哲学と批評

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スマトラ沖地震の教訓


 拙稿「スマトラ沖地震・・」(2004/12/29)に対し、知人の I 氏よりさまざまな点で的確なご批判を、いただきました。そこで、拙稿を書いた動機などを説明すべく、I 氏に返信した(2005/01/05)のが以下の文です。


 あの拙文を書いた私の真意は(と言うほど大したものではないのですが)、こうすれば多くの人が実際に救えたということではないのです(人の目をひくために、題はそうなっていますが)。
といいますのも、あの大災害は個人的ミスが原因ではないのですから、議論をつめていきますと、「救うことはできなかった」という結論にならざるをえません。
そのできなかった具体的理由としては、ご指摘のあったように、津波がまれな地域であり、津波が知られていなかったとか、行政の不備・非能率などがあります。

 私の真意は、思想的な観点を押し出したかったのです:
 一方には軍隊をはじめとして津波発生を知ったであろうグループがいる。しかもその人たちの多くは、社会から合法的に隠れたままである。
 他方では、事態を知らされることなく、そのため死んでしまったグループがいる。IT時代ですから、物理的可能性としては、事態を知らすことは可能であったにもかかわらずです(特に、軍隊の系統によって)。
 しかも、その2つのグループをつなぐ事は、まだ考えられていない。
――ということなのです。

(この思想的観点では、住民が「津波tsunami」という用語を知っているかどうかは、2次的となります。「津波」の変わりに、「遠くで地震が起きた。それで、大波が押し寄せてくる。海岸から遠くに逃げろ」と言うことになります。もちろん、「津波」を知らないときには、コミュニケーションの能率は、大きく落ちるでしょう。
 実際には、軍隊のヘリコプターからビラをまく、拡声器でがなる、時間があれば海岸に出動して銃で強制する、情報をテレビ・インターネットで流すといったことだと思います。)

 そこでまず、他国であっても大災害が起きるという情報を得たときには、軍事機密扱いをしてはならず、私企業の研究所も情報公開の義務がある、その国のトップへの報告義務があることを、先進国の国民が合意しなければならないと思うのです。
 これは、国家主権や企業の私権を制限することですから、すんなり合意に達しはしないでしょうが。しかし、先進国のこうした援助なしでは、インド洋沿岸諸国のような開発途上国では、津波のような何十年に一回の災害に対して、警報・防災体制が十分とれるとは考えられません。何しろ毎年、洪水が出たといっては、何百、何千人が亡くなる国々ですから。

 日本からは、新しい社会的理想が生まれてきませんでした。NGOにしろ、オンブズマン、説明責任にしろ、すべて他国からでした。しかしここで奮起して、21世紀の理想として災害情報公開を唱えてみては――と、そこはかとなく考えたしだいなのです。
 この新しい理想に反することが、今回起きたのではないかと思い、「インド洋に面した地域には多くの軍事施設があると思います。その中で、津波到達以前に警戒態勢をとったところはないのでしょうか。」(注)とも書いたわけです。
(2005/01/05)


(注) I 氏の教示により、浜田和幸氏の「スマトラ沖地震に隠された仰天情報」(『新潮45』2005年3月号)があることを知りました。
 同レポートには:
「地震直後にアメリカ軍はインド洋に位置するディエゴ・ガルシア島のアメリカ海軍基地やオーストラリア海軍には津波警報を伝達したが、周辺国には限定的な情報しか流さなかった。アメリカの国務省も出先の大使館には地震や津波の危険通報を出したが、これらアメリカ大使館が各国の政府に危険回避措置を働きかけた形跡はない。」
 「ハワイにある『太平洋津波警戒センター』ではスマトラ島沖の地震を観測し、20分後には津波警報を周辺26カ国に送ったというが、明らかにそのリストから外された国があった。」などとあります。
 真偽のほどは、私などには分かりませんが、もっと問題にされてしかるべき領域だと思います。


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