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要な「医療過誤保険」


はじめに

 医療過誤によって苦しんでいる女性とその家族の記事が、朝日新聞にのっていました。以下は、その感想を同紙に投稿したものです。


 貴紙の109日の記事「医療裁判5年 もう限界」(3面、大阪本社)を読んで、驚きました。医学界を権力的保身体質が、あいかわらず支配していることに対してもですが、なによりも、医療過誤保険が(医療保険ではなく)まだ日本では普及していないようなのです。

 残念ですが交通事故と同じように、医療過誤はある確立で起きざるをえません。起きてそれを認めれば、最悪の場合、数億円の保証が必要となります。したがって、医療過誤保険は自動車損害賠償保険とどうよう、必須であることは明白です。すべての医療機関は強制保険に加入し、特に手術などを受けるような患者さんは、任意保険に加入することが望ましいといえましょう。海外旅行に出かけるときには、旅行保険に加入する人が多いと思われますが、全身麻酔で受ける手術と、アメリカ旅行を比べれば、前者の方がより危ないかもしれません。
 そして、医療過誤は担当者(医師や看護婦)の過失というより、すべての医療機関(病院など)がつねに負っているリスクであると、社会が認識する必要があります。ドライバーごとに格付けがなされ、自動車保険の保険料が違うように、病院ごとに保険料が違ってくることは当然ですが。
 ところが、前記の記事が伝えるところによれば、2590万円の賠償金を支払わねばならぬ順天堂大付属病院が、「2千万円にしてくれれば、控訴しない」と言ったそうです。順天堂大への怒りをひとまず横におけば、このことから、医療過誤保険が一般化していないと、推測されます。

 むろん保険は、悲劇の金銭的側面を軽減するだけですが、保険なくして、医療過誤問題がどうにもならないのも確かでしょう。そこで問題は、何がこの種の保険の普及を妨げているかです。これを追求することこそが、ジャーナリズムの使命だと思われます。
 神奈川県に住む一女性の悲劇を貴紙が取り上げたのは、倫理的に立派ですし、文章や構成もすぐれた記事でした。しかし、常識である医学界の閉鎖的体質と、女性周辺の状況を詳述するだけでは――なるほど、取材のご苦労は大変なものでしたでしょうし、また、世間知らずの中・高生への教育的効果はあるし、世間の公憤を呼びさますにしても――、私たちがジャーナリズムに期待する知的追求は、いまだしの感があります。
 続編を期待します(ドイツの例が紹介されていましたが、諸外国の例ももっと詳しくあればと思います)。

(2000. 10. 13) 


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