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シェリングの著作の訳

 シェリングのヘーゲル宛、最後の手紙(1807年11月2日付)(v. 4.3.)


  目 次 

 はじめに
 凡 例
I. 手紙の訳
II. 独語の原文
III. 原文の解釈


   はじめに

 ヘーゲルが、出版したばかりの『精神の現象学』をシェリングに送り、それへのシェリングの返信(1807年11月2日付)を最後に、2人は絶交状態となります。その意味でこの手紙は重要なのですが、意味の取りにくい表現が多く含まれ、誤訳で引用されている場合もあります。そこで以下に全訳しました。

 なお、この手紙中の 2 語が、2 人の絶交の原因をつくったと思われますが、その事についてはこちらをご覧ください。


   凡 例

・テキストとしては、Meiner 社の哲学文庫版 BRIEFE VON UND AN HEGELJ. Hoffmeister 編)が、入手しやすいと思います。
 というよりGoogle で "München, den 2. Nov. 1807." を検索すれば、全文が閲覧できるのでした。

・原文では段落分けをしていない箇所でも、訳文は読みやすさを考えて、途中で区切って新段落にしました。したがって、文章を区切った箇所の判断は、訳者によります。
 なお、原文で段落分けをしている箇所は、訳文では1行空けて新段落としています。

・ [  ] 内は、訳者の挿入です。


I. 手紙の訳

                              ミュンヘン、1807年11月2日

 ぼくが少し前に行った講演(*1)のコピーを、ここに同封する。このような折にふれての一般大衆向け講演が、どう評価されるべきかといった判断は [つまり、講演の価値評価は]、君の方でしてほしい。

 長い間、君には手紙を書いていなかった(*2)。この前の君からの手紙(*3)では、君の著書を送ってくれることを、君は約束していた。この著書を受け取った後(*4)、ぼくは君に返信する前に読んでおこうと思った。ところが、この夏にはいろいろな用事やもろもろのことがあったので、こうした著作を研究するのに必要な時間や落ち着きを、ぼくは得られなかった。だから今までに、序文しか読んでいない。
 君自身が序文の論争的な部分で述べている限りでは、ぼくがこの論争に係わるためにはあまりにも自分を――正しい自己評価になっている範囲内においてだが――軽んじなければならないだろう。だからこの論争は、君がぼくへの手紙で言っているように(*5)、ともあれ [シェリングの思想の] 乱用や [シェリングの] 模倣者に対して向けられたものなのだろう。もっとも序文そのものにおいては、この [シェリング本人と乱用・模倣者との] 区別がつけられてはいないが。こうしたものをいちど厄介払いすることができたら、ぼくがどんなにうれしいか、君にはよく分かるだろう。
 ぼくたちが、実際に異なる確信や見解をもっているかもしれない事柄については、お互いに妥協することなく簡単明瞭に見つけ出せようし、解決できるだろう。そして、すべてが調停されえるのだが――一つを除いては。
 そこで打ち明けると、君は概念を直観に対立させているが、その意味が今もってぼくには理解できない。概念ということで君が考えられるのは、君とぼくが理念と名づけたもの、それしかないはずだ。この理念の性質(Natur)は、理念がある面では概念であり、別の面では直観であるということだ(*6)

 すまないが、[他の人たちも] 読めるようにぼくの講演のコピーを、庶子のことも、伝えてほしい(*7)。この講演の出版部数は少なかったため、ぼく自身はあと 1 部しか持っていない。もう 1 部見つけることができれば、彼らにも送るのだが。

 では、お元気で。またすぐにも君の手紙を待っている。さようなら(*8)

                                 君の誠実な友、シェリング

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(*1) ミュンヘンで、1807 年 10 月 12 日のバイエルン国王命名日・祝祭にさいして行われた講演、『造形芸術の自然に対する関係について』を指します。「この記念公演はすばらしい成功をおさめ、シェリングの名声は高まっていった」といわれます(『世界の名著 フィヒテ シェリング』の編者・岩崎武雄氏の解説。中央公論社、1997年、55ページ。なお、岩崎氏は「皇帝命名日」と記していますが、これでは「ドイツ皇帝」の意味になってしまいます)。
 したがって、ここでのシェリングの言辞は謙遜したものになっていますが、貫録を示せる講演コピーではあります。

(*2) 前回のシェリングからヘーゲルへの手紙は、1807 年 3 月 22 日。

(*3) 1807 年 5 月 1 日付のヘーゲルからの手紙。

(*4) 『精神の現象学』を、ヘーゲルがいつシェリングに送ったのか、あるいはシェリングがいつ受けとったのかは、不明です。
 フールマンス(Horst Fuhrmans)が編纂(へんさん)した『F. W. J. シェリングの書簡と文書』(F. W. J. Schelling. Briefe und Dokumente)では、この手紙の編纂者注に、「添え書きを同封することなく? [ヘーゲルは送ったのであろうか]」、とあります。ヘーゲルからシェリングへの手紙や文書が、最後とされるもの(1807 年 5 月 1 日付)以降は見出されないために、フールマンスはこのような推測をしたと思われます。そこで、もし添え書きがあれば、おそらく日付が書かれるでしょうから、本を発送した日もだいたい分かり、受けとった日も推定できるはずですが、無いのですから、いっさいが不明です。
 しかしふつうに考えれば、4月上旬には『精神の現象学』の印刷が完成しているのですから(弘文堂『ヘーゲル事典』の「ヘーゲル詳細年譜」)、5 月中にはシェリングに送ったのではないかと思います。

(*5) 1807 年 5 月 1 日付の手紙の、以下の部分を指すと思われます。ここはヘーゲルも婉曲に注意深く書いていますので、直訳にします:
 「[『精神の現象学』の] 序文については、君 [シェリング] は次のようには思わないだろう:とりわけ君の [提示した] 諸形式をひじょうに損ない、君の学問を不毛な形式主義へと追いやった平板さに対し、ぼくがあまりにも好意的だったとは」。(Briefe von und an Hegel, Bd. I, hg. von J. Hoffmeister, 3. Auflage,1969, S. 162.)

 ここでヘーゲルは、シェリング本人の哲学を批判したことを告げています。シェリングがこの後書いているように、「ともあれ [シェリングの思想の] 乱用や [シェリングの] 模倣者に対して向けられたものなのだろう」とは、考えられません。ではなぜ、シェリングは上記のように書いたのか?
 やはりヘーゲルとの正面衝突を、とりあえずは避けたのだと思います――
・何といってもヘーゲルとは、長年の同志的な交友があります。
・ヘーゲルは前便(1807 年 5 月 1 日付)で、
 「ところで、君 [シェリング] には言う必要もないことだが、[『精神の現象学』の] 全体の数ページでも君が賛同してくれるなら、これはぼくにとっては、他の人たちが全体に満足する・しないということより、重要なのだ」(Briefe von und an Hegel, Bd. I, hg. von J. Hoffmeister, 3. Auflage,1969, S. 162.)
と書いており、ヘーゲルの方で決裂を望んでいるとはまだ思えません。
・ヘーゲルの苦境(ナポレオンの侵攻によるイェナ大学の閉鎖や、庶子の件など)はシェリングにも分かっていたでしょうから、同情心もあったことでしょう。

 そこで、ヘーゲルの自分への批判をわざと曲解して、彼に退路を残しておいたのだと思われます。しかし、これが「曲解」だと知っていることをすこし匂わせたのが、次の箇所でしょう:
 「もっとも序文そのものにおいては、[シェリング本人と乱用・模倣者との] 区別がつけられてはいないが」。
 (つまり、この辺がシェリングが馬鹿を演じきれないところというか、懐があまり深くはないのですね)。

(*6) このシェリングの「理念は概念であり、また直観でもある」との主張自体は、正しいと思われます。しかしこれは、2 人双方に問題を提起するといえます。
 ヘーゲルにとっては: 理念に対する、あるいは哲学における(知的)直観というものを認めますと、矛盾を克服しての知の発展という彼の方法論が、唯一・絶対的ではなくなります。むしろ、一挙に――といっても、ふだんの勉強や研究は必要でしょうが――対象や真理を把握する知的直観をなしえない人が、仕方なく苦労して歩む道ということにすら、なってしまいます。

 シェリングにとっては: 彼本来の見解は、「絶対的にして観念的なものを、絶対的にして実在的なものとしてまだ理解していない人を、このことを洞察できる地点にまでいろいろな仕方でつれて行くことはできる。しかし、この洞察自体はただ間接的に証明することはできても、直接にはできない。というのもこの洞察は、すべての立証(Demonstration)の根拠であり、原理だからである」(「緒論への付記」、S. W., II, S. 58)というものであり、したがって絶対的にして観念的なものは、知的直観で洞察しなければなりません。
 ところが、『精神の現象学』は、自然的・日常的な意識(客観的に見れば概念)が、自己矛盾による止揚・発展をとおして絶対的知(観念=実在)にまで高まりえることの「証明」だといえます。シェリングの前述の主張を否定する方法論が、取られているのです。

 なお、何らかの意味で概念と直観が同一だということは、フィヒテも主張しています:
 「観念的根拠と実在的根拠の同一性も、直観と思考の同一性と同様、提示されるべきです」。(1801年5月31日-8月7日付、フィヒテのシェリング宛手紙。『フィヒテとシェリングの、哲学的往復書簡集』 1856年版では、84 ページ)

 ところで私たちは、シェリングの知的直観とヘーゲルの矛盾を克服しながらの把握(彼のいわゆる概念的把握)を、どう考えるのか? この問題は、例えば仏教の「頓悟(とんご)・漸悟(ぜんご)」なども考慮に入れながら、視野を広げて扱わないと、生産的なものにはならないような気がします。「主観=客観」の見地に立ちつつ、知的直観と概念把握、頓悟と漸悟が同じく成立するのは、「世界=知」がいかなる構造になっているのかを、問う必要があります。その問いは、世界のメタ化の構造を問うことでもあります。

(*7) 原文は:
 Sei so gut, Dein Exemplar meiner Rede auch Liebeskinds zum Lesen mitzuteilen;

 挿入された auch Liebeskinds の語句を除けば、意味は、「すまないが、君に送ったぼくの講演のコピーを [他の人も] 読めるように、回してほしい」ということでしょう。
 ところが、auch Liebeskinds があるために、
 Sei so gut, Dein Exemplar Liebeskinds zum Lesen mitzuteilen
が、加わってきます(Liebeskinds は、1807 年 2 月に誕生したヘーゲルの庶子を指すとしか考えられません)。この場合 Dein Exemplar は、「ヘーゲルに送ったシェリングの講演のコピー」から、「庶子という君の [示した] お手本」に意味が変わります。そして、それを「文書で(zum Lesen)、(秘密を)打ち明けて(mitteilen. 相良守峯『大独和辞典』の mitteilen の項目 I, 1)ほしい」、という文意になります。

 ただし、フールマンス(Horst Fuhrmans)が編集した F. W. J. Schelling. Briefe und Dokumente (1975 年)では、問題の Liebeskinds が 2 格ではなく、語尾に s のない 4 格の Liebeskind になっています。
 この場合には、auch Liebeskind の挿入によって、
 Sei so gut, Dein Liebeskind zum Lesen mitzuteilen 「すまないが、君の庶子のことを文書でお披露目してほしい」
が加わることになり、 Exemplar の語の妙味はなくなります。
 しかし、おそらく語尾に s があるホフマイスター版が正しいのではないかと思います。といいますのは――
・フールマンス版はオリジナルの手紙を参照したのではなく(すでに紛失している?)、Plitt による最初の版と、ホフマイスター版(これは Plitt の版に基づく)に依拠しています。
・フールマンス版の Liebeskind の箇所には編集者注のようなものはなく、ホフマイスター版との相違が述べられていません。したがって、たんなる誤植の可能性があります。(1975 年出版のフールマンス版では、まだスキャナーによる自動読み取りは、欧文といえども利用できなかったと思われます。)

(*8) 「さようなら」の原文は、bleibe [mir] gewogen で決まった言い方です(相良守峯『大独和辞典』の gewogen の項目。なお、[mir] の挿入は、編集者のホフマイスター)。しかし、この言葉の文字通りの意味は、「私に好意をもち続けなさい」です。
 また、次の「君の誠実な友」も決まった言い方ですが、「誠実な(aufrichtig)」は、「率直な」という意味もあります。
 この bleibe [mir] gewogenaufrichtig という言葉が訣辞(けつじ)で使われているのは、シェリングからヘーゲルへの残存する手紙のうちでは、ここだけというのも興味深いものがあります。


II. 独語の原文

                            München, den 2. Nov. 1807.
 Ich schicke hier eine Rede, die vor einiger Zeit von mir gehalten worden. Du wirst sie beurteilen, wie solche Gelegenheitsreden, die für ein größeres Publikum berechnet sind, beurteilt sein wollen.
 Du hast lange keinen Brief von mir erhalten. In deinem letzten versprachst Du mir Dein Buch. Nachdem ich dieses erhalten, wollt’ ich lesen, eh ich Dir wieder schriebe. Allein die mancherlei Abhandlungen und Zerstreuungen dieses Sommers ließen mir weder die Zeit noch die Ruhe, die zum Studium eines solchen Werks erforderlich sind. Ich habe also bis jetzt nur die Vorrede gelesen. Inwiefern Du selbst des polemischen Teils derselben erwähnst, so müßte ich, bei dem gerechten Maß der eignen Meinung von mir selbst, doch zu gering von mir denken, um diese Polemik auf mich zu beziehen. Sie mag also, wie Du in dem Briefe an mich geäußert, nur immer auf den Mißbrauch und die Nachschwätzer fallen, obgleich in dieser Schrift selbst dieser Unterschied nicht gemacht ist. Du kannst leicht denken, wie froh ich wäre, diese einmal vom Hals zu bekommen. -– Das, worin wir wirklich verschiedener Überzeugung oder Ansicht sein mögen, würde sich zwischen uns ohne Aussöhnung kurz und klar ausfindig machen und entscheiden lassen; denn versöhnen lässt sich freilich Alles, Eines ausgenommen. So bekenne ich, bis jetzt Deinen Sinn nicht zu begreifen, in dem Du den Begriff der Anschauung opponierst. Du kannst unter jenem doch nichts andres meinen, als was Du und ich Idee genannt haben, deren Natur es eben ist, eine Seite zu haben, von der sie Begriff, und eine, von der sie Anschauung ist.

 Sei so gut, Dein Exemplar meiner Rede auch Liebeskinds zum Lesen mitzuteilen; ich selbst habe, bei der kleinen Auflage, die davon gemacht worden, nur noch eines übrig; kann ich noch ein andres auftreiben, so werde ich es ihnen schicken.
Lebe recht wohl; schreibe mit bald wieder und bleibe [mir] gewogen als
                        Deinem aufrichtigen Freunde Sch.



III. 原文の解釈

● Du wirst sie beurteilen
 助動詞 wirst は、「命令の代用」で、「するがよい」の意味でしょう。ヘーゲルとは親しい間柄ですし、自分の講演についてのことですので、ざっくばらんな表現を取ったものと思われます。

die für ein größeres Publikum berechnet sind
 für et. berechnet sein は、「或事に当てられている、適している」の意味です(相良守峯『大独和辞典』の berechnet の項目)。

beurteilt sein wollen は、「他動詞の過去分詞+ sein wollen~される必要がある)になっており、「評価される必要がある」の意味です。

● gering von jm. denken は「~を軽んじる」という意味(小学館『独和大辞典 第2版』の denken の項 I, 3, a)なので、zu gering von mir denken は、「あまりにも自分を軽んじる」と訳出しました。

しかし上記のように述べただけでは、尊大な感じの表現になりますので、シェリングは儀礼的な制限を設けたのでしょう。それが、bei dem gerechten Maß der eignen Meinung von mir selbst です。
 dem gerechten . . .
以下は、「自己評価の正当な分量」ということだろうと思いますが、その前の bei がやっかいです。おそらく、「程度」を表すのだと思います(相良守峯『大独和辞典』の bei の項 I, 11)。したがってこの部分の意味は、「自己評価の正当な分量において [正しい自己評価になっている範囲内において]」という意味でしょう。

● Sie mag . . . Sie は、明らかに直前の diese Polemik (この論争) を指します。

● nur immer が、「とにかく」や「ともかく」を意味することについては、こちらを参照して下さい。

● auf jn. fallen は、「~に向けられる」の意味(小学館『独和大辞典 第2版』、 fallen の項の I 5 b)

● nachschwatzen は、「そのまま口まねしてしゃべる」の意味なので、Nachschwätzer を「模倣者」と訳しました。

● dieser Unterschied(この区別) が、何を表しているのかが問題です。もし、直前の「乱用(Mißbrauch)と模倣者(Nachschwätzer)」の区別だとすれば、シェリングがわざわざ「もっとも序文そのものにおいては、この区別がつけられてはいないが」などと書く理由が分からなくなります。
 そこで「この区別」とは、序文ではつけられていないが、その前に出てきたヘーゲルからシェリングへの手紙の中ではつけられていたものだと、推測できます。すると、手紙では、「論争 [というより実際は攻撃] は・・・乱用や模倣者に対して向けられたもの」だと言われ(たことになっ)ていますが、序文では言われてないわけですから、結局「この区別」は、<シェリング本人>と<乱用や模倣者>との区別になります。
 ちなみに名誉に敏感なシェリングとしては、正々堂々とした批判ではなく、序文でのこうした当てこすりのような悪口には、相当立腹したことでしょう。

diese . . . vom Hals zu bekommen を、「こうしたものを厄介払いする」と訳出しましたが、この表現そのものは手元の辞書には記載されていません。しかし、以下のようなものが、口語・俗語としてありますので参考にしました:
・ et.4 vom Hals haben 「~を厄介払いしている」(小学館『独和大辞典 第 2 版』)
sich3 et.4 vom Hals halten <schaffen, laden, schüttern, wälzen> 「厄介払いする」「追い払う」「~から逃れている」「(厄介もの)を寄せ付けない」(小学館『独和大辞典 第 2 版』および相良守峯『大独和辞典』)

「お互いに妥協することなく(zwischen uns ohne Aussöhnung)」 というのは、<ぼく(シェリング)との最初からの一致を、君(ヘーゲル)に要求するものではない>という、儀礼的な言辞だと思います。そのような一致はなくとも、<君とぼくとの間では、すべて明瞭となり片づくじゃないか>と、シェリングは言いたいのでしょう。
 Aussöhnung を「和解」と訳したのでは、意味が強くなりすぎます。2人はまだ論争やけんかはしていない(ことになっている)のですから。ちょっとしたトラブルがあった後で、私たちが話をまとめるときに、相手の立場は尊重しますよという意味合いで、「まあ、不一致は不一致として・・・」などと切りだしますが、それと似たようなものがここでの ohne Aussöhnung でしょう。

● denn は、「というのは~」という意味ではなくて、dann(すると) の意味だと思います。小学館『独和大辞典 第2版』で、denn を引くと、「★ もと dann と同義で、意味が分かれたのは18世紀以来であるが、方言では今日でも混用されることがある」と出ています。

● Eines ausgenommen (1つのことを除いては) の「1つのこと」が何を意味するかですが、So bekenne ich(そこで打ち明けると)と続いていますから、以下に述べられている「概念と直観の対立」でしょう。


(初出 2012.1.26.)
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