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  (続き)根元哲学の基礎的学説

   4. §§IX. - XIV.

 [ この章ではまず、ラインホルトの「根元哲学」が、意識のうちの表象を「形式」と「素材」の2つの構成要素に分けて、分析するありさまが紹介されます。その根元哲学の内容は、いわゆる三項図式に依拠した平凡なものです。これでは、ラインホルトが企図する「意識の命題」による「厳密な学問」が、成就できるのかどうか不安になりますが・・
 参考のために、ラインホルトの意識の構造を、図解しました。]


    [アイネシデモスによる、ラインホルトの根元哲学の引用]


§IX. 表象そのものは、2つの異なった構成要素から、構成されているといえよう。この2つの構成要素は、その統合と区別によって、表象の特質と本質を形成している。

 表象そのものというのは、意識の中で客観と主観に関係するが、しかしこれら両者からは区別されるもののことである。したがって表象は、表象の中で客観と主観に関係するものから、構成されている。この構成しているものによって、表象は客観と主観に関係する。そしてこの構成するものは、客観と主観からは区別される。
 さて客観と主観は、表象そのものから区別されるのみならず、相互にも意識の中で区別される。そこで表象の中で、表象を客観に関係させているものと、表象を主観に関係させているものとは、区別されねばならない。
 したがって各表象の中には、2つの異なった構成要素が考えられねばならない。この両者は統合して、客観と主観に関係するものを形成している。しかし両者はその区別によって、一つの同じ表象が2様の関係をもつことの根拠となっている。・・・

§X. 表象そのものの中で、客観に関係するもの [=客観に関係する構成要素] を表象の「素材 Stoff」と呼ぶ。この表象の素材によって、表象そのものも客観に関係する。

 表象の素材は、表象の中で対象に帰属しており angehören、またこの表象の素材によって、表象も対象に帰属している。表象の素材は、表象のうちで、表象の外部に存在している対象を、代理している die Stelle vertreten。表象の素材は、対象の代表物 Repräsentant なのである。表象はこの表象の素材をとおして、表象自身とは異なるもの [=対象] を、現前化 vergegenwärtigen する。・・・

§XI. 表象の中で、主観に関係するものを表象の「形式 Form」と呼ぶ。この表象の形式によって、表象も主観に関係する。

 表象の中で対象に帰属している素材は、ただ次のことによってのみ、表象になることができる:すなわち素材に他のもの [=形式] が、つまり、それによって表象が主観に帰属することになるところのものが、付け加わってくることによってである。素材から表象が生じるときに、素材に付け加わらねばならないものは、表象の形式である。したがって、表象の形式とは、表象の中において表象するもの [=主観] に帰属するもののことである。

 表象の素材は、その表象 [が対応するところ] の対象によって規定されている。したがって素材としての素材がもつ形式は、対象に依存し、ある素材を他の素材から区別するものである。・・・

 主観は、表象を生みだす限りで、すなわち主観に与えられた素材を表象にまでもたらす限りで、また素材に表象の形式を与える限りで、表象するものと呼ばれる。したがってこの表象の形式は、素材そのものを実際の表象となすが、表象するもの [=主観] に帰属する。[原文は:Dieser Form also, das, wodurch der bloße Stoff zur wirklichen Vorstellung wird, gehört dem Vorstellenden an.です。Dieser Formを、1格 Diese Form ととりました。]

 したがって意識のうちで、表象するものとしては現れることができず、つねにただ表象されるものとして現れざるをえないものは――例えば、外的な経験の対象すべて――、表象そのものの形式には関与できない。[すなわち、] こうした [外的] 諸対象によって、これら対象の表象にもたらされるものすべては、この表象の素材そのものに属するのである。・・・

§XII. 客観は、表象がその素材によって客観に関係する限りで、表象されるものと呼ばれる。また客観は、表象の素材そのものが帰属するものとして考えられる限りでは、物自体と呼ばれる。

 客観は、表象がこれに関係する限りで、表象される。・・・
 表象内の素材が対応している物、あるいは対応できるような物、また、この表象がその素材に関しては依存しているところの物が、物自体である。物自体は、その性状に関しては、表象には依存していない。・・・

§XIII. 物自体としての対象は、表象されえない。

 [表象の] 素材そのものが対象に関係づけられているだけでは、その対象は物自体のままである。表象(つまり表象の形式のもとにある素材)が対象に関係づけられているとき、その対象は表象されたものである。
 そこで物自体としての対象が、表象されたものでもありえるとすれば、それは素材そのものが同時に表象でも、したがって表象の形式でもなければならないことになる [が、それは不可能である]。またその場合には、意識 [の成立] は不可能であろう。というのも意識は、素材と形式の間の本質的な区別によってのみ、可能であるから。
 表象が対象に関係させられる限りで、対象は表象可能である。[それに対し、] 表象ではなく、表象の素材そのものが対象に関係させられるときには、対象は物自体 [のまま] である。したがって、物自体としての対象は、表象可能ではない。・・・

§XIV. 表象される客観と物自体との混同は――すなわち表象の形式を、表象されえるものから、表象されえないもの [=物自体] に転用 Übertragung することは――、次のような場合には避けられないことである:すなわち、表象された対象や表象されえる対象において、
・表象能力に属するものを、
・あるいはそれに類するものを、
・そしてまた、表象そのものの形式を、
そのようなものとして見いだし、認識しない場合である。

 対象が表象されるのは、表象の形式のもとにある素材が、対象に関係づけられることによってだけである。したがって表象される対象には、表象の形式が素材と同時に、必然的に付与される。この表象の形式は、表象されるものとしての、たんに表象されるものとしての対象に、所属する zukommen のである。とはいえ、表象されるものにおける表象の形式そのものを、認識するすべを知らなかったり、またそれを区別するすべを知らなかったりすれば、表象の形式は物自体としての対象に、付与されてしまうにちがいない。

 [表象の] 素材が形式から分離してしまえば、表象は表象でなくなるだろうし、またそれによって対象も、表象されなくなるだろう。したがって対象が表象されるときには、形式は素材ともども、対象に付与されねばならない。素材だけを意識のうちで対象に関係させようとするのは、表象なくして対象を知ろうとするようなものである。すなわち、表象の形式なき表象を、[本当は] 表象ではないところの対象の表象を、持とうというようなものである。まさにこういう理由で、物自体としての対象の表象は、不可能なのである。

 したがって表象の形式を知ろうとするときには、表象の形式を物自体素材そのものと比較してはならない(こうしたことは、意識のうちの素材が表象の形式と分離できないために、また物自体は表象行為ができないために、不可能であろうが)。しかし表象の形式は(この形式におけるのとは違ったあり方で、表象が可能であるときには)、表象の形式そのものではないある表象されたものと、比較されえるであろう。そのときにはたしかに表象の形式が、客観からもたらされた素材のもとで、ただし純粋にではないが、じっさいに現れるだろう。
 表象されるものを、表象の形式から区別する auszeichnen ものは、物自体に帰属する。他方、表象の形式は、表象能力に帰属する。・・・

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