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 資料集:『精神の現象学』の成立過程 v. 1.5.
(これからの充実に、期待して

      目 次

 はじめに

I. イェナ(Jena, イエナ, イェーナ)大学での講義告示(1801 - 1807 年)
 (1) 1801/02 年 冬学期・講義
 (2) 1802 年 夏学期・講義
 (3) 1802/03 年 冬学期・講義
 (4) 1803 年 夏学期・講義
 (5) 1803/04 年 冬学期・講義
 (6) 1804 年 夏学期・講義
 (7) 1804/05 年 冬学期・講義
 (8) 1805 年 夏学期・講義
 (9) 1805/06 年 冬学期・講義
 (10) 1806 年 夏学期・講義
 (11) 1806/07 年 冬学期・講義
 (12) 1807 年 夏学期・講義
 (13) 1807/08 年 冬学期・講義

II. ゲーテ宛の手紙(1804 年 9 月 29 日付)

III. 『精神の現象学』の異稿(?)断片
   (1) 異稿「絶対知」(Kim. 73)(1805 年の春以前)

IV. フォス(Voss)宛の手紙の主要草稿(1805 年 5 月)

V. 「イェナ期の体系草稿群 III」の「精神哲学」余白への書き込み(1805 - 1806 年)

VI. フィヒテの父親宛の手紙(1806-4-9 以降)(一部分)

VII. オンライン上の『精神の現象学』初版(1807年)(新・旧の両タイトルを含む)


  はじめに

 ヘーゲルの『精神の現象学』(1807 年出版)の成立事情を知るうえで、必要と思われる資料を訳出しました。

 また、以下のものもご利用下さい。
「ヘーゲルのイェナ時代・年表」
「ヘーゲルのニートハンマー宛手紙(1806 年 8 月 6 日付)」
「訳出: ボンジーペン氏の『精神の現象学』中間タイトル問題の説明」
・拙稿「『精神の現象学』の成立過程と、論理学」では、私見を述べています。


I. イェナ大学での講義告示

 ・原文テキストは、 J. Hoffmeister 氏編集による、 Briefe von und an Hegel.Bd. 4. Teil 1. (Felix Meiner Verlag, Philosophische Bibliothek 238a に拠りました。
 ・例えば、
(BH, IV-1, 80)は、同書の80 ページを指します。
 ・太字は、原文ではイタリック体です。

 ・原文のラテン語の、単語ごとの意味・文法の説明については、こちらをご覧ください。

 (1) 1801/2 年 冬学期・講義
 「論理学と形而上学を私的に教え」、「無料で哲学入門を講じ」、「シェリング教授とと共に哲学演習(disputatorium philosophicum)を指導する」(BH, IV-1, 80)。

 (2) 1802 年 夏学期・講義
 「論理学と形而上学、すなわち反省の体系と理性の体系を、同書名 [論理学と形而上学] で出版される著書にもとづいて」、「さらに、自然法市民法、そして万民法を口述で」、教える。(BH, IV-1, 80)

 (3) 1802/3 年 冬学期・講義
 「1) 論理学と形而上学を、来たるべき市日に出版される著書にもとづいて」、「2) 自然法を口述で」、教える。(BH, IV-1, 80)

 (4) 1803 年 夏学期・講義
 「1) この夏に(コッタ社から)出版されるハンドブックにもとづいて、哲学一般の概論を」、「さらに、2) 自然法を口述によって」、教える。(BH, IV-1, 81)

 (5) 1803/4 年 冬学期・講義
  「私的に 1) 自然法を」、「2) 思弁哲学の体系――これは、a) 論理学と形而上学、すなわち超越論的観念論、b) 自然哲学、そして c) 精神哲学、を含む――を」、「口述によって説明する」。(BH, IV-1, 81)

 (6) 1804 年 夏学期・講義
 「哲学の一般的体系を、講じるであろう。すなわち、ある講義では論理学と形而上学を、そして精神哲学を、他の講義では自然哲学を教えるという具合に」。(BH, IV-1, 81)

 (7) 1804/5 年 冬学期・講義
 「哲学の全学問を――すなわち思弁哲学(論理学と形而上学)、自然哲学、そして精神哲学を――口述によって・・・講じるであろう。」(BH, IV-1, 81)

 (8) 1805 年 夏学期・講義
 「a) 哲学の全学問を――すなわち思弁哲学(論理学と形而上学)、自然哲学、そして精神哲学を――、夏に出版される著書にもとづいて」、「b) 自然法を同書にもとづいて」、講じるであろう。(BH, IV-1, 81)

 (9) 1805/6 年 冬学期・講義
 「a) 純粋数学、例えばシュタールの『純粋算術の基礎』(第 2 版)にもとづいて算術ローレンツの『純粋数学の初歩』(第 2 版)にもとづいて幾何学を」、「b) 実在哲学、すなわち自然哲学精神哲学を口述により」、「c) 哲学史を」、教える。(BH, IV-1, 81)

 (10) 1806 年 夏学期・講義
  「a) 純粋数学、例えば、シュタールの『純粋算術の基礎』(第 2 版)にもとづいて算術、ローレンツの『算術および幾何学の概説』(第 2 版)にもとづいて幾何学を」、「b) 思弁哲学すなわち論理学を、まもなく出版される自著『学問の体系』にもとづいて」、「c) 自然哲学と精神哲学を口述により」、教える。(BH, IV-1, 82)

 (11) 1806/7 年 冬学期・講義
 「a) 粋数学、例えば、シュタールの『純粋算術の基礎』(第 2 版)にもとづいて算術、ローレンツの『算術および幾何学の概説』(第 2 版)にもとづいて幾何学を」、「b) 論理学形而上学すなわち思弁哲学を、それらの前に位置する精神の現象学――これについては、彼の著書『学問の体系』のまもなく出版される第一部にもとづいて [教える] ――と共に」、「c) 自然哲学と精神哲学を、口述により」、教える。(BH, IV-1, 82)

 (12) 1807 年 夏学期・講義
 「a) 粋数学、例えば、シュタールの『純粋算術の基礎』(第 2 版)にもとづいて算術ローレンツの『算術および幾何学の概説』(第 2 版)にもとづいて幾何学を」、「b) 論理学形而上学を、それらの前に位置する精神の現象学――これについては、彼の著書『学問の体系、第 1 部』(バンベルクならびにヴュルツブルク、ゲープハルト書店、1807 年)にもとづいて [教える] ――と共に」、「c) 自然哲学精神哲学を、口述により」、「d) 哲学史を」、教えるであろう。(BH, IV-1, 82)。

 (13) 1807/8 年 冬学期・講義
 「哲学の彼の講義は、彼が旅行より帰って知らせる」。(BH, IV-1, 82)


II. ゲーテ宛の手紙(1804 年 9 月 29 日付)

 「・・・私のこれまでの著作は、取るに足らぬものであり、あえて閣下 [ゲーテ] の御高覧に供するようなものではありません。私がこの冬に、講義のために完成させたく思っていますもの(Werk)は、純粋に学問的な哲学的論考(Bearbeitung)なのですが、それの目指すところからして、もし閣下がかたじけなくもお許し下さりますならば、閲覧に供したく存じます。・・・


III. 精神の現象学』の異稿(?)断片
  (1) 異稿「絶対知・・・」(Kim. 73)(1805 年の春以前)

 ・原文テキストは、マイナー社の哲学文庫版『精神の現象学』付録によります。同書、534 ページ。

 「そこで絶対知は、まず立法的理性として登場する。人倫的実体の概念そのもののうちでは、意識と自体的存在(Ansichsein)との間に区別はない。というのは、純粋な思考を純粋に思考することが、自体的なことだからである、すなわち、自ら自身に等しい実体だからであり、同様にそれは意識なのであるから。しかしながら、この実体における規定性が出現することによって、そしてやがて明らかになるように、最初の規定性は、が与えられる、ということによって、意識と即自体的なものとの区別も、また表れてくる。この自体的なものとは、人倫的な実体そのものである、すなわち、絶対的な意識である」。


IV. フォス(Voss)宛の手紙の主要草稿(Hauptentwurf)(1805 年 5 月)

 ・原文テキストは、J. Hoffmeister 氏編集による、 Briefe von und an Hegel.Bd. 1. (Felix Meiner Verlag, Philosophische Bibliothek 235) に拠りました。

 ・・・私 [ヘーゲル] は・・・3 年この方、世間には(vor dem Publikum)沈黙していましたが(原注1)、哲学の全学問――思弁哲学、自然哲学、精神哲学、自然法――を講義してきました。そして、ハイデルベルクではまだ担当者のいない特定の学科を、私が埋られればという願いのほかに、学問的講座(cours de litérature [原綴りのママ]) という意味での美学を講じたいとも願っていました(原注2)。この心づもりは、以前より抱いていたものですが、望んでいますがごとく閣下のご支援を忝くする幸運に恵まれますならば、喜んで果たすことでしょう。[私がしてきた] 研究結果(die Arbeit)を、秋には哲学体系として著す所存です。この著作では、少なくとも形式主義の狼藉だけからは、免れたいと思っています。昨今は無知な輩が、とりわけ独特の用語法でもって、こうした狼藉を働いております。彼らは、これら用語法の背後に隠れ、・・・[・・・は原文]

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原注1) 著作物を公刊してはいないことを、意味しています。
原注2) 要するに、美術の実技面には係らず、哲学的な観点から講義をしたいということでしょう。


V. 「イェナ期の体系草稿群 III」の「精神哲学」余白への書き込み(1805 - 1806 年)

 ・原文テキストは、GW, Bd. 8, S. 196f. の注 2 です。

 「悟性は、α) 物に関係づけられているので、物の存在形式が悟性に対していることになる。[すなわち] 一、多数、原因等々である。こういった関係、[すなわち互いに] 異なり、相互に活性化されたもの(Begeistet)としてのこういった関係は、[つまり] 抽象すなわち概念は、[物の] 存在 [Sein] において実質Substanz)をもつ。概念は、ただ関係のうちへと現われる(eintreten)だけである。物はそれ自体においては、まだ沈静化したものではない。すなわち、対立する規定どうしの統一ではないのである―― [――線は原文]
 しかし、前述の活性化した規定は、単純な中立状態のうちで滅び(zu Grunde gehen)、普遍性のうちで沈み(zum Grunde gehen)、根拠(Grund)が生じる。今や、β) 自我に対しては根拠が普遍者そのものであり、自我は自分が悟性だと知っている。自我は、規定された概念については、自らのものとして語るのである。―― [――線は原文]
 そして [自我は] β) 判断するのであり、規定された概念の運動である。個別性普遍性は異なり、対立している。α) 推論 ―― したがって個別性と普遍性は、初め見たところでは、ただある第 3 のものにおいてのみ等しい。コプラ(繋辞)が自我であり、個別性と普遍性をになう。この自我は、最初は空虚である。この第 3 のものが、どのようであるかということだが、β) この第 3 のものは、A=A という純粋なコプラではない。つまり、空虚な同一性ではない――しばしばこのコプラは絶対的なコプラだと、考えられている ――そうでなければ、個別性と普遍性両者の同等性(Gleichheit)は存在しないであろう(注1)。γ) コプラは両者を含んでいるのである。両者の対立性と同様、両者の同等性も自我なのである。δ) 個別性と普遍性の両者は(存在する 2 つのものは)、同じものである。―― それぞれは他のものに対立しているが、そのことにおいてそれぞれ他方に等しいのである。あるいは、それぞれが他方に等しいことにおいて、それぞれは他方に対立している――区別と同等性は同じものである。――区別と同等性がとっくに失ってしまった存在の形式が、空虚な形式として、両者には残っているのである」。

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注1) この訳は不確かです。原文は:
 β) es ist nicht die reine Kopula A=A, leere Identität - meinen oft, sie sei die absolute - sonst wäre es nicht die Gleichheit derselben, γ) . . .
 文中に不定形 meinen がでとつじょ表れているために、訳し難くなっています。


VI. フィヒテの父親への手紙(1806-4-9 以降)(*1) (一部分)

 愛するお父さん、
この大市のときに出版された(diese Messe erschienenen)ぼくの本をいくつか(*2)、牧師さんをつうじて送ります。・・・

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(*1) この手紙は、『アカデミー版フィヒテ全集 III,5』の編集者によって、「4 月 9 日以降」とされています。そして、 1806 年 4 月 9 日付の手紙と、4 月 16 日付の書き込みとの間に、置かれています(同書 346 ページ)。

(*2) これらの本は、『アカデミー版フィヒテ全集 III,5』の注2(同書 346 ページ)によれば、『学者の本質について』『現代の根本的特長』『幸いなる生への導き』の 3 冊です。
 そしてこのことから、Hansjürgen VerweyenFelix Meiner 社の『幸いなる生への導き(Die Anweisung zum seligen Leben)』(2012 年)の序文で、
 「すでに 4 月のはじめに、『幸いなる生への導き』の講演は出版された(im Druck vorlagen)」と述べています。(同書 xx ページ)


VII. オンライン上の『精神の現象学』初版(1807年)(新・旧の両タイトルを含む)
 
 「Google によるデジタル化」によって、1807 年版の『精神の現象学』がスキャナーされ、オンライン上にありますので、見ることができます(グーグルさん、ありがとう!――えっ、甘チャンですか?)。
 このスキャナーされた本は、URL では表示されないしくみとなっておりますので、"Es ist eine natürliche Vorstellung"(つまり、緒論(Einleitung)の冒頭ですね) で検索してください。最初から 2 番目くらいに出てきます。


(初出: 2012.3.30)
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