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 フィヒテの著作の紹介

『知識学の概念、あるいはいわゆる哲学の概念について』
(1794年5月)  v. 3.0.2.

Über den Begriff der Wissenschaftslehre
oder der sogenannten Philosophie



    拙稿の目次

はじめに
凡例
参考までに


    『知識学の概念』の目次

[第1版] 序文Vorrede
第1章 知識学全般の概念について
  第1節 知識学概念のとりあえずの提示
  第2節 知識学の概念の発展
第2章 知識学の概念の検討
  第3節 [表題はなし]
  第4節 知識学は、どの程度確実に人間の知識一般を包括しえたのか?
  第5節 普遍的な知識学を、知識学によって基づけられた個別的な学問と分かつ境界は、どのようなものか?
  第6節 普遍的な知識学は、とりわけ論理学とどのようにかかわるのか?
  第7節 学問としての知識学は、自らの対象とどのようにかかわるのか?
第3章 知識学の暫定的な分類
  第8節 (表題はなし)


〔はじめに〕
 フィヒテ哲学誕生の書である『全知識学の基礎』(1794年9月、95年7/8月)を、さっそく読みたいところですが、予備知識なしでとりかかるのは、無謀というものでしょう。ヘーゲルは難解なことで知られていますが、ではフィヒテはやさしいのかというと、決してそうではないからです。おまけに、200年以上前の他国ドイツでの著作ですから、準備をしてから取りかかるのにこした事はありません。
 同書に先だって1794年5月にフィヒテは、『知識学の概念、あるいはいわゆる哲学の概念について』という小冊子を出版しました。それによって、彼の問題意識や当時の思想界の状況を知ることができます。彼はそのときイエナ大学に助教授として招聘(しょうへい)されており、学生たちに思想的自己紹介をする必要もあって、この小冊子をあらわしました。そこでまずこの書を取上げようと思います。  
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〔凡例
● 拙稿の訳は、「序文」と「第1節」は全訳です。が、他は抄訳で、内容を分かりやすく(もちろん正確に)伝えることに主眼を置いているため、表現を丸めたところ、重要ではない個所で飛ばしたところがあります。
● [  ] 内は、訳者が挿入したものです。
● 拙稿の訳の部分は、主に初版によっており、適宜、第 2 版も参考にしました。(下記のレクラム文庫版には、版による異同も注記されています)。

〔参考までに
● 「命題(Satz)」というのは、一般的には、真偽を決定できる文のことですが――たとえば、「今、雨が降っている」は命題ですが、「今、雨が降っているのか?」「雨よ触れ!」「雨」などは、命題ではありません――、哲学的議論においては、哲学的原理や主張を簡潔に言い表したものを指します。

● 読むテキストとしては、レクラム文庫の「Universal-Bibliothek Nr. 9348」が、入手しやすいです。
・長所:安くて(3.1ユーロ)、わりと丈夫です。編集者の注、索引、版による異同、文献紹介などが付いており、神経が行き届いた編集となっています。
・短所:字が小さい。
・購入先:Amazon.de: www.amazon.de/ が便利です。 

● レクラム文庫版で、誤植と思われる箇所:
 ・41ページ、12行目:statt der andern とありますが、statt des andern が正しいと思われます。SW 版(小フィヒテ版)全集では、そうなっています(第1巻、49ページ、10行目)。

 ・59ページ、下から15行目: . . . vonn ihr, sie ist . . . とありますが、ihr の後のコンマはセミコロンが正しいと思われます。SW 版全集では、そうなっています(第1巻、67ページ、1行目)。つまり、ihr で文章がいったん切れるはずです。

 ・59ページ、下から14行目: jemanden とありますが、jemandem が正しいと思われます。SW 版(小フィヒテ版)全集では、そうなっています(第1巻、67ページ、2行目)。

 ・64ページ、20行目:Form と die の間にコンマが欠けており、文法的に意味が取れなくなっているようです。SW 版全集では、コンマがあります(第1巻、72ページ、9行目)。

● 邦訳には、「知識学の概念、あるいはいわゆる哲学の概念について」(隈元忠敬訳、フィヒテ全集第4巻所収、晢書房、1997年刊行)があります。
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[第1版] 序文(Vorrede)

訳者のコメント:
 当時のドイツにおいて若きフィヒテの眼前には、カントの批判哲学とその信奉者、独断論とレッテルをはられた人たち、そして懐疑論者(例えば、アイネシデモス(Aenesidemus, エーネジデムスとも表記)ことシュルツェ)の3派がいました。
 なお、ここで言われている学問(Wissenschaft) というのは、例えばユークリッド幾何学などが典型的ですが、自明な原理とそれから導出された諸命題からなる、経験知にも裏づけされた体系のことです。当時ラインホルトが、「厳密な学問としての哲学」を主張していたのを受けて、フィヒテもその道をとるようになります。
 そしてフィヒテは、哲学が学問に高まっていない理由を発見したと述べ、諸学派間の争いを解決する道をも見いだしたと、宣言します。まあ言ってみれば、天下布武を旗印に、名乗りを上げたようなものでしょうか。
 序文の最後は、諦念というよりは、挑戦的な呪詛で終わっています。やはり彼は嵐を呼ぶ、あるいは起こす、男なのでしょう。(これをトラブルメーカーと言ってはいけません)

訳(全訳です):
 この論文の筆者 [フィヒテ] は、新懐疑論者、とくにアイネシデモスの読書によって、またマイモンのすぐれた著作を読むことによって、すでに以前よりまず間違いあるまいと思っていたことを、完全に確信するにいたった。すなわち、哲学は非凡な人々 [カントやラインホルト] の最近の尽力をもってしても、なお明証的な学問の段階へとは高まっていないのである。
 筆者は、その原因を発見したと思うし、また、懐疑論者の批判哲学 [カント哲学] に対する十分に根拠のある要求すべてを、完全に満足させる容易な道を、発見したとも思う。それはまた、さまざまな独断論的体系の相争う主張が、批判哲学によって統合されたように、争いあう独断論的体系と批判的体系一般をその論争点において統合する道でもある(原注1)
 筆者は、まだこれからしなければならないことについては、ふつうは話さないので、自分の [哲学上の] 計画についてもそのまま遂行したか、あるいは相変わらず黙っていたことであろう。しかし今回の事で、筆者のこれまでの空いた時間の使用法や、これからなそうとしている仕事について、説明せよと要請されているように思われたのである。

 以下で述べる探求の妥当性については、仮説にとどまるということは承知している。とはいっても、証明されてもいない前提を、自分の主張の根拠にすることはできない。またこれらの主張は、いささか奥の深い確固とした体系がもたらしたものではないなどともならない。むろん筆者は、この体系を体系の名にふさわしい姿で、後年読者に提示できるものと思っている。そして、[筆者の哲学] 全体が吟味される以前に、非難されないことを、そうした公正さを筆者は今から望んでいる。

 この小冊子の第1の目的は、筆者が招聘された大学の学生たちに、判断してもらうことである。すなわち、彼らが学問中第一のもの [哲学] を学習するにさいして、筆者にその指導をまかせられるかどうかを、そしてまた、筆者が彼らを十分に啓発して、危険な失敗をおかさせずに学習させることは可能だと、期待していいのかどうかを、彼らに判断してもらうことである。
 目的の第2は、筆者の [哲学的] 企てについて、賛同の方々ならびに友人たちから、ご判断をいただくことである。

 第1の目的にも第2にも該当せずに、この小冊子を手にされた方には、次のように申しあげたい:

 筆者は確信するのだが、カントが(わけても『判断力批判』において)立ち止まった限界を越えては、人間悟性は先に進むことができないのである。もっともカントは、この限界を私たちに規定してみせることはなかったし、また有限な知識のもつ最終的な限界だと、告げもしなかったのではあるが。
 筆者の自覚するところ、カントがすでに直接的であれ間接的であれ、明瞭であれ曖昧であれ、予示していないものについては、筆者が語りえるわけがないのである。筆者としてはこの人の天才を解明することは、将来の世代に託したい。カントはしばしば高度の霊感によって導かれたかのごとく、彼が哲学的判断力を見出した観点から、将来の世代を究極目標(letztes Ziel)へと駆り立てたのであった。
 筆者の確信では、カントの天才的精神のあとにおいては、哲学への貢献の点で、ラインホルトの体系的精神以上のものはありえなかった。そして、哲学が今後さらに進歩するにしても――誰の貢献によってであれ、哲学は必ず進歩せざるをえない――、ラインホルトの根元哲学(Elementarphilosophie)がなお申し立てるであろう名誉ある地位を、筆者はよく知っているつもりである
 他の人の功績を故意に誤解したり、低評価しようとする考え方を、筆者はとらない。学問がこれまでに登ってきた各段階は、学問がより高い段階に達しえるために、まずもって登っておかれねばならなかったということを、筆者は承知しているつもりである。
 筆者は偶然の幸運によって、優れた人たちの跡を襲って [イェナ大学に]
招聘されたが、これを個人的な功績だとは、実際思ってもいない。 この点においてなにか功績があるとすれば、それはなにも幸運な発見に基づくのではなく、誠実な探求にもとづくものだと認識している。誠実ということについては、人はただ自らによってのみ、裁くことや報いることができるのである。
 筆者がこのように述べたのは、かの偉大な人たちや、彼らに匹敵するような人たちに向けてではない。そのようには偉大でない、他の人たちのためである。筆者がこのように述べたのを余計なことだと思う人は、筆者が述べたさい念頭にあった人たちには入らない。

 前述のまじめな人たち以外に、嘲笑的な人たちもいて、彼らは哲学者に警告するのである:「自分の学問に過剰な期待を抱かせて、物笑いの種にならないように」、と。だが私としては、すべての人が陽気な性格ゆえに本当に心から笑っているのか、あるいは笑っている人たちの中には、世事に疎い研究者の企てを台無しにしたいがために、ただ笑おうとしている人たちがいるのか――この人たちは、研究者の企てをごもっともな理由から、快くは思っていないのである――、それを決めたいとは思わない(原注2)
 私はこれまで――このことは自分でも十分気付いている――前記の高遠な期待をもたせる発言によって、あの人たちを上機嫌にさせるようなことは一度もしてこなかった。そこで、この私の [哲学的] 企てがまぎれもなく失敗して放棄されるまでは、彼らに笑うことを控えていただくように頼むことは――これは哲学者のためではなく、ましてや哲学のためでもなく、彼ら自身のためなのだが――、まず許されるであろう。
 その後でなら、彼らは嘲るがよかろう、彼ら自身も属している人類(Menschheit)への私たちの信頼を、そしてまた人類の偉大な才能への私たちの希望を。そして、慰めの決まり文句を、彼らは欲しがるがよかろう。まったくもって人間というもの(Menschheit)は、どうしようもない。かつてそうであったように、これからも常にそうであろう――そして彼らが必要とするたびに、そのように繰り返すのであろう。

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   序文の原注

原注1
独断的体系と批判的体系の間でされている論争は、もともとは私たちの認識と物自体との連関Zusammenhang)をめくってであろう。この論争では、懐疑論者たちは正当にも独断論者たちの側に味方したし、また独断論者たちとともに良識に味方した。良識は、なるほど裁判官としてではないにせよ、法律にしたがって聴取されるべき証人として、十二分に考慮されている。
 さてこの論争は、きたるべき知識学によって次のように論結されよう:
・私たちの認識は、なるほど表象によって直接的ではないが、おそらくは感情
Gefühl)によって間接的に、物自体と連関している。
・物は、たしかにただ現象として表象されるのだが、しかし、物自体として感じられる
・感情なくしては、表象もありえないであろう。
・そして、物自体はたんに主観的に、つまり、物自体が私たちの感情に働きかける限りにおいて、認識される。(訳注1)

原注2) Malis rident alienis.(訳注2)

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   序文の訳注

訳注1) この原注1 は、レクラム文庫版の編者
Edmund Braun 氏によれば、第 2 版(1798年)では削除されているようです。確かにこの原注の内容は、「主観=客観」の立場をとる知識学とは、平仄が合いません。まだカント哲学の尻尾が、残っていたということでしょうか。

訳注2) この "Malis rident alienis" をグーグルで検索すると、ホメロス『オデュッセイア』のラテン語訳(Samuel Clarke 訳、1758年)中に出てきます(第 20 歌、347 行)。
 この語句中の、
・Malis は、第1変化の名詞 mala 「ほお、あご」の複数形・奪格です。そこで、Malis の意味は、逐語訳的には「あごにおいて(と共に)」となります。
・rident は、第1活用の規則動詞rideo「笑う」の3人称・複数形です。したがって意味は、「(彼らは)笑う」。
・alienis は、第1・2変化をする形容詞 alienus の3人称・複数形・奪格です。意味は、英語の alien と同じで、「疎遠な」です。
 そこで、"Malis rident alienis" の訳ですが、岩波文庫(松平千秋訳)で『オデュッセイア』第 20 歌を 345 行目から引用することにします:
 「こうテレマコスがいうと、パラス・アテネは求婚者たちの心を狂わせ、消しもならぬほどの高笑いを彼らに催おさせた。かくて彼らは、あたかも他人の如く己の意のままにならぬ顎(あご)を動かして笑い・・・」
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第1章 知識学全般の概念について
  
  第1節 知識学概念のとりあえずの提示

コメント:
 いよいよ知識学(
Wissenschaftslehre)が登場します。「知識学」とは耳なれない訳語です。Wissenschaft は学問のことで、Lehre は学説のことですから、率直に訳すと「学問論」となります。しかし、フィヒテが自らの哲学の代名詞として Wissenschaftslehre を使ったためもあって、確かに「知識学」と訳すと、フィヒテの哲学だということは分かります。とはいえ、この疎遠な訳語のために、フィヒテは日本ではだいぶ損をしているような気がします。

訳(全訳です):
 分立している [哲学の] 諸派を統合するためには、彼らの意見が一致しているところから始めるのが、もっとも確実である。

 哲学が1つの学問であることについては、すべての哲学文献が一致している。これは、哲学の対象については互いに意見が相違しているのと、ちょうど対照的である。だがこの意見の相違が、学問自体の概念が完全には展開されていないことによって、まさしく生じているとすれば――たとえ「学問である」という唯一の特徴が、哲学自体の概念を規定するためには十分であったとしても――、どうであろうか?

 学問は、体系的な形式をもつ。学問内のすべての命題は、唯一の原理(Grundsatz, 根本命題)に連関しており、原理において一つの全体へと統合されている。このことも、一般的に認められている。が、これによって学問の概念は、尽くされているだろうか?

 誰かが、根拠もなければ実証もできない命題――例えば、「空中に、人間に類した性質、情熱、考えをもち、霊気のごとき有体な生ものがいる」といった――に基づいて、この精霊についての体系的な博物学を創立したとしよう。これは話としては、ありえることである。しかし、私たちはこのような体系を、たとえいかに厳密な推論がなされていようと、またいかに個々の部分が緻密に組み合わされていようと、学問として認めるだろうか? 
 ところがそれに対して、誰かが個別的な知見や事実を述べたときには――例えば、ある職人が「水平な線に対して、測鉛は両側とも直角になる」とか、あるいは教育のない農夫が「エルサレムが破壊されたとき、ユダヤの年代記作者ヨセフは生きていた」(訳注1)と述べたときには――、そう述べた人は述べたことについての学問があると、すべての人が認めるであろう。だが、職人は述べた内容の幾何学的証明を、幾何学の原理から体系的に導出できるわけではないし、農夫も述べたことの歴史的信頼性を、アカデミックに示すことはできない。両者とも述べたことをただ信じきって、受け入れているだけである。
 ではなぜ私たちは、前述の精霊の場合のように強固としていても、証明されてもいなければ証明することもできない命題に基づいた体系を、学問とは呼ばないのだろうか。そして、前述の職人や農夫の知識を、たとえ彼らの頭の中ではそれらの知識がいかなる体系とも無縁であっても、学問というのだろうか?

 それは疑いもなく、前者はそのアカデミックな形式にもかかわらず、私たちが知りえるものを含んではいないためだし、後者はアカデミックな形式を持たないにもかかわらず、彼らが現実に知っていることや、知りえることを語っているためである。

 したがって学問の本質は、その内容の性質にあるといえよう。すくなくとも学問の内容は、学問にたずさわらねばならぬ人にとって、確かでなければならないだろう。また、彼が知りえるものでなければならないだろう。そして体系的な形式は、学問にとってはただ偶然的なものにすぎず、学問の目的ではなくて、たとえば目的のための手段にすぎないのであろう。

 すなわち、何らかの原因で、人間精神が非常にわずかなものしか確実に知ることができず、その他のものについてはたんに思ったり、推測したり、予感したり、気ままに想定したりすることしかできず、それにもかかわらずまた何らかの原因から、この狭隘な、あるいは不確実な知識に満足できないときには、知識を拡大し、確実なものにする手段としては、以下のことがあるだけである: 不確実な知識を確実な知識と比較して、両者の一致・不一致から、その不確実な知識の確実性ないし不確実性を推定することである。
 不確実な知識がなんらかの確実な命題と一致すれば、この知識も確実であると、たしかに受けとれよう。この知識が確実な命題と反対であれば、誤りだということが分かろう。そしてこの知識によって、今後惑わされることはないにちがいない。真理を得たとは言えないまでも、誤りからは解放されたのである。

 より明確に言えば――学問は一体で、そして全体でなければならない。「水平な線に対して、測鉛は両側とも直角になる」とか、「エルサレムが破壊されたときに、ヨセフは生きていた」という命題は、幾何学や歴史学の連関的な知識を持たない人にとっては、疑いもなく全体であり、その限りで学問なのである。

 しかしまた、私たちは幾何学のすべて、歴史学のすべてを、学問だと考えてもいる――これら両者は、前述の2つの命題以外のものを多数含むにもかかわらず。では、もともと大変異なっている諸命題が、いかにして、また何によって一つの学問に、一つのものに、まさに同じ全体になるのであろうか。

 疑いもなく以下のことによってである: 個々の命題はまったくもって学問ではないが、それらの命題は全体の内で、全体の内での位置によって、そして全体への関係によって、学問になるのである。
 しかしながら、諸部分がたんに寄せ集められているだけでは、全体を形成する各部分のうちでは見出せないもの [真の全体性] が、生じることはありえない。結合している諸命題のうちのどれもが、確実性を持っていないとすれば、結合によって生じた全体もまた確実性を持たないのである。

 それゆえ、少なくとも1つの命題は確実でなければならず、その命題が確実性を他の命題に与えるのだといえよう。そこで、1つの命題が確実なときには、その確実な度合いに応じて、また 2番目も確実であり、2番目が確実なときには、その確実な度合いに応じて、また 3番目も確実であり、以下同様となる。
 このようにして、おそらくもともとは大変異なった諸命題すべては、確実性を、しかも同じ確実性を持つがために、ただ一つの共通な確実性を持つことになろう。かくしてそれらの命題は、ただ一つの学問となろう。――

 確実な命題は――これまで私たちは、ただ1つの命題を確実なものと想定してきた――、その確実性を他の命題との結合によってはじめて得るのではなく、結合以前にあらかじめ持っていなくてはならない。というのは部分が統合しても、それら部分のうちに無かったものは、生じえないからである。
 確実な命題から、他のすべての命題は、確実性をうけとらねばならないであろう。確実な命題は、すべての結合に先立って、あらかじめ確実、かつ確定的でなければならないであろう。その他の命題はどれ一つとして、結合の前に確実であるということはなく、結合によってはじめて確実になろう。

 ここから同時に明らかになるのは、
・私たちの前述の想定が正しい唯一の想定であり、
・そして、ある1つの学問において、諸命題の結合に先立って確実・確定的な命題は、ただ1つしかありえないことである。
 もしそのような命題が、いくつかあったとすれば、
・それらの命題は相互にまったく結合されていず、同じ全体には属さないで、1つ、あるいはいくつかの分離した全体を、形成するか(訳注2)
・あるいは、それらの命題は、相互に結合されているかの、どちらかであろう。
それらの命題が相互に結合されているとすれば、それは1つの同じ確実性によるほかはない。1つの命題が確実であれば、他の命題もまた確実だということになる。その命題が確実でなければ、他の命題もまた確実ではない(訳注3)
だがこのことは、他の命題とは独立に確実性を持つ命題には、妥当しないであろう。ある命題の確実性が独立しているのであれば、他の命題が確実でなくとも、その命題は確実である。したがってその命題は、他の命題と確実性によって結合しているのではまったくないだろう。このような、結合以前に確実な命題は、原理Grundsatz)と呼ばれる。
 各々の学問は、一つの原理を持たねばならない。ある学問は、その内的な性質にしたがって、それ自体で確実なただ1つの命題から成り立つこともおそらくできようが、しかしそのような命題が、何ものも基礎づけないのであれば、それはむろん原理とはいえないであろう。
 各学問は原理についてもまた、1つより多くは持ちえない。2つ以上のときには、1つではなく複数の学問を形成することになってしまうからである。

 学問は、あらかじめ結合以前に確実な命題のほかにも、諸命題を含むことができる。これらの諸命題は、確実な命題との結合によってはじめて、確実だと認識される。ここで結合というのは、前述したように、次のことである: 命題 A が確実であれば、命題 B もまた確実である。そして B が確実であれば、命題 C もまた確実である、等々。そしてこの結合は、個々の部分からなる全体の、体系的形式を意味している。
 では、結合は何のためなのか? 結合の芸術的作品を作るためでないことは、疑いあるまい。諸命題がそれ自体としては持っていない確実性を、それらに与えるためなのである。だから、体系的形式は学問の目的ではなく、その目的を達するための偶然的手段――ただ、学問が複数の命題から成り立たざるをえないという条件下で使う手段――である。体系的形式は、学問の本質ではなくして、偶然的な性質なのである。
 学問は、建物であるということ。学問の主要目的は、強固さであるということ――土台は強固である。こうした土台が置かれるや、その目的は達せられたといえよう。とはいっても、私たちはたんなる土台の上に住むことはできないし、土台だけでは敵の意図的攻撃や、悪天候の意志無き攻撃から身を守ることもできないので、土台の上に壁をめぐらし、その上に屋根をかぶせるのである。
建物のすべての部分は、相互に、また土台と接合される。それによって、全体は強固になる。しかし、強固な建物をたてるのは、接合することができるようになるためではなく、逆に、建物が強固になるために接合するのである。そして、建物が強固であるのは、建物のすべての部分が強固な土台の上にたつ限りにおいてである。

 土台は強固である。が、この土台はなにも新しい基礎に基づくのではなく、強固な大地に基づいているのである。では、私たちは学問的建築物の土台を、何に基づかせようとしているのだろうか?
 私たちの体系がもつ原理は、体系に先立ってあらかじめ確実なものでなければならない。この確実性は、体系の範囲内では証明されえない。逆に、体系のうちで可能なすべての証明は、原理の確実性を前提にしている。原理が確実であれば、当然ながら原理から帰結するものも、すべて確実なのである。では、原理自体の確実性は、どこからもたらされるのだろうか?

 さらに、私たちは学問体系を築くにあたっては、以下の推論を用いたい: 「原理が確実ならば、したがって(so)他の規定された命題も、確実である」。それでは、
・この「したがって」ということは、何に基づいているのだろうか? 
・原理と他の命題の必然的な連関を、基礎づけているものは何か? この連関によって、原理に帰属するのと同じ確実性が、他の命題にも帰属することになるのだが。
・この連関が成立する条件は、何なのか?
・そして、私たちがこの条件を見出すとすれば、これが連関の条件であるということや、他ではない唯一の条件であることを、私たちは何によって知るのだろうか?
・私たちはいったいどのようにして、いろいろな命題間の必然的連関や、この連関の(訳注4)他ではない十全な諸条件を、想定するにいたるのだろうか?

 要約すれば、原理の確実性そのものは、どのように基礎づけられるのか? また、原理から特定の仕方で他の命題の確実性を推論することの権限は、どのように基礎づけられるのか?

 原理自体が持っており、そして学問のうちで現れる原理以外のすべての命題が、分かち持たねばならないもの、それを私は「原理および学問の、内在的内容一般」と名づけることにする。そして原理が、他の命題にこの内在的内容を与える仕方を、「学問の形式」と名付ける。
 したがって、私たちに課せられた問題は――学問一般の内容ならびに形式は、したがって学問自体は、いかにして可能なのか?

 この問題へ回答をもたらすものは、それ自体が1つの学問であろう、しかも学問一般についての学問であろう。

 しかし、この問題に回答が可能かどうかは、探究に先立ってはまだ決められない。すなわち、
・私たちのもつ全知識が、確固とした根拠をもつかどうかということ、
・あるいは、これらの知識の各部分が互いの間では緊密に結びついていたとしても、知識総体は結局のところ何ものにも依拠していないのではないかということ、
こうしたことは決められないのである。
 けれども、私たちの知識が根拠を持たねばならないとすれば、この問題は答えられねばならず、また答える1つの学問がなければならない。このような学問が存在するとき、私たちの知識は根拠を持つのである。
 したがって、私たちの知識に根拠があるとかないとかについては、探究に先立ってはまだ何も言えない。そして、前述の要請されている学問の存在可能性については、ただこの学問の現実性によってのみ明らかにされるのである。

 この学問の可能性はまだ不確かなものであり、その名称も特定のものでなければならぬわけではない。しかしながら、
・これまでのすべての経験からして学問建設に使用できると思われる土地が、すでにその土地に属する他の学問によって、占められていることが明らかであり、
・まだ使われていない一区画の土地だけは、すなわち学問一般の学問のための土地だけは、残っているというのであれば、
・さらに、よく知られた名前(すなわち哲学)のもとには、学問であろうとする、あるいはなろうとする1つの学問 [つまり、フィヒテの知識学] の理念があるのだが、この学問は、自分が建設されるべき場所については、決めかねるというのであれば、
この学問に、見つけた空いている場所を割り当てるなどというのは、適切ではあるまい。
 人がこれまで哲学というとき、こうしたことを考えたかどうかは、まったく関係がない。そして、この学問は一たび学問となるや、その名前を――なにも度を越えた慎み深さから、これまで持っていたというわけではないのだが――、当然のことながら捨てさるであろう。すなわち、造詣(Kennerei)、物好き(Liebhaberei)、ディレッタンティズム(Dillettantism)とかの名前である。
 この学問を創出する国 [ドイツ] は、その国の言葉によってこれに命名してもよかろう(原注1)。するとこの学問は、端的に「学問die Wissenschaft)」と称されるか、あるいは「知識学die Wissenschaftslehre, 直訳すれば「学問論」)」と称されることができよう。したがって、これまでのいわゆる哲学は、「学問一般についての学問die Wissenschaft von einer Wissenschaft überhaupt)」ということになろう。

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   第1節の原注

原注1) そのような国はその国の言葉から、この学問にその他の専門語 [哲学用語] も与えてよかろう。そのような国およびその言語は、このことによって、他の言語や国家に対し、決定的な優位を持つことになろう。

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   第1節の訳注

訳注1
フィヒテは、ヨセフを Iosephus とラテン語表記をしています。独・英語では Joseph。エルサレムの神殿が破壊されたのは、紀元後の70年です。

訳注2原文は:
 . . . sie (= dergleichen Sätze) . . . machten Ein oder mehrere abgesonderte Ganze aus;
結合する前に確実ないくつかの命題(sie)が、「いくつかの分離した全体を、形成する」というのは分かりますが、「いくつかの」の前に「1つ、あるいは(Ein oder)」が、付属しているのがやっかいです。
これはおそらく、結合前に確実な諸命題のうち、そのまま発展できずに全体を形成できないものも多くあると、フィヒテが想定したためではないでしょうか。

訳注3『知識学の概念について』第 2 版ではこの後、以下の文が付け足されています: 「諸命題間の連関は、ただこの確実性の相互関係のみによって、規定されなければならない」。

訳注4『知識学の概念について』初版では、Bedingungen derselben となっていますが、第 2 版では、Bedingungen dieses Zusammenhangs です。内容面から、第 2 版の方を採用しました。
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  第2節 知識学の概念の発展

コメント:
 ここまでのフィヒテの学問観、すなわち確実な原理を設定し、そこから演えきするという考えは、あまりに素朴で古色蒼然としていると、感じられた方が多いと思います。しかし、問題設定を平凡に狭めておいて、そこで爆弾を破裂させるというのが、フィヒテの得意とするところなのです。

 ところで、Aを基礎づけるもの(あるいはAの原因となるもの)はB、Bを基礎づけるものはC、CはさらにDによって・・という推論をしていくとき、その結果は、結局3つのタイプに分かれます。
(1) A, B, C, . . . と、無限に遡行(そこう)するもの。
(2) 自明なX、つまり理性のある人間ならだれしもが承認せざるをえないXへと、たどり着くもの。
(3) A, B, C, . . . , Z, A, B, . . . と、循環になるもの(循環論法)。

 (2)のタイプの主張では、Xの自明性の確認が難しくなります。もちろん、自明ということは説明・証明がいらないということですから、説明ぬきでもいいのですが、その場合、やはり落ち着きの悪さを残すことになります。
 ところがフィヒテは、Xを内容と形式に分け、Xにおいては内容が形式を、形式が内容を規定し合うとすることによって、Xの確実性を確保しようとします。このように、最終項を2つの要因に分け、その相関のあり方によってXの最終項たる地位を確保するというのは、議論として珍しいといえましょう。フィヒテのオリジナルなのか、あるいはすでに行われていた議論なのか、浅学の私には分かりません。しかし、命題の自明性を、このような形で説明するというのは、フィヒテのオリジナルのように思われます。

訳(全訳ではありません):
1) 知識学は、2つのことをなさねばならない。まず原理一般の可能性を基礎づけねばならない。つまり、いかにして、またどの程度、そしていかなる条件のもとで、あるものが確実であることが可能なのかを、示さねばならない。そして知識学は、とりわけ、可能な学問すべてが持つそれぞれの原理を証明せねばならない。これらの原理は、それが属する学問内部では証明できないのだから。
 上述のように、各学問がもつ体系的形式は、学問の原理とそれから演えきされた諸命題が関連するための条件である。またこの体系的形式は、演繹された諸命題が原理と必然的に同じく確実であるということを、両者の関連から推測するための法的根拠である。しかし、そうした体系的形式を各学問は前提としてはいても、説明することはできない。そこで2番目に、知識学は可能な学問すべてのために、体系的形式を基礎づけるという責任を引き受けるのである。

2) 知識学も学問であるからには、原理を持たざるをえない。
 この原理は上記1)でのべたように、知識学の内部では証明できない。また、知識学より上位の学問は、知識学の定義からしてありえない以上、この原理を証明する学問はない。この原理は知識学が成立するために、前提されたままなのである。
 そこでこの原理は自らによって、直接的に確実でなければならない。そして、この原理がすべての知識の基礎であるということは、人が何ごとかを知るかぎり、この原理が表していることをも知っているということである。この原理はすべての知識に伴っており、それらに含まれており、またすべての知識は、この原理を前提とする。
 他方では、知識学も1つの学問である以上、原理と諸命題から成り立っているのであり、体系的形式を持たざるをえない。しかし、知識学はこの形式を他の学問から援用するわけにはいかない。というのも知識学自身が、他の学問のために形式を、またそれによって諸命題の結合の可能性をも、提示しなければならないからである。知識学は、この体系的形式を自らの内に持っていなければならず、自らこの形式を基礎づけねばならない。

 これらのことが何を意味するかを、すこし分析してみよう。そもそもいかなる命題であれ、内容と形式のいずれが欠けても、成り立たない。内容というのは、ある物について私たちが知るところのものである。たとえば「金は物体である」の命題では、金と物体が内容である。
 形式というのは、私たちが内容について知ることがらである。上の例では、ある観点において金と物体 [内容] は同じであるという関係のことである。
 知識学の第一命題[原理]も、内容と形式を持たざるをえない。そして、第一命題が直接的に、自らによって確実であるということが何を意味するかといえば、その内容が形式を、その形式が内容を規定しているということである。また、その内容はただその形式に、その形式はただその内容に適合しているということである。その形式に他の内容がもたらされれば、また、その内容に他の形式がもたらされれば、命題自体が、そしてまたすべての知識が崩壊してしまおう。
 したがって、知識学の絶対的な最初の原理の形式は、原理自体によって与えられるのみならず、原理の内容に端的に妥当するものとして立てられる。こうした絶対的な最初の原理以外に、なお諸原理が存立するときには、それらの諸原理は部分的には絶対的であるにしても、他の面では、最初で最高の原理によって条件付けられている。
 たとえば、絶対的な最初の原理は、2番目の、その内容だけが絶対的で無条件に存立している原理に対して、その形式を条件づけねばならない。逆に、形式が無条件な原理は、最初の原理によって必然的に内容のほうが、規定される。したがって、間接的には、形式はその内容の形式である以上、形式も規定されるのである。この場合、形式は知識学によって、しかも知識学の絶対的に最初の原理によって規定される。
 そこで、原理は次の3つのどれかになろう;
絶対的で、端的に自らによって、形式的にも内容的にも規定されているもの。
形式的には、自らによって規定されているもの。
内容的には、自らによって規定されているもの。

 これら3つの原理以外の知識学の諸命題は、形式においても内容においても、すべてこれらの原理によって規定されねばならない。したがって知識学は、それがもっているすべての命題の形式を、規定しなければならないが、個々の命題のそうした規定は、[後述するように] 命題どうしが相互に規定しあうことによってしか可能ではない。
 さて各命題は完全に規定されていなければならない。つまり、命題の形式はその内容そのものに、内容はそれが納まっている形式そのものに、適していなければならない。そうでないとその命題は、確実である原理に等しくはなく、したがって確実ではないだろうから。
 ところで、知識学の持つすべての命題は、それ自体としては異なっているはずなのだから、――というのは、もしそうでなければ複数の命題があるのではなく、同じ一つの命題がくり返されているだけになってしまう――それらすべての命題は自らの完全な規定性を、すべての命題中ただ一つの命題から [すなわち、形成される系列において、自身より一つ前に位置する命題から] 受けとるほかはない。こうして、諸命題からなる一つの系列全体が完全に規定され、いかなる命題も、系列において自らの場所以外のところには位置しないのである。知識学のなかの各命題は自らの位置を、他のそれ自身規定された命題によって規定されるのであり、そしてまた、各命題は [後に続く] 第3の他の命題の位置を規定するのである。こうして知識学は自らによって、その全体の形式を規定する。

 知識学のこうした形式は、その内容に対して必然的な妥当性を持っている。というのも、
1) 絶対的な最初の原理が直接的に確実なときには、
2) つまり、その形式はただその内容に対して、その内容はただその形式に対して適合しているときには、
a) 絶対的な最初の原理によって、以降のすべての命題は直接的あるいは間接的をとわず、内容と形式の面で規定されているのだから、
b) また、諸命題はすでに最初の原理にいわば含まれているのだから、
原理に妥当することは、その後の諸命題にも妥当しなくてはならないからである;つまり、諸命題が持つ形式はただその内容に、内容はただその形式に適合しなければならないからである。
 全体の形式は、一つのものとして考えられた各々の命題の形式にほかならなず、各々の命題に妥当することは、一つのものとして考えられた全命題に妥当するのである。

 さて、知識学は自身に対してのみならず、他のすべての可能な学問に形式を与えねばならず、この形式の妥当性を確かなものとせねばならない。このようなことは、次の条件下においてのみ考えられる。すなわち、任意の学問の持つ命題すべては、知識学の何らかの命題に含まれており、それゆえ知識学のなかでしかるべき形式のうちに立てられているという条件である。そしてこのことは、知識学の絶対的な、最初の原理の内容へとさかのぼって行く道を、私たちに開いてくれるのである。

 確実に知るということは、「規定された内容は、規定された形式と分離できない」ということの認識を、持つことであるとしよう。すると、すべての知識の絶対的な最初の原理が、自らの内容によって自らの形式を、また逆に形式によって内容を、端的に規定することによって、すべての知識の内容について、その形式はどのように規定されえるのかということが、いまやほとんど明らかであろう。むろんこのことは、可能なすべての内容が、原理のもつ内容のうちに含まれている限りにおいてであるが。
 だが、私たちの仮定が正しければ、またすべての知識の絶対的な最初の原理が存在するのならば、この原理のもつ内容は、可能なすべての内容を自らのうちに含んでいることになろう。一方、原理のもつ内容は、他のものに含まれることはないであろう。原理がもつ内容は、端的に内容そのものであって、絶対的内容だといえよう。

 このような知識学全般が可能であることを、とりわけ知識学の原理が可能であることを、仮定するにあたっては、人知のなかに現実に一つの体系があることが、常に前提とされているということは、容易に見て取れよう。。こうした体系が人知のなかにあるのであれば、知識学についての私たちの記述とは独立に、絶対的な最初の原理が存在しなければならないことが、証明されるのである。

 そのような体系が存在しないのは、ただ次の2通りの場合である。
(1) 直接確実なものが、何もない場合。
 この場合でも、各命題がより高次の命題によって基礎づけられ、その状態が無限に続いていくような知識の系列を、形成することはできる。しかし、確固とした知識はありえない。
 というのは、私たちが、
・系列上のある確実な知識までたどりつき、
・その上、その知識までは、すべてがそれら自体としては確固としていると、
認めることはあろう。しかしその知識が、系列をより先まで進んだときに、無根拠 [Ungrund] にいたらないとは、誰が保証しえようか。無根拠にいたったときには、確実な知識だったはずのものを、私たちは廃棄しなければならない。結局、私たちの確信は願望なのであり、明日になればそれは定かではないのである。

(2) 私たちの知識が、複数の有限な系列から成り立っている場合。
 この場合、知識の各系列はそれぞれの原理のうちに含まれており、この原理は自らにのみ基づいている。しかし、原理は複数個あって、お互いに関連を持たずに、それぞれ完全に隔てられている。
 [こうした状況はどうして生じるのかといえば、]
・たとえば、私たちの内には生得の複数の真理があって、それら相互の関連については知ることができない――なぜならそのような関連は、生得の真理を越えたところにあるだろうから――ためである。
・あるいは、私たちの外部の物体は、その内にさまざまな単一物 [Einfaches] を有しており、物体が私たちに印象を残すとき、それらの単一物は私たちへと伝えられる。しかし、単一物相互の関連については――印象のなかには、それら単一物よりさらに単一なものはありえないゆえに――知ることはできないためである。
 もし事態が(2)のようであれば、つまり多くの人たちの持つ現実の知識がそうであるように、人間本来の知識は不完全で、相互に関連がないならば、これはどうしようもないことである。私たちの知識はその範囲においては確実であっても、統一された知識ではなく、多数の学問があることになってしまう。私たちは、豊かな知識を有するにもかかわらず、いぜんとして貧しい。なぜなら、それらの知識を概観することができず、一つの全体として考察できず、何をいったい持っているのかさえ、知りえないからである。
 さらにこのような場合には、私たちの知識が完結することもないだろう。というのも、新しい生得の真理がいつ私たちのうちに現われるやもしれず、また経験によって、、私たちに新しい単一物がいつ与えられるかもしれないからである。そして、他の学問を基礎づけるための普遍的な知識学も、必要ないであろう。個々の学問は自らに基づいているのだから。また学問の数だけ、直接的に確実な原理もあることになろう。

 しかしながら上記(1) や(2) の場合とは違って、統一された一つの完全な体系が人間の精神のうちにあるとすれば、一つの最高絶対である最初の原理が存在しなければならない。この原理から、私たちの知識は多くの系列へと広がっていく。そして、それらの系列からまた新たな系列が広がるにせよ、すべての系列はただ一つの環 [フィヒテは、完結した物のイメージを表したいのでしょう] に拠っているのであり [in einem einzigen Ringe festhangen]、その環は他のものによって支持されてはおらず、自らの力によって自身を、そしてまた体系全体を支えているのである。
 しかし、このような体系と、その前提をなす原理が実際に存在するかどうかは、なされるべき研究より前に決めることはできない。試してみることが重要である。人間の全知識の原理となるようなものが有する内的条件、そういった条件を満たしている命題を、もし私たちが見いだすときには、
・その命題が外的条件をも満たしているかどうか、
・そして、私たちが知っているものすべてが、また、知るであろうすべてが、その命題へと還元されるかどうか、
試してみよう。
 もしこの試みが成功すれば、私たちは学問を実際に創立したのであり、そのことによって、
・その学問が可能であることを、
・そしてその学問が表しているような、人間の持つ知識の体系が存在することを、
証明したことになる。 
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第2章 知識学の概念の検討

  第3節
 [表題はなし]

コメント:
 この節では、知識学の概念(知識学とはどういうものなのかということ)が持つさまざまな問題点が、提起されます。それらの問題は、次の第4, 5, 6, 7節で、検討されることになります。

訳(全訳ではありません):
 ある概念を学問的に検討するということは、学問一般の体系の中で、その概念の占める位置を述べることである。すなわち、どのような概念が、当該の概念の位置を規定するか、またこの当該の概念によって、いかなる概念がその位置を規定されるかを示すことである。
 とはいえ、知識学の概念は、知識自体の概念と同様、全学問体系の中において位置づけられることはない。むしろすべての学問的概念が、知識学の中に、知識学によって、位置づけられるのである。
 そこで問題となるのは、知識学はこれら諸学問とどのようにかかわるかということである。むろん、知識学は根拠として、根拠付けられたものとしての諸学問にかかわるのではある。では、知識学はたんにこれまで知られている全学問のみならず、これから設立されるかもしれない全学問をも、根拠づけえるということをどう保障するのだろうか? また、知識学は、人間の知識の全領域を完全に包括する [erschöpft haben] ということを、どう保障するのだろうか? [この問題は第4節で検討されます。]

 知識学は、すべての学問に原理を与えるであろう。したがって、個別的な学問で原理となっているようなすべての命題は、同時にもともと知識学の命題でもある。したがってそうした命題は、2つの観点から考察されねばならない。
a) 知識学は、自分のうちに含まれているものとしてのそのような命題から、さらに [知識学のうちで] 演えきしていく。
b) 個別的な学問は、a)と同じ命題を自らの原理として、そこからさらに [その個別的学問のうちで] 演えきしていく。
 こうしたことの結果として、以下の3通りの可能性が考えられる。
1) 知識学と個別的学問の両方において、同じものが帰結する。すべての個別的学問は、原理だけではなくそれから導出された命題から言っても、知識学に含まれてしまう。そして、個別的な学問というものは無くなり、一にして同じ知識学の諸部分だけが存在することになる。
2) あるいは、知識学と個別的学問では、異なったあり方で演えきがなされる。しかし、知識学はすべての学問に形式を与えるので、こうしたことは起こりえない。
3) あるいは、知識学の中のある命題が、個別的学問の原理になるにさいしては、何かあるものが――もちろんそれは知識学のうちにあったものではあるが――、付け加わってくる。では、この何かあるものとは、何であろうか? また、この付け加わるものが、知識学と個別的学問の区別をなするわけだが、これら2つの学問の境界はどのように規定されるのだろうか? [この問題は第5節で検討される。]

 知識学はすべての学問の形式を規定することになっているが、論理学もまたこうしたことを行うと、称している。それでは、知識学は論理学にどのようにかかわるのだろうか? [この問題は第6節で検討される。]

 知識学も学問である以上なにかを対象とするが、この対象は、人間知識一般の体系にほかならない。学問としての知識学は、この対象にどのようにかかわるのだろうか? [この問題は第7節で検討される。]
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  第4節 知識学は、どの程度確実に人間の知識一般を包括しえたのか?

コメント:
 循環論法は、証明にさいしての代表的な誤りの1つに、ふつうなっています。しかし、フィヒテは、真の知識の体系のあり方は、循環だといいます。そしてこの考えは、シェリングやヘーゲルへと引き継がれます。

訳(全訳ではありません):
 人間の知識一般が包括される [erschöpft werden] ということは、人間が現在の生存段階で知っていることのみならず、将来の段階において知りえることも、無条件かつ端的にに規定されることを意味している。こうしたことは、次の [(1)と(2)の2つの] 条件下でのみ可能である。

[1] 立てられている原理は包括的 [erschöpft] であって、かつ又、それ以外の原理は不可能であることが、明らかである。
 原理が包括的であるというのは、その原理にもとづいて完全な体系が築かれていることである。つまり、原理から立てられているすべての命題へ必然的に到達し、それらの命題からも原理へと必然的に帰還することである。
 (a) ・原理が偽であるときに、体系中に真であるような命題がなければ、
・また逆に、原理が真であるときに、体系中に偽であるような命題がなければ、
体系の内へはよけいな命題が入りこんでいないということの、否定的証明である。というのも、原理が偽であっても、その体系に属していない命題は真でありえるのだし、原理が真であっても、体系に属していない命題は偽でありえるからである。
 原理が与えられていれば、すべての命題も与えられていなければならない。すべての命題は、原理によって、原理のうちに、与えられている。知識学の持つ諸命題は連鎖していることを前にのべたが、そのことから、知識学は上記の否定的証明を自らのうちで、自ら行うことは明らかである。この証明によって、知識学は体系的であり、そのすべての部分はただ一つの原理において連関することが、証される。
[以下全訳]
 (b) それ以上さらに推論されえる命題が、無いというときには、知識学は体系であって完結している。そして、それ以上は推論されえる命題がないということは、余分な命題が体系中に取り込まれていないことの、積極的な証明となる。ただ問題なのは、いついかなる条件下で、それ以上は推論されえる命題が、ありえないのかということである。というのも、「後続しえる命題が、には見えない」というような、たんに相対的で消極的なメルクマールでは、何も証明されたことにならないからである。私のあとで他の人がやって来て、私には見えなかったものを見るということもあるだろう。私たちには、端的かつ無条件に、「それ以上は、何も推論されえない」ことの積極的なメルクマールが、必要なのである。
 このメルクマールとしては、「私たちが出発したところの原理が、最終の結果ともなる」ことをおいて他にはない。そうなったときには、私たちがたどって来た道をもう一度たどることなくして、先に進めないことは、明らかであろう。将来知識学が樹立されたときには、
・知識学が実際にこの循環を完成しており、知識学が哲学研究者とともに出発したまさにその地点にまで、再び彼を伴って来たことが示されるであろうし、
・したがってまた、知識学が自らのうちで自らによって、この肯定的証明を、前述の否定的証明と同様、行うことが示されよう(原注)
[ここまで全訳] 
[2] 立てられている原理以外の原理は、人間の持つ知識においてはありえないこと。すなわち、この原理に基づく体系しか、人間の精神のうちにはありえないこと。
 さて、上記の体系が唯一のものであるという命題自体も、人間の持つ知識の構成要素であるから、すべての知識の原理であるもの以外のものに、基づくわけにはいかない。また、そうした原理によってしか証明できない。 
 上記のことから、将来人間の意識に付け加わってくるかもしれぬ原理があるとすれば、その原理は、前記の原理とは異なった別の原理であるのみならず、それとは全くもって対立する原理でなければならない。なぜなら、前記の原理のうちには、「人間の知識のうちには、統一的体系がある」という命題が含まれているからである。従ってこの統一的体系に属さないような命題は、この体系と異なるのみならず、この体系が統一的である以上、対立するものである。だから、その属していない命題は、「人間の持つ知識は、統一された体系ではない」という命題を含むような原理に、基づいていなければならない。
 さらに逆向きに推論する [zurückschließen] ことによって、最初の原理とはまったく対立する原理へといたる事になろう。たとえば、最初の原理が「自我は自我である」ならば、別の原理は「自我は非我 [Nicht-Ich, そのまま訳せば、非-自我] である」となる。

 このような矛盾からすぐさま、2番目の対立する原理は不可能であることを、結論すべきではないし、またできもしない。最初の原理に、「人間の持つ知識の体系は、統一された体系である」という命題が含まれているときには、その原理に、「この統一された体系と矛盾するようなものが、あってはならない」という命題も、むろん含まれてはいる。しかし、この2つの命題は、まずは最初の原理から推論されたものなのである。最初の原理から帰結するものすべての絶対的な妥当性が想定されるときには、その原理が、絶対的で最初の唯一の原理として、すでに想定されており、また、人間の持つ知識を支配するものとして仮定されている。
 したがって、ここには循環があり、この循環から人間の精神は抜け出ることはできない。循環を不意に見いだしてうろたえないためにも、はっきりと循環があるということを認めたほうがよいだろう。この循環は次のようになっている:
a. 命題Xが、人間の持つ知識の最初で最高かつ絶対的原理であるとき、人間の持つ知識のうちには統一された体系がある。なぜなら、この統一された体系は、命題Xから帰結するからである。
b. 人間の持つ知識のうちに、統一された体系があることになる以上、実際にこの体系を基礎づける命題Xは、人間の持つ知識一般の原理である。そして、この原理に基づく体系は、上記 a で言われているような、人間の持つ知識の統一された体系である。

 こうした循環に当惑する必要はない。循環を無くそうとすることは、
・人間の持つ知識をまったく根拠の無いものにしようとすることである;
・そして、端的に確実なことを無くそうとし、
・人間の持つすべての知識は、条件づけられたものにすぎないとすることである。
・またいかなる命題をも、それ自体としては妥当させず、
・どの命題をも、それを生み出した命題が妥当するという条件下でのみ、妥当させることである。

------------------------------
原注) したがって知識学は、絶対的な全体性をもっている。知識学においては、へと、へと通じている。知識学のみが、完結しえる唯一の学問である。したがって完結こそは、知識学を特徴付ける性質なのである。他の学問はすべて限りがなく、完結することがない。というのも、それらは原理へふたたび帰還することがないからである。知識学は、このことを万人に対して証明し、このことの根拠を述べねばならない。

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  第5節 普遍的な知識学を、知識学によって基礎づけられた個別的な学問と分かつ境界は、いかなるものか?

コメント:
 初版では、この節に2つのフィヒテによる注が、含まれていました。幾何学と自然科学についてそれぞれ論じられていたのですが、第2版では削除されました。やはりさすがに言いすぎだと、
感じたのでしょう。しかしフィヒテの発想法を知るうえで、興味深いものがありますので、自然科学の方については、訳出しておきました。
 そこでは、自然科学の諸法則も、研究者がはじめから「自然の中へ入れておいたもの」だと述べられていますが、いかにも悪しき観念論の典型のような主張です。しかし、フィヒテの論理を忖度(そんたく)すれば自然観察の前に法則の知識が存在したところの研究者の精神とは:
・近代的「主-客」対立における主観ではありません。
・むしろ、「主=客」合一態における主観の契機です。
・個人的な意識・精神ではなく、私たちから見れば共同主観性です。
 こうしたことを勘案すれば、たんに常識的な視点からの「悪しき観念論」という非難が、妥当するものではありません。とはいえ、フィヒテのこのような発想では(そしてこの根本的発想は、シェリングやヘーゲルにも引き継がれるのですが)、自己完結したというよりも閉じられてしまった哲学体系が帰結することになります。私たちとしては比喩的に言えば、投影図をとって平面的に見ればなるほど閉じられているが、立体的には無限でありえるような構成を、考えるべきだと思います。

訳(全訳ではありません):
 第3節で、同じ命題であっても、普遍的な知識学の命題となっている場合と、個別的な学問の原理となっている場合では、意味あいが違うことを、私たちは見い出した。個別的学問の原理となっている場合には、それになお、たとえば何かが付け加わって来なければならないのである。付け加わるべきものは、知識学からしかもたらされない。というのは、知識学には人間の持つことのできるすべての知識が、含まれているからである。そこで、知識学のうちの 1 つの命題が、個別的学問の原理となるべき命題と、結合するのにちがいない。
 私たちが今答えねばならないのは、直接知識学自体の概念から派生した問題ではなく、知識学以外にも実際に諸学問があるという仮定から派生した問題である。だから私たちも、同じく仮定によってこの問題に答えてもよかろう。すなわち、私たちは前述の境界のあり方の一つの可能性を示したが [すなわち、知識学のうちの 1 つの命題が、個別的学問の原理となるべき命題と、結合するということ]、当座はそれで十分だろう。この示したものが真の境界であるかどうか(おそらくそうであろうが)ということは、ここでは証明できないし、またすべきでもない。

 さてそこで、強いられて必然的に完遂するような、人間のある種の精神活動を、知識学が含んでいると仮定してみよう。しかし、そうした活動の究極的な説明根拠として、「精神は活動するように強制されることはまったくなく、思いどおりにふるまえる」という、前述の同じ精神が持つ能力を、知識学が設定するものととする。
 すると知識学によって、必然的な活動
と自由な活動の2つが与えられていることになる。人間の精神的活動は、精神が必然的に活動するかぎり知識学によって規定されていよう。しかし、精神が自由に活動するかぎりにおいては、規定されてはいない。
 そしてさらに、自由な活動といえども何らかの理由で、規定されると仮定してみよう。そのような事は、だが知識学のうちでは起こりえないであろう。しかしながら、規定というものが問題となっているのだから、そのような事は学問のうちで、したがって個別的な学問のうちで起きなければならないであろう。こうした自由な活動の対象は、知識学によって与えられる必然的なものに他ならない。というのも、知識学が与えていないものは何もなく、知識学が与えるものは何であれ必然的なものだからである。
 したがって、個別的な学問の原理のうちで、知識学が自由なものとした活動が、規定されなければならない。すなわち、知識学は原理に必然と自由を与えるが、個別的学問の方は、自由に対して規定性を与える。この点に、両者間の明快な境界線があるといえよう。それ自体としては自由な活動が、規定された方向性を得るやいなや、私たちは普遍的知識学の領域から、個別的な学問の分野へと移るのである。このことを2つの例を使って、説明しよう。

1) 知識学は絶対的な境界 [Grenze, つまり、一つの領域] として空間と点を、まったく必然的 [als notwendig] に与える。しかし知識学は、想像力に対し思うがままに点を措定する自由を与えるのである。この自由が規定されるやいなや、例えば、限界なき空間の果てに向けて点を動かし続け、そのことによって線を引くことが規定されるやいなや、それはもう知識学の領域ではなく、幾何学という個別的学問の分野なのである。ある規則にしたがって空間を境界づけるという課題や、空間内での構成は、幾何学の原理 [の関与するところ] であって、このことにより幾何学は、知識学と明確に区別される。

2) 知識学によって、たんなる表象の法則からはまったく独立している非我と、それらにしたがって非我が観察されねばならない(原注)ところの諸法則が、必然的に与えられる。

原注 [第2版(1798年)では削除された]:次のようなことは、自然研究者にとっては奇妙だと思われるだろうが、やがては厳密に証明されるだろう。すなわち、自然研究者が自然の観察によって学んだと信じている自然の諸法則は、彼自身がはじめに自然の中へ入れておいたものなのである。小さな法則から、天体の運動に関するような大きな法則まで、観察に先だって、人間の全知識の有する原理から導出できるのである。
 なるほど、いかなる自然法則も、また法則一般も、それらの法則が適用されるべき対象が与えられていないときには、意識にのぼりはしない。また、すべての対象が、必然的に法則と一致するとか、同じ程度で一致するというのでもない。いかなる対象も、法則と完全には一致していないし、できもしない。しかし、かかるがゆえに、[逆に] 私たちは法則を観察によって知るのではなく、すべての観察の基礎に法則をすえると言うのである。そして、私たちが自然を観察するとき、私たちから独立した自然の法則があるというより、私たちのための法則があるのである。

[本文の続き] しかしこのとき判断力は、これら法則一般を適用するかどうかについての完全な自由をもっている。また、さまざまな法則があり、さまざまな対象があるなかで、どの法則をどの対象に適用するかについて、例えば人間の身体をあるいは自然物として、あるいは有機物として、あるいは動物的生命体として考察するのかについて、判断力は完全な自由をもっている。
 けれども判断力が、特定の対象が特定の法則に一致するかどうか、するならばどの程度かをみるために、その対象をその法則に照らし合わせるときには、判断力はもう自由ではなく、規則のもとにおかれている。したがって、私たちはすでに知識学の領域にいるのではなく、自然科学という別の学問分野に入ったのである。
 経験において与えられる対象を、私たちの精神のうちで与えられる法則と照らし合わせるという仕事 [Aufgabe] が、自然科学の原理である。この仕事は、私たちが進んでおこなう実験から成り立っており、自然が私たちへおよぼす無規則な作用 [Einwirkungen] への受動的な態度から成り立つのではない。この実験は、私たちが自らの意志で自らに課したものであり、実験 [結果] と自然は合致することもあれば、しないこともある。このことによって、自然科学は知識学と分かたれる。
 
 なぜ知識学だけが絶対的な全体性をもつのか、個別的学問はすべて限りがないのか、ということもここで分かる。知識学は必然的なもののみを含むのである。そのようなものは、必然的に量に限りがある。
 その他の個別的学問は、それが私たちの精神についての学問であれ、私たちからまったく独立している非我についての学問であれ、すべて自由へと向かう、ただし法則の拘束を受けてはいるが。そこで、個別的学問の領野は限りないものとなるのである。
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  第6節 普遍的な知識学は、とりわけ論理学とどのようにかかわるのか?

コメント:

 この節では「反省」と訳される Reflexion が登場します。これは普通の意味での反省(自分がなした行為や思ったことを、倫理的に検討し、今後の指針にすること)ではなく、哲学用語としての反省(意識に生じたことを、自覚的に整序すること)です。

 次に、ふつう私たちは「A = A」という命題を、暗黙のうちに、論理学ないしは意味論的領域で自明の真理と受けとっています。しかし、フィヒテはこの命題の発生の場面から問題にし、自我によるこの命題の措定から考えていきます。

訳(全訳です):
 知識学は、可能なすべての学問のために形式を定めねばならない。ふつう考えられているところによれば、これにも一理あるのだろうが、論理学もまた同じことをする。この2つの学問はどのような関係にあるのだろうか? とりわけ、形式を定めるという両者が自分のものだ見なしている仕事について、どのような関係にあるのか?
 論理学は、可能なすべての学問にたんに形式のみを与えねばならぬが、知識学は形式のみならず内容も与えなければならないことを思いおこすならば、この大変重要な問題の探求はすぐに容易なものとなろう。知識学においては、形式は内容から、そして内容は形式から、決して分離してはいない。知識学の各命題においては、形式と内容はもっとも緊密に統合されている。[したがって、] 論理学の命題のうちには可能な学問の形式はあっても、内容はないのであれば。論理学の命題が同時に知識学の命題となることはない。論理学の命題と知識学の命題は、異なっているのである。
 したがってまた、全学問は知識学そのものではないし、知識学の一部というのでもない。一般的に全学問は――このことを哲学の現況においては奇妙に思う人がいるにしても――哲学的な学問ではなく、それぞれが固有に抽象的な学問なのである。とはいえそのために、これら学問の威厳が傷つくわけではない。

 学問というものが、このようであってみれば、自由のもつ1つの規定が――この規定によって、学問と普遍的な知識学との間に、境界が設けられるのであるが――、明らかにされねばならない。実のところ、この規定はたやすく見いだされるであろう。
 知識学においては、内容と形式は必然的に統合されている。論理学は、内容を捨象した形式そのものを定めねばならない。この捨象は、もともと必然的に起きるものではない。もっぱら自由によってなされるのである。したがって、自由がこのような捨象を行うためには、自由は論理学において規定されていなくてはならない。それは、抽象Abstraktion [捨象とも訳しえる])と呼ばれる。こういうわけで論理学の本質は、知識学の全内容の捨象にある。

 このようなあり方をしている論理学の命題が、たんに形式であるのかというと、それは不可能なのである。というのも命題一般の概念のうちには、命題が形式と同様に内容をも持つということがあるのだから(第1節を参照)。それゆえ、知識学においてはもっぱら形式であるものが、論理学では内容であらねばならないだろう。この内容は、再び知識学の普遍的形式を得るであろうが、この形式は、論理学においてはまさに論理的命題の形式として考えられよう。
 [前記知識学の普遍的] 形式を、形式 [a] の形式 [b] となすような――すなわち、形式 [a] は形式 [b] の内容として存するのだが ――、こうした自由の第2の活動は、反省Reflexion)と呼ばれる。[文章のこの部分は、第2版では次のようになっています:形式をその形式固有の内容となし、自己 [=形式] 自身の内へと帰還させるような(in sich selbst zurückkehrt)、こうした自由の第2の活動は、反省と呼ばれる。]
 いかなる抽象も、反省無くしては存在しない。またいかなる反省も、抽象無くしては可能でない。抽象と反省それ自体として見れば、自由の行う活動である。しかし、両者が相互に関係しあうときには、それぞれが必然的に他方からの制約を受けるのである。[第2版では以下の補遺があります: 総合的思考にとっては、両者は一つの同じ活動であり、2つの側面から見られたものにすぎない。]

 ここから、知識学と論理学の一定の関係が生じる。知識学が論理学を基礎づけるのであって、論理学の方が知識学を基礎づけるというのではない。知識学は論理学からは、まったくもって証明されえないのである。知識学に先だっては、いかなる論理学の命題も、矛盾律と言えども、妥当なものとして前提することはできない。逆に論理学の各命題は、そして全論理学も、知識学から証明されねばならない。論理学において定められた諸形式は、知識学においての特定の内容がもつ現実的な諸形式であることが、示されねばならないのである。したがって、論理学がその妥当性を知識学から借りてくるのであって、知識学の方が妥当性を論理学から借りるのではない。

 さらに言えば、知識学が論理学によって条件付けられ、規定されるのではなく、論理学の方が知識学によってそうされる。知識学は、例えばその形式を論理学から得るのではなく、自ら自身のうちに持っており、自由による捨象の可能性のために、この形式を定めるのである。
 それどころか、知識学は論理学の適用に条件をもうける。すなわち、論理学が定める諸形式を適用しえる内容は、これら諸形式がすでに知識学において包括している内容だけなのである。だが、必ずしも包括している内容すべてではない。というのも、もしそうであれば個別的学問は生じずに、ただ知識学の諸部分が繰りかえされるだけであろうから。そこで、内容の一部に、すなわち前述の形式によって包括されている内容が含むところの内容に、必然的に適用しえるのである。このような条件を満たさない形式の適用によって成立した学問は、空中楼閣にすぎない。

 最後に知識学が、明確に考えられて体系的に提示された学問ではなくとも、 人間の素質 [の発現] として、必然的なものであるのに対し、論理学は自由な人間精神が作り出した人工的な産物である。知識学なくしては知識や学問はまったく不可能であろうが。が、論理学がなくても全学問はたんに遅れはしても完成したことであろう。全学問にとって知識学は、[それらが成立するための] 唯一の条件である。論理学は、学問の進歩を確実にし容易ならしめるための大変役立つ発明である。

 ここれまで体系的に演繹してきたことを、例を使って述べてみう;
 「A = A」は、疑いもなく論理的に正しい命題である。この命題がその正しさにおいて意味するところは、「もしAが措定されているならば、すなわちAは措定されている」ということである。ここで、2つの問いが生じる。
(1) いったいAは、措定されているのか? そして、もしAが措定されているのであれば、どの程度まで、また何ゆえに措定されているのか? 
(2) 上記命題中の「もし」と「すなわち」は、いったいどう連関しているのか?

 前記Aが「私(ich)」だとし、「私」としての内容を持っているとしよう。すると前記命題は、「私は私である(Ich bin Ich.)」という意味にまずもって(訳注1)なる;つまり、「もし私が措定されているならば、すなわち私は措定されている」という意味になる。
 さて、この命題の主語(Subjekt)[の私] は、絶対的な主観(Subjekt)であるから、すなわち端的に主観であるから、この場合に限っては、命題の形式とともに命内の内容も、同時に措定されるのである:つまり、「私は措定されている、なぜなら私が措定したがゆえに」、あるいは「我あり、我あるがゆえに(Ich bin, weil ich bin)」。
 したがって、論理学は「もしAが存在するならば、Aは存在する」と言うが、知識学は「A(訳注2) が存在するがゆえに、Aは存在する」と言うのである。かくして、「いったいA(訳注3)は措定されているのか?」という問いには、「Aは措定されている。というのも、Aは措定されているのだから」と答えられよう。(訳注4

 [ここで誤解を防ぐために一言すれば:
I. フィヒテにあっては、また一般的に、「措定されている」ということは「存在する」を意味します。
II. この箇所の
Ich ないし ich は、「私」と訳出していますが、哲学タームとしての「自我」ではないことは、動詞の活用や das Ich とは書かれていないことから明らかです。つまり、フィヒテは彼の「自我」を押し出す前に、日常的、現実的な意味合いの「私」を導入することによって、読者の理解しやすさを狙ったものと思われます。
III. なお、ここでフィヒテが言わんとしていることは:
 (a) 「A = A」という命題は、Aが私であるときには、「私は私である」という命題になる。
 (b) 「私は私である」という命題は、「もし私が措定されているならば、すなわち私は措定されている」ということを意味する。
 (c) では、「もし私が措定されているならば」と言われているが、実際に私は措定されているのか? 措定されている。なぜなら、
  i) 前記の命題そのものは、私たちの眼前にあるのだから、措定されている。
  ii) この命題そのもの(フィヒテの表現では「命題の形式」)は、そもそも私(フィヒテの表現では「絶対的な主観」)によって措定されることなくしては、そもそも存在しないのだから、この命題が措定されているということは、措定した私もすでに存在する、措定されている。
  iii) ところで、前記命題中の「Aが「私(ich)」だとし、「私」としての内容 [=絶対的な主観] を持っているとしよう」と仮定していたのであるから、命題を措定する私(絶対的な主観)が存在するということは、命題中の「私」も存在する、措定されていることを意味する。

 前記の命題中のAが、自我(das Ich)を意味せず、何か他のものを意味するとしよう。すると前述のことから、
(1) 「Aは措定されている」と言えるための条件が分かる。
(2) また、「もしAが措定されているならば、すなわちAは措定されている」と推論するのが、どうして正当なのかが分かる。
――つまり、「A = A」という命題は、もともとは自我についてのみ妥当するのである。この命題は、知識学の命題「自我は自我である」から、抽出されたのである。したがって、 「A = A」の命題を適用しえるすべての内容は、自我のうちにあらねばならず、自我に含まれていなければならない。いかなるAも、自我のうちに措定されたもの以外ではありえない。
 そこで今や命題「A = A」は、次のようなことを意味するであろう:
・自我のうちに措定されているものは、措定されている。
・Aが自我のうちに措定されていれば、
 i) すなわちAは措定されているし(つまり、Aが可能的に、あるいは現実j的に、ないしは必然的に [自我のうちに] 措定されているかぎり)、
 ii) また、自我が自我たるかぎり、命題「A = A」は文句なく正しい」。
・さらに、もし自我が措定されているならば―― [実際] 自我は措定されているのだからして――、自我のうちに措定されているものすべても、それらは措定されているがゆえに、措定されている。
・そして、Aが自我のうちで措定されたものでありさえすれば、もしAが措定されているならば、すなわちAは措定されている(訳注5)。こうして、前記 (2) の問題も答えられたのである。

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(訳注1) この「まずもって」は、zuförderst を訳出したものですが、しかし zuförderst は相良守峯『大独和辞典』や小学館『独和大辞典』(第2版)には記載がなく、訳者の憶測によるものです。
(訳注2) 第2版では、「ここでの規定されたA=私」だとの付記があります。
(訳注3) 第2版では、「ここでの規定されたA」だとの付記があります。
(訳注4) 第2版では、「Aは、無条件に、端的に措定されている」との付記があります。
(訳注5) この原文は、. . . so ist es gesetzt, wenn es gesetzt ist, とコンマで終わり、次の文 und die zweite Frage ist auch beantwortet. につながっています。しかし、この前後の2文は意味的に切って読まざるをえませんので、このコンマはピリオドないしセミコロンの誤りであると解釈しました。(SW版全集、第1巻70ぺーじでは、セミコロンになっています)。)
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  第7節 学問としての知識学は、自らの対象とどのようにかかわるのか?


訳(全訳ではありません):
 知識学自身も一つの学問であり、何ものかを対象とする。知識学の対象は、つまるところ人間のもつ知識の体系である。この人間の知識の体系は、知識学から独立してはいるが、知識学によって体系的な形式において提示される。この新しい [体系的] 形式とは何なのか? この新しい形式は、それ以前に存在する形式とはどう違っているのか? また知識学自体は、その対象とどう違うのか?
 
 [以下は全訳です] 学問からは独立に、人間の精神のうちに存在するものを、精神の諸活動 [Handlungen] と私たちは名づける。この活動が「事柄 [Was]」である。これらの活動は、ある特定の仕方で行なわれるが、この特定の仕方によって、それらの活動は相互のあいだで区別される。これが「仕方 [Wie]」である。
 したがって、人間の精神のうちには私たちの知識に先立って、もともと内容 [=事柄] と形式 [=仕方] があり、両者は分かちがたく結びついている。各活動はそれぞれ特定の仕方で、それぞれの法則にしたがって行われる。この法則が、活動を規定する。これらすべての活動が相互に関連し、普遍的あるいは特殊的、ないしは個別的な諸法則のもとにあるとき、もし観察者がいれば、一つの体系が存在していることになるだろう。

 しかしながら、これらの活動が実際に時間順に [第2版:Zeitfolge]、前記の体系的形式において次から次へと、私たちの精神のうちに現われるかといえば、必ずしもそうとは限らない。つまり、すべての活動を包括し、そしてもっとも普遍的な最高法則を与えるような活動がまず現われ、ついで、より少ない活動を包括するような活動が、そして次に云々、となるとは限らない。さらに、
・すべての活動が純粋に、他の活動とは混じり合わずに現れ、
・その結果、観察者がいれば十分に区別したであろう諸活動が、不可分唯一の活動として現象することはない、
などということが、帰結するのでもまったくない。[訳注4]
 たとえば、人間の精神の最高の活動は、自らの存在を措定することであるにせよ、この最高の活動が時間的に最初に、意識に明瞭に上ってくるとは、限らない。また、
・この最高の活動が、純粋に意識にいつも [訳注1] 上るかどうか、
・そして人間の精神が、ある何かが自我ではないということを同時に考えることなしに、端的に「[自] 我あり」をつねに考えられるかどうかは、
定かではないのである。

 さて、ありうべき知識学の全素材はこうしたことのうちにあるにせよ、[知識学を含む] 諸学問自体は、ここにはまだ存在していない。諸学問を完成させるには、既述した諸活動すべてのうちにもまだ含まれていないところの、人間精神のある活動が必要なのである。すなわち、精神の活動様式 [Handlungsart] 一般を意識に上らせるような活動である。この活動は、既述した諸活動には含まれていない。そして、既述の諸活動はすべて必然的であり、また必然的な諸活動はすべて既述の諸活動であるから、今問題にしている活動は、自由な活動である。
 したがって、知識学が体系的学問である限り、他のすべての可能な体系的学問と同じように、自由が規定されることによって生じる。ここでの自由は、人間精神の活動様式一般を意識化するように規定されている。知識学が他の諸学問と異なるところと言えば、ただ、
・他の学問の対象自体は、自由な活動であるのに対し、
・知識学の対象は、必然的な諸活動であることである。

 このような自由な活動によって、すでにそれ自体としては形式だったものが、つまり、人間精神の必然的活動が、内容として新たな形式へと、すなわち知識という形式ないし意識という形式へと [訳注2] 、取り入れられる。したがってそうした自由な活動は、反省 [Reflexion] という活動である。前述の必然的諸活動は、それらがそのままに [an sich] 現われてきた系列から恐らくは切り離されて、また混合から純化されて提示される。それゆえこの自由な活動は、抽象という活動でもある。抽象してはいないのに反省することは、不可能なのである。

 人間精神の必然的な活動様式一般が取り入れられるところの意識という形式は、疑いもなくこれ自身そのような必然的活動様式に属する。人間精神の必然的な活動様式は、そうした意識形式 [知識] のうちへ取り入れられるが、このことはすべての他の取り入れられるものとまさしく同様である、。そこで、「ありうべき知識学のためのこうした意識形式は、いったいどこから来るのか?」という問いに答えるのは、たやすいであろう。[すなわち、「そのような形式は、人間精神が必然的にもつ活動様式の一つである」と答えられよう。]
 しかし、この形式に関する問いから私たちが解放されたとしても、素材に関する困難な問いが生じてくるのである。つまり、人間精神の必然的な活動様式が、そのまま [an sich] その意識形式 [=知識] に取り入れられるというのであれば、この必然的活動様式はそのようなものとして既に知られていなければならなくなってしまう。したがって、その形式 [=知識] のうちに、すでに取り入れられていなければならないこととなる。そこで、私たちは循環に陥っていることになろう。

 [そうではなくて、] この [必然的] 活動様式一般は、既述したところにしたがって、この活動様式以外のすべてのものから反省的に抽象されることによって、分離されなければならないのである。この抽象は自由によって行われるのであり、抽象化にさいし人間精神[第2版では「哲学的判断力」] が盲目的に強制されることは少しもない。そこで困難な問題は、まったくもって次の点にあることになる:自由はいかなる規則にしたがって、前記の分離を行うのか? 人間精神はいかにして、何をとり上げ何を放置しておくべきかを知るのか?

 だが人間精神は、このことをまったく知りようがないのである――人間精神が意識にはじめて上せるべきものが、すでに意識に上っていなければ。しかし、それは矛盾というものである。したがって、このことに関しての規則はないし、またありえない。人間精神は、さまざまな試みをする。盲目的な試行錯誤によって薄明にいたり、そこからやがては白昼へと移行するのである。人間精神は始めはおぼろげな感情によって、導かれる(この感情の起源と現実性については、知識学が説明しなければならない)。私たちがようやく後になって明瞭に認識できたものを、まずはおぼろげに感じはじめるということがなかったならば、今日でも私たちは明瞭な概念を持つことはなかったであろうし、私たちは未だに大地から盛り上がった土くれにすぎなかったであろう。

 これは実際哲学史でもあった! そしてこれが、「すべての人の精神のうちに隠されることなく存在し、明示されていさえすれば誰もが容易に理解できることが、なぜいろいろさ迷った末にようやく少数の人々の意識へと達したのか」、ということの本来の理由である。すべての哲学者が、掲げられた目標に向かって出発し、反省によって人間精神の必然的な活動様式を、その偶然的な諸条件から分離しようとした。そして彼らすべてが、完成度や純粋さにおいて異なるにせよ、そのような分離を成しとげてきた。全体としてみれば、哲学的な判断力はつねに前進しており、目標に近づいてきたのである。
 
 前記の反省が、
・そもそもなされるかどうかという点においてではなく――というのも、反省をするもしないも自由なのであるから――、
・反省が諸法則にしたがってなされるかぎり、
・[すなわち、] 反省がそもそも行われるという条件下においては、反省の仕方が規定されているかぎり、
・そしてまたこの反省の仕方が、人間精神の必然的な行為に属するかぎり、
反省がしたがう諸法則は、人間精神一般の体系のうちに存するに違いないのである。そし学問が完成した後では、行った反省がそうした法則にかなったものだったかどうかは、はっきりする。したがって少なくとも後になれば、私たちが企てる学問体系 [知識学] の正しさの明瞭な証明が、可能となることを信じてもよかろう。

 しかし、私たちが学問 [=知識学] の進行において見いだすところの反省の諸法則が――[第2版での追加:] 知識学が完成できるために唯一可能であるような反省の諸法則が――、[知識学の] 方法の規則として、私たちが仮定的に設定する諸法則と一致したとしても、その見いだすところの反省の諸法則はそれら自体が、仮定的に設定する諸法則を前もって適用した結果なのである。ここでは、新しい循環が存在する。すなわち、「私たちは反省の諸法則を前提にしており、ついで学問の進行において、同じ諸法則を見いだす。よって、私たちが前提とした諸法則は、唯一正しいものである。」という循環である。
 もし私たちが他の諸法則を前提にしていれば、前述の見出された諸法則とは違う諸法則が、やはり学問の進行と共に見出されたであろう。ただその場合問題となるのは、この見出された諸法則が、前述の前提にした諸法則と一致するかどうかである。もし一致しなければ、前提にした諸法則か見いだされた諸法則かが、明らかに誤っていたのである。あるいはおそらく両方とも、誤っていたのである。
 したがって私たちが、[学問体系の正しさを] 後で証明する時には、前述の欠陥のある循環論法で、推論することはできない。そうではなく、両方が一致することから体系の正しさを、推論するのである。しかしながらこのような方法は、正しさのたんなる可能性を基礎づける消極的な証明である。前提にされた反省 [Reflexionen] と見出された反省が一致しなければ、その体系は確かに誤っている。両方が一致すれば、その体系は正しいのかもしれない。しかし必然的に正しいはずだとはいえない。なぜなら、
・人間の知識においてはただ一つの体系しかなくて、
・前述の両方の一致が、正しい推論のもとでは、ただ一つの仕方でしか起こりえない場合でも、
一致を生みだすような若干の正しくない推論によって、一致がもたらされてしまうことが、常にありえるからである。
 これはあたかも割り算の試し算を、掛け算によってするようなものである。望んでいた積の数字ではなく、別の数字を得たとすれば、きっとどこかで間違った計算をしたのである。望んでいた積の数字を得たとすれば、正しい計算をした可能性がある。ただし、たんなる可能性である。というのも、割り算と掛け算の双方で同じ誤りを、したかもしれないからである。例えば、双方で 5 x 9=36 としてしまった場合である。これでは前述の一致があったとしても、何も証明してはいない。
 知識学についても、同様である。知識学は規則であるのみならず、計算 [推論] でもある。私たちの行う掛け算の積の正しさを疑う人は、何も「掛け算では一方の数字を、他方の数字の回数分だけ足していかねばならない」という永遠に妥当する法則 [前記の「規則」] を、疑っているのではない。この法則については、彼も私たち同様よく心得ている。ただ彼が疑うのは、私たちが実際にこの法則を守っ [て計算し] たかどうかなのである。

 したがって、体系が最高度に統一されていることは、その体系の正しさの消極的な条件ではある。だがこの統一があってもなお、厳密には決して証明されることができず、ただ蓋然的にしか仮定できないことが――つまり、「この統一は、正しくない推論から偶然的に生じたものではない」ということなのだが――、常に残るのである。このことの蓋然性を高めるために、いくつかの手段を使うことはできる。すなわち、一連の諸命題が記憶に定かでない時には、それらを何回か考え直すことができるし、推論を逆行して、結果の方から原理へと戻って行くことができる。また反省自体についても、再び反省することができる。等々。このようにして、蓋然性は絶えず増大するが、しかしたんに蓋然性だったものは、確実性に変わりはしない。
 [だが] こうした努力の際に、誠実に探求したとの(原注)、また結果を先取りするようなことはしなかったとの自覚があれば、この蓋然性は十分満足できるものである。また、私たちの体系の信頼性を疑う者に対しては、私たちの行った推論のどこが間違いかを示すよう、要求できるだろう。とはいえ、私たちの無謬性を主張することは、決してできないのである。
 人間精神の体系は――それを叙述するのが知識学なのだが――絶対に確実であり、無謬である。その体系のうちで基礎づけられているものは、すべて端的に真であり、誤るということはない。かつて人間の心の内に [SW版ではここに「必然的に」が挿入されています] あったもの、またあるであろうものは真である。人間が誤ることがあったとすれば、誤りは必然的なもののうちにあったのではない。反省をする自由な判断力が、自由なるがゆえに、ある法則を別の法則と取り違えて、誤りを犯したのである。
 私たちの知識学が人間精神の体系の的確な叙述であるときには、知識学はこの体系と同様に、端的に確実で無謬である。ところが問題なのは、私たちが行うこの叙述が、はたして的確かどうか、またどの程度的確かである。このことについては、私たちは厳密な証明をすることができず、ただ蓋然性を根拠づけるような証明しか与えることができない。知識学は的確な叙述であるという条件のもとで、またその限りにおいてのみ、真理なのである。私たちは人間精神に対して立法者ではなく、記録編集者 [Historiographen] である。むろん新聞記者などではなく、原因究明的な歴史家 [pragmatische Geschichtsschreiber] であるが。[訳注3]

 こうしたことに加えて、体系の部分部分は完全な明証性をもたずとも、体系全体としては実際に正しいということもありえる。[つまり、] ここかしこで誤った推論がなされ、中間項が飛ばされ、証明すべき命題が証明抜きで提示されたり、あるいは誤った証明がなされたりしていても、なお重要な結論が正しいことがありえるのである。
 このようなことは、不可能に思えるかもしれない。[ふつうは、] まっすぐな理屈づけからいささかでも外れると、必然的に無限に大きくずれてしまうと、思われている。たしかに、
[1] 人間がただ思考するだけの存在であり、感じることのない存在であれば、そうであろう。
[2] また、
・まっすぐな理屈づけからの [別の] 新たな逸脱が原因となって、感情が古い逸脱を修正してしまうということが、まったくありえない場合とか、
・人間が正しい推論によっては決して再び帰ることができない地点に、感情が人間を導き戻すということがない場合には、そうであろう。
 [しかし、前記 [1] [2] のようなことは実情に合わない]。

 したがって、[体系が全体としては正しく、部分的には誤っているということが、ありえる。しかしそうなってはいけないので、] 普遍的に妥当する知識学が立てられねばならないとしても、哲学的判断力はなお自らがこの領域で、なおも持続的完成に向けて努めなければならない。哲学的判断力は、なおも隙間をうめ、証明を強いものにし、規定をより厳密なものにしなければならないであろう。

 ここで、なお2つコメントせねばならない。
[1] 知識学は、反省と抽象の [守るべき] 諸規則がよく知られており、またそれらが妥当するということを、前提にしている。また前提にせざるをえない。このことを知識学は恥じたり、秘密にしたり、隠したりする必要はない。知識学は、まったく他のすべての学問と同様、自ら [考えるところ] を表明したり [sich ausdrücken]、推論をして [Schlüsse machen] いいのである。知識学は、論理学の諸規則すべてを前提にしていいし、自らが必要とするすべての概念を使用していい。だがこうした前提は、[知識学を] 理解しやすくするためであり、したがってそこから何か結論を引き出そうというのではない。
 すべて証明できることは証明しなければならないし、前述の最初の最高法則を除くすべての命題は導出されねばならない。たとえば、矛盾についての論理学の命題(すべての分析を基礎づけている矛盾律)や根拠についての論理学の命題 [der [logische Satz] des Grundes, 理由律](第3項において等しくないようなものどうしは、対立していないし[訳注5]、また、第3項において対立していないようなものどうしは、等しくない[訳注6]という、すべての総合を基礎づける命題)も、最初の絶対的原理から導かれることはないが、しかしその原理に依拠する2つの原理からは、導かれる。この2つの原理は、なるほど原理ではあるが絶対的な原理ではない。両原理のうちに存するものが、絶対的であるにすぎない。したがって両原理は、この両原理に依拠する論理学の諸命題ともども、証明する必要はないにせよ、導出はされねばならないのである。
 こうしたことを、もう少し説明してみよう。知識学が提示するものは、考えられて言葉に表された命題である。人間精神においてこの命題に対応しているものは、精神の何らかの活動であるが、しかしこの活動そのものは、必然的に思考されるものだとはまったくいえない。この活動に対しては、この活動自体がそれなくしては成り立たないものを除いては、何ものも前提されるべきではない。そしてこの前提せざるをえないものは、暗黙のうちに前提されるのではなく、知識学によって明瞭に規定され、それなくしては精神活動が不可能なものとして、提示さるべきである。
 たとえば、系列上4番目の活動Dがあるとしよう。するとDには活動Cが先行するはずであり、またCはDが存在するための不可欠な条件(ausschließende Bedingung)として証明されねばならない。そして、Cに対してはBが同様なことになる。しかし、活動Aは存在することが端的に可能であり、無条件に存在し、したがってAに対してはまったく何ものも、前提されなくていいし、またされてもいけない。
 活動Aを思惟することは、[Aとは] 全く別の活動であり、多くのこと [後述のC, B, A] を前提としている。Aを思惟する活動が、提示されるべき諸活動の系列中のDだとすると、
・DのためにA, B, C が前提とされねばならないこと
・しかもAの思惟 [D] は、知識学が行う最初の仕事でなければならないので、A, B, C は暗黙裡に前提されねばならないことは、
明らかである。
 命題Dにおいて、はじめて知識学の最初の仕事の諸前提が証明されるが、するとまた、いくつか前提されていることになる[訳注7]。したがって、知識学の形式は、つねに知識学の素材に先行しているのである。そしてこのことが、前述した「なぜ学問というものは、たんに蓋然性をもつにとどまるのか」ということの、理由である。
 叙述されたものと叙述自体は、2つの異なる系列をなす。叙述されたものの系列では、証明されていないものは前提とされない。だが、叙述自体の系列が可能になるためには、ようやく後になって証明されるものが前提とされざるをえないのである。

[2] 知識学が学問である限り、知識学全般において支配するのは反省 [Reflexion] であるが、この反省は表象すること [ein Vorstellen] である。とはいえ、反省されるところのものはすべて表象にすぎない、というのではない。
 知識学においては、自我が表象される。しかしながら、自我はたんに表象するものとして、知能として表象されるということではない。そこにはなお他の諸規定が、見出されよう。哲学する主観としての自我というもの [das Ich] は、確かに表彰するだけである。だか、哲学の対象としての自我というもの [das ich] は、それ以上のものであろう。表象することは、哲学者たるもの [des Philosophen, als solchen] にとっては最高の、絶対的に最初の活動である。が、人間精神の絶対的に最初の活動は、別の活動であろう。というのもそうであるらしいことは、すべての経験に先だって、あらかじめ次のような理由から言えそうなのである:
[a.] 表象は、完全に考察され尽くせるからであり[訳注8]
[b.] また、表象が行うやり方 [Verfahren] はまったく必然的なものであり、それゆえ手法の必然性には、究極的根拠があるはずだからである。この根拠は、究極のものであって、それ以上の根拠を持ちえない。
 このように考えるならば、表象の概念の上に建てられているような学問は、なるほど大変有益な学問への入門にはなりえても、知識学自体にはなりえないであろう。そして上述したところから確かに言いえることは、知識学が完全に考察 [erschöpfen] すべき人間精神の全活動様式は、 ただ表象の形式においてのみ――すなわち、これら活動様式が表象される限りにおいて、また表象されるやいなや――、意識にもたらされるということである。

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原注) 哲学者には、真理感覚だけでなく、真理への愛も必要である。[だがここで] 私が言いたいことは、「哲学者たるものは、自分では十分に意識していながら、だが同時代人たちは誰も気づかないだろうと信じる詭弁でもって、結論を前提に織り込んだような主張をしてはいけない」、ということではない。そうした時には、その哲学者自身が、真理を愛してはいないと自覚しているのである。
 この真理への愛に関しては、各人が自らの裁判官であって、明白な証拠もないのに、他人をこの愛に欠けるがゆえにとがめるなどという権利は、誰も持ってはいない。だが無意識に詭弁を弄してしまうことに対しても、人間精神の研究者は用心深くあらねばならないのである。人間精神の研究者は他のいかなる研究者にもまして、こうした詭弁にさらされている。人間精神の探求者は、
・真理がいかようであれ、ただ真理のみを求めるということを、
・そしてまた、どこにも真理は存在しないということがもし真理であるならば、ただこれが真理であるということだけから、喜んで受け入れるということを、
ただぼんやりと感じるのではなく、明確な意識へと、そして自らの最高の格律へと、高めねばならない。
 ある命題がどんなに無味乾燥に、また些細な事柄に見えようとも、そういうことは人間精神の探求者にとってはどうでもいいのである。ある命題が真理の体系に属し、そこでの他の命題すべてを支えるかぎり、このような命題は彼にとって、ことごとく等しく神聖でなければならない。このような命題から何が生じるのかと、彼は問うてはいけない。何が生じようと、自らの道をまっすぐに行き続けなければならないのである。彼はいかなる労も惜しんではならない。そしてなお、たとえ困難にして意義深い研究といえども、それが根拠を欠いていることが示されたり、彼自ら
そのことを発見したりした時には、常に瞬時にその研究を放棄できなければならない。もし彼が見込み違いを犯したとしても、それは今までの思想家すべてに共通な運命以上のものではあるまい?

[訳注1] jemalsを文脈から考えて、「いつも」のと訳してみました。辞典に記載されている意味は、「(未来の)いつか」と「(過去の)かつて」です。しかし、je には「常に、いつも」の意味があり(相良守峯『大独和辞典』博友社)、それに「時点」を表す副詞を作る mals が付いているのではないかと、考えました。
[訳注2] レクラム文庫版(Universal-Bibliothek Nr. 9348)では、この箇所は in eine neue Form die Form des Wissens となっており、Form と die の間にコンマがなく、文法的に意味が取れなくなっています。
 そこで、SW版全集のように(第1巻、72ページ)コンマがあるものとして、訳出しました。
[訳注3] pragmatische Geschichtsschreibung とは、「ギリシアの歴史家ツキジデスにまでさかのぼる歴史学で、歴史的諸事件の原因結果を究明し、それから将来への教訓を引き出そうとする」もののようです。(相良守峯『大独和辞典』博友社の pragmatisch の項目)
[訳注4] この1文の原文は:
 ferner ist auch das gar nicht die Folge, dass sie [= die Handlungen des Geistes] alle rein und unvermischt vorkommen, so dass nicht mehrere, die durch einen etwanigen Beobachter gar wohl zu unterscheiden wären, als eine einzige erscheinen sollten.

[訳注5] 例えば、<重いもの>と<冷たいもの>。
[訳注6] 例えば、宇宙の多くを占めるといわれる不可視の<暗黒物質>と、周期表で表される<通常の物質>。両者は、質量・重力を有する点では等しく物質です。なるほどフィヒテの文章への例としては不適切でしょうが、考え方の例として受け取っていただければ幸甚です。

[訳注7] この一文の訳ならびに意味は、よく分かりません。原文は:
 Erst im Satze D werden die Voraussetzungen des ersten erwiesen werden; aber dann wird wieder mehreres vorausgesezt seyn.

 一応、des ersten は、前文に出てきた「知識学が行う最初の仕事」を指すと解釈しました。すると mehreres は、具体的に何を意味するのでしょうか?
 また、erwiesen は「証明される」というより、「明示される」が適切かも? しかし、同じ第7節の「だがこの統一があってもなお、厳密には決して証明 [erwiesen] されることができず、ただ蓋然的にしか仮定できないことが・・・常に残るのである」(SW版全集、第1巻、75ページ)という文中の erwiesen は、「証明」の意味にしか取れないのですが・・・

[訳注8] この箇所の原文は:
  sich die Vorstellung vollkommen erschöpfen läßt,
この sich erschöpfen läßt を「考察され尽くせる」と訳しました。字義どおりに訳せば「汲みつくされる」です。   
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第3章
 知識学の暫定的な分類
[訳注1]

  第8節 
[表題はなし]

コメント:
 自我の中に、自我そのものと非我が包括されるという構造が、登場します。つまり、自我が入れ子型となって、自らとその対立物をを包括するという論理(私たちの用語では、自我のメタ化)です。これは今まで誰もが聞いたことのない、真に革新的というか破壊・創造的、あるいはメチャクチャな主張です。「自明なものといえる、同一律・矛盾律などはどうなってしまったの?」 はじめてこの文章を目にした若い世代は、唖然呆然、やがて体が震だし熱狂に至ったことでしょう――ドイツ観念論なるものが、始まったのでした。 
 この著作の最後の結びの文は、いかにもフィヒテらしい、また彼の未来を予言するものとなっています。

全訳:
 絶対的にして最初の原理が基礎づけるのは、人間のもつ知識の部分ではなくて、全体であるから、この原理は知識学すべてにわたって共通でなければならない。区分というもの [Einteilung] は、第3項に対しては等しいものどうし [第1項と第2項] を、対置することによってのみ可能である。
 自我が最高の概念であって、自我にはある一つの非我 [ein Nicht-Ich,[訳注2]] が [前記の第2項として] 対置されるとしよう。すると明らかなことは、非我は措定されていなければ、しかももっとも包括的なものにおいて、すなわち自我において、措定されていなければ、対置されえないことである。
 したがって、自我は2つの観点から考察されねばならないであろう。
[1] その中に非我が措定されるものとして。
[2] 非我に対置されており、したがって、それ自体が絶対的自我の中に措定されているものとして。
  [2] の自我は、絶対的自我の中に非我とともに措定されている限り、絶対的自我の中では非我と等しいであろう。また同時にこの[2の] 観点において、自我は非我に対置されてもいよう。こ
のように考えられるのは、自我と非我の両者は自我のうちでは等しいのであるが、この自我の中に第3項が存するという条件下でのみである。そしてこの第3項というのは、量の概念であろう。自我と非我の両者は、それぞれに対置されものによって [自我は非我によって、非我は自我によって] 規定される量をもつ。(原注1)
 自我は、非我によって(非我の量の面から)規定される。その限りで自我は依存的であって、「知性 [Intelligenz]」と呼ばれる。この知性を扱う知識学の部門は、知識学の理論的な部門である。この部門は、
・諸原理から導出されるべき概念に基づき、
・また、諸原理によって証明されるべき概念に、表象一般 [に適用されるところ] の概念に、基づいている。,[訳注3]

 しかし、自我というものは絶対的で、端的に自ら自身によって規定されていよう。自我が非我によって規定されるとすれば、自ら自身を規定はしないのであってこれは最高にして最初の絶対的原理に矛盾することになる。この矛盾を避けるためには、次のように想定せねばならない。すなわち、知性を規定すべき非我は、それ自体自我によって規定されると。ただし、このような規定をする自我は、表象する自我ではなく、絶対的な原因 [Kausalität] を有するであろう。
 しかし、
・そのような原因性 は、対置されている非我と、また非我と共に、それに依存している表象を、まったくもって廃棄してしまうであろうし、
・したがって、そのような原因性を想定することは、第2、第3の原理に矛盾する。
だから、この原因性は、表象に矛盾するものとして、表象できないものとして、原因ではない原因性として [als eine Kasualität, die nicht Kasualität ist.]、表象されなければならない。
 が、原因ではない原因性という概念は、志向 [Streben, 努力] の概念である。原因性は、無限なものへの終結した接近 [einer geendeten Annäherung zum Unendlichen] という条件のもとでのみ、考えられる。しかし、原因性自体は考えられない。
 志向という、必然的なものとして証明されるであろうこの概念は、知識学の第2部の基礎となる。この第2部は、実践的部門といわれる。

 この第2部は、それ自体として大変重要である。むろん第1部 [理論的部門] も劣らず重要であるが、それはただ第2部の基礎としてなのであり、第2部が第1部なくしては、まったく理解できないからである。理論的部門 [第1部] は、第2部においてはじめて確実に限定され、しっかりとした土台をえる。それは、前述の必然的な志向から、次のような問いが答えられることによってである:
・なぜ私たちは、現にあるような触発 [Affektion, カントの用語:対象が私たちの感覚器官を刺激して直観を成立させること] 一般の条件下で、表象しなければならないのか?」
・私たちはいかなる権利があって、表象を私たちの外部にあるものに、それが表象の原因だとして関係させるのか?
・いったい私たちはいかなる権利があって、完全に諸法則によって規定された表象する能力を、想定するのか?(この表象能力の諸法則は、表象する能力に固有なものとして表象されるのではなく、志向する自我のもつ諸法則として表象される。そして、これら諸法則の適用は、自我とは逆に志向する非我が、感覚能力 [das Gefühl] へ及ぼす作用によって、条件づけられているのである)。
 第2部においては、快適さ・美・崇高さ・自然の自由における合法則性・神学・いわゆる常識、すなわち自然な真理感覚などについての、完全に規定されれた新しい理論が基礎づけられる。そして最後に、自然権 [Naturrecht, 自然法] と倫理学が、基礎づけられる。この倫理学だが、その原理は、形式のみならず実質をも持っているのである。 [訳注4]
 すべてのものは、以下の3つの絶対的なものの提示によって、基礎づけられるのである。
[1] 絶対的な自我。この自我は、
・自らが与えたところの、
・また、非我の作用 [を受けている] という条件のもとで表象しえるところの、
諸法則に従っている。 [訳注5]
[2] すべての諸法則に依存せずに自由な、絶対的な非我。この非我を表象することはできるが、それはこの非我が、積極的にしろ消極的にしろ諸法則を、つねに限られた程度では表現するという条件のもとでである。
[3] 自我と非我の作用に応じて私たちを規定するところの、私たちの内なる絶対的な能力。この能力を表象することはできるが、それはこの能力が、非我の作用 [Einwirkung] を自我の働き [Wirkung, 意味は Einwirkung と同じ] から、つまり法則から、区別するという条件のもとでである。
 いかなる哲学も、これら3つの絶対的なものを越え出ることはない。

 [ここで本書の内容は終わり、この後はフィヒテの学生へ向けての挨拶と、学問をする者の心構えが説かれる。そして次の文章によって、締めくくられている。]

 まもなくイェナ大学の皆様の一員に、私も加えていただくという栄誉に浴することとなったが、この『知識学の概念』で展開を試みたのは学問の概念であり、私がこの学問についていかなる講義をしようとしているのかは、皆様におかれては講義告知からご存知であろう。そして、このことについて私から皆様に何か申すべきことがあるとするならば、前述の学問の2部門への導入書として『私の聴講者への手稿』(原注2)を印刷して、皆様にお渡しできればということである。
 講義時刻については、私の到着後にしかるべき場所に掲示したい。

 ただ1つの点に関しては、皆様に私は説明すべき義務がある。疑いもなく皆様すべてがご存知のように、学問は無益な精神労働のために、また上品な贅沢のために、あるのではない。もしそれらのためにだとすれば、学者もまさに、贅沢そのもののための生ける道具 [=人間] すべてが属するところの階級に、属することとなろう。そしてこの階級においてさえも、哲学者が最上位に位置するかどうかは、議論の余地があろう。
 私たちのすべての探求は、人類の最高目的を目ざすべきである、[すなわち] 私たちが成員となっている類を高尚にすることを、目ざすべきである。そして学生たちを中心にそこから、言葉の最高の意味における人間性が、拡がっていかねばならないのである。学問が発展するごとに、学問にたずさわる人の義務は増すのである。
 したがって、次の問いに全くもって真摯に留意することが、ますます必要となる:
・学者の本来の使命は何か?
・学者は、物事のしかるべきあり様においては [in der Ordnung der Dinge] いかなる位置を占めるのか?
・学者たち自身の相互関係は、どうあるのか? また、学者たちの他の人一般への関係は、そしてとりわけ、それぞれの職業の人たちへの関係は、どうあるのか?
・どのようにして、そしてまたいかなる手段でもって、学者たちは彼らに課せられた義務を、最も巧みに果たすことができるのか?
・そして学者たちは、どのようにしてこの巧みさを、自ら培わねばならないのか?
 これらの問いには、「学者にとっての道徳」と題して予告した公開講義で、私は答えようと試みるつもりである。
 これらの講演 [Unterhaltungen] には、体系的な学問を期待しないでほしい。学者はときに [öfterer, 訳注6] 知識において欠けるというよりも、行動において欠ける。むしろこれら講義の時間には、結束したというよりは一体化した友人の集いのように、燃えるがごとき、高き共同体的義務感情へと、奮い立とうではないか。

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原注1) ただ、自我の概念と非我の概念、そして量(限定 [Schranken])の概念だけが、端的にアプリオリである。それらの概念から、対置と等置によって、その他すべての純粋概念が導出されねばならない。
原注2) この手稿をお渡しするのは、[皆様が私の考えを] 批判する権利を減じんがためではなく、批判ならびに批判者、そして聴講者の皆様に私の敬意を示そうとしてである。

[訳注1] この第3章は、やがて『全知識学の基礎』が出版されたため、第2版からは削除されました。
[訳注2] Nicht-Ich は、伝統的に「非我」と訳されています。そのまま訳せば、「自我ではないもの」あるいは「非-自我」になります。
[訳注3] 日本語で表現しづらい所ですが、原文は:
 Er wird gegründet auf den von den Grundsätzen abzuleitenden, und durch sie zu erwiesenden Begriff der Vorstellung überhaupt.
[訳注4] すでに当時、カントの倫理学は、形式的だと批判されていました。

[訳注5] 原文は:
 Eines absoluten Ich, unter selbstgegebnen, unter Bedingung einer Einwirkung des Nicht-Ich vorstellbaren Gesetzen;
 最初の unterGesetzen がイタリック(原文そのものは、隔字体)になっているのは、「最初のunterGesetzen に掛かります」という、文法的な指示だと思います。

[訳注6] 「ときに」の原文は、副詞として用いられている öfterer です。この語は、öfter を絶対比較級として用いたものだと思います。そうだとすれば、öfter よりは、意味が弱くなるはずです。öfter は、oft の「比較級の意味なし」にも、「しばしばの, たびたびの」という意味の形容詞として、相良守峯『大独和辞典』に、記載されています。
 ドイツ語では、形容詞の副詞への転用はよく行われることです。そこで、「しばしばの」という意味を弱めて、副詞の用法として、「ときに」と訳出しました。
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