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 ドイツ語の主文における、定動詞の後置について (v. 1.0.)

  ドイツ語の主文において、定動詞が後置されるということは、私は寡聞にして聞いたことがありませんでした。手元にある『改訂ドイツ広文典』(桜井和市著、1997年)と『詳解ドイツ大文法』(橋本文夫、1975年)を見ても、そのような記載はありません。
 ところが下記の諸例のように、副詞が文頭に立って接続詞のような形になるときには、主文でも定動詞が後置する――あるいは、そのような形になるときは、主文ではなく副文になる――のではないかと思います。そして 18 世紀にはそうした場合がかなりあった、ということなのでしょうか? ゲルマニストのご意見をお聞きしたいところです。


・カント『純粋理性への批判』B 版、136 ページの原注: wird
 . . . , folglich die Einheit des Bewusstseins, als synthetisch, aber doch ursprünglich angetroffen wird.
 ・・・したがって、意識の統一が、総合的なものとして、そして根源的でもあるものとして、見いだされるのである。
(ただしこの一文を副文とみなして、そのように訳している翻訳もあります)。

・カント『純粋理性への批判』B 版、142 ページ: will
 Damit ich zwar nicht sagen will, diese Vorstellungen gehören in der empirischen Anschauung notwendig zueinander, sondern . . .
 このことでもって私は、これらの表象が・・・ということを言いたいのではなく、・・・
(最初の Damit は意味の上から、従属の接続詞の「~するために」ではなく、副詞の「このことでもって」であるとしか、取れません)。

・S. マイモン『超越論的哲学についての試論』1790年のオリジナル版、37ページ: ist
 . . . , daher der Satz: Eine Ursache muss eine Wirkung haben, nicht nur identisch . . . , sondern die Definition selbst ist.
 したがって、「原因は結果をもたなくてはならない」という命題は、同語反復(identisch)というだけに止まらず・・・定義そのものなのである。

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