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 『精神の現象学』の「緒論Einleitung」の、補足的読解 v. 1.6.


  『精神の現象学』(1807年)の「緒文(Einleitung)」は、意味を取りづらいので、ここで少し補足・整理しておきたいと思います。まず、次のように説かれます:

(1) 哲学において、認識は真理(絶対的なもの)を捉えることができるのか、という疑念があるようだが、それももっともである。認識を、絶対的なものを自分のものにするための「道具」だとか、絶対的なものを見るための「媒体(Mittel)」のようなものだと見なすときには、この疑念が生じてしまうのである。つまり、認識と絶対的なものとが、境界で分離されているときにはである。
 こうした疑念は、
・認識は道具や媒体であるとの表象や、
・私たち自身 [認識主観] と認識との区別を、
・とりわけ、「絶対的なものが一方の側にあり、他方には認識が絶対的なものからは分離して、それ自身として存する」ということを、
前提にしている。認識は絶対的なものの外部にあっても、なお現実的で真実であるというわけである。
 しかしこうしたものは、偶然的で恣意的な表象だから斥けていい。また、「絶対的なもの、認識、客観、主観、等々」の用語が、こうした表象と結びつけて使われている。それらの用語の意味は、一般によく知られているという前提になっているが、それらの使用は欺瞞だと見なされていいのである。「というのは、これらは知識の空虚な現われであって、学問 [=本来の哲学] が登場するときには、すぐに消え去るからである」。(注1)

 ヘーゲルのこの (1) の主張によれば、哲学的認識(学問)は、カント的な三項図式「物自体-認識内容(表象)-認識主観(私たち自身)」にはよりません。そこで次には、ヘーゲル自身の哲学的認識論が、対置されねばならないはずです。ところが、次に続く文章は、「しかし、学問はそれが登場するときにはそれ自身、現象である」(注16)となっています。そして本来の学問ではなく、それの現象時における意識と認識対象の問題が、取り上げられます。
 そのため、これまで紹介されてきたヘーゲルが反対する考えは――すなわち、認識を道具や媒体と見なす考えや、絶対的なものと認識の分離を前提とする考えは――、「偶然で恣意的な表象」なので、「斥けていい」(注17)と断言されたまま、いわば尻切れトンボのまま打っちゃられてしまいます。これでは読者の多くは、納得できないでしょう。
 その上、(1) の後に続く学問の現象時における認識論が、いささか合理的説明に欠けており、私たちには理解しがたいものとなっています。そこで、『精神の現象学』執筆直前の1804-1805年頃に書かれた草稿を参考にして、ヘーゲルの真意を推しはかり、「緒文」の補足をしてみたいと思います。したがって、彼の思想圏内での「補足的読解」であって、私たちの観点からする説明ではないことをお断りせねばなりません。

 まず、現代の私たちからすれば、尻切れトンボであった前記 (1) ですが――
A) 当時の先進的読者とは案外コミュニケーションがついたのかもしれません。というのは、フィヒテはすでに1797年に、認識対象と認識の同一性を表すために、自我は「主観=客観」であると主張しましたし(注3)、シェリングの哲学もその線上にありました。彼らの新哲学は、すでに哲学の一角を形成していたのです。
 したがってヘーゲルが、カント的三項図式は斥けていいと宣言しただけであっても、読者は新哲学の味方が現れたと、好意的に受けとった可能性があります。そこでヘーゲルとしても、そうした彼らに向かって、同じ陣営の者だとの合図を送り、鬨の声をあげるのが、(1) を冒頭に書いた理由かもしれません。この時同時に、「客観、主観」のみならず、フィヒテやシェリングが持ち出す「絶対的なもの」という用語の使用まで、「欺瞞だと見なしていい」と述べることによって、自身の独自性を宣言してもいます。

B) とはいえ、自然な、非哲学的な意識が本来の哲学である学問へと至る道程が、『精神の現象学』ですから、その緒文の冒頭に (1) のようなものを持ってきても、内容構成としては破綻することになります。絶対的なものについての認識論である (1) は、学問の緒文にしてこそふさわしいと言えます。私見では、もともと (1) は、ヘーゲルの「学問の体系」ないしその第1部「論理学」の緒文だった可能性があります。(注2)

 さて、ヘーゲルの (1) での意見表明には、それを支える論拠がありました。すなわち、認識とその対象の同一性についての、認識論をもっていたのですが、それが窺えるのは、1804 年の草稿です。

(2) まず、認識とその対象の同一性が、主張される箇所です:
 「『認識は、思考する主体のうちでそれだけで存続し、認識対象は、この主体の外でこの主体には依存せずに、それ自身として存続する』(注18)、このようなことがいわゆる経験なるものによって、前提とされる。・・・しかし、純粋で直接的な経験については、事態はこのようになっていないのである」。(注4)
 「哲学の理念においては、認識と認識されるものは、まったく同じである。認識されるもの、すなわち認識内容が意味していることは、[認識と認識されるものとの] 対立が [両者の] 統一である、ということに他ならない。認識とか私たちの活動と呼ばれるものは――これは、私たちが前述の認識内容 [=認識されるもの] に付加するものであろうが――、まったくこの内容そのものなのである。・・・[私たちの認識] 行為とは、[認識とその対象の] 統一を、対立として措定し、そしてこの対立を統一のうちで廃棄することである」。(注5)

 しかし、認識とその対象の同一(統一)態ということだけでは、スピノザ的実体と径庭がなくなってしまいます。

(3) そこでこの同一態とは、認識とその対象の2項間の関係だと、ヘーゲルは主張します。同じく1804年の草稿からです:
 「認識とその対象は、それぞれ別個に規定されるにしても、両者は互いに一 [=同一] と多 [この場合は2] の関係 [Verhältnis] を持たざるをえない。この関係のうちで両者は、相互に廃棄しあい・・・まったくの一者となる」。(注6)
 この点をすこし詳しく説明したものとして、これも1804年の草稿があります。少し分かりづらい議論ですが、(4) として引用します。なお、筆者が赤字で表記した「認識」は、認識とその対象の同一としての「認識」を、意味していると思われます。[ ] 内は筆者の解釈による挿入です。

(4) 「認識の理念が、形而上学における最初のものである。認識の内には、
α) 認識の外部に存する認識がある。つまり表象の外での物自体がある。
β) 認識に関係づけられる認識がある。そしてこの認識は内容になる [いわゆる認識内容(表象)のことだと思われます]、すなわち、[同一態としての] 認識の無差別(Indifferenz)に対して活動的なものになる。
γ) 認識自体がある。・・・
 「γの認識は、それ自身否定的なものでもあれば、肯定的なものでもある。すなわち・・・[肯定的なものとしては] γは普遍的であり、γの内では、前記のαとβが措定されている。 [否定的なものとしての] γは、αとβの関係を、すなわち非-認識の認識そのものへの関係を廃棄し、まさにそのことによって非-認識を措定し、自ら自身を非-認識においては捨象されているものとして措定する」。(注7)

 この引用文での、認識の内に、認識と非・認識(=物自体。そしてこれもある意味で認識なので、前記αでは「認識」と呼ばれています)があるという構図は、奇異なものに思われるかもしれません。しかし、この構図は、フィヒテが『全知識学の基礎』(1794年)で提示した自我の構図――「自我は非我とともに、自我によって自我の内に措定されている」(注8)――を、なぞったものでしょう。一般的に表せば、A の内に A と非A が存在するという構図であり、私たちの用語を使えば、「存在のメタ化」です。
 『全知識学の基礎』では続いて、「[自我と非我は、] 相互に制限されるものとしてある。つまり、一方の実在性は、他方の実在性を廃棄する。逆もまたしかりである」と言っており、両者相互の否定的な関係も、指摘されていました。それを下敷きにしながら、ヘーゲルは前記の否定的なものとしてのγを、立論しているのでしょう。

 以上 (2), (3), (4) が、『精神の現象学』執筆以前のヘーゲル哲学(学問)の認識論でした。この認識論は、状況に応じた変更を加えれば、精神(学問)の現象である「意識」にも、妥当するはずです。本来の哲学においても、「意識」においても、認識論の構図は変わりません。というのは、精神が現象したものである「自然な意識」(注9)は――すなわち『精神の現象学』に登場する諸意識は――、精神が現実に存在する形態に他ならないからです。やはり1804年の草稿ですが:

(5) 「[意識の行う] 経験は、哲学の明瞭な認識とは矛盾するなどということは、まったくもって否定されねばならない。というのも、哲学の真理の内に [現れていないものは]、真の経験自体の内にも、現れてはこれないからである」(注10)

 そこで、『精神の現象学』という意識の経験の場での認識論も、前記 (2), (3), (4) に則ったものになるはずです。「緒文」の認識論が書かれた箇所を、見ることにします:

(6) 「意識は、あるものを自らとは区別するが、同時にこのあるものに関係もしている。つまり・・・あるものが意識に対して存在する。そしてこの関係の規定されている側面が、すなわち、意識に対するあるものの存在の規定されている側面が、知識である。他者 [=意識] に対するこの存在と、自体的な [あるものの] 存在を、私たちは区別する。知識に関係づけられているものは、このように知識から区別されて、この関係の外部においても存在するものとして措定される。この [存在の] 自体的側面が、真理といわれる」。(注11)

 前記 (4) の
・「αの物自体」と「βの認識」が、この (6) では「自体的な存在」と「意識」になっていたり、
・β中の認識の「内容」が、 (6) では「関係の既定されている側面」である「知識」になってはいますが、
構造と論旨は同じです。次いで、 (4) のγに相当するものが、言及されます。

(7) 「意識 [γの認識自体に相当] の内に、他のもの [αの物自体に相当] に対するあるもの [βの認識に相当] が存在する。すなわち、意識は一般的に自らのもとに、知識の契機という規定性をもっている。と同時に、前記の他のものは、あるものに対して存在するだけでなく、この関係の外でも、すなわち自体的にも存在している。つまり、真理という契機である。意識が自らの内で、自体的存在だと、つまり真なるものだと表明したものが、私たちの規矩(Maßstab, 物差し)なのであるが、[本当のところは] この規矩は、意識自身が意識のもつ知識を測るために、置くものなのである」。(注12)

 ヘーゲルからすれば、本当のところは「自体的存在」とそれに対している「意識」の2項は、背後にある2項の同一態(γ)の、2つの契機です。そこでもし2項のどちらかが変化したとすれば、同一態そのものが変じたことになります。そこで他の項も、即応して変化せざるをえないことになります。
 しかしながら、このような知見は哲学(学問)本来の場においては可能ですが、現象する「意識」を念頭に置いての「緒文」では、次のような述べ方をせざるをえません:

(8) 「意識と [規矩である] 対象の双方が比較されて、一致しないときは、意識の方がその持っている知識を、対象に合わせて変えなければならないように思われる。しかしながら、知識が変化したことにおいて、それに応じて対象そのものも、実はまた変化しているのである」。(注13)

 ヘーゲルは (8) の2項の変化即応の理由を、一応以下のように述べるのですが、読者は悪しき観念論(カントの言う「実質的観念論」)、あるいは唯心論だと受け取るかも知れません:

(9) 「というのは、それまであった知識は、本質的に対象についての知識だったからである。知識とともに、対象もまた別のものになる。というのも、対象は本質的にこの知識に帰属する(angehören)からである。このようにして、『意識にとって以前は自体的であったものが、自体的ではなくなる。すなわち、ただ意識にとってのみ自体的であった』ということが、意識に対して生じるのである」。

 ここでの「対象は本質的にこの知識に帰属する」という文は、悪しき観念論より出たものではありません。「対象」とその「知識」の2項は、本来は両者の同一態の2つの契機ですから、「境界で分離されて」「それ自身として存する」(注15)ことはありません。この事態が『精神の現象学』では、「対象は本質的に・・・」の文として表されているのです。 
 (9) の2項の変化即応の理由もまた、あくまで現象する「自然な意識」レベルのものであって、哲学本来の観点からは既述したように、2項の存在性がそれらの同一態から来ていることによります。
 ではなぜ、大本の同一態が変化するのかということですが、それはもともとヘーゲルには、「矛盾は真理の規則であり、無矛盾は虚偽の規則である」(注14)という発想があるためです。彼は万物が矛盾を内包しており、それが必然的な運動と生成をもたらすと考えていたのでした。

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注1) GW, Bd., 7, S. 53-55.
注2) この点については、拙稿『精神の現象学』の成立過程と、論理学で、論じています。
注3) 『知識学の新しい叙述の試み』(SW, Bd. I, S. 529. 岩波文庫『全知識学の基礎』上巻所収の訳では、80ページ)。
 また、『全知識学の基礎』C版の注(1802年)にも:
「こうしたことは、その後の私の表現法によれば、次のようにいえよう:自我は、必然的に主観と客観との同一性である。すなわち、「主観-客観」である。このようであるのは、いかなる媒介もなくして、端的にそうなのである」。(SW, Bd. I, S.98. 岩波文庫『全知識学の基礎』上巻では、114ページ)。
注4) アカデミー版全集で編集者によって「体系への2つのコメント(ZWEI ANMERKUNGEN ZUM SYSTEM)」と題された、1804 年の草稿。GW, Bd. 7, S. 346, Am Rande 3.(GW は、アカデミー版全集を指します)。
注5) Ibid., S. 346.
注6) Ibid., S. 345.
注7) ヘーゲルによって「形而上学」と題され、アカデミー版全集では編集者によって「形而上学の構成草稿(GLIEDERUNGSENTWURF ZUR METAPHYSIK)」と表題された、1804 年の草稿。GW, Bd. 7, S. 341.
 執筆時期が1804年頃ということについては、Horstmann 氏の、G. W. F. Hegel: Jenaer Systementwürfe II (Felix Meiner Verlag, Philosophische Bibliothek) への序文 XXI ページを参照。
注8) 『全知識学の基礎』(SW, Bd. I, S. 125. 岩波文庫『全知識学の基礎』下巻では、162 ページ)。
注9) 「自然な意識」という表現は、『精神の現象学』の「緒文」に見られます。S. GW, Bd. 9, S. 56.
注10) アカデミー版全集で編集者によって「体系への2つのコメント(ZWEI ANMERKUNGEN ZUM SYSTEM)」と題された、1804 年の草稿より。GW, Bd., 7, S. 346.
注11) 『精神の現象学』の「緒文」、GW, Bd. 9, S. 58.
注12) ibid., S. 59.
注13) ibid., S. 60.
注14) 1801年の「教授資格討論提題 (Habilitationsthesen)」第1条。
注15) 『精神の現象学』の「緒文」、GW, Bd. 9, S. 53f.
注16) 『精神の現象学』の「緒文」、GW, Bd. 9, S. 55.
注17) 『精神の現象学』の「緒文」、GW, Bd. 9, S. 55.
注18) この前提がカント哲学を指すことは、前ページの余白への書き込み2に、「カント哲学」の字句が見えることからも、明らかです。(アカデミー版全集で編集者によって「体系への2つのコメント(ZWEI ANMERKUNGEN ZUM SYSTEM)」と題された、1804 年の草稿。GW, Bd. 7, S. 345, Am Rande 2. GW は、アカデミー版全集を指します)。

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(初出: 2008-2-28)
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