まったくもってただ 1 つの、単純な、自らと永遠に等しい――外化Äußerung)を、持ちえるだけなのです。そしてこれが、まさに絶対的な知です(訳注10)
 そして、絶対的なものそれ自体は、存在ではなく、知でもなく、またこれら 両者の同一性ないしは無差別でもありません。絶対的なものとは、まさしく――絶対的なものなのであり、それ以上の言葉はすべて「悪より来るのです」(訳注11)

 さて、むろんこのことから帰結するのは、貴方が知識学において見出したところの超越論的観念論や、貴方の著作で叙述した超越論的観念論は、そもそもが形式主義であり、一面的であって、たかだかよろしくない構想のもとに抽象化された、知識学の断片にすぎないということです。そこで、自然哲学なるものは哲学の一方の極(ein besonder Pol, 一方の中心)などではなく、たんに哲学の一部分なのです。また、自然哲学をこのように考えるとすれば、この哲学に対するのは観念論などではなく(というのは、観念論のただ中に自然哲学があるのですから)、たんに倫理学、すなわち英知的存在についての学説なのです。

 [・] このような大まかな示唆が、貴方の注意を引くにはまったく値しないわけではないと思われるのでしたら、
[・] あるいはまた、私に関する好意的なご意見を――貴方が私自身に認められたことですが、(私のこの遅鈍さは別にして)私は以前まともなことを言っていたようであり、現在は1年間の自由な仕事や研究をむだにしたわけでもないとのご意見を――、いささかなりとも心に留めておられるのでしたら、
私の新しい『[知識学の] 叙述』が復活祭に出版されるまでは、貴方もヘーゲルもこの論争点に関してはこれ以上騒ぎをおこすことなく、それによって誤解(私の思うところでは)も重ねないでほしいと、私は願っているのです。・・・

------------------------------------------------
(訳注1) フィヒテの前便(1801 年 10 月とだけあり、日付がないもの。ただし、1856 年版では 15 日の日付が付いています)は、投函されずにそのまま取っておかれ、結局この1802 年 1 月 15 日付の手紙に同封されました。

(訳注2) フィヒテの前便で線を付された箇所は、『アカデミー版フィヒテ全集 III,5』の編集者注 34 (S. 111)と編集者注 d (S. 91) によれば、以下の文です:

 「確かにこのことを、貴方は主張しています。そしてまさにこの故に、私は貴方の体系に誤りを見いだしたのです。そして、この体系の『叙述』を傍らへと押しやったのです――というのも、原理において適切でないものは、[それからの] 演繹や論究によっても正しくなりえないからです。ちょうど同じように、スピノザや一般にすべての独断論は行います。そしてこれは「第一の虚偽(πρωτον ψευδος)」です。絶対的なものが、何かある形式のもとに存在するとすれば、それは絶対的なものではないでしょう。
[・] では、どこから形式が――しかも量という形式です。この [量だという] ことについても、私は貴方に同意します(訳注4)――、つまり絶対的なものが現象するところの形式が、来るのかということ、
[・] いったいこの形式は、もともとどこに存在するのかということ、
[・] あるいはまた、どのようにして 1 つのものがまず無限なものに、次に多様なものの総体になるのかということ」

(訳注3)この雑誌は、「哲学批判雑誌Kritisches Journal der Philosophie)」(1802 - 1803 年)です。
 『アカデミー版フィヒテ全集 III,5』の編集者注 35 (S. 111) によれば、フィヒテはシェリングの論文「絶対的同一性の体系について。またこの体系と、最近の(ラインホルトの)二元論との関係について。」(「哲学批判雑誌」の第 1 巻、第 1 号)を、念頭に置いているようです。

(訳注4)つまり、フィヒテはここで、シェリングは<絶対的なものは、量的な差異のもとに存在する>と実際に書いている、と言っています。
 なお、「私の手紙」とは、今回の 1802 年1月15日の手紙に同封された、1801 年 10 月(日付はなし。ただし 1856 年版では 15 日付)の手紙だと思います。といいますのは、今回の手紙の少し前の箇所で、同封された手紙の「線を引いた箇所」にフィヒテは言及していましたので、フィヒテの念頭にはこの同封された手紙があったのでしょう。
 また、「引きあいにだした箇所」とは、フィヒテが「線を引いた箇所」の直前に書かれている以下のことでしょう:
 「『絶対的なものは・・・量的な差異のもとに存在する』と、貴方 [シェリング] は『[私の哲学体系の] 叙述』で主張していると、貴方は言います。」

 しかし、『アカデミー版全集 III,5』の編集者注 36 (S. 111) では、前記の「私の手紙」とは、1801/5/31 – 8/7 の手紙だとしています。編集者は、この手紙の「貴方 [シェリング] がこの<規定されていること>を・・・、[これと] 対向している(gegenüberliegend)規定されえるものの量として措定するならば、より多くでもなければ少なくでもない、まさにこの量が [規定されているものとして] 区分されたことの実在的根拠は、すべての [個別的な] 意識の外にあるのです」の箇所を目して、そのように考えたのかもしれませんが、問題の今の箇所とは関連性が弱いようです。

(訳注5) この後の本文では、フィヒテの視点から見た、シェリングのさまざまな知と存在が登場します。以下にまとめて図示します。また、本文と図との対応を分かりやすくするため、記号 [A] ~ [D] を付けました(マイクロソフトのインターネットブラウザ IE 9 で、拡大率 100 パーセントでないと、図の罫線がずれるようです):
                                    ┌
               ┌相関的な知 [A](=知識学)―|
 形式的な統一 [D] ―│                    └存在 [C] 
    ||          └最高の絶対的存在 [B, シェリングの自然?]
 最も絶対的な存在

(訳注6)以下の図式は、フィヒテが主張する知の図式です(マイクロソフトのインターネットブラウザ IE 9 で、拡大率 100 パーセントでないと、図の罫線がずれるようです):
                        
                          ┌知・相対的自我 [G]
 なお高い地点 [E](=知識学、自我)―│            
    ||                      └存在 [F]・非我
 絶対的な知

(訳注7)フィヒテの 1801-5-31/8-7 付の手紙です。

(訳注8)これに該当するのは、以下の箇所だと思われます:
 「存在から(思考そのものが関係づけられるところのものすべてが、またこのことから、実在的根拠が適用されるところのものすべてが、存在です。たとえ理性と呼ばれるものであっても)出発することはできず、見ることSehen)から出発すべきです」。

(訳注9) 1856 年版の原文は(S. 124, Z. 5-6):
 ich auch nicht verneinte,(私も否定はしませんでした)

 しかし、『アカデミー版フィヒテ全集 III,5』では(S. 112, Z. 21-22):
 ich auch nicht vermeinte;(私も錯覚していたのではありません)

 verneintevermeinte の違いです。内容的には verneinte の方が、しっくりくると思うのですが、校訂がしっかりしている最新の『アカデミー版全集』に、したがっておきます。

(訳注10)『アカデミー版フィヒテ全集 III,5』(S. 113, Anm. l')によれば、手紙の欄外にはシェリングによって、次のメモが書かれているようです:
 Selbstäußerung <Tätigk. setzen nur in S. sich.>

 意味は、「自己外化 <活動 [すなわち] ただ S の内で自らを措定>」といったものでしょう。S としては、Subjekt (主観)、Substanz (実体)、Selbst (自己)などが考えられます。

(訳注11)原文は:
 . . . und jedes Zweite Wort ist vom Übel.

 相良守峯『大独和辞典』の Übel の項目に、「. . . was darüber ist, das ist vom Übel それ以上に出ることは、悪から来るのである(マタイ伝の 5 の 37)」という用例があります。


1802-1-25 シェリングからフィヒテへ (128 / 116 ページ)

 ・・・
 貴方が今回のお手紙 [1802-1-15 付] に同封してくださった、私にはお出しにならなかった返答 [の手紙(1801-10 付)] の中に書かれている最初の議論、つまり、私の考える絶対的なものの、量的なことに関する議論(訳注1)よりも――
[なお、] この量について [の貴方の意見] は、決して私の『[私の哲学体系の]叙述』の第25節からではなく(この節を見ていただければと思います)、貴方が私の手紙 [1801-10-3 付] の中の双対文(訳注2)の後半を、見落としたことから生じたのです。この双対文は、「この絶対的なものは、個別的なものにおいては、量的な差異という形式のもとで存在(現象)します。そして全体においては、量的な無差別という形式のもとで存在するのです」となっています――(訳注3)
この議論よりも、むろん私に微笑を禁じえなくさせたのは、まさに前述の通知(訳注4)の中に、同じ前提が――私 [シェリング] は「都合よくも、絶対的なものを量の諸形式のうちに存在させている」という前提が――、私への反論の主要な論拠として、都合よくもまた使われていたことでした。とはいえ、この通知の最後で、貴方の [私への] 直接なご発言「私たちは、事柄についてはかなり一致しているようです」(訳注5)を、間接的に確認する手がかりを見出したのは、私の喜びとするところです。
 ・・・

------------------------------------------------
(訳注1) シェリングが念頭においているのは、フィヒテの 1801-10 付の手紙による以下の主張です:
 「私たちの相違点は、かいつまんで次のように言えます:
 『絶対的なものは・・・量的な差異のもとに存在すると・・・『[私の哲学体系の] 叙述』で主張している』と、貴方 [シェリング] は言われます。むろん貴方は、このことを主張しています。そしてまさにその故に、私は貴方の体系は誤りだと思ったのです。・・・絶対的なものが、何かある形式のもとに存在するとすれば、それは絶対的なものではないでしょう」。

(訳注2) 双対文(Periode)とは、「幾つもの文節から成り終止符で終る複雑な文。特に 1 文中の前後の段落が各複合文から成る複雑複合文」だそうです。(相良守峯『大独和辞典』)
 ただ、相良守峯『大独和辞典』や小学館『独和大辞典 第 2 版』では、Periodeは女性名詞なのですが、シェリングは男性ないし中性名詞で使っています。名詞の性は、時代や地域によって変わることもあるといいますから、神経質になる必要はないとは思うのですが。

(訳注3) したがって、「双対文の後半」は以下の部分です:
 「(この絶対的なものは、)全体においては、量的な無差別という形式のもとで存在するのです」。

(訳注4) フィヒテからシャート(Schad、Johann Baptist)への手紙(1801-12-29 付)を指します。

(訳注5) フィヒテの原文とはすこし言辞が異なりますが、シェリングへの手紙(1801-5-31 付)の中の文言です。なお、フィヒテのこの文言を、シェリングは 1801-10-3 付の手紙でも、全く同じ文句で引用しています。→こちらを参照。


   エピローグ

 シェリングは 2 人の文通(そして交友)の最後となった手紙(1802-1-25 付)の末尾で、「私は今もなお、貴方にこの春個人的にご挨拶申しあげたいと、考えております(訳注1)」 と、書いたのでした。そして、『アカデミー版フィヒテ全集 III,5』の編集者注 14 (117 ページ)によれば:
 「シェリングは 1802 年 5 月に、2 週間 [フィヒテのいる] ベルリンに赴いた。彼はそこで、フィヒテに会ったようである。このことについて、ジャン・パウル(Jean Paul)の F. H. ヤコービ(Jacobi)宛の 1802-8-13 付手紙は、以下のように書いている:『被造物 <シェリング> が彼の創造者(フィヒテ)を食うのです・・・フィヒテとシェリングはすぐにお互いに腹を立て、ドレスデン(あるいはベルリン)で別れました』」。(< > と( )の部分は原文)

 何とも後味の悪い結果になったようです。訳者としては、コメントのしようもありません。

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(訳注1) シェリングはイェナ大学に勤めており、冬学期の終わる春が来ないことには、休暇が取れません。


  この『往復書簡集』について  

 フィヒテとシェリング両者の哲学の相違やその是非を知ろうとするものにとっては、2 人の往復書簡は絶好の資料といえます。書簡中には、両者直接の哲学的主張・反論も交わされています。そこで、この『往復書簡集』の中でも特に哲学的議論の部分を、訳出することにした次第です。

 なお拙訳が、『フィヒテ-シェリング往復書簡』(座小田豊/後藤嘉也訳、法政大学出版局、1990 年 5 月初版)とは異なっている部分につきましては、その理由を拙サイトで述べています。

 ところで、証拠文献となるものはおそらくないでしょうが、この『書簡集』を読むさいに心に留めておきたいことが、2 つあります。
(1) フィヒテとシェリング両者とも、これらの書簡は後世の人の目に触れるだろうと、予期していたと思われます。フィヒテは自らを、カント以降で最も重要な哲学者と見なしていたはずです。シェリングも自らの自然哲学および絶対的観念論の画期性、そして哲学史における位置を確信していたでしょう。 そのような 2 人の間での書簡で、しかも哲学論争ということですから、後世を意識しない方が不自然です。

(2) シェリングはフィヒテからの手紙を、イェナ大学での同僚(というより、部下?)であったヘーゲルに見せ、意見交換も(暗示的なものも含めて)していたと思います。
 シェリングとヘーゲルは、ともにテュービンゲン大学で学生生活をおくり、ヘルダーリンなども加わった一種の精神共同体を形成していました。卒業後に 2 人はいったん別れますが、文通は続けていました。やがて、シェリングの引きでヘーゲルは、1801 年にイェナ大学の私講師になります。同年の 10 月には、ヘーゲルは『フィヒテとシェリングの哲学体系の相違』を公刊し、シェリングへの援護射撃を行っています。翌 1802 年、 2 人は共同して哲学雑誌を創刊します。
 このような 2 人の関係からすれば、シェリングはフィヒテから受け取った手紙の内容を、ヘーゲルに知らせていた、あるいは手紙そのものを見せていた――おそらく出した手紙も――、と考えるのが自然です。もしそうであれば、シェリングが『フィヒテとシェリングの哲学体系の相違』の著者を、「大変すぐれた頭脳(einem sehr vorzüglichen Kopf)」だと形容したのは、ヘーゲルへのサービスでもあったのでしょう(1801 年 10 月 3 日付の手紙)。
 おそらく 2 人の手紙を見せられたヘーゲルは、表面はどう装ったにせよ、最前線の戦場に立った思いだったことでしょう。問題になっている諸論点を、頭に叩き込んだ(あるいは、貪欲に吸収した)はずです。
 ちなみに、ヘーゲルの体系での端緒は、絶対的なものの直接的な存在ですが、絶対的なものが端的に対象となることで、シェリングのフィヒテ批判を免れ、直接性において存在することで明証性を確保できたことによって、フィヒテのシェリング批判を免れています。
 (むろん、このような論争上の優劣は、哲学自体が偉大であるかどうかには直接は――あるいは後世からみれば、全然――関係がありません。毎度持ちだして恐縮ですが、プラトンや孔子は数限りなく否定されましたが今もって読まれ、否定した人のほとんどは歴史の波間に消えてしまいました)。

 なお、シェリングは自分が書いた手紙を、少なくともかんじんな個所はコピーしていたと思われます。(これは当然と言えば当然で、少壮気鋭、「きっちり片を付けさせてもらいます」といった啖呵の一つも切りそうなシェリングですから、人と論争するときには、自分が何を言ったかを正確に把握しようとするでしょう。)
 フィヒテのシェリング宛手紙(1801-5-31/8-7 付)中の文言が、シェリングの 2 通のフィヒテ宛手紙で、すこし言辞を変えられて引用されているのですが、2 通ともまったく同じ文句なのです。これは、2 回目の引用時に最初の引用のコピーがないと、むつかしいことでしょう。これら 3 つは、以下のようになっています:

・フィヒテの原文(1801-5-31/8-7 付の手紙):
 . . . möchten wir wohl in Absicht der Sachen suf dasselbe hinauskommen, . . .
 「私たちは事柄(Sachen)に関しては帰するところが同じなのでしょう」
 (1856年版では 83 ページ。『アカデミー版フィヒテ全集 III,5』では 45 ページ。)

・シェリングの 1 回目の引用(1801-10-3 付の手紙):
 . . . wir möchten wohl, was die Sachen betrifft, ziemlich einig sein; . . .
 「私たちは、事柄についてはかなり一致しているようです」
 (1856年版では 96 - 97 ページ。『アカデミー版フィヒテ全集 III,5』では 82 ページ。)

・シェリングの 2 回目の引用(1802-1-25 付の手紙):
 Wir möchten wohl, was die Sachen betrifft, ziemlich einig sein.
 「私たちは、事柄についてはかなり一致しているようです」
 (1856年版では 128 ページ。『アカデミー版フィヒテ全集 III,5』では 116 ページ。)
(目次)

  この『往復書簡集』のテキストについて

 テキストは最初、Nabu Public Domain Reprints による Johann Gottlieb FichteFichtes und Schellings philosophischer Briefwechsel を用い、訳出しました。
   この本は、もともとは 1856 年に両哲学者のそれぞれの子息が共同して出版した本を、グーグルがスキャンしてインターネット上に画像として展示し、それをペーパバックにしたものです。ドイツ文字で書かれています。アマゾンで、安価に入手することが可能です。
 インターネット上のものの閲覧については、URL は非常に長く、また変わるかもしれないので省略させていただきますが、Fichtes und Schellings Philosophischer Briefwechsel で検索すると、簡単に出てきます。
 なお、前記原文テキストとインターネット上の画像は、ページによって一方が読みやすかったり、他方がであったりします。したがって、両方あるに越したことはありません。
 しかし、この両子息の 1856 年版は、訳者の気付いた範囲においても(そして後で『アカデミー版全集 III,4, 5』と比較した範囲で)、多くの箇所で不備があるようです。

 そこで後から、訳出した範囲内を上記の『アカデミー版全集』によって見直し、適宜修正をしました。
(目次)

  凡 例 

・対象とした前記テキスト中の訳文は、哲学的議論の場面に限っています。すなわち、1800年11月15日付の書簡(フィヒテからシェリング宛)から、2人の文通の最後となった1802年1月25日付の書簡(シェリングからフィヒテ宛)での、該当する箇所です。

・この書簡集の表題を「往復書簡」とすれば、往復 1 回分の 2 通の書簡が思い浮かぶので、「往復書簡集」と題しています。なお、原文の Briefwechsel は単数形ですが、これは Wechsel がふつう単数形で使われるためです。

・原文で隔字体になっている強調語句は、訳文では太字語句(引用のドイツ語ではイタリック体)にしました。

・引用した原文ドイツ語の綴りは、現在の正書法に直しています。

・原文では段落分けをしていない箇所でも、訳文は読みやすさを考えて、新段落にしました。したがって、文章をどこで切って新段落にするかという判断には、訳者の解釈が入っています。
 なお、原文で段落分けをしている箇所は、訳文では1行空けて新段落としています。

・原文にはダッシュ(――)がない場合でも、翻訳での便宜上、文を挿入する場合などには、ダッシュを用いました。

各書簡のタイトルに付けられたページ数左側は――例えば、「・1801-5-24 シェリングからフィヒテへ (74 - 79 / III,5, 39 - 42 ページ)」中の「74 - 79」――、上記 1856 年版のページ数です。
 また、ページ数の右側のイタリック体は――前記の例では「III,5, 39 - 42」――、『アカデミー版フィヒテ全集』でのページ数です。前記の例では、「第 III 部、5 巻の 39 から 42 ページ」を指しています。

・「原注」というのは、1856 年 の初版に付けられている注です。

[  ] の部分は訳者の挿入です。

小さい「=」について:
 『アカデミー版フィヒテ全集 III』の原文では、「A かつ B」ないし「A にして B」を表すために、「A=B」 と書かれ、「=」の記号(1856 年版では、右上がりの「=」)が使われています。拙訳では原文のニュアンスを残すために、この記号は「かつ」などとは訳さず、「=」のままにしています。
 例: dem ideal=realen → 観念的=実在的なもの
    das Subjekt=Objekt → 主観=客観
 (1) なおこの「=」が、その左右の A, B 両者の対立を表すのではなく、「かつ(~にして~)」という意味での一体化であることは、フィヒテが「dem ideal=realen, realidealen」と書いていることからも分かります(1800 年 11 月 15 日付のシェリング宛手紙。『アカデミー版フィヒテ全集 III, 4』では 360 ページ)。
 なるほど、1856 年版の当該の箇所(54 ページ)では「dem idealrealen, realidealen」となっており、「=」はありません。しかし、シェリングがこのフィヒテの語句を受けて、返信では「ideal=real」の語を用いていることから、「=」が 2 人のあいだで「かつ」として使われていたことは、明らかでしょう(1800 年 11 月 19 日付のフィヒテ宛手紙。1856 年版 58 ページ。『アカデミー版フィヒテ全集 III, 4』では 363 ページ)。

 (2) 注意すべきは、この「A=B」と以下の 2 つは、まったく意味が異なるということです:
   (i) 「A= und BC」 → 「AC と BC」を省略して書いたもの。
     例: . . . der Transzendental= und der NaturPhilosophie 超越論的哲学と自然哲学の・・・(1856 年版 54 ページ。『アカデミー版フィヒテ全集 III, 4』では 360 ページ)。
   (ii) (これまでの小さい「=」に対し)大きい「=」 → 「等しい」の意味。
     例: . . . dieses [Selbstbewusstsein] eben erst = Ich wird . . . ・・・自己意識はまさに初めて自我と等しくなる・・・(シェリングの1800 年 11 月 19 日付フィヒテ宛手紙。1856 年版 59 ページ。『アカデミー版フィヒテ全集 III, 4』では 363 ページ)。
(目次)
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