アジアの域内帝国主義 (2001/12/07) 以下の文は、岡崎研究所へ投稿(12月11日)したものです。 まだネール首相が活躍し、平和国家インドのイメージが日本では定着していたころのことである。仏文学者の桑原武夫は、アジアで唯一航空母艦をもっているのがインドであり、周辺諸国ではインド帝国主義という言葉が聞かれる、と指摘した。中国との紛争でやりあうためであれば、航空母艦は必要としなかったであろう。そしてインドは現在、隣国パキスタンとともに原爆を所有している。 ところでこれらの国は、第二次大戦後に輝かしい独立を成しとげ、植民地状態から脱した国である。それが、周辺諸国に対し、あるいは自国内の地方民族に対して、帝国主義的にふるまっている。「帝国――植民地」構造を再生産しているのである。20世紀前半までのヨーロッパ諸国の帝国主義は、海をこえて遠方の地をめざすものであった。後半のこれらアジア諸国は、地域内あるいは自国内での構造再生産であるから、域内帝国主義と称せよう。 その先頭をきり、大規模におこなったのは、いうまでもなく日本である。明治維新のあと、不平等条約の改正、日清・日露戦争でストップせず、さらに韓国併合、中国侵略へと進んでしまった。 こうして、アジアを考えるとき、域内帝国主義、あるいはそれをソフトに言い換えた「民族問題」は、20世紀からの負の遺産となっている。アジア全域にわたっての、根の深い宿痾といえる。しかし、戦後の日本は経済面で大国となったにもかかわらず、さいわいにもこの病をまぬかれた。これは、大日本帝国が解体させられたあと、平和憲法と日米安保条約の2つの相乗効果によるためと思われる。そのかわり、日本は国家の体をなしていないとか、「日本の首相というのは、結局アメリカの51番目の州知事だ」(藤原弘達氏)といった評をまねく面をもつことになった。 1. 社会そのものと、国家は分けて考えねばならない。ルソーなどの社会契約論では、諸個人が契約して成立する社会が、そのまま国家であるかのごとき論理構成となっている。けれども、これは、独学者ルソーがスイスの田舎から出てきた後進性のせいなどとされている。 2. 古代や中世も視野に入れて、国家とは何かについて問うときには、次の3説が有名である。これら3説は相互に対立しつつも、補完しあっている。現実の国家は、多かれ少なかれ3つをあわせ持っており、それがまた恐ろしいところである。 3. なるほど昨今は、経済・情報・技術面のグローバリゼーションが全世界をおおっている。しかし、J. ナイ氏が指摘するように、それによって国家のもつ政治的権力一般が衰退しているとはいえず、逆に、グローバリゼーションのダイナミズムをうみ出しているものは(あるいは、承認しているものは)、ナショナルなメカニズムである。 パウエル国務長官は、9月11日でポスト冷戦も終わったと述べたが、けだし至言であった。今こそ活眼を開いて新しい時代を見るときであろうが、前世紀からの負の遺産への注視も、また必要だと思われる。 ご意見・ご感想をお待ちしています。 E-mail :takin@be.to |