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現在の文化状況と今後の方  v. 2.0


目 次

はじめに 

1. 戦後を彩った業績とその検討

2. 日本文化のローカル性     

3. 日本文化論の方法的「欠陥」  

4. 人事と民主主義     

5. 孔門よりの道   

 


はじめに 


 哲学者の竹内芳郎氏が、十年ほど前に、自己学習の場として「討論塾」を開設されました。日本的精神風土に抗して、個人が「発言する」姿勢の確立を志向されたようです。それから、星霜を経て、討論参加者の数が減少したため、氏は<塾報138>で「塾員各位にあっては、本塾を今後どうして行って欲しいのかの意思表示を」寄せて欲しいと記されました。
 そこで、氏の愛読者であった私は、以下のお便りを差し上げることにしました。私便をホームページに載せるのもいかがかと思いましたが、私なりの戦後日本文化論といったものになっており、また、論文形式に書きなおしても構成がギクシャクするので、あえて元の手紙のままとしています。(ただし若干の語句は訂正)


 さて、私も塾員の末席を汚しています以上、考えをまとめるべきかと思われます。しかし、討論に参加したことはなく、他のメンバーを直接は知らない新参であってみれば、具体的な提言はできないということは、お断わりしなければなりません。
 前に差し上げた手紙には、「時、利あらず」などと書きましたが、確かに、現今の政治情勢が風雲急を告げるといったものであれば、討論塾の様子も今とはよほど違っていたでしょう。しかし、ここでは、こうした情勢や塾の運営方法といった面ではなく、塾をとりまく思想状況の考察をしようと思います。今、ミネルバの梟は、そも何を私たちに示さんとするのでしょうか?


1. 戦後を彩った業績とその検討


 私自身は、日本文化に対して否定的(むしろ、低評価)なのですが、公平をきすためにも、戦後がうんだ優れた業績を俯瞰しておくべきでしょう。もっとも、現在と関係の深い高度成長期以降がおもにになります。

◆ まず、格闘技のグローバル・スタンダードを創ったともいえる「大山(極真)空手」。格闘技というと顔をしかめる人も多いでしょうが、「文武」というさいの武であり、素手という最もベーシックな武道としての空手です。日本発の一つの文化体系が世界的文化へと発展したものとしては、これ以外に何がありましょう。
 大山氏は、既成の武道諸派とは対立していたため、勲章などとは縁がなく、また晩年を除き、社会的に認知されたともいい難かったようです。しかし、漫画の主人公となったためもあり、青少年には人気抜群でした。とにかく素手の格闘技では世界最強、スペインで闘牛を倒すなどのエピソードは枚挙のいとまがなく、ライオンと闘うことも考えていたようです(さすがにこれは、勝ち目がほとんどない、との結論でした)。

◆ 血液型性格学の元祖、能見正比古氏(氏以外のものはダメです)。世上、婦女子を中心にこれほど関心をよび、活用された「学問」があったでしょうか。とはいえ、アカデミズムのほとんどの人たちは、これを完全否定か無視。私は肯定で、氏の性格把握の構図と、きめの細かい文章に感心したものです。
 もっとも、不可避とも言えるミスが能見氏にもありました。血液型と性格の関連を示す例としては、読者のよく知っている有名人のエピソードが好適ですが、その有名人の正確なデータを能見氏が持っているとは限らず、誤った血液型情報でエピソードを解釈してしまうということが、しばしばあったのです。
 しかし、幼稚園児を血液型のグループに分けて観察したり、スポーツ分野では、血液型別の新人賞獲得数を調べて推計学的有意差をみるなど、科学的方法が成果を収めつつあったのですが、氏の急逝によって断ち切られてしまいました(注1)

◆ 争点となっている邪馬台国の位置や、日本人・日本語の起源問題など、総じて日本古代史は、安本美典氏によって解かれて久しいのではないでしょうか。氏はすでに20年以上も前から、数百年ごとの天皇在位年数からの推測によって「卑弥呼=天照大神」説をとっており、また、推計学的手法を駆使して(その手法は、欧米の学会では定着していましたが)、「邪馬台国・北九州説」を分かりやすく説明していました。
 当時、私は講談社現代新書で氏の著作を読みながら、快刀乱麻を断つとはこのことかと思い、また、どうして氏の説が学会の主流とはならないのかと、いぶかしく感じました。数学的手法を人文系に導入して成功した、数少ない例といえます。

◆ 現代日本文化の代表といえば漫画ということになり、寂しく感じる人もいるでしょうが、しかし、組織のしがらみや既得権益の少ないところに、さまざまな才能が集まったものですから、百花繚乱の観を呈することになったのも事実です。(ただし、漫画評論は、見当はずれのものが多く、不毛です)。その中から一人を選ぶとすれば、漫画発展の功績面では衆目の一致するところ手塚治氏ですが、作品からはジョージ秋山氏ではないでしょうか。
 手塚氏はよく後輩に、いい映画や小説を読むことを勧めたそうです(適切なアドバイスです)。しかし、逆に意地悪く言えば、いい映画と小説があれば氏の漫画を見る必要はないともいえます。
 フランス革命時にサン・ジュストは、「幸福とは、ヨーロッパにおける新しい観念だ」と宣言したそうです。まだ20才前、階級的観点なるものに反発した私は、ブルジョワのコンプレックスをもった令嬢より、安サラリーマン家庭の佳人の方が幸せ度は大きいのではないかと考え、「現代の幸福とは、『才能X性的魅力の積』である」と言ってしまい、周囲の顰蹙を買いました。(しかしその後、学習塾教師を長年やって、問題を起こす生徒は、親の健全な愛情がなく、また、この積の値が小さい例が多いのに気づくことになります)。
 秋山氏は、この積の大小における人の姿を追求して、一家を成しました。世上、氏の問題作として取り上げられるのは、貧困とその中での我欲を追求した『アシュラ』ですが、この作品は初期のもので、絵の稚拙さはおくとしても、問題設定の仕方が月並みです(と言っても、切実さはあるのですが)。日本が豊かになるにつれ、また、氏が人気漫画家として経済的に上昇するにつれて、私言うところの「現代の幸福」が中心テーマとなってきます。
 あくまで自らの経験から学んだ思想によって作品を構成し、作画はこれまた独自の筆法によるというのが、氏の作品の根本です。美男・美女を描こうとすれば西欧風になるというのが通例ですが、それに反して成功したのは、彼くらいではないでしょうか。むろん、池上僚一氏を忘れるわけにはいかないのですが、池上氏の場合、男性の肉体描写はやはり洋風です。
 秋山氏の代表作としては、有名な『はぐれ雲』から選ぶのもよいでしょうが、私は『博愛の人 二宮金次郎』を推します。仏教的世界観を背景にすることによって、いわば土俵を広げると同時に、独自の画風の集大成となっています。
 とはいえ、漫画家も量をこなさねばならない人気商売、彼も紋切り型ストーリーやチャランポランなものを量産しています。資質も流行作家の位置もドストエフスキーに似たものを感じさせながら、どうもそこまでは . . . と思ってしまうのは、やはり、日本の限界なのでしょうか。

◆ 集団として、互いの個性を尊重しあいながらも(実際には、体臭を我慢しあいながら、ともなるのでしょうが)、同士的結合によって成功した例もあります。いわゆる新京都学派はおくとして、雑誌『ステレオ サウンド』に拠ったオーディオ評論の面々です。創立メンバーの半数は病没してしまいましたが、新メンバーを加えつつ、30年の長きにわたってオーディオの素晴らしさ、奥深さを説きつづけ、信頼される商業誌であり続けているのは、大変なことです。
 私は、執筆メンバーだった五味康祐氏によって、オーディオというよりはモノ一般への接し方を学ぶことができ、菅野沖彦氏からは「趣味」というものが仕事、交友などと並んで、存在領域をもつということを教えられました。注目すべきは、ふつう日本文化は淡白な美しさで、強烈な個性に乏しいとされますが、菅野氏も日本のオーディオ製品をそのような角度から評する一方、他方では「無味乾燥でいて強情といった日本的な音」の観点を出していることです。世界中の(といっても、「高級」オーディオ機器を製造している欧米中心ですが)製品に長年接してきた氏は、日本製品のもつ執拗な個性(くせ)を感じているのです。このことは、後述のウォルフェレン氏の論点、「日本社会は非常に政治性が強い」(常識的には、日本はイデオロギーや政治性は希薄とされますが)と考えあわせると大変興味深いところです。
 『ステレオ サウンド』を師と仰ぐ人は大変多く、その熱意がオーディオ不況、AVへの逸脱、家電メーカーによる俗流(大量販売)化などから、同誌を守ったともいえます。けれども冷静にみれば、もともとオーディオ製品は人々のあこがれの製品であり、経済大国になって高額商品に対する購買力もつき、またわが国には「端渓の硯」渇仰の伝統もあったりで、同誌が隆盛する条件はそろっていた――と、指摘する人もいましょう。しかし、いい釣り場を選ぶのも腕のうちです。(オーディオ製品と似たような事情にあるものとしては、車が挙げられます。やはり車評論の偉才が存在し、徳大寺有恒氏などが挙げられます。氏の、『ああ、人生グランド・ツーリング』の第3章「お父さんたちよ」は、かっ好の現代スノッブ批判となっています)。
 ところが、同誌や評論家諸氏の奮闘にもかかわらず、菅野氏も嘆くように、日本の多くのオーディオ・メーカーは、会社の規模は拡大したものの、体質は変わらなかったのです。まず自分たちが納得のするものを作り、その後それにふさわしい販売法を考えるのではなく、まず大量に売りさばくことを第一とするという、メーカーの名におとり、趣味の製品の性格にふさわしくないことが続けられました。このような嘆きは、車分野で徳大寺氏も持つことをみれば、国の性格そのものといえましょう。すぐれた評論がいくら現われても、また海外のそれぞれ個性的な製品の輸入量が増えたところで、国民のネガティヴな面は変わらないかのごとくです。また、以前私は「論語はすばらしい作品だが、社会的にみると論語を読む人より、ベートーベンを聞く人が増えたほうが社会はよくなる」と、素朴に信じていました。しかし、年末の『第九』演奏は隆盛を極めるようになりましたが、民度が向上したとはにわかにいい難い面があります。

 ここにおいて、さまざまな見解が登場する事になります。
a). 良心的個人ないしグループの活躍によって、集団全体が精神的に向上するという事態が、むしろ例外的でふつうありえないことである。他の諸事情が有利に働けば別にしても。というのも、人間を動物集団と見た場合、集団がとくに危険にさらされてはいないのに、また、集団の繁殖などに特に有利に働かないにもかかわらず、政治的には支配的でない一部グループの意向が、集団全体に広まるということはないからである。もし、そのようであれば、集団は常にさまざまなグループの意向に左右されることになり、大変不安定なものになってしまう。
b). 長期的にみるとき、民度は全体的に大幅に向上したはずだ。たとえば小学生のとき、友達づきあいからも感じた自他共の庶民の家庭生活は、当時は当たりまえと思っていたが、今からふり返ると相当に乱暴、殺風景だったようだ。それが、テレビでホームドラマを国民的規模で見ることにより違ってきた。むしろ非難されるべきは、文化程度・民度の変化を測定する方法論を提出しない社会学者である。
c). 良心的な人々の意見が弾圧されたり、消滅するのはあってはならないことだが、今の日本には少数ながら志をもったメーカーや個人は存続しており、良質の評論はそうした人々を励まし、また育てている。そのことをもって良しとすべきである。
d). 異国からの大規模な人の流入や定着がない閉塞した日本では、悪弊がとかく固定化しやすい。これは、客観的条件であるから、君子は「危邦には入らず、乱邦には居らず」で、活躍の場を海外へと求むべきである。讃岐に生まれたからといって、うどんを食わねばならぬ理由はない。信州へ行き、そばを打って何が悪かろう。かつての藩と同様、今やネガティヴな面の強い「国」にとらわれるべきではない。等々。
 諸説はあれどいずれも不満が残り、また新説も続出しそうで、すぐには決せられる問題ではないようです。この検討は別の機会とし、さきを進めたいと思います。

◆ 音楽の話となれば、宇野功芳氏に言及しないわけにはいきません。氏のレコード・音楽家評は、文章、内容とも大変よく、しかも、クラシック音楽のほとんどすべての分野が、網羅されているのがうれしいところです。すぐれた内外の音楽家との交友もある、このような鑑賞者がついに現われたのです。
 膨大なレコードの選択にさいして迷わずにすみ、さらに自分の鑑賞力を、あるいは、自分のオーディオ装置の再生力を測ることができるというのが、どんなにありがたいことか言うまでもありません。(氏の指揮者としての活躍については、残念ながら知りません)。(注2)

◆ 一昔、いや二昔前のいなか町には、アクの強い将棋を指すおっさんがいたものです。最初から定跡をはずしてきて、しかも勝負には辛い . . . エコノミスト長谷川慶太郎氏を彷彿とさせるものがあります。氏が次々と繰りだす大胆な論点は、新奇というより珍奇の感を抱かせたものですが、事実の裏づけがありました――むしろ、事実から発想したと、ご本人ならば言うでしょう。経済学といえば、西山千明氏のような良くも悪しくもアカデミックなものしか知らなかった私などは、いっぺんに愛読者となりました。
 長谷川氏は苦労人で、行間にもそれがにじみ出ているので中小企業のおやじさん方の受けもよく、「大企業は敵だ」式の発想もしないので財界も違和感をもたない、しかも、生地にはマル経の肌触りがあるので、そちらをやっていた人もアレルギーを起こしません。英・独・露語が読めるようなので、学究派の抵抗感も減じます。 
 視野は広く、政治・軍事にわたります(とはいえ、具体的政治状況認識は下手です)。オイルショック以後の日本経済の強大化と、氏だけが行った強気の読みはみごと合致しました。となれば、爆発的人気をよんだのは当然です。少し醒めた目で私は氏の文章を読み返しましたが、氏の本質的才覚を感じざるをえませんでした。
 ゴルバチョフ時代のプラウダに論文が掲載され、ベトナムの共産党の幹部に「アメリカと経済協力をしたいのであれば、戦時記録をアメリカに提出して、ベトナム戦争時の米兵行方不明者の探索に協力せよ」とアドバイスして採用される、このような活躍は、世の現役マルキストによってではなく、氏によってなされたのです。
 以前からの私の持論なのですが、アカデミズムや政党で禄を食んでいたマル経学者は、ゴルバチョフ時代に、受け入れられようがなかろうが、ソ連にとんで行って、「経済改革はこうすべきだ」と自説をとうとうとぶつべきだったのです。もう、シベリア送りになるというご時世ではないのですから。今からでも遅くはなく、中国に行くか、インターネットで経綸を発表すべきでしょう。(ありがたいことに、P. クルーグマンは日本経済に対してそうしてくれています。)しかし、現代日本においては、知性と感性で勝負すべき職業の人々が組織的に脳梗塞をわずらっているようなところがあり、遺憾ながらマルキストも例外ではなかったのです。(真っ先に発病してしまった?)
 もっとも、90年代は、長谷川氏は高齢ということもあって、平成不況を捉えそこなっており、文章にも精彩がありません。

◆ 経済評論では、大前研一氏を逸することはできません。平成日本のラディカルな経済改革の処方箋を書きえた、数少ない論客の一人ではないでしょうか。氏は4年前、都知事に立候補しましたが、その時の選挙公約は読むのが楽しくなるものでした。たてまえからいえば、公約は的確な現状認識を踏まえ、分析し、未来を創造するものですから、優れた候補者の公約は知的感興を起こすはずです。ところが、そのようなものはそれまで皆無だったといえます。氏の公約がいかに優れていたかは、その後、部分的な摸倣者が続出したことでも分かります。
 ところが、選挙結果は4位であえなく落選。次いで同年、参議院選挙で氏の主宰した「平成維新の会」は、投票獲得数1.3%で議席数0。都知事に「意地悪婆さん」、大阪府に横山氏が誕生したときには、私などもショックを受けたとか、戦後民主主義がどうしたとかいった段階ではなく、ただ呆然としてしまいました。ときに冗談で「倭人は沐猴にして冠するのみ」と言っていたのですが、冗談ではすまなくなってきました。
 その後、大前氏が選挙を振り返って書いたのが、ドタバタ悲喜劇の傑作『敗戦記』です。本の帯のコピーからして壮絶で、「私財6億円を失い、財界人は手のひらを反し、プライドは泥まみれになった」。登場人物も多彩ときては、これ以上の舞台効果を求めようがなく、また、現実的な諸制度の問題点の考察も鋭いことからも、政治に関心を持つ人だけでなく江湖に広く推薦する次第です。
 まあ、氏の人柄に難無きにしもあらずと、言う人がいるかもしれません。政治術的読みは非才です。というか、日本社会に「適合」していなところがあります。(とはいえ、今回の新都知事、縦書きにカタカナ文字を連発する石原慎太郎氏よりは、よほど理論的です。石原氏は、案外日本社会に適合していますが、公正を期して言えば、石原氏にも理想家的な面があり、そこを後述の藤原弘達氏などは愛していたと思われます)。また、もし大前氏が実際にラディカルなメスをふるったとしたら、手術は成功したが患者は死ぬような可能性を恐れた人も、いたと思われます。
 しかし、日本資本主義が開きうる展望は、氏の「平成維新」論の方向にしか見出されないのではないでしょうか。いずれにしても、ここで考えなければならないことは、氏の英才を開花させえた所以のものです。それは、アメリカへの留学と、後の世界的コンサルタント会社マッキンゼーへの入社でした。アメリカ社会への理解とグローバルな観点なくしては、大成はもはや誰にとっても不可能といって過言ではないでしょう。(グローバルな観点といっても、世界三美人に初めから小野小町を入れてしまうような、あるいは、ツチノコ・ネッシー・ビッグフットと並べてしまうような、よくある風情では無理でしょうが。)

 教育問題なども同様で、学校が荒れる、ではどうするかで、子供の人権とか教育の原則論を喋々してもいかがかと思います――事件後の新聞に出てくる教育学部あたりの教授コメントが、代表しているようなもので、毒にも薬にもなりません。現代は、日本の大問題は外国でも大問題であるような構造になっています。英語学習のリンガフォンのテキストに、英国の中学が荒れて授業が成立せず、教師がナイフで襲われたという話題がありましたが、いずこも同じです。そこで十ヶ国くらいをサンプルとして選び、その実状と対処策を収集し、教育データベースを作り、その結果をオンラインで誰もが利用できる形に早急にするのが、望ましい方向でしょう。小学生でも、「テレビを見ていて分からない事(例えば、コソボ紛争)が出てきたときには、図書館で新聞や辞典で調べよう」と習います。「ドン百姓の倅がそんな事を知ってどうする」とは、誰も言いません。まして、教師が自らの職業上の問題について、ほかにどのような例があり、どう対処されたかを即刻知りえないのは、おかしいのです。
 よりいいのは、世界各地のいいも悪いも、右も左も、上も下も典型的な学校を数十校リストアップしておき、適宜見学をしたり、スタッフと意見交換できる体制を作ることではないでしょうか。
 いわゆるIT(インフォメーション・テクノロジー)の急速な発達がこうした可能性を、さらに広汎な夢を提供するようになりました。モスクワやローマに新しい理論をだれも期待しなかったと同様、文部省とその系統から新しい教育が生まれるとは、だれも考えていません。むしろ、注目すべきはシリコンバレーということになりそうです。
 ちなみに、インターネットなどを前にして、世界征服を狙うのであればビル・ゲイツのようになることでしょうし、金儲けであればまた相応の方法があるでしょうが、では哲学徒はなにをすべきでしょうか。新しい精神的事象の予言でありましょう。忘れがちなことですが、古より哲学者の魅力の一つであり、人々を驚嘆せしめたのはマジカルな能力でした。タレスの日蝕の予言は象徴的です(もとより、本人はロジカルにやっているのです)。ところが、近頃はこの伝家の宝刀、あるいはホームグランドを科学にあけわたして平気なのですから、これでは哲学の復興を唱える声は多くても、空しいばかりです。むろん、予想が外れたときの反動は大きいものがありますが、これは職業リスクとして織り込んでおかねばなりません。「ヨソウを逆に言ってごらん」と俚諺に逃げるか、しばらく雲隠するか、状況次第です。
 詩は古来、人々の集まりにおいて朗誦されるものでした。しかし、ボードレール以来の近現代詩は、活字で組まれた詩集を抜きにしては成立しません。しゃれた装丁の本を片手に、木陰にあるいは自室の片隅に行き、一人読みふけり、つぶやく. . . しかし、グーテンベルクが活版印刷を発明したとき、だれが400年後の『悪の華』を想定しえたでしょうか。とはいえ、哲学徒に400年後を予想させようというのは、さすがにムリがあります。けれども、今から20年後を予言することは、義務ですらありましょう。

 本題に戻りまして――
◆ ディズマルサイエンス、とりわけ金融論ともなれば、とにかく敬遠したくなるのが人情ですが、ここに登場するのが快男児、斎藤精一郎氏です。氏の文章はレトリックにあふれ、読者サービス万点で、金融問題を扱って読者の心を躍らせることができるのは、大きな美点です。戦後、山中峰太郎という少年向けリライトで再登場された方がいました。氏のシャーロック・ホームズものなどは、とにかく文章が躍動しており、私も小学生の頃むさぼるように読みましたが、それを思い出させます。
 それで、内容がまた殊勲甲とでも言うべきもので、平成不況の原因を資産デフレと喝破しました。最近刊行の『不況脱出』は全国民必読の書といえましょう。
 しかし、私にとっての問題はここから始まり、P. クルーグマンが平成不況を診断した今話題の「流動性のわな」論、インフレ導入論を読むと、それにも賛同してしまうわけです。私も一介の哲学徒ではあり、日頃「タキ哲学は敵に後ろを見せない」などと豪語しています以上、思想問題であれば一応どのようなものであれ、自分の枠組みの中での位置をきめることができます。あるいは、手に余るものは、キャインキャインと鳴いて、上手に逃げる算段をします。しかし、経済学は素人の付け焼刃、斎藤氏とクルーグマン氏、どちらが正しいのか不分明なままとなっています(注3)

 目を転じて、政治学の方はいかがでしょうか。日本のこれからの命運と言った重大問題であれば、リアリスト岡崎久彦氏の外交論をまずとり上げるべきでしょう。しかし、拙便は問題事項を検討しているのでも、また知的状況を総合的に概観するのでもなく、思想状況を照らすのに好適な人物に登場願っているのですから、私が愛読して比較的よく知っている人たちに絞りたいと思います。

◆ 丸山眞男門下の俊才を一人選ぶとするならば、私なら藤原弘達氏を挙げます。門下というより、鬼子といえそうですが、常に日本の政治とは何かを追求していたところは、共通していました。藤原氏は学問的でない、との反論がすぐ出そうですが、学問をブッキシュなものに限らず、フィールドワークも入れるならば、藤原氏は相当な高得点となるはずです。体制側の裏表を熟知していましたし、政治的勘ならびに人物鑑識眼は抜群でした。
 「憲法と安保条約は日本の政治の両輪だが、この二つの車輪の直径の大きさが違っているため、政治論議は堂々巡りをしてしまい、ちっとも前に進めない」「日本で言論が実効力をもつには、テレビ、新聞、雑誌、この三つで同時に発言していく必要がある」「戦後左翼の有名人には、それ程の実力の無い人が多かった」などの至言を残しています。
 何といっても氏の存在を世間にアピールし、また影響が大きかったのは、創価学会の言論抑圧問題でした。言論の自由を守らんと、天下党の幹事長田中角栄と上昇期の学会の圧力を個人でまともに受けながら、抗し続け、とにかく「勝った」というのは、戦後史上稀な快挙です。そのストレスからの胃潰瘍で、ゴルフ場でバケツいっぱいの吐血をして重体になったというのですから、将来の史家にはこの事件に十分な紙数を割いてもらいたいものです。
 氏が各界重要人物と行った対談は、世相をさぐる貴重な資料となるはずです。元B級戦犯、競艇会のドン、「人類は一家族(でしたか?)」の笹川良一氏と行った対談を、世間知らずの学生だった私は、興味津々に読んだものでした。昭和が終わり、その総括を政治評論家の伊藤昌哉氏と雑誌『プレジデント』でしましたが、感興尽きぬものがあり、氏の代表作の一つでしょう。

◆ 伊藤昌哉氏にも一言無かるべからずです。この、元宏池会事務局長は、信仰の厚い方のようですが、その事とは別に、何か神がかったような発想をします。ふつう神がかり的になると知性は曇るものですが、氏の場合は逆に冴えわたります。権力欲という悪霊にとり付かれた政治屋たちが、灯明の明かりに照らされて漆黒の闇の中を蠢く姿を、凝視するような趣があります。そして、氏の予言がこれまたよく当るものですから、近代合理性の枠内にとどまる私などは、ただ感心するやら、あきれるやらです。

 さて、このように諸家を訪ねてくれば、あとは周知の諸大家となり、今さら解説の要はないものと思われます。すなわち、日本語に文体をもたらした桑原武夫、学才の丸山眞男、共同主観性を唱えた天才廣松渉の諸氏です。


2. 日本文化のローカル性


 管見にふれたでけでも、すぐにこれだけの尊敬する人たちを挙げられるのですから、その点わが国もなかなかのものです。しかし、こうした諸氏を輩出したとはいえ、その土壌であるわが国の文化はやはりローカルで、いわゆる二流だと言わざるをえません。
 海外に名を馳せたのは、しかも日本文化研究者のあいだにというのではなく、一般的盛名を得たのは、カラテのGod Hand、マス・オオヤマ(大山)だけかと思われます。また、すぐれた応用を創出するというのも、立派で困難なことではありますが、いわゆるグランドセオリーを発想しえたのは、廣松氏のみでありましょう。
 桑原氏は「日本文化は、論理学と修辞学を欠いている」と興味深い指摘をしました。また、あるシンポジウムで、中国文学研究者の吉川幸次郎氏が、「日本には古典がない」とやや舌足らずに発言したとき、「いや、古典はあるんですが、古典主義がないんですよ」と補っています。理屈の展開を普遍的なものとしたり、言語行為を魅力のある自立的なものとするものを欠き、共通のレファレンスに常にたち返って思考や行為の規範を求めようとする態度のない文化、これはローカルな文化の特徴です。

 ところで、これらを欠いている国で「討論」をすれば、そうとうな困難が予想されます。ゾレンの観点や「一粒の麦もし . . . 」の長期的効果といったことを離れていえば、討論形式よりは座談会、ダベリング(格好をつけるとシンポジウム)の形式の方が、現実味がありましょう。お喋りだった桑原、丸山、廣松の諸氏が活躍されたのも後者の形式でした。「間(ま)」のとり方などの話術に磨きをかけるため、レコードで名人の落語を聞きたいという人は多勢いますが、討論の場合すぐれたモデルがないというのも困る点です。(話術とか人情の機微といえば、間のとり方に行きつくところからすれば、わが国では、論理やレトリックの役割を、「間」が担っているのかも知れません)。

 平安時代に、白楽天の新詩の一字を故意に誤り伝えられた宮廷人が、その字を不適切と指摘しえたのみならず、代わりにと勧めた字句が原詩のものと同じだったという、有名なエピソードがあります。日本には昔から、先進国の文物や器物を深く理解し、愛用した人は少数ながら常に存在したわけで、タンノイ使いの五味康祐氏、音楽評論の宇野功芳氏はその衣鉢を継ぐものです。また、江戸から品川まで出かけて、中国に少し近づいたと喜んだ儒者が江戸時代にいたそうですが、萩原朔太郎が「フランスへ行きたしと思えどもフランスはあまりに遠し、せめて . . . 」と歌ったことといい、たんに外国崇拝などと笑えない心情も、連綿とあるわけです。
 奈良といえば、勘違いして日本人の心のふるさとなどと考えたがる人がいます。確かに日本古代国家完成の場であったでしょうが、しかし、奈良の特色は観光客として見た場合、大陸(あるいは朝鮮半島)文化直輸入の良さだと思います。日本の国宝といえば、「作品として成立はしている」程度のものがほとんどかと、世界四大美術館を見てからの私は思っていたのですが、法隆寺の『百済観音』には一驚しました。しかし、これは言うまでもなく、日本人の手によるものではありません。そしてそのほか興福寺の十二神将像など、渡来した美術品が圧倒的に光っています。
 それでは、国風文化の平安時代はどうなのかということになりますが、和歌を例にとると、万葉・古今・新古今集を芸術でないとするのは勇み足ですが、唐詩などとは比べ物にならないレベルなのは確かでしょう。
 不勉強なため日本文化論は、これで打ち切りたいと思いますが、要するに、日本文化は高度経済成長後の物質文明などを除いてみるとき、ローカルな文化であり、桑原氏が指摘したとおり、中国・インド・チベット文化のように他地域に光被し、その地の優秀分子を引きつけた普遍文化ではなかったといえます。(何を今さら当たりまえのことを、と言われそうですが)。


3. 日本文化論の方法的「欠陥」


 そうしてみれば、諸先学の日本文化論の方法的な「欠陥」が、明らかになります。もっともこの「欠陥」は、諸先学の考えが浅はかであったためにもとからあったものではなく、むしろ現今の時代の進展によって生じてきた類のものではありますが。つまり、日本文化の特質を考えるときには、中国や西欧のような普遍的文化をレファレンスにすべきではなく、韓国・ベトナム・フィリピンなどと対比すべきだったのです。
 例えば、ホンダの軽自動車にライフがありますが、その特質を考えるさいに同じホンダのインスパイアやオデッセイと比較して、座席シートがお粗末だとか、騒音が大きい、走る喜びに欠けると言っても、仕方ありません。これらの特徴は、製造費をかけられない軽自動車一般のものであり、むしろ他社の軽自動車ワゴンR、ムーブなどと較べるべきでしょう。よく指摘される日本人の精神的諸特徴(欠点)は、ローカル文化一般のものが多くはないでしょうか。
 ローカル文化はそれぞれ違ってもおり、まさしくローカルカラーがあるわけですが、それを考えるときも各文化を他へは還元できない独自性において捉えようとすれば、学問的には袋小路になってしまいます。人類一般が、さまざまな諸条件を与えられて形成された特殊性と考えるべきでしょう。最近の表現を使えば、各文化は、普遍的文化関数が、その諸変数にさまざまな値を代入されて、もった値なのです。
 戦後いわゆる進歩派の人々は、現下のナショナルな問題を追及することによってこそ、逆に普遍的なものへと至りえると考えました。このような発想は、アンドレ・ジイドなどに始まるらしいのですが、しかし、フランスのような国においてならいざ知らず、単純には首肯しかねます。スピーカーの名門タンノイの創始者ファウンテンは、演奏会に通いはしても、他社のスピーカーを聞くことはなかったといわれます。しかし、これをわが国量販家電メーカーのスピーカー担当者がしたとすれば、悲劇でしょう。願わくば、海外ブランド製品をよく研究し、普遍的なものを体得すべきといえます。
 前述の大前氏の利点はここにあったわけですが、「日本権力構造の謎」のウォルフェレン氏もまた同様です。ロッテルダムに生まれ、18歳の時から中東、インド、東南アジアを旅し、その後オランダの新聞の特派員となって、日本、韓国、東南アジアを取材したウォルフェレン氏は、フィリピン革命の取材でオランダのジャーナリズム賞を受賞しています。そのような氏が書いた『日本権力構造の謎』を読むと、独創的にして明晰なのは当然としても、彼のような視点でもってすれば、アフリカの国でも分析できるのではないか、と感じさせるのがいいところです。
 それでは、「日本を根本的に規定している天皇制の問題はどうするのだ」とのご指摘をたまわるかと思います。確かに、功なり名とげての勲章、園遊会への招待、皇族との姻戚関係、学者でいえば御進講等々にも象徴的に表されているように、日本国をもっとも高次のレベルで「統合」しているのが天皇制であり、そのパターンは家元制などにも引き継がれ、津々浦々に浸透しているといえましょう。しかし、天皇制は現在猛威を振るってはいず(ヴィールスが眠っているだけだ、との反論が予想されます)、また、天皇制がなければどのみち他の風土病が出てくるでしょうし(仮定や将来の話はともかく、現在の災危が問題だろう)、それに、天皇制検討の問題構成では他国への応用がきかないうらみが残ります(他国の問題は、その国民が責任をもって主体的に取り組めばよい。また、それ以外に真の解決はない)。そこで、私としては、前文の(  )内の予想される反論が今までは正論だったと思いながらも、既述の「現今の時代の進展」を考える時、人間の社会的関係を新たに「人事論」として捉えようとする道を選ぶわけです。


4. 人事と民主主義


 「人事論とは、はて面妖な。経営学からの横流しか」と思われるでしょうから、少し説明します。
 一億総サラリーマン化といわれる今のご時世、私たちの社会的な喜怒哀楽の中心は会社(役所、学校など)にあります。体を売りたくなければ去らねばならず、魂を売らねば人並みの出世もできないと、言われているところです。時の政界・財界要人を殺してやりたいという人は、あまりいないでしょうが、会社の上司・同僚のやつをと思う人は多勢いましょう。こうした会社生活の核をなしているのが、人事考課と人事異動よりなる「人事」なのです。幼き生徒・学生諸君のテストの成績なども人事考課といえ、入試結果は人事異動の決定です。毎春週刊誌上で、主要校の合格者氏名が掲載されますが、新聞紙上で主要各社・役所等の人事異動が発表されるがごとく、あれも日本株式会社における人事異動の発表といえます。
 それでは、各人の人事考課を決めるものは何か(情実人事の類は除外します)? 無経験な新入社員がときに単純に考えるように、資本の論理と会社の目的によくかなえば、考課もいいとはなりません。学力のあるものがテスト成績がいいとは限らないようなものです。という次第で、問題は哲学的考察を要するものとなります。現代は人間の社会的諸関係が、人事という地平において、あるいはフォーマット上で規定されるといえますが、『資本論』ならぬ『人事論』の登場が待たれる所以です。
 そして、人事の視点は、あらゆる民主的組織、あるいは組織の民主的次元を視野に入れることができます。身分制の組織・制度では、たとえば旗本と町人を相互に考課したり異動させることは考えられません。しかし、旗本どうし、町人どうしは可能です。同じ資格を持って加入してきた新人たちが、団子状となって「各馬いっせいにスタート」することから始まるわけです。民主主義とは、畢竟するに、社会の全成員が人事の網の目に絡めとられる政体といえましょう。
 希望的観測にすぎませんが、僧階秩序、学界秩序等々もこうした視点から考察でき、このようにして始めて、古来洋の東西をとわず多くの人を悩ませてきた問題、「理想と情熱にあふれて出発した集団が、なぜかくも堕落して抑圧的になったのだろうか」に答ええましょう。


5. 孔門よりの道


 私たちによくあるパターンですが――この道や行く人なしに秋の暮れ、とばかりに先を急いでいますと、ふと、冷たい霧雨をすかして前の人の背中が見えます。こんな所に誰がと、声をお掛けしてみれば良寛さま。お声のやさしさにつられ、招き入れられた庵で目にする線香の火の暖かさ。お茶をいただいて、書道談義もたのしく・・・是はこれ、比類なき幸せでありましょう。しかし、いうのはヤボですが、今は鎖国封建時代ではないのです。
 新たなコスモポリタニズムこそが期待されるのですが、そのような面持ちで前方をみるとき、既視感といいますか、前にもこうした感じを抱いたことがあったことに気づきます。論語の風景です。孔子は56才にして故国魯を去り、遊歴すること14年に及んだといわれます。
 「君も若い時は、ニーチェなどを読んでいたはずだが、今は流行の論語ですか」と揶揄される方もいましょう。弁解すれば、20代半ばから、孔子は大変偉い人だと思っていたのです。また、ニーチェは子供のとき「小さい牧師さん」と周囲から言われたそうですが、私は小学生のころはお喋りで社交的、したがいましてクラス委員でした(つまり、こちたく言えば、むこうは非政治的、こちらは政治的です)。性向が違う上に、ニーチェは芸術を人生の観点から見るといいましたが、彼は人生を芸術的(効果の)観点から見るきらいがある、それでは少しまずいのではないかと、早くから気づいていました。
 ついでに申せば、キリストが説く、いかにも新興宗教の青年教祖といった感のある説教には、哲学徒の私には初めから齟齬がありました。「地の塩」はむろん大切ではありますが、他面、塩に栄養はなく、とり過ぎると高血圧になるなどと考えるのでした。少し威儀を正して申せば、キリスト教のばあい、やはり三位一体論のキリスト論が問題となります。キリストは全面的に神(普遍・精神)であって、同時にまた全面的に人(個別・肉)であるという「非合理」です。私は非合理をあたまから退けるような構えは取りませんし、信仰の中にしか開けえぬ世界があることも一応認めます。しかし、「イワシの頭も信心から」と径庭奈辺にあるのか気にかかるところですし、キリスト教の場合、合理的・世俗的に解釈すればマイナスになるものを、非合理に解することで大得点に変じるばあいが多いように感じられます(これが逆ですと、「非合理ゆえに我信ず」という言葉も重みがついたと思われますが)。
 自分たちの教祖は全的に「神=人」であったと誰もがしたいところなのですが、ふつうは理屈がそれでは立たないことや、さまざまな差し障りがあって、「教祖は神にもっとも近い人であった」「神に信任された人であった」「神の仮現であった」「半分は神、半分は人であった」などと、せざるをえないわけです。とはいえ、「いや、そういう君の無理解こそ、非ユークリッド幾何学を想像しえない状態と同じであって、信仰世界を捉えていない」と反論されれば、頓首せざるをえないのですが。
 さて、少し人生経験を積んでからは老子が、尊敬すべきものかどうかはおいても、なかなかに秀逸に思え、会田雄次氏が「サラリーマンに適しているのは老子」と評したのは肯綮にあたっていると感心しました。空海の『三教指帰』などは若書きだけあって、論語・老子のよさが分かっていない俗論としか申せません。しかし、そのとき空海は24才、郷土の大先輩ながら、いささかその学才に不安を感じるしだいです。(雪竇「碧巌録」になると、さすがに宗門一の書と言われるだけあって、字句の背後に理論が縦横に張り巡らされているのが感じられ、脱帽せざるをえません)。
 閑話は休題としまして、異国へと赴くとき、いったい何を携えるべきでしょうか? まさか大和心(魂)などではなく、また青年ならぬ以上、好奇心や冒険心だけというのでは困ります。ここは、やはり「仁」――人間の重心の適切な置きどころ――かと思われます。とはいえ、孔門より出立しようというのは、あくまで私の個人的事情によるものであって、諸兄・諸姉におかれてはそれぞれに期するところがありましょう。
 21世紀を迎えますと、世界的政治・経済の大変動や新世紀だという高揚感をうけて、日本の実質的社会・経済体制はすぐには変化はなくとも、文化的風潮は一変すると思われます。変わったと宣伝したほうが、新商品・新企画を売りやすいことからも、ますます拍車がかかりましょう。明治の初めには一流の日本画家が失業して、砲兵工廠で図面引きをしたといわれますが、それと同様ないわゆるシー・チェンジが、いえもっと軽薄に、女性ファッションが次々に変わるのと同じレベルでの変遷が、大規模に起きるはずです。ここにおいて時代の濁流は、立ちつくす40代以上の知性・感性をのみ込んでしまい、総沈没させるものと思われます。
 以前、進歩的な若い文筆家のあいだで、「残された時間はそう長くはないものと覚悟している、云々」などと書くことが流行したことがありました。それを読むごとに私は、「この人、ガンにでもなっているのかしら」と同情したものですが、十数年たっても病没した人はなく、どうやら彼らの状況認識が狂っていただけのようでした。上記の私の時代認識にしても、「オオカミが来る」的な状況判断の誤りの可能性が、大きいかもしれません。
 とはいえ、風が木の葉をそよがせるのか、木の葉が風にそよぐのか、はたまた、それを見ている心がそよぐのか、いずれにしろ、風吹くときに木の葉はそよぐと、観ずる昨今です。

敬具 

(1999. 7. 12)


(注1) 能見氏については、拙稿「能見正比古著『血液型』シリーズの推計学による検証」をご覧下さい。(2001. 2. 10) (戻る

注2) 宇野氏にも瑕瑾はあり(例えばホロヴィッツ評価)、中野雄氏はそうした点をよく補っているといえます。もちろん中野氏も、すばらしいオールラウンドなクラシック音楽の聞き手です。(2005. 1. 1) (戻る
 現在では、宇野氏の個人的偏愛・偏重とでもいうべきものが、気になります。また、氏のオーディオ装置は、個人として音楽を楽しむには十分でしょうが、演奏の機微を評論する道具としては、いささか力不足でしょう。そこで私は、中野氏を参照することが多くなりました。『新版 クラシックCDの名盤』(2008年)、『新版 クラシックCDの名盤 演奏家篇』(2009年、いずれも文春新書)を、氏は分担執筆しており、教わるところ大なるものがあります。
 なお、中野氏の『ウィーン・フィル 音と響きの秘密』(2002年)、『モーツァルト 天才の秘密』(2006年、いずれも文春新書)も名著だと思います。現在の日本の批評家の中で、文章の良さは随一かも知れません。西欧語に親しんでいる人に可能な、内容のつまった文体です。が、そうなると、時にすこし日本語に過重労働をさせるような感じになるのは、日本語というものが言語としてまだ未熟なせいなのでしょうか・・・ (2019. 5. 11) (戻る

(注3) 平成不況については、その後、リチャード・クー氏の考えを採用することになりました。氏の諸著作は「資産デフレ」から「バランスシート不況」を導き出したのをはじめ、注目すべき所説に満ちています。(2004. 12. 25) (戻る) 


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