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シェリング『超越論的観念論の体系』の難解な個所の訳と、
  テキスト
Meiner 社の Philosophische Bibliothek 版)の誤植 (V. 1.1.7.)


  目 次
はじめに (v. 1.0.)
凡 例 (v. 1.0.)
翻訳個所
  全般的な注意点
  ・M. 3, L. 1-12./ OA. III, IV.  (v. 1.0.)
  ・M. 4, L. 3-10./ OA. V, VI.  (v. 1.0.)
  ・M. 13, L. 16-26./ OA. 8, 9.  (v. 1.0.)
  ・M. 24, L. 28-34./ OA. 27.  (v. 1.0.)
  ・M. 28, L. 12-19./ OA. 33.  (v. 1.0.)
  ・M. 34, L. 25-30./ OA. 44.  (v. 1.0.)
  ・M. 36, L. 22./ OA. 47.  (v. 1.0.)
  ・M. 40, L. 6-7./ OA. 53.  (v. 1.0.)
  ・M. 40, L. 7-10./ OA. 53.  (v. 1.0.)
  ・M. 40, L. 23-26./ OA. 53.  (v. 1.0.)
  ・M. 41, L. 8-11./ OA. 54.  (v. 1.0.)
  ・M. 46, L. 2-9./ OA. 62.  (v. 1.0.)
  ・M. 47, L. 5-12./ OA. 63.  (v. 1.0.)
  ・M. 50, L. 35-38./ OA. 69.  (v. 1.0.)
  ・M. 52, L. 27-29./ OA. 72, 73.  (v. 1.0.)
  ・M. 57, L. 16-19./ OA. 80, 81.  (v. 1.0.)
   以下工事中

誤植個所Meiner 社の Philosophische Bibliothek 版において)   (v. 1.4.)


全般的な注意点

◆ 原文:
 Vorerinnerung

☆ 拙訳:
 序言。序文。

◇ 拙訳の理由:
 章や節のはじめに、タイトルとして出てきます。 
 Vorerinnerung に分けて、あれこれ意味を考えがちですが、相良守峯『大独和辞典』に上記のような意味が、記載されています。

(初出 2021-2-24)  (目次)


M. 3, L. 1-12./OA. III, IV. 

◆ 原文:
 Dass ein System, welches die ganze, nicht bloß im gemeinen Leben, sondern selbst in dem größten Teil der Wissenschaft herrschende Ansicht der Dinge völlig verändern und sogar umkehrt, wenn schon seine Prinzipien auf das strengste bewiesen sind, einen fortdauernden Widerspruch selbst bei solchen finde, welche die Evidenz seiner Beweise zu führen oder wirklich einzusehen imstande sind, kann seinen Grund allein in dem Unvermögen haben, von der Menge einzelner Probleme zu abstrahieren, welche unmittelbar mit einer solchen veränderten Ansicht die geschäftige Einbildungskraft aus dem ganzen Reichtum der Erfahrung herbeiführt und dadurch das Urteil verwirrt und beunruhigt.

☆ 拙訳:
 ふつうの生活においてだけでなく、学問の大部分においてさえも支配的な事物観の全体を、まったく変化させ、そのうえ逆転もさせる体系が、たとえ体系の諸原理は非常に厳密に証明されていたとしても、体系成立の証明を明証的に行い実際に理解することができる人々によってさえも、長い間反対され続けるということ――このことの理由は、かいがいしく働く想像力が、変化した事物観とともにきわめて多くの経験から直接もたらすところの、またそのことによって判断を混乱・紛糾させるところの、多くの個別的な諸問題を捨象できないということに、もっぱらよるのかもしれない。

◇ 拙訳の理由:
・文全体の主語は、文頭の
dass 節です。
・定動詞は
kann で、それに対する本動詞(動詞の不定形)は haben です。
・したがって、
 Dass . . . kann seinen Grund allein in dem Unvermögen haben,
 「
dass 以下であることの理由は、もっぱら無能力のうちにあるのかもしれない」
というのが、文全体の意味です。
・文頭の dass 節の主語は ein System で、定動詞は
finde、目的語は einen fortdauernden Widerspruch です。
・この Widerspruch は「矛盾」というより、「異議。反対」の意味です。
solchen は、「~のような人たち」。指示代名詞の複数形は、しばしば「人たち」を意味します。
・したがって、
 ein System . . . einen fortdauernden Widerspruch selbst bei solchen finde
 「或る体系は・・・のような人たちによってさえも、長い間反対される」
の意味です。
einzelner Probleme(複数)を受けている関係代名詞 welche は、複数のはずです。したがって、welche を含む副文の主語ではなく、目的語になっています。といいますのは、この副文の定動詞 herbeiführt, verwirrt, beunruhigt は、すべて単数形だからです。主語は、 die geschäftige Einbildungskraft(単数形)です。
・そこで、
 einzelner Probleme . . . , welche . . . die geschäftige Einbildungskraft . . . herbeiführt und dadurch das Urteil verwirrt und beunruhigt.
 
「かいがいしく働く創造力がもたらし、そのことによって判断を混乱・紛糾させるような個別的な諸問題」
となります。


(初出 2020-6-10) (目次)

M. 4, L. 3-10./OA. V, VI. 

◆ 原文:
 Es ist dies aber eben das Eigentümliche des transzendentalen Idealismus, dass er, so bald er einmal zugestanden ist, in die Notwendigkeit setzt, alles Wissen von vorne gleichsam entstehen zu lassen, was schon längst für ausgemachte Wahrheit gegolten hat, aufs neue unter die Prüfung zu nehmen, und gesetzt auch, dass es die Prüfung bestehe, wenigstens unter ganz neuer Form und Gestalt aus derselben hervorgehen zu lassen.

☆ 拙訳:
 もっとも、まさに超越論的観念論に特有なのは、この観念論はひとたび承認されるや、以下のようなことを不可避とすることである:
・すべての知をあらためて初めから、いわば発生させるのであり、
・すでにはるか以前から確定された真理とされていたものを、新たに吟味し、
・この真理とされていたものが、たとえ吟味に耐えたとしても、その後では少なくともまったく新しい形式や形態において、現れるようにさせることである。

◇ 拙訳の理由:
dies aber aber は、前文との「対比・対照」を示しますが、否定する「しかし」の意味ではなく、「もっとも。ただし」です(小学館『独和大辞典 第 2 版』、
aber の項目、1)。
・この引用原文全体の本来の主語(論理上の主語)は dies で、
dies を説明する付加語が、dass 以下の副文です。
・文頭の
Es は、文法上の主語です。
dass 以下の副文の主語は、er(超越論的観念論)で、定動詞は setzt(<或る状態に>置く)です。
in die Notwendigkeit setzt の意味は、「~を不可避とする」
setzt の4格補足語(目的語)は、zu lassen, zu nehmen, zu lassen の3つで、すべて名詞化された zu 不定詞です。
gesetzt auch, dass . . . は挿入句で、「たとえ(auch)・・・だとしても
(gesetzt)」の意味です。

(初出 2020-6-14) (目次)


M. 13, L. 16-26./OA. 8, 9. 

◆ 原文:
 . . . ein Fürwahrhalten, das, weil es nicht auf Gründen noch auch Schlüssen beruht (denn es gibt keinen einzigen probehaltigen Beweis dafür) und doch durch keinen entgegengesetzten Beweis sich ausrotten lässt (naturam furca expellas, tamen usque redibit), Ansprüche macht auf unmittelbare Gewissheit, da es sich doch auf etwas von uns ganz Verschiedenes, ja uns Entgegengesetztes bezieht, von dem man gar nicht einsieht, wie es in das unmittelbare Bewusstsein komme, -- für nichts mehr als für ein Vorurteil – zwar für ein angeborenes und ursprüngliches – aber deswegen nicht minder für ein Vorurteil geachtet werden kann.

☆ 拙訳:
 この想定上の真理は、根拠とか推測にもとづくものではないし(というのは、ただの1つの試験済みの証明すらないのだから)、逆に否定証明によって一掃されもしないために(「自然なものを、君が熊手でもって追い払っても、常に戻って来るだろう」というわけだ)、この真理は、自分の直接的な確実さを要求する。またこの真理は、私たちとまったく相違するものに、そう、私たちとは反対のものに――つまり、私たちの直接的意識にどのようにしてやって来るのか、まったく理解できないものに――関係するのだから、この真理を先入観以上のものと見なすことはできない(たとえ、生得のもの、根源的なものとは見なせても)。そしてそれゆえに、まさに先入観と見なしえるのである。

◇ 拙訳の理由:
 引用原文の構造は、以下のようになっています:
Fürwahrhalten(想定上の真理)を受ける関係代名詞 das を主語とする副文が、最後の
kann まで続いています。定動詞は Anspruche macht macht と、文末の kann です。
・最初の定動詞
macht を含む文には、理由を示す接続詞 weil 以下の副文が挿入されていますが、文末の kann を含む文にも理由を示す接続詞 da 以下の副文が挿入されて、対応するかの如くです。
weil 以下の副文は、 redibit) まで続きます。
auf et. 4格 Anspruch machen で、「・・・を要求する」の意味ですので(小学館『独和大辞典 第 2 版』、Anspruch の項目)、Ansprüche macht auf unmittelbare Gewissheit の意味は「[自分の] 直接的な確実さを要求する」です。

・ラテン語句の naturam . . . 以下については、こちらを参照ください。

(初出 2020-6-29) (目次)


M. 24, L. 28-34./OA. 27. 

◆ 原文:
 Nun ist aber offenbar, dass, wenn es nicht eine absolute Grenze des Wissens – etwas gäbe, das uns, selbst ohne dass wir uns seiner bewusst sind, im Wissen absolut fesselt und bindet und das uns, indem wir wissen, nicht einmal zum Objekt wird, eben deswegen, weil es Prinzip alles Wissens ist – dass es alsdann überhaupt nie zu einem Wissen, nicht einmal zu einem Einzelnen kommen könnte.

☆ 拙訳:
 しかしながら明らかなことだが、もしも知識に絶対的な限界がないとするならば――つまり、その存在を知られることすらなく私たちの知識を絶対的に拘束・束縛するもの、私たちが知るときに、まさにすべての知識の原理であるがゆえに知る対象にすらならないものが、存在しないとするならば――、そのようなものがなんらかの知識となることは、個別的な知識となることも、決してないのである。

◇ 拙訳の理由:
 引用原文の構造は、以下のようになっています:
・冒頭の主文 Nun ist aber offenbar の主語は、直後の
dass 以下の副文です。
・しかしこの
dass 以下の副文が、wenn 以下の修飾文によって長くなったため、新たに – dass es alsdann . . . と、書き改めています。したがって、文章の骨格は、
 
Nun ist aber offenbar, dass es [= etwas = eine absolute Grenze des Wissens] alsdann . . .
となります。

(初出 2020-7-21) (目次)


M. 28, L. 12-19./OA. 33. 

◆ 原文:
 Ob vom Wissen zum Sein zu gelangen, aus dem vorerst nur zum Behuf unserer Wissenschaft als selbständig angenommen Wissen alles Objektive abzuleiten, und jenes dadurch zur absoluten Selbständigkeit zu erheben, ob uns dies sicherer gelingen werde, als dem Dogmatiker der entgegengesetzte Versuch, aus dem als selbständig angenommenen Sein ein Wissen hervorzubringen, darüber muss die Folge entscheiden.

☆ 拙訳:
・知から存在へと至ることに、
・たんに私たちの学問のために、自立的だと最初に仮定した知から、客観すべてを導出することに、
・そしてこれによって、知が絶対的な自立性へと高まることに、
これらのことに私たちが、独断論者より――すなわち、自立的だと仮定した存在から知を生みだそうと、私たちとは逆の試みをしている独断論者より――確実に成功するかどうかは、結果が決定するはずである。

◇ 拙訳の理由:
・引用原文の
中ごろの ob uns dies ob は、文頭の Ob を繰り返したものです。その後の dies は、文頭の Ob の後の 3 つの zu 不定詞(zu gelangen; abzuleiten; zu erheben)を受けています。

als dem Dogmatiker
als は、比較級 sicherer を受けて、「~よりも」の意味です。

darüber は、ob uns dies sicherer gelingen werde を受けています。

(初出 2020-8-27) (目次)


M. 34, L. 25-30./OA. 44. 

◆ 原文:
 In jedem identischen Satz, wurde behauptet, werde das Denken mit sich selbst verglichen, was denn ohne Zweifel durch einen Denkakt geschieht. Der Satz A = A setzt also ein Denken voraus, das unmittelbar sich selbst zum Objekt wird;

☆ 拙訳:
 すべての同一命題においては、思考をそれ自身と比べるようにという要求が、主張されていた。思考をそれ自身と比べるということは、じっさい疑いもなく、ある思考活動によって起きるのである。したがって、「A = A
」という命題は、ある思考を前提としており、この思考はそれ自身に対して、直接に対象となる。

◇ 拙訳の理由:
・定動詞
behauptet の主語は、「werde das Denken mit sich selbst verglichen 」です。

・ この主語になっている副文の内容は、読者への要求であるため接続法第1式の
werde が使われています。またこの副文は、dass が文頭にくる形ではなく、定動詞 werde が文頭にきている「強調による定形倒置形」です(橋本文夫著『詳解ドイツ大文法』、217ページ)。

・関係代名詞 was は、主語の副文の内容である「思考をそれ自身と比べる」を受けています。

denn は、「実際。やはり」といった意味合いで、直後の ohne Zweifel と共になって「じっさい疑いもなく」という意味でしょう。

(初出 2020-8-29) (目次)

M. 36, L. 22./OA. 47. 

◆ 原文:
 . . . reines Bewusstsein, oder Selbstbewusstsein κατ' εξοχήν.

☆ 拙訳:
 ・・・純粋意識、すなわち「本来の意味での」自己意識である。

◇ 拙訳の理由:
 ギリシア語κατ' εξοχήνは、「この上なく優れた」という意味や、「(言葉の)真の意味で」という意味をもちます。
 そこで文脈から判断して、「本来の意味で」という意味にとりました。

(初出 2020-9-27) (目次)

M. 40, L. 6-7./OA. 53. 

◆ 原文:
 Seit Reinhold die wissenschaftliche Begründung der Philosophie sich zum Zweck gesetzt hatte, . . .

☆ 拙訳:
 ラインホルトが哲学の学問的な基礎付けを、自分の目的に設定して以来・・・

◇ 拙訳の理由:
・原文中の
sich は 3 格なので、「自分に対して」とか「自分のために」という意味です。
zum Zweck setzen は、「目的に付け加える」とか「目的の側に置く」といった意味ではないと思われます。相良守峯『大独和辞典』の setzen の項目、I, 7 には、
  
jn. zum Richter setzen 「或る人を裁判官に任命する」
  et. zum Pfand setzen
「或物を抵当に入れる」
という例文があります。zu jn./et. setzen は、「或人/或物に(設定)する」の意味になっています。
 そこで、zum Zweck setzen
は、「目的に(設定)する」の意味でしょう。

(初出 2020-11-9)  (目次)

M. 40, L. 7-10./OA. 53. 

◆ 原文:
 . . . war viel von einem ersten Grundsatz die Rede, von welchem die Philosophie ausgehen müsste, und unter welchem man insgemein einen Lehrsatz verstand, in welchem die ganze Philosophie involviert werden sein sollte.

☆ 拙訳:
 ・・・哲学が出発しなければならないであろう第一原理について、多くのことが議論された。また、この第一原理ということで、全哲学を包含しているであろう 1 つの命題を、人々は一般に理解した。

◇ 拙訳の理由:
 接続法第二式の現在形 sollte は、その前の müsste と同じく、口調を和らげるための外交話法として用いられていると思います。「sollte は外交話法にも
würde の代わりとして大いに用いられる」とあります(橋本文夫著『詳解ドイツ大文法』、269ページ)。

(初出 2020-11) (目次)

M. 40, L. 23-26./OA. 53. 

◆ 原文:
 Dadurch, dass die ursprünglichste Konstruktion in ihr [= der Geometrie] postuliert, und dem Lehrling selbst überlassen wird sie hervorzubringen, wird er gleich anfangs an die Selbstkonstruktion gewiesen. – Ebenso die Transzendental-Philosophie.

☆ 拙訳:
 幾何学においてもっとも根源的な構成(Konstruktion)が公準にされて、初学者自身に幾何学を産出することがゆだねられることによって、初学者は先ず初めに、自分で構成するようにと指示されるのである――このことはまた、超越論的哲学においても同様である。

◇ 拙訳の理由:
(1) postuliert . . . wird は、「公準にされて(自明な仮定とされて)」の意味です。といいますのは、この前に名詞形の Postulaten が出てきていますが、幾何学の話ですので「公準」の意味だからです。
 もちろん哲学においては、「公準とされる(当然な仮定とされる)」ことを、「要請される」といいます。(なお、この場合の「要請」は、ふつうの意味の「強く請い求めること。必要とすること」とは異なります。)

(2) sie hervorzubringen の女性人称代名詞
sie が、何を指すかが問題です。同じ複合文中にある、その前の女性人称代名詞(ihrは、幾何学を指しています。そこで文法的な観点からは、この
sie も幾何学を意味していると、言えそうです。(なお、内容的にも幾何学と解して、不都合なく理解できます。)

(3) Selbstkonstruktion は、文脈からみて、「(初学者が)自分で構成すること」でしょう。

(4) gleich anfangs熟語で、「先ず初めに。何はさておき」の意味です(相良守峯『大独和辞典』、anfangs の項目)。

(5) . . . wird . . . an die Selbstkonstruktion gewiesen の意味ですが、weisen の項目、I, 2((前置詞と共に)) を見ますと、「jn. an et. weisen 或人を或物のところへ行くように言う」が出ています。そして、この意味が拡張された、以下のような例文もあります:
 
Die Sache wird an das Landgericht gewiesen. 「事件は地方裁判所に付託される」。
そこで、wird er [= der Lehrling] gleich anfangs an die Selbstkonstruktion gewiesen は、「初学者は先ず初めに、自分で構成するようにと指示される」といった意味でしょう。

(初出 2020-12-14)  (目次)


M. 41, L. 8-11./OA. 54. 

◆ 原文:
 Aber das Produkt ist außer der Konstruktion schlechterdings nichts, es ist überhaupt nur, indem es konstruiert wird, und abstrahiert von der Konstruktion so wenig als die Linie des Geometers.

☆ 拙訳:
 しかし、[この]所産は構成の外では、まったくの無である。所産がそもそも有るのは、構成されるからであって、構成を捨象しては、幾何学者の線と同様に、存しないのである。

◇ 拙訳の理由:
 von etwas abstrahieren は、「或るものを捨象する
という意味であって、「或るものから抽象する」ではありません。

(初出 2020-11-18)  (目次)

M. 46, L. 2-9./OA. 62. 

◆ 原文:
 Was in allen anderen Systemen der Freiheit den Untergang droht, wird in diesem System aus ihr selbst abgeleitet. -- Das Sein ist in diesem System nur die aufgehobene Freiheit. In einem System, das das Sein zum Ersten und Höchsten macht, muss nicht nur das Wissen die bloße Kopie eines ursprünglichen Seins, sondern auch alle Freiheit nur notwendige Täuschung sein, weil man das Prinzip nicht kennt, dessen Bewegungen ihre scheinbaren Äußerungen sind.

☆ 拙訳:
 他のすべての体系において、自由を滅亡させる脅威となるものは、この体系においては自由自体から出てくる。さて、この体系では、存在はたんなる廃棄された自由である。存在を最初のもの、至高のものとするような体系では、知は根源的な存在のたんなるコピーであるほかはなく、またすべての自由もたんに錯覚でしかありえない。というのは、[ここでは] 原理――これの運動が、自由の見せかけの発現になっているのだが――、この原理が知られていないためである。

◇ 拙訳の理由:
(1) 2 回出てくる diesem System は、この原文までの文意から、シェリングが構築しようとしている「知についての学問=超越論的観念論」のことです。

(2) したがって、in allen anderen Systemen は、「超越論的観念論以外のすべての体系では」の意味です。

(3) der Freiheit den Untergang droht ですが、
 (i) drohen はここでは他動詞で使われています。相良守峯『大独和辞典』には、「
jm. [mit] et. drohen 或人を或事(物)で脅かす」という説明があり、次の例文が出ています:
  
er droht mir den Tod, 彼は私を殺すぞと言って脅かす.
 (ii) したがって、der Freiheit は 3 格で、逐語訳は「自由を滅亡で脅かす」です。」

(4) einem System は、diesem System(この体系)とは別の体系のことです。

(初出 2020-12-24)  (目次)


M. 47, L. 5-12./OA. 63. 

◆ 原文:
 
Denn weil das Ich unmittelbar durch sein Gedachtwerden auch ist (denn es ist nichts anderes als das Sichselbstdenken), so ist der Satz Ich = Ich = dem Satz: Ich bin, anstatt dass der Satz A = A nur so viel sagt: wenn A gesetzt ist, so ist es sich selbst gleich gesetzt. Die Frage: ist es denn gesetzt, ist vom Ich gar nicht möglich. Ist nun der Satz: Ich bin, Prinzip aller Philosophie, so kann es auch keine Realität geben, als die der Realität dieses Satzes gleich ist.

☆ 拙訳:
 [前文を受けて、] なぜなら、自我は<自我が思考されている>ことで、そのまま存在もしているのだから(というのは、自我とは自分自身を考えることに他ならないのだから)、「自我 = 自我」という命題は、「自我は存在する」という命題と等しい。これに対して、「A = A」という命題は、「
A が措定されているならば、A は自分自身に等しく措定されている」ということしか、述べてはいない。「それでは、措定されているのか」という問題は、自我については成り立たないのである。さて、「自我は存在する」という命題が、すべての哲学の原理であるなら、この命題のもつ実在性に等しいような実在性は、ありえないことにもなる。

◇ 拙訳の理由:
(1)
der Satz Ich = Ich は、「<自我は自我である>という命題」という意味です。

(2) = dem Satz: Ich bin は、「<自我は存在する>という命題と等しい」という意味です。dem Satz と 3 格になっているのは、直前の
= を 3 格支配のgleich と読ませているからでしょう。

(3) Prinzip には冠詞がありません。これは、文頭の
Ist の補語であるためです。Prinzip のように資格を表す名詞の 1 格が、sein (Ist) とともに用いられると、無冠詞になります(橋本文夫著『詳解ドイツ大文法』、18ページ)。
 同じ用法としては、たとえば S. 24, L. 32 O.A. 27 に、
Weil es Prinzip alles Wissens ist があります。
 なお、Prinzip がその前の der Satz: Ich bin と同格である場合には、Prinzip には冠詞 das が必要です。

(4) keine Realität geben, als die Realität dieses Satzes gleich ist ですが、
 (a) als die die は関係代名詞で、先行詞は Realität です。

 (b)
als は、「というような」の意味です。相良守峯『大独和辞典』の als の項目の 2 「というような, たとえば, 即ち」には、「((関係文の先頭におかれて))」とあって、以下の文が例文で出ています:
   
ihr habt diesen Menschen zu mir bracht (= gebracht), als der das Volk abwende,
   「おまえたちはこの人を民衆を惑わすものとして私のところへ連れて来た(ルカ伝23の14).

 (c) 形容詞 gleich は 3 格の目的語をとるので(桜井和市『改定 ドイツ広文典』、430ページ)、Realität は 3 格です。

 (d) したがって、
kein A als B の構文ではありません。もしそうだとすれば、A に相当する keine Realität は 4 格の名詞なので(geben の目的語)、B に相当する die Realität も 4 格の名詞のはずです。しかしそれでは、最後の定動詞 ist の主語(1 格)がないことになってしまいます。

(初出 2020-12-30)  (目次)


M. 50, L. 35-38./OA. 69. 

◆ 原文:
 Aber Negtion eines Positiven ist nicht möglich durch bloße Privation, sondern allein durch reelle Entgegensetzung (z. B. 1 + 0 = 1, 1 - 1 = 0).

☆ 拙訳:
 しかし、肯定的なものを否定することは、たんなる欠如によってはできない。現実的に対抗させることによってのみ、否定が可能となるのである(たとえば、1 + 0 = 1, 1 - 1 = 0)。

◇ 拙訳の理由:
 原文中の Privation は、
「欠如」という意味であって、1 + 0 = 1中の 0 でもって表されています。といいますのは、
(1) 前半の文章「肯定的なものを否定することは、たんなる欠如によってはできない」は、数式前半の「1 + 0 = 1」と対応していると考えるのが自然です。

(2) このとき、「肯定的なもの」は 1 と対応し、0 と対応するのは Privation ですが、0 とは無であり、「欠如」です。

(3) そこで、肯定的な 1 に 0 という欠如を加えても(+)、結果(= の右側)は 1 が残ります。つまり、0 によっては 1 は否定されなかったのです。

(4) 次に、後半の文章「現実的に対抗させることによってのみ、否定が可能となる」は、数式後半「1 - 1 = 0」に対応しています。
 すると、「否定が可能となる」という結果は、「= 0」によって表されていると考えられます。その場合、否定されたものは、最初の 1 のはずです。そして、「現実的に対抗させる」を表すのは、- 1 だということになります。

(初出 2021-1-27)  (目次)


M. 52, L. 27-29./OA. 72, 73. 

◆ 原文:
 Man setze einen Augenblick, das Ich sei unendlich, aber ohne es für sich selbst zu sein, . . .

☆ 拙訳:
 自我が無限ではあっても、そのことが自分自身に対してではない場合を、ちょっと考えてみると・・・

◇ 拙訳の理由:
(1) 原文中の einen Augenblick は、副詞句として使われており、「ちょっと。すこし」といった意味です。
 相良守峯『大独和辞典』の
Augenblick の項目、2 に、「
einen Augenblick, ちょっと」が出ています。
 また、小学館『独和大辞典 第 2 版』には
Augenblick と同義の Moment の項目、I の 1 に、「einen Moment nachdenken, ちょっとの間考える」が出ています。nachdenken は自動詞ですので、einen Moment は副詞句として使われています(もともとは、auf einen Moment)。

(2) そこで、setze の目的語になっているのは、das Ich sei unendlich です。setze のここでの意味は、「仮定する」ですが、仮定の内容ですから、das Ich sei . . . は接続法になっています。

(初出 2021-2-7)  (目次)


M. 57, L. 16-19./OA. 80, 81. 

◆ 原文:
 Aus diesen einzelnen Akten allen zusammengenommen lassen wir sukzessiv, vor unseren Augen gleichsam entstehen, was durch die eine absolute Synthesis, in der sie alle befasst sind, zugleich und auf einmal gesetzt ist.

☆ 拙訳:
 これらの個々の行為――すべての行為はまとまっているのだが――から、これらの行為すべてを包括するところの絶対的な 1 つの体系によって、同時にまた一気に、措定されているものを、私たちは眼前に継起的にいわば生じさせるのである。

◇ 拙訳の理由:
 allen zusammengenommen の意味が問題です。

(i) まず、alles zusammengenommen は、
 ・「a) 総計して。総括して。b) 要約すれば。要約すると」の意味です(相良守峯『大独和辞典』、 Zusammennehmen の項目2)。
 ・また、電子版小学館『独和大辞典 第 2 版』で、alles&zusammengenommen の例文検索をしますと、副詞句ないし挿入句として使われており、「全部で。全部ひっくるめて。総合的に(全体的に)判断すれば。結果的に」などの意味をもちます。

(ii) しかし、問題の箇所では
allen zusammengenommen と、allen は複数 3 格(単数・男性・4 格とは考えにくい)ですので、Google "allen zusammengenommen" を検索すると、たとえば以下の文が最初に表示されます。
 Jede eurer Taten ist für uns eine Beleidigung, denn jede beweist uns aufs neue, dass in euch mehr Schönheit, Edelmut und Verstand ist als in uns allen zusammengenommen.
 「君の行うことすべてが、私たちへの侮辱なのだ。というのも、その行いの一つ一つが、私たちすべてをひっくるめたよりも、君が多くの美しさ、気高さ、知力をもっていることを、また改めて示すのだから。

 この文では、allen zusammengenommen は(i)での意味をもちつつ、直前の複数代名詞 uns を修飾する形容詞句として使われています。この文と問題の箇所は、構文が似ていますので、この文をすこし詳しく見ていきたいと思います。

 (a) zusammengenommen は過去分詞ですから、「名詞(代名詞
uns も同様でしょう)に付加してこれを修飾」できます(桜井和市『改定 ドイツ広文典』、343ページ)
 
 (b) なお、問題の箇所で zusammengenommen は修飾する代名詞
uns に「後続していますので、「この場合は語尾変化を」もちません(同書、同ページ)。

 (c) 次に、allen が複数 3 格である理由ですが、、
 ・複数形であるのは、allen が指しているのが直前の複数形
uns なので、当然です。
 ・3 格であるのは、直後の動詞 zusammengenommen との関係で決まことであり、直前の
uns が3格だからではありません。
 ・そこで、
allen の3 格は「関係の 3 格(der Dativ der Beziehung)」ではないかと思われます。つまり、3 格の(代)名詞「『~にとっては』『~に対しては』『~と結びつけて考えると』」、動詞(の過去分詞)の意味が成立している――ということです。

 (d) そこで、uns allen zusammengenommen の逐語的な意味は、「全員に関して(すなわち全員を)ひっくるめたものとして  の、私たち」です。

(iii) したがって、問題の箇所 Aus diesen einzelnen Akten allen zusammengenommen の意味は、「これらの個々の行為――すべての行為はまとまっているのだが――から」です。

(初出 2021-2-17)  (目次)

   以下工事中


  誤植個所 (初出 2020-6-10)

M. 11, L. 16./OA. 5.  誤植語: Philosohie → Philosophie
M. 13, L. 28./OA. 9.  誤植語: bildlings → blindlings
M. 32, L. 16./OA. 40.  誤植語: Fremdartigen → Fremdartiges
M. 32, L. 16./OA. 40.  誤植語: Verschiedenen → Verschiedenes
M. 34, L. 30./OA. 44.  誤植語: Denkat → Denkakt
M. 36, L. 32./OA. 47.  誤植語: vor allem → von allem
M. 54, L. 31./OA. 75.  誤植語: der → des
M. 56, L. 26./OA. 79.  誤植語: praktischer → praktische
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(目次)

   はじめに  

 ドイツ観念論に取り付くための原典としては、シェリング『超越論的観念論の体系』がもっともいいのではないかと思います。しかし、翻訳には1948年出版の赤松元通訳『先験的観念論の體系』
 https://books.google.co.jp/books?
id=K5y_ta8je_gC&printsec=frontcover&hl=ja&source=gbs_atb#v=onepage&q=40&f=false

しかなく、不適切な訳の箇所もあります。
 また、テキストは Meiner 社の Philosophische Bibliothek 中の System des transzendentalen Idealismus (2000年版。W. schulz, W. E. Ehrhardt 両氏の序文付き)が、良さそうです。しかし、この版には明らかな誤植が、散見されます。

 そこで、
・原文の文章が難解な個所を翻訳し(したがって、赤松訳の誤訳を訂正するものではありません)、
・上記の版での気づいた誤植を、訂正する次第です。

 言うまでもありませんが、拙訳の誤りや誤記の可能性も、十分ありえます。その際には、takin$be.to$ @ に変えてください)にご一報くだされば、幸甚です。

(初出 2020-6-10)
(目次)

   凡 

(1) 引用テキストのはじめには、たとえば次のように記されています:
   「・M. 3, L. 1-12./ OA. III, IV.」
 「M」は、Meiner 社の Philosophische Bibliothek 版のテキストを表します。
 「3」は、その 3 ページということです。
 「L」は、本文の上からの行数です。(空白行は、数えていません。)
 「1-12」は、上から 1 行目から 12 行目にあることを示します。
 「OA」は、1800年のオリジナル版(Originalausgabe)を表します。
(なお、1800年のオリジナル版は、
https://books.google.co.jp/books?
id=C6vWbJXB73EC&printsec=frontcover&source=gbs_book_other_versions_r&
redir_esc=y#v=onepage&q&f=false

 「III, IV」は、そのIII, IVページということです。(このページ数は、Philosophische Bibliothek 版に併記されているものを、使用しています。)

(2) Philosophische Bibliothek 版の誤植の確認は、注記がないかぎり、『ミュンヘン記念版全集』Zweiter Hauptband)によります。

(3) 拙訳での [ ] 内は、私の挿入です。

(初出 2020-6-10)
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